IS〈イノウエ シンカイ〉   作:七思

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 先日、外出先の自動販売機でジュース買ったんですよ。ピー、って鳴って、当たりまして。
 ウヒョッ♪ ラッキー!
 って、大喜びしまして。

 お釣り(千円札投入)回収するの忘れました。


第94話 PP

 無人機(ゴーレム)部隊の襲撃を退けたIS学園は、ひとまず混乱を鎮めることに成功した。無論、それで終わりとなる筈もない。被害状況の確認、巻き込まれた来賓への対応、襲撃者の分析、防空網の見直しと強化、関係各所への説明と事情聴取……やるべきことは無数にある。その重要度は、無人機たちを撃退した直接の戦闘に勝るとも劣らない。

 だがそれら全てを一旦無視し、織斑千冬は学園内のとある部屋に移動した。高い機密性を持つ、決して外に漏れてはならない話をする際に使われる密室。その場に集うは、

 山田真耶

 如月重工社長

 更識楯無

 更識簪

 セシリア・オルコット

 凰鈴音

 シャルロット・デュノア

 ラウラ・ボーデヴィッヒ

 篠ノ之箒

 布仏本音

 織斑一夏

 そして、井上真改

以上、千冬を含め十三名。

 その面子は学園内のヒエラルキーに沿うものではなく、まったく別の理由から呼ばれた者たちだ。

 

 即ち、井上真改の左腕喪失、その事情を知る者――そして極一部に、真改自らが同席を望んだ者。

 

「……聞かせてもらおうか、ラウラ」

「…………」

 

 うなだれるラウラに、千冬は容赦なく問いかける。ラウラと呼んだのは、IS学園の教師としての詰問ではなく。

 織斑千冬個人として、訊かずにはいられない事柄だからだ。

 

「……黙っていては分からん。答えろ、ラウラ」

「…………」

「あ、あの、織斑先生……ボーデヴィッヒさんも困って――」

「黙っていろ、真耶」

「ひっ……」

 

 腕を組みながら鬼の形相で睨み付ける千冬に、真耶が怯む。ある程度名が広まってからは山田君と呼び、IS学園に教師として就任してからは山田先生と呼んでいた千冬。それが山田真耶を真耶と呼ぶ。

 それはつまり、今この場においては、織斑千冬は自身の立場を全て捨て去り、完全に個人として立っているということだ。

 更にわかりやすく言うならば。

 

 千冬は今、完全にキレていた。

 

「……っ…………ラウラぁ!!」

「……!」

 

 黙り続けるラウラについに痺れを切らした千冬が、胸倉を掴み上げる。余りの剣幕に多くが怯える中、数人が立ち上がり、千冬を宥めに入った。

 

「千冬さん! 落ち着いて!」

「……鎮まれ……」

「……っ! ぐっ……!」

 

 目を血走らせながら、ラウラを放す千冬。力なく椅子に座り込みシャルロットに心配されるラウラの姿に、千冬は奥歯を砕きかねないほどに強く噛み締める。

 

 千冬も理解している。ラウラに責はない。だが千冬の自制心をもってしても御し切れないほどの怒りが、無尽蔵に沸いてくるのだ。その怒りの矛先は、他ならぬ千冬自身に向いていた。

 三年前、可愛い妹分であり、誰よりも信頼する親友でもある少女が、千冬の浅はかな行動により左腕を失った。

 千冬は自分を責めた。生涯を捧げても償えない罪を犯してしまった、と。だが今にして思えば、それすらも甘えでしかなかったのだ。千冬は、自らが犯した罪を、まるで理解していなかったのだから。

 

「……くそっ……!」

 

 千冬の怒りは到底収まらない。もしそれが許される立場であれば、周囲にあるもの手当たり次第に拳で殴りつけ、脚で蹴りつけ、頭を叩きつけ――自身の身体ごと、破壊し尽くしていただろう。

 だが千冬は、鋼の意志力によってその怒りを強引に押さえつける。言動や仕草にありありと滲み出てはいるが、しかし超えてはならない一線で、どうにか踏みとどまっていた。

 

「……話せ、ラウラ。奴は――アレは、一体何者だ」

「……っ!」

 

