実力のある彼を   作:祈島

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二話


葛城康平の考察

 

 

 

 

 

「――――これが一学期中間テストの結果だ」

 

 担任の真嶋教師は幾枚かの模造紙をAクラスの生徒全員が確認できる黒板に張り出した。テストの点数の順位表。高校生最初の大型のペーパーテストということもあり、ゴクリと喉を鳴らせながら顔をこわばらせ睨み続ける生徒も少なからずいる。

 結果は、どの科目も上位は100点に数欄を埋められており、最下位を見ても決して低い点数ではないと言えよう。因みに、全教科満点を取得したのは坂柳、白川の二名である。

 

「うげ――! まじかよ!」

 

 生徒の一人が嘆きだした。

 全科目の合計点が最下位だった生徒らしい。学年で最も評価されるAクラスの中において決して勉学が得意な方であるというわけではないという自覚はあるのだが、まさか他の39人に劣るとは思いもしなかったのだろう。

 それはつまり何を裏付けているのか。

 

「なんだよお前、過去問見なかったのかよ?」

 

「過去問!? なんだそれ、そんなものがあったのか!?」

 

「勉強会で葛城が配ってただろ。あ、お前はいなかったんだっけ」

 

 この生徒は今も坂柳派と葛城派のどちらにも属していない。白川が過去問を共有したのは両派閥のトップ二人のみ。結果的に過去問の入手に成功した生徒が白川以外にいなかったため、リーダーの二人に配られた生徒のみが過去問という裏技の恩恵を受けていた。

 

「お手柄ですね、白川くん」

 

「そうだね」

 

 隣の席に座る白川を坂柳は称賛する。その言葉を真摯に受け止めた様子でもない白川は、喜びに満ち溢れたクラス全体をボーっと眺めていた。

 今回のテストで赤点を取ってしまい、退学という処罰を余儀なくされた生徒はAクラスにはいなかった。後日分かったことだが他クラスにも脱落者はいないらしい。

 しかしここは天下のAクラス。退学を避ける為に勇み励むという低レベルな志を持つものなどいなく、より高みを目指し点を稼ごうとするものばかり。今回は過去問を参考にする生徒ばかりで、結果は9割越えのハイレベルな団栗の背比べを繰り広げる生徒ばかりになってしまった。

 

「中間テストも終わったことですし、この後私たちは打ち上げをしようと思っているんですが、白川君もよかったらご一緒しませんか?」

 

 派閥には入ってはいないものの、今回のお見事なテスト結果は白川の功績だ。それを知る者は実際には限られているのだが、打ち明ければ歓迎こそされども邪険には扱われないだろう。そもそも彼を嫌う人自体このクラスにはいないのだが。

 

「そうだな、じゃあ――」

 

「白川」

 

 二人の話を遮るように、白川の前に一人の男が訪れ声をかけた。

 葛城康平。Aクラスにおいて、坂柳と双璧をなす、大柄な男子生徒。病気により若くして頭髪を失ったことが元来の強面を助長してしまっているが、その実は慎重な性格で良識ある真面目な生徒だ。その本質のおかげで人を引き付け派閥を形作れているのかもしれない。

 

「すまんが話がある。放課後少し時間を貰えないか?」

 

 ほんの一瞬、葛城は坂柳を眼球の動きだけで一瞥する。二人が何か会話していたことには気づいていたのかもしれないが、構うことなく要件を伝える。白川は隣に座る先客に無言で首を向けるが、どうぞご自由にとでも言いたげなほほ笑みがそこにはあった。

 

「いいよ」

 

 坂柳が許すなら。葛城はその胸中を知りはしないが、拒絶されなかったことに安堵したのか口元は微笑んでいた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「坂柳と何か話していたのか?」

 

「いいよ、大したことじゃないから」

 

