【脱走魔王】ロゼちゃんについて語るスレ【ラスボス系ヒロイン】 作:安木ポン酢
在りし日の牧場の一幕
いずれロゼと呼ばれることになる少女の自我が芽生えたのは、もう随分昔のことだ。
酷く湿った空気が周囲に満ちている。
その日もいつもと変わらず、少女は騒々しい朝を迎えた。寝起きでふらふらと揺れる頭を両手で押さえ、小柄な身体を亀のように起こす。身体は鉛のように重い。生まれてから一度も自分の足で歩いたことさえない身体は、さながら錆びた金属のようでもあった。
薄暗い檻の中に座り込み、呆然と時を過ごす。
少女の時間の概念は極めてあやふやだ。大まかには「意識が生まれる時」と「消える時」の2つ。細かく分ければ「食べる時」がその間に2回あり、時折「冷たい何かが上から降ってくる時」があるという程度の認識しかない。
ふと、少女が両手を自分の腹に当て、弱弱しく身体を丸めた。キリキリと締め付けるような鈍い苦しみが少女を襲っている。少女はそれが空腹であるということを知らなかったが、何かが自分を追い立てているということは本能的に悟っていた。
小さな物音が混ざり合い、漠然とした騒音となって辺りに充満している。遠くの方で何かを断続的に打ち付けるような音が響いた。
少女の身体にうっすらと汗がにじみ始めた頃、ゴトゴトと何かが運ばれる音が聞こえてくる。
ピクリと顔を上げた少女が檻の外に視線を向ける。この苦しみから解放してくれる「ヘンなヤツ」がやってくるのを知っているからだ。
「ヘンなヤツ」は、とても「ヘンなヤツ」だ。決まった動きを決まった間隔で繰り返し、一瞬たりとも休まない。一時期、少女は「ヘンなヤツ」の真似をしようと躍起になっていた頃もあったが、どう頑張ってもそんなことはできなかった。
「ヘンなヤツ」は、ヘンだけど「スゴイヤツ」だ。少女はしきりに感心した。
右からやって来た「ヘンなヤツ」が少女の前に止まり、すぐに通り過ぎていく。随分愛想のない奴だと少女は少し憤慨した。
いつか「ヘンなヤツ」と仲良くなる。それが今の少女の野望だった。
しばらく檻の外に意識をやった後、はたと我に返る。こんなことをしている場合ではないのだ。自分を襲う謎の敵をやっつけなければならない。
少女は四つん這いになって床の窪みを覗き込み、中に置かれていた器に顔を突っ込んだ。
砂と泥の中間のような物体を頬張り、もごもごと口を動かす。顔を近付けるだけでツンと鼻が痺れるそれが少女はあまり好きではなかったが、これ以外に謎の敵をやっつける手段を知らない。
それに、これは「ヘンなヤツ」が持ってきたものなのだ。だったらヘンに決まっているし、ヘンだけどきっと悪いものではないのだ。少女は「ヘンなヤツ」を大いに信頼していた。
しばらくして器がすっかり綺麗になった後、少女は窪みから顔を引っ込めた。喉がヒリヒリと痛みを訴えている。食べ終わった後はいつもこうなるのだ。このまま放っておくとヒリヒリがズキズキになり、酷いことになるのも知っている。
少女は壁際にある棒状の何かを口に咥え、中身を吸った。そうすると生温い何かが出てくるのだ。噛んでも噛んでも感触がなく、そのくせ口に溜めようとすると入りきらなくなる不思議な物体。
噛めないのに「ある」のだ。訳が分からないヤツだと少女は思った。
喉の痛みが引いてくるまでそれを飲んでから、少女が棒から口を離す。
すると、少しの間半透明な何かが棒の先端から溢れた後、すぐに流れが止まった。僅かに残った液体を手のひらで受け止め、まじまじと観察する。
指先で軽くつついてみるが、相変わらず感触があるのかないのかよく分からない。何かに触れているようでもあるし、何にも触れていないようでもある。
確かなのは、これが目の前の棒から出てくるということだけだ。