 その言葉に、居合わせた者たちが息を呑み、身を竦ませる。

 

 ――先の襲撃。学園が受けた被害は大半が無人IS部隊によるものだが、一部は別勢力の急襲によるものだ。

 その一部とは、ラウラ・ボーデヴィッヒ、シャルロット・デュノア両名の撃墜。才能、練度、いずれも一年生の中では頭一つ抜けている二人が、他の者たちに倒せた無人機に負ける筈はない。そうでなくとも、生徒が行った戦闘のデータは全て学園に提出することが義務付けられている。何が起きたのか、隠匿も言い逃れも不可能だった。

 千冬から規定通りデータの提出を求められたラウラは、恐怖に震えながら、シュヴァルツェア・レーゲンの戦闘記録を開示した。そこに映し出されていた、猛禽を思わせる輪郭を持つ黒いISと、パイロットの少女。そしてその少女の、あまりにも見慣れた造形の、しかし印象だけが異なる顔。

 

 その時、千冬は確かに、自らの心が軋みを上げる音を聞いた。

 

 千冬がどうにか意識を保ちながらこの部屋まで移動し、関係者らを呼び集める間、ラウラは一切口を開かなかった。ただ泣きそうな顔で、虚空を見つめるばかり。しかしそれももう終わりだ、千冬の忍耐もいい加減に限界が近い。

 それは、他の者たちも同じだった。

 

「……ラウラ」

「…………」

 

 静かに声を掛けたのは一夏だ。ソファに座り、組んだ両手を握り締め、俯きながら――震える声を発した。

 

「ラウラ。教えてほしい。あいつは……一体なんなんだ……?」

 

 この場に居る全員に開示された映像は、一夏の精神を痛烈に打ちのめした。余りにも強すぎるショックを受けた彼はしかし、視界が揺れるのを感じながらも決して意識を手放しはしなかった。

 

 背負うと決めたのだ、この罪を。だから、全てを知らなければならない。目を逸らしてしまえば、織斑一夏はそこで死ぬ。後に残るのは、かつて織斑一夏であった抜け殻だけだ。

 

 彼は耐える。歯を食いしばり、全身に力を込めて、一秒ごとに遠ざかる意識を必死に繋ぎ止める。真実を知るために。

 

「……あ……れは」

 

 ついにラウラが口を開いた。辿々しく紡がれる言葉は、彼女の精神がどれほど憔悴しているかを如実に表していた。

 

「…………あれは――」

 

 ラウラの声に、全員が集中する。これから語られるモノがどのような内容か、一言一句聞き逃すまい、と。

 

 そんな、ある意味極限状態とも言えるこの場で。

 

 空気を読まず、挙手する者が一人。

 

「まあまあ、まあまあまあまあ。ボーデヴィッヒ君はどうやら頭の中を整理できていないみたいだし、ここはいっちょうこの僕が、順を追って説明しようじゃあないか――」

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「……社長。すみませんが、今は――」

 

 場違い極まる軽さの如月社長に、千冬が苛立ちを隠そうともせず苦言を呈そうとする。殺気すら孕んだ千冬の視線を受けた如月社長は、しかし露ほども気にせず言葉を続けた。

 

「知りたいのでしょう? 織斑先生。なら聞いておいた方がいい。僕はこの件に関して、少なくともこの中では一番多く、詳しく知ってると思うけど」

「……知っていたのですか。以前から」

 

 千冬の怒りが更に増す。ともすれば如月社長に襲い掛かるかもしれない――社長自身そう思いながら、しかしやはり、彼は止まらない。

 

「以前から、というか。事の始まりは、それこそ何十年も前からなんだけどねえ。井上君の件は、そのファクターの一つに過ぎないんだよ」

 

 如月社長は、千冬の視線を真っ向から受け止めながら語る。

 誰もが知っていながら、誰もが直視しようとしない、歴史の闇を。

 

「よくある話でしょ? 優れた人間を作る――そんなのは。まあ優れたなんて言うのは、専ら戦闘方面だったりするけどねえ」

「…………」

「始めの内は、優秀な人間同士で子供を生ませて徹底した英才教育を施すとか、まあそんな程度のものだったと思うよ。多分ね。でもすぐに、それだけじゃ足りなくなった。人間が世代を重ねていくより、科学の発展の方が圧倒的に早いから、当然の流れではあるけれど。

