彼女の渾身の言い訳が始まる――!
一日の授業が終わり、さーてアリーナ行くかーと張り切っていたら、シンがくるりと背中を向けた。
「あれ、シン。今日は訓練しないのか?」
「……急用……」
そう言って、すたすたと去って行くシン。なんだよ、せっかくシャルルの引っ越しの手伝いを断ってまで予定を空けたのに。
「箒、シンの用って知ってるか?」
「いや、私はなにも聞いてないな」
「鈴は?」
「あたしも知らないわよ。……ていうか、シンにだって用事くらいあるでしょ」
「まあ、それはそうなんだけど」
「確かに気になりますが、今は訓練に集中しましょう。……もうあんな無様は晒しませんわ」
さすがに午前のあれは応えたらしい。まあ専用機持ち二人掛かりで訓練機に瞬殺されたら、そりゃ代表候補生としてのプライドが傷付くだろう。
「まったくよ。あたしまで巻き込まないでよね」
「……なにやらわたくしのせいで負けたかのような言い草ですわね?」
「その通りでしょうが」
「……ふ、ふふふ……どうやら鈴さんには、どちらが上か体に教えてさしあげる必要があるようですわね」
「じゃあお言葉に甘えて、教えてもらおうかしら――あたしの方が強いって」
バチバチと火花を散らし始める二人。なんでこうも仲が悪いんだ?
「しばらく終わりそうもないな。……し、仕方ない。二人で訓練するぞ、一夏」
「え? あ、ああ、そうだな、アリーナを使える時間は限られてるしな」
セシリアと鈴は模擬戦を始めてしまったので、箒の提案に乗ることにした。
……ん? 箒の顔が少し赤いな。
「風邪か? 体調が悪いなら無理しない方がいいぞ?」
「い、いや、体は大丈夫だ。なにも問題はない」
「そうか? じゃあ、始めるか」
「うむ。では、参る!」
「行くぜ!」
「「ちょおぉぉっと待ったあぁぁぁっ!!」」
俺と箒が打ち合いを始める寸前、さっきまで激戦を繰り広げていた二人が同時にすっ飛んで来た。
どうした、もう勝負が付いたのか? 引き分けか?
「一夏っ! アンタなにやってんのよ!」
「え? いや、二人とも模擬戦始めたから、俺は箒とやろうと――」
「箒さん! 抜け駆けは許しませんわよ!」
「な、お前たちが勝手に戦い始めたんだろう!」
「「問答無用っ!!」」
「ええい、面倒だ! 二人まとめて斬るっ!」
箒が参戦し、一人取り残される俺。
……え? なに、この状況?
「一夏ぁっ! 何を呆けているっ! 手を貸せ!」
「えぇっ!?」
「何言ってんのよ! 一夏、手伝いなさい!」
「抜け駆けは許さないと言いましたわ! 一夏さん、わたくしに力をっ!」
「どうしろってんだよ!?」
誰かに味方したら、その瞬間他の二人にボコボコにされる予感がした。事態は混迷を極めていて、解決の糸口すら掴めない。
なんでこうなるんだよ、まったく、ああ、こういう時――
「シンがいればなぁ……」
――ギシリ。
急に動きを止める三人。
しかし戦いは終わったと言うのに、闘志だけはどんどん膨れ上がっている。
「……真改は私を応援してくれているというのに……」
「……バカ一夏、シンの気も知らずに……」
「……いくら真改さんでも、これだけは……」
な、なんだ? 何を言ってるんだ? 声が小さくてよく聞こえないぞ?
「おのれ、一夏あぁぁぁっ!!」
「ああもう、あったま来た!」
「わたくしだってぇぇぇっ!」
「うおおぉぉっ!? な、なんだいきなり!?」
「「「うるさあぁぁぁいっ!!」」」
「ぎゃああぁぁぁ!?」
そして始まる猛攻。三人掛かりとかふざけんな、勝負どころか訓練にもならんわ!
