IS〈イノウエ シンカイ〉   作:七思

26 / 122
新年明けましておめでとうございます。
IS〈イノウエ シンカイ〉をコンゴトモ ヨロシク


第23話 準備

 午前五時。

 七月になり、日の出も大分早くなった。もう十分な明るさとなったIS学園のグラウンドで、己はラウラと対峙している。

 

「はあっ!」

「……っ!」

 

 日課である早朝の鍛錬。今日はラウラも参加していた。

 己の得物は普通の木刀、対するラウラは両手に短い木剣を、ナイフのように持っている。

 

「シッ!」

 

 ラウラが左の木剣を振るう。それを木刀で受けると、右の木剣が己の心臓を目掛けて走る。

 

「………」

「ぐ……!」

 

 ラウラの右肩に前蹴りを叩き込み、それを防いだ。

 身長150センチ足らずのラウラと170センチを越える己では間合いが違う。加えて腕と足だ、木剣の長さを考慮に入れてもまるで足りない。

 

「……っ!」

 

 そのまま足を振り上げ、踵落とし。ラウラは退がってかわしたが、己は足を振り下ろした勢いのままに刺突を繰り出す。

 ラウラは身を屈めてそれを回避、同時に地を蹴って一気に間合いを詰めた。

 そのまま連撃へ。

 

「おおおお!」

「……っ!」

 

 間合いが広いというのは、裏を返せば小回りが利かないということだ。ここまで深く懐に踏み込まれれば、一転してラウラが有利になる。

 加えてラウラの得物は二本、己は腕からして一本しかない。回転の速い連撃を捌き続けるのは容易ではない。

 

 ――まあ、不可能というわけでもないが。

 

「ぬう……!」

「…………」

 

 自分に有利な距離である筈なのに攻めきれず、ラウラの顔に焦りが生まれる。

 

 ……顔に出すな、相手に焦りを悟らせるなど、罠でもなければ自分が不利になるだけだ。

 

「…………」

 

 というわけで、己から罠をかけることにした。

 ラウラの木剣を受けた瞬間、木刀の握りを甘くし、弾き飛ばさせる。飽くまでも自然にやったが、冷静ならば気付く程度。

 だが焦るラウラの目には、好機と写ったようだ。

 

「もらった!」

「…………」

 

 木剣を突き出すラウラ。その動きは大振りで、ラウラの心境を物語っている。

 

 ところで己は、最大の武器は自らの肉体だと思っている。そこに幾ばくかの精神論が混じっていることは否定しないが、確たる理由も当然存在する。人体の破壊に最も適しているのは、同じく人体だからだ。

 

「…………」

「が……!?」

 

 間合いというのは武器の射程距離だ。剣ならば長さが決まっているし、銃ならば直線に真っ直ぐ伸びる。

 間合いを見切ることは戦闘における基礎中の基礎だ。ラウラもそれを重々承知しているだろう。

 

 そこで先程の人体の話に戻る。人間の体は急激に大きさを変えることは出来ないが、しかし手足には関節がある。手だけでも拳と手刀では僅かに間合いが変わるし、肘や膝を使えば拳打や蹴りよりも小回りが利く。そして拳の握り方を始めとする、関節の使い方次第で、種類の違う打撃が繰り出せるのだ。

 

 つまり己がしたのは、近い間合いを更に詰め、ラウラの鳩尾に膝を叩き込んだのである。

 

「ぐ、ふう……!」

「…………」

 

 肺の中の空気が強制的に吐き出され、ラウラの動きが鈍る。

 しかし尚も接近する己に対し、何もしないわけにはいかない。ラウラは再び木剣を振るうが、明らかに切れが悪い。

 己は回し打ち(フック)でラウラの顎を打ち貫き、振り抜きながら腕を折り畳んで側頭部に肘を叩き込んだ。

 

「ぐ……あ?」

 

 ほぼ同時に頭部に二連撃を受け、ラウラの脳が盛大に揺さぶられる。

 脳から体へ送られる信号が一時的に遮断され、カクンとラウラの膝が落ちた。己は悠々と木刀を拾い上げ、ラウラの首に添える。

 

「……王手……」

 

 ラウラは一瞬悔しそうに表情を歪めたが、すぐにふ、と笑い、自らの負けを認めた。

 

「完敗だ。やはり生身では相手にならんか。……流石だ、マスター」

 

 …………その呼び方は止めろ。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「来週は臨海学校ですわね」

「シン、アンタどうすんの?」

「……?」

 

 夕方、食堂でセシリアと鈴に合った。

 仲が悪いクセにどういうわけか一緒に行動していることが多いのは、本当は仲がいいからだろう。

 

 ……何をされるか分からないので、決して口にはしないが。

 

