IS〈イノウエ シンカイ〉   作:七思

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床屋で

「ジェイ○ン・ス○イサムみたいな髪型にしてください」

て言ったら、

ブル○ス・ウィ○スみたいな髪型にされたorz


第39話 帰還

「無断外出、指定場所以外における無許可でのISの使用、及び戦闘。……相当重いぞ、これは」

「…………」

 

 本音と共にIS学園へと戻ってきた己を出迎えたのは、阿修羅の如き形相をした千冬さんだった。千冬さんは己を教員室に連行し、そのまま説教へ。

 

「急いでいたのは分かる。学園ではなくお前個人に連絡した如月重工にも責任はある。だがそれでも、一言報告するべきだった。通信くらいは出来た筈だ」

「…………」

 

 千冬さんの言うことは全くの正論だ。己は如月重工の本社ビルへ向かう際に街の上空を月船で突っ切って行ったので、目撃者から通報が入ったのだ。何も知らされていなかった学園が確認と事後処理に費やされた労力は、決して小さくはないだろう。

 

「よって、学園はお前に処分を下すことを決定した。……覚悟はいいな?」

「……はい……」

 

 仕方あるまい。これについては明らかに己の失敗だ、甘んじて受けるしかない。

 

 そして千冬さんが、常にも増して厳格な顔になり――

 

「……一年一組、井上真改を、一学期の間外出禁止とする。……以上だ」

「…………は…………?」

 

 ……待て。聞き間違いか? 外出禁止だと? しかも一学期の間? 再来週には終わるだろう、それは。

 

「……軽過ぎる……」

「如月重工から感謝状が届いた。テロリストの襲撃から社を守り、研究のために預けた機体の二次移行(セカンド・シフト)にも成功させたことに対してな」

「…………」

「お前が学園に在籍している限り、如月重工は学園への協力を惜しまないそうだ。そして如月重工の技術力は、他の企業を大きく上回っている。この旨みは、お前のしでかしたことを補って余りあると判断された」

「…………」

 

 ……如月社長め、随分と手回しがいいな。さては全て予測していたか。

 

「だがお前が規則と法律に触れたことには違いない。何もお咎め無しでは流石に示しがつかん。よって、罰を与える必要があった。たとえそれが、有って無いようなモノでもな」

「…………」

「まあ、遊びたい盛りの十代女子にとって、外出禁止は少々辛いかもしれんが」

 

 己にそんな感性がないことを分かって言っているのだろう、この人は。その証拠に、まるで悪ガキのような顔になっている。

 

「……以上が、お前の担任としての言葉だ。次に、織斑千冬個人としての言葉を伝える」

「……?」

 

 そこで千冬さんは、フッと表情を和らげた。

 

 それはまるで、妹の無事を喜ぶ姉のような顔で。

 

「……良く帰って来た、真改。どうやら吹っ切れたようで、何よりだ」

 

 そんなことを、優しい声で告げた。

 

「……世話を掛けた……」

「気にするな。今回は、私は全くの無力だったからな。教師としても姉貴分としても、恥ずかしい限りだ」

「…………」

 

 全く、この人は。

 

 一体どれだけ、真面目なのか。

 

「では、もう戻れ。他の皆にも謝っておけよ。随分心配していたからな」

「……承知……」

 

 再び教師の顔に戻った千冬さんに促され、教員室を出る。

 

 するとそこには、己の大事な友人たちが居た。

 

「シン、どうだった?」

「いのっち、大丈夫~?」

「やはり、なにか罰が……?」

「確かにマスターにも非はあるが……」

「けど活躍もしたんでしょ? ちょっとくらい大目に見てくれてもいいじゃない」

「あまりに重いようでしたら、わたくしが抗議に行きますわ」

「うん、僕らみんなで行けば、学園も少しは――」

「……外出禁止……」

「「「「「「「…………は?」」」」」」」

「……夏休みまで……」

「「「「「「「…………」」」」」」」

 

 余りに予想外な処罰の内容に、皆目が点になる。

 

 ……まあ、そうなるか、普通は。

 

「……それって」

「何か意味あんの?」

「……ないんじゃないか」

「はは、学園も粋なことするじゃん!」

「ほっ……安心しました」

「良かったな、真改」

「おめでと~」

「…………」

 