しかしそんな思いは届かない。
結局、俺は数分と保たずに襤褸雑巾にされ、今日の訓練は終わった。
――――――――――
「うう、疲れた……」
実際に俺が訓練したのは普段の十分の一にも満たない時間だったと言うのに、体にのしかかる疲労は数倍である。
ちなみに俺をボコボコにした三人は、そのまま俺を放って帰ってしまった。
……友情って、何だろう?
「……ようやく着いた」
廊下が凄まじく長く感じたが、どうにか部屋に着いた。今日はもうダメだ、シャワー浴びて飯食って、さっさと寝よう。
そう考えながらノブを回すが――
「あれ? 鍵かかってる」
シャルルが部屋で荷物整理しているハズなんだが。なんだ、飯にでも行ったか? いや、もしかしたら転入について先生から呼び出されたのかも。IS学園はやたら手続きが多いからなあ。
鍵を取り出して開け、再びノブを回す。すると扉の隙間から、かすかに声が聞こえて来た。
なんだ、シャルルいるじゃん。
「シャルル? なんで鍵かけ……て…………」
――部屋に入ると、床に仰向けになっているルームメイトと、それに馬乗りになっている幼なじみの姿が。
「………………」
「………………」
「………………」
「「「………………………………」」」
………………え?
なにこの状況? どうした? なにがあった?
部屋の扉を確認する。1025号室。うん、間違いない、俺の部屋だ。
シャルルがいるのは問題ない。ここはシャルルの部屋でもあるからな。
けどなんでシンがいるんだ? 急用があるんじゃなかったのか?
――ハッ!? ま、まさか!?
「シンってそういう趣味だったのか……?」
「……否……」
シンにとっても驚きの事態だったのか、無表情のまま硬直していたが、俺が疑問の声をあげるとどうにか動き出した。
シンは溜め息をつき、疲れたように首を振って立ち上がる。
……なんか呆れてないか?
「……なんだこれ? どういう状況だよ? 何があったんだ?」
「…………」
とりあえずこのままだと非常にまずいことになる気がしたので、部屋に入って扉を閉める。
するとシンは無言のまま、まだ床の上で固まっているシャルルのジャージ(なぜかファスナーが下ろされている)の襟を掴み、強引に引っ張って立ち上がらせた。
「きゃあ!」
「おいシン!? なにす……きゃあ?」
なんか今女の子の悲鳴が聞こえたぞ。
誰だ?
シン……は、有り得ないな、うん。
けどあとは俺とシャルルしかここにいないし――
と、そこで。
大きく開いたシャルルのジャージの下に、胸を覆うようになにかが着けられていることに気付いた。
「……なにそれ」
「え? ……ええっと……」
「…………」
するとシンは鋭い目をさらに鋭くしてシャルルを睨む。
「……話すと言った……」
「え? け、けど、一夏には――」
「…………」
「う……わかった、話すよ……」
二人の間になにがあったのかはわからないが、とりあえずシャルルはシンの眼力に負けたようだった。
「あ、あのね、一夏」
「な、なんだ?」
意を決したように、けどどこかためらいがちに、もじもじしながらシャルルが話し出す。
……う、なんか可愛い。シャルルは中性的な顔だからな、男とわかっていても――
「実は僕……女、なんだ」
「へえ」
「…………」
「…………」
「…………へえあ!? え!? 今なんつった!?」
あまりに予想外過ぎる言葉に反応が遅れ、しかも変な声が出た。
お、女? 誰が? え? シャルルが?
