久しぶりの、まじめな話だ……!
それは、三年前。
とても――とても良く、晴れた日のことだった。
――――――――――
『決まったああああああ!! 零落白夜ああああああ!! 織斑千冬、決勝戦進出決定っ!!』
『いやあ、さすがはブリュンヒルデ、圧倒的ですね。これは今回の優勝も、彼女で決まりですかね』
『そうですねー、やはり彼女に勝てる者は存在しないのでしょうか!? それとも大番狂わせが起きるのか!? とにかくここまでは多くの方が想像していた通りの展開でしょう! しかしまだ結果は分からない、最後まで目を離せませんっ!!』
『ええ、是非とも見応えのある試合をしてほしいものですね』
『さあ、それでは準決勝第二試合が始まります! ブリュンヒルデに挑むのはどちらか!? 世界最強に刃を向ける資格を得るのはどちらか!? 注目の一戦、スタートォォォォォォッ!!』
「あはははは!! 見たか、シン! 勝った勝った! やっぱすげえな、千冬姉は!」
「……流石……」
俺は第二回モンド・グロッソに出場する千冬姉を応援するために、ドイツにある巨大アリーナに来ていた。シンも一緒だ。
「次は決勝戦だってよ! 誰が相手でも、千冬姉なら楽勝だ! なあシン!」
「……応……」
千冬姉の活躍、その圧倒的な強さを目の当たりにして、俺は興奮していた。シンも若干頬が上気しており、試合の余韻に浸っているようだった。
「ええと、次の千冬姉の試合って何時からだっけ?」
「……二時間後……」
「そっか。じゃあちょっとトイレ行ってくる」
「…………」
そう言ってトイレを探しに行こうとすると、シンも付いて来た。
……迷子にならないか心配されてるらしい。
「大丈夫だって。ほら、これもあるしな」
そう言って、上着のポケットから小型の端末を取り出した。
これは一種の発信機みたいなものだ。俺とシンの両方が持っており、お互いの位置が表示されるのである。言葉が通じず土地勘もない場所ではぐれると大変なので、千冬姉が持たせたのだった。
「……念の為……」
「ったく、心配性だな。俺だっていつまでもガキじゃないんだぞ」
「…………」
女の子にそんなに心配されて恥ずかしいやら悔しいやら、付いて来なくていいと何度も言った。だがシンは断固として譲らず、そしてそんなことをしている内にトイレに着いてしまった。
「……わかったよ。じゃあちょっと待ってろ。小便だからすぐに終わるよ」
「…………」
シンがこくりと頷くのを見て、少しだけ安心する。トイレの中にまで入って来る気は、流石にないようだ。
そうして俺はトイレに入り、用を足して。
――その直後。誰かに後ろから、何かの薬品を嗅がされて、気を失った。
――――――――――
――さて。己がトイレまで一夏に付いて来た理由だが。
率直に言うと、護衛のためである。
千冬さんは前回のモンド・グロッソ優勝者であり、今回も最有力優勝候補だ。その弟である一夏には計り知れないほどの利用価値があり、狙われる可能性は大いにある。
千冬さんはそんなことは考えておらず、ただ一夏と一緒に自分の応援に来てくれたと思っているだろうし、事実それも目的ではある。
……だが正直に言うと、千冬さんは少々甘い。戦闘の才能は己など及ぶべくもないが、しかし彼女は飽くまでも民間人なのだ。日本代表として軍事訓練を受けてはいるだろうが、実際にそれを必要とするような状況は経験がない。危険に対する「嗅覚」では、己の方が優れている。
……と、思っていたのだが。
(……鈍ったか……)
どうやら、永く平和に浸かり過ぎたらしい。
(……不覚……)
異変に気付いたのは、一夏がトイレに入って二分も経ってからだった。
特に混んでいるわけでもなし、小便にしては長すぎる――そう感じた直後、トイレから怪しい男が現れた。
恰好や挙動が不審だったわけではない。だがその男は、妙に重い音を立てる大きなスーツケースを引いていた。
確かにモンド・グロッソには外国から観戦に来る者も大勢おり、旅行者などまったく珍しくはない。だがこんなに大勢の人間が集まる所に、小柄な人間ならば中に入れられるほど大型のスーツケースを持ってくる馬鹿は少ない。そんなものは宿泊先のホテルにでも預ければいいし、この会場にも荷物の預かり所はあるのだから。
「…………」
己は懐から小型端末を取り出し、一夏の居場所を確認。それによると、一夏はまだトイレの中だ。
「…………」
それを見て、己は迷わずにトイレに入った。その際、すれ違った男のポケットにスリの要領で小型端末を滑り込ませる。間違いだったなら後で適当にごまかし、回収すればいい。