「水着よ、水着。アンタどうせ、学校指定の水着しかないんでしょ」

「それではいけませんわ。せっかくの海なのですから、真改さんの魅力を発揮できる水着を着ませんと」

「…………」

 

 セシリアはどうやら己を真改と呼ぶことにしたらしい。あれから渾名呼びに挑戦してこなくなった。

 

 ……まあそれは置いておくとして、正気か、コイツら? 己に水着など、小夜ですら着せようとしないと言うのに。

 

「……左腕……」

「ええ、わかっていますわ。当然考えてあります」

「安心しなさい。あたしにいい考えがあるわ」

 

 ……何故かは分からんが、その言い方には大いに不安を掻き立てられるんだが。何故かは分からんが。

 

「というわけで、次の日曜、買い物に行くわよ」

「予定を空けておいてくださいね」

「…………」

 

 己の意見は無視か。まあどうせ予定などないから、構わんが。

 

「私も同行しよう」

「な……!?」

「ラ、ラウラ・ボーデヴィッヒ!?」

 

 突然の乱入者。それはラウラ・ボーデヴィッヒ。学年別トーナメントで己の相棒だった少女である。

 

「なんでアンタが来んのよ……」

「お呼びではありませんわよ」

「なに、相棒が買い物に行くと聞こえたのでな。先月の詫びに、代金くらいは私が持とう」

「…………」

 

 己はお前の相棒なのかマスターなのか、そこのところをハッキリさせてくれないか。

 

「……それくらいで済むと思ってんの?」

「真改さんへの侮辱の数々、忘れたわけではありませんわよ?」

「……それについては謝罪する。すまなかった」

 

 そう言って深々と頭を下げるラウラ。素直に謝るとは思っていなかったのだろう、二人は毒気を抜かれたようだ。

 

「償いはする。必ず。……そのための、チャンスをくれ」

「……ま、まあ、そこまで言うのでしたら……」

「そ、そうね。シンはあんまり気にしてないみたいだし、あたしたちだけ騒ぐのも、ねえ……?」

「…………」

 

 ……根はいいやつらなのだが、素直じゃない。

 

「……私の同行を、許してもらえるか?」

「……構わない……」

「そ、そうか! うむ、流石はマスターだ!」

「…………」

 

 …………もう突っ込むまい。人間、諦めが肝心だ。

 

「次の日曜だったな。私も予定を空けておく。……楽しみにしているぞ、マスター」

 

 言うことだけ言ってラウラは去っていった。

 ……以前の周囲全てを拒絶するような雰囲気がなくなったのはいいことなのだろうが。

 

「……なんであんなに懐かれてんのよ」

「……何をしたんですの? 真改さん」

「…………」

 

 いや……そう大したことはしていない筈だが。

 

「まあいいわ。それじゃ日曜、忘れないでね、シン」

「わたくしも楽しみにしていますわ、真改さん」

 

 そう言って、二人も去っていく。

 ……さて、どうするか。せっかくだ、本音も誘うか。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 というわけで、日曜日。あたしたちは駅前で待ち合わせをしているんだけど……。

 

「……遅いな、マスター」

「あなたが来るのが早過ぎなんですわよ」

「アンタもね」

「あなたもでしょう、鈴さん」

「う……」

 

 かれこれ二十分、シンを待っていた。

 せっかく出かけるんだから学園の外で待ち合わせよう、と提案したのは間違いだったかも知れない。

 

 別に待つのは構わない。約束の時間より三十分も早く来たあたしたちが悪いのだから。

 あたしが嫌なのは――

 

「ねえねえ君たち、暇そうだね」

「俺らもちょうどヒマしててさ、一緒に遊ばない?」

「すごい綺麗だねえ、モデルさんかなにか?」

「おい見ろよ、この子人形みたいだぜ! か〜わいい〜!!」

 

 こういう、見るからに頭の足りてない男どもが寄ってくることだ。

 

「……見ればわかるでしょ。待ち合わせしてんのよ」

「え? 相手だれ? 男? 女の子?」

「男だったらサイテーだな、こんなカワイイ子たちを待たせるなんてさ」

「女の子ならちょうどいいじゃん! 俺ら四人だし」

「どちらにしてもお断りします。わたくしはあなた方のような殿方に見合うほど、安くはありませんので」

「そんなこと言わずにさあ」

「俺ら、けっこうイイよ? ここらへんの遊び場は知り尽くしてるし」

「女の子のことも知り尽くしてるし〜。楽しめると思うけどな〜?」

「……下種が」

 

 女尊男卑の世の中になってから男の立場は急激に低くなったけど、逆にそれでいい思いをしている男たちがいる。見た目が良くて女から可愛がられる、いわゆるホストやアイドルのような連中だ。そういうヤツらは女にちやほやされているうちに、自分は女に愛される存在だと勘違いするのだ。