随分昔に、一体どれだけ出るのかが気になって色々と試してみたこともあったが、結局少女は上手いやり方を見つけることができなかった。どう頑張っても口を離すとすぐに何も出なくなってしまう。それも、常に全く同じタイミングでだ。
あの「ヘンなヤツ」に似た気配がする。
きっと中に小さな「ヘンなヤツ」がいて、そいつが流れを止めているに違いない。少女はその姿を見たことはなかったが、いつか正体を暴いてやるのだと心に誓った。
◆ ◆ ◆
日が昇り切り、僅かな肌寒さがすっかり消えた頃。
少女は冷たい床に寝転がり、ぼんやりと檻の外を眺めていた。鉄格子の向こう側には1枚の衝立があるばかりで、何にも面白いことがない。その奥に何があるのかを想像して遊んだこともあったが、今はもう飽きてしまった。
退屈を誤魔化す手段がなくなると、途端に身体の重さがずっしりと伸しかかってくる。
少女は外を眺めるのをやめ、静かに瞼を閉じた。目を閉じていると、ほんの少しだけ気分が楽になるのだ。
それに、真っ暗になった瞬間にボヤボヤとした像が瞼に浮かぶのも面白い。色々な形を作って遊ぶと何となく楽しいのだ。
しばらく暗闇の中で無為に時間を潰した後のことだった。
肌の上を何かが這っている。そのことに気付いた少女は数秒石のように固まってから――誤って「それ」を傷付けてしまわないよう、恐る恐る身体を起こした。
いる。指よりもずっと小さいくせに、自分よりも遥かに機敏に動くチョットスゴイヤツ。
「モゾモゾ」だ。
むずむずとしたかゆみが肌に走るのをぐっと我慢しながら、その小さな黒い粒をじっと観察する。6本の細い足をちょこまかと動かして肌を這い回る不思議なモノ。自分とは少し違う姿をしているが、自分と同じように動いている。
つまり仲間だ。
だが、この小さな仲間と一緒に遊ぶ時、絶対に気を付けておかなければいけないことが1つある。「モゾモゾ」は確かにチョットスゴイヤツだ。こんななりで平然と壁を登ったりするし、高いところから落ちてもビクともしない。
だが、それでも自分よりもずっと弱いのだ。それを知らないまま床の染みにしてしまった時、少女はとてもとても悲しい気持ちになった。
もう二度とそんなことはしない。少女は強く心に誓った。
「モゾモゾ」は少女の胸元をしばらく這い回った後、脇腹から肩に登り、腕を伝って前に進んでいく。少女が床に手を置いてやると、「モゾモゾ」も床に降りて鉄格子の方に向かっていった。
そのまま檻の角に辿り着き、どんどん上の方に登っていく。少女はそれを追いかけ、床から立ち上がろうとした。
次の瞬間、何かに引っ張られるように首が絞まり、少女の口から呻き声が漏れる。苦しみからその場に蹲り、何度か小さく咳き込む。
少しして呼吸が落ち着くと、少女はくるりと後ろを振り向き、自分を引き留めた邪魔者をじっとりと睨んだ。
てかてかと鈍い光を放つ、冷たくて硬い謎の物体。自分の首から出始めていて、最後は床の中央にある溝にまで繋がっている。じゃらじゃらと音を立てるそれを手のひらに乗せ、少女は難しい顔で唸った。
一体全体、なぜこんな邪魔なものが自分の身体についているのか? 少女は不思議でならなかった。
生まれてこの方、このよく分からないモノが役に立ったことはない。他の部位と違い、自分の意思で動かすこともできない。触っても感覚はなく、ただひんやりとした不思議な触り心地が手のひらに伝わってくるばかりだ。
唯一少女にも分かるのは、これが自分の身体の中でも一番、それも信じられないくらいとびっきりに硬いということ。そして、これと同じ触り心地のものが自分を取り囲んでいるということだけだ。
……もしや、コイツは自分の身体ではないのでは?