 さて、そうなると次にどうするか……いやいや面白いよねえ! 割と色んな国が、同じような方法を試みたのさ」

「……〔遺伝子強化素体(アドバンスド)〕」

 

 品種改良で駄目ならば、遺伝子組み換え。

 呟いたのは誰だったか。少なくとも、一人だけではなかっただろう。

 視線がつい、ある少女に向いてしまったのも。

 

「もっとも。その呼び名は正式なモノじゃあない。というよりも、正式な呼び名なんてないのさ。なにせこの技術と研究は、世界中で禁忌とされるモノ――ぶっちゃけて言えば人体実験だからねえ」

「…………」

 

 誰もが知りながら、しかし口にしなかった事実を、如月社長はあっさりと述べた。ラウラ自身が気にしていないとはいえ、やはりそれは容易に踏み込んでいい事柄ではないのだ。

 如月社長も、それを理解した上で話している。だから、もう誰も彼を止めようとはしなかった。

 

「存在してはならない、忌むべき技術……それをもってしても、人間はまだ科学に届かなかった。むしろ突き放されるばかりだった。そしてそれは、約十年前に決定的なものになった」

「……IS、か」

 

 当事者の一人である千冬は、思わず声にしていた。如月社長は笑みを深める。

 

「当初は荒唐無稽過ぎて、白騎士事件が起きるまでは見向きもされなかったISだけど……そのスペックデータが比喩でも誇張でもないと、最初から見抜いていた人ももちろん居たのさ。彼らはすぐに気付く――これは、人間に扱いきれるモノではない、と」

 

 高過ぎる性能。その全てを発揮するには、人間は余りにも弱く、脆く、鈍い。それを、ISに深く関わる者たちは身をもって知っている。

 

「当時すでにある程度の成果を挙げつつあった遺伝子強化素体(アドバンスド)たちにも、ISは手に余った。人間をいくら進歩(アドバンス)させても、元々の機能が足りていないんだからどうしようもない。

 ……そこで、彼らは考えた。いや、発想自体はもっと前からあったんだ。ただそれを、本格的に進め始めた」

「……何を」

 

 一夏が呟いた。何か、恐ろしい予感がしたからだ。

 

「簡単なことだよ。彼らは人間を進歩(アドバンス)させることに見切りをつけて、人間に追加(プラス)することにしたのさ」

「……………………は?」

 

 あまりのことに、一夏はそんな、間の抜けた声しか出せなかった。

 

 ――追加する、だって?

 

 人間に?

 

「その計画にも、もちろん名前(コード)なんてない。けど名前がないっていうのは不便だからね、誰かが呼び始めた名前が自然と定着するようになった。

 ……つまりその計画には、誰かが勝手に付けた、通称しかないんだ」

 

 その、道徳や倫理をドブに捨てるかのような計画の名前は。

 

 ただそう呼ばれているだけの、正式名称でもなんでもない、その名前は。

 

「その計画の名は――

 

 

 

 ――強化人間計画(プロジェクト・プラス)

 

 あまりにも、正鵠を射ていた。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「……まあ、世界史のお勉強はこんなところかな。さあ、ボーデヴィッヒ君。あとは、君が話すべきだ」

「…………ああ」

 

 如月社長に促され、ラウラはようやく口を開いた。頭の中を整理できたのか、気持ちに区切りをつけられたのか、あるいは覚悟を決めたのか。

 とにかく、ラウラは話し始めた。誰にも知られたくない、自分でも知りたくなかった、母国(ドイツ)の所業を。

 

「……三年前。第二回モンド・グロッソの開催国になったドイツは、最有力優勝候補である織斑千冬の身内、観戦に来ていた織斑一夏を誘拐されるという大失態をやらかした。本来ならばすぐにでも各国が失態を突き、ドイツに貸しを作るところだったが……ISという兵器、そしてモンド・グロッソという大会の存在は、そんなことのために汚点を残すにはあまりにも経済価値が高過ぎた。だから、ドイツの隠蔽工作に対し見て見ぬ振りをした。織斑千冬も、ドイツの失態を口外しないと約束した。

