狂った世界のディストピア   作:瑠璃色砂糖月

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 はじめまして。瑠璃色砂糖月と申します。
 今回初投稿です。
 見て下さる方がいるかどうかは分かりませんが、かなりのスローペースになると予想されます。
 そして、かなり癖が強いかと思います。趣味が全開でございますので。なにとぞご理解を。
 それでは、どうぞ。


序章『狂った世界に迷い込んだ少女』
1話「狂った世界にようこそ」


 世界は狂っている。

 いつから狂っているのかは誰にも分からない。なぜ狂ったのか誰にも分からない。でも確かに、この世界は狂っていた。

 多くの狂いがこの世界には集まった。他の世界から外された者達が、この世界には集まった。

 ご愁傷様。心よりお悔やみの言葉を送ります。

 諦めましょうよ。もうこの世界は普通じゃない。

 世界は狂ってしまった。

 この世界で生き残りたくば強くあれ、強く有れ、強く在れ。

 世界が狂ってしまった今、ルールなんて当てにはならない。

 己の強さだけを高めなければ・・・・・・ね。

 

 

 

*****

 

 

 

 夜、街道町を走り抜ける影。

 

「はあ・・・・・・はあ・・・・・・はあ・・・・・・!」

 

 成人もしていない女だった。

 黒い髪、黒い瞳の純日本人。顔つきは少し地味で体つきも華奢な部類に入る。服装は水色の長袖の寝間着姿。靴はサンダル。とても走ることには向いていないものだった。靴擦れが起きて真っ赤になっている。

 空は真っ黒、真っ赤な月が浮かんでいる。

 まるで彼女の行為が無駄だと言わんばかりの、嘲笑の光を放つ三日月が浮かんでいた。

 女は唾を飲み込み、疾走。

 

「あっ!」

 

 目の前に誰かが居るのが見えた。

 月に照らされる乱雑に切られた短い金髪、赤いパーカーがよく映えて見える。

 女は立ち止まる。そして、周りを見渡して、路地裏へと抜ける小さな道を見つけてそこに駆け込んだ。

 自分が追われているから巻き込むことはできない。自分を追う連中が並大抵の一般人では敵わないと分かっているからこそ、巻き込みたくなかった。

 

「きゃあ!」

 

 女の目の前に何かが落下してくる。それは身の詰まった果実が地面に叩きつけられたような、そんな音を立てた。

 

「あっ・・・・・・ひっ!」

 

 

 追跡者。

 

 その正体はどろどろと溶ける体を持つ奇妙な生物。人間の姿はしているが、それが人間だとは女は思えなかった。

 腕の先は溶けてでろでろと地面に(したた)る。足も同様。歩く度にべちゃりと音を鳴らして腐臭を撒き散らしていた。頭部は片方の目玉が飛び出て視神経で振り子のように垂れている。紫色の舌がだらりと零れて唾液とも胃液とも取れない液体がぽたぽたと地面に落ちていた。

 恐怖。それ以外に例えられるものがない。

 呻き声をあげて、追跡者が女に向かって一歩、踏み出す。どちゃり、と不快な音が彼女の耳に届いた。

 

「いぃ・・・・・・っ」

 

 女は後退(あとずさ)る。そして、体を反転させて逃げようとした。

 しかし───

 

 ぶちゃあっ。

 

 ───追跡者が退路を塞ぐ。

 

「あ、あう・・・・・・!」

 

 頭部陥没。新たに現れた追跡者の耳から液体が垂れた。びちゃびちゃと、全身から流れる腐液に女は顔を強張らせ、必死に悲鳴を押し殺す。歯がカチカチと鳴り、顔が真っ青になる。

 前から、後ろから。

 追跡者に挟まれ、絶体絶命の危機。

 女は腰を抜かす。助からないと理解させられても、信じたくなかった。

 でも、彼女は言わない。

 言いたくても言わない。

 自分がそれを言っても良いと思えなかった。

 女は目を瞑り、頭を抱えた。

 追跡者の溶けた腕が、女に触れようとする。

 ───その時。

 

 ドチャッッ!