「え? マジで? 本当に?」
「うん……本当だよ」
「…………」
混乱から立ち直れない。だって突然すぎる。
今日転校してきたクラスメイトが世界で二人目の男のIS操縦者で、ようやくできたIS学園での同性の仲間で、けど本当は女の子で――
「……なんで、男のフリを?」
――そう、それだ。まずは、それを訊かないと。
「……実家の方から、そうしろって言われたんだ」
「実家……ていうと、デュノア社か?」
「そう。僕の父がそこの社長。その人から直接の命令なんだよ」
「…………」
命令。
その言葉が出た瞬間、シンの気配が鋭くなった。顔は相変わらずの無表情だが、明らかに怒っている。
「命令って……親だろう? なんでそんな――」
「僕はね、一夏。愛人の子なんだよ」
愛人の、子。
フランス最大の企業の社長、その愛人の子。それが何を意味するのか、いくら俺でもわかる。
「二年前に、お母さんが亡くなって。これからどうすればいいんだろうって途方にくれてたら、父がやって来て。……そのまま、引き取られたんだ」
お母さん。
父親を呼ぶ時とはまるで違う、愛情と、尊敬に満ちた声。
それを向ける相手が死んでしまった時、どれほどの悲しみがあったのだろう。
「何がなんだか全然わからないうちに、IS適性の検査をされて。適性が高いことがわかると、あっという間にデュノア社のテストパイロットってことにされてたんだ。非公式の、だけどね」
この時点ですでにおかしい。
検査? 母親を失ったばかりの、実の娘に? それで適性があったから、自分の会社のテストパイロットにしたって?
「父に会ったのは二回くらいかな。最初に引き取られた時と、一度だけ本邸に呼ばれた時。あ、普段は別邸で生活してるんだ」
二回? 二年間で? 仕事が忙しいからとかじゃなく、普段は違う家に住んでるからだって?
「それでその時、本妻の人に殴られちゃってさ。「泥棒猫の娘が!」ってね。びっくりしたよ。お母さんは僕に父親のことなにも教えてくれてなかったから、もうなにがなにやら」
あはは、と愛想笑いをするシャルル。
――やめてくれ。頼むから、そんな顔をしないでくれ。
「それからしばらくは、訓練とか勉強とかをしてたんだけど。……ちょっと、状況が変わっちゃって」
「……デュノア社は、第三世代型ISの開発が上手くいってないんだっけか」
「あれ、よく知ってるね?」
「……勉強、してるからな」
敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。知識は力なり、だ。
「前から苦しくはあったんだけど、それがいよいよ致命的になってきたんだ。フランス政府も、これ以上開発が遅れるようなら援助は出来ないって言い出して、デュノア社は追い詰められた。なんとしてでも、第三世代型を造らなくちゃならなくなった」
「けど、それがどうして男装に繋がるんだ?」
「簡単だよ。世界でただ一人のISを動かせる男と接触するには、同じ男の方が都合がいいからさ」
「……それって、つまり――」
「そう。一夏と、一夏の専用機のデータを盗んでくること。
――それが、あの人が僕に命令したことだよ」
つまりはこういうことか。
会社の経営が上手くいかないから、たまたまIS適性が高かった愛人との子に犯罪行為をさせて、起死回生の一手にしよう、と。
――親である以前に、人として腐ってやがる。
「とまあ、こんなところかな。どうする? 井上さん。学園に報告するの?」
「な……おいシン、どういうことだよ!?」
「…………」
さっきから微動だにしないシンを問い質す。
学園に報告? なんでだよ、シャルルはなにも悪くないだろうが!