男子トイレに己が入って来たことで周囲の人間が驚いているが一切気にせず、端末が表示していた場所――ある個室の扉を開ける。
その中に、一夏は居なかった。
ただ端末だけが、個室の隅に捨てられていた。
「……っ」
端末を拾い上げると同時に殺気を感じ、首を傾ける。すると一瞬前まで頭があった場所を弾丸が通過し、個室の壁に風穴を空けた。
振り返ると、そこにはサイレンサー付きの拳銃を構えた男が数十人。なるほど、トイレという人目に付きやすい所でどうやって攫ったのかと思ったが、その人目が全て誘拐犯の物だったわけか。
「ちっ」
「……っ!」
初弾を外したことに舌打ちした男が、引き金に掛けた指に再び力を込める。
二発目の弾丸が発射され――る前に、男の顎を掌打で打ち上げた。
鍛え上げられた大の男が細身の少女の一撃で崩れ落ち、その様に他の男たちが驚いている間にトイレの出口へと走る。
この場の全員を相手にしている時間的余裕はない。一夏を攫った男の位置は確認出来るが、あまり時間が経ち過ぎると端末に気付かれ捨てられる可能性もある。銃を相手に背中を見せるのは少々危険だが、それでも追跡を優先するべきだ。
「止めろっ!」
「……っ!」
男の一人が叫ぶと、出口に大男が現れ、塞ぐ。外にもまだ居たらしい。誘拐犯は相当大規模な組織のようだ。
「このガキ!」
「……っ!」
己に向け、大男が丸太のような腕を伸ばす。それをかわして跳び上がり、大男の顎に膝を、脳天に肘を同時に叩き込んだ。
大男が倒れ、出口が開ける。背後から放たれた銃弾が届く前に、己はトイレの外に出た。
(……見つけた……!)
周囲を素早く見渡し、先ほどのスーツケースの男を見つける。人混みの中だが、やはりあのスーツケースは目立ち、なんとか見失わずに済んだ。
追跡を開始、男に向かって駆け出す。それとほぼ同時に、トイレの仲間から連絡があったのか、男が己に気付いた。
驚いたのは一瞬、すぐさま男も走り出す。人混みの中では流石に発砲出来ず、脚でもって逃げるしかないのだろう。
そうしてしばらく追ったが、己にとっては運悪く、男にとってはタイミング良く、すぐそばのエレベーターの扉が開いた。男は中の人間を押し退けるようにして駆け込み、扉を閉める。
「……っ」
一歩、間に合わなかった。だがそれを悔やんでいる暇はない。エレベーターの階層表示を見上げ、行き先を確認する。
(……下……地下駐車場か……)
周囲を見渡し、階段を見つける。踊場毎に向きが反転している、どこででも見掛ける形の階段。
そこは大勢の人間が行き交っており、それをかわしながら下りて行っては時間が掛かり過ぎる。
――ならば。
「……疾っ!」
鋭く息を吐き、跳ぶ。
狙いは階段の壁、踊場まで半分の地点。
「うわっ!?」
「な、なんだ!?」
突然階段に飛び込んで来た己の姿に、驚きの声が上がる。そんなものに構っている暇など有る筈もなく、己は狙い通りの位置に辿り着くと、壁を蹴りつけ更に跳んだ。
「……っ!」
人々の頭上を越え、踊場の壁まで到達する。再び壁を蹴り、次の壁へ。
「危ない!」
「うおおお!?」
下の階への出口が見えた。その際素早く視線を巡らせ、空いた場所――安全な着地点を見極める。
そこに飛び込むよう角度を調整し、三度目の三角跳び。
「ぐ……!」
着地と同時にブレーキをかけ、落下の衝撃に耐える。
全ての運動エネルギーが靴と床の摩擦によって消費されると、再び階段へと飛び込んだ。
三度壁を蹴りつけ、下の階へ。
着地、停止、疾走、跳躍。
それを数度繰り返し己が地下駐車場に辿り着いたのは、エレベーターが到着した一瞬後のことだった。
「なっ、このガキ、どうやって……!?」
「……っ!」
男は懐から拳銃を取り出し、躊躇うことなく発砲。亜音速の銃弾が迫るが、しかし発射された瞬間には既に射線から身体をズラしている。
銃弾をかわしながら近付く己に、男が焦りを浮かべるが――
「……!?」
突如として、己と男の間に車が割り込んで来た。盛大にスリップ音を響かせながら、己を轢殺せんとする。
「……っ!」
跳躍し、すんでのところで突撃をかわす。しかしその隙に、男はもう一台やってきた車に乗り込んでしまった。
……まだ仲間がいたか。
「乗ったぞ! 出せっ!」
「……ちいっ……!」
思わず舌打ちする。急いで体勢を立て直して走るが間に合わず、排気音を轟かせて車が走り去り、外へと出て行った。
流石に、アレには追い付けない。
(……どうする……?)
