それは、ある月曜日の朝のことだった。
「なっ……!? そ、そんなことが……!?」
「ほ、本当なの、その話!?」
「本当だってば! 知らないの? この噂、学園中で持ちきりなんだよ? 学年別トーナメントで優勝したら、織斑君と交際できるんだって!!」
「「…………ごくり」」
鈴とセシリアが息を飲む。
そう、己も今日初めて知ったのだが、現在IS学園内には、まったくの意味不明な噂が流れている。
曰わく、『学年別トーナメント優勝者は、織斑一夏と交際できる』
「…………」
思わず箒を睨む。
先日、一夏に交際を申し込んだと言っていたが、確かその時、学年別トーナメントに優勝したら返事をしてもらうと言わなかったか?
「……何故……」
「……いや、その……そういえば、ちょっと声が大きすぎたような……」
何を他人事のように言っている。完全にお前の失敗だろう。
……しかしそうなると、今になってひとつの不安が首をもたげてきた。
「……文言……」
「え?」
「……なんと言った……?」
「あ、ああ。ええと……『来月の学年別トーナメントに私が優勝したら――」
「…………」
「――付き合ってもらう』」
…………。
………………。
……………………。
…………………………。
………………………………。
……………………………………真剣に、目眩がした。
「……恐らく……」
「え?」
「……通じていない……」
「……はあっ!?」
ガタッと箒が立ち上がる。
「ど、どういうことだ!?」
「……落ち着け……」
「……あ」
教室中の視線が箒に向く。
一夏と交際できるかもしれないという話があがっているところで大声など出せば、注目を集めるのは当然と言える。
――特に。
「……箒?」
「……箒さん?」
「ハッ!? い、いや、なんでもないぞ!?」
この二人は食いつくだろう。もはや箒の弁明などなんの意味もない。
二人は獲物を狙う猛禽のような気配を発しながら(おかげで他の女子たちは怯えて近付いて来なかったが)箒に詰め寄った。
「どういうことか――」
「――説明してくださる?」
「あ、いや、その、えっと、……し、しんか――っていない!?」
む? 呆れのあまり、無意識の内に着席していたらしい。
まあ問題あるまい、鈴とセシリアなら分かるだろう。というか何故箒が分からなかったのかが分からないくらいだ。
「さーあ、教えてもらおうかしらぁ?」
「この噂の、真実を――」
「ひぃ……!?」
――数分後。
「ふうん、そういうこと……」
「ふ、ふふふ……箒さん? 抜け駆けとは、いい度胸ですわね?」
「………………」
洗いざらい吐かされた箒が燃え尽きている。こんな時ばかり凄まじい連携を発揮する鈴とセシリアであった。
「けど、それじゃあダメなんじゃないかなあ……」
「……え?」
「そうですわね。なにせ相手は一夏さんですし……」
「……ど、どういうことだ?」
まだ分からないのか。さては箒、告白に意識が向きすぎて、一夏の朴念神ぶりを忘れているのか?
「だって、一夏よ?」
「『付き合え』と言われても……せいぜいデートくらいにしか思わないのでは?」
「……あ」
ようやく気付いたか。
そう、二人の言う通り、一夏に「付き合え」と言ったところで、それが男女の交際を求めるものとは考えまい。
……正直、逢い引きと思うかも怪しいものだ。そして仮に逢い引きと認識したとしても、そこから交際まで繋げるのは不可能に近い。
「けれど、つまりは――」
「学年別トーナメントで優勝すれば、一夏さんとデートできる、ということですわね?」
「うう……何故こんなことに……」
「……迂闊……」
そしてこの会話は瞬く間に学園中に広がり、噂を書き換えた。
曰わく、『学年別トーナメント優勝者は、織斑一夏とデートできる』と。
己が箒の訓練を手伝う理由が消えた瞬間であった。
――――――――――
「いい加減、男子トイレを用意してくれないかな……」
IS学園は広い。そりゃもう広い。なのに男子トイレは学園内に三カ所しかない。
理由は簡単、IS学園は女子校だからである。教師陣まで女性で固めてあるのだ。ここに居る男は、俺を除けば用務員のおじさんたちくらい。
だから俺がトイレに行くときは、行きも帰りも全力疾走しなければ休み時間中に教室に戻れないのだ。