 

 通路入り口側に居た追跡者が壁に叩きつけられた。

 茶色にも見える汚い血が飛び散り壁を色づける。原型すら保てず、追跡者は壁のシミへと変わった。

 そこで、もう1体の追跡者が顔を上げた。片方は機能していない目だが、そこに誰かが居るのは見えた。

 

 1人の青少年。

 

 乱雑に切られた短い金髪、血よりも濃く濁った瞳。顔つきは端整だが童顔。服装は真っ赤なパーカーに少しだぼついた灰青色(かいせいしょく)のズボン。体は小柄で160㎝前後の身長。

 顔は無表情、片手をパーカーのポケットに突っ込み、もう片方の手はだらりと垂らしている。女と追跡者に向かって歩いている。

 青少年は手を上げると無造作に横に振った。

 

 ブチュッッ!

 

 途端に、もう1体の追跡者も壁に叩きつけられ、シミへと化した。

 

 一瞬。

 

 方法は本人のみぞ知る。ただ、女が逃亡していた恐怖の存在が、一瞬で片付けられたことだけが理解できる。

 そこでようやく、痛みがやって来ないことに気づく女。そろりと頭を上げて、周りを見渡した。そこで、周りに追跡者が居なくなっていることに気づく。

 

「・・・・・・え、えっ?」

「おい」

「きゃあああっ!?」

 

 女が振り向いて後退した。知らない人が月を背負って自身を見下ろしているのだ。驚く以外にリアクションが取れなかった。

 女は怯えた。誰かも分からない人が傍に居ることに対して。

 

「あ、あの・・・・・・っ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 男は女を見下ろす。

 月に照らされて浮かび上がる彼女は幼く見えた。

 艶のある黒髪、垂れ目がちの黒目。長身のせいでほんの少しだけ盛り上がっている水色のパジャマが幼稚に見える。

 容姿は少し地味だが大和撫子を連想させる、充分な美少女であった。

 何より匂い。

 馥郁(ふくいく)とした香りが男の鼻をくすぐっていた。極上の逸品だと分かる、甘く、食欲をそそる香り。

 

 さぞかし肉も美味かろう。

 

 男は唇を舐める。その淫靡さを感じさせる仕草に女は胸をドキリとさせ、後ろに必死に逃げる。しかし、男が一歩踏み出すだけで距離は詰められる。

 

「え、あの、そのっ・・・・・・きゃあ!」

 

 男が女の上に倒れ込んだ。

 

「や、あのっ・・・・・・やめ!」

 

 襲われる。本気で思った。何とかして男から逃れようとする女。

 男は女の髪を掴むと首元を晒す。白い柔肌が月下に映える。男は首元に噛みついた。

 

「ひ、あがっ!?」

 

 そう、噛みついた(・・・・・)

 文字通り、噛みついた(・・・・・)のだ。

 

「いだっ・・・痛いっ! やだあああっ!!」

 

 歯が肉に突き立てられ、血が溢れる。ただでさえ大きい血管がある人間の急所。そこに噛みつかれて女は暴れた。

 それを煩わしく思ったのか、男は眉を(ひそ)めて女の頭をコンクリートへと叩きつけた。固い物が叩きつけられ、鈍い音が静寂な路地裏に響く。

 

「っ!!?」

 

 突然の激痛に視界がぐわんと回り、目が目蓋(まぶた)の裏を見る。目の前が真っ暗になった。

 女が悶絶するのも我関せずと言わんばかりに、男は溢れた血を舐め、啜る。

 そして、驚いたように首から口を離す。驚く男の口元には血がべっとりと付着していた。

 満たされたのだ、人を見る度に感じる飢餓感が。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 後頭部と首筋から血を、閉じられた瞳から涙を流して気絶している女を眺めて、男は少しの間動きを止める。地面を落ちようとしている血を手で制止させ、肉を圧迫して止血する。

