海水浴、水着、サーフィン、マリンスポーツ、海釣り、ビーチバレー、王子、メインブースタ、水没、etc.
違和感を覚えなかったあなた。
もう手遅れです。
「真改、起きろ」
「…………」
肩を揺すられ、目を覚ます。
全身に残る疲労のせいか、いまいち意識がはっきりしない。それでも、己を起こした人物が誰かは分かる。
……否。この己が、「彼女」を間違えるなど有り得ない。
「また訓練中に眠ったのか? 前から思っていたんだが、それは寝てるのではなく気絶してるんじゃないのか?」
「…………」
昨日はシミュレーターを使っての訓練をしていたのだが、対ネクスト戦を三十回ほど繰り返したあたりからの記憶がない。そのシミュレーターの記録を確認した「彼女」が呆れ顔になる。
「……馬鹿かお前は。こんな無茶を続ければ、近い内に倒れるぞ」
「…………」
「テストパイロットとはいえ、お前もレイレナードのリンクスだ。出動がかからないとは限らない。いざという時疲れて動けない、なんてことがないように、たまには休め」
「……無用……」
己には休んでいる暇などない。ほんの僅かな時間も惜しんで前に進まなければ、追い付くことなど出来はしない。
……己には、「彼女」のような才能はないのだから。
「……そんな暇はない、という顔だな? 才能がない分、努力で埋めるしかないと」
「…………」
どうやら己の思考など、「彼女」はお見通しらしい。今に始まったことではないが。
「お前にも才能はあるさ。「努力」という才能がな」
「…………」
……何を言うかと思えば。
そんな安い慰めなど、「彼女」からは聞きたくなかった。
「……なんだ? 納得いかないという顔だな?」
「…………」
納得など出来るものか。
己と「彼女」の間には、あまりにも大きな差がある。この差はそのまま己たちの才能の差であり、それを埋めるためにこうして訓練に明け暮れているのだ。
それでも「彼女」の背中は気が遠くなるほど先にあるというのに、「努力という才能」などと言われても、納得など出来る筈がない。
「……そうだな。私は才能とは、他人に真似出来ないことが出来る能力だと思っている」
「…………」
それについては同意する。「彼女」の剣は、「彼女」以外の誰にも真似など出来ない。
「そして私は、お前以上に努力している人間を知らない。私自身、お前以上に努力出来るとは思えない。……そら、やはりお前の努力は、才能と呼べるものだ」
「……詭弁……」
たとえ努力が己の才能だとしても、それが何になる。
努力は、実らなければ意味がないのだから。
「……ふうん。相当深刻なようだな、お前の悩みは」
「…………」
溜め息をついて、「彼女」はジト目で己を睨む。うだうだと悩み続ける己の姿は、よほど無様なものなのだろう。
誇り高い「彼女」は、自分の同僚がそんな様でいることが気に食わないのかも知れない。
しかし「彼女」は、唐突にニヤリと笑みを浮かべた。その顔はまるで、悪戯を思い付いた子供のようで。
「……ふふん。それでは真面目に努力している少年に、お姉さんからご褒美をやろう」
「……?」
言って「彼女」は身を翻し、隣のシミュレーターに乗り込んだ。
コンソールを操作して己のシミュレーターとリンクさせ、ロケーションを設定していく。
「一対一だ。「鴉殺し」の忌み名の所以、身をもって教えてやる」
「……!」
――まさか。まさか、まさか……!
「良く見ておけよ? 真改。
――私の、剣を」
「……応……!」
我ながら現金なものだ。さっきまでの悩みが一瞬で吹き飛んだ。もはや疲労すら感じていない。
代わりにこの身を満たしているのは、途方もない活力。
――「彼女」の剣が、見られる。それも、最も近い場所で。
ならば疲労など、感じている暇すらない――!!
「往くぞ、真改。私の剣を見せるのだ、お前の剣も、魅せてもらうぞ――!」
――――――――――
「真改、起きろ」
「……!」
肩を揺すられ、目を覚ます。
目の前には、長い黒髪を白いリボンで纏めた、幼なじみの姿。
「そろそろ着く――ど、どうした、真改?」
「……?」
どうした、とは?