しかし俺はまだいい方だ。シャルなんて本当は女の子なのに、男子トイレに駆け込まなければならないのだから。
(……連れション行こうぜとか言わなくて本当に良かった……)
自らの自制心を誉め称えながら、尚も走る。
「先生は……いないな」
先日、ある先生から「廊下を走るな!」とお叱りを受けたので、見つからないように周囲を警戒しながら走る。気分は忍者、もしくはスネー――
「なぜですか、教官!」
「……やれやれ」
ふと、曲がり角の先から声が聞こえた。
足を止めてこっそり近づき、耳を澄ませる。その声がこうも気になった理由はただ一つ。
聞こえてきたのが、ラウラと千冬姉の声だったからだ。
「なぜ、だと? 決まっている、私はここの教師だ。生徒の成長を支え、見届けるのが教師の仕事だ」
「ここの者たちのどこに、そんな価値があると言うのですかっ!? 力の象徴、世界のパワーバランスそのものであるISを、まるでファッションかなにかのように……そんな程度の低い者たちのために、あなたの時間を使うなど……!」
……驚いた。あのラウラが、こうまで声を荒げている。
そしてそれは、ラウラが心から千冬姉に憧れていることを意味していた。
ラウラが、千冬姉が俺を助けるために第二回モンド・グロッソ決勝を辞退したことについてあんなに怒っていたのは、千冬姉への想いがそれだけ強いからだ。
(くそっ……俺のせいかよ)
そう、これは、ラウラの怒りは、俺の責任だ。
あの時、俺さえいなければ。
誰も、何も失うことはなかった。
シンだけじゃない。千冬姉も、俺のために多くのものを犠牲にしてきた。
(……怒って、当然だよな)
そして、俺には言い訳のしようもない。ラウラが俺を断罪しようというのなら、甘んじて受け入れただろう。
――以前なら。
(……けど、お前には悪いが、譲れないんだよ)
目標が出来たのだ。
俺の生涯を掛けてでも、叶えたい夢が。
『助けられた命は、失われたもののために使うべきじゃない。遺ったもののために生きるべきだ』
そう言ってくれた人がいたのだ。
だから、もう逃げない。
「そしてあの、井上真改という女……やはり、私には理解できません。あのような者が、教官よりも強いなどと」
(……千冬姉より強い? シンが?)
どういうことだ? ラウラが千冬姉以外の誰かを認めるとは思えないし、ラウラにそんなことを言う人がいるとも思えないし……だとすると、千冬姉が、そう言ったのか?
千冬姉がシンの実力を認めていることは知っていたが、まさか自分よりも強いとまで言っていたとは。確かまだ、シンが千冬姉に勝ったことはなかったと思うが。
「ほう? あいつと戦ったのか?」
「いえ、対峙しただけです。しかしあの女には、教官ほどの威圧感はありませんでした」
ラウラの言葉を聞き、千冬姉がくつくつと笑う。
「それはお前があしらわれただけだ。あいつはあれで孤児院の年長者だからな。ガキの扱いには慣れている」
「な……!?」
千冬姉の言葉にラウラが絶句する。
「ああ、一応言っておくが、年齢のことではないぞ。今のお前の様は、まるきりガキのヒステリーだと言ってるんだ」
「……っ!」
嘲笑うように言う千冬姉。
千冬姉とシンは仲が良い。二人とも黒髪黒眼で鋭い目つきに長身と容姿の共通点も多く、それこそ姉妹のようと言われたほどだ。
そのシンに対するラウラの物言いに、怒りを覚えたのかもしれない。
「私は……認めません」
「好きにしろ。さて、授業が始まるな。さっさと教室に戻れよ」
「………………」
ぱっと声色をいつもの調子に戻した千冬姉に急かされて、ラウラが早足に去って行く。
……と思ったら、なんだかジロリと睨まれたような気配が。
「盗み聞きとは、また特殊な性癖を持っているな」
「ちょ!? よりによってそりゃないだろ千冬ね――」
ばしーん!
「織斑先生だ」
「……はい……」
これはひどい。弟の頭を叩くだなんて、姉のやることか。妹分のことは叩かないクセに。
ばしんばしんばしーん!
「ふむ、弟の頭は実に叩きやすいな。お前もそう思うだろう? 織斑」
「…………はい」
「……井上には黙っておけよ」
それは多分、千冬姉がシンを自分よりも強いと言った(らしい)ことだろう。
元世界最強の意地か?
