「おはよう、シン」
……ざわ……
教室が静かに震撼した。シャルの身の上話を聞き、協力を約束した翌朝のことである。
「い、い、今、デュノア君……」
「井上さんのこと……シンって呼んだよね……?」
「どういうことなの……」
「…………」
――迂闊。この事態は、予測して然るべきであった。
シャルが転校して来たのは昨日のこと。その翌日に渾名で呼ばれるなど、何かあったと思われるのは当然だ。
「? どうしたの? シン」
「…………」
「ま、またシンって呼んだ……!」
「聞き間違いじゃないよね……」
「何があったの……!?」
ぐぬぅ、このままでは……! おい一夏、助けてくれ、昨日蹴ったことは謝るから、どうにか誤魔化してくれ。
「おはよう、シン。早速シャルと仲良くやってるな」
「……!」
よし分かった、お前は己の敵だ。次があればこの真改、容赦せん。
「さ、さっそく……?」
「ヤってる……!?」
ざわ……ざわざわ……
待て、今発音がおかしい奴が一人いたぞ。
「えーっと……」
教室内の様子がおかしいことにシャルも気付いたようだ。爽やかな笑みをそのままに、素早く思考を巡らせている。
「き、昨日はありがとう、相談に乗ってくれて。やっぱり知らない土地は不安だったから、友達になってくれて嬉しいよ」
「…………」
「な、なあんだ、そんなことか……」
「ああ、私も行けばよかったかなあ……」
ふう、どうにか切り抜けたか。気が利くな、シャルは。一夏とは大違いだ、一夏とは。
「な、なんだよ」
「…………」
非難の目を向ける己に怯んだのか、一夏が一歩退がる。
ふん、まあいい。だが覚えておけよ。
「ちょっと、デュノアさん?」
「はい?」
……しまった、まだセシリアがいた。
「どういうことですの? 真改さんと、随分親しいようですが」
「え? だから、昨日相談に……」
「ええ、それはわかっていますわ。わたくしが言っているのは、真改さんの呼び方についてです」
……そういえばセシリアは、鈴のことは鈴と呼ぶが、己のことは真改と呼ぶな。
「ええっと、一夏がシンって呼んでるのを聞いて、僕も友達になりたいからシンって呼んでもいいかって聞いたら、好きに呼べって……」
「な……」
なにやらショックを受けているセシリア。意味が分からん。
「そ、そんな……幼なじみだけに許されているのではありませんの……?」
「…………」
誰もそんなことは言っていない。
「し、真改さんっ!」
「…………」
「わ、わたくしも……そう呼んで、よろしくて?」
「…………」
別に許可のいることではないと思うのだが。一夏など初めて会った次の日にはシンと呼んでいたしな。
「……好きに呼べ……」
「……! そ、それでは……」
コホンとひとつ咳払いをするセシリア。
……なぜそこまで緊張しているのか。
「……シ……」
「…………」
「……シn」
ガラララ
「席に着け。SHRを始めるぞ」
「…………」
絶妙なタイミングで千冬さんが教室に入ってくる。中断されたセシリアは口を開けた状態で固まっていた。
「オルコット。さっさと席に着け」
「……はい……」
とぼとぼと席に戻っていく。千冬さんはその様子を訝しげに眺めてから、いつも通りの様子で話し始めた。
「欠席者はいないな。ではまず、今日の連絡事項だが――」
まあ、今回は邪魔が入ったが、次の機会はすぐに来るだろう。所詮はただの渾名だ、そう気負うものでもあるまい。
そうして、また一日が始まるのであった。
――――――――――
そして四日後。
結局、今もまだセシリアは己を真改と呼んでいる。何故だ。一度機を逸して恥ずかしくなったのか?