今は海へ向かうバスの中、居眠りくらいおかしなことではないと思うが。
「……泣いて……いたのか?」
「……な、に……?」
目元を拭うと、確かに濡れている。
……泣いていたのか? 己が?
「……夢を見ていたのか?」
「……夢……」
……夢。
確かに見ていた。遠い昔の夢。
己がまだ、今よりもとても弱くて。
「彼女」がまだ、確たる形を持って、己の前に在った頃の夢。
――この己が、焦りながらも、確かに幸福を感じていた頃の夢。
「…………!」
「し、真改!? どうしたんだ、一体……?」
はらはらと、涙が零れる。
……なんだ? 何故、己は泣いている? 夢とはいえ、「彼女」に逢えたというのに――
「……悲しい夢を、見たのだな」
「……かな……しい……?」
……悲しいのか? 己は。
失ったモノを。
もう二度と、この手に戻らないモノを。
また、目の前にしてしまったから。
「……真改」
「…………」
ふわり、と。
箒に優しく抱き締められた。
いつだったか、己が箒にしたように。
「すまない。私たちは、お前に頼ってばかりだ。お前にも、辛いことや悲しいことがあるだろうにな」
「…………」
「まだまだ私たちは未熟だ。だがそれでも、お前の力になりたい。……たまには、頼ってくれないか」
「…………」
……違う。違うんだ、箒。
これは己の問題、それも、もう終わってしまった問題なんだ。
お前たちには……関係ないんだ。
「……落ち着いたか?」
「…………」
「なにかあれば、なんでも言ってくれ。私たちはいつだって、お前の味方だ」
「…………」
それはもう、ずっと前から知っている。箒は己に頼ってばかりと言うが、己の方こそ、今までずっと救われていた。
もう十分過ぎるくらいに、己の力になってくれている。
「……さあ、もう海に着くぞ。準備を――」
「え、ちょ、ほほほ箒さん!? なにしてますの!?」
「はっ!?」
セシリアの狼狽しきった声が聞こえた。
ちなみに己はまだ箒に抱き締められており、しかもその高校一年らしからぬ胸に顔をうずめる形だ。
……これは……まずい……。
「い、いや、これはだな……!」
「く、真改さんの隣の席になるだけでは飽きたらず、その寝顔を独占し、あまつさえ抱き締めるなどと……!」
「いのっちの寝顔なんて、私も見たことないのに〜」
「それはお前の起きるのが遅いからだろう」
「けど珍しいな、シンが昼間に寝るなんて」
「僕も見たかったなあ、シンの寝顔」
「なになに? 井上さん寝てたの?」
「誰か! 写真撮った人いないの!?」
「く、海なんかに現を抜かしてる場合じゃなかったわ……!」
「なんて迂闊、こんなベストショットを見逃すだなんて……!」
「…………」
急激に騒がしくなる車内。
いや、正確には先ほどから騒がしかったのだが、己が騒ぎの中心になった。
……勘弁してくれ。騒がしいのは、苦手なんだ。
「箒さんっ! いつまでそうしているつもりですの!?」
「次は私が抱きつきま〜す」
「何を言う、私が先だ」
「あ、じゃあ次僕で」
「そんなサービスはありませんっ!! 箒さん、早く離れて下さい!」
「わ、分かった! 離れる! 離れるから落ち着け!」
「ではでは、その隙に、いえ〜!」
「本音さんっ!!」
「じゃあ僕も、いえ〜!」
「い、いえ〜……」
「「「「「いえ〜!!」」」」」
「……なんだこれ?」
本音を皮切りに、次々に突撃してくる一年一組の面々。
もみくちゃにされる己、巻き込まれる箒、虚しく響くセシリアの怒声、激怒した千冬さんによる超高速の連撃、阿鼻叫喚の地獄絵図……。
車内はあっという間に大混乱になった。
いつも通りと言えばいつも通りな光景。それを前にして、いつの間にか、涙は止まっていた。
……騒がしいのは、苦手なんだが。
だがまあ、決して、嫌いというわけではない。
――――――――――
臨海学校の間お世話になる旅館に挨拶を済ませ、割り振られた部屋に荷物を置き、早速とばかりに本音に連れられ更衣室に行って着替え、外に出ると――
「臨っ!」
「海っ!!」
「学っ!!!」
「校っ!!!!」
「「「「海だああぁぁっ!!」」」」
「…………」
凄まじい盛り上がりぶりを見せるIS学園一年一同がそこに居た。砂塵を巻き上げながら砂浜を爆走する少女たちにはまったくついて行けないので、己は肩に担いだビーチパラソルを砂に突き立て、その影に座り込む。
「いのっち、泳がないの〜?」
「…………」
片腕でも泳げるが、特に泳ぐことに魅力を感じない。それよりも、こうして生きている自然を眺めている方がいい。
「じゃあ、私は泳いでくるね〜」
「…………」
そう言って手を振る本音に頷きを返し、見送る。……本音よ、そんな狐かなにかのような着ぐるみを着ていて泳げるのか? いや、着ぐるみの有無にかかわらず、泳げるのかお前は?