 今あたしたちに言い寄っているバカ男たちも、確かにルックスだけはいい。けどあたしたちは、中身のない綺麗なだけのガラクタなんて興味ない。

 

「……ねえ、どっか行ってくんない? うっとうしいんだけど」

「そう言わずにさあ、ね? 絶対退屈させないからさあ」

 

 ……面倒くさい。もうぶっ飛ばそうかな……。

 そんな危ないことを割と本気で考え出したところで――

 

「お〜、りんりんたちもう来てる〜」

「…………」

 

 間延びした声が聞こえたのでそっちを向くと、本音とシンがこっちに歩いてきていた。

 

「え、なになに? あの子たちが待ち合わせ相手?」

「ヒュ〜♪カワイイじゃん!」

「すげえ、あの背ぇ高いコ、めちゃくちゃキレ……イ……?」

 

 シンを見たバカ男たちの表情が固まる。

 シンは黒いズボンに白い長袖のブラウスという、シンらしい飾り気のない格好をしているけど、整った容姿は人目を惹く。そしてまずは顔を見て、次に全体を見て気付くのだ。

 

 ――空っぽの、左袖に。

 

「う……腕が……」

「やっほ〜、お待たせ〜」

 

 ほわほわした笑顔でとことこ近づいて来る本音に手を振り、出迎える。

 

「気にしなくていいわよ。あたしたちが早過ぎたんだし」

「あれ〜? りんりんナンパされてたの〜?」

「……まあね」

「…………」

 

 シンがバカ男たちを見ると、連中は急に挙動不審になった。

 ……気に食わない。

 

「お、おい……行こうぜ……」

「あ、ああ……」

「あら? わたくしたちを遊びに連れて行ってくださるのではないのですか?」

「二言とは、男らしくないな」

 

 そんな様子のバカ男たちに、ただでさえ不機嫌になっていたセシリアとラウラの機嫌がさらに悪くなった。ちなみにあたしも相当不機嫌だ。

 

「え!? い、いや、やっぱお邪魔しちゃ悪いかな〜、って」

「そ、そうそう! あ、そういや俺用事あるんだった!」

「やっべ、俺もだ! いやあ、忘れてたぜ!」

「じゃ、じゃあそーゆうことで!」

 

 逃げるように――いや、実際逃げていくバカ男たちの背中を睨み付けてから、シンに向き合う。

 

「……不愉快ですわ」

「まったくだ。外見だけの者は、外見しか見ないのだな」

「……ごめん、シン。やな思いさせた」

「……無用……」

 

 確かにシンはこういうことは慣れっこだし気にしないだろうけど、あたしが気にするのだ。シンの内面に触れればシンの良さがわかるのに、大抵の人は左腕がないというだけでシンを避ける。

 ……それが、あたしは気に食わない。

 

「ま〜ま〜、せっかくみんなでお出かけなんだし、楽しく行こ〜?」

「……そうですわね。あんな方たちのことなんて、気にすることはありませんわね」

「ああ、下等生物を相手にする必要はないな。では行くか、マスター」

 

 にへら、と笑う本音のおかげで、場の雰囲気が和らいだ。この子は本当にすごいとつくづく思う瞬間である。

 

「……よし! じゃあ気を取り直して、行くわよ!」

「お〜! しゅっぱ〜つ!」

「…………」

 

 そうしてあたしたちは、駅前のショッピングモール〔レゾナンテ〕に向けて歩き出した。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「ほう……随分大きなショッピングモールだな」

「ここに無ければ市内のどこにも無いって言われてるくらいだからね。交通の中心でもあるし、ここより大きいモールはなかなかないわよ」

「けれどここ、どう見ても駅とくっついてますわよね? 駅前という表現は正しいのですか?」

「……そこは突っ込んじゃいけないとこよ、セシリア」

 

 レゾナンスに到着すると、ラウラがキョロキョロと周りを見始めた。幼いころから軍で育てられたっていうし、こういう場所に来るのは初めてなのかもしれない。

 

「水着売り場は二階だったわね。じゃ、行くわよ」

 

 五人でゾロゾロと歩き出す。

 中学の時はあたしと一夏、シン、それと弾の四人でよく遊びに来ていたので、どこにどんなお店があるのかは大体把握している。多少は入れ替わりがあったみたいだけど、ほとんどは前のままだ。

 

「お〜、あそこのケーキおいしそ〜。あ! あそこのシュークリームも食べたいな〜」

「……さっきから食べ物のことばかりだな」

「ほら、本音さん。ちゃんと前を向いてませんと、迷子になりますわよ?」

「平気だも〜ん。私には、いのっちナビがあるもんね〜」

「…………」

 

 シンにひっついてはしゃいでいる本音だが、よく見るとこの子はシンの左腕を周りからさりげなく隠している。シンは自分がじろじろ見られたり露骨に避けられたりするのはまるで気にしないクセに、それにあたしたちが巻き込まれるのは嫌がっていた。

 それを本音が知っているとは思えないけど……天然ってヤツかしら?

