もしコスモスが本当に殺されたならば、あるいは彼女が殺されそうな状況であったなら、私は彼女に対してどのような感情を抱くことが、この私の世界において同情され、あるいは別の世界で――神のような存在でも良い――許されるのだろうか? おそらくその答えは存在しない。私は私の思った通りに思えばいいのだ。それがもし、コスモスの死を喜んでいたとしても、それを否定する者はわたし以外にいてはならない……はずだ。
しかしながらこの話をミスター・ジャンクフードに聞いたとき、さすがの私も驚愕したし、彼女のことを心配した。それで私は自分が思っているよりも彼女のことが嫌いでなかったことに気づけたのだ。まったく、愚鈍な話なのだが、まあ仕方がない。そして同時に彼女の死によって、喜びを感じていた自分も否定できないことは、否応にも受け止めなければならなかった。これにより、彼女の考え方よりも、私の考え方のほうが、この世界においてサバイバルすることに優れていたことが証明されたからだ。優越感。これはなんて素晴らしいものだろう。
結果として、わたしは彼女の死によって複雑な気分になった。なぜなら一方で歓喜していながら、もう一方では悲観しているからだ。これは恐ろしいことだ。数学的な教養を持たない私でも簡単に理解できる。公式化が不可能な状況に陥っているのだ。世界のあらゆることは何もかも式にすることが可能だ、と主張するブルーならこの感情も数学的に解いてくれるのだろうか? おそらく、いや絶対に無理だ! わたしにはわかる。感覚的に、直感的に、絶対的に。私がこのようにブルーに言うと、彼はとても退屈そうに言い放った。
「ならば、コスモスを探してしまえよ」
「なぜ? 」
「それで自分の感情の変移を確かめたらいいさ。僕だったらそんな面倒なことはやらないけど、君みたいな人間のように実際に落とし穴に落ちないと学習しないタイプが存在することは理解できるからね」
「しかしコスモスはもう死んでいるかもしれないじゃないか? 」
「自分の感情に整理をつけたいなら死体だって構わないだろ? 僕が言いたいのは、君が真実を知ったらその感情に整合性を図るきっかけになるかもしれないってことさ。まあ、僕はそんな手間なことをせずとも良いんだけれどね」
「なるほど。しかしどうやって見つければ良い? 」
「僕はそんなことまで一々教えないよ。暇じゃないんだ。今だって新しい公式を見つける機会を失っているんだからね」
彼はそう言うと、便器の蓋を閉じてくれ、と言った。わたしは苛立ったので、激しく叩きつけるように閉めた。そう、それぐらいブルーに訊かなくてもわかることなのだ。ただあの開いた鉄格子の扉から出ていけば良いだけの話。しかしこれがどんなに恐ろしいことなのか、あの便器の水たまりに理解できようか? わたしは教えを乞うたのではなく、勇気を乞うたことに、なぜあの便器の水たまりはわかってくれないんだろうか?
それから私は二時間考え、鉄格子の扉の近くまで行ったり来たりを繰り返し、勇気を出す言葉を何度も唱えたが、眠くなったことを言い訳にその日も同じ時間に就寝した。その間にコスモスが殺されているか、もうとっくに殺されて焼却されたとしても、わたしは怖いので、そして眠くなったので寝てしまうのだ。誰に責めらようと知るものか。