IS〈イノウエ シンカイ〉   作:七思

121 / 122
 すみません、本当に申し訳ありません。
手が空いた時に書く→翌日、昨日書いたところを書き直す→また翌日、書き直す
 の繰り返しになってしまい、全く進みませんでした。


第104話 電脳ダイブ

 操縦者が気を失い、ISが完全沈黙したことを確認すると、千冬はその場にへたり込み胡座をかいた。痩せ我慢も強がりも限界だ。それらをして見せる相手も気絶したので、遠慮なく気を抜いた。が、その姿に心配する者が一人。

 

「せ、先輩っ。大丈夫ですか?」

「ん……ああ、ああ。大丈夫だ、これくらい。疲れただけだ……」

 

 己の命を救った守護天使に、背中を向けたまま手を上げて応える。今は顔を見せたくはなかった。最後の強がり、ではなく、照れ隠しに近いものだった。それでも、付き合いの長い後輩にはうっすらと察せられた。苦笑する気配を背に、千冬は大きく息を吐く。

 

「……昔を思い出すな」

「そうですね」

「……しかし、(なま)ったかな。トレーニングを怠ったつもりも、衰えるような年齢でもないんだが」

「毎日、生徒さんのお相手で精一杯ですから。自分のことだけ頑張っていられた頃みたいには行きませんよ」

「……そうだな」

 

 戦闘後にしてはやけに穏やかな気持ちで、二人はしばし語った。最後の一仕事前の、ささやかな休憩だった。

 そこに、固い床を固い何かが引っ掻く音が近付いて来た。咄嗟にライフルを構えようとする真耶を手で制し、千冬は若干呆れを含んだ笑みを音の方向へ向ける。

 破られた隔壁を難儀そうに越えて現れたのは、鉄板に更識楯無を載せて引き摺る井上真改であった。

 

「……おい。こちらには来るなと言っただろう」

「……はて……」

「ふん、不良娘め」

「……くく……」

「……随分派手にやられたな」

「……お互い様……」

「くっく、まったくだ。返す言葉もないよ」

「…………」

 

 真改は通路の惨状を見やり、そこで行われた戦闘がどのような内容であったか、概ね悟る。一方的な暴虐。逃げ続けるばかりの闘争。そこからの、一方的な銃撃。決着は一瞬。手の平の上のように見えて、実際は紙一重の勝負。そういった事もままある。結局のところ、どちらが先に致命の一撃を入れられるか、それが勝負なのだから。

 

「ところで、そいつは大丈夫か」

「…………」

「……そうか」

 

 頷く真改に、千冬は小さく安堵の息を吐く。真改の様子から分かっていたことだ。確認することで不安を払拭した千冬は親指で通路の奥を示す。

 

「疲れているところすまんが、もう一仕事頼む。オペレーションルームへ連れて行ってやってくれ。布仏なら治療出来るだろう」

「…………」

「私のことは心配するな。少し疲れただけだ……明日はひどい筋肉痛だろうが、まあ、慣れたものさ」

「大丈夫ですよ、井上さん。せんぱ……織斑先生には私が一緒に居ますし、他の襲撃して来た人たちも拘束しておきます」

「…………」

 

 真耶の言葉に真改は会釈し、楯無を──楯無を載せた鉄板を再び引き摺り始める。

 

(なんだあれ……)

(なんだろうあれ……)

 

 どうにも気の抜ける光景であったが、二人は何も言わなかった。それだけの余裕はなかった。

 

「……さて。それではさっさと、片付けるとしようか、山田先生」

「そうですね」

 

 山田先生。その呼び名に、一抹の寂しさを覚えながら、顔にも態度にも微塵も出さず、真耶は手を伸ばす。鋼鉄に覆われたその手を、千冬は一瞬も躊躇わずに取り、立ち上がった。その時には既に、千冬は「織斑先生」になっていた。

 

 

 

──────────

 

 

 

「本音……セシリアのバイタルは……どう……?