しかし、それは己の心配することではあるまい。これだけ人がいるんだ、なんとかなるだろう。本音だしな。
さて、ではのんびりするか、と本格的に腰を落ち着け始めたところで――
「うん、やっぱり似合ってるね、シン」
「…………」
鮮やかな黄色の水着を着たシャルと……なにか良く分からない物体がそこに居た。
「…………」
「…………」
それは複数のバスタオルで全身を覆っており、その下にいるであろう人物を完全に隠していた。
……隠してはいたが、バスタオルで膨らんでいてもなお小柄なそれの中身は、恐らくラウラだろう。
……なにをしているのやら。
「シンは泳がないの?」
「…………」
「あんまり、泳ぐの好きじゃないの?」
「…………」
「う〜ん……じゃあ、泳ぎたくなったら呼んでよ。一緒に泳ご?」
「……承知……」
「うん、じゃあまた後でね。……あ、一夏だ。ほら、行くよ」
「ま、待て、引っ張るな。まだ心の準備が……」
声を聞いた限りでは、ラウラ(仮)の中身はやはりラウラのようだ。前が見えないのだろう、シャルに手を引かれながらよろよろと歩いて行く。
シャルが性別を明かしてから同部屋になった二人は随分と仲良くなったようで、世間知らずなラウラをシャルが良く面倒を見ている。今回も、まあそんなところだろう。
さて、二人も行ったし、今度こそ――
「はあああ……」
「…………」
なにやら重々しい溜め息をつきながらセシリアがやって来た。
そのまま己の隣に座り――
「はあああ……」
「…………」
……なんだ、何があった。鬱陶しいぞ。
「……一夏さんに、サンオイルを塗っていただこうとしたんですが……鈴さんに邪魔されましたわ……」
「…………」
それを己に報告してどうするんだ。再挑戦するにせよ鈴に報復するにせよ、己は協力せんぞ。
「せっかくの海、一夏さんにアピールするチャンスですのに……真改さん、なにかいい手はありませんか?」
「……ない……」
あっても教えん。
その方面における己の基本方針は箒を応援することだからな。最初に応援し始めたのが彼女である以上、裏切るわけにはいかん。
「……落ち込んでいても仕方ないですわね。気を取り直して、もう一度行ってきますわ!」
「…………」
胸の前で両拳をググッと握り締めて気合いを入れ、セシリアが立ち上がる。
そのまま、いつの間にやらビーチバレーを始めていた一夏の下へ歩いて行った。
では、今度こそのんびり――
「ふむ。なかなか似合ってるじゃないか、真改」
「…………」
……やれやれ。己に静かな時間は訪れないのか?