 本心でそう言ったわけではない。葛城の気遣いが途切れるようにそう答えただけである。

 二人がいるのは階段の踊り場。教室では話を誰かに盗み聞きされるのを危惧したため授業が終了してから移動したのだ。時折誰かが通る場であるのは変わらないが、話の筋を理解できるのはわざわざ立ち止まって聞く耳立てるような不審者ぐらいだ。

 

「まずは、中間テストの件だが、白川がくれた過去問のお陰で事なきを得た」

 

「そうか、それは良かったよ」

 

()言いたいところなんだが(・・・・・・・・・・・)、」

 

 神妙な面持ちで葛城はカバンから紙の束が入ったクリアファイルを取り出した。

 

これ(・・)はどういうことなんだ?」

 

 取り出した過去問は二束(・・)。片方は先日の勉強会で白川が葛城に託したものだ。

 そしてもう一方は、

 

「白川は過去問をオレと坂柳に共有してくれた。それは感謝していると言いたい。だが、オレに渡した過去問と(・・・・・・・・・・)坂柳に渡した過去問の内容(・・・・・・・・・・・・)が一部分だが違っていた(・・・・・・・・・・・)

 

「…………、」

 

「実際に中間試験を受けて分かったことだが、オレが受け取った過去問は理系科目の内容に、坂柳が受け取った過去問は文系科目の内容に手を加えたんだな?」

 

「そうだよ」

 

 隠すことなく戸惑うことなく白川は即答した。小さく口元を微笑ませながら。

 

「何のためにこんなことを?」

 

 クラス全体を陥れるためなら問題全てを差し替えているはずだ。しかし白川がそんな卑劣な愚行をする人物ではないことは葛城も重々理解している。そもそも手を加えられたのは2パターンとも一部の教科の中の更に一部分。

 例え過去問に頼りそれ以外の対策を練っていない者がいようとも決して退学となる赤点ラインまで落ち零れてしまうことはなかっただろう。

 

「よく気付いたね」

 

 葛城は目の前の男が素直に感心しているように見えた。

 過去問と実際のテストに差があったとしても白川の小細工には本来は気づくことはないはずだ。出題内容が全く同じであろうという都合のいいことを期待するのは余りにも早計すぎる。

 葛城のように2パターンの過去問を入手していなければ、疑念を抱かず何事もなくテスト終わりの息抜きを満喫しているだろう。

 

「完全なスパイというわけではないが、坂柳派の中にも情報を共有できる者がいるだけだ」

 

 対立する勢力に打ち勝つためには情報が必要である。内通者を用意することなどさして珍しい手段ではないだろう。実際には、仲良くとまではいかないが派閥が違えどある程度コミュニケーションをとれるクラスメイトがいるというだけなのだが。

 

「何時気づいたの? 二種類あるってこと」

 

「テストを受ける直前だ。皆を焦らせまいと黙っていたから、それを知る者は殆どいない」

 

 まさか過去問の内容が間違っていると知れば、精神的に不安定になってしまう。それでは解ける問題も解けなくなってしまうだろう。

 白川が両派閥に過去問を配ったのはテストが行われるの二日前。日数もなかったため気づくのに遅れてしまったのだ。

 

「もう一度聞く。なぜこのようなことをした?」

 

 白川は坂柳派にも葛城派にも属していない。であれば坂柳派に過去問を共有すること自体を止める権利などは勿論誰にもない。それは葛城も気に掛けてはいない。

 しかし白川が行ったのはある種、クラス全体(・・)を裏切る行為。であればクラスメイトとして聞く権利はあるはずだ。

 圧力ある表情と声色で葛城は白川に問いただす。拳や蹴りが出てくることはないだろうが、その迫力たるや、波の高校生らしからぬものがあった。

 しかし、白川には動揺はない。表情が変わることもなければ冷や汗など一滴たりとも出てきていない。

 

「なぜだと思う?」

 