 とにかく本音のおかげで、あたしたちは人目を気にすることなく目的地に着けた。……いや、ほんとすごいわね、この子。

 

「いらっしゃいませ。水着をお探しですか?」

 

 お店に入ると、さっそく品の良さそうな店員が話し掛けて来た。ラウラやセシリアは見るからに外国人なので、このお店に不慣れと考えて案内しに来たんだろう。

 

「そ。この子のね」

「え? ええと……こちらの方ですか?」

 

 あたしがシンを指差すと、店員が困惑する。さすがに真っ正面に立たれれば腕のことに気付くので、それが原因だろう。

 

「そうだけど?」

「なにか問題があるか?」

「ここはお客を選ぶようなお店ですのね」

「ケンカなら言い値で買うぜ〜」

「え、あ、いえ、そのようなことは……」

 

 本音がカタツムリにもよけられそうなシャドーボクシングを始めると、店員はいよいよ困り果てたようだった。それを見たシンが本音の頭に拳骨を落としたあたりで、あたしは店員に助け舟を出した。

 

「大丈夫、あたしこのお店慣れてるから。適当に探すわ」

「あ、はい、かしこまりました。それでは、ごゆっくり」

 

 あからさまにほっとしたような顔をして、仕事に戻る店員。

 チラリと後ろを見ると、シンがほんの少しだけ顔をしかめていた。

 

「……ほら、なに突っ立ってんのよ。なんか着たい水着とかないの?」

 

 いつも通りの口調を心がけて、シンを促す。あたしたちが連れ出したのに嫌な思いをさせたままだなんて、あたしのプライドに関わるのだ。シンには、無理矢理でも楽しんでもらわないと。

 

 そんな思いが伝わったのか、シンもいつも通りの無表情に戻り、短く答えた。

 

「……地味……」

「「「「却下」」」」

「…………」

 

 やっぱりシンにはこういうことは任せられない。ていうか話にならない。

 

 というわけで、急遽会議が開かれた。

 

「やっぱシンには白が似合うと思うのよ」

「なにをおっしゃるかと思えば。青に決まっているでしょう」

「そりゃアンタの趣味でしょうが」

「黒だな。マスターは肌が白い。黒は髪と同じく、良く映えるだろう」

「……むぅ、一理あるわね……」

「ねえねえ、これなんかどお〜?」

「「「却下」」」

「ええ〜!?」

 

 本音がどこからか(本当にどこから持ってきたんだか)ピ〇チュウの着ぐるみみたいな水着を持ってきたので、三人で即座に切り捨てた。泣きべそをかきながら水着を戻しに行く本音を無視し、会議を進める。

 

「黒か。……う〜ん、確かに似合うわね」

 

 近くにあった黒いビキニをシンの体にあててみる。

 ……うん、ラウラの言う通り、白い肌とのコントラストが良く映える。

 

「……うん、じゃあ黒いのを中心に、いくつか試してみましょ」

「では青い水着を見繕って来ますわ」

「話を聞いていたのか?」

「ねえねえ、これはどお〜?」

「「「却下」」」

「ええ〜!?」

 

 今度はヨ〇シーの着ぐるみみたいな以下略。

 

「じゃあこれとこれと、あとこれね」

「…………」

「あ、真改さん、こちらも」

「むう……選ぶ基準がわからん……」

「ねえねえ〜」

「「「却下」」」

「ええ〜!?」

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 ……というわけで、己は試着室に押し込められた。

 足下に置かれた籠の中には十着近い水着が入っている。黒を中心に、青と白が少々。見立てたのは鈴とセシリアで、ラウラはどうすればいいのかわからずにオロオロしており、本音は次々と水着を持って来てはいたが全て却下されていた。

 

(……やれやれ……)

 

 籠の中身をいくつか取り出して見比べてみるが、己にはどれも同じに見える。つまりはどれでもいい。

 だが彼女らはそれでは納得しないだろう。一つくらいは実際に着て見せなければなるまい。

 

「…………」

 

 適当に一つ選んで広げてみる。比較的(飽くまでも比較的、だが)布の面積が広いそれを着てみることにした。

 

「…………」

 