「いや。……姉貴分の意地さ」
「…………」
愛されてるなあ、シン。
「さて、早く行け。もう授業が始まるぞ」
「わかってるって……」
「遅刻するなよ」
ニヤリと笑いながら言う。その声は「織斑先生」のものではなく、「千冬姉」の時の声だった。
「じゃあ、教室に戻ります」
「おう、急げよ。せいぜいバレないように走れ」
「了解」
そうしてまた、教室に向かってダッシュする。
――その、後ろで。
「……姉貴分、か。よくもまあ、抜け抜けと」
千冬姉の、苦々しい声が、聞こえた気がした。
――――――――――
「あ」
「あ」
「…………」
放課後、もう箒と訓練する必要もなくなったのでセシリアとアリーナに来たところ、鈴と出くわした。
「奇遇ね。あたしはこれから月末の学年別トーナメントに向けて特訓するんだけど」
「奇遇ですわね。わたくしもまったく同じですわ」
「…………」
バチバチと火花を散らす二人。
繰り広げられる女の戦い。
争いとはいついかなる時も醜いものである。
「ちょうどいい機会だし、どっちが上かはっきりさせとくってのも悪くないわね。こないだは決着つかなかったし」
「あら、珍しく意見が一致しましたわ。どちらの方がより強くより優雅であるか、この場ではっきりさせようではありませんか」
「ふ、ふふふふ」
「ふふふ、ふふ、ふふふふふ」
「「うふふふふふふふふふふふふふふ」」
「………」
不気味な笑い声をあげながら対峙する二人。
鈴が双天牙月を、セシリアがスターライトmkⅢを展開し、構える。
……強さはともかく、優雅さについては最下位決定戦になりそうである。
――と、そこへ。
「……ッ!」
ヴオンッ!
「シンっ!」
「真改さんっ!」
突如飛来した超音速の砲弾を斬り捨てる。
弾道を辿ると――否、そんなことをするまでもなく、そこにいるのが誰であるかは分かっている。
漆黒の装甲、ドイツ製第三世代型IS〔シュヴァルツェア・レーゲン〕、登録操縦者――
「ラウラ・ボーデヴィッヒ……!」
怒りの滲んだ、セシリアの声。そして己を庇うように、鈴が前に出る。
「……どういうつもり? いきなりぶっ放すなんて」
とん、と連結した双天牙月を肩に預けながら、鈴は衝撃砲を準戦闘状態へ移行させる。その顔は、獰猛に歪んでいた。
「それも、あたしの友達に向かってなんて。……八つ裂きにされても、文句はないわよね?」
「ちょっと鈴さん、なにをおっしゃってますの? それはわたくしの役目ですわよ?」
「中国の〔甲龍〕にイギリスの〔ブルー・ティアーズ〕か。……ふん、今は貴様たちに用はない」
「「なんですって……?」」
「井上真改」
いきり立つ二人を無視し、ラウラは己を睨みつけた。
「私と戦え」
「…………」
敵意、憎悪、嫉妬……その眼差しには、様々な負の感情が込められている。
……こんな眼は、久しく向けられていなかったな。
「貴様の力とやら、私に示してみせろ」
「…………」
さて。何があったのかは見当もつかんが、ラウラはかなり機嫌が悪いようだ。幼いながらも整った顔立ちが、いつも以上の冷気を放っている。
「さあ、私と戦え、井上真改……!」
「……断る……」
しかしラウラには悪いが、己はラウラと戦うつもりはない。
「……何故だ」
「……無益……」
怒りに任せた今のラウラと戦ったところで、得るものは何もない。なにより、それは己の役目ではない。
「貴様……」
「そんなに戦いたいなら、あたしが相手してあげるわよ?」
「真改さんの手を煩わせるまでもありませんわ」
「…………」
尚も闘志を滾らせるラウラの前に、鈴とセシリアが立ちふさがる。
……気持ちはありがたいのだが。
「……退け……」
「……シン……」
「真改さん……」
「……無用……」
今は退いてくれ。それは、お前たちの役目でもないんだ。
「どういうつもりだ。戦う気になったか?」
「……否……」
「……ふん。専用機を与えられたと聞いていたからどれほどの実力者かと思えば、とんだ臆病者だな」
「…………」
「そんな様で、その機体、どうやって手に入れた? 体でも使ったか? ……ああ、その左腕は、如月の変態どもが好みそうだな」
「……それ以上は、本当に――」
「――ブチ殺すわよ?」
二人から濃密な殺気が放たれる。しかしラウラはまるで気にした様子はない。嘲りの笑みを浮かべ、尚も言葉を続ける。
「よかったな? 傷物に欲情する物好きがいて。専用機が手に入り、体も慰められる。一石二鳥だな?」
「……ああ、もういいわ、アンタ」
「そんな汚らわしい言葉を吐き出す口は、引き千切ってさしあげましょう」
「…………」
完全に戦闘態勢に入った二人の前に出て、右腕と月輪で押しとどめる。
「……退け……」
「……っ! ちょっと、シン!?」
「あそこまで言われて、黙っていろと!?」