「うーん……なるほど、なんとなくわかったよ」
「え? もう?」
今日は土曜日であり、午前は授業があるが、午後は自由時間になっている。
しかし午後は全てのアリーナが開放されるため、ほとんどの生徒が実習に使う。
かく言う己たちも訓練に来ており、今はシャルとの模擬戦を終えた一夏が問題点の指摘を受けている。
「一夏はさ、射撃武器の特性を理解できてないよね。まあ、白式が接近戦しかできないから仕方ないのかもしれないけど」
「射撃武器の特性……? 確かに俺は使えないけど、その分勉強してるつもりなんだけどな」
「知識として知っているのと、経験して理解しているのとは違うよ。銃弾は狙ったところにまっすぐ飛んで行く……それは誰でも知ってることだけど、それだけじゃ当てられないでしょ?」
「ああ……なんとなく分かる気がする」
「どんな姿勢で撃つのが安定するのか。どんな動きが狙いやすいのか。一見、銃がない一夏には必要ないように見えるかも知れないけど、これがわかってれば逆のこともわかるんだよ」
「……射撃が安定しない姿勢、狙いが付けにくい動き、ってことか」
「そういうこと。一夏はまず近付けなくちゃ話にならないからね。そのためには、「避ける」だけじゃなくて「外させる」ことも必要だよ」
「……なるほど」
シャルの説明に頷く一夏。ようやく教え上手な訓練相手を得て、いつも以上にやる気を見せている。
ちなみに、箒、鈴、セシリアの説明は――
『こう、ずばーっとやってから、がきんっ!どかんっ!という感じだ』
『なんとなくわかるでしょ?感覚よ感覚。……はあ?なんでわかんないのよバカ』
『防御の時は右半身を斜め上前方五度傾けて、回避の時は後方へ二十度反転ですわ』
ひどいものである。ちなみに己は言葉による説明はしていない。ただ只管に打ち合うのみだ。
「けどシンもほとんど射撃武器使わないのに、やたらと上手く避けるよな」
「確かにそうだよね。月影も、狙うっていうより数撃てば当たるって感じの武器だし、かなり近付かないと撃たないし」
まあ昔はマシンガンを使っていたが。
しかしその頃から、射撃は決して上手くなかった。回避技術に関しては特性を把握しているというより、「撃たれた」経験からくるものが大きい。
そしてネクストとISの相違点の中で、己にとって特に重要な要素がひとつある。
「……筋肉……」
「「は?」」
「……体より、先に動く……」
「……えーっと、つまり……」
「筋肉の動きから、動きを先読みしてるってこと……?」
「…………」
そう、パイロットが分厚い物理装甲に包まれているネクストと違い、ISの防御力は殆どが
そしてパワードスーツであるISの動きは操縦者のそれと連動しているので、筋肉の動きや視線から大体の狙いは分かるというわけだ。
ちなみにこの技術は、昔は護衛を務めることも多かったことから身に付いたものである。ISと違い、ネクストは緊急時に咄嗟に展開するような真似はできない。故に、リンクスを殺すのならば生身の時を狙え、というのが常識だったのだ。自然、生身での技術も磨かれる。
「……やっぱとんでもねえな、シンは」
「うん……。僕もそれはどうかと思うよ」
「…………」
失敬な。こんなものは人間が本来持っている機能を最大限使い切っているだけだ。
それよりも、一の鍛錬で十を身に付ける一夏のような「天才」の方が、己からすればとんでもない。