 そこで男は気づく。

 既に血が止まっていることに。

 男は手にべっとりと付着した血を舐め、首筋に付いた血も綺麗に舐めてしまった。最後にぐいと口周りを手の甲で拭うと、女を肩に担ぎ上げる。

 男は女を連れて路地裏から出た。

 月下の元で、影が長く伸びる。

 

 

 

*****

 

 

 

 この世界は壊れていた。

 善と悪のバランスが崩れ、悪が限りなく強くなった。

 というのも、この世界は他の世界の負の遺産が集まるのだ。

 つまり、ごみ箱、屑入れ、ダストボックス。

 ありとあらゆる欠陥品がこの世界に堕とされる。

 ここはそんな世界だった。

 他の世界の者はそんな世界を見下ろして嘲笑うのだ。

 ご愁傷様、ろくでなし共。

 精々そこで呼吸が出来ることをありがたく思うが良い。

 しかし、他世界で生まれた欠陥品がこの世界に集まると何が起こるのか・・・・・・。想像に(かた)くない。

 時間が経つ度に他世界の者は恐れた。悪が凝り固まり、狂った異常な世界の住民達を。元より常識が無い連中には天国にも思える世界であり、常識を正義と捉える連中には(おぞ)ましい世界である。

 

 

 

*****

 

 

 

「ん・・・・・・んう・・・・・・」

 

 頭と首がズキリと痛み、女は目を覚ました。

 まず目に入ったのは天井である。黄で造られた暖かさと柔らかさが感じられる天井。首に触れると包帯が巻かれていることに気づく。

 恐る恐る起き上がり、誰か居ないかと周りを見渡した。

 

「起きたか」

 

 

 居た。男が。

 

 金髪に鮮やかな血色の瞳が薄暗い部屋で輝く。椅子に足を組んで座っている男と女の目が合った。

 女は一瞬誰だか分からなかった。

 しかし、思い出す。男が己の首元を(かじ)り、血を啜っていたことを。

 女の顔がさっと青ざめる。

 

「いっ、むぐぅっ!」

 

 叫ぼうとした途端、口を手で鷲摑みにされる。大きい掌、角張った指が確かに男だと実感させられる。

 女は必死になってその手を引っ掻く。何とかして逃げようとした。

 その様子を見ても、男の無表情はぴくりとも動かない。気の済むままにさせようとしているのかは定かではない。

 

「・・・・・・お前にいくつか質問がある」

「んーっ! んぅうううっ!」

「このまま頭蓋(ずがい)を握り潰されたければ、そのまま続けろ。殺してやる」

「んっ・・・・・・っ・・・・・・」

 

 脅迫の言葉に一気に抵抗が弱まる。いくら逃げ出したくても、死体となって外に放られるのなら意味がない。

 女の腕がだらりと垂れれば、男はようやく手を外した。

 

「さて、何から話すか・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 男は自身の顎に指を這わせて考える。女はその間震える手で膝を抱きかかえ、少しでも男から離れようと背後の壁に背をつけた。男はそれを咎めず、マイペースに進める。

 

「そうだな、まずは名前を聞こう。それと、昨日の奇妙な生き物に追われていた理由」

 

 女に目を向けると「ひっ」という小さな悲鳴。歯がカチカチと鳴っている。

 男は首を傾けた。

 

「喋れないのか? ・・・いや、悲鳴をあげようとしたのなら喋ることは可能のはずだ」

「・・・・・・っ、・・・・・・っ!」

「・・・・・・変な女だな」

 

 男は自分のことは差し置いてそんな呟きを漏らす。女はぎゅっと目を瞑った。その様子に何かを感じるわけでもなく、男は立ち上がった。女が肩を跳ね上げて更に壁に背を密着させる。

 男は近くのクローゼットから赤いパーカーとズボンを取り出し、女に向かって投げつけた。女はびっくりしてパニックになったが、それが衣服だと知り目をパチクリさせた。

 

「着ろ」

「・・・・・・え?」

「腹が減った。朝食を食べに行く」

 

 男が窓にかかったカーテンを開けて外を見る。朝日が部屋の中を明るく照らす。

 男の金髪が輝く。まるで絵画のような美しさに女は見惚れていたが、紅い目を向けられ意識を戻す。

 

「早く着替えろ」

(・・・・・・え? この状態で? 出て行かないの?)