「退け」
力を込めて、強く言う。
己の言葉に、二人が俯く。その肩は怒りに震えており、歯を噛み締める音が、大きく響いた。
「……ああ、もう……! アンタって子はっ……!!」
「真改さん、わたくしはっ……!!」
己の様子に、納得行かないながらも退がってくれた。
――その目尻に浮かんだ涙が、不謹慎にも、嬉しかった。
「……すまん……」
「謝るなっ! ぶん殴るわよ!?」
「……ありがとう……」
「そんな言葉が欲しいわけではありませんわ……!!」
「…………」
「ふん……とんだ茶番だな。そうやっていれば誤魔化せるとでも思っているのか? 卑怯者が」
ラウラがそう言うと、シュヴァルツェア・レーゲンのレールカノンが己を狙った。
――警告。ロックオンを確認。
「なら、そのまま消えろ」
「…………」
至近距離からの発砲。並のISならば一撃で墜とすほどの砲弾を、再び月光で切り払う。
「ふん、剣だけは達者だな。ならば――」
三度装填される砲弾。己は月光を構え――ようとして、身体が動かないことに気付いた。
「……!?」
「所詮は近接戦闘特化機。教官ほどの実力があるならばともかく、このシュヴァルツェア・レーゲンの敵ではない」
――解析完了。第三世代型兵器、
見れば、ラウラは己に向けて右手を突き出している。これにより、AICとやらが発動しているのだろう。
「貴様など、この停止結界の前には無力だ」
ガコン、と、レールカノンの装填音が響く。
――その音に、水月の装填音が重なっていることに、ラウラは気付いていないようだった。
「消えろ」
「…………」
ゴウンッ!!
重々しい炸裂音。水月の特殊カートリッジが火を噴き、朧月に馬鹿げた運動エネルギーを与えた音だ。
「なにっ……!?」
AIC――ラウラ曰わく停止結界は、確かに強力な兵器だが、何事にも限界はある。IS自体を弾丸並に加速させる水月を抑え切れるほどの出力はないようだった。もっとも、己の身体にもかなり負担が掛かるので、無駄というわけでもないが。
停止結界の束縛を引き千切り、発射された砲弾を姿勢を下げて回避、ラウラに肉迫する。
「おのれっ!」
シュヴァルツェア・レーゲンの両腕に取り付けられた袖のようなパーツから、高熱のプラズマ刃が伸びる。
接近戦用の武装。それを、ジャブのように鋭く突き出して来た。
「……っ」
月輪を起動し、素早く横に回避。するとプラズマ刃の間合いから逃れた己に向け、鋭い刃が付いたワイヤーが射出された。
その数、六。
「逃がさんっ!」
「……っ!」
複雑な機動を描いて己を囲うそれを、月輪により高速回転しつつ月光で切り払った。
「貴様ぁっ……!」
勢いのまま距離をとり対峙した己を、射殺すかのように睨み付けるラウラ。
朧月の主武装が月光であることは誰が見てもわかる。その月光が届かぬ距離まで自ら離れた己の意図を、正確に読み取ったようだった。
「どうあっても戦わないつもりかっ!」
「……応……」
己の返事に表情を怒りに歪ませ、殺意を剥き出しにし、ラウラが突撃してくる。
「消えろ……消えろ、消えろぉぉぉっ!!」
何がそこまでラウラを駆り立てるのか。
それが分からないままに、己はラウラの猛攻を凌ぎ続けた。
――――――――――
「一夏、今日も放課後は訓練だよね?」
「ああ、もちろんだ。……ええっと、今日開いてるのは――」
「第三アリーナだ」
「「うわぁっ!?」」
廊下をシャルと並んで歩いているところにいきなり予想外の声が飛び込んできて、俺たちは揃って声を上げた。
「……そんなに驚くほどのことか。失礼だぞ」
声の発信元は、いつの間にか横に並んでいた箒だった。声色通り不機嫌そうな顔で、俺たちを睨んでいる。
「お、おう、すまん」
「ご、ごめんなさい。居るって気づかなくて……」
「あ、いや、別に責めているわけではないのだが……」
折り目正しくぺこりと頭を下げるシャルに、さすがの箒も気勢を削がれてしまったようだ。咳払いを一つして、表情を少しだけ和らげた。
「こほん。ともかく、だ。第三アリーナへ行くぞ。今日は使用人数が少ないと聞いている、空間が空いていれば模擬戦も出来るだろう」
おお、それはいいことを聞いた。やっぱり模擬戦は実戦に近い経験値が得られるからな。
……けどなんだ? なんかさっきから廊下が慌ただしくないか? 駆け足してる子も多い。
それも、アリーナに近付くにつれて騒がしさが増している気がする。
「なんなんだ? いったい」
「アリーナで何かあったのかな? 先に様子を見ていく? 観客席ならすぐに行けるけど」
「……そうだな、入っていきなり揉め事に巻き込まれでもしたらかなわないし」
「ふむ。この音、どうやら誰かが模擬戦をしているようだな。しかしそれだけにしては随分――」
ヴオンッ!