「……ま、まあ、とにかく続けようか。さっきの説明で予想はついてると思うけど、何事も実際にやってみるのが一番だからね。はい、これ」
そう言ってシャルは一夏に、デュノア社製アサルトライフル〔ヴェント〕を渡す。
「一夏にも使えるように
「おう。……こうか?」
「えっと……脇を締めて、それともう少し――」
初めて持つ銃器に四苦八苦している一夏に、シャルが丁寧に教えている。
その様子を眺めている己に、セシリアが話し掛けて来た。
「シ、シン……カイ、さん」
「…………」
だから何故そんなに恥ずかしがっている。
「デュノアさんと、仲がよろしいですのね」
「…………」
確かに仲は良いだろう。シャルは自分の正体を知っているからか一夏と己には心を許しているようだし、己もシャルには好感を持っている。
シャルの身の上話を聞いた時も、彼女が自分で考え選択することを放棄している「人形」であれば別にどうとも思わなかったが、彼女は確かに意志を持ち、そして「助けて」と口にした。
一夏の言う通り、それは抵抗の第一歩だ。決して「人形」のすることではない。
「そうそう、アンタもう噂になってるわよ、シン。転校生のシャルル・デュノアは、あの井上真改にご執心だって」
「…………」
「あの」とはなんだ。そこまで話題になるようなことをしたつもりはないぞ。
「デュノアは相談を聞いてもらったと言っていたな。……本当か? 正直、私にはお前が聞き上手とは思えないんだが」
確かに己は聞き上手ではない。ただ黙っているだけで、上手く相槌を打ったり先を促したりが出来ないからな。
「……やはり、それだけではなかったんだな?」
「まあ、シンは嘘は吐かないけど、ほんとのことを言わないことはあるもんね」
「真改さん……なにがありましたの?」
「…………」
いくら聞かれても話すつもりはない。それを態度で示すべく黙秘を続ける己を見て、鈴がニヤリと笑った。
……なんだ、その不吉な笑みは。
「シンってさあ、デュノアみたいなヤツが好みなの?」
「…………」
案の定というか、予想通りというか。
とにかく鈴の台詞は想定内のものだったので、無言と無表情を貫く。
「な!? なななななぁ――」
しかしセシリアが狼狽えた。成る程、鈴の狙いはこちらか。
「なんていうの? 可愛い系? しっかり者の弟みたいな? シン、弟いっぱいいるもんねぇ。やっぱ母性本能くすぐる子が好きなの?」
「ななななな何をおっしゃってますの鈴さん!?」
「そうよねぇ、シンも女の子だもんねぇ。好きな男の子のタイプくらいあるわよねぇ」
「しししし真改さん!? どうなんですの!?」
「…………」
己への直接攻撃は効果が無いとわかっていたのだろう。鈴はセシリアを中継に使い、間接攻撃を行って来た。
あのれ、小癪な。
「もしかしてデュノアさんも真改さんのことを……!? ああ、わたくしはどうすれば……!!」
「……何もしなくていいんじゃないか?」
箒の的確な助言も耳に入っている様子はない。セシリアの混乱はまだまだ続きそうだった。
――の、だが。
「!? ね、ねえ、アレってもしかして……」
「まさか、ドイツの第三世代型……!?」
「完成していたというの……!?」
アリーナの入り口。
そこにいたのは、黒い装甲に身を包んだ銀髪の少女。
――彼女のことは如月重工に調べてもらった。