 

 女は男が部屋から出て行かないと着替えようにも着替えられない。女が部屋の中をきょろきょろと見回し、男は首を傾ける。

 全くプライバシーのことなど考えていなかった。

 

「どうした、早くしろ」

「・・・・・・ぁの、部屋から・・・出てくれません?」

「・・・・・・? 何故だ?」

「え?」

 

 結局、男は意味も分からず後ろを向くことで落ち着いた。

 

 

 

*****

 

 

 

 カラン、とある店の扉が開かれる。

 中は明るく、広い店内が良く見渡せた。

 入ってきたのは金髪の男と黒髪の女である。

 男はぼさぼさの短い金髪、濃く濁った血色の瞳、童顔ながらに端整な顔立ちは無表情。男にしては小柄な体に真っ赤なパーカーに少しだぼついた灰青色(かいせいしょく)のズボンを纏っていた。

 女は艶やかな黒髪、垂れ目がちの黒の瞳、顔つきは地味だが大和撫子を連想させる美少女である。男と同じく赤いパーカーとだぼついた灰青色のズボンを着ているが、サイズが大きいのか手の先はパーカーから出ておらず、ズボンの裾を引きずっていた。男よりも小柄である証拠である。

 男は迷いなく店内を進み、女はその後に続く。カウンターに寄ると男に絡まれている女性の店員が居た。

 

「なあ、今夜どうだ? いくらで付き合ってくれる?」

「そういうお仕事はしておりませんので・・・・・・」

「そう言って何度も断られてんだぞ、俺は。そろそろ客の言うことの1つくらい聞いてみてもいいんじゃねぇか? いい加減にしねぇとこの店がどうなることか・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「まだ働いていたいだろ? ん?」

 

 

 しつこく迫られている女・・・それはそれは美しかった。

 

 光加減で灰色にも見える白い髪、涙色の瞳をした女性。顔つきは端整で薄く微笑んでいるとまるで人形のようだ。服装はシャツにジーパン、その上からレースのついたエプロンという質素なもの。しかし、巨乳でシャツがエプロンごと盛り上がり、腰は細くくびれている、臀部も大きく安産型でジーパンも盛り上がる。誰もが夢想する淫靡な体つきだが、どこか儚い印象を持ち、庇護欲をそそられる。

 存在感が店内でもかなり強い彼女は少し困ったように微笑みを浮かべている。

 そこに、金髪の男が現れると安心したように息を吐く。

 

「いらっしゃい、千手(せんじゅ)くん」

「人肉の盛り合わせ、ブラッドウォーター」

「はいはい・・・・・・あら? そちらの女の子は?」

「知らない」

「もう、あなたが連れてきたんじゃない」

「えと、あの・・・・・・」

 

 自然にカウンターに座った男の隣に座るべきか否か、とあたふたする女は、カウンターの女性に自然と目を向けた。

 絶世の美女である。

 彼女もその美貌に釘付けになり、ほう、と息を吐いた。

 

「おいテメェ、いきなり現れてなんだ? 軽々しく俺の女に話しかけんじゃねぇ。殺すぞ」

 

 先に居た男性が男に啖呵を切る。傍に居た彼女は忘我の彼方から戻ってきて顔を青ざめた。

 

「・・・・・・と、言っているが? 空穂(うつほ)

 

 当の本人はその男を一瞥しただけ。ほぼ無視と言える。

 

「変なこと言わないで。わたしは男を取っかえ引っかえするような女に見える?」

「おい、だからこいつに話しかけんじゃねぇって・・・・・・」

 

 

 

「殺してやろうか」

「いいえ、やめて。店内では争いは厳禁なの。汚れちゃうでしょ?」

 

 

 

 ぱちん、と彼女が指を鳴らせば喚いていた男の姿が消えた。

 