「んん〜、バイタルには異常ない……かな〜? でも、これは……脳波? 違う、かな……何か、こう、ノイズ? みたいなのが〜」

「……やっぱり」

 

 学園に対するハッキングを迎撃するため、電脳ダイブを行った少女たち。異変はすぐに現れた。少女たちが脳内で見ているモノを、外界からもある程度は共有出来るよう数値化されたモニターに、僅かな乱れを認めたのだ。

 

「……ISの、コアのブラックボックス部分の影響……?」

「……違う。かな〜」

「うん……私もそう思う……」

 

 可能性のひとつとして呟いたそれを、本音は即座に否定した。簪もまた、それは飽くまで可能性でしかなく、今回の原因ではないと思っていた。

 本音はメカニックとして、簪はパイロットとして。ISが自らの主を理由もなく害するとは考えていない。

 

「コアじゃないとしたら……」

「外から、だろね〜」

「……ハッキング? ISに……?」

 

 馬鹿馬鹿しい、と一笑に付したい気分だった。だが無理だ。理性はそれしかないと告げている。

 そも、学園のシステムを支配下に置くような存在だ。学園は言わば電子要塞、その守りを欺く、或いは突破するには、マシンパワーやテクニックだけでは説明がつかない。何か、もっと別の、特異な要素が在るはずなのだ。

 

「……敵、も……電脳ダイブを……?」

「ああ〜、それなら納得できるかも〜」

 

 それならば。否、それしかない。最強の兵器である、ISを用いたハッキング。それはつまり、ISを分かり易い物理的な戦力、或いは抑止力としてではなく、影の刃として、背中を刺す猛毒の短剣として扱うということだ。

 馬鹿げている。だがそれを言うのなら、IS自体が馬鹿げた兵器だ。兵器とは、即ち道具。既にある道具は、発想次第でその価値を大きく変える。新しいISコアが作れない以上、発展の方向性は発想に委ねられるのだ。

 馬鹿げている。そう言って終わってしまえば、発展の道はそこで閉ざされる。不可能ではないのだから、後は実際にやるかどうかでしかない。現に──

 

「……」

 

 簪は悪寒を感じた。ISの発展の方向性。道具を目的に合わせて使い分ける。思いも寄らなかった使い方で、思いも寄らなかった成果を上げる。それは、ISが新たに作れないという大前提に基づいた仮説だ。

 もしも。もしもその大前提を覆されたら。もしもこれが、電子戦に特化したISコアを用いた電子戦機によるものであるとしたら。定めた通りの使い方で、定めた通りの成果を上げたのだとしたら。

 

 道具を、目的に合わせるのではなく。

 

 目的に合わせて、道具を作ったのだとしたら──

 

「かんちゃん!」

「!」

 

 本音の声に我に返る。浅い呼吸と冷えた体、不快な感触を自覚した。汗に

よって、制服が背中に張り付いていた。

 

「っ! ……ごめんっ。もう、大丈夫……」

 

 応える声はまだ震えている。壁に空いた小さな穴を見つけ、何の気なしに覗き込んで見たら、向こう側からも得体の知れない怪物が覗いていた。例えるならばそんな恐怖だった。

 簪は胸に手を当て、瞼を閉じ、深呼吸を繰り返す。いずれ考えなければならない問題には違いない。だがそれは今ではない。今簪たちが考えなければならないことは、敵をどう撃退するかだ。

 

「……本音。まず、敵ハッカーが、ISの電脳ダイブを……使ってるって、仮定しよう」

「うんうん」

 

 それは本音にとっても恐ろしい仮定だ。だが彼女は声にも表情にも態度にも出さない。恐怖は感染することを知っているからだ。ここで本音が恐れてしまえば、それは新たな病原体となって、簪を別の恐怖で蝕むだろう。

 本音はメカニックだ。ハッカー相手に電子戦などできない。この状況ではサポートが限界で、それ以上は簪に任せるしかない。故に本音は、恐怖を呑み込む。

 