端末の有効距離は約十キロ。大きさからすれば破格の性能と言えるが、しかしこうなると心許ない。奴らの行き先が近場であればいいが、それは希望的観測に過ぎる。
警察に連絡したのでは遅い。そもそも言葉が通じない。仮に通じたとしても、己の会話力で状況が伝わるか怪しいものだ。
千冬さんには連絡出来ない。決勝戦を控えた彼女は、外部からの回線を全て遮断して機体の調整を行っている。ISの調整とは、極めて繊細な作業なのだ。
千冬さんのスタッフたちも同様だ。連絡するにはピットに直接出向く必要があり、そんな時間は当然ない。
(……どうする……!?)
考えろ。
無い知恵を絞って考えろ。
たとえ低脳でも、必死になれば、一つくらいは――
「……っ!」
――何を、馬鹿なことを。
考える必要などない。
答なら、目の前にいくらでも転がっている。
(……愚鈍……)
相手が車で逃げるのなら、こちらも車で追えばいい。
ここは地下駐車場。そしてまさに今、車に鍵を掛け、離れる者が居た。
(……すまん……)
心中で謝罪しながら、ポケットに入れられた鍵をスリ取る。
気付かれた様子はない。持ち主がある程度離れてから鍵を開け、車に乗った。
運転なら、随分昔に経験がある。かなり荒いだろうが、
――待っていろ、一夏。お前は、必ず助け出す。
――失うものか。失ってたまるか。
――あんな痛みは、もう、嫌だ。
――――――――――
目が覚めると、そこはどこかの廃墟だった。
周りにあるのは、打ち捨てられた機械や鋼材。どうやら潰れて久しい工場のようだ。
「……くそ、なんなんだよ、一体……」
まずは立ち上がろうとしたが、出来なかった。床に座らせられて、柱に両手をくくりつけられているからだった。
「畜生、ふざけやがって……! ほどけ! ほどけよ!」
大声で喚き立ててみるが、全く反応が返ってこない。俺が縛られている部屋には誰もいないようだ。きっと外で見張っているんだろう。
「……畜生……ちくしょぉぉぉぉ……!」
いくら馬鹿でも、これがどんな状況かはわかる。
――俺は、攫われたのだ。
「くそ、この……!」
なんで攫われたのか、それも大体見当が付く。
……千冬姉だ。千冬姉に何かするために、俺を攫ったんだ。
「ざけんな、俺は……!」
俺が攫われたことを知れば、きっと千冬姉は助けに来てくれる。
目前に迫った決勝戦を、放り出して。
「俺は、千冬姉の応援に来たのに……!」
だと言うのに、この様だ。俺は応援どころか、千冬姉にとって最悪の障害になってしまった。
「……ちく……しょお……」
あまりの情けなさに涙が零れる。
こんなことなら、大人しく家のテレビで見ていればよかった。それなら、千冬姉の邪魔になることもなかった。
「くそ……くそ、くそぉっ……!」
どうにか脱出出来ないかと、必死にもがく。だが両手はしっかりと拘束されており、ビクともしなかった。
……なんで、こんなことになっちまったんだろう。
俺はどれだけ、千冬姉の足を引っ張れば済むのだろう。
俺は――
「な、なんだコイツは!?」
「このガキ、さっきの……!?」
「尾けられたのか、馬鹿野郎がっ!!」
「……な、なんだ……?」
突然、部屋の外が騒がしくなる。断片的に聞こえてくる言葉から、どうやら誰かがここに来たらしい。
それも、連中にとって「敵」である、誰かが。
「ちっ、撃ち殺せ!」
「おい、全員呼べ! コイツはただのガキじゃねえぞ!」
「撃て! 撃ちまくれ!」
銃撃の音が聞こえてくる。それは絶え間なく続き、次第に激しくなっていく。
「クソ、どうなってやがんだ! 弾が当たらねえ!!」
「さっさと殺せ! 相手はガキ一匹だぞ!」
「こんなんじゃダメだ、マシンガンを使え!」
「アパァァァァァム! 弾持って来ぉぉぉぉぉい!!」
連中はかなり焦っているらしく、銃声にも負けないほどの怒号が聞こえてくる。
だがそれよりも、気になることは。
――ガキが一人?
