IS〈イノウエ シンカイ〉   作:七思

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いずれいくつかのISを二次以降させる予定ですが、名前が思いつかん……。
名づけはセンスを問われますからね。かっこよく、かつマッチする名前を必死こいて考え中です。


第49話 原罪(献花編)

 シンが起きた。俺はすぐにみんなに連絡して、みんなすぐに駆け付けた。

 

 シンは腕を失くす前と変わらない調子で、それが却ってみんなを複雑な気持ちにさせた。

 

 ……シンが起きれば、少しは先に進めると思ったけど。

 

 そんなことはなかった。この期に及んで、俺はまだシンに頼り切っていたんだ。

 

 それじゃあ駄目なんだ。俺はもう、シンの重荷にはなりたくない。

 

 自分の足で立ち上がり。

 

 自分の目で前を見て。

 

 自分の意志で道を選び。

 

 自分の力で、歩いて行く。

 

 

 

 いつかきっと、アイツの背中に追い付くために。

 

 

 

 いつか、必ず。

 

 

 

 アイツの隣に、並ぶために。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「よう、シン。おはよう」

「…………」

 

 傷が癒え、リハビリもある程度進み、己はようやく退院を許された。今日は久々に学校へ行くのだが、孤児院を出た己を待っていたのは一夏だった。

 

「まだ本調子じゃないだろ? 一緒に行くよ」

「…………」

 

 いつも通りを装っているが、一夏の眼には罪悪感がある。自分自身に対する、怒りや憎しみも。

 

(……容易いことではない、か……)

 

 何度も言った。お前のせいではない、気にするな。己が勝手にやったことだ、と。

 だが一夏は自分を責め続け、その瞳はかつての輝きを失ったままだ。

 

 ――こんな眼は、この少年には似合わない。

 

「右手、まだ治ってないんだろ? 鞄持とうか?」

「……無用……」

 

 包帯の巻かれた右腕を気にして一夏が申し出るが、その必要はない。この程度ならリハビリにもならん。

 

「……そっか。まあ、痛むようならいつでも言えよ」

「…………」

 

 とりあえず一夏が引き下がったので、歩き出す。一夏は何も喋らず、黙って隣を歩いている。といっても、ただ黙っているのではなく、話し掛けようとはしているが何を話せばいいか分からない、といった気配だ。

 

「…………」

「…………」

 

 そして、己から話し掛けることはまずない。一夏から話して来なければ、こうしてずっと沈黙が続く。

 

「……あー……」

「…………」

「…………」

 

 一度呻いたが、また黙った。何か言おうとして言えなかったのだろう。

 

 そんなことを何度か繰り返すうち、学校が見えた。周囲には同じ学校に通う学生たちの姿が増えて来て。

 

「よ、シン。おはよう」

「…………」

 

 話し掛けて来たのは、中学に入ってからの友人、五反田弾。いつも通りの軽い調子で、朝の挨拶をして来た。

 

「ようやく登校できたな。授業結構進んでるけど大丈夫か? なんなら俺のノートを貸してやるぜ?」

「……無用……」

「……なんだよ、その「お前のノートじゃ役に立たない」とでも言いたげな眼は」

「…………」

 

 考えを読まれた――というよりも、単に自覚しているだけか。この少年の成績は、決して良い方ではないのである。

 

「やっほー、シン。おはよう」

「…………」

 

 次に挨拶して来たのは、小学校高学年からの付き合いである凰鈴音。朝から元気に溢れた、彼女らしい溌剌とした声だ。

 

「ようやく復帰ね。授業大丈夫? あたしのノート貸そうか?」

「……頼む……」

「おいシン、それはやっぱり俺のノートは要らねえ、てことか?」

「当たり前でしょ? アンタのと一緒にしないでよ、このあたしのノートを」

「……ぐぬぬ……何も言い返せない……」

 

 弾と鈴の成績は天地の差があるのだ。加えて鈴は努力家であり、ノートにも自分流の工夫が凝らされている。それを借りられるのなら、己がいない間の授業内容を把握するくらいは容易いだろう。

 

「ま、ゆっくり行きましょ。今はまだ本調子じゃないだろうし、リハビリのつもりで」

「……応……」

 

 こうしていつもの四人で学校へと向かった。弾と鈴は以前と変わらぬ様子で話し続けていたが、一夏は結局、一度も話すことはなかった。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 シンが学校に復帰してから数週間。包帯も取れ、体力も大分戻って来たようだ。

 

 それでも。失った左腕は、戻らない。

 