――――――――――
山田先生との仕事の話を終え、束の間の自由時間を満喫するべく海に出る。
私の水着は一夏が選んでくれたものだ。少し気恥ずかしくはあるが、顔には出さない。また山田先生にからかわれかねないからな。
「さて……む?」
海岸をぐるりと見回すと、ビーチパラソルの影で膝を抱えて座る黒髪の少女を見つけた。
あの一件以来、水着どころか半袖の服さえ着なくなった、真改だ。その真改が以前試着室から水着を着て出てくるのを見かけた時は、随分と嬉しかったものだ。
ふ、と小さく笑みを浮かべ、真改のところへ歩いて行く。真改は泳ぐつもりはないようだったが、鋭くも優しげな眼差しで、美しく澄んだ海を眺めていた。
「ふむ。なかなか似合ってるじゃないか、真改」
「…………」
私の声に、ゆっくりと視線を向けてくる。
真改は黒い生地に華美にならない程度のレースが施された、質素ながらも洒落たデザインのビキニを着ており、その上から丈の短い白いパーカーを羽織っていた。
薄手のそれは真改の左腕を隠しつつも細く整ったボディラインはしっかりと分かる造りをしており、丈の下からは臍が、軽く空いた胸元からは黒い水着がチラリと見える。
そしてスラリと長い引き締まった脚は、モデル顔負けの脚線美を描いていた。
「凰の言っていた秘策とやらはそれか。言われてみれば簡単なことだが、確かにお前には良く似合う」
「…………」
真改の隣に腰を下ろして、海を眺める。
こいつとこうして海に来るなど、何年ぶりだろうか。
「……バスの中で、泣いていたな」
「…………」
「お前の涙など、初めて見たが……ご両親の夢でも見たのか?」
真改が泣く理由など、私にはそれくらいしか思いつかない。
真改の両親――井上国貞と、井上和泉。
真改の名は、自分たちの名前に関係するものを付けたのだろう。
真改が孤児院に来てから知り合った私は当然彼らのことを知らないが、真改の部屋に飾ってある写真、無表情の幼子を挟んで幸せそうに笑っているそれを見れば、真改がいかに両親から愛されていたかが分かる。
その頃を、若しくは両親を失った事故のことを夢に見たのではないか、と考えたのだが。
……なにせ、泣いていたのがバスの中だったから。
「……否……」
どうやら、違うらしい。
ならば何故、とは思うが、しかしこれ以上詮索するのも気が引けた。
左腕を失った時ですら気丈に振る舞い続けた真改が泣いていたのだ、よほどのことなのだろう。私の好奇心で思い出させるのは憚かられる。
「……まあ、また泣きたくなったら、誰かの胸でも借りるといい。一夏でもいいし、私でも構わんぞ」
「…………」
真改は無言のまま、首を振ることもしない。
相変わらず何を考えているのか分からない無表情で、ただ静かに、海を眺め続けていた。
――――――――――
青く澄み渡った美しい海を存分に堪能したあと、大広間を三つ繋げた大宴会場での夕食となった。
目の前には膳が置かれ、その上には宝石のような輝きを放つ刺身が並んでいる。
「……見事……」
「うむ、美味い。刺身だけでなく、鍋も和え物も味噌汁も実に美味い。まさに職人技だな」
「うまうま♪」
両隣に座る本音と箒も絶賛している。
昼食も美味かったし、臨海学校でこれほどの物が味わえるとは、IS学園は本当に贅沢である。
「……しかし一夏のやつ、鼻の下を伸ばしおって……」
「…………」
「うまうま♪」
離れた席でちょうど向かい合う形で座る一夏の両隣には、セシリアとシャルの姿があった。
この旅館は何故か夕食時には浴衣着用なので二人も当然浴衣なのだが、鮮やかな金髪でありながらどういうわけか似合っている。
……美人は何を着ても似合うというヤツか?