――弾が当たらない?
――それって、まさか……。
「ぐあっ!!」
「がはぁ……!」
「ぎゃっ!?」
「なんだよ、一体……なんなんだよコイツはっ!!」
ガンッ、ゴンッ、と、重く鋭い音が銃声に混じる。そのたびに銃声の数が減り、そしてすぐに――
「こ、の……化け物めっ……!」
「……疾っ!」
ズガンッ!!
一際大きな打撃音が響き、ついに銃声が途絶えた。
なんの音も聞こえなくなり、不気味な静寂が続く。
……どうなったんだ……?
「一夏……! どこだ……!?」
「!? シン!? ここだ!」
聞こえた幼なじみの声に応える。それから数秒と経たず、俺のいる部屋の扉が重々しい音を立てて開いた。
「シン!」
「……無事……!?」
「ああ、俺は大丈夫だ! 怪我もしてない! お前こそ大丈夫かよ!?」
「……無傷……」
「そうか、よかった……」
扉から現れたシンは、長さ1メートルと少しくらいの鉄パイプを持っていた。俺を見ると安堵の表情を浮かべ、駆け寄って来る。
「どうしてここが分かったんだ?」
「……奴に持たせた……」
取り出した端末を見せながらそう言う。
……マジかよ。一瞬のことだったと思うんだが……。
「それじゃあ、どうやってここまで?」
「……借りた……」
今度は車のものらしき鍵を取り出しながら。
……えー……それって犯罪じゃねえの……。
俺が呆れているのを気にすることもなく、次にシンは軍用の大型ナイフを取り出し、俺を縛っているロープを切った。これは恐らく、連中が持っていた物だろう。
「……行くぞ……」
「ああ!」
シンに連れられて部屋を出る。するとそこには、銃で武装した男たちが倒れていた。その数、ざっと二十人。
「……すげえ……これ全部お前がやったのか?」
「…………」
シンは頷くだけで答えた。
……流石というかなんと言うか、やっぱりシンは強い。悔しいが、俺なんかとは比べ物にならない。
「あー、その……助けてくれて、ありがとう」
「……まだ早い……」
捕まったところを女の子に助けられるという非常に情けない失態が恥ずかしくて、上手く感謝出来なかった。ゴニョゴニョと言う俺に、シンは目つきを鋭くさせたままだった。
俺の言葉に短く答えながら曲がり角で止まり、その先を慎重に確認する。さっきからこうやって、所々で立ち止まっては周囲を警戒していた。
この工場はかなり大きいようで、まだ先は長そうに見える。そして千冬姉の試合まで、もうあまり時間がない。急がないと間に合わなくなり、最悪――
「……シン、アイツらは全員倒したんだろ? なら早く行こうぜ」
「……油断大敵……」
「そうかもしれないけどさ、でも急がないと。……千冬姉がこのことを知ったら、決勝戦を放り出しちまうかもしれないだろ」
「……危険……」
千冬姉の決勝戦が心配でシンを急かすが、シンは決して急ごうとしない。慎重に、最大限警戒しながら進んでいる。
「シン、急いでくれ。……頼む」
「……否……」
「……何をそんなに心配してるんだよ。大丈夫だって、もう何も聞こえないだろ? アイツらはもう残ってないんだ。早く行こう、さっきのヤツらが目を覚まさないうちに」
「…………」
切り口を変えて攻めてみたが、通用しなかった。険しい顔のまま、安全を確認しながら進んでいる。
……少し、イラッとした。
「……大丈夫だよ。ほら」
「!? ……待て……!」
シンを追い越して、前に出る。シンが警戒していた、通路の先へ。
「誰もいないだろ? 連中はもう残ってないんだよ。さあ、早く――」
「伏せろっ!!」
「――え?」
突然、俺のすぐそばにある壁が爆発して、吹き飛ばされて、また気を失った。
……結局俺は、なにも分かってない、無知なガキだった。
自分がどれだけ無力なのかも、気付けないほどに。
だからこそ、慎重さを臆病と思い。勇敢と無謀を、履き違えた。
――俺は、無知で無力で無謀なクソガキで。