 ドイツは秘密裏かつ迅速な対応に全力を尽くし、結果、織斑一夏誘拐事件はなかったことにされた。……そう。なかったことになったんだ」

 

 IS学園に在籍しているとはいえ、ラウラはいまだ軍属だ。当然、その知識に部外秘の物はいくらでもある。

 その中でも、これは最重要機密と言えるものだった。語ることなど、到底許されはしない。

 ――そんなことは、今更だ。ここから先は、ラウラ自身も知ってはならなかった筈の領域。退路など、とうの昔に断たれている。

 

「各国もそれで納得した。隠蔽工作に必死になっている――ドイツの演技にまんまと騙されて、「何を隠そうとしているのか」までは気が回らなかった。……無理もない。それはドイツが隠すまでもなく、事件の大き過ぎる影に、隠れてしまうようなことだったのだから」

 

 先ほどまでの沈黙が嘘のように、ラウラは言葉を吐き出し続けた。自嘲と慚愧を声に乗せて。

 

「織斑一夏が発見・救助された現場に居合わせた、一人の少女。瀕死の重傷を負い織斑千冬によって病院まで運ばれたその少女は、他のどの国も、事件に巻き込まれた不運な少女としか見ていなかった。

 ……荒唐無稽過ぎたんだ。身体すら成熟していない少女が、生身で、ろくな武器も持たずにISと戦い――操縦者に傷を付けるなど」

 

 千冬の、一夏の脳裏に、傷付き眠る少女の姿が思い起こされる。

 それは二人にとって、決して忘れることのない記憶だ。今より僅かに幼いその顔は、寸分の差異もなく瞼に焼き付いている。

 

 なのに、何故だろう。その姿が、いつもと違う。

 

「……現場の惨状は、ある一つの事実を示していた。そこで行われていたのは、圧倒的強者による一方的蹂躙ではない。互いが互いの命を奪い合う、戦闘だ。そしてその、ISと生身の少女による戦闘という、誰もが一笑に付すような出来事があった現場には、「ある物」が残されていた」

 

 眠る少女の、失われた左腕に。

 

 悪意が具現化したかのような闇が、纏わりついている――

 

「少女――井上真改の、左腕だ」

 

 

 

 ――バキン!

 

 突然の音が、部屋に響いた。小さな音だが、確かに全員が聞いた。

 音の源である少年は、爪が食い込み血が流れ、過剰な力で握り締められ指が折れた手を震わせながら、言った。

 

「……続けてくれ。ラウラ」

 

「……当初、ドイツの研究者たちは、井上真改を織斑千冬に匹敵する戦闘の天才だと考えていた。だがそれはすぐに違うとわかる。左腕から造ったクローンたちは、訓練プログラムをいくら実行しても、望む結果を得られなかったんだ」

 

「しかしある時、研究者たちは知った。井上真改がISと戦えた要因は、肉体の限界を超えて力を引き出す、異常なまでに強烈な自我にあると」

 

「研究者たちはアプローチを変えた。クローンたちに戦闘技能を植え付けるのではなく、その肉体を物理的に強化することにした」

 

「強化施術は、被検者の精神に致命的な影響を及ぼす。大抵の場合、術後数時間で、想像を絶する苦痛と異常な感覚に精神が耐え切れなくなり、崩壊する」

 

「……だが、井上真改のクローンたちは違った。ほぼ全ての個体が長時間精神を保ち、中には異常感覚にある程度順応する者までいた」

 

「それまでただ死に絶えるだけだったモノたちが、生きて動き回った――欲しくても得られなかったデータが得られるようになり、人体強化の技術は飛躍的に進んだ」

 

「そしてついに、ある個体が、全ての強化施術を耐え切り克服した」

 

「筋力強化、骨格強化、内臓保護、感覚の鋭敏化、思考と反応の高速化……猛獣の運動能力、機械の精密動作、人間の戦闘技術を併せ持つその個体は、研究の最初の成功例として、名前(コード)が与えられた」

 

「……影打(シャッテ)。それが、奴の名だ」

 

「シャッテが強化人間(プラス)として完成して数ヶ月は、様々なデータを収集していた。ISにもある程度の適性を示し、一通りの戦闘技術を修得させると、想像以上の性能を発揮し始めた」