 流石と言うべきか、彼女らは片腕でも楽に着られる水着を選んできてくれたようだ。

 とりあえず、服を脱ぐ。まずは下の水着を履き、次いでサラシを解いた。元々大して大きくもない胸だが、それでもサラシを巻けば外見はさらに小さくなる。

 しかしこの水着は己の体に合っていた。恐らく鈴が選んだのだろう、あいつは己のスリーサイズを知っているからな。

 

(……ふむ……)

 

 試着室に備え付けられた鏡を見る。

 欠けた左腕とそれを覆う包帯以外は、特におかしなところは見当たらない。まあ鈴もセシリアもモデルとして雑誌に載ったことがあるのだから(国家代表候補生には良くあることだ)、水着の見立てくらいはお手の物なのだろう。

 

 ……しかしこの水着、手触りの良い生地といい質素ながら品の良いフリルといい、かなり高価そうな代物なんだが。

 ……代金がラウラ持ちだからと調子に乗ったな、鈴。

 

「……はあ……」

 

 さて、着終えたことだし、御披露目といくか。

 

 ……気は乗らないが。

 

 

 

 そうして試着室のカーテンを開けると、そこには――

 

「……シン?」

「……………………」

 

 ――どういうわけか、一夏が居た。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「えーっと、水着売り場はここだな」

 

 来週の臨海学校に向けて、俺はシャルと駅前のショッピングモール〔レゾナンテ〕に来ていた。

 ここに来れば一度で買い物を済ませられるからな。実に便利だ。

 

「はあああ……」

 

 しかしどういうわけか、シャルは随分落ち込んでいる。ついでになにやら機嫌も悪そうだった。

 

「大丈夫か? 具合が悪いなら、今日は止めとくか?」

「……ううん、具合は大丈夫だよ。他の理由だから」

「他の理由?」

「自分の胸に聞いてみなよ」

「??」

 

 なんだ? 俺はただ、シャルに「付き合ってくれ」って言って誘っただけなんだが……?

 

「ところでシャルも水着を買うのか?」

「そ、そうだね……あの、一夏はさ、その……僕の水着姿、見たい?」

 

 なんだ? 不思議なことを聞くやつだな。泳ぎたいから水着を買いに来たんじゃないのか?

 

「そうだなぁ。せっかくだし泳ごうぜ。俺も海は久しぶりだから、結構楽しみなんだよ」

「そ、そうなんだ。じゃ、じゃあ、せっかくだし新しいの買おうかなっ」

 

 急に元気になるシャル。やっぱり海が楽しみなのだろう。海、スイカ、花火は、日本人の夏には欠かせないからな。シャルはフランス人だけど。

 

「じゃあ、俺は向こうで自分の探して来るよ」

「うん、じゃあまた後で」

 

 ……さて、とは言ったものの、俺の買い物なんてあっと言う間だ。なにせ買うのは男の水着、悩むことなどない。

 手頃な値段の物を適当に手に取り、お会計。所要時間五分。はい終了。

 

「さて、シャルは……あれ? もう来てる?」

「あ、うん。せ、せっかくだから、一夏に選んでもらおうと思って……」

「うん? ああ、いいぜ。俺が役に立つとは思えないけど」

 

 そうは言ったものの、本音を言うとちょっと気が引ける。

 だって女物の水着売り場だぜ? 男が入るのは厳しいものがあるだろ。

 だが友達、そうでなくても女の子の頼みには出来る限り応えたい。これくらいは我慢だ。

 

「じゃ、じゃあ、これなんかどうかな?」

「いいんじゃないか? 良く似合うと思うぞ」

「そ、そう? じゃあ、着てみよっかなっ」

 

 そう言ってすぐ近くの試着室に入っていくシャル。

 その楽しそうな姿はシャルらしい魅力に溢れており、いつも以上に可愛く見えた。

 

(むう……しかしやっぱり、ここは落ち着かない……)

 

 男物とは数も質もまるで違う、色とりどりの水着。……目のやり場に困る。

 

 そんなことを考えていると――

 

「そこのあなた」

「ん?」

 

 キョロキョロと周りを見るが、近くには俺しかいない。となると、この声は俺に向けられていることになるのか?