 シンは学校で浮いていた。片腕がないということは、多くの人にとって近寄りがたい要素だ。仕方ないと言えば仕方ないが――その状況を作り出したのは、俺なのだ。

 

(……くそ)

 

 心中で毒づく。もう何日も、俺は自分への苛立ちを消化出来ないでいた。疲れ果てて倒れるまで走り込み、手の皮が剥がれ落ちるまで剣を振っても、どす黒い怒りがくすぶり続けている。

 

(……情けねえ)

 

 シンは、変わっていない。周りがどんなにシンを避けても、変わらず静かに毎日を過ごしている。リハビリも終わり、早朝と学校の後の鍛錬も欠かさず行っている。

 鈴と弾もそんなシンと変わらずに接していて、また以前のように四人で連むようになって。

 

 けど、俺は。

 

 シンに、どう接すればいいのか、分からない。

 

 

 

 ――キーンコーンカーンコーン――

 

 

 

「じゃあ、ホームルームは終わり」

「起立。気をつけ、礼」

「よし、みんな気をつけて帰れー」

 

 授業が終わり、放課後になった。俺は帰宅部なのでいつもはこのまま家に帰るか四人で遊びに行くのだが、今日は日直だ。いくつかやらなきゃならないことがある。

 

「よい、しょっと」

 

 教室の隅に置いてある花瓶の水を替える。結構大きい花瓶で、当然重い。それなりの力仕事だ。だが俺は毎日鍛えているので、これくらいは楽なもんだ。

 

「……後は黒板か」

 

 まずは黒板消しを綺麗にしようと、クリーナーまで持って行き――

 

「よう、織斑ぁ。相変わらず馬鹿みたいに真面目にやってるなぁ」

「そんなのほっときゃいいのによ」

「そーそー、どうせ明日の日直が朝にやるんだからさ」

「……またお前らか」

 

 話し掛けて来たのは、小学校の頃からなにかと同じクラスになることの多い三人組だった。コイツらはしょっちゅう俺にちょっかいを出して来て、昔では箒に、最近では鈴にも似たようなことをしている。

 ……なんなんだろうな、一体。そんなにヒマなのか?

 

「邪魔すんな。俺はさっさと終わらせて帰りたいんだ」

「なんだよ、なんか用でもあんのかあ?」

「そんなの決まってんだろ、井上のことだよ。なあ織斑?」

「……関係ねえだろ、お前らには」

「そうだよなあ、お前と井上の問題だもんな!」

 

 一体何がそんなに面白いのか。コイツらは何度か痛い目に遭ってるのに、一向に懲りない。すぐにまた、こうしてやってくるのだ。

 

「なあ織斑、お前井上狙ってんだろ?」

「前からいつも一緒だったもんな、最近は特にべったりだし」

「……そんなんじゃねえよ」

 

 ……本当に気に食わない奴らだ。俺とシンはただの友達、憧れてはいるがそれは異性としてではなく剣士としてだ。それをこんなクソみたいな好奇心でつつき回されて、気分が良い筈がない。

 

「そんなんじゃねえ。シンは、ただの友達だ」

 

 だが、ここは我慢だ。こいつらのちょっかいは今に始まったことじゃない。無視し続けていれば、その内飽きて去っていく。

 

 だから、ここは――

 

「そんなこと言って、ホントは狙ってんだろ? 見え見えなんだよ」

「怪我して落ち込んでるところを慰めて、ポイント稼ごうってんだろ?」

「へ、一体何がいいのかねえ――」

 

 

 

「――あんな、腕なし女の」

 

 

 

 拳に衝撃を感じた。

 

 気付けば俺は、右拳を全力で振り抜いていた。

 

「「……え?」」

 

 呆然とした声が聞こえる。それは三人の内二人からのもので、残りの一人は教室のドアを破って廊下まで吹き飛んでいた。

 

「今、なんて言った?」

 

 俺の前から消えた馬鹿を追って、教室を出る。

 馬鹿は何本か歯が折れた口を押さえながら、尻餅を付いた体勢で逃げるように後ずさっている。

 

「なあ、なんて言ったんだ?」

「ひ、ひぃぃぃっ……!?」

 

 胸倉を掴み、持ち上げる。両足が床から離れるほど高く持ち上げ、締め上げた。

 相手の呼吸が苦しげなものになり、俺を見る眼が恐怖に染まる。

 

「良く聞こえなかったんだ。もう一回、言ってみてくれよ」

「や、やめ――ぶぎゃっ!?」

 