――せめてもう少し、考えようとしていれば。
――あんなことには、ならなかったかもしれない。
――――――――――
「おおっと、危ねえ危ねえ。もう少しで殺しちまうところだったぜ」
通路の壁を破って現れたのは、異形の姿。
背から伸びる、八本の脚。
それらと、それを操る女の手足は、禍々しい色合いの装甲に覆われている。
それは、世界最強の兵器――IS《インフィニット・ストラトス》。
「ったく、クソガキが手間取らせやがって。おかげでこの私が、こんな雑用に駆り出されるはめになったろうがよ」
一夏は気を失い、考え得る限り最悪の敵が現れた。
……状況は絶望的。一夏を連れて逃げることは不可能だろう。
ならばどうする。大人しく死を待つか?
まさか。そんなことは有り得ない。
――己は、井上真改。我が友、織斑一夏を守護する刃。
――たとえ剣折れ、矢が尽き、この身が塵と砕けようと。
――我が名にかけて。敵の喉笛を、食い千切る。
「……あぁ? ガキが一匹しか――!?」
「……っ!」
――ガギャンッ!!
一夏が吹き飛ばされた瞬間に身を隠し、背後に回り込んで奇襲を掛けたが、なんの変哲もない鉄パイプの一撃ではISの皮膜装甲を破ることは出来ないようだ。首に直撃したが、全く効いている様子はない。
「て……めえ。やってくれるじゃねえか」
「…………」
だが身体には届かずとも、精神には届いたようだ。女は顔を憤怒に歪め、己を睨み付けている。
「……捕まえろって言われてんのはブリュンヒルデの弟だけだからな。大人しくしてりゃあ、一瞬で殺してやろうと思ってたけどよ。……気が変わった。てめえは、楽には死なせねえ」
「…………」
唇を吊り上げながら、女が言い放つ。……好都合だ。怒りに我を忘れれば、付け入る隙も生まれる。
己は一夏を背に庇い、鉄パイプを両手でしっかりと握り締め、霞の構えをとった。
「はっ、接近戦がお望みか? ……いいぜ、付き合ってやるよ」
「…………」
女は両手にカタールを展開し、八本の装甲脚を広げた。そしてゆっくりと、無防備に間合いを詰めて来る。
「さあ、それじゃあ、遊ぼうぜ? 楽しい楽しい、八つ裂きの時間だ」
「……っ!」
ゴウッと、空気を切り裂いて装甲脚が迫る。当たれば真っ二つどころか挽き肉になりそうな一撃。そんな一撃を、生身の体と鉄パイプでは受けきれない。
――故に、受けるのではなく、受け流す。
「……疾っ!」
「な……にぃ!?」
弧を描いて迫る装甲脚に鉄パイプを添え、その軌道を僅かに変える。女は己目掛けて振り抜いた装甲脚が、勢いをそのままに外れたことに驚いたようだった。
「てめえ、何しやがった!?」
「…………」
いきり立つ女を無視し、再び霞に構える。己の意識は、既に戦闘以外の一切を切り捨てていた。
「……はっ、ただのガキじゃねえってことかよ。ふん。なら、コイツの実戦テストには丁度いいか」
女は再び、装甲脚を大きく広げ――
「それじゃあ――どこまで耐えられるのか、確かめてやるよ」
「……っ!」
――それらが、一斉に襲い掛かって来た。
――――――――――
「オラオラオラオラオラアアアアァァァッ!!!」
「オオオオオオオォォォアアアアァァァッ!!!」
互いの得物が幾度となく交わる。
そのたびに、皮膚が弾け肉が裂け骨が軋み、体中が悲鳴を上げる。
だが、それでも。
この命を奪うには、まだ足りない。
「てめえ……人間か!?」
「オオオォォッ!!」
捌き、逸らし、流し、いなし、かわし、避け、ただひたすらに凌ぎ続ける。
たった一度しか無いであろう、勝機を待って。
「いい加減……くたばりやがれっ!!」
「オオオォアアアァァッ!!」
後のことなど全く省みず、全身全霊でもって防御を続ける。
己が女の攻撃を凌ぐたび、廃工場の壁が切り裂かれ、柱が折れ、床が砕け、置き去りにされた資材が吹き飛ぶ。
(……行かせん……!)
