はじめて外に出たのは三年後の五月だったはずだ。この時からわたしの人生の法則は無茶苦茶に乱れた。なんてカオスなことだろうか。
正確な日時はもう忘れたが、その日は黒板を爪で引っ掻くような耳障りな音で目が覚めた。気持ち悪くて音が止んだ後にも関わらず耳を手で塞いだ。それから犯人を探そうとして周りを見渡すと、独房の扉が内側に開いていることに気づいた。そんな事実、永遠に知らなくてもよかったのだが、わたしの目は脳に確かな情報を与えていた。しかしわたしは外に出ようとするどころか、毛布を抱きながら部屋の片隅に移動して座った。膝が震えていた。世界はこの扉によって保たれていたことに初めて気づいたのだ。
閉じた便器の蓋からブルーの声が聞こえた。これはチャンスだ、と彼は言っていた。これを逃すわけにはいかないよ、28番ちゃん!
私は無視した。声を出そうとしても出なかったのだ。
「全く、君って奴は」とブルーは悲痛そうに叫んだ。「まるでパブロフの犬みたいじゃないか! 」
黙れ、と私は強く念じた。しかしブルーはやめなかった。
「別に電流を流されたわけでもないんだろ? ここから出て行かない手は無いよ」
嫌だった。まず怖くて立つことができなかったし、この独房の生活を手放す気にもなれなかった。ペットのままで構わない。それにブルーが一年前に教えてくれたカントの話は私には到底理解できなかった。自由を手にするには自律する必要がある。欲や気分に流されない理性的な人間こそ、真の自由を得るのだ……云々。全く、救いの無い話だった。それが真の自由であるなら、わたしは自由でなくたって構わない。カントなんて大嫌いだ。
私はぴくりとも動かなかった。ギリシャ彫刻のように決められた姿勢を数センチも崩さなかった。ガスマスクの人がやって来るまでそうしていた。彼の固くて重そうな革靴の乾いた音が聞こえると、さすがに頭を抱えた。何も見えないように瞼を瞑った。どうか神様、わたしを自由にしないでください。私はこれをこの瞬間に三回も願った。その直後、わたしは腹に強い衝撃を受けたのだ。呼吸も出来ず、鈍い痛みが広がった。悶絶してのた打ち回り、思わず開眼し、水を求める金魚のように喘いだ。死ぬかと思った。
「出ろ」とガスマスクの人が冷徹に言った。そしてこれが彼の声をはじめて聞いた瞬間である。
それから彼は扉の方に向かってわたしをもう一度蹴り上げた。私の身体は扉の側にぶつかり、倒れたまま動くことは出来なかった。しかしガスマスクの人の足音を聞くと、必死に脚がもげた虫みたいに這いながら外の方に進んだ。恐怖こそがわたしを動かすエネルギーとなったのだ。だが、その努力も虚しく、彼が進む方へとわたしは再び蹴り上げられた。立って歩かない限りこれが続くのだ、とようやく理解した。しかし何とか立ち上がろうとする間に、わたしは連続で二回蹴られた。これまでの人生で一番の痛みがこれだけで五回も更新されたのだ。