「井上さんは、一夏を心配してたんだよ。なにせ一夏には世界中が注目してるからね。男装してまでルームメイトになった僕が、良くないことを企んでるんじゃないかって」
「…………」
肯定はしないが、否定もしない。シンはいつものように、ただ黙ってそこにいた。
「それにどっちにしたって、こんな無茶がバレるのは時間の問題だよ。それまでにデータを盗んで、もっともらしい理由をでっちあげて学園を去る……ていう計画だったんだけど」
「…………」
「まあ結局は、完全に失敗。こうなったら、フランス政府も黙ってないだろうね。デュノア社は潰れるか、良くて他企業の傘下に入るか。僕は……牢屋かな」
まだ十五歳の女の子が、そんな風に人生を諦めていることが、俺には我慢ならなかった。
だから、腹の底から湧き出てくる言葉を飲み込むつもりなんて、有りはしない。
「――ふざけるな」
「……え?」
「ふざけんじゃねぇ。何納得してるみたいな顔してるんだよ、シャルル」
「い、一夏……?」
俺は今、本気で怒っている。
シャルルの父親に対してはもちろん、今はその父親に抗おうとしないシャルルにも、腹が立っていた。
「親に道具扱いされて、無茶なこと命令されて、挙げ句バレたから牢屋行きだ? そんな馬鹿な話があってたまるか。納得なんか出来るかよ。出来るわけねえだろうが」
「……納得出来る出来ないじゃないよ。僕には選ぶ権利がないんだ。……仕方がないよ」
「ふざけんなっ!!」
思わず声を荒げてしまう。俺の怒りは、もはや完全に臨界点を超えていた。
「仕方がない? 仕方がないだって? そんなわけあるか、お前はまだ、何もしてないだろうが!」
「な……」
「嫌だったんだろ? 男のフリするのも、犯罪紛いのことするのも、父親に従うのも! なら抗えよ! 抵抗しろよ! 悪足掻きしろよ! なにもしないでただ言われるままにして、それで仕方がないなんて口にするなっ!!」
感情の爆発に任せて言葉を吐き出す。俺の剣幕に気圧されて、シャルルが怯えていた。
けれど、止まらない。止まるつもりもない。
「だ、だって……僕には、どうすることも……」
「出来なかったって? それ、本当に何も出来なかったのかよ。やらなかっただけじゃないのか?」
「……っ!」
震えながら言葉を紡ぐシャルルに、容赦なく辛辣な言葉を浴びせる。
「なにも出来ないのと、なにもしないのは違うだろ。力の有る無しとか、相手がどうとかは関係ない。やる前から諦めるのは、心が弱いからだ」
シャルルは俯いてしまった。責められるのが怖いのか、それとも苦しいのか、俺と目を合わせようとしない。
――それじゃあ、ダメなんだよ。
「シャルルが言ってることは、全部言い訳だ。お前は、最初から最後まで、諦めてるだけじゃないか」
戦うのは怖い。相手が強大なら尚更だ。それは俺だって変わらないし、きっとシンもそうだろう。
傷付くのが嫌なら、逃げてしまうのも構わないのかも知れない。
「世の中には出来ることと出来ないことがあるなんて知ったようなことを言うヤツは、どいつもこいつも負け犬だ。そんな連中より、不可能だって周りから馬鹿にされながらも、最期まで信じて挑み続けて死んだ人のほうが、よっぽど格好いいぜ」
だけど、逃げてもなにも解決しない。得られる平穏は仮初めで、自分の心には消えることのない後悔が残る。
お前はそんなものを背負い続けて、この先生きてくつもりかよ、シャルル。
「抗えよ、抵抗しろよ、悪足掻きしろよ。なにも変わらないかも知れない。けどこのまま行っても、最悪の結末しかないんだろ。だったら、自分の最期くらい自分で決めろ」
何も変わらないかも知れない。
けど、何かが変えられるかも知れない。
なら、どうせなら、何かやってみた方がいい。
勝てるとは限らない。けれど、負けると決まっているわけでもない。
戦わなくちゃ、そのチャンスすら手に入らない。
前を向かない者に、勝利などないのだから。
「……のさ……」
そして、シャルルの震えが変わった。
怯えから、怒りに。
「なにが分かるのさ」
俯いていた顔を上げ、キッと俺を睨みつける。
「一夏になにが分かるのさ!! なにも知らないクセに、好き勝手言わないでよ!! お母さんが死んじゃって、他に親戚もいなくて、顔も名前も知らない父親に引き取られて!! 抗えとか簡単に言うけど、父は大会社の社長なんだよ!? 僕みたいな小娘一人に、勝てる相手じゃないんだっ!!」
喉が張り裂けんばかりの大声で怒鳴るシャルル。
俺にはそれが、悲鳴に聞こえた。
「なにもしなかっただけだって? そうだよ、その通りだよ、僕はただ諦めただけだよっ!! 怖いから逆らわなかった、嫌な命令にも従った! 戦って負けて、もっとひどい目にあうよりも、初めから戦わないことを選んだんだ!!