 皆口々に、己の事実上の無罪放免を祝ってくれる。

 

 その温かさが、本当に心地良くて。

 

 この優しい人たちに心配を掛けてしまったことが、心苦しい。

 

「……すまなかった……」

 

 だから、頭を垂れた。

 許して欲しいのではなく、ただ、謝りたかった。

 

 ――だが。

 

「違うよ~、いのっち」

「……?」

 

 否定の言葉は、本音から。

 

 それが何を意味するのか、分からぬ己に。

 

 優しく、諭すような声で。

 

「こういう時は~、謝るんじゃなくて~」

 

 全てを照らす、太陽のような。

 

 可憐な、一輪の花のような。

 

 そんな笑顔で。

 

「ありがとうって、言うんだよ~」

 

 そう、教えてくれた。

 

「…………」

 

 皆を見ると、本音の言葉を肯定するように頷いている。

 

 ……そうか。なら、苦手ではあるが――

 

「……皆……」

 

 出来る限りの、笑顔で。

 

 謝罪ではなく、感謝をしよう。

 

「……ありがとう……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――カシャ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………??」

 

 ……待て、なんだ、今の音は?

 発信源を探ると、皆の後ろ、影に隠れるようにして――

 

「真改ちゃんの笑顔、ゲットだぜえええぇぇぇぇっ!!!」

「………………………………」

 

 ――IS学園二年生、新聞部副部長である、黛薫子がそこに居た。

 

 そしてその手には、見るからに高価かつ高性能そうなデジタルカメラが――

 

「ついでに呆けた顔もゲーット!!」

 カシャ。

「…………!?」

 

 シャッター音。それが意味することはただ一つ。

 

 ――撮られた。己の、笑顔を。いつもは誰にも見られぬよう努めている、笑顔を――

 

 

 

 ――あの、拡声器と掲示板を足して三を掛けたような、黛薫子に――!

 

「……待てっ……!!」

 

 全力で駆け出す。しかし黛先輩は相当な健脚の持ち主で、未だに疲労が重く残る体では中々追い付けない。

 

「……くっ……!」

「真改さん、手伝いますわ!」

「私も行こうっ!」

 

 いつになく慌てる己に、セシリアとラウラが助勢してくれる。流石は国家代表候補生、その脚力は黛先輩を大きく上回り、見る見る内に追い付いて行き――

 

「――私を助けてくれたら、優先的に写真を回してあげるわよ?勿論、一夏君のもね」

「ごめんなさい、真改さん。やはり年上の方は敬いませんと」

「すまんな、マスター。上級生とは即ち上官、そして上官の命令は絶対だ」

「……!?」

 

 ……裏切り者どもめ、覚えておけよ。

 

 ただでさえ不利な状況に強敵が二人加わり、己は為す術なく敗北した。大した抵抗も出来ずに取り押さえられ、それを尻目に黛先輩の姿が遠ざかり、そして角を曲がって行く。

 

 その、直前に。

 

 黛先輩と、セシリアとラウラが、親指を立てた拳を互いに突き出しているのを。

 

 確かに、見た。

 

 ………………覚えておけよ。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 その翌日。

 

 IS学園は、新聞部(正確には薫子)による「井上真改復活」の報に大いに盛り上がっていた。常に凛とした態度で在り続けていた真改の沈みに沈んだ様子には、学園中の生徒たちが心を痛めていたのだ。

 その真改が元の調子を取り戻したことに、誰もが喜んだ。特に井上真改ファンクラブ「真改さんと友情を深める会」、通称「真友会」のメンバーたちの喜びようはそりゃもう凄いものだった。

 

「…………」

 

 しかしそれは、真改にとってはあまり喜ばしいことではなかった。というよりも嫌だった。元々騒がれることが苦手であり、しかも騒がれている原因は自らが晒した無様な姿に関わっているのだ。

 

 ……ぶっちゃけ、すっげー恥ずかしかった。

 

「は~い、いのっち~」

「………………」

 

 さらに言えば、現在の真改の状態にも大いに問題があった。

 現在真改はルームメイトである本音と共に朝食をとりに来ているのだが、その周りを大勢の生徒が囲んでいる。しかし誰一人として、真改たちと同じテーブルに着こうとはしない。お祭り好きのIS学園の生徒たちが、揃いも揃ってただ真改たちを眺めているだけに留めていた。