少女はハッと何かに気付いた顔になった。思えばこのよく分からないモノには不自然な点が多すぎる。考えれば考えるほど、何かがおかしいとしか思えない。ヘンだ。
間違いない。これは自分の一部ではなかったのだ。
今や少女にとって、この首に繋がっている何かは倒すべき敵に変わっていた。今の今まで自分を欺いてきたようだったが、気付いたからにはもうおしまいだ。今にコテンパンにやっつけてやる。
少女は手に持ったそれを思い切り引っ張ってみたり、逆に押してみたり、両手で握り締めたまま溝の周りをぐるぐる回ったりした。遂には心を鬼にし、ガンガンと音が鳴るくらい乱暴に床にぶつけるなんて恐ろしいことまでやったりした。
しばらくバタバタと檻の中で格闘を続けた後、荒い息を吐いて立ち止まる。
強い。
少女は真剣な眼差しで目の前の強敵をきっと見据えた。倒し方がさっぱり分からない。なんなんだコイツは。
宿敵の強大さにひとしきり慄いた後、少女は床の中央にある溝に目一杯顔を寄せ、中の様子を念入りに観察した。何か見落としがあるのかもしれない。力づくでダメなら、やり方を変えて試してみるのだ。
銀色の輝きは溝の奥深くにまで伸び、暗闇の中に消えていっている。これは何処に繋がっているのか? きっとそこに何か秘密が隠されているに違いない。少女はこの世の謎の一端を垣間見た気になった。
『ああ、もう。何の騒ぎだ全く』
夢中で溝の中を覗き込んでいた時のことだった。
少女の耳に、今まで聞いたことのない不思議な音が突然流れ込んできた。
バっと勢いよく顔を上げ、檻の外に視線を向ける。今、確かに何かが聞こえた。自分の口から出るものと少し似ているようだが、どうにもフニャフニャと掴みどころがないヘンな音。
驚いた猫のように固まった少女は、視界に映ったモノを見て更に大きく目を見開いた。
檻の正面に何かが立っている。
それは少女の人生観をすっかり変えてしまうほどに衝撃的な姿をしていた。
なんと、自分とほとんど同じ形をしているのだ。あの「ヘンなヤツ」や「モゾモゾ」とは根本的に何かが違う。自分と比べて見上げるように大きかったり、何だか薄くてヒラヒラしたものを身体に付けていたりと少しヘンなところもあったが、そういう表面的な部分とは世界を隔てた深い繋がりがあるように思えてならない。
身体の内側から沸々と熱い何かが込み上げる。少女は途方もなく強烈に惹きつける仲間意識を肌で感じた。
スゴイ!
一体何者なのか? 自分の仲間なのか? だとしたらなぜ外にいるのか? そのヒラヒラは何なのか? 外に出る方法はあるのか? あるとしたら知っているのか? 自分にも教えてくれるのか? 一緒についていってもいいのか?
頭の中が気になることで一杯になり、少女の顔がワッと輝いた。とてとてと膝立ちで傍に駆け寄ると、両手で鉄格子をひしと掴む。
『……えらく元気な個体だなぁ』
また聞こえた。さっきのヘンな音だ!
少女は新しい仲間の名前をフニャフニャとヒラヒラのどちらにするべきかでうんうんと悩んだ。先ほどまで悪戦苦闘していた強敵のことなど頭からすっかり消えていた。
『うーん……特に何も無いな』
よし、「ヒラヒラのヤツ」にしよう。
フニャフニャはフニャフニャしないとフニャフニャだと分からないが、ヒラヒラは見ただけでヒラヒラと分かる。そういうわけでヒラヒラなのだ。分かりやすいことはいいことだと少女はしたり顔で頷いた。
何より、少女は先ほどから視界で揺れるヒラヒラが気になって仕方がなかったのだ。それは何のためにあるのか? どんな触り心地なのか? とにかく知りたくてたまらない。
檻の隙間から腕を伸ばし、ヒラヒラを掴もうと懸命に指を動かす。しかし、腕の長さが足りず、どうしてもヒラヒラまで手が届かない。
『こらこら、大人しくしろっての』
「ヒラヒラのヤツ」が自分の腕を掴み、檻の中に無理やり押し戻そうとしてくる。その手はとても大きくて、握られた部分がちょっぴり痛い。一体なぜそんなことをするのかと少女は疑問に思ったが、すぐに気にならなくなった。
ゴツゴツした硬い感触。肌に触れている不思議な感覚に意識を吸い寄せられ、少女の興味が再び新しいものに移る。
さながら洪水のような刺激の連続だった。これほど多くのものに興味が目移りすることなど少女の生涯では一度たりともなかった。
すかさず両手でその手を掴み、ためつすがめつ観察する。
これは一体どうなっているのか? ふにふにと頼りない自分の手とは全く別物だ。同じ形をしているはずなのに、どうしてこんなにも違うのだろう。
『はぁ……』
男は。
自分の手を興味津々に眺める少女を見下ろし、何とも言えない表情を作った。ややあって面倒くさそうにボリボリと頭を掻くと、億劫そうに少女に指先を向ける。
次の瞬間。
牧舎の中に甲高い悲鳴が響き、少女の華奢な身体がその場に崩れ落ちた。
世界がぐるぐる回っている。目の前でチカリチカリと嫌な光が点滅し、前も後ろも分からない。身体が思うように動かなくなり、少女はパニックに陥った。
何だ? 何をされた? どこかに敵がいる!