とにかく、箒は一夏の隣に座れなかったことが悔しいようであり、さきほどからずっと一夏を睨み付けている。
「うぬぬ……」
「…………」
「うまうま♪」
しかめっ面をしながらも箸は止まらず、一夏を睨んだまま手元を見もせずに料理を口に運んでいる。
……何気にすごいな。
「むっ!」
「…………」
「うまうま♪」
箒の目がくわっと見開かれた。一夏が隣に座るセシリアに、「俺が食べさせてやろうか?」と言ったからだ。
一夏の隣に座るために無理して正座を続けるセシリアが(当然その思いに気付く一夏ではない)、先ほどから何度も刺身を取り損ねているのを見かねての発言である。
「おのれセシリア、なんと狡猾な……!」
「…………」
「うまうま♪」
パクパクと食べる速度を上げながら呻く箒。
……セシリアがそこまで考えているとは思えないが。
しかしそこで問題が起きた。セシリアの口に一夏が刺身を運んでいるところを、他の女子に見られたのである。というか見つかって当然だった。
「あー! セシリアずるい!」
「織斑君の隣の席ってだけでずるいのに!」
「ず、ずるくありませんわ!」
「問答無用っ!」
「ていっ!」
「ひゃあああぁぁっ!!?」
セシリアの足を数人掛かりでつつき始めた。顔色が青くなるくらい痺れているところにその攻撃は酷過ぎる。素っ頓狂な悲鳴を上げて倒れるセシリア。
「わあ!? 何してんだよ!」
「この隙にっ!」
「織斑君、私にも食べさせて!」
「あーん!」
帰って来た親鳥に餌をせがむ雛鳥と化した数人の女子がぴーぴーと鳴き始める。
食事中のマナーには厳しいと言われる己だが、しかし黙って見ているだけに留めた。何故ならば――
「お前たち、食事中くらい静かに出来んのか」
「ひぃっ!? お、織斑先生!?」
――己よりも遙かに厳しい人が、この場にいるからだ。
「随分体力が有り余っているようだな。それでは夜も寝付けまい。よし、私がお前たちの安眠に協力してやろう。
……浜を走ってこい。倒れるまで」
ドドドドドド、と効果音が付きそうなオーラを発する千冬さんに睨まれ、蜘蛛の子を散らすように席に戻っていく女子一同。これもいつもの光景である。
「……織斑、騒ぎを起こすな。いちいち鎮めるのが面倒だ」
「……はい」
千冬さんの言葉に大人しく従う一夏。無理もない、あんな鬼神の如き御仁に睨まれれば誰だってそうする。己もそうする。
「というわけで、ごめんな、セシリア。なんとか自分で食べてくれ」
「……ええ、ええ、わかっていますわ。一夏さんは、お姉さんが大事なんですものね」
膨れっ面をしながら言うセシリアに、一夏も罪悪感を覚えたらしい。セシリアに耳打ちをした。
「悪かったって。代わりと言ったらなんだけど……ごにょごにょ」
「……え!? そ、それは……!」
一体なにを言われたのか、セシリアが急に真っ赤になる。
そして足の痺れなどもはや感じていないかのような素早い動きで、一夏の手を両手で包み込んだ。
「はい! か、必ず! 必ずや……!! ですから、少々お待ちになってください!」
「お、おう……?」
満面に幸せそうな笑みを浮かべながら食事を再開するセシリア。
……なんだ、なにを言われた。
「……なんだ? 一体」
「…………」
「うまうま♪~」
……さあな。だが一つだけ、確実なことがある。
――就寝時間までに、もう一騒動ありそうだ。
――――――――――
夕食後。
いきなり千冬さんが話し掛けてきた。
「真改。風呂に入ってこい」
「……?」
本当にいきなりだった。言われずとも、風呂くらい入るが。
「部屋の風呂ではない。大浴場の方だ。今は男子、つまりは織斑の入浴時間だが、あいつはもう上がったからな。今は誰も使っていない。気兼ねなく、温泉に浸かれるぞ」
「…………」
……ふむ、魅力的な提案だ。
元々己は風呂好きなのだが、流石に皆と一緒に大浴場に入るのは気が引ける。だから学園では、部屋の風呂で我慢していたのだが――
「せっかくの温泉だ。堪能してこい」
「…………」
感謝を込めて一礼し、入浴道具を取りに部屋に戻る。
これほどの旅館だ、風呂もさぞ豪勢なことだろう。楽しみだ。
というわけで部屋に戻り準備をしていると、己に話し掛けて来る者が。
「あれ〜? いのっち、どこ行くの〜?」
「む、温泉か? しかし今は一夏が入っている時間だろう」
同部屋の本音と箒である。どうせ己が大浴場に入ることはないと思って聞き流していたが、他の皆はしっかりと説明を聞いていたようだ。
……なんだろう、自分がダメな子になった気がする。
「……上がった……」
「む? ……ああなるほど、そういうことか」
「じゃあ私も行く〜」
「……そうだな、私も邪魔させてもらうか」
「…………」
そして三人で温泉へ。更衣室の暖簾を潜ると、やはり中には誰もいない。
「貸し切りだな。ふふ、存外いい思い付きだったかもしれん」
「わあ、お風呂広〜い! きれ〜!」