「あの光は……!」
「月光!?」
「真改か!」
そう、アリーナで戦っていたのはシンだった。そして、その相手は――
「何故だ、何故貴様が――!」
「ラウラ!?」
あの漆黒の装甲、長い銀髪、左目を覆う眼帯……見間違えようがない、俺とシンを敵視している転校生、ラウラ・ボーディヴィッヒだ。
しかし様子がおかしい。いつもの氷のような鉄面皮からは想像もつかないほどに、怒りを顕わにしている。
「認めん、認めんぞ、井上真改っ!」
「……っ!」
対するシンは、よく見れば戦っていない。ただ只管、ラウラの攻撃を避け続けている。
「はあぁぁぁっ!」
ラウラが操るIS、シュヴァルツェア・レーゲンから、ワイヤー状のブレードが射出される。
複雑に動き回りながら迫るそれを、月輪による変則的な機動で回避。
大型のレールカノンのシリンダーが回転し、砲弾が連射される。
最短距離を正確に、超音速で飛来するそれを、月光から伸びる紫色の光の剣で切り捨てる。
ラウラが右手をシンに向ける。
それが何を意味するのかは分からないが、シンは水月と月輪を使い、何かを避けるように高速機動を行った。
「すごい……!」
鈴やセシリアと較べても凄まじい猛攻を、シンは全て避け切っていた。機動力に長けているが扱い難い朧月を縦横無尽に操って、アリーナの中を逃げ続けている。
日頃の訓練の成果を遺憾なく発揮しつつ、しかし決して攻撃を仕掛けようとしない。その素振りすら見せない。
「何故だ! 何故戦わないっ!!」
そんなシンの様子にラウラは益々怒りを強め、攻撃も激しさを増していく。
「……無益……!」
「益はなくとも意味はあるっ!!」
「……不詳……!」
「貴様が知る必要はないっ!!」
しかし一向にシンを捉えられないことに業を煮やしたのか、ラウラの攻撃が次第に荒くなっていく。精度が落ち、シンの回避にも余裕が出てきた。
よし、これなら――!?
「危ないっ!」
「きゃあっ!」
「……っ!」
狙いを外したレールカノンの砲弾が、まだアリーナ内に残っていた女子に迫る。シンは水月を起動、ギリギリその女子の前に立ちふさがって、砲弾を切り捨てた。
アリーナ内にはISを装着している者しかいないが、それでもあのレールカノンの威力は危険だ。一撃で撃墜される可能性もあるし、それでラウラが戦闘を止める保障はない。他人が巻き込まれるのを好まないシンにとっては、当然の判断だろう。
――それを見て、ラウラがニヤリと笑った。
「これで――!」
「えぇっ!? わああっ!?」
不運にもラウラの近くにいた女子にワイヤーを伸ばし、絡める。そしてそれを、振り子のように勢いを付け――
「――どうだっ!」
「うわああああっ!」
「……!」
シン目掛けて、投げ飛ばした。
さらにはその女子にレールカノンを向け、躊躇うことなく発射。シンは投げられた女子を抱えるようにして受け止めつつ、砲弾を月光で切り払う。
そして。
「――捉えた」
「……っ!!」
ラウラが右手をかざすと、シンの動きが止まる。
何が起きたのかは分からない。分かったのは、ラウラがシンに何かをしたということ。
そして――
――抱えられた女子ごと、シンを撃ち抜こうとしているということだけだった。
「――おおおおっ!!」
俺の中で、ナニカが切れた。
白式を展開、同時に零落白夜と瞬時加速を発動、アリーナを覆う遮断シールドを切り開き、中に飛び込む。
未だかつてない速さで行われた一連の動き。
だが間に合わない。
レールカノンの砲弾が装填され、しかしまだシンは動くことが出来ず、ラウラが口元を歪ませ――
――世界が停止した。
無論、そんなものは錯覚だ。止まったのは世界ではなく、俺とラウラだった。
では何故、俺とラウラは止まったのか?