 

 ……だというのに、その表情は幸せそうに緩みきっていた。

 

 何故か。

 

「あ~ん」

「……………………」

 

 本音と如月社長たちを助けるために行った戦闘で、真改は右腕を負傷した。正確に言えば、治りかけていた右腕の怪我が悪化した。

 大事には至らなかったものの医師は大激怒、完治するまで極力右腕を動かさないようきつく言いつけ、本音をそのお目付役に任命した。そして本音は嬉々としてそれを受けた。

 

 そんなわけで真改は右腕を肩から吊っているのだが、しかし真改には左腕がなく、つまりは両腕を封じられたことになる。流石の真改も、これではほとんど何も出来ない。

 

 そして、それは。

 

 一人では食事もままならないということである。

 

「ほら、あ~ん」

「…………………………」

 

 つまり現在何が行われているのかというと、両腕が使えない真改に、本音が食べやすい大きさに千切ったサンドイッチを差し出しているのだった。

 

「ちゃんと食べないと、怪我、良くならないよ〜?」

「………………………………」

 

 真改がそのサンドイッチに口をつけないのは洋食より和食が食べたいとかそういうことではない。そんなものは本音の善意を拒む理由になどなりはしない。

 

 問題は――

 

「はい、あ~ん」

「……もぐ……」

「「「「きゃあああああああっ!!!」」」」

「まさかあの井上さんが……!」

「こんなに可愛らしいことをっ!」

「本音ちゃん、グッジョブ!!」

「は、鼻血が出そう……!」

「いのっち、おいし~?」

「……美味い……」

「てひひ。じゃあ、次をどうぞ~」

「そうよ本音ちゃん、その調子っ!」

「ああ、どうせならフランクh「黙れ、殺すぞ変態」」

「…………」

 

 先ほどからこの調子なのである。完全に見世物だった。

 

(……勘弁してくれ……)

 

 腕が治るまで、真改の心労は続きそうである。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「井上、右腕は痛まないか?」

「……問題ない……」

 

 さて、怪我はしていても授業には当然参加しなくてはならない。

 この時間はISの自己進化機能について。それを理解しやすいように、第二形態となった己の朧月・双重(ふたえ)、そして一夏の白式・雪花(せっか)が展開されている。

 

「ISがパイロットとの相互理解を行うことは、以前説明したな。それは二次移行にも顕著に表れる」

 

 説明をしているのは千冬さん。己の隣に立ち、先ずは朧月の両膝を指した。

 

「井上はブレードによる接近戦を得意とするが、そのブレードの間合いよりもさらに内側に踏み込まれた際、距離を取るよりも体術で応戦することが多い。この両膝に追加された小型ブレードは、それを強力にするために朧月が考えたものだろう」

 

 千冬さんの説明に、多くの生徒がうんうんと頷いている。

 

「他にも、月輪は大型化し出力を増しただけでなく、月華という機能が追加されている。井上、振ってみろ」

「…………」

 

 促され、月華を発動。月輪の刀身から眩い蒼色の光が溢れ出し、右腕に注意しつつスラスターの勢いを載せて振り抜いた。

 

「わあ……」

「キレイ……」

「そう、月華の見た目は派手だ。その派手さは威力だけでなく、相手への目眩ましの意味もあるのだろう。これを目の前で振られれば多少なりとも怯ませられるし、単純に視界がかなり遮られる。学年別トーナメントで閃光弾を使っていたから、その影響だろう」

 

 ……あまり己の手の内を晒さないでもらいたいのだが。

 

「このように、パイロットの戦闘スタイルをより強化する進化の典型的な例が朧月だ。次にその逆、弱点を補い、穴を埋める進化の例を説明する。織斑、雪花を散布しろ」

「はい」

 

 千冬さんの指示を受けた一夏が意識を集中する。すると白式の装甲が輝き、周囲に真白の結晶が漂い出した。

 

「これが雪花だ。散布したナノマシンを機体周囲に滞留させる。雪花は攻撃に対し自動で防御を行い、戦闘をサポートする。……井上、織斑に月影を撃て」

「…………」

 

