実力のある彼を 作:祈島
どうぞ
坂柳有栖の勧誘
リーダーとは「希望を配る人」のことだ。
A leader is a dealer in hope.
嘗てフランスの皇帝として力と名を知らしめたナポレオンの言葉である。
現代社会でもリーダーは集団を牽引することこそが使命であり、年上の者の引退を待ち続けた後に椅子にどっしり構えて威張り散らすことなど誰もが望んでいない。今の先にある希望を見据え、それを周囲に語らなければ主に歩んでくれる者はいずれ消え去ってしまう。
リーダーであり続けたいのであれば、暗き道に出くわしたのであれば、照らし続けることを欠かしてはならない。
裏を返せば、「希望を配る人」であるならば、自ずと人は付いてくる。
それが自然界の掟である。逆らうことは出来ない。
◆
「――――白川くん」
5月。
全国屈指の名門校、高度育成高等学校に160人の新入生が訪れてから、一か月が経過した。
入学してからの初めの一か月は特に目立つイベントが一年生を迎えることはなく、外部との接触が完全に絶たれたこの特殊な学校での新生活に慣れること、そして新たに割り振られたクラスの中及び外の生徒との交友に勤しむことに重きを置かれていた。
しかし平穏と忘憂に満ち満ちた学生生活に終わりを告げるかのように、生徒たちに学校からの評価が現実を叩きつけた。
――――クラスポイント
クラスに属する生徒達を評価したポイント。テスト結果や授業態度だけでなく、授業時間外での行動などを含めて総合的に評価された結果である。新入生にはその存在を一か月知らされることがなかった。
その結果、枷となるものがなかった力漲る若者達は自由気儘に過ごし続け、その結果スタート時の1000ポイントから多く減点されたクラスばかりが生まれてしまった。
「白川くん」
「……ああ、坂柳か。いたんだ」
「先程から呼びかけていたのに、ひどいですよ」
尤も、ここにいる二人が所属しているAクラスはクラスポイントが5月の時点で940ポイント。ノーヒントで試された4月をたったマイナス60ポイントで乗り越えたとても優秀な集団である。
二人がいるのは敷地内のカフェ。4人掛けの丸テーブルに向かい合うように腰を椅子に下ろしている。
「本を読んでいるから気づかなかった」
白川と呼ばれた少年は、二人でカフェに来ているのに読書に夢中になっていた、という何とも身勝手な振る舞いをしていた訳ではない。彼は元々一人でこのカフェに訪れており、声をかけ始める直前から坂柳という少女がこの席に加わったのである。その証拠に、テーブルの上に置かれたカフェの飲料は彼の傍にある一杯だけだ。
そう弁明して彼はまた一ページを捲る。
「私が来たのに読書を続けるのは少し傷つきますが、」
不貞腐れながら、少女は少年の前に座った目的を果たそうと、本題を投げかけた。
「――――白川君は何時になったら私の派閥に入ってもらえるんでしょうか?」
「…………、」
またそれか、とでも言いたそうな力弱く細めた目を本から坂柳にチラリと向けた。そしてまた本へと視線を戻す。
「入りたくなったら入るよ」
「どうしたら入りたくなるのでしょうか?」
幾度も使い古された白川の返事がまた来たことに、坂柳はうんざりしてしまう。
AからDまでの4クラスはそれぞれ独自の纏まり方をしている。
暴力によって支配されたクラス、一人のカリスマによって束ねられたクラス。
二人が所属するAクラスはここにいる坂柳と葛城という男子生徒の二大巨頭によって二分されており、日々睨みあう冷戦状態である。クラスの実力の指標であるクラスポイントは学年最高値ではあるが、最も纏まっていないクラスとも言えるのかもしれない。
「私の派閥に入ることがそんなにも嫌なのでしょうか」
「そんなことはないけど、今のままで問題ないからさ」
Aクラスのほぼ全員が二つの派閥のどちらかに身を置く形となっている。リーダーの熱烈な信者として日夜尽力する生徒もいれば、仲のいい友達が所属しているから何となく付いていっているというだけのライトな層もいる。
完全な中立派と呼べるのは今となってはほんの一握りだ。その内の一人が白川である。そのせいなのか、彼は坂柳派、葛城派の両派閥のクラスメイトと気兼ねなく交流できる希少な立ち位置を築いていた。
「オレなんかいてもいなくても変わんないよ」
「――本当にそうでしょうか?」
坂柳の言葉に小さくも確かな熱が加わる。眼差しも揺らぎがない。