 今度は放り投げた。床に落ちて、蛙が潰れたような声を出した。

 無様に這いつくばる馬鹿へ近付いて行き。

 

「なあ、お前」

「た、たすけ――」

 

 拳を振り上げて――

 

「なんて、言ったんだ?」

「ひ――」

 

 ――振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………え?」

 

 だがその拳は、届くことはなかった。

 

 なぜなら届く直前に、俺の拳を止めた者がいたからだ。

 

「……シン?」

「…………」

 

 それは、シンだった。殺しかねないほどの力を込めて振り下ろした拳を、細い右腕一本で受け止めて、俺の目を見ていた。

 

「……な、なんで……」

「……騒ぎ……」

 

 その言葉に周りを見てみれば、確かに結構な騒ぎになっていた。

 当然ではある。なにせ教室のドアが壊れ、その際にかなり大きな音がしたのだから。

 

「……一夏……」

「……っ!」

 

 俺の名前を呟いたシンは、今まで見たことがないほど悲しそうな眼をしていた。

 

 俺はその視線に、耐えられなくて。

 

「……悪い。やり過ぎた」

 

 白目を剥いて失神している相手にそう吐き捨てて、逃げるように帰ることしか出来なかった。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 翌日から。

 

 一夏が怪我させた相手、若しくはその親が騒ぎ立てるかと思ったが、よほど恐ろしかったのか完全に沈黙している。

 しかし一夏はさらに沈み込んでしまい、その眼はまるで死んだ魚のように濁ってしまった。

 

(……無力……)

 

 ――これは、己の責任だ。一夏を守るためにと戦ったが、守れたのは身体だけ。心は、むしろ己によって傷付けられた。

 

(……如何に……)

 

 どうすればいい?

 

 一夏を守ると誓った。己の剣を綺麗だと言ってくれた、あの少年を。

 

 己が失ってしまったものを、あの少年には持っていて欲しいから。

 

(……ならば……)

 

 元より、己に出来ることなど一つだけ。

 

 己は、ただ――

 

「……寄って――」

 

 己が背負わせた、十字架を。

 

 歩む脚を縛る、枷を。

 

 お前を絡め捕る、鎖を。

 

「――斬る」

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「おっはよー、一夏!」

「……おはよう」

 

 鈴が元気いっぱいに挨拶して来るが、俺は蚊が鳴くような挨拶しか返せなかった。

 先日の一件以来、俺はいよいよ気が滅入っていた。

 

 千冬姉から教わった、剣。

 シンに鍛えられた、剣。

 箒と研きあった、剣。

 

 その剣を振るう手で、俺は、ただの暴力を振るってしまった。

 

(……どう……顔向けすりゃあいいんだよ……)

 

 俺の拳を止めた時のシンの眼は、心に深く突き刺さった。

 

 ――あの眼が、脳裏に焼き付いて、離れない。

 

「よ、一夏。おはよう」

「……おはよう」

 

 次は弾。やはり俺の返事は、気力の欠片もないもので。

 

「シン、今日休みなんだって?」

「……ああ。検査があるって。完治したかどうか診るってよ」

「ようやくね、シンの完全復帰」

「……そうだな」

「「…………」」

 

 嬉しい筈なのに、素直に喜べない。

 

 ――完全復帰。

 

 本当に、そう言えるのか?

 

 だって、シンの左腕は――

 

「……ほら、学校着いたぞ」

「とりあえず、気持ち切り替えなさい」

「……ああ」

 

 促され、俯いていた顔を上げる。玄関から校舎に入り、のろのろと手を持ち上げ、下駄箱を開ける。

 すると中からひらりと、一枚の封筒が落ちて来た。

 

「……なんだこれ?」

「おお!? これはもしやラブレターか!?」

「なにぃ!? ちょっと一夏、それ貸しなさい! 破り捨ててやるわ!!」

「うお!? ちょっとまて、これは俺宛てなんじゃねえのか? 流石に読まずに捨てるのは……」

「うっさい、いいから貸しなさい!」

「させねえよ! 一夏、俺が鈴を抑えている内にそいつを開けろっ!」

「お、おお……」

 

 なんだか妙に色気のない封筒なのでラブレターということはないだろうが、鈴も弾もそうと決め付けているようだ。このままでは場が収まらなそうなので、ビリビリと破って開ける。

 

 その中から現れたのは――

 

 

 

 ――果たし状――

 

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

「「「………………………………」」」

 

 ………………え? なにこれ?