 問いに対して白川が返したのは問いだった。物怖じすることなく、娯楽に興じるような笑みを小さく浮かべながら。

 葛城は眉間に皺を寄せる。目の前の少年が何か意図があってこのようなことをしたのは間違いない。ただの悪戯にしては少々手間がかかりすぎている。

 そして考える。この2種類の過去問を用意することで得られるものを。

 まさか手を加えていないプレーンな過去問を独り占めして、クラスメイトから信頼を得つつも自分だけ満点を狙おうとしていたわけではないだろう。現に坂柳も白川と同様に満点を叩き出している。そもそも白川は過去問が無かったとしても点数は変わらなかったのではないのかとさえ考えてしまう。

 思いつく意図の一つは、2つの勢力の規模の確認。

 葛城派は理系科目、坂柳派は文系科目に手を加えられていたということは、個人差はあれど比較的理系科目の点数が低い者は葛城派、文系科目の点数が低い者は坂柳派、そして文系理系ともに差のない点数を獲得しているものは両派閥に何らかの形で繋がっていることが考えられる。そして今回のテスト結果で下位になってしまったものは白川と同様どちらの派閥にも属していないことが浮き彫りになってしまった。

 それを知ることで白川はどうしようというのだろうか。比較的仲のいいクラスメイトがどちらに属しているのか確認して派閥を選ぼうというのだろうか。いや、白川が特別に仲のいいクラスメイトが誰なのかは葛城には見当もつかない。

 というか、そもそもどちらかの派閥に入ろうとしているのかすらも怪しい。

 

 であれば、

 

 ほかに考えがあるとすれば、

 

「……まさかとは思うが、」

 

 葛城は浮かんだ一つの仮説を述べる。それを聞いた白川の笑みが、少し強まったような気がした。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「過去問を二種類用意していた?」

 

「ええ、私がいただいたモノと、葛城くんの派閥に配られたモノは少しですが内容が違うものでした」

 

 放課後、学校の敷地内にあるファミレス。

 坂柳派はここでテストの打ち上げを行っていた。殆どの生徒が騒ぎに騒ぎ、かろうじてほかの客の迷惑にならない程度に盛り上がっている中、端のテーブルに座っている坂柳は彼女の右腕となって日々動いてもらっている神室真澄に静かにその事実を伝えていた。

 坂柳にも葛城と同様、敵情視察が可能な駒もとい仲間がおり、その生徒を通じてもう一パターンの過去問の存在を確認したのだ。

 

「……まさか正しい過去問を独り占めしておいしい思いをしようとしたわけじゃないわよね」

 

「ええ、彼はそんな小さなことをする方ではありませんから」

 

 そう確信する坂柳は紅茶に口を付けた。

 白川の単独行動を楽しみながら小悪魔的な笑みを浮かべる。そんな坂柳の表情が、神室には気味悪く感じてしまった。

 

「なんでそんな訳わかんないことをしたのかしら」

 

「なぜだと思いますか?」

 

 間を空けずに坂柳は神室に問いかけた。まるでその言葉を待ち望んでいたかのように。

 

「分かるわけないじゃない、私なんかに」

 

 というよりは、考えるのが面倒だと言いたげなしかめっ面だ。回りくどいのは嫌。聞けることはさっさと聞きたい。なぜテストも終わったのに考え事を与えられているのだろうか。

 

「おそらくですが、」

 

 カチャリ、とカップを受け皿に置く。

 

意味などない(・・・・・・)と思われます」

 

「は?」

 

 坂柳の結論が神室には理解できなかった。

 

「いえ、白川くんが今回の小細工をしたことには意味があるでしょう。しかし、過去問に手を加えたということ自体には意味がないということです」

 

「いや、何言ってるのか余計に分かんなくなっているんだけど……」

 

 神室はその二つに差があるように思えない。というかなぜ打ち上げでこんなにもお固く議論しなければならないのか、バカ騒ぎはしたくはないが、連日のテスト勉強で溜まったストレスを浄化させる程度に盛り上がりに参加する権利はあるはずなのだが。