「…………」
浴衣を脱ぐ前に風呂を覗きに行った本音が歓声を上げる。ふむ、さらに楽しみになって来たぞ。
「ほら、早く準備しろ、本音。置いて行くぞ」
「ああ〜、しののん待って〜」
「…………」
「いのっちも待って〜」
がらり、と更衣室の扉を開け、風呂場に出る。するとそこには、様々な温度、浴槽の風呂の数々が。
「……おお……」
「……素晴らしい。これほどとは……」
「いっちば〜ん!」
「あ、馬鹿者! まずは体を洗え!」
女三人寄れば姦しいと言うが、成る程、確かに姦しい。……いや待て、己は数に入れていいのか? 色々な意味で。
「いのっち、背中流してあげる〜」
「……無用……」
「では私は髪を洗ってやろう」
「……聞け……」
己の言葉を完全に無視して湯を掛けてくる二人。……己は子供か。
「……ふむ、思ったよりちゃんと手入れしているんだな」
「私がやってるんだよ〜」
「ほう、それは……。大変だろうに、これだけ長いと」
「いやいや〜、いのっちは身だしなみに無頓着だからね〜。私が面倒見てあげないと〜」
「うむ、これからも真改を頼むぞ、本音」
「おまかせあれ〜」
「…………」
……完全に子供扱いか。納得いかん。
「むむっ!」
「ど、どうした?」
「……しののん、おっきい」
「……なっ!?」
「……おっきい……」
「ま、まじまじと見るなっ!」
「……おっきい……」
「だから見るなと……」
胸の大きさについて盛り上がり始めた二人だが、突然箒の動きが止まった。
……どうでもいいが、洗い終わったのなら早く流してくれないか。さっきから跳ねた泡が目に入って痛いのだが。
「……そういうお前も、随分……」
「ほえ?」
「…………」
「…………」
「……この話題は、止めよう……」
「……そうだね〜……」
一転して、黙々と己の体を流し始める二人。……そっとしておこう。
そして体を洗い終え、温泉へ。
「「「…………ふう〜〜〜…………」」」
「気持ちいい〜……」
「生き返るな……」
「……溶ける……」
やはり風呂はいい。こうして湯船に浸かっていると、体だけでなく心まで癒えていく気がする。
「温泉っていいね〜……」
「日本の宝だな……」
「……同意……」
三人でゆっくりと風呂に浸かる。
……魂が抜けそうだ……。
「ねえ……いのっち……」
「……?」
「私も……いのっちの力に、なれてるかな……?」
「…………」
……意外に本音が大人しくしているので、不思議に思っていたが。
どうやら本音なりに、気にしていたらしい。
「私も……いのっちのために、何か出来ないかな……?」
「…………」
「だって、いのっち、泣いてたもん……」
「…………」
「友達の涙なんて、見たくないよ……」
「本音……」
「…………」
……そうしてまた、しばしの沈黙。
ゆっくりと流れる時間が、今は妙に物悲しい。
「……ごめんね〜、変なこと言っちゃって〜……」
「…………」
「……私、もうあがるねっ」
立ち上がり、ぺたぺたと歩いて行く。
その背中に、なんの言葉も掛けられなかった。
「……言っただろう? みんな、いつだって、お前の味方だと」
「…………」
……そうだな。
ならば己も……仲間のために、なにか出来ないだろうか。
「彼女」には、何もしてやれなかったから。
――――――――――
風呂から上がり、部屋でくつろいでいた時のことだった。
「……シン、箒。織斑先生が呼んでるわよ」
「なに?」
「……?」
……はて、何の用だろう。
本音がどこかに行ってしまったので、己は素振りでもしようと思っていたんだが。
「織斑先生が? なんの用だ?」
「あたしが訊きたいわよ。ああそれと、シンには「例の物を持って来い」って言ってたわよ」
「…………」
む……この土産を持って行くには、まだ時間が早いと思っていたが。だがまあ持って来いと言うのなら、持って行こう。
立ち上がり、鞄から臨海学校へのバスに乗り込む直前に如月重工から送られてきた包みを取り出す。
「……なんだ、それは?」
「…………」
「ま、なんでもいいわ。行きましょ」
部屋を出て、千冬さんたち教員用の部屋に行く。そこにはシャルとラウラもいた。
「お前たちも呼ばれたのか?」
「う、うん……そうなんだけど……」
「………………」
なにやら二人とも顔が赤い。というか首まで赤い。
一体なにが、と思っていると――
『あ、んん……一夏さんって、上手ですのね……』
『千冬姉に良くしてたからな』
『ふふ……あっ……もう少し優しく……』
『おっと。……こうか?』
『んんう……気持ちいいですわ……』
『そりゃ良かった。じゃあもっと気持ち良くしてやらないとな』
『ああっ! ……す、すごい……』
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「「「「「………………………………」」」」」
……この声は、一夏とセシリアか?