ドイツが所持する十機のISの内、三機を配備された、ドイツ軍最強の特殊部隊シュヴァルツェア・ハーゼ、通称〔黒兎隊〕隊長。ドイツ軍が開発した、第三世代型IS、〔シュヴァルツェア・レーゲン〕の所有者。
――ラウラ・ボーデヴィッヒ少佐。
「おい」
ラウラが冷え切った声を出す。その対象は、言うまでもなく一夏だった。
「……なんだよ」
「貴様も専用機持ちとは、都合が良い。私と戦え」
前置きのないラウラの言葉に、一夏が呆れたような顔をする。
「嫌だ。理由がねえよ」
「貴様にはなくても、私にはある」
ラウラの言う理由とは、恐らくは一夏が誘拐された時のことだろう。
第二回モンド・グロッソ決勝戦当日に起きたその事件のせいで、優勝確実とまで言われていた千冬さんは決勝を放棄、一夏の救出に向かった。
彼女の不戦敗は世界を大きく揺るがせたが、しかし誘拐事件のことは伏せられたため、原因不明の決勝辞退ということになっている。
だが、モンド・グロッソ開催国であったドイツは全てを知っている。なにしろ一夏誘拐の折、一夏が捕らわれている場所の情報を掴み、千冬さんに伝えたのがドイツ軍なのだから。
その借りを返すためか、千冬さんはドイツ軍で一年ほど教官をしていた。ラウラとはその頃に知り合ったのだろう。
そしてラウラは千冬さんに憧れ、尊敬し、その経歴に傷が付いた要因である一夏を憎むようになった――
――概ね、こんなところだろう。
「私は、貴様の存在を認めん。貴様がいなければ、教官が決勝を棄権することもなかった」
しかし、ラウラは気付いていない。あの事件により一夏を憎んでいる者は、ラウラだけではない。
――誰より一夏自身が、一夏のことを憎んでいる。
「貴様さえいなければ、教官が大会二連覇の偉業をなしえただろうことは容易に想像できる」
「………………」
負けん気の強い一夏が言い返すこともせずに黙っていることを一体どう勘違いしているのか、ラウラは言葉を続ける。
「貴様さえいなければ、教官は現役を引退することもなく、今も世界最強の座に在り続けていただろう」
「………………」
一夏はラウラと目を合わせず、ガリガリと頭を掻いている。苛立ちをどうにか抑えようとしているようだが、そろそろ限界だろう。
「貴様さえいなければ、教官は――」
「――黙れ」
その声に。
箒が、鈴が、セシリアが、シャルが、そしてラウラまでもが、震え上がった。
声を発した一夏は、彼に似合わぬ無表情で、しかしその眼に底無しの憤怒と憎悪を宿らせて、ラウラを睨み付けている。
「外野が知ったようなことほざいてんじゃねぇよ。お前に言われるまでもない。あの時、俺は被害者じゃなく、加害者だった」
一夏は結局、ほぼ無傷で助けられた。誘拐なぞされれば心に傷を負いそうなものだが、それは誘拐されたこと自体によるものではなかった。
一夏自身は、何も失わなかった。
「分かってる。分かってるんだよ。だからどこかに消えてくれ。今は、お前に付き合う余裕はないんだ」
「…………」
今の一夏は危険だ。今ラウラと戦えば、どちらかが死ぬまで止まらないだろう。
それを、一夏本人も自覚している。
「話は終わりだ。俺はお前とは戦わない」
「……ふん。ならば――戦わざるを得ないようにしてやる!」
「っ!?」
ラウラが漆黒のIS〔シュヴァルツェア・レーゲン〕を戦闘状態に移行させる。ほぼ同時に、左肩に装着された大型のカノン砲が火を噴いた。
「……っ」
ヴオンッ!