「・・・・・・え?」

 

 突然消えた男性。女は辺りに見渡して先程の男性を探す。しかし、見当たらなかった。

 それなのに2人は平然としていた。空穂と呼ばれた女性は赤い液体の入ったコップを男の前に置く。

 

「・・・・・・今回はどこに飛ばしたんだ?」

「マグナ火山の火口の中。もうそろそろ噴火するみたいだから、今頃・・・・・・」

「死んだな、勿体ない」

「あんな不潔そうな男を食べたら駄目よ。お腹を壊すわ・・・・・・と言っても、普段から生肉を食べ慣れているあなたからすれば些細なことかしら」

「どうでもいいな。喰えれば問題ない」

「うふふ、変わらないわね」

 

 楽しく談笑している姿をぽけっと見つめる女。空穂と呼ばれた女性はそれに気づいて、男の隣を(すす)める。

 

「はじめまして、わたしは空穂(うつほ)。ここのマスターをしているの。座ってどうぞ、ご注文は?」

「あ・・・・・・えと、メニュー表とかありますか?」

 

 何を頼めば良いのか分からない。カウンター席に座りながら女が聞くと、空穂と名乗った女性はきょとんとした。そして、くすりと笑う。

 

「ごめんなさい。ここにはメニュー表が無いの。だから好きに頼んで貰える? 余程手のかかるものじゃなければ基本的に何でも出せるわ」

「えっ・・・・・・」

 

 その言葉に女は驚く。空穂はにこにこと笑いながら注文を促す。女は戸惑いながら、ぱっと思いついたモーニングメニューを口にした。

 

「・・・えと、パンとベーコンエッグとミルク・・・牛乳とヨーグルト?」

「・・・・・・ふふ」

 

 女の注文に空穂は笑う。

 

「あなた、普通なのね」

「えっ?」

「ごめんなさい、つい口に出ちゃって。あなた、お名前は?」

「え、と・・・・・・恵美(えみ) 五十鈴(いすず)と申します。・・・・・・は、はじめまして」

 

 女───恵美(えみ) 五十鈴(いすず)は空穂に向かって頭を下げた。

 

「はい、はじめまして。五十鈴ちゃんね。待ってて、今とっても美味しいモーニングセットを作ってあげるわ」

「あ、ありがとうございます・・・・・・」

「千手くん、あまりいじめちゃだめよ?」

「? 拷問するつもりはない」

(そういう意味!?)

 

 爆弾発言をした後、二人きりになると微妙な空気が流れる。

 

「・・・・・・千手、さん」

「なんだ」

 

 男───千手(せんじゅ)は頬杖をつきながら片手で赤い液体の入ったお冷やのコップを弄びながら返事をした。その姿さえ(サマ)になっていて見惚れてしまう。五十鈴ははっとしてぶんぶんと頭を横に振る。

 

(襲われかけたっ・・・! わたしはこの男に食べられかけた・・・・・・! 死にかけたっ・・・・・・!)

 

 そう、首元に噛みつかれて獣のように喰われかかったのだ。信じてはいけないと心の中で念じる。

 

「・・・・・・あの、どうして助けてくれたんですか?」

「お前から美味そうな匂いがしたから」

「最早食材としか見ていないっ!?」

「偶然近くに居たから良かったな。お前のような極上の肉は早々居ないぞ。あんな腐った者共に喰われる前で良かった」

「・・・・・・・・・」

 

 千手は五十鈴を『食い物』以外に見ていない。助けたのは滅多に見ない掘り出し物の『肉』を他人に喰われたくなかったから。ただそれだけのために追跡者を殺して五十鈴を助けた。ある意味では己の欲に忠実とも言える。

 五十鈴はもう何も言えなかった。理解もできなかった。

 

「で? 五十鈴と言ったか。お前は腐った者共に何故追われていた? お前の血肉と関係があるのか?」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・まただんまりか。喋ることが分かっているから通用しないぞ」