 

「……え? 果たし状……?」

「なんて時代錯誤な……」

「……あれ? この字……」

 

 やけに達筆なくせに妙に読みやすい、独特な筆跡。

 

 それは、とても見慣れた字だった。

 

「……シン?」

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「……シン、来たぞ」

「…………」

 

 場所は孤児院の前、ちょっとした広場のようになっている空間。

 果たし状には場所と時間、そして立会人の名前だけが書いてあったので、俺はその通りにここに来た。

 

 時間は午後五時。

 

 立会人は、鈴と弾。それと孤児院の全員に――

 

「……千冬姉?」

「真改に頼まれてな。どうしても、ということで、どうにか一日だけ帰国出来た」

「……そうか」

 

 なんで千冬姉まで呼んだのかは分からないけど、果たし状と書いてあった以上、俺とシンが戦うんだろう。本当に、一体何を考えてるのか。

 

「……なあ、シン。一体――」

「……受け取れ……」

 

 ヒュン。

 軽い音と共に、一本の竹刀を投げ渡される。

 反射的に受け取ると、シンは腰に差していた竹刀を抜き、構えた。

 

「……往くぞ……」

「!? おい、待っ――!?」

 ゴウッ!

 

 瞬きすらしていなかった。だというのに、気付いたらもう、目の前に居た。

 

「ぐうっ!?」

 

 首を狙った横薙の一撃を、かろうじて受け止める。しかし衝撃に腕が痺れ体勢が崩れ、二撃目は受けられなかった。

 

「がはっ……!」

 

 胴を薙がれ、吹き飛ばされる。無様に地面を転がり、あっと言う間に全身が土で汚れた。

 

「ぐ……」

 

 ……なんて重さだ。あんな細腕一本、しかも竹刀の一撃で、腹に鉄球でも落とされたかのようだ。

 

「……立て……」

「……なんだってんだよ……」

 

 シンは鋭い眼で俺を睨み付けたまま、俺が立ち上がるのを待っている。

 竹刀の切っ先を俺に向け、シンはもう一度、静かに言った。

 

「……立て、一夏……」

 

 立て。

 

 立ち上がれ。

 

 ――立ち向かえ。

 

「……くそ」

 

 一体誰に。

 

 一体何に。

 

 一体、どうやって――?

 

「……くそ、くそ、くそぉっ……!」

 

 わからない。

 

 分からない、解らない、判らない。

 

 わからない、けど――

 

「……やってやる」

 

 戦えと言うのなら、戦ってやる。

 

 ちょうどイライラしてたところだ、洗い浚いぶちまけないと、いい加減頭がどうにかなっちまう。

 

 ――お前は。

 

「やってやるよ」

 

 それを、受け止めてくれるんだろう――?

 

「シィィィィィンっ!!」

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「おおおおおおっ!!」

「疾っ……!」

 

 一夏の渾身の打ち込みを捌き、真改が反撃の一撃を放つ。一夏はそれが首を捉える寸前に身を屈め、返す刃で胴を狙う。しかし肩に蹴りを叩き込まれ、腕を振り抜くことが出来ない。

 

「ぐっ……!」

「……っ!」

 

 その脚で側頭を蹴り飛ばし、倒れた一夏に追い打ちを掛ける。素早く転がり逃れるが、真改は更なる猛攻で一夏を追い立てた。

 

「ぜぇぇぇああああっ!!」

「オオオオオォォォッ!!」

 

 一合、二合、三合、刃が交わる。

 

 四、五、六、七、八、九、十――

 

「はあっ!!」

「疾っ!!」

 

 ……優劣は、誰の目にも明らかだった。

 一夏の剣は怒りに濁り、振るうたびに隙を晒す。

 対する真改は冷静に攻撃を捌き、的確に一夏の体に打ち込んでいた。一夏がまだ戦えているのは、得物が竹刀であることと、強烈な負の感情で痛みが麻痺しているからに過ぎない。

 

「……一夏……」

 

 見る影もなくなってしまった弟の姿に、私は思わず、震える声で呟いた。

 

 ――先日、唐沢さんから連絡があった。一夏が学校で暴力を振るい、クラスメイトに怪我をさせた、と。

 私はドイツに居たため、代わりに唐沢さんが謝罪に行った。私も電話で謝ったが、元世界最強の立場のおかげかはたまた別の何かか、相手方はあっさりと退いてくれた。

 

 ……だが一夏は、それから塞ぎ込んでしまった。

 

 一夏が暴力を振るった理由は、相手が真改のことを「腕なし女」と言ったからだそうだ。一夏の気持ちを考えれば我を忘れるほどに激怒するのも当然と言えるが、しかしそれは怒りに身を任せた、ただの「暴力」だ。