簡単だ。さっきまで逃げ続けていたシンから、一瞬、心臓がその鼓動を停止するほどに、凶悪な殺気が放たれたからだ――
「――――あ――――」
「そこまでっ!!」
アリーナ内に、聞き慣れた声が響く。千冬姉だ。
同時にシンの殺気が初めからなかったかのように霧散し、俺とラウラの硬直が解けた。
「ガキの喧嘩と思って黙って見ていたが、第三者を巻き込んだうえ、遮断シールドまで破られては放ってはおけん。決着は学年別トーナメントでつけてもらおうか」
呆れているというより、苛立っているような表情の千冬姉の言葉。余波にあてられただけの俺と違い、シンの殺気を直接向けられたラウラはまだ茫然としていたが、千冬姉の言葉で正気に戻った。
「はっ……教官が、そう仰るのなら」
しかしそれもまだ完全ではないようだった。ISを解除したラウラに千冬姉が近づき、見下ろすように尋ねる。
「で? 理解できたか?」
「……っ!」
いつもなら千冬姉には即答するラウラが、返事を躊躇う。
……なんだ? なんのことを言ってるんだ?
「ふん。その様子ならば、分かったようだな」
「わ、私は……」
俯くラウラに構わず、千冬姉がアリーナ中に聞こえるように大声で言った。
「そう何度もこんなことをされてはたまらん。学年別トーナメントまで私闘の一切を禁止する。分かったな? では、解散!!」
パンッ! と千冬姉は強く手を叩き、去っていった。ラウラも、心ここに在らずといった様子で去っていく。
「……そうだ、シン! 大丈夫か!? その子は!?」
「……無事……」
ISを解除したシンが、こちらもISを解除した女の子を下ろしながら答える。
……うん、本当に怪我はないようだ。
「どういうことだよ? なにがあったんだ?」
「…………」
シンは黙ったままだ。こいつはこうなると、まず何も話さない。
と、そこへ、近付いてくる二人の姿を見つけた。
「アイツ、いきなりケンカふっかけてきたのよ」
「鈴……」
なにやらもの凄く怒ってる鈴とセシリアだ。
「いきなりって……いきなりか? 何も言わずに?」
「色々言ってましたわ。口にするのもおぞましいようなことを」
……気にはなるが、訊かない方が良さそうな気がする。それくらい二人は殺気立っていた。
「真改! 怪我はないか?」
「シン、大丈夫!?」
「……無事……」
箒とシャルも駆けつけ、シンの無事を確認し、胸をなで下ろした。
「はぁ〜、ありがと、いのっち。助かったよ〜」
あれ? なんか聞き慣れた声が?
「って、のほほんさん!?」
「いや~、びっくりしたよ~」
「…………」
どうやら投げ飛ばされた女子はのほほんさんだったらしい。
……道理で、あの状況でまだあんなとこにいると思ったら。
「むむむ〜? おりむー、失礼なこと考えてない~?」
「はっはっは、そんなまさか」
相変わらず見かけや行動のスローっぷりに反して鋭い。油断ならない人物なのである。
そんなやり取りをしていると、シンがのほほんさんに頭を下げた。
「……すまん……」
「ん~? なにが~?」
いきなりのシンの行動に、さすがののほほんさんも少し戸惑っているようだった。
「……巻き込んだ……」
「……いのっちのせいじゃないよ~」
「…………」
「う~ん……じゃあ、ケーキセットで許してあげるよ~」
「……承知……」
「てひひ、やったあ! ゴチになりま~す!」
おお、シンの扱いを極めている。マジで油断ならんな、のほほんさん。
「……とにかく、もうあがりましょう。真改さんもお疲れでしょうし」
「そうね。このまま訓練しても荒れそうだわ、あたし」
そして据わった目で言う二人がかなり怖い。
……本当になにがあったんだ?