 

「研究者たちは歓喜した。最強の兵を量産する目処が立った、と」

 

「だがある日、研究所が襲撃された。スタッフと未完成のクローンたちは皆殺しにされ――シャッテと、一機のISが強奪された」

 

「……亡国機業(ファントム・タスク)に」

 

 

 

 語り終え、ラウラは大きく息を吐き出した。その小さな身体が震えているのは、寒さ故ではあるまい。

 静かに聞き終えた一夏たちは、誰も声を発することはなかった。訊きたいこと、言いたいことは山ほどある。だが、それらを口に出すことは憚られたのだ。

 

 しばらくの沈黙。その間ラウラは、裁きが下るのを待ち続けていた。誰でもいい、誰か私を裁いてくれ――自罰的な感情に呑み込まれ、目から力が失われていく。

 

 すると、誰かがゆらり立ち上がった。

 

 一夏だ。

 

「いち、か……」

「…………」

 

 一夏は俯き、表情は伺い知れない。だが纏う空気は、明らかに常の彼とは違う。

 

 ラウラは怯え、身をすくめた。どのような罰も受け入れる。それでも、一夏に嫌われることだけは耐え難かった。

 

 そしてついに、一夏は――

 

「……話してくれて、ありがとな。ラウラ」

「…………え……」

 

 不思議なほど落ち着いた、優しい声。一夏は今にも泣き出しそうな笑顔をラウラに向けて、そう言った。

 

「……悪い、みんな。ちょっと外の空気吸ってくる」

 

 告げて、一夏は部屋を出る。

 その背中を、誰も追い掛けることは出来なかった。

 

 ラウラは、一夏が座っていた席を見る。そこには、一夏の両手から流れ落ちた血の跡だけが残されていた。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 いつもは静かなIS学園の夜も、今日は様子が違った。日が落ちてからも続けられる学園の復旧作業の音が、寮の屋上まで届いている。

 そこでは少年が一人、手摺りに背中を預けるように寄りかかり、月を見上げていた。

 

「……シンか」

「…………」

 

 少年――織斑一夏は、ふと何かを感じて視線を下ろす。そこにはいつの間にか、片腕の少女が立っていた。

 井上真改。一夏の幼なじみであり、剣士としての憧れであり。

 一夏が、左腕を奪ってしまった少女。

 

「どうした、こんな時間に。最近冷えてきてるからな、風邪ひくぞ」

「…………」

「ああ、手を心配してるのか? 大丈夫だよ、ちゃんと保健室で診てもらった。きれいに折れてるからすぐ治るってさ」

「…………」

 

 軽く掲げられた右手は、数本の指がギプスで固定されている。痛々しいが、しかし一夏にそれを気にした様子はなく、真改もまた、そのことで来たのではない。

 

「……平気……?」

「…………」

 

 問われて、一夏の顔は小さな笑みを浮かべたまま、固まる。右手を下ろし、再び手摺りに寄りかかり、月を見上げた。

 

「……なんだろうな。わかんなくなっちまった」

「…………」

 

 真改は静かに歩み寄り、一夏と並んで月を見上げた。

 

「怒ってるのか、憎んでるのか、悲しんでるのか……自分の感情なのにな。頭の中がごちゃごちゃしてて、よくわからないんだ」

「…………」

「どうすればいいのか。どうしたいのか。それも、わからない」

「…………」

 

 一夏の声は、常よりも幾分か穏やかだった。まるで、心の乱れと反比例するように。

 

「なんでだろうな。不思議だよな」

「…………」

 

 大きな、美しい月。今宵は奇しくも満月。灯りの落ちたIS学園においても、月明かりは二人を照らし出していた。

 その表情が、はっきりと分かる程度には。

 

「なあ、シン。お前はいつも、気にするなって言うよな」

「…………」

 

 それは、真改の左腕のことだ。

 かつて一夏を守り失った左腕。誰よりも強くなることを望む少女にとっては、あまりにも大き過ぎる喪失。

 それでも、真改は決して一夏を責めない。自分が勝手にやったことだからと、その罪を背負わせまいとしてきた。

 