 

 そして私は、一夏に何度も教えた。

 

 「剣」は、ただの暴力とは違う、と。

 

「……守っているのか。最初の教えを」

 

 律儀……というのとは、少し違うだろう。一夏にとって、剣はある種の拠り所なのだ。

 一夏が幼い頃、私は剣しかアイツに教えてやれることがなかった。真改や箒と仲良くなったのも、剣がきっかけだった。

 

 今は剣以外にも、一夏は多くのものを持っている。

 

 だが、初めての人との繋がり、それは剣によるものだった。

 

 だから、その剣を貶めるようなことを自らしてしまったことが、許せないのだろう。

 

「はああああぁぁっ!!」

 

 一夏が竹刀を振るう。一撃ごとに渾身の力を込めた、猛烈な連撃。だがそれは真改には届かず、それどころか反撃にまるで対応出来ていない。

 

 ……違うだろう、一夏。私が教えた剣は。お前が目指している剣は。そんなものでは、ないだろう。

 

「疾っ……!」

「がふっ!?」

 

 隙を突いて踏み込んだ真改が、鳩尾に柄尻を叩き込む。流石にこれには耐えられず、一夏は膝を着いて苦しそうに咳き込んだ。

 

「ぐ、かは、げほっ……!」

「…………」

 

 その様子を、真改は一切の油断なく見据えている。その目つきは鋭く、一夏の一挙手一投足まで見逃すまい。

 

 ……何を考えているんだ? いくら片腕を失い、病み上がりだといっても、一夏がお前にかなう筈ないだろう。

 

 これはもはや戦いとは言えない。力量に差があり過ぎる。ただ一方的に、一夏が傷付くだけだ。

 

「……何がしたいんだ」

 

 真改の考えていることが、分からない。真改はいつも一夏を守ろうとして来た。そして何度も守って来た。

 今回も、大きな犠牲を払ってまで、一夏を守った。

 

 なのになぜ、こんなことを――?

 

「……もういい、やめてくれ」

 

 これ以上、一夏が傷付く様を見たくない。

 

 真改がそんなことをしているのも、見たくない。

 

 だから、もう――

 

「やめ――」

「千冬ちゃん」

「……唐沢さん?」

 

 ついに耐えられなくなって制止の声を上げようとした瞬間、先に唐沢さんに止められた。

 唐沢さんは打ち合い続ける二人に辛そうな顔をしながらも、二人から決して目を離そうとはしなかった。

 

「……千冬ちゃん。私は今まで、何人もの子供たちと触れ合って来た。みんなそれぞれの問題を抱えていて、一筋縄じゃいかなかった。しかもその問題はそれぞれが全然違うもので、必勝法なんてなかった」

 

 突然語られたのは、唐沢さんが普段は見せない、孤児院経営という難儀に対する苦悩だった。

 孤児院に来る子供は、当然だが親がいない。亡くなったかそれとも捨てられたか、事情はそれぞれ違うものの、幼い心を深く傷付けるには十分だということは共通している。

 

 そんな子供たちを育てることが、簡単なことである筈がないのだ。

 

「ずっと手探りだったよ。今でもね。同じ境遇の子でも、感じている痛みがまるで違うんだから。

 ……中には自分のせいでご両親を死なせてしまった、という子もいたけど、その子もやっぱり、一夏君とは違う痛みを感じていたんだと思う」

「…………」

 

 一夏が何に苦しんでいるのか。その全てを理解出来るわけではない、そんなことは出来る筈がないと、唐沢さんは言う。

 

 ――だが。

 

「それでも、長くこんなことを続けていて、分かったことが一つある」

「分かったこと……?」

「……痛みが人を強くする。傷が人を成長させる。

 大人の役目は、子供が傷付かないように守ることじゃない。傷付いた子供が、また立ち上がれるように。真っ直ぐに歩けるように。

 ――痛みを、「強さ」と「優しさ」に換えるれるように。そっと、支えてあげることだよ」

「…………」

「……もちろん、取り返しの付かない傷を負わないように、最低限守ることは必要だけれどね。……その点では、真改のことは私たちのミスだ」

「……だからこそ、真改がそうまでして守った一夏の「傷」は、見守らなければならない」

「うん。……あくまで、私の考えだけどね」

「いえ。……私も、そうするべきだと思います」

 

 一夏は何度も打ちのめされ、そのたびに立ち上がる。疲労とダメージが蓄積し、息は上がり、腕は下がり、脚は震え――だが眼だけは、全く力を失っていない。

 