 

「男のあなたに言ってるのよ。そこの水着、片付けておいて」

「…………」

 

 話し掛けて来たのは名前も知らない女の人だった。

 ……そう、まったく知らない相手だ。

 

 ISが普及してからの十年で世界はあっと言う間に女尊男卑になり、今ではこうして見ず知らずの男に命令する女、そしてそれに従う男はどこでも見かけるようになった。

 けれど、俺は――

 

「自分でやれよ。五体満足なんだ、それくらい出来るだろ」

 

 ……そういうのが大嫌いだ。

 世の中には障害があるのに他人のことまで気にかける人がいるのに、簡単なことをただ面倒だからという理由で他人を使おうとするなど、そういう人たちに対する侮辱に他ならない。

 

「……ふうん、そういうこと言うの。自分の立場がわかってないみたいね」

 

 そう言って女性は警備員を呼ぼうとする。俺には少なくとも警備員のお世話になるような非はないが、今の世の中は女尊男卑、無実の罪で咎められる可能性はそれなりにある。

 ……ふざけた世の中だ。

 

「どうしました?」

「あいつよ、あの男よ! さっさと捕まえて!」

「いや、何もしていない人を捕まえるわけには……」

「ああもう、使えないわね! これだから男はっ」

「……ちっ……」

 

 そんな遣り取りを眺めながら、俺の機嫌は急速に悪化していった。

 ……男女以前の問題だ。こういう人間は、どうあっても尊敬できない。

 

 そんな苛立ちを抱えていると。

 

 しゃっ、と、試着室のカーテンが開いた。

 

 シャルか? と思って音がした方を見ると、そこに居たのは――

 

「……シン?」

「……………………」

 

 見るからに高そうな黒い水着を着た、幼なじみだった。

 

「な……なにしてんだよ」

「……買い物……」

 

 そりゃそうか。

 ……いや、そういうことではなくて。

 

「水着……買いに着たのか?」

「……応……」

 

 シンが着ている水着は、そういうことに疎い俺がみても良い品と分かるものだった。

 失礼とは分かっているが、つい全身をまじまじと見てしまう。

 

 シンは長身のわりには胸が小さい。というか全体的に細い。

 しかし良く鍛えられた体は引き締まっており、健康的な魅力がある。

 

 ……シンが水着を着るなんて、左腕を失ってからは初めてだ。

 それが、妙に嬉しくて。

 

「……うん。似合ってるよ、シン」

「…………」

 

 さっきまで不機嫌だったのに、一瞬で俺の心は喜びに満たされた。

 しかしそれも一転、再び不機嫌になる。何故ならば――

 

「ちょっとあなた! なにして……る……」

 

 さっき俺に命令してきた女性が、シンの姿を見てあからさまに顔色を変えたからだ。

 

「……あ……あなた……」

「なんだよ、文句あんのかよ?」

 

 不機嫌なままに睨み付けると、女性は男への反発心からか、急に強気な態度に戻った。

 

「ふん! 男がこれなら、飼ってる女も女ね!」

 

 そして。

 

「こんな、片腕女」

 

 言ってはならないことを、言った。

 

「………………あ?」

 

 視界が真っ赤に染まる。

 思考が真っ黒に染まる。

 

 今、なんて言った?

 

 今こいつは、この女は、シンのことを――

 

「一夏!」

「…………っ!!」

 

 シンの一喝。

 それで、急速に頭が冷えていく。

 

 今ここで、暴れるのはまずい。

 シンにもシャルにも、店にも迷惑がかかる。

 

 それは、ダメだ。

 

「……悪い。いや、ありがとう、シン」

「…………」

 

 どうにか怒りも収まった。いや、収まってはいないが、大分落ち着いた。

 またなにか言われない限りは、大丈夫だと思う。

 

「ふ……ふん! 躾がなってないわね!」

 

 俺がキレたことにさすがにまずいことを言ったと思ったのか、そう言って女性は去っていった。捨て台詞は忘れずに置いていったが。

 その後ろ姿を見送っていると、連れられて来た警備員さんがぺこりとお辞儀をしてから言った。

 

「……それでは、なにもないようでしたら、私はこれで戻ります」

「あ……すいません、お騒がせして」

 

 わけもわからず呼ばれたこの人にとってはいい迷惑だったろう。それでも、嫌な顔一つせずに持ち場に戻って行く。

 

 ――その、前に。

 

「その水着、とても良く似合っていますよ、お客様」

「…………」

 

 笑顔を浮かべて、心からの言葉を贈ってくれた。

 

 ……そうさ、まだまだ男も、捨てたもんじゃない。

 

「一夏? どうしたの?」

 

 騒ぎが聞こえたのか、シャルが試着室から顔を出す。

 そして周りを見回し、シンを見つけて、

 

「し、シン!? わあ、すごく似合ってるよ!」

「……………………」

 

 言われたシンはそのまま試着室に引っ込んで行ってしまった。

 ……もしかして、照れてる?