 ――だが。

 

「……無理だよ、そんなの。無理に、決まってんだろ」

「…………」

 

 一夏の声が震え、目から涙が零れる。それに気付きながら、真改は見ぬふりをする。

 

「お前の姿が、目に焼き付いて離れないんだ。あの日目が覚めて、最初に見たお前の、眠る姿が」

「…………」

「お前の剣が好きだった。真っ直ぐで、迷いがなくて、いつも全力で、一生懸命で……そんな、お前の剣が」

「…………」

「なのに……あの日から、俺はお前の剣を、それまでみたいに見れなくなった。痛いんだ。お前が変わらず剣を振るたび、俺のどこかが、痛むんだ」

「…………」

 

 少年の慟哭に、少女は応えない。二人を見下ろす月も、何も語らない。

 

「それでもずっと、追い掛けたいって、思ってた。いつかお前を超えられれば、またお前の剣を、ちゃんと見られるんじゃないかって」

「…………」

「………なのに、さあ。……なのにっ……」

 

 一夏は、ついに泣き出した。

 真改が何も言わないのに、自分が泣き言を言うわけにはいかない。そう思って、ずっとこらえてきたのに。

 

 ついに、こらえきれなくなった。

 

「お前の剣が、汚されたような気がした。俺が、汚しちまったんだ。俺が、お前の剣をっ……!」

「…………」

 

 一夏は膝から崩れ落ちて、両手で顔を覆い、泣いた。真改はその隣に屈み、一夏の肩に手を置き、抱き寄せた。

 

「あんなに、きれいだったのに……こんなに、きれいなのにっ……!」

「…………」

「シンっ……ごめん、ごめん……シン……!」

「……大丈夫……」

「ごめん……ごめんっ……」

「……大丈夫だ……」

 

 幼子のように泣きじゃくる一夏に、真改は優しく囁いた。その二人を、夜空に浮かぶ月と、屋上の入口に隠れるように控えた少女たちが、静かに見つめていた。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

『首尾はどうだ』

「上出来です。初の実戦、それも単独任務での成果としては、これ以上は望めないかと」

 

 艶やかなブロンドを靡かせ、完璧とも言える美しさの足を組み、優雅に椅子に腰掛ける女性――スコールは、机を挟んだ反対側に浮き上がる3Dホログラムに向け、微笑みながら答えた。しかし友好的な表情とは裏腹に、その眼に宿る光には一切の油断がない。

 妖怪と対峙しているようなものだ――この老人との会話には、スコールは常にその心構えで臨んでいる。

 

『ふむ……性能は上々か。そうでなくては意味も価値も有りはしないが』

 

 老人はスコールの言葉に、僅かな間を空けて答えた。会話の中には当然存在する、自身の考えを言語に変換するための時間。その一瞬の間に、一体どれだけの策謀を巡らせているのか。スコールほどの知能をもってしても、伺い知ることは出来ない。

 

「あなたから頂いた情報のおかげですわ。学園襲撃の日時、敵戦力の部隊構成……どちらも正確でした。バックアップも含めて、事前にしっかりと準備ができましたから、あの子も気負わずに取り組めたかと」

『気負うほどの感情など持ち合わせてはいまい、アレは』

 

 つまらなそうな老人の言葉に、スコールは必死に表情を保った。

 人の神経を逆撫でするような物言いは、この老人が会話相手の心中を探るために使う手段の一つだ。表情に限らず、仕草や声、言葉遣い……僅かでも影響を滲ませれば、そこから何を悟られるか分かったものではない。

 

「……いつもお世話になっています。私どもの戦力も、随分と整ってまいりました。さらには様々な方面での情報提供……ミッション遂行には大きな助けです。腕が鈍るのでは、と、心配する者までいるくらいですから」

『情報とは力だ。だが不正確な情報に価値はなく、遅い情報には意味がない』

「ええ、わかっています。今回の作戦で得た戦闘データ……全て余さず、今すぐに、そちらに送信いたします」

『それでいい。契約通り、手に入れたISコアはそちらの好きにしろ』

「ええ、ありがとうございます」

 