だって、僕は――僕は一夏みたいに、「強く」ないんだっ!!」
言い終えて、肩で息をするシャルル。
……やっと、本音を言ったな。
「……だったら、助けを呼べばいい」
「……え?」
「弱いから戦えないっていうなら、一人じゃなにも出来ないっていうなら、誰かに助けを求めればいい。これは受け売りだけどな、「言葉は人類最高の発明」なんだよ」
チラリと、それを俺に言った幼なじみを見る。
まったく、どの口でそんなことを言うんだか。
「言葉にすればなんでも伝わるわけじゃない。けど、言葉にするだけで伝わることもいっぱいある。だからさ、自分じゃどうしようもないなら、「助けて」って言えばいいんだよ」
俺の言葉をポカンと聞いていたシャルルだが、またすぐに俯いてしまった。
「……けど、僕の言葉を聞いてくれる人なんて……」
「いるだろ。少なくとも、目の前に二人」
「え?」
「…………」
またポカンとするシャルルに、ニヤリと笑って見せる。できるだけ、頼もしく見えるように。
「俺は、シャルルの言葉を聞くよ。シンもな。そりゃあ、全部に応えられるわけじゃないけどさ」
「……はあ……」
「む。なんだよシン、溜め息なんかついて」
「…………」
また黙った。お前がそんなだと、俺の言葉に説得力が出ないじゃないか。
「僕の言葉を……聞いて、くれるの……?」
不安げに俺に尋ねるシャルル。
一体どれほど拒絶されて来たのか、彼女は他人を頼ることを恐れるようになってしまったんだろう。その心の傷の痛みは、俺なんかにはわからない。
「ああ、ちゃんと聞くよ。俺は頭悪いから、理解できないこともあるかもしれないけど」
「一夏……」
「だからさ、言ってみろよ、シャルル。お前はどうしたいんだ? 諦めちまっていいのか? このまま終わっちまってもいいのか?」
一人で出来ないのなら、誰かが助けてやればいい。
誰かを頼ることも知らないで苦しんでいる人の、声なき叫びが聞こえたのなら、こちらから手を差し伸べればいい。
――言葉にしなくても伝わることも、確かにあるのだから。
「……嫌だ」
「…………」
「……嫌だよ……」
「…………」
「諦めたく、ないよ」
「…………」
「まだやりたいこと、いっぱいあるよ。やってないこと、いっぱいあるよ。なのにこんな風に終わるだなんて、そんなの嫌だよっ……!!」
「…………」
「……助けて」
「ああ」
「……助けてよ、一夏ぁ……!」
「任せろ。……絶対に、助けてやる」
「……うん……!」
ついに泣き出してしまったシャルルを、そっと抱きしめる。
女の子を抱きしめるのはかなり緊張するが、シンが子供たちを慰めるときよくやってたので真似してみた。
「良く言えたな。……誰かに助けを求めるのだって、立派な抵抗だと思うぜ」
「……うん。……ありがとう、一夏」
そうして俺は、シャルルが泣き止むまで、彼女を抱きしめていた。
――――――――――
「けど、実際どうするの?」
「それなんだけどな。実は明確にどうすればいいか、アテがあるわけじゃないんだ」
「うん、まあ、それはそうだろうね」
「…………」
なにやら呆れたような顔をするシャルル。失敬な、別になにも考えてなかったわけじゃないぞ。
「けど、ここにいればしばらくは大丈夫なはずだ」
「え?」
「特記事項第二一、本学園における生徒はその在学中においてありとあらゆる国家・組織・団体に帰属しない。本人の同意がない場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする」