「先日行われた小テスト。学年全体でも満点を取れたのは私と白川くんだけです」
「……」
「それにクラスポイントなるものの存在にも、入学してすぐの段階で気づいていらっしゃいましたよね?」
「それは、……まあ、」
歯切れの悪い返事をしながら白川は本のページを捲る。坂柳のような美少女に称賛を通じて心理的に迫られてはにかんでいるわけでなはい。並べられた事実に下手に否定したり難癖付けたりしても都合のいい展開にはならないと白川は悟っているのだ。
「体育の授業は私はいつも見学しています」
彼女は先天性心疾患を患っているため運動を全て禁じられ、杖がなくては十分に歩行もできない。
「そのため白川くんをよく見てはいますが、」
「見ないでよ、えっち」
「いつもやる気が足りないように見受けられますが、白川くんは身体能力もかなり高いですよね? 頭脳もトップクラス、そんな大変優秀なあなたを勧誘することは、そんなにもおかしなことでしょうか?」
「……、」
再び白川は口を閉じてしまう。
少女からの熱いアプローチに少年たる照れを隠そうと奮起しているわけでない。デジャブを感じていたのだ。
「葛城にも同じようなことを言われたよ」
「そうですか、先を越されてしまって残念です」
とはいうものの、葛城からの勧誘も断ってのこの場の会話ありというもの。それはそれで坂柳は安堵の胸をなでおろす。同時に彼の中では敵勢力と同等に扱われているという事実に他ならないのが彼女は気に入らない。
「まあ、力になれることはするさ。クラスメイトとして」
「そうですか」
最後の一言がどこか余計に感じてしまいながらも坂柳は提案する。
「でしたら、明日の夕方に私の派閥の中で勉強会をする予定ですので、白川くんはそこで教師役になってはいただけないでしょうか? もうすぐ中間テストもありますので」
「すまん、葛城にも誘われて、先にオーケーしちゃった」
「…………そうですか、先を越されてしまって残念です」
「明後日とかならいいよ」
「でしたら、明後日によろしくお願いします。」
「ん、おーけー」
今度は偽りのない悔恨がこみ上げてしまう。彼の中では平等に手を貸しているのだろうが、後れを取ったことが坂柳にとっては不服だったのだ。
坂柳の気持ちなどつゆ知らず、マイペースなまま本のページを捲り、店で購入したドリンクを手に取り、少量をストローで口に入れる。
「白川くんは何を飲んでいるのですか?」
「これ? 店の新作だってさ」
坂柳は彼が飲むものが目に止まり、尋ねる。
そして彼がこのカフェにいた原因がそのドリンクであると考えが至った。普段は読書するならそれ相応に図書館にいることが多い彼だが、今日はカフェに訪れていた。一か月彼の情報を集めたが、店の新商品を試す傾向があることが分かっていたのだ。
「飲む?」
「……はい?」
一瞬彼が言うことが理解できなかったらしく、坂柳は首を小さくかしげていた。
そんな彼女の困惑に構わず、白川はドリンクが入るカップを向かいに座る坂柳の傍まで手を伸ばして置く。そして構わず読書を続けている。
「………………」
坂柳は静かに新作ドリンクを見つめ、一つ訴えたい気持ちになる。目の前に置かれたモノをどうしろというのか。
いや、どうするものなのかは理解している。選択肢が無数にあるわけではない。飲むか飲まざるか。そのたった二択。
しかしソレは先程から彼が飲み続けているものである。それはつまりピンクでお花畑な甘いイベントの一つである間接キスに突き進むか否か。その関門に坂柳は対峙していた。
彼はそのような色恋には無関心なのだろうか。それとも無表情ではあるがその裏はこちらを全力でからかっているのか。それとも坂柳という少女は一定のボーダーに達していない、対象外の存在なのだろうか。それとも誰であっても同じことを平気で進んで行うプレイボーイなのか
「……」
どうぞと差し出されて顔を顰めて突っぱねるのもいかがなものだろうか。坂柳はこの場で本を読む彼に自分から近づいて来た身として謎の責任感に苛まれ、仕方なく、それはもう仕方なくカップに手を伸ばしてストローに口を付け、弱弱しくも確実に液体を吸い込む。
「…………とても甘いですね」
それは単純に数値化できる糖分だけによるものなのか、はたまた他の少女にとっては未体験で未知の成分によるものなのか。
目の前の彼はきっと特別甘いもの好きであり、過剰に甘く感じた自分は正常なのだ。そう坂柳は己に言い聞かせる。