 ISコア。それも未登録の、存在しない筈のコア。もしそんなものが有るとすれば、どの国も血眼になって探し出し、手に入れれば死に物狂いで隠匿するであろう代物。

 それを「好きに使え」などと言うこの老人は、一体何を考えているのか。スコールは不気味でならない。得体の知れない怪物にじぃと睨まれ続けるのと、この状況になんの違いがあろうか。

 

『誤魔化そうなどとは思うなよ。私がお前たちに、あの人形の情報を教えたのも――』

「シャッテ」

『……ほう』

 

 だが、それでも。

 

 その言葉だけは、作り笑いで聞き流すことは、出来なかった。

 

「あの子の名は、シャッテです。お忘れなきよう」

『ふむ……なるほど。どうやら想像以上に興味深い存在のようだ。確かに、操られるだけの人形など比ではないか』

「…………」

 

 これでまた一つ、スコールは老人に隙を晒した。先の態度が本心からのものなのか、それともただの演技なのか……老人にとって、それを見破るなど容易に過ぎる。

 

『いずれまた、情報を送る。その情報をどう活かすかも、その情報を元に得た物をどう使うかも、お前たちの自由だ。だがこちらから要求があった場合には、それに従ってもらう』

「心得ております――いつも通り、ですね」

『そうだ。私を疑う必要はない。お前たちにはまだ、利用価値があるのだから』

 

 最後まで心中を伺わせることなく、老人は一方的に通信を終えた。ホログラム映像が消え、部屋が僅かに暗くなる。

 

 怪物が去った安堵から、スコールは小さく溜め息を吐いた。しかしすぐに表情を引き締め、負け惜しみを――否。自身を鼓舞するための、精一杯の強がりを言った。

 

「疑ってなどいませんわ。……端から信じていないだけよ――王大人(ワンターレン)

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 世界のどこか。人類全ての内でも、片手で数えられるほどしか存在を知らない、とある研究所(ラボラトリー)

 大型貨物車程度の大きさのその移動式研究所で、女性が一人、無数のディスプレイを眺めながら、肘から先が霞む速さで端末を操作していた。

 

「お、お、おおおお? やったー、箒ちゃん、やっと絢爛舞踏を発動できたねー! おめでとー!」

 

 ぱちぱちぱちと手を叩く、目元に深い隈を浮かび上がらせ、赤みがかった長い髪を適当に流し、童話から引き摺り出したような青と白のワンピースを着こみ、頭に兎の耳を模した高性能デバイスを装着した女性。名を、篠ノ之束という。その胸は豊満であった。

 

「これで紅椿も本領発揮できるよ! やったね箒ちゃん! ……ううむ。でも流石に、ちょっと遅いかなー、劣化量産型のゴーレムⅡを全機投入してやっとだもんねー」

 

 束は頬を膨らませ、突き出した唇と鼻の間に使いもしないペンを挟み、椅子にもたれかかった。やる気が微塵も感じられない所作であるが、しかしその脳内では、世界中のコンピューター全てを直結しても到底及ばないような速度で思考が行われている。

 

「稼働率もそんなに高くないし……なんでだろ?」

 

 ふらふらと足を揺らしながら、束は思考を続ける。だが、答えは出ない。歴史に革命的な転換を及ぼせるであろう発想をいくつもゴミ箱に捨て去りながらも、束が求める答えには至らない。

 何故か。彼女には理解出来ないからだ。「人」という存在が。

 

「……うう~むむむぅ~……」

 

 愛する妹に、能力と自信をつけさせる。ただそのためだけにIS学園襲撃という暴挙に出た天才は、堂々巡りを繰り返す。ああでもないこうでもないと、自分の思考と行動が世界にどのような影響を与えるかなど、まるで気にすることもなく。

 

「――束さま」

「んん?」

 

 そんな束に、声を掛ける者がいた。小さく華奢な、幼い少女。年の頃は十二ほどか、輝くような銀髪を三つ編みに纏め、両の眼を閉じた、見る者の目を惹きつける美しい少女だった。

 

「お食事をお持ちしました」

「わあ、ありがとう! いただきまーす!」

 

 おずおずと差し出されたトレイに乗った、大部分が黒く焦げた物体。それを束は、目を輝かせて持ち上げ、かぶりついた。

 ばりばりぼりぼりと、固く脆い炭化した食物特有の音を立てながら、満面の笑みで咀嚼する。

 