 三連装の砲身が回転し、次の瞬間に大量の散弾を吐き出した。しかしそれらは白式に当たる直前、白式を覆うように発生した光の幕に遮られ、装甲までは届かない。

 

「見ての通り、雪花が十分に機能している内は、並の攻撃は通用しない。この防御力の高さだけでも相当なものだが、もう一つ。織斑、雪花が弾丸を防いだ時、反動はあったか?」

「いえ、ありませんでした」

「そういうことだ。あれだけの散弾を受け止めても、その反動は機体まで伝わらない。つまり攻撃を受けても、それにより機動を阻害されることはないということだ」

 

 この説明により、何人かの生徒は感づいたようだった。その能力の凄まじさに戦慄し、息を飲んでいる。

 

「これは織斑の戦闘スタイルと非常に相性がいい。なにせ一撃必殺の攻撃力と高い機動力を持つ者が真っ正面から突撃してくるのに、いくら攻撃を叩き込んでもまるで怯まないのだからな」

「「「「「……!」」」」」

 

 ようやく気付いた者たちが、目を見開いて驚いている。

 

 これはつまり、最高速で突っ込んでくる列車に拳銃で立ち向かうようなものだ。

 

 ……想像してみて欲しい。その威圧、その恐怖、その絶望を。

 

「織斑の機動は世辞にも上手いとは言えん。回避もそうだが、なにより相手との間合いを詰めるのに苦労する。それを埋めるために、白式は操縦者に負担を掛けるほどの絶大な機動力でも、才能が皆無な射撃武器でもなく、最短距離を真っ直ぐに突き進むための防御力こそが最も有効だと判断したのだろう」

「「「「「なるほど……」」」」」

 

 一夏の試合は、ほぼ全員が見たことがある。その内容を思い出してみれば、千冬さんの言うことにも納得出来るだろう。

 

「これでISの進化、その方向性と結果について少しは分かっただろう。しかし詳細な原理や仕組みなどについては、まだ多くの謎が残っている。明らかになるのはまだ大分先のことだろうな」

 

 そこまで言って、千冬さんは厳しかった顔をさらに引き締め、重い声で続けた。

 

「ISは、自身をパイロットに最適なカタチに進化させる。だが勘違いするな、それは長所を伸ばし短所を補うことをIS任せにしていいということではない。ISに頼りきり自分で自分を高めようとしない者に、ISが応えることなどない」

 

 そう、ISが相棒であるなら、ただ寄りかかるだけの関係など有り得ない。お互いに助け合い支え合い、そして競い合い高め合う。

 それでこそ、認めてもらえる。応えてくれるのだ。

 

「…………」

 

 痛みの残る右手で、朧月の装甲を撫でる。その淡く静かな銀色が、一瞬だけ、輝きを増した気がした。

 

(……まだ、足りん……)

 

 二次移行は出来たが、しかし単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)は発動出来ていない。朧月は己を相棒と認め主と呼んでくれたが、まだお互いを完全には理解し合えていない。

 

 己の目指す境地には、単一仕様能力は必須だ。これが有ると無いとでは戦術の幅がまるで違う。己は多芸ではないので、戦い方が単調になりやすい。次の手を読まれやすいのだ。その欠点を補う要素は是非とも欲しいところである。

 まあ、手の内を全て明かされてなお突き崩せぬほどの戦術というのも、悪くはないが――

 

(……あるいは……)

 

 ――本当に、そうなるかもしれない。

 

 己の短所を補うのではなく、長所を伸ばす進化を、朧月は選んだ。「彼女」の剣を目指すという己の願いを汲んでくれた。

 

 ならば、もしかしたら。

 

 単一仕様能力も――

 

(……楽しみにしている……)

 

 ……本当に、己は人に恵まれている。

 

 この、足りぬ才能も。

 

 皆とならば、埋められるだろう。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 ……夜。

 

 場所は、寮の屋上。

 

 消灯時間はとうに過ぎており、学園内の灯りは極僅かだ。学園自体が広大な湖の中央にあるので、街の灯りも届かない。

 

 今、己を照らしているのは、雲一つ無い夜空に浮かぶ、星と月だけ。

 

「…………」

 

 ……月。

 

 半月。

 

 半分に、割れた月。

 

「……世話になったな……」

 