「だって、言ったらあなたも巻き込むでしょう? 言えませんよ。もしあなたがあの化け物を倒せたって、また沢山来たら流石に死んじゃいます」

「・・・・・・・・・」

「だから、1人で良いんです。朝食、ありがとうございます。もしわたしがまだ生きていたら、そしたらお礼をさせていただきます。・・・・・・本当にすいません」

「・・・・・・」

 

 千手は諦めたように笑う彼女を無表情のまま見る。そして、呟いた。

 

「新入りか、珍しい」

「え?」

「お前みたいな貧弱な女がここに堕ちるとは・・・余程性根が腐っているのか、それともあまりにも強力すぎるから妬まれて無理矢理堕とされたのか・・・・・・定かではないが、良い理由では無いだろうな」

「い、意味が分かりません! 堕ちるとか、妬まれるとか、強力だとか・・・・・・い、意味が」

「ふん・・・・・・」

 

 じぃっと千手が見定めるように五十鈴を頭から爪先まで目を向ける。

 

(やはり、此奴(こいつ)の肉体がおかしいのか・・・・・・。異能が有る訳でもない、魔素を抽出できる訳でもない、神でも魔女でも悪魔でも天使でもない・・・・・・どの世界にも存在していそうな、脆弱な人間の女にしか見えない・・・・・・)

 

 何故このような世界に堕とされたのか分からなかった。迷ってきたのなら元の世界に送り届ける方が本人にとっての幸せなのだろうが、数多ある世界で彼女の世界を見つけるのも難しい話。

 

「・・・・・・・・・変な女だ」

「変、って・・・・・・。わたしは至極真面です。おかしいのはあなたの方です」

「それは違う。おかしいのはお前の方だ。この世界では常識は通用しない。通用するのは力のみ」

「・・・・・・・・・」

「元の世界がどうだかは知らないが、甘い考えのままだと早死にするぞ」

 

 千手は前を向いて、お冷やを口に含んだ。それを横目に五十鈴も一口水を飲む。

 そうしていると、空穂が両手に料理を持って戻ってきた。

 

「おまたせ。千手くんが人肉の盛り合わせとブラッドウォーター、五十鈴ちゃんがモーニングセットね。五十鈴ちゃんは箸が良いかしら。それともナイフとフォーク?」

「あ・・・・・・箸で、お願いします」

「はい、お願いされました♪」

 

 千手の前には様々な部位の肉が山積みに(・・・・)飾られたプレート、赤くどろりとした液体がなみなみと注がれたジョッキ。五十鈴の前にはトースト、ベーコンエッグ、ヨーグルト、ミルクの入ったコップの置かれた四角のお盆。

 千手は両手を合わせる。

 

「いただきます」

「えっ?」

「・・・・・・なんだ」

「・・・・・・あ、ああ、いえ・・・・・・何も・・・・・・」

 

 食事の前に言った「いただきます」がとても信じられずに思わず見てしまったのだ。空穂は五十鈴の様子を見てくすくす笑い、千手は五十鈴を見て軽く首を傾けるとさっさと肉を箸で摘まみだした。

 それを見て五十鈴も「いただきます」と呟いておそるおそるトーストに手を伸ばす。

 パク、とトーストに囓りつくと、サクッとした食感に少しの甘みが口の中に広がる。

 

「・・・・・・!」

 

 外はカリッと、中はふんわり。そして噛む度にもちもちとした食感。いくらでも食べられそうな一品。鼻から感じる甘い匂いが食欲をそそる。

 次にベーコンエッグを箸で割る。卵の黄身にはしっかりと火が通っている。それを食べて、五十鈴は目を輝かせた。ベーコンの塩気と卵の甘さがマッチしている。

 もう手が止まらない。

 五十鈴の良い食べっぷりに空穂も満足しながら、カウンター越しに彼女の前に座り込む。

 

「うふふ、どう? 口には合ったかしら」

「・・・・・・っ、はい! こ、こんなにおいしい朝ご飯、初めて食べましたっ!」

「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。・・・・・・おかわり、あるわよ?」

「えっ、良いんですか!?」

 