「んー、おいしー♪ くーちゃんはお料理上手だねー! 優しいし」

「そんな筈はありません。不味いに決まっています」

 

 良い子良い子と言いながら、少女の頭を撫でる束。「くーちゃん」と呼ばれた少女は俯く。その両目は閉じられたままだ。

 女の子なんだから、料理が出来ないといけない――そう束に言われて始めた料理も、教える者もおらず失敗続きだ。束を崇拝し、束の為だけに在ろうとする「くーちゃん」は、料理を失敗するだけでも重い自責の念に駆られる。作った料理は必ず束に食べさせること。そう約束させられたために、迂闊に練習も出来ない。

 

「あー、美味しかった。ごちそうさまー」

「……お粗末様……でした」

「ああ、そうそう。ねえくーちゃん、すーちゃんはどこ行っちゃったの?」

 

 食後の他愛のない会話。そんなノリで振られた話題に、「くーちゃん」は表情を固くした。嫌悪、反発、恐怖……心中に様々な感情が入り混じるが、露骨に表には出さない。

 

「……あの子は、散歩に出かけたようです」

「そっかぁ。すーちゃん、お散歩大好きだもんねー」

「…………」

 

 「くーちゃん」は強い不安を感じていた。散歩――「すーちゃん」の行動はそうとしか表現出来ないのは確かだ。いつの間にかふらりと出掛けていて、いつの間にか戻って来ている。しかし実際には、そんな穏やかなものでは決してない。

 散歩中に、もし何か、「すーちゃん」の機嫌を損ねるような出来事があれば。その時、地図上から街が一つ消えることになるのだから。

 

「……束さま」

「ん? なあに?」

「……いえ。なんでもありません」

「あはは、くーちゃん、そういう時はね、「呼んでみただけです」って言うんだよ?」

「……はい。呼んでみた、だけ……です」

「んもうー、くーちゃんはかわいいなあ!」

「…………」

 

 「くーちゃん」は訊きたかった。「何故あの子をお傍に置くのですか」と。だが訊けなかった。「くーちゃん」にとって束の意志は絶対だ。その真意を問うなどあまりにも畏れ多い。

 だがそれを差し引いても、「くーちゃん」にとって「すーちゃん」は異質過ぎた。二人の境遇にはそれほど違いはない筈なのに、「すーちゃん」は「くーちゃん」のように、束に敬意を抱いていない。心が死んだ廃人ならば何人も見たが、それとも違う。

 理解が出来ないのだ。束とは、また別の方向性で。

 

「んん~。すーちゃんにもやって欲しいこと、いくつかあるんだけどなあ」

「…………」

 

 おやめください、と、喉まで出かかった言葉を、「くーちゃん」は呑み込んだ。「すーちゃん」は、いつ裏切るかも分からない――否、そもそも味方かどうかも分からない存在だ。そんなモノに、何かを頼むなど。「くーちゃん」は「すーちゃん」には一切の信頼を置いていない。ただ束が言ったことだから、従っているに過ぎないのだ。

 

(……でも……)

 

 「くーちゃん」が「すーちゃん」について分かっていることは、僅かに三つ。

 

 ひどく気まぐれであること。この世の何もかもを、どうとも思っていないこと。篠ノ之束と織斑千冬、二人の最強が力を合わせて挑んだとしても、到底敵わぬ強者であること。

 

 ただ、それだけ。そんな存在を、どうして信じることなど出来ようか。

 

「ううむ。でもお散歩に行っちゃったんなら仕方ないかなあ。……仕方ないなあ。うん、そっちは置いとこう。それよりくーちゃん、ひとつお願いがあるんだけど」

「……はい。なんなりと――」

 

 世界のどこか。人類全ての内でも、片手で数えられるほどしか存在を知らない、とある研究所(ラボラトリー)で。

 

 天才(悪魔)による計画が、人知れず進められる。

 

 少しずつ、少しずつ。

 

 まるで、質の悪い病のように――

 

 

 




更新が遅くなり本当にすみませんでした。
次回はもうちょい早く更新できるよう頑張ります。よろしくお願いします。

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