訳も分からず周囲をきょろきょろと警戒すると、冷めた目で自分を見る「ヒラヒラのヤツ」が視界に入った。
危ない! ここには敵がいる!
鉄格子を握り締め、必死にそのことを伝えようとする少女に対し、再び向けられる指先。
少女は自分の口から悲鳴が飛び出ていくのを何処か他人事のように感じ取っていた。黒い地面がゆっくりと自分めがけて近付いてきている。そんなはずはないといくら頭で否定しても、身体の痛みが目の前に現実を突き付ける。
ヒラヒラは仲間じゃない。敵だ!
仲間だと思っていたものに攻撃される。それは少女にとって初めての経験だった。何にもぶつけていないのに胸が痛くて苦しくて、ツンと鼻の奥が熱くなってくる。
どうして?
少女は自分を見下ろす「敵」を呆然と見上げた。顔には影がかかり、どんな表情をしているかは見えない。だが、その真っ黒なシルエットは酷く不気味で、途轍もなく嫌な気配があった。何か決定的な食い違いがあるように思えてならなかった。
ぎゅっと目を瞑り、次の痛みに備える。戸惑いと悲しみがない交ぜになって胸の中で暴れている。少女は身体を小さく丸め、ただ嵐が過ぎ去るのを待った。
3度目の痛みがいつまで経ってもやって来ないことに気付いても、少女はしばらく動けずにいた。
すっかり涙が引っ込んでしまうほどの間があってから、少女が恐る恐る顔を上げる。檻の前には誰も居なくなっていた。
何だかよく分からないが、どうやら助かったらしい。少女はほっと胸を撫で下ろした。
ヒラヒラのヤツは「アブナイヤツ」だ。
少女はそのことを新しく学んだ。そして、なんてワルイヤツなんだと憤慨するとともに、少し悲しい気分になった。もしかしたら自分が何かいけないことをして、それで嫌われたのかもしれない。だとしたら謝って仲直りをしないとダメだ。
アブナイヤツだけど、そうじゃないかもしれない。そしたら今度こそ仲良くなって、いつかきっと一緒に遊ぼう。
少女は少しだけ自分の世界が広がった気がして、狭い檻の中で無邪気に笑った。
これから先、その考えが間違っていたと何度も何度も、何度も思い知ることを知らないまま――
番外編その1です。その2はありません。
番外編を書くに当たって最初に考えたのは主人公+牧場についての掘り下げでしたが、これを掲示板形式で描写するのは流石に無謀すぎたため、一時的にジャンルを切り替えて表現しています。すいません許してください何でも(倒置法)
ただ、一応コメディを謳っているため、牧場生活では一番自由だった時期をチョイスしました。この頃は自分の境遇をあまり理解しておらず、地の文も割とストレスフリーな感じです。また、主人公の素のキャラが素直に表に出ていた時代でもあります。
ちなみにモゾモゾのくだりは同盟締結時における主人公の心情の暗喩です。たぶん140字以内で答えられるようになっています(鬼畜)