「うん、新商品だから釣られて買ってみたけど思ったより甘かった」
他意もない同意を受け入れながら、坂柳はカップを白川の元に戻す。
その時の彼女の頬は少し赤くなっていた。尤も、本に視点を当てている白川は全く気付いてはいらなかったが。それが彼女にとっては幸運だったのかもしれない。
「あ、そうだ」
なにかを思い出したらしい白川は、カバンに手を伸ばしてとあるものを取り出した。
それは紙の束が入ったクリアファイルだった。
「それは?」
「勉強会で思い出した。中間テストの過去問もらったから、コピーあげようと思ってたんだ」
「……え?」
とんでもないものを取り出した白川に坂柳は驚かされる。
この高度育成高等学校では中間テストや期末テストで赤点を一つでも取ろうものなら一発で退学になってしまうという厳しいルールを生徒たちに与えている。その事実を知らされた生徒たちの中には顔を青くしてしまう者もいた。しかし、二人の担任である真嶋教師は、今回の中間テストに限っては、先日の小テストの点数が如何に低空飛行していようとも確実に乗り切ることができる術があるような口振りだったのだ。
そこから導き出される仮説の一つ、それが過去問。
毎年同じ問題が出題されるのではないか、その考えは坂柳も中間テストの詳細を聞いた時点で持っていた。そして自分の派閥に身を置く手下もとい友人にはそれを入手すべく動いてもらおうと計画してはいた。
しかし、目の前の彼はどうだろうか。
苦も無くテストを乗り切られる神器を手に入れ、意地悪にも隠すことなく共有してきた。クラス内で大勢の上に立つ坂柳にだ。
「……ちなみにどなたからこれを?」
「他クラスの友人からね。そいつは仲のいい先輩からもらったらしいけど、過去問なんていらないからってコピーもせずにくれたんだよ」
「随分と自信がおありな友人なんですね」
「『過去問などなくても、私が上位に入ることは確実なのだよアッハッハッハ』って言ってた」
「ユニークな友人をお持ちなんですね」
他クラスに白川の親しい友人がいることは、坂柳の調査結果の中にはなかったことだ。
「実際スゲー優秀な奴だからね」
「白川くんよりもですか?」
「そうだよ」
「またご冗談を」
頭脳では坂柳に匹敵し、運動能力も申し分ない。身体面を考慮すれば総合的には白川が坂柳を上回っていることは目を背けられない事実であると彼女は認識している。そんな彼が自分より優秀な人物が同級生にいるというのは信じがたいものであった。優秀な人物はAクラスに、それがこの学校の入学時点での生徒の割り振り方。Aクラス以外に在籍しているだなんてより疑わしい。
しかし、これ以上の追求は無駄と察したのか、坂柳は過去問が入ったクリアファイルを素直に受け取った。
「これは私の派閥で有効に使わせていただきますね」
「ん、どうぞ」
そしてパラパラと過去問の中身を簡単に確かめる。内容としては高校一年生の初めの中間テストとしては申し分ない適切と呼べる難易度であろう。それが坂柳の印象であった。
「白川くんもこの過去問を頼りに勉強されているんですか? あなたほどの方であれば必要ない気がしますが」
「元々過去問のことは感づいてはいたけどさ、先輩に知り合いもいないし、まぁいっかなと思ってたんだけど、せっかく棚ボタでゲットしたんだからまあ、見ない手はないよね」
「それもそうですね」
フフ、と坂柳は微笑む。
そして彼女は結論付ける、目の前の少年を何とかして自分の下に置かねばならないと。
口にしないだけで、教師が黙秘しているこの学校の隠された仕組みにも彼は気づいているだろう。内容によってはそれは今後の他クラスとの関係にも響いてくる。
自分の派閥にいないことが問題ではない。敵対している葛城勢力に加わることが坂柳にとっては望ましくない展開につながってしまうのだ。
恐らく明日行われるという葛城派の勉強会でもこの過去問の存在を皆に明かし、そして葛城派からの勧誘もより一層強まってしまうのだろう。容易に想像できることだ。
「流石に他クラスに共有するのはやめておくよ」
坂柳の考えを見通すかのように白川は一言加えた。しかし彼の視点は本の文字を辿っているままだ。もしかしたらただの呟きだったのかもしてない。
――――なんとしてでも白川君を……、
彼女は策を練る。
目の前の少年を手に入れる方法を。
手に入れた後にどのように動くべきかを。
――――『彼』に勝つには……
主人公:白川 悠里(しらかわ ゆうり)