一夏の前に躍り出て、起動した月光の刃で砲弾を斬り捨てる。超高熱に焼かれ、音速を遥かに超えていた弾丸はしかし、己に届く前に蒸発した。
「…………」
「貴様……」
今の一夏を戦わせるのは本当にまずい。我を失い、己や千冬さんの声すら届かなくなる可能性がある。
「……シン」
「……鎮まれ……」
「………………」
一夏は大きく深呼吸し、右手で顔を覆うように撫でた。
そして、数秒。
「……ああ。悪い、心配かけた。もう大丈夫だよ」
そうして再び現れた一夏の顔は、まだ多少固くはあったが、いつも通りと言えるものだった。
「……また貴様か。ふん、そんな変態どもの造った玩具で、私の前に立ちふさがるとはな」
「…………」
すまんが、挑発合戦をしようというのなら辞退させてもらう。結果はお前の不戦勝で構わん。
しかしそこで、ラウラは己の左腕を見た。
「……そうか、貴様が……」
「……?」
そう呟いたラウラの眼には、羨望や嫉妬など、様々な感情が複雑に入り乱れている。
一応己もあの事件の関係者であるから、ラウラが己を知っていても不思議ではないが、それだけにしては随分と感情が込められた眼だ。
『そこの生徒! 何をやっている! 学年とクラス、出席番号を言え!』
しばらく睨み合いを続けていたが、騒ぎを聞きつけてやってきたのか、アリーナのスピーカーから担当の教師の声が響く。
「……ふん。今日は引こう」
「…………」
己に対し一体何を思ったのか、ラウラはあっさりと戦闘態勢を解除してアリーナゲートへと去っていく。正直、助かった。今の己では、ラウラを相手に勝てるかは分からない。
「い……いち、か……?」
「うん?」
先ほどの一夏の様子を思い浮かべているのか、怯えたように箒が声をかける。
「だ、大丈夫か……?」
「……ああ、大丈夫だよ」
そんな箒の様子に、一夏も自分が殺気を撒き散らしていたことを思い出したようで、声に罪悪感を滲ませながら返事をする。
「……今日はもうあがるか。アリーナももう閉まる時間だし」
「……そうだな」
「シャル、銃サンキュ。色々と参考になった」
「あ、うん……」
シャルもいつもと違い、返事に快活さがない。セシリアも、一夏を見る眼に怯えが混じっている。
鈴だけは、事件後暫くの間の一夏の様子を知っているからか、それほど動揺してはいなかった。
「あー……じゃあ俺、先にあがるわ。みんな、付き合ってくれてありがとな」
皆の様子の原因が自分であることが分かっているのだろう、一夏は出来るだけ平静を装いながら、アリーナから去っていった。
そして。
「……シン?」
「どういうことですの?」
「一夏の様子、ただ事ではなかったぞ」
「…………」
気になるのは当然だ。あの状態の一夏は、普段とはあまりにかけ離れ過ぎている。
「……あたしが説明するわ」
「……鈴……」
「アンタが自分だけが関係してることじゃないからって、話したがらないのは分かってるわよ。けどそれじゃみんな納得しないわ」
「…………」
確かに、鈴の言うことももっともだ。ならば口下手な己よりも、鈴が話したほうがよかろう。
「……すまん……」
「いいわよ別に。……友達、でしょ」
「…………」
そう言ってもらえると、助かる。
「凰さんは知ってるの?」
「まあね。何度か見たことあるし」
「被害者ではなく加害者だった……一夏さんは、そうおっしゃってましたわね?」
「……どういうことなんだ?」
「順を追って説明するわね。第二回モンド・グロッソの決勝当日のことなんだけど、一夏、誘拐されたの」
「な……!?」
「誘拐!?」
「そしてそれを、決勝を放り出して駆け付けた千冬さんが助け出した」
「……あの決勝辞退の裏に、そんな事情があったんだね」
「けれど確かにそれなら、詳細が明かされないのも納得ですわ」
「ああ。モンド・グロッソ決勝進出者の身内が誘拐され、そのせいで決勝を棄権したなどと知られれば、開催国であるドイツは世界中から責められる」
「…………」
そう、あの事件のことは一般には公開されていない。ただ千冬さんが決勝を棄権したという事実だけが知られている。
そして、当然――その時、己がその場に居たことも、知られてはいない。
「けど実は、千冬さんよりも先に、一夏を助けに行った人がいたの」
「……まさか、それって……?」
「そう、そのまさかよ。一夏と一緒にモンド・グロッソの観戦に行ってたシンが事件に気付いて、すぐに一夏を助けに行った。……そして、誘拐犯たちと戦って、左腕を失った」
「「「……!」」」