 目を輝かせる五十鈴だが、ふと思い出したように気まずい顔をした。

 

「す、すいません、わたし・・・お金を持ってなくて・・・・・・」

「気にしなくていいわよ。千手くんが奢ってくれるから」

「えっ?」

「そのつもりで連れてきたんでしょ? 千手くん」

 

 空穂と五十鈴が肉を咀嚼している千手を見れば、彼は赤い液体を飲み干して答える。

 

「・・・そうでなければ連れて来る意味が分からない。無駄なことは嫌いだ。お代わり」

 

 空穂は千手が差し出したジョッキを受け取りながら苦笑いに似た微笑みを浮かべた。そして、五十鈴に問いかける。

 

「相変わらず口下手ね・・・・・・。五十鈴ちゃんはどうする?」

「あ、じゃ、じゃあ・・・トーストとベーコンエッグを・・・・・・」

 

 結局五十鈴はトーストとベーコンエッグを後3回ほど頼んだ。

 千手は平然と肉の盛り合わせを平らげた。空穂は五十鈴に注文される度に嬉しそうに微笑み、明らかに食べ過ぎた五十鈴は満足そうに苦しんでいた。

 

 

 

*****

 

 

 

 食事後、千手と五十鈴は外に出た。

 空穂から気に入られた五十鈴は頭を撫で繰り回され、今度はメニュー表を作成しておくこととスペシャルメニューを作っておくことを約束した。

 

「あ、あの・・・・・・今日はありがとうございます。たくさん食べさせていただいて・・・・・・」

「別に。よく食べる奴は好きだ。見ていて飽きないからな」

「はあ・・・・・・」

 

 少し苦笑いしながらも、五十鈴は千手に少し心を開いているようだった。少しの間だが共に過ごして、正体不明の彼の一端に触れた気がしたのだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 彼になら、頼っても良いのかもしれないと何故か思う。

 無意識に五十鈴は千手を信用しようとしていた。

 

「あ・・・・・・あの、千手さん」

「なんだ」

「わたし、その・・・・・・!」

 

 

 上から何かが落ちてくる。

 

 

 影になり、不思議に思った五十鈴が上を向いた。

 目の前には溶けた不気味な顔をした誰かが落ちてくる。

 

「・・・・・・え?」

 

 

 爆散四散。

 

 

 五十鈴がそれを認識した直後、それ(・・)は壁に叩きつけられた。

 建物のドミノ倒しさえ起きないのは、それ(・・)の体が脆いからだろう。いつかの壁のシミと同じ光景に変わった。

 

「またか。暇な連中だ」

 

 千手は無表情で息を吐く。パーカーに手は突っ込んだまま。何をしたのかも五十鈴には分からなかった。ただ、彼が今の追跡者(・・・)を殺したことだけは理解できた。

 千手は(おもむろ)に空を見上げた。五十鈴も釣られて上を見る。

 そして、絶句。

 

 

 雨が降っている。腐った者共の。

 

 

 空から落ちてくる不格好な生命体が、2人に無数に降り注ごうとしていた。

 1つでも当たれば瀕死は免れない。どこかへ隠れようと目を向けた時、今度は周りが薄暗くなった。

 

 

「面倒な輩だ」

 

 

 ため息。

 同時に顕現する巨大な掌。

 

「・・・・・・・・・え?」

 

 錆びた金色の巨腕が2人の頭上に掲げられ、即席の傘を作る。

 

「っきゃあ!?」

 

 直後、掌にぶつかる鈍い音が連続した。

 ばちゃばちゃどちゃぶちゅ、と肉が潰れる音、骨が傘の表面で削れる音、水風船を思い切り叩きつけたような音が。音が。音が。音が。

 

「外に出るな。死ぬぞ」

「っ・・・・・・!」

 

 五十鈴は千手に抱きついて震えていた。千手は雨が降り止むのを待っている。

 

 

 雨が止んだ後、何が始まるのかは想像に難くなかった。

 

 




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