ギシリ、と、体内から音が響く。それがどこかの骨に亀裂が入ったことによるものだと分かったが、それがどうしたと言うのか。
(……ここから先へは……)
突き出された装甲脚が腿を抉る。
――問題ない。まだ生きている。
カタールによる薙払い。脇腹を切り裂かれた。
――だからなんだ。まだ動ける。
装甲に覆われた脚から蹴りが放たれる。掠めただけで、肩が外れた。
――知ったことか。己はまだ、戦える――!
(一歩たりと――!!)
「死ねええええぇぇぇっ!!」
「オオオオオオッ!!」
カタールが袈裟切りに振り下ろされる。鉄パイプを翳すが、当然そんなものは容易く断ち切られた。
ニイィィ、と、女の口元が歪む。得物が半分ほどの長さになり、長さを目一杯に使っての防御は出来なくなった。しめた、とでも思ったのだろう。
――だがそれこそが、己の狙いだ。
装甲脚が一斉に振るわれる。逃げ場を塞ぐようなその猛攻は、今の得物では凌げまい。
だが全ての装甲脚で攻撃を仕掛けるということは、女が自分を守るために使えるモノは、両手に持つカタールのみ、ということでもある。
そしてこの一斉攻撃は、決着を焦ってか大振りだ。
「……オ」
――この瞬間を、待っていた。
上下左右背後から迫る凶刃。だが、前は空いている。
ならば、前へ。
前へ。
前へ。
前へ――!
「――オ」
鉄パイプを、真っ直ぐに構える。
半ばから断たれた、鉄パイプを。
――斜めに切断され、鋭く尖った、切っ先を。
「オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ !!!」
「な――!?」
振るわれたカタールをかわし。
渾身の力を込めて。
女の首に、突き立てた。
「……驚かされるぜ、お前には」
「!?」
装甲脚が動き、開いた先端部分が己の手足を拘束し、そのまま空中に磔にされた。
「はっ、まさかそんなもんで、ISのシールドエネルギーにダメージを与えるとはよ」
「……っ!」
――貫けなかったか。
「だが、無謀だったな。さっきのヤツらと同じだと思ったか?」
「……ぐっ……!」
装甲脚に力が込められ、ギシギシと関節が鳴る。振り解こうと必死にもがくが、生身の人間の力ではどうにもならない。
「さあて、それじゃあ、遅くなっちまったが――八つ裂きの、続きと行こうぜ?」
女の顔が嗜虐敵な笑みを浮かべ、残った四本の装甲脚が動く。
その先端の刃が己に向けられ、ゆっくりと近付いて来る。
そして。
「こういうのはさあ、お楽しみを最後までとっとくべきだよな?
――先ずは、左腕からだ」
――ざくり。
ざくり、ざくり、ざくざくざしゅぐちゃずしゅぶちがりがりごりがりぐきごきごきんめきめきばきみしびきばきぼきんぶちりぶちみちぶちばづん。
「ぐ、がああああああぁぁあああぁぁぁぁああああぁぁぁあああああ!!!」
これが、真改が片腕になった原因です。
次回から、一夏が変わった原因となります。