 

「…………」

「…………」

「「……ふふっ」」

 

 シャルもそれに気付いたようで、同時に笑い出してしまった。

 

 まったく、素直じゃないなあ、シンも。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「「「「で……出遅れた……」」」」

 

 あたしたちは、ハンガーの影からその様子を見ていた。

 次の水着を選んでいる間に起きた事件。一夏が絡まれているところに颯爽と現れてあの嫌な女を撃退、一夏に借りを作るというシナリオを考えていたのに、シンが収めて(?)しまった。

 

「どうする? 出にくくなったぞ」

「今来たところを装えばいいのでは?」

「けどそれだと間抜けよね……」

「いのっちを助けられると思ったのに〜」

 

 本音はシンにも飛び火したあたりで出ようとしていたが、トロいので出損ねた。変なところで失敗するわね、この子。

 

「っていうか、アレ……」

「……シャルロットさん、ですわね」

「デートだねえ〜」

「おのれ一夏、私という者がありながら……」

「「「……ぐぬぬ……」」」

 

 本音を除く三人で呻く。シャルロットは恥ずかしそうに、けどそれ以上に嬉しそうに、試着した水着を一夏に見せている。

 そんなシャルロットを見て、一夏は――

 

「おりむー、鼻の下伸びてるね〜」

「「「………………」」」

 

 ………………よし。

 

「殺そう」

「やめんか、馬鹿者」

「「「うひゃあああい!!!?」」」

 

 殺意を込めてISを部分展開しようとしたら、すぐ後ろから声をかけられた。

 聞き慣れた声に心底驚きながら振り向くと、やはりそこにいたのは――

 

「お、織斑先生……?」

「凰。決められた場所以外での許可のないISの展開は、校則どころか法律にも違反している。……当然、知っているな?」

「は、はい……」

「知っている上でやろうとしたのか。良い度胸だな」

「ひぃ……」

 

 千冬さんはとても怖い顔であたしを見下ろして――ふっ、と、突然雰囲気を和らげた。

 

「……まあ、今は私も職務時間外だ。今回だけは見逃してやる」

「へ? あ、ありがとうございます……」

 

 どういうこと? あの千冬さんが、違反を見逃すなんて……。

 

「それはですね、織斑先生は嬉しいんですよ」

「や、山田先生?」

「いらしてたんですの?」

「……ひどいです」

「え!? あ、いえ、今のはですね!」

 

 しゅんとなる山田先生、慌てるセシリア。

 しかしそんな山田先生の様子をまるで気にしない、千冬さん大好きっ娘が一人いた。

 

「嬉しい、とは?」

「え、ああ、それはですね……」

「……山田先生。余計なことを言わないで下さい」

「ああ、すみません!」

 

 ……気になる。

 それは他の三人も同じようで、じーっと千冬さんを見詰めている。

 そんなあたしたちの様子に、千冬さんははあ、と溜め息をついて、言った。

 

「随分、久しぶりだったからな」

「「「「え?」」」」

「……あいつが、水着を着るのは」

 

 優しい顔で試着室を見る千冬さん。その中には今、彼女の妹分がいる。

 

 ……なるほど、そういうことか。

 

「あいつが自分から来るとは思えん。お前たちが連れ出したんだろう?」

「「「「…………」」」」

「一応、感謝しておく。……精々、着飾らせてやってくれ」

「は、はい! 任せて下さい!」

 

 俄然気合いが入ってきた。うん、さっきチラッと見ただけだけど、水着は結構似合っていた。

 後は――

 

「さて、じゃあ次、探すわよ」

「ええ、アレですわね」

「……アレ?」

「ふふふ……さすがに水着だけで真改さんを海に連れ出すのは、ね」

「……いのっちは、気にしないと思うけどね〜」

「周りは気にするだろうな。マスターにはその方が辛いだろう」

「そ、だからもう一つ用意するのよ。……大丈夫、我に秘策有り、よ」

 

 いや、本当は秘策ってほど大したもんじゃないんだけどね。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「さて、シンの買い物も終わったし」

「わたくしたちの買い物をしますか」

 

 というわけで、鈴、セシリア、ラウラ、本音も自分たちの水着を買うことにしたわけだが。

 

「しかし水着なんて必要なのか?」

「はあ? なに言ってんの、アンタ?」

「必要に決まっているでしょう。なんのために真改さんの水着を探しに来たと思ってるんですか?」

「私は単にマスターの買い物に付いて来ただけだが」

 

 ラウラの言葉に呆れ顔の二人。ちなみに一夏、シャルロットは既に立ち去り、本音は真改を連れて着ぐるみのような水着の並ぶコーナーに突撃している。

 

「じゃああたしは自分の水着探してくるわ」

「では、わたくしも失礼します。あなたは精々、一人だけ学校指定の水着で臨海学校に行ってくださいな」

「む……」

 

 ラウラはセシリアの言い方が気になった。まるで学校指定の水着で海に行くことが恥であるかのような言い方だったからだ。

 

(むう……一応、訊いてみるか……)

 

