酔酒の刃と空飛ぶギロチン 作:黄金収穫有限公司
我妻善逸の前に立ちはだかったのは、ターバンを巻いた肌の浅黒いインド人であった。
ちなみにインド人といえばターバンという巷のイメージとは異なり、現実にターバンを巻く習慣があるのはインドの中でも少数派のシーク教徒だけである。目の前にいるインド人風の鬼がそうなのかは分からないが、人を喰らう鬼な時点で戒律も何もないだろう……。
という豆知識はさておき、シーク教徒がターバンを巻いている理由のひとつが防御のためだ。
元は戦闘民族であった名残とも伝えられているが、確かにちょっとした衝撃や斬撃であれば頭部を保護できそうである。
「我が名はモナシン、ヨガの使い手にして解脱せし鬼なり」
おもむろに発せられたその口上は、中々に貫禄のある声であった。それはそれで様になっていたのだが、惜しむらくは善逸の知識量である。
「え、ヨガ? ヨガってなに!?」
同年代の日本人の平均と比較して特に善逸が一般常識に欠けているというわけでは無いのだが、当時の多くの日本人にとってヨガは馴染みの薄い概念であった。聞いたこともなければ、見たこともない。
「ふっ、ヨガを知らんとは田舎者め。ヨガとはインドに伝わる由緒正しき健康法である。呼吸を整え,精神統一を図る修行を積むことで、輪廻から解脱できるのだ」
「いや健康法って……」
武術でも何でもないじゃん、と善逸は軽く頭を抱える。露骨に呆れた様な態度を見せる善逸に、モナシンは頬を引きつらせて食いかかる。
「想像力のない剣士だな。貴様ら鬼殺隊の使う“全集中の呼吸”だって、考えようによってはヨガの一種のようなものではないか」
「っ……たしかに!」
「ようやく理解したようだな。そして考えてみるがいい。それを極めた者が鬼と化し、独自に血鬼術にまで昇華したとしたら……」
「なッ―――!?」
ようやくモナシンの脅威を把握して、善逸の顔がさっと青ざめる。
「ヨガで鍛えた我が鍛錬の成果、とくと見よ!」
もはや問答無用という事なのだろう。叫ぶが早いが、インド鬼が跳びかかってきた。
「ちょっ! ちょっと待っ―――」
当然のように善逸の制止は無視され、モナシンの腕から長く伸びた爪がが威勢良く振り下ろされる。慌てて後ろに飛んで避ける善逸を追って撃ち出される攻撃は目を見張るほどの速度であったが、善逸の方もどうにか更に身を捻ってモナシンの連続攻撃をかわす。
「中々やるな。その雷光の如き速さ……さては貴様、雷の呼吸の使い手だな?」
「くっ……」
中々に観察眼もあるらしい。ビビりという本人の性質もあるだろうが、ちょこまかと動き回ってモナシンの攻撃を避け続ける善逸の動作や足運びを見て、雷の呼吸の使い手であることを見抜かれた。
「はぁっ!」
気合の声をあげ、モナシンが再び爪による攻撃を繰り出してくる。今度も同じように後ろに跳んで避けようとする善逸だったが、そこで彼は想像を超えるものを見た。
「腕が伸びた―――!?」
モナシンの腕がまるでシャコのように伸び、間合いから逃れたはずの善逸を打ち据える。
直撃を喰らうギリギリで体を捻って躱したため、幸いにも傷は深くない。だが、今のは完全に不意打ちだった。もう少し気づくの遅ければ、今頃は……。
「ほう、我が血鬼術“涅槃解脱”を躱したか。だが、二度目はないぞ!」
モナシンが叫び、続く攻撃を予想して善逸は身構えた。だが、モナシンがとった次なる行動は善逸の予想を遥かに超えたものだった。
「え? 逆立ち?」
いったい何がしたいんだこの人!?
だが、善逸の戸惑いとは裏腹に、モナシンは勝ち誇ったような高笑いをあげた。
「いかにも逆立ちである!だが、それだけではない!――ヨガの秘儀から生まれし究極の血鬼術、“煩悩輪廻”をとくと見よ!」
モナシンは鷹揚に肯定すると次の瞬間、逆立ちしたまま蟹のように腕を曲げて移動し始めた。
ぎょっとして刀を握りしめる善逸だったが、逆立ちで突撃してくるような様子はなく、それどころか善逸の周囲を旋回するように高速でぐるぐると移動し始めた。
「えーと……」
ツッコミ慣れした善逸でさえコメントに困るモナシンの行動でえあったが、徐々に善逸の体に変化が表れ始めた。頭がぼぅーっとし始め、眩暈に襲われるようになったのだ。
(あ、やば……)
目の前で行われるモナシンの血鬼術と思しき謎の動きが、催眠術の類であったことに善逸が気付いた頃には既に時遅く。全身の力が抜け落ち、善逸の思考は暗転した。
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「ふっ……所詮はこの程度か。いかに鬼殺隊いえども、ヨガを極めし我の前では無力よ」
地面に崩れ落ちた善逸を見て、モナシンが呆れとも嘲りとも取れる感想をもらした。既に逆立ちから普通の姿勢に復帰しており、トドメを指すべく爪を伸ばす。
「手慣らしとしては丁度よかったぞ。せめて苦しませずに……」
モナシンが善逸を仕留めようと片腕を振り上げようとする。だが、そこにあるべきはずの腕が無い。
そして数秒ほど遅れて、モナシンの目の前で宙から腕が降って落ちた。
「!?」
モナシンは自らの腕と地面に落ちた腕を交互に確認し、倒れた善逸の方に驚愕の視線を向け―――ようとするも、既にそこに善逸の姿は無かった。
音もなく、気配もなく。ただ少しの風の動きだけが乱れている。
ここまでくれば、馬鹿でも何が起こったか想像はつく。慌ててモナシンが警戒姿勢をとろうとした、次の瞬間―――。
「ぬっ……!?」
断末魔の悲鳴を上げる間もなく、モナシンの首は宙を舞っていた。その背後には、いつの間にか刀を抜き放った善逸の姿。
―――これこそが、我妻善逸の真の実力。
極度の緊張と恐怖に置かれた時、彼は失神するように眠りに落ちる。そして睡眠によって余計な感情や雑念が一切消え失せたときこそ、本来の力が覚醒するのである。
そして善逸が極めし技は、ただの一撃で敵を仕留める必殺の居合斬り。神速の踏み込みからの居合い一閃。呼吸の力を脚に集中させ、強烈な踏み込みから文字通り雷光の如き速さで居合いの斬撃を繰り出す。
(寝たままの状態から居合斬り……だとぉッ!?)
ようやく自らが何をされたのかモナシンが悟った時には、既に勝負は終わっていた。
いつものごとく『片腕ドラゴン』シリーズより、1作目と2作目のインド人がモデル。ヨガとはいったい何なのか……。