「そうすると……多分、学園のファイアウォールは、簡単に突破したと思う……いくら高性能でも、飽くまで普通のコンピュータだから……」

「だよね〜……実際、警報もなにも鳴らなかったし〜」

「セキュリティ……プログラムは、0と1の羅列に過ぎない……一見完璧なセキュリティも、「外から見れば」そうかもしれないけど……電脳ダイブで、プログラムの「中に入る」ことができれば……」

「……まあ、穴だらけだろうね〜」

 

 情報を少しずつ整理していく。簪が思考し、その過程で漏れ出た言葉を拾って、本音が補完する。慣れたものだ。二人は台本を読み上げるようにテンポ良く、「敵」の分析を進めた。

 

「ISでISをハッキングする……実例を聞いたことはないけど、できないはずはないし……実際、今私たちがやろうとしてる事も、ISを使ったハッキングには変わりない……」

「ハッキングする相手もIS、っていうのが、想定外だっただけだしね〜」

「うん……それに、多分……この相手、初めてじゃない。かなり手慣れてる気がする……」

「あ〜、それは私も感じたかも〜」

「だから、問題はこのふたつ……どっちもISなら、いくら電子戦特化でも、五対一はひっくり返せない……と思う」

「……相手も、一機じゃないかも〜?」

「それはない……ほら」

 

 簪はモニターに表示されているログを指す。本音にはよくわからなかったが、しかし言われて見れば、確かに少し不自然なような──そんな程度の、ごく僅かな違和感を覚えた。

 

「電脳ダイブでのハッキングで、ファイアウォールをすり抜けても……痕跡まで、まったく残さずにいられるわけじゃない……指紋や足跡と一緒」

「ふんふん」

「それで……ハッキングには、癖……って言えばいいのかな……ハッカーごとの、特徴があるの。ましてや、電脳ダイブ……プログラムを打ち込んでるわけじゃないから……その癖は、中々隠せないと思う」

「ほうほう」

 

 言いながら、簪はログの中の数ヶ所を次々に指す。ISのログはその量も尋常なものではない。スクロールの速度は最早本音の動体視力では追えないまでになっていた。

 

「ほら、ここと、ここ……あと、ここ。電脳ダイブと仮定して見れば、痕跡は結構、見つけられた……どれも、同じような癖がある」

「ああ〜、痕跡、つまり指紋や足跡が同じということは〜……」

「そう。単独だよ、間違いなく」

 

 本音は努めて平静を保った。こんな、百科事典の誤字探しにも等しい作業を、僅か数分の内にやってのけたのか、と。

 

「マシンスペックそのものが、劣ってるわけじゃないし……何より、数の利があるから……手口さえわかれば、対処できる……はず」

「ならあとは〜、みんなにそれを報せられれば〜」

「うん……少し、遅かった。呼び掛けに応じない……」

「ありゃ〜」

 

 勘付かれたか。いや、外からの干渉をシャットアウトするのはハッキングの定石のひとつだ、単にそれだけ侵攻されたか。どちらにせよ良くない状況だ。迫り来る危機を皆に報せるには、先に敵が敷いたファイアウォールを突破しなくてはならない。

 

「……本音。電脳ダイブの準備を……お願い」

「え?」

「普通の方法じゃ、突破できるかわからない……できても、多分、時間がかかる。敵の狙いがわからないから……手遅れになるかも……だから」

「……うん。わかった〜」

 

 簪の眼には恐れがあった。本音は気付かないフリをして、主の意志を尊重した。簪は電脳ダイブ用の座席に座り、自らにインターフェースを接続・設定する間、本音に万一の際の対処法をレクチャーした。無論、そのような短時間に伝えきるなど到底不可能な内容だが、それでもやるしかないのだ。