妙に艶のある声を聞き、集まった一同が揃って俯き真っ赤になる。
初々しいのは何よりだが、お前たちの想像しているようなことは多分……否、絶対にない。
というわけで、己は遠慮なく部屋の扉に手をかける。
「「「「「ああっ!? ちょっ……!?」」」」」
「…………」
皆が何か言ったが無視する。そのまま扉を開けると、そこには――
「おう、来たか」
「ふえ…………?」
「ふう、じゃあここまでだな」
ニヤニヤと笑う千冬さんと、とろけた顔でうつ伏せに寝転ぶセシリア、そしてそれにマッサージをする一夏の姿があった。
――――――――――
「さて、何を想像してたのやら、このマセガキどもは」
「「「「「…………」」」」」
マッサージにより汗をかいた一夏を風呂に行かせ、千冬はニヤニヤ笑いながら集まった一同を見渡す。
真改を除き、その顔は真っ赤だ。
「真改、持って来たか?」
「…………」
無言で手に持った包みを差し出す真改。千冬はニヤリと笑って受け取り、包みを開ける。
その中身は――
「ほう、これが……」
「お……お酒?」
「高そう……」
華やかな絵のラベルが張られた、とてつもなく高そうな日本酒だった。
「感謝するぞ。これほどの酒、そうは味わえん」
「…………」
この酒は真改が如月重工に頼んだものだった。学園内では流石に見つかるので、臨海学校に合わせて持って来てもらったのである。
……本当はもっと安い酒を頼んだのだが、如月社長が勝手に奮発したのである。ポケットマネーで。
「さて、お前たちには私が奢ってやろう」
上機嫌な様子で旅館備え付けの冷蔵庫を開け、中から飲み物を取り出し、五人に配る。
「そら、飲め」
「「「「「え?」」」」」
困惑する五人。渡された飲み物を見る。
……どう考えても、口止め料だった。
「「「「「えーっと……」」」」」
「飲め」
「「「「「……はい」」」」」
圧力に負けて飲み物に口を付ける。極めて強引な買収であった。
「……飲んだな?」
ニヤリと笑う千冬。その顔が悪魔のそれに見えたのも無理からぬことであった。
「さて、真改」
「…………」
千冬は盃を二つ持って来て、胡座をかく。片方の盃を真改に渡し、日本酒の栓を抜き、トクトクと注いだ。
「では」
「…………」
互いに盃を軽く掲げ、中身を呷る。
口に含んだ酒を存分に楽しんでから飲み込むと、千冬は大変満足した顔で頷いた。
「……美味い」
「……美味……」
「あのー……織斑先生?」
シャルロットが勇気(?)を出して、千冬に尋ねる。
「なんだ?」
「え、いや、お酒……」
「別に構わんだろう、私だって酒くらい飲むさ」
「いや、そっちじゃなくて! シンは未成年ですよ!?」
「こいつは相当な酒豪だぞ」
「「「「「え……!?」」」」」
驚きの表情を浮かべる五人。
規則や規律にうるさい千冬が仕事中に酒を飲んだことも驚きだが、基本的に品行方正な真改が飲酒の常習者であったことも驚きだった。
「「「「「………………」」」」」
「…………」
自分に向けられる視線もなんのその、無表情のまま酒を注ぎ、飲み続ける真改。
……妙に様になっている。
その様子を唖然としながら見ていた五人に、千冬が声を掛ける。
「さて、前座はこれくらいにして……」
とか言いながら、また酒を呷る千冬。そしてまた満足げに頷き、次の言葉を放つ。
「お前ら、あいつのどこがいいんだ?」
あいつ、というのは言うまでもなく一夏のことだ。
びくりと反応し、挙動不審になる五人。真改はまるっきり無反応に、酒を飲み続けている。
「わ、私は別に……ただの、幼なじみですから」