「……つまり、卒業するまでは、僕のことは学園が守ってくれるってこと?」
「そーいうこと。……啖呵切っといて他人任せってのも、情けない話だけどな」
「そんなことないよ。自分じゃどうしようもないなら誰かに助けを求めればいい、それだって立派な抵抗だって、一夏が言ってくれたんじゃないか」
柔らかく笑いながら言うシャルル。
……なんか、あれだな、男の割に妙に可愛いと思ってたけど、女の子ってわかるとさらに可愛く見えるな。
「けど良く覚えてたね? 特記事項なんて、五十五個もあるのに」
「言ったろ、勉強してるって」
知識は力なり。その言葉の正しさを、改めて実感した。
「あと三年弱は、デュノア社もフランス政府も、シャルルには手を出せない。それだけ有れば、なにかいい方法が見付かるさ」
「楽観的だね、一夏」
「悲観的になってなにもしないよりはマシだろ」
「……うん。そうだね」
後ろ向きになって、逃げるのは構わない。
だが前を向かない者に、勝利などない。
――今のシャルルは、ちゃんと前を向いている。
「仕方なくなんかない。仕方なら、いくらでもある。ただ見つからなかったり、目を背けていたりしてるだけさ」
「……うん。一緒に、探してくれる?」
「ああ。手伝うよ」
「……ありがとう、一夏」
話はついた。三年という時間が十分なのか不足なのかはわからないが、とにかくタイムリミットが決まったわけだ。いつ時間切れになるかわからないような状況より何十倍もマシだ。
――それまでに、シャルルを助ける方法を見つけ出す。そしてそのための人手は、多い方がいい。
「シン」
「…………」
ただ黙ってシャルルの話を聞いていた親友。
相変わらずなにを考えているのかわからない無表情だが、俺はコイツが結構義に厚いヤツだと知っている。シャルルの境遇については、それなり以上に怒りを感じているはずだ。
「俺はシャルルを助けたい。手を貸してくれ、シン」
「…………」
「お願いします、井上さん」
「…………」
俺とシャルル、両方を見てから、シンは真っ直ぐにシャルルの眼を見て、右手を差し出した。
「……井上真改……」
その女の子らしさが全く残っていない、鉄のような右手を、シャルルは感動したような面持ちで、しっかりと握った。
「シャルロット」
シンの眼を真っ直ぐに見返す。
その瞳には、さっきまでの諦観や絶望はない。代わりにあるのは、自分の未来を勝ち取るために戦うという、強い意志だった。
「シャルロット・デュノア。それが、お母さんがくれた、僕の本当の名前」
そう言って浮かべた笑顔は、まるで天使のようだった。
「改めてよろしくな、シャルロット」
「こちらこそよろしく、一夏。けど僕のことはシャルルのままでいいよ。まだ他のみんなには、僕のことはバレてないんだから」
「あー、確かに、うっかりシャルロットって呼んだらまずいよな……。けどせっかく本当の名前を教えてもらったのに、偽名を呼ぶのもなあ」
さて、どうしたもんか……。
「シン、なにかいいアイデアは――」
――マテ、いまなんかビビっと来たぞ。
そうだ、真改をシンって呼ぶなら、シャルロットは――
「……シャル」
「え?」
「シャルって呼ぶのはどうだ? これなら不自然じゃないし、俺も呼びやすいし」
「……うん、いいね! それで行こう!」
なにやら凄く嬉しそうにする、シャルロット改めシャル。
なんだ? 名前を略して渾名にするくらい日本じゃ普通だけど、フランスじゃそういうことしないのか?