己の左腕は、事故で失ったことになっている。真相を知っているのはドイツ軍関係者を除けば、織斑姉弟、鈴と弾、そして孤児院の者たちだけだ。
「……一夏がシンの左腕に対してどう思ってるか、知ってるでしょ?」
「「「…………」」」
クラス代表決定戦の折、堂々と語られた一夏の決意。あの時のことは学園内では有名であり、後に転入して来た鈴やシャルもすぐに知ることとなった。
「今ではあんなだけど、最初はひどかったのよ。……シンのこと「腕なし女」って言ったヤツに、大怪我させるとこだったんだから」
その時は、己が相手を庇う形で割って入りどうにか止めた。
……さもなくば、大怪我どころでは済まなかっただろう。
「それからよ、一夏が強くなることにこだわり出したのは。……ボーデヴィッヒが一夏に色々言ってたけど、あんなのは一夏にとって、言われるまでもないことなのよ」
「「「…………」」」
最愛の姉の経歴に傷を付け、幼なじみに取り返しのつかない怪我を負わせた。そんな自分に対する憎悪こそが、一夏の原動力となっている。
そしてラウラは、千冬さんの決勝辞退についてしか触れなかった。それが、一夏には己の左腕を蔑ろにされたように感じられたのだろう。
鈴が言ったように、一夏は己が左腕を失ってから暫くの間、己に悪口を言った者に対して何度か暴力事件を起こしかけ、そのたびに己や鈴、弾に止められていた。最近ではそれも収まり、安心していたのだが、どうやらまだ続いていたようだ。
一夏はまだ子供だ。それがこれほどまでに強く自らを憎んでいては、心に大きな歪みを抱えることになってしまうだろう。
そのことが、永らく不安だった。しかし――
「だけどまあ、心配しなくても大丈夫でしょ。一夏は頑張って立ち直ろうとしてるし、その成果も出てるし。以前だったら、シンが止める間もなく殴りかかってたわよ。それに、誰にだって触れて欲しくないことくらいあるでしょ? それをああも遠慮なくつつかれたら、誰だってキレるわよ。別におかしなことじゃないわ。
……だから、心配しなくても大丈夫よ。一夏は、バカで鈍感で唐変木で朴念仁な、みんなが知ってるようなヤツだからさ」
「べ、別に心配などしていない!」
「そ、そうですわ! わたくしは一夏さんのことを信じていますもの!」
「うん。さっきの一夏は、ちょっと怖かったけど……誰かのためにあんなに怒れるってことは、優しいって証拠だよね」
「…………」
もう、心配はいるまい。一夏はこんなにも、仲間に恵まれているのだから。
「ま、あたしが知ってるのはこんなところよ。もっと詳しいことが知りたければ、シンか、それか千冬さんにでも訊くことね」
「……いや、十分だ。お前にとってもいい思い出ではないだろうに、話してくれてありがとう、鈴」
「ありがとうございます、鈴さん。……一夏さんの決意には、そのような事情があったのですね」
「そっか……。だから一夏は、あんなに「強い」んだね……」
「…………」
『痛みが人を強くする。傷が人を成長させる。大人の役目は、子供が傷付かないように守ることじゃない。
傷付いた子供が、もう一度立ち上がれるように。真っ直ぐに歩けるように。痛みを、「強さ」と「優しさ」に換えられるように。
そっと、支えてあげることだよ』
唐沢さんが、千冬さんに語った言葉。罪を背負い、自らを罰するように過酷な鍛錬を続ける一夏を見ていられず、姉として一夏にしてやれることを見失ってしまった彼女の、
そして傷付いた子供を支えるのは、同じ子供でもいい筈だ。
――子供たちが、支え合うのも、いい筈だ。
「じゃあ、あたしたちもあがりますか」
「そうだな。早く汗を流したい」
「それでは、デュノアさん。わたくしたちはこれで失礼しますわ」
「あ、うん。じゃあね、オルコットさん。お疲れ様」
「…………」
そうして、己たちも解散する。男のフリをしているシャルだけ男子更衣室に向かい、他は女子更衣室へ。
シャルの背中から、少々寂しそうな雰囲気を感じる。
……いつか、彼女が正体を隠す必要がなくなることを願う。彼女もまた、一夏や己の、仲間なのだから。
――――――――――
『強さとは、戦闘力のことではない。いくら戦闘力が高くとも、それだけでは真に強いとは言えん』
――なぜですか。いかなる敵をも打ち倒す力。それこそが強さではないのですか。
『そんなものは強さの一つにすぎん。本当の強さとはそんなものではないし、答えが一つということもない』
――では、教官は? ブリュンヒルデである貴女こそが、世界最強なのではないのですか?