(……いや、それだけじゃない)

 

 倒され、起き上がるたび、剣閃が鋭くなっている。

 

 血に錆びた刀を、丁寧に磨き、研ぎ上げて行くように。

 

 少しずつ、少しずつ――

 

「おおおおおおっ!!」

「疾っ……!!」

「がっ! ……ぐ、うおおおおっ!!」

「……そうだ、一夏」

 

 ならば、見守ろう。

 

 一夏は今、必死で立ち上がろうとしている。心に深い傷を負いながら、それでも。

 

 不器用極まるやり方だが――真改に、喝を入れられて。

 

 ならば、私は――

 

「それが――お前の、剣だ」

 

 折れぬように。

 

 曲がらぬように。

 

 捻れぬように。

 

 歪まぬように。

 

 お前を、導けるように。

 

 お前の、支えとなれるように――

 

「……唐沢さん。すいませんが……」

「分かってるよ。……やることが、あるんだね?」

「はい。……しばらくの間、一夏を頼みます」

「うん、任された。……でも、もう少しだけ待ってくれないか?」

「もちろんです。

 この「勝負」だけは、最後まで見届ける」

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「おおおおおおぉぉぉっ!!」

 

 ……届かない。

 

「せぇいっ!!」

 

 届かない。

 

「しぃああああぁぁぁっ!!」

 

 届かない――!

 

(これじゃだめだ、こんなんじゃ……!)

 

 こんな剣じゃ、いくら振るってもシンには届かない。

 

(なんだ、何が違う!? 何が足りない――!?)

 

「おおおおおおっ!!」

「オオオオオオッ!!」

 

 こんな剣じゃ、ダメだ。

 

 こんな剣は、千冬姉に教えられた剣じゃない。

 

 こんな剣は、箒と共に研き合った剣じゃない。

 

 こんな剣は、シンに鍛え上げられた剣じゃない――!

 

「疾っ!!」

「ぐあっ!!」

 

 素早く、無駄のない一撃。まるで手にした竹刀の切っ先まで神経が通っているかのような。

 

(思い出せ……!)

 

 剣に魅せられたあの日から、ずっと剣を振るい続けていた。

 

 一日も休まず、ずっと、ずっと。

 

「オオオオオオォォォォッ!!」

「ぐ、うぅぅおおおおぉぉああああっ!!」

 

 ならば、思い出せる筈だ。

 

 否、忘れる筈がない。

 

 何故なら、あの剣は。

 

 この身に、刻み込まれているのだから――!

 

「……左腕が、なんだと言うのだ……!」

「らぁぁぁああああぁぁあああっ!!!」

 

 ――踏み込め。

 

 もっと強く。

 

 もっと鋭く。

 

 もっと深く。

 

 もっと、もっと、もっと――!

 

「……腕ならば……」

「うおおおおおおおぉぉぉぉっ!!」

 

 込めろ、込めろ、込めろ。

 

 力を。心を。魂を。

 

 この、一刀に――!

 

「まだ一本、残っているぞ――!!」

「おおおおおぉぉぉあああぁぁっ!!」

 

 ただ真っ直ぐに、ただ無心に、ただ一心に。

 

 俺の全てを込めて、竹刀を振り下ろした。

 

 その、一撃は――

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 大の字に倒れたまま、空を見上げる。

 

 沈む夕日に彩られた空の赤が、本当に、綺麗だった。

 

「……やっぱ、かなわねえなあ……シンには、さ」

「……当然……」

 

 俺の剣は、やっぱりシンには届かなかった。目指す頂は、まだまだ遥か高みにあるってことか。

 

「……己は、お前の超えるべき壁だ……」

「……へ、そうかよ」

 

 追い付くだけじゃあ、並ぶだけじゃあ不足だってか。

 こんなに強いヤツを、俺は超えなきゃならないのか。

 

「……こりゃあ、超え甲斐のある壁だ」

「……く……」

 

 俺の言葉に、シンが少しだけ、唇の端を吊り上げる。

 

 それは、ずいぶん久しぶりに見る、シンの笑顔で。

 

 ……いいぜ、やってやる。

 

 女の子に、こんなに期待されてるんだ。

 

 応えなきゃ、男じゃない。

 

「……よう。無様なモンだな」

「……宗太……」

 

 相変わらず不機嫌そうな顔をしながら、宗太が俺の横に立っていた。

 

 睨むように俺を見下ろしながら、言葉を続ける。

 