「……愚鈍……」
「うおぉい!? なんかすげえセリフ聞こえたぞ今!?」
「…………」
「く、たまに口開いたと思えばグサリとくることばっか言いやがって……」
「……ぷ、ふふふ、あははは!」
突然シャルが腹を抱えて笑いだした。なんだどうした、俺の心が傷付く様はそんなに面白いか。
「二人とも、ほんとに仲がいいんだね」
「うん? まあ、付き合い長いしな」
「…………」
「幼なじみなんだよね? どれくらい経つの?」
「あー、もう十年くらいか。考えてみると、本当に長い付き合いだな」
「…………」
「へえ。それなら、仲の良さも納得だね」
うん、とひとつ頷いて、シャルはシンの方を向いた。
「ねえ、井上さん。僕も井上さんのこと、シンって呼んでもいいかな?」
「…………」
おお? 突然どうした。
「井上さんがいなかったら、僕はまだ一夏を騙し続けていたと思う。もしかしたら、取り返しのつかないところまで行ってたかも知れない」
「…………」
「けど井上さんのおかげで、僕はちゃんと、助けてって言えた」
「…………」
「一夏も井上さんも僕の恩人だけど、それだけじゃ嫌なんだ。僕は、二人と友達になりたい」
「…………」
「だから、僕も一夏みたいに、シンって呼びたいんだ。……ダメかな?」
「…………」
う〜ん、あんなに遠慮がちだったシャルが、随分と攻めるな。男子三日会わざれば刮目して見よと言うが、女子は三日どころじゃないな。
「……好きに呼べ……」
「……! ありがとう、シン!」
「…………」
よかった、二人とも仲良くなれて。最初シンがマウントポジションなんかとってたから、上手くいかないんじゃないかと心配してたけど、これなら大丈夫そうだな。
「……そういやなんであんなことになってたんだ?」
「? あんなことって?」
「いや、俺が部屋入ったとき、シャルにシンが馬乗りになってたじゃん」
「ああ、あれは……」
言いかけて、途端に赤くなるシャル。
……え? なに? マジでなにがあったの?
「し、シンって、意外と強引なんだね……」
「……!?」
おおう、なんだ? 今度はシンが狼狽えだしたぞ?
「思いだしたら、恥ずかしくなってきちゃったよ……」
「…………」
確かに、シャルが本当は女の子だったことを考えると、あのジャージの前が半分以上開いていた格好は、いくらコルセット着けてたと言っても恥ずかしいだろう。
「……シン、なにしたんだよ」
「……確認……」
「いや、それじゃわかんねえって。もっと具体的に」
「…………」
「……シャル?」
「シンったら、部屋に入って来るなりいきなり僕のこと押し倒して、馬乗りになって、ジャージのファスナー開けたんだよ」
「……え」
そ、それは……なんて大胆な……
「なんでそんなことを」
「……確実……」
「いや、そりゃそうだろうけどさ」
「僕が本当に男の子だったらどうしてたの?」
「…………」
「……考えてなかったの?」
「……確信……」
「だったら確認する必要ないじゃん」
「……念のため……」
「つまりちょっとくらいは、間違ってるかもしれないって思ってたんだよね?」
「…………」
俺とシャルの波状攻撃により追い詰められていくシン。
俺にはわかる。その無表情の下では、かなり焦っているだろう。
……ヤバイ、なんか面白い。
「……話は終わった……」
「いや、終わってないから」
「せっかくだからさ、もっと色々聞かせてよ」
「…………」
かなり強引に話を切り上げて逃げようとするシンを捕まえる。
いつもやられてばっかりだからな、たまにはこっちがからかってやらなくちゃ、釣り合いがとれないってもんだ。
――そうして、俺とシャルによるシンいじりは、無言のままキレたシンが俺に飛び膝蹴り(シャイニングウィザード)を叩き込むまで続いた。
……なぜ俺だけ。まあ、シャルが楽しそうだったから、いいけどさ。
Q:喋るの苦手な真改がどうやって言い訳するの?
A:肉体言語