 そう決めてラウラは、ISのプライベート・チャネルを開く。

 相手はラウラが隊長を務めるドイツ軍特殊部隊〔シュヴァルツェ・ハーゼ〕の副隊長にしてラウラの頼れるアドバイザー、クラリッサ・ハルフォーフである。

 

『……受諾。クラリッサ・ハルフォーフ大尉です』

「ラウラ・ボーデヴィッヒ少佐だ」

『おお、隊長。どうしました?』

「うむ。すまないが、また訊きたいことがあるのだが」

『はっ、なんなりと』

「助かる。それで訊きたいことなんだが、海において水着はそんなに大事なのか?」

『海? ああ、そういえば来週は臨海学校でしたね。……ふむ。隊長、いかなる作戦においても重要なのは、事前の準備というのは当然御存知ですね?』

 

 当然、そんな基礎中の基礎はラウラも重々承知している。

 

『海においてもそれは同じです。実際に海に行ってからの振る舞いではなく、その前に時間をかけて運動その他によりスタイルを整え、綿密な段取りにより無駄な空き時間が出来るのを防ぎ、自分の容姿や意中の相手の好みに合う水着を用意する。これこそが、海という戦場に臨むための事前準備です』

「なるほど……つまり水着は、装備というわけだな?」

『その通りです。流石は隊長、ご理解が早い。そう、戦場や敵、部隊構成に合わせた最適の装備を整える必要があるように、隊長もご自分に合う水着をご用意しなければなりません。水着は女性の魅力を引き立てる効果的な装備、隊長が意中の相手を落とすには、今回の臨海学校、利用しない手はありません』

「ふむ……」

 

 そこでラウラは考えた。

 海では当然水着を着る。そして水着は女性の魅力を引き立てる装備だと言う。

 ならばやはり、一夏の気を引くには水着の選択も良く考えねばなるまい。

 

「しかしクラリッサ、どんな水着を着ていけば良いのだ?」

『ふむ。隊長は今、どんな水着を所有しているのですか?』

「学校指定の水着一着だ」

『………………話になりませんね』

「な、なに……?」

 

 ラウラは驚愕した。

 まさかここまでハッキリとダメ出しされるとは思っていなかったからだ。

 しかし通信機越しでは流石にラウラも気付かなかった。話にならないとか言いながらラウラのスクール水着姿を妄想したクラリッサが、盛大に鼻血を吹き出していることに。

 

『いいですか、隊長。確かにスクール水着は素晴らしい。隊長にはとても良く似合うことでしょう。しかしそれでは、どうしても――』

「ど、どうしても……?」

『――色物の域を出ないっ!!』

「な……!?」

『スクール水着の魅力は通常の水着のそれとは別の物です。そして今回隊長に必要なのは、スクール水着の魅力ではありません!』

「そ、そうだったのか……危ないところだった……」

 

 自らの愚行を未然に防げたことに、冷や汗と共に安堵するラウラ。そして実感する。やはりクラリッサは頼りになる、と。

 

 ……その信頼を、クラリッサが半分は自らの趣味のために利用していることに、ラウラは気付かない。

 

「で、では、どうすればいいのだ……?」

『失礼ながら申し上げますが、隊長は決して恵まれた体とは言えません。豊満なボディで相手を悩殺、という手は使えないでしょう』

「ぬう……」

 

 それはラウラも自覚していた。ラウラの敬愛する教官、織斑千冬のような見事なスタイルは、ラウラにはない。

 そして一夏はどうやら千冬のような女性が好みのタイプらしいことも、なんとなく分かっていた。

 

「ど、どうしたらいい? 私は、どうしたら……」

『ご安心を。日本には、こんな格言が存在します。曰わく――』

 

 半ば絶望したような顔で狼狽するラウラに、クラリッサが諭すように語りかける。

 

 そして、その口から紡がれた言葉は――

 

『貧乳はステータス』

 

 色々と終わっていた。

 

「な……なんという……!!」

 

 しかしラウラはその言葉に雷に撃たれたような衝撃を受けた。絶望のどん底で一条の光を見つけたような気がした。

 

『そう、隊長にはナイスバディの女たちにはない魅力があります! ならば選ぶ水着は、その隊長だけの魅力を引き出すものですっ!!』

「まったく、お前というヤツは……! クラリッサ! 私はお前の隊長であることを誇りに思うぞ!」

『私も、あなたの部下であることを誇りに思います、隊長!』

 

 そろそろ本格的に洗脳されてきていることに、ラウラはやはり気付かない。

 

『では隊長、私の言う通りの水着をお探し下さい――』

 

 そしてクラリッサの目が、キュピーンと光った。

 

 

 

 




箒は次回活躍します。

ちょっとだけなっ!!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。