 現在、電脳ダイブができる者……即ち専用機持ちは、この場には簪しかいない。あと少し経てば、真改が戻るだろう。だがその少しを惜しむべきであり、そもそも彼女に電脳ダイブによるハッカーの迎撃が可能かと言うと、首をかしげざるを得ない。

 やらねばならぬ。電脳ダイブの前例を簪は聞いたことがなく、あったとしてもごく少数、それも公にはできない内容。ハッキングなど受ければ、実施者やISにどんな影響が出るかわからない。

 やらねばならぬのだ。簪はもう、守られるだけの存在であることをやめたのだから。

 

 

 

──────────

 

 

 

 ふと気が付くと、私は四角い、コンクリートが剥き出しの部屋に居た。椅子に座らされ、手は背もたれの後ろで縛られ、目の前には無人の椅子。直前まで身に付けていた筈の武器やISは没収されている。

 ……直前? おかしい、その直前の記憶がない。私は何か、重要な任務を……

 

「お目覚めか」

 

 女の声がした。私は記憶の確認を中断する。声は、無人の椅子の向こうから。部屋の窓から差し込む明かりの、ちょうど影になっている。

 

「貴様……何者だ? 何が目的だ」

「目的、か」

 

 女は前に出て、椅子の背に手をかけた。明かりが胸の辺りまでを照らす。かなり小柄な女だ。声からしても、私とそう歳は変わらないだろう。

 

「なに、お前と少し話がしたくてね」

「話だと」

「そう。話だ」

 

 窓を見る。鉄格子がはまっている。道具もなしに破ることは不可能だ。ドアは見えないが、定石からすれば女の後ろ。注意深く気配を探り、部屋の中にこの女以外はいないことを確認する。

 

「何が聞きたいのかは知らんが、私が素直に話すとでも?」

「話さないだろうな。だから私が来た」

 

 ドアに鍵が掛かっていないなどということはないだろうし、この女が持っているとも思えない。拘束を抜け女を倒しても、それで脱出とはいくまい。人質にはなるかもしれないが、今は状況に不明点が多すぎる。いくらかでも情報を引き出してから行動するべきか。

 

「ほう? 随分な自信だな。拷問に対する訓練は受けているのだが」

「拷問? そんなことはしない。言っただろう、話をしに来た、と」

 

 どこの勢力か。規模はどの程度か。この施設の構造は。そしてこの部屋はそのどこに位置しているか。知りたいことは山ほどあるが、女の態度はどうにも掴み所がなく、会話のペースを持っていかれている。

 

「ではさっさと話とやらを済ませ、私を解放しろ。私は忙しい」

「そう焦るなよ」

 

 女は椅子をくるりと180°回し、座った。背もたれの上に腕を組んで顎を乗せ、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。

 

 そう。女の顔は、遂に明かりの下に晒された。

 

「……貴様」

「うん? 私の顔に何かついているか? ラウラ・ボーデヴィッヒ」

 

 私の反応を見て、女は益々笑みを深める。実に不快だ。ひどく気分が悪い。腹の中で得体の知れない何かが無遠慮に蠢いているかのような。

 

「……貴様、何者だ」

「くはっ……まさか本気で言っているのか?」

 

 女は吹き出して、次いで呆れたように肩をすくめた。あからさまなオーバーアクション。挑発に近いそれも、私には効果がない。それどころではないからだ。

 

「なあ、本気で言っているのか? まさか本気で、本当に、考えたことはなかったのか?」

 

 女は再び背もたれの上で腕を組み、身を乗り出して、私の顔を覗き込んだ。それは私の顔を見ると言うより、私に自分の顔を見せる為の行動のようだった。

 

「お前は普通に生まれた普通の人間か? 違うだろう? お前は遺伝子強化素体(アドバンスド)だろう? ……なあ。本当は、考えたことがあるだろう?」

 

 そう。女は、見せ付けたのだ。

 

 私のそれと、寸分違わぬ、その顔を。

 

「自分と同じ遺伝子配列の個体──その存在を、考えたことがないとは言わせんぞ」

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。