――――――――――
アリーナでの騒動から一時間が経った。
訓練もお開きになってしまい、他にやることもなかったので、ちょっと早いが飯にしようということになった。
今はシャルと一緒に食堂に向かっているところである。
「なんだったんだろうな、さっきの」
「うん……凰さんもオルコットさんも、凄く怒ってたよね」
「……怖くて訊けなかった」
「あれは仕方ないと思うよ……」
あの後、鈴もセシリアも一言も話さずに帰っていった。ニトロ並みに危険な状態だったので、誰も声をかけられなかったのだ。
「ラウラかあ……シンとなにがあったんだかなあ」
「なにかあったっていうより、ボーデヴィッヒさんが一方的に突っかかってる感じだったけど」
そう、シャルの言う通り、シンはなぜラウラがあんなに怒っているのか分かっていなかった。
多分ラウラは、千冬姉を通してシンのことを知っていたのだろう。それは休み時間での二人の会話からも伺える。
「……荒れそうだな、学年別トーナメント」
「大荒れになるだろうね。シンもボーデヴィッヒさんも、間違いなく優勝候補だし」
「まあ、俺だって負ける気はないけど」
そんなことを話しながら歩いていると、なにやら地鳴りが聞こえてきた。
……いや、比喩なんだけど、本当に地鳴りみたいな音だ。
ドドドドドドドドドッ……!!
「な、なんだ? なんの音だこれ!?」
「い、一夏っ! あれ……!」
シャルが指差す方を見ると、そこにはヌーの大移動みたいな迫力がある女子の大群が。
「な、な、な、なんだなんだ!?」
一瞬で飲み込まれる、もとい取り囲まれる俺とシャル。
そして全方位から一斉に、
「織斑君!」
「デュノア君!」
「「は、はい!?」」
「「「「私と組んで!」」」」
「「…………は?」」
いきなりな言葉と状況にビビりまくっている俺たちに、女子一同(百人くらいはいそうだ)が学内の緊急告知文が書かれた申込書を突き出してきた。
「な、なになに……?」
「『今月開催する学年別トーナメントでは、より実戦的な模擬戦闘を行うため、二人組での参加を必須とする。なお、ペアが出来なかった者は抽選により選ばれた生徒同士で組むものとする。締め切りは――』」
「ああ、そこまででいいから! と・に・か・くっ!」
ざざっ! と一斉に手が伸びてくる。
怖い。マジで怖い。さっきの鈴とセシリアくらい怖い。
「私と組もう、織斑君!」
「私と組んで、デュノア君!」
どうしていきなり学年別トーナメントの仕様変更があったかは分からないが、今こうして取り囲まれている理由はわかった。学園で二人しかいない男子とペアを組むべく、先手必勝とばかりに突撃してきたのだろう。
「え、えっと……」
しかし、シャルは本当は女の子なのだ。誰かと組めば当然その人と訓練する時間が増えるだろうし、いつどこで正体がバレてしまうとも限らない。
「…………」
ちらりとシャルを見る。彼女は困ったような顔で集まっている女子たちを見回して、そこで俺と目があった。
「あ……」
一瞬目を逸らして、けどすぐになにかを決意したような顔をして、それから深呼吸をひとつ。
『……一夏』
『なんだ?』
シャルからのプライベート・チャネル。声を出さなくていいので、内緒話にはぴったりだ。
『また、助けてもらって……いいかな?』
『遠慮すんなよ。……仲間だろ』
『うん。……ありがとう、一夏』
シャルは嬉しそうな笑顔を浮かべてから、みんなに聞こえるように大きな声で言った。
「ごめんなさい。誘ってくれたのは嬉しいです。でも僕は一夏と組むことにするよ」
しーん……。
いきなりの沈黙。シャルがすこし後ずさる。が、
「まあ、そういうことなら……」
「他の女子と組まれるよりはいいし……」
「男同士っていうのも絵になrゲフンゲフン」
とりあえず納得してくれたようだ。……なんか一人眼が怖かったが。
女子たちは各々が仕方ないかと口にしながら去っていく。それからまた改めてペア探しが始まったようで、ばたばたとした喧騒が聞こえてきた。
「ふう……」
「なんとかなったね……」
「よく言えたな、シャル」
「……うん。一夏のおかげだよ」