 かつての相棒に、別れを告げる。不出来な主だったが、それでもあいつは、いつだって全力で応えてくれた。

 

「……すまなかった……」

 

 上手く、使ってやれなかった。そのせいで、無様な最期に付き合わせてしまった。

 

「…………」

 

 以前なら、こんな感傷に浸ることもなかった。ネクストとはただの兵器であり、兵器以外の何物でもないのだから。

 

 だが朧月との対話を経て、一つ思い出した。日本に伝わる、八百万の神のことを。

 

 ――付喪神。永い時を経た器物には、魂が宿るという。

 

「……お前にも、有ったのかもしれんのにな……」

 

 だから、申し訳なくて。

 

 絶大な力を持っていたあいつを、その力を、己は存分に引き出してやれなかったから。

 

 だから、一言謝りたかった。

 

「……いや……」

 

 ……違うな。

 

 あいつは、それでも最期まで付き合ってくれた。

 

 己の望みに、己の我が儘に。

 

 ……こんな己に、最期まで。

 

 なら、伝えるべきは。

 

 謝罪の言葉ではなく――

 

「……ありがとう……」

 

 夜空に浮かぶ半月に、笑顔を向ける。

 

 苦手だが、それでも、精一杯の、笑顔を。

 

 ――きっと届くと、信じて。

 

「……さらばだ、愛刀(とも)よ……」

 

 永い時を、共に過ごした。

 

 多くの戦場を、共に斬り抜けた。

 

 今の己が在るのは。

 

 きっと、あいつのおかげだと、想うから。

 

「……己は、此処で生きる……」

 

 だから、ちゃんと別れを告げたかった。

 

 己の、決意と共に。

 

 あの、物言わぬ相棒に。

 

「……安心して眠れ……」

 

 せめて、安らかに。

 

 己なら大丈夫。

 

 今も、多くの仲間に囲まれている。

 

「……お前の後は、こいつが引き継ぐ……」

 

 首から提がる銀色の指輪を、半月に翳す。

 

 ……今はこいつが、己の愛刀だ。

 

 まだまだ未熟者ではあるが、なに、それは己も同じこと。

 

 上手くやっていけるだろうさ。

 

「月見とは、随分風流なことをしているな」

「…………」

 

 突然、背後から声がした。聞き慣れたそれは、千冬さんのものだ。

 

「消灯時間は過ぎているぞ……と言うべきなんだろうが、まあ構うまい」

 

 そう言いながら、千冬さんは手に持っていた包みを掲げた。それは臨海学校の際、土産として如月社長から届けられた高級日本酒だった。

 

「まだ少し残っているんだが、これほどの代物を一人で飲むのは勿体無い。付き合え、真改」

「…………」

 

 千冬さんは己の隣に座ると、盃を二つ取り出した。とくとくと酒を注いで、己に差し出す。

 

「持てるか?」

「……応……」

 

 まあ、これくらいなら問題ない。受け取って、千冬さんの盃と軽くぶつけ合う。

 

「乾杯。……お前の帰還に」

「……乾杯……」

 

 小さく澄んだ音を立てた盃を唇に持っていき、一口飲む。

 

 ……ああ、美味い。

 

「いいものだな、月見酒も。満月でないのが少し惜しいが」

「……否……」

「うん?」

「……これでいい……」

「……そうか」

 

 己の呟きに何を思ったのか、千冬さんは何も訊かずにいてくれた。

 

 そしてしばらく、二人で静かに飲み続け。

 

「これで最後だ。お前が飲め、真改」

 

 残り僅かとなった酒を、己の盃に注ぐ。

 

 小さく波打つ酒の水面には、半月が写っていて。

 

「……これは……」

 

 その盃を、高々と掲げる。

 

 月に届けと言わんばかりに、高く、高く。

 

「……お前に……」

 

 見ているか?

 

 己は、此処にいる。此処で生きている。

 

 そして、これからも――

 

「……今まで――」

 

 かつて真改と呼ばれた男は、もういない。

 

 此処にいるのは、真改ではない。

 

 己の名は――井上真改。

 

「――ありがとう」

 

 

 

 そうして。

 

 盃に注がれた、最後の酒を。

 

 一息に、飲み干した。

 

 

 




しばらく平和な話が続きます。シリアス展開はお休みになります。お待ちください。

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