「これだけ動いたんだ。腹、減ってんだろ? ……飯、食ってけよ」

「……ありがとう」

 

 差し出された手を取り、起き上がる。

 

 目線が同じ高さになると、宗太の眼はさらに険しくなった。

 

「勘違いすんなよ。アンタを許したわけじゃねえ」

「分かってるさ。……いや。俺を、許さないでくれ、宗太」

「……ああん?」

 

 俺の言葉に、怪訝そうな顔になる。だがそれに構わず、言葉を続けた。

 

「……みんな、優しいから。きっと、俺を許してくれる。……けど、そんなのはダメだ。俺の罪は、そんなに軽いものじゃない。だから――」

 

 

 

「お前だけは。――俺を、許さないでいてくれ。そうすれば、俺はお前に許されるために、頑張っていけるから」

「……ち」

 

 ガシガシと頭を掻き、さらに不機嫌そうになる宗太。

 

 そして、吐き捨てるように。

 

「ざけんな。てめえのことを俺に押し付けんじゃねえよ、甘ったれが」

「そうだなあ。けど俺はまだまだ未熟なんだ、それくらいは勘弁してくれ」

「……ふん。言われなくても、アンタを許しゃしねえよ。一生背負って生きていけ。……けどまあ、アンタがいねえと、ウチの連中が寂しがるからな。

 ……たまには、飯食いに来いよ――イチ兄」

「……ありがとな、宗太。……ありがとう……」

 

 その言葉は、俺の罪を許されるよりも。

 

 よほど、俺の救いとなった――

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「……それから、俺は少しずつ立ち直っていけた。剣道部に入って、シンだけじゃなくて、いろんな人の剣に触れた。少しずつ、少しずつ、前に進んでる……と、思う。

 ……それでも、まだまだだけどさ」

 

 三年前の出来事を、語り終えた。

 

 随分時間が掛かって、とっくに日付は変わってしまって。

 

 けれどみんな、最後まで聴いてくれた。

 

「だから、さ。俺は、弱いから。一人じゃ立てないくらい、弱いから。だから、みんなに支えられて、俺は今、此処に居る」

 

 俺の罪。

 

 俺の償い。

 

 まだ、終わっていないけれど。

 

 いつか、必ず――

 

「……情けねえよなあ。女々しいって言うか、なんと言うか。俺は――」

「うぅ……ぐす……」

「うお!? な、なんだ……!?」

 

 見れば、箒とセシリアとシャル、のほほんさん、それに山田先生が泣いていた。ラウラは意地からか、他のみんなは事情を知っていたからか泣いてはいないが、目が潤んでいる。

 

「い、一夏ぁ……」

「そんな……そんなことが、あったのですね……」

「うん……強いよ。一夏は強い……その痛みを抱えて、こんなに頑張ってるんだもん……!」

「……い、いやあ……」

 

 なんか照れるなあ……一種の黒歴史なんだけど。ていうか女の子泣かせちゃったよ……。

 

「そうか……マスターは、昔からマスターだったんだな」

「どういう意味だよ……」

「…………」

 

 見ろよ、シンも微妙な顔してるぞ。

 

「……それにしても、宗太君」

「ああん?」

 

 シャルが今度は宗太に話を振った。突然のことに怪訝そうな顔をするも、しかし不機嫌そうな声は変わらないあたり流石と言うべきか。

 

「君、優しいねえ……!」

「はあ?」

「うんうん、いのっちが言ってた通りだね~!」

「そう、そうですわ! 一夏さんも真改さんも、あなたたちのおかげで、今まで……!」

「……イチ兄はともかく、シン姉はなあ……どうだろうなあ」

「いや、謙遜することはない。この孤児院がどれほど真改の支えとなっているか、そしてお前が孤児院にとってどれほど重要な存在なのか、私は良く知っているぞ……!」

「……あー、そうですか」

 

 宗太は不機嫌を通り越して面倒くさそうな顔になった。

 だがその奥にあるモノを見切った者が一人。宗太と付き合いの長い、小夜である。

 

「あれえ? 宗太、照れてるう~?」

「ば、てめえ、何言ってんだよ!?」

「隠しても無駄よ? こおんなキレイなお姉さんたちに誉められて、嬉しいんでしょ~?」

「こ、このヤロウ……!」

 

 必死に誤魔化すが、しかし無駄だった。みんな宗太を見る眼が微笑ましいものになっている。

 

「ぐ……もう寝る! じゃあなっ!」

 

 というわけで、逃げた。立ち上がり、早足で部屋を出て行く。

 その背中を見送るみんなの眼は、子犬か何かを見るかのようなものだった。

 

