独房の世界   作:シガレット

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第10話

 次の日、コスモスの姿は見ることは無かった。代わりに、白い部屋には男の子がいた。常に瞼を半分閉じて、ゆったりとした喋り方をする子だった。労働の時間になると、その鈍い動きは僅かに俊敏になるが、ナメクジがカタツムリになった程度のものだろう。あるいはナメクジがカタツムリになったぐらいのものかもしれない。しかしその仕事は正確で、貼ったシールの位置を寸分たりとも間違えない。このことから私よりも経験豊富な労働者であることがわかった。これまで何百何千とこの作業を繰り返し続けてきたのだろう。もしかしたらその動作はコスモスよりも洗練されていたかもしれない。

 

 それにしても彼女は本当にこの建物から去ってしまったのだろうか?コスモスが立っている位置に彼がいることに、なかなか奇妙な違和感を拭い去ることができなかった。 

 

 休憩時間になり、彼に名前を訊くと、「ミスター・ジャンクフード」と教えてくれた。それが世界で二番目に好きな食べ物であるからみたいだ。(だが、彼はハンバーガーもポップコーンも食べたことがない)ちなみに一番好きなものは、既に誰かが名乗っていたため、諦めることにしたみたいだった。黄色い食べ物が無味無臭であるため、その発散できない欲を名前で体現しようとしているのかもしれない。私とはまた違った不思議な名付け方だ。そのやり方は、どこかコスモスの方に似通っている気がした。

 

 「きっと前任者の子は」とミスター・ジャンクフードは言った。「もう死んだのだろうね」

 

 唐突に彼はそう言った。別にコスモスのことを訊ねたわけでもないのに、彼にはわたしの疑問を知っていたみたいだった。おそらくこれまでも他の子供たちに何度も教えてきたのだろう。少し寂しそうな表情だった。

 

 「死んだ? 」とわたしは繰り返した。

 

 「そう、その子はきっと死んでいる。あるいはこれから殺されるんだ」

 

 「誰に殺されるの? 」

 

 「ガスマスクの野郎だよ」

 

 「あの子はここから開放されると言ってた」

 

 「それはあり得ない。ここにいる子供たちはみんな死ぬんだ。太陽を拝むこともなく、ここで生涯を終える。そよ風のように誰にも知られないまま……」

 

 「それは本当だろうか? あの子の先輩は外に出たらしいじゃないか? たしか、トマトとピーマンという名前らしい」

 

 「その名前なら知っている。トマトは知らないけれど、ピーマンは死んだよ。冬の寒さに身体が弱ったところに高熱が出て死んだのさ。僕の隣が彼の独房だったからよく知っている。彼の足首を掴んで引きずるガスマスクの野郎が鉄格子の隙間から見えたよ。そのとき、はじめてピーマンの顔を対面したんだ。真っ青で、氷付けになったみたいだったな。何度か二人で話したこともあるけど、口調が荒かったから、もっと野良っぽい男だと思っていた。でも彼は病弱な男で、常に咳き込んでまとも話せなかったから、何を言っていたかもうひとつわからなかったけれどね。もっと仲良くなれたらその印象も違ったのかもしれない」

 

 「それは名前が同じだけで、違うピーマンって人じゃないのかな? 」

 

 「たぶん違うよ。僕の知っている限り、彼はここで唯一のピーマンだった。それに彼も真面目に働いたらここから開放されると信じていた。ここではその噂を信じる子が多いんだ。明るい希望を持ちたいのだろうね」

 

 

 

 

 


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