そう言ってはにかむシャルがとても可愛かったので、俺はつい目を逸らしてしまう。
「? どうしたの?」
「い、いや、なんでもないぞ。ただ、シャルが可愛かったから……」
「……え、えぇ!? か、可愛い? 僕が……? ほ、本当に? ウソついてない?」
「ついてないって。……ていうか、なんでそんなに自信なさげなんだよ」
「え? だ、だって……僕って男口調だし、自分のこと『僕』って言うし……」
「別にそれは大したことじゃないんじゃないか? シンや箒も男口調だし、シンに至っては自分のこと『おれ』って言うし」
「え、そうなの?」
「そうなんだよ。滅多に言わないから、あんまり知られてないけどな」
「へえ……けどなんか、シンらしいね」
「だろ? だからシャルも、口調とかそんなに気にしなくていいんじゃないか?」
「うん……そうだね」
シャルも大分前向きになってきた。それを嬉しく思いながら、再び食堂へと歩き出す。
……けど考えてみれば俺、みんなからは男って思われてるシャルに可愛いとか言ったよな、今。
……廊下に誰もいなくて良かった。
――――――――――
さて、そんなこんなで六月の最後の週。今日から一週間かけて、学年別トーナメントが行われる。
その慌ただしさは俺の予想を遥かに超えていて、今こうして第一回戦が始まる直前まで、全生徒が雑務や会場整理、来賓の誘導を行っていた。
「しかし、すごいなこりゃ……」
更衣室で着替えながら、モニターに映る観客席の様子を見る。そこには各国政府関係者やら研究所員やら企業エージェントやらが大勢集まっていて、パンフレット片手にあれこれと話をしている。
「三年生にはスカウト、二年生には一年間の成果の確認、それに一年生は、将来有望な人材のチェック。優秀なIS操縦者はどこも喉から手が出るくらい欲しいだろうからね、学年別トーナメントは毎年このくらいの人が見に来るよ」
「ご苦労なこったな」
あんまり興味なかったから話半分で聞いていたので、返事もおざなりだ。観客席に見覚えのある変態が居たので不機嫌になったのも、理由の一つかもしれない。
「……ボーデヴィッヒさんとの対戦が気になる?」
「まあ、な。ラウラはシンのこと襲いやがったし、俺のことも狙ってるみたいだし」
この先もあんな調子で狙われ続けたら堪ったもんじゃない。早いとこケリをつけたい。
「彼女はおそらく、一年生の中では最強だと思う。必ず勝ち上がってくるよ」
「……シンはどうなんだよ。この間は、一発も食らってなかったろ」
「あれは逃げに徹してたからだよ。あの猛攻を掻い潜って接近するのは、いくらシンでも難しいと思うよ」
冷静なシャルの分析。俺はすぐに熱くなってしまうタイプなので、相方が優秀なストッパーなのは実に頼もしい。
「……さて、こっちは準備できたぞ」
「僕も大丈夫だよ」
お互いにISスーツへの着替えは済んでいて、ISの最終チェックを終えたところだ。
ちなみにシャルのISスーツは男装用の特別製で、ボディラインの肉付きを男のそれに見せる仕組みらしい。
「……そろそろ、対戦表が決まるころかな」
原因は不明だが、突然のタッグ戦への変更により、今まで使っていた対戦表作成システムが正しく機能しなかったらしい。なので今朝から生徒たちが手作りによる抽選クジで対戦表を作っていた。
「一年の部、Aブロック一回戦一組目なんて運がいいよな」
「え? どうして?」
「せっかく気合入ってるんだ。この熱が冷めないうちに勝負したいだろ」
「あはは、一夏らしいね」
ペアが決まってから今日まで二人で何度も特訓を重ねてきたことで、お互いの性格や考え方はかなり把握出来ている。シャルも、俺の猪武者的なところは分かってくれているようだ。
「あ、対戦相手が決まったみたい」
モニターがトーナメント表に切り替わった。俺とシャルは、そこに表示された対戦相手を確認し――
「……うそ……だろ……?」
「……そ……そん、な……」
――揃って絶句した。
発表されたトーナメント表。
一年の部、Aブロック一回戦一組目。
織斑一夏と、シャルル・デュノアの対戦相手は。
ラウラ・ボーデヴィッヒ。そして――
――井上真改
チーム〔月兎〕爆☆誕!!
経緯は次回で。