『戦闘力では、そうかもしれん。だが、私よりも強い者はいくらでもいる』
――理解できません。
『認めたくないだけだろう。……そうだな、一つ話をしてやろう。私よりも強い人間の話をな』
――本当に、そのような者が……?
『そいつは年端も行かない少女だった。……ふむ、考えてみれば、お前とも同い年だな』
――そんな子供が、教官よりも強いと?
『ああ。以前から強いとは思っていたが、想像を超えていた。……そいつはその時、瀕死の重傷を負っていた。左腕を失っていて、ISどころか武器もなく、血を流し過ぎて目もまともに見えてなかっただろう』
――そんな状態の者が、強いと?
『ああ、強かった。もっとも、戦闘力という点では話にならん。その時私は暮桜を展開していたし、そもそもそいつは放っておけば確実に死ぬ状態だった』
――ではなぜ、その者が強いと?
『簡単だ。気圧されたのさ、私が。こいつには絶対に勝てないと、理屈なんぞ完全に無視して、魂に思い知らされた』
――そんな、教官が……?
『そうだ。無論、そんなものは錯覚だ。事実あいつは、私が敵ではないと分かった途端に意識を失ったしな』
――理解できません。それではやはり、教官こそが最強ではありませんか。
『わからないか? 勝負にならなかったんだよ。私が怖じ気づいているうちに、時間切れになっただけ――引き分けだ。戦闘力では比較にもならない状態で、引き分けに持ち込んだ。なら、戦闘力以外の「強さ」が、あいつにはあったということだ』
――……理解……できません。
『そのうち分かるようになる。その時は、お前も「強く」なっているかもしれんな』
――一つだけ、教えてください。
『なんだ?』
――その、教官よりも強いという者は何者なのですか?
『弟の幼なじみでな。度を超して無口な、変わったヤツだが、私は気に入っている。
名前は――』
――――――――――
「井上、真改」
敬愛する教官が、ドイツ軍を去る直前の夢。
夢を見るなどあまりにも久しぶりだったので、目が覚めた瞬間、その時に聞いた名を、呟いた。
「……あの女が」
教官の経歴に傷を付けた男、織斑一夏のことばかりに意識がいって、忘れていた。
あの女は確かに教官から聞いた名であり、左腕がなかった。間違いなく、教官の言う、教官よりも強い者なのだろう。
「…………」
しかし、どうしても理解できない。あの女の戦闘記録を見たが、見るべきものは接近戦の技術くらいで、とても教官よりも強いとは思えない。私でも勝てるだろう。
――なのに。
「……何故だ」
あの女のことを話す時、教官が浮かべていた顔。
弟の話をする時に似た顔。
――私は、教官にそんな顔を向けられたことはない。
「……何故、貴様が……!」
織斑一夏を排除する。しかしその前に、あの女が立ちふさがるだろう。
――むしろ、好都合だ。
「……認めん」
教官は、あの女が自分より強いと言った。
そんな筈はない。教官は世界最強であり、絶対の力を持つ、完全な存在なのだから。
「私は……認めんぞ」
だから、貴様の「強さ」とやら、この私に示して見せろ。
もしその「強さ」が、教官を誑かす偽物であるのなら、その時は――
「井上、真改――!」
織斑一夏共々、貴様を排除する――
「真改は避けるっていうか食らっても気にせず突っ込んで来るよね?」
言うなよ……分かってる、分かってるから……