「ああ……可愛いなあ」

「でしょ~? アイツカッコつけたがりなんだけど、実は可愛いヤツなのよね~」

「ふふ……本当に変わらないな、アイツは……」

 

 宗太のおかげなのか、場が和やかな雰囲気になった。そのままさらに会話に花が咲き――

 

 ――俺たちが床についたのは、深夜二時を回ってからだった。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 朝になって。

 

 己は、とある場所に来ていた。

 

「…………」

 

 カコン。桶に入れた柄杓が鳴る。

 

 己が今居る場所。己の、両親の墓。

 

「……ようやくだ……」

 

 ……ようやく。

 

 ようやく、己は――この人たちの娘として、ここに来れた。

 

「……永く、待たせた……」

 

 ずっと、過去の記憶に捕らわれていた。真改としての記憶に。

 それを捨てたわけではない。だが、吹っ切れた。良い意味で開き直れた。

 

「……完全、ではないが……」

 

 男としての記憶があるし、「彼女」への想いもある。この先、女として生きることが出来るかは、かなり怪しいが――それでも。

 

「……己は……貴方たちの、娘だ……」

 

 それを、伝えたかった。

 

 もう随分、墓参りをしていなかったから。

 

 何か、大きなことを報告したかったのだ。

 

「……簡素ですまない……」

 

 両親の墓前に花を手向ける。

 

 己が孤児院の皆と世話をしている、花壇の花。ここに手向ける花は、あそこの花と決めている。

 

「…………」

 

 合わせる手は無いから。ただ頭を下げ、黙祷する。

 

 そして静かに、時が過ぎ。

 

「やっぱりここに居たか」

「…………」

 

 皆が来た。朝早く出たのだが、この霊園は孤児院から近い。すぐに追い付ける。

 

「……真改さんのご両親のお墓ですか?」

「ああ、そうだよ」

「ねえ、シン。僕たちも手を合わせてもいいかな?」

「……応……」

「……ありがとう、マスター」

 

 感謝するのはむしろ己の方なのだがな。

 しかし、丁度いいか。皆のことはまだ紹介していなかったが、これで全員の顔合わせが済んだ。

 

 ……見てくれ。コイツらが己の仲間。己の、友達だ。

 

 今己は、コイツらに囲まれて――幸せに、生きているよ。

 

(……さて……)

 

 皆が手を合わせている間に、両親の墓の横に並べられている十二の小石に、一輪の花を手向けた。

 それに気付いた本音が、不思議そうな顔で訊ねる。

 

「いのっち、それは~?」

「ああ、それな。俺も何度か訊いたんだけど、教えてくれないんだよ」

「ふ~ん」

「…………」

 

 ――これは。

 

 かつての、仲間たちの墓。誰にも想いを知られることなく散っていった、十一人の同志たちの。

 

 ――そして、「彼女」の。

 

 ただ石を並べただけのものだが、不足はあるまい。彼らは、大罪人として死ぬことに、誇りさえ持っていたのだから。

 

「…………」

 

 そこに短い黙祷を捧げ、立ち上がる。

 

 彼らはきっと、こんな手向けなど求めてはいまい。これはただ、己がやりたいからやっているだけだ。

 

「ねえねえいのっち、そのお花は~?」

「…………」

 

 見たことのない花なのか、本音がまた訊いてくる。

 

 ……この花の季節は、もう終わる。最後に間に合って良かった。

 

 この花だけは、是非ともここに、己として手向けたかったから。

 

「……この花は……」

 

 セリ科の一年草。

 

 白い花弁。

 

 花言葉は、「静寂」、「可憐な心」。

 

 

 

 この花の名は――

 

 

 

「――オルレア」

 

 

 




「オルレア」は本来多年草(一旦花が落ちても、季節になればまた咲く花)ですが、日本の気候では夏の暑さを乗り切れず、一年草扱いです。リンクスたちの生き様的に、一年草の方が合っていると感じたのでこっちにしました。
花言葉についてですが、この話のもの以外にもいくつかあるようです。花言葉自体、国によって変わるようなので「これがこの花の花言葉」と言い切れるものはありませんが、やはりイメージ優先で採用しました。

話を作るうえで多少調べたりはしますが(主にwikiで)、しかし所詮素人ですので間違いなど多々あるかと思いますが、生暖かい目で見守ってください。
もちろん、間違いの指摘も大歓迎です。むしろ間違っているところはどんどん教えていただけるととても助かります。誤字とか。

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