「あたしは、腐れ縁なだけだし……」
「わ、わたくしはクラス代表としてしっかりしてほしいだけです」
順に箒、鈴、セシリアのコメント。
落ち着かない様子でそんなことを言っても、本心からの言葉でないことは明白だった。というかそれで誤魔化してるつもりなのかと小一時間。
「ふむ、そうか。では一夏にもそう伝えておこう」
「「「言わなくていいです!」」」
その反応を心底楽しそうに笑ってから、また酒を呷る千冬。
「で、お前は?」
「へ? あ、僕――いえ、私は……優しいところ、です……」
千冬の問いに、小さな声でシャルロットが答える。恥ずかしそうな、しかし真面目な顔からは、本心からの言葉であることが伺える。
「しかしあいつは誰にでも優しいぞ。昔から」
「そ、そうですね。そこがちょっと悔しいかなぁ、あはは……」
前の三人と違い、ハッキリと言葉にしたシャルロットに嫉妬の視線が向けられる。
……そんな目をするくらいなら素直になればいいのに、と真改は思った。
「では、ラウラ」
「……つ、強いところでしょうか……」
「いや弱いだろ、どう考えても。なあ、真改?」
「……未熟……」
ダブルでバッサリだった。
しかしその言葉に、珍しくラウラが食って掛かる。
「つ、強いですっ。少なくとも、私よりも」
「そうかねぇ……」
くぴっと酒を一口。
素っ気ない態度とは裏腹に弟を誉められたことが嬉しいのだろうことが、真改だけは気付いた。
「……で、真改」
「……?」
「お前、好きな男とかいないのか?」
「…………」
千冬の言葉に、そんなことかと真改はまた酒に口を付ける。しかしそれでは済まさない者が約六名。
「あ、それ僕も気になる」
「どんな男が好みなんだ?」
「アンタ全然浮いた話聞かないもんねえ」
「真改さんに見合う殿方なんて、早々いないでしょうからね」
「マスターに見合う男、か……」
「で? どうなんだ、真改」
「…………」
さてどう逃げるか、とまともに答える気皆無の真改。しかし包囲網は既に完成していた。
「否定しなかったな。誰かいるんじゃないのか?」
「アンタ、嘘は吐かないもんね」
「誰なんだ? 真改」
「聞きたいなあ。すごく聞きたいなあ」
「教えてくださいな」
「私も気になるぞ」
「…………」
答えるべきか、真改は迷った。
このまま黙っていても、きっと彼女たちは逃がしてくれないだろうことは容易に想像出来た。むしろ追求の手はどんどん執拗になっていくだろう。
しかし正直に言うのも問題があった。
好きな者はいる。今も尚、真改は「彼女」を想い続けている。それを簡単な嘘で誤魔化すなど、真改にはどうあっても不可能だった。
だが逆に、この楽しげな雰囲気をぶち壊すこともしたくなかった。
「彼女」は既に故人であり、今はもういないのだ。過去と現在、重きを置くべきはどちらか、真改は良く分かっている。
「彼女」のように、前を向いて生きたかった。
「…………」
酒を一口含み、飲み込む。
何故「彼女」の夢を見たのか、その意味を考えて――
「……故人……」
「「「「「「あ…………」」」」」」
……やはり、「彼女」への想いは、いまだ強く真改を縛り付けていた。
「……すまない」
何も言えなくなった五人に代わり、千冬が沈痛な顔で謝る。
真改はそのまま立ち上がり、部屋を出た。
静まり返った部屋を背に、自室へ戻って行く。
「……惰弱……」
ギシリ、と奥歯が砕けんばかりに噛み締めて。
自身の弱さを、心底から憎みながら。
なんとなく予想が付くと思いますが、ここからしばらく、シリアスな展開が続きます。