 

「つまりですね、明らかに怪しく、疑念を抱かざるを得ないようなことをして、私たちがどこまで考えるのかを試しているということです」

 

「……知恵比べみたいなもの?」

 

「その通りです。たった今、私が真澄さんに問いかけた、『なぜだと思うか?』というのが彼の今回の行動の肝なのでしょう。私たちは、彼に試されていたんです」

 

「……、」

 

 なんとも性格の悪い。目の前の少女に匹敵するのではないか。白川がそこまでする人物だとは神室には思えなかった。

 神室の中での白川というクラスメイトの印象は、のんびりとしたクラスの傍観者である。何かで中心に立とうとする意志など一度たりとも見たことがない。ただ、テストの点数は坂柳と並び学年トップであり、見た目も良いから女子からの人気もかなり高い。まあ、味方にいて損はないから、坂柳と葛城が勧誘に勤しんでいるのも理解できなくはない。

 

「今後私たちや葛城くんたちがどう動くのかも、彼は楽しみにしているでしょうね。派閥に入っていなかったせいで過去問を手に入れられなかった生徒は、直ぐにでもどちらかに入ることでしょう」

 

「良かったじゃない、白川のおかげで仲間が増えるかもしれないなんて」

 

「本命はあくまで白川君です。他の残っている方々は居ても居なくても変わらない、勢力の規模を少し拡大するための材料にしかなりません」

 

「あっそ」

 

 神室は一つ、ため息を吐いてからココアを一口飲みこんだ。

 目の前の少女は知らないが、一人で白川に近づいているところの目撃情報が多数あり、二人は恋愛関係になっている、もしくは坂柳が白川を狙っているのではないかという噂が立っているのである。クラス内の事情を知らなければ二人は華やかな未来ある男子と女子でしかないのだから。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「白川、今回のような自分勝手な真似は今後はしないでくれ。不必要な危険をクラスの皆に与えたくはない」

 

「ん、いいよ。約束する」

 

 あまりにも軽い口調で快諾してくるものだから張っていた気も緩んでしまう。しかし不思議と葛城は信じることができた。

 葛城自身は知る術を持たないが、彼の考察は坂柳のものと概ね一致していた。葛城の考察と白川の意図が一致しているのであれば、今後同じような企みを繰り返すことは出来ない。というより意味がない。

 話した結果、白川にはイエスともノーとも取れない返事が返ってきたのだが、葛城にとってはそれだけでもある程度の納得が得られたのだ。

 白川が今回行ったことはクラスにとって迷惑といえば否定しきれないが、彼はクラスに後遺症を残すようなことは決してしない。坂柳のように、万が一にでも取り返しがつかないことになる可能性があるようなことを彼が行うことはないだろう。

 

「そうか、それは良かった」

 

「もういいか? 坂柳にテストの打ち上げに誘われているんだ」

 

「時間を貰ってしまってすまなかった。そうか、坂柳に……。俺も白川を打ち上げに誘おうとしていたんだが……。弥彦も勉強を教えてもらったことを感謝していたからな」

 

「戸塚にはスマンと言っておいてくれ。メシぐらい何時でも行くからさ」

 

 基本的に白川が誘いを断ることは今までない。あるとすれば今回のように先に誰かに予定を抑えられていた場合だ。

 

「……話は変わるが、そろそろオレの仲間に加わらないか? 白川を歓迎しない奴はいないと断言してもいい。オレもお前が来てくれればかなり心強い」

 

「考えておくよ」

 

 何度聞いたことがあるか分からないセリフを最後に、白川は階段を降り始めた。

 見えなくなるまで背を見ていた葛城は、左手を腰に当て、右手で頭を掻いてため息を吐いて、呟いた。

 

「…………残念だ」

 

 それが本心であることは、隠しようもなかった。

 

 

 





次回、綾小路登場。

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