鉄の意志を5ミリくらいは引き継げればいいなっていう男の話 作:藤涙
「知らん天井や」
男はそうぽつりと呟いた。
声はその場に響くことはなく、白い闇に呑まれるように消えていく。前、後ろ、横、全て白い。自分がここに何時間いるのかわからない。時間の感覚が無い。1分間しかいなかったような、まる1年間ほど過ごしたような、そんな奇妙な感覚だった。
「ここ、どこやねん」
自我を保つために声に出す。なにも無い白い空間に72時間いると正気を失うってガチな話しやったっけ? もしかしたらもう、俺正気とちゃうんちゃうか。
ここに来る前、自分なにしてたっけ。
確かいつもどーり朝起きて、
飼っとる猫に挨拶して、
餌やって、自分も飯食って、
出社して─────
「あれ……なにしたん、やっけ……」
脳の奥がピリつくように痛んだ。
思い出そうとすればするほど頭痛は強くなる。諦めて脱力する。立とうと思ったが平衡感覚が無い。ということで立つことも諦めた。傍から見れば大の字で寝転ぶ成人男性、怠惰の極み。
まあ仕事は割と多忙を極める職についていたので、夢の中の少しの休息と思えば気が楽───
「ところがどっこい! ざーーんねんですがイカした関西弁のオニーサン! そうは問屋が卸さない! 呼ばれてないけどジャジャジャジャーン!!
ごきげんよう! 天使で〜す♡」
「うぉああああお?! びっっっっっっっっくりしたあああ!! なんやあんた?!」
「あれあれ〜? 聞いてませんでしたか? 天使です!」
「いや知らんわそんなの、呼んでないわ、なんやお前。コスプレか? ハロウィンはまだ当分先やで」
「ひとしきりびっくりし終わったら怒涛のツッコミ! さすがは関西人、おつかれサマでーすっ♪」
甲高い女の声に────飛び起きた。飛び起きれた。文字通りに。
情けないが尻もちをついたような格好で女をしげしげと見つめる。
ニマニマと嫌な笑顔を浮かべる顔は、毎朝のニューステレビで見て「美人さんやなぁ」と思っていたアナウンサーに似ている気がした。黒髪ストレート、前髪はぱっつん。服装は白いセーラー服で、リボンは黒。セーラーの上は丈が短くへそが見えている。·····寒くないのだろうか。
スカートも極端に短い。脚は白いニーハイで覆われていて、程よい肉付きの太ももはいわゆる絶対領域。胸がキュンと鳴いた。
───断じて変態ではない。
微妙に顔が熱い。それをパタパタ扇ぎながら、むすりと眉根を寄せた。それくらいのプライドはある。
少女はにこりと可愛らしい笑顔を浮かべ直し、男と目を合わせるようにしゃがんだ。
「見たいんですか?」
「な、な、ななな…!! み、みみみみみ見たくないわッ! ほんッッッとうなんなんやお前ェ! 痴女か?!」
「“なにを”とは言ってないんですけどね。モウソウ力、逞しいんですね。ナニをかんがえたんですか? 健全なおとこのこで、いいと思いますよ。うふふ」
「うるさいわ!!!!!!!」
また意地の悪い顔に戻った少女に、男は唾を飛ばしながら言い返した。もう面目もプライドもくそもないが、叫ばずにはいられない。
必死になっちゃってまあ、可愛い。と笑う少女の髪がさらさらと揺れる。悲しいかな、その動作にもまた目を奪われてもううんともすんとも言えなくなっていた。
「さて、ひとしきりからかったので満足しました。
あらためまして、天使です! 今日は手違いで
「はあ?! テンシてじょーだん…。
…………………………………は????」
あまりに明るい声で、なんてこともない声で言うものだから、反応が遅れた。
へ??? 死んだ??? 俺が???
「ええ、はい。記録によ、れ、ば………
2019年9月某日深夜、通り魔に背中からザクっとー♪
運、悪かったんですね〜。ご愁傷さまです」
「は……? 通り……へ……?」
相変わらず、ニコニコと美少女は人を食ったような笑みを浮かべている。
脳の奥が痛む。
背中から刺された、と言われて、背中の一部が燃えるように痛み出した。冷や汗が浮かぶ、息が浅くなる。目の前が真っ白に───
「あーーーもーーー。気絶しちゃダメですよ〜。と言っても、魂だけの存在なので気絶もなにもないですけどね。ちょっとーーー、起きてくださ〜〜い、私にも他の仕事あるんですから。あなただけに構ってる時間はそれほどないんですよ〜〜」
ぐに、と頬を引っ張られて、一瞬冷や汗が止まった。手足の痺れも緩和される。
「大丈夫ですよー。その様子じゃ死んだのも一瞬だったんでしょう〜? 痛みもなかったご様子。大丈夫、大丈夫、死んだだけです。意識はあるし記憶もあるじゃないですか〜。魂を縛っていた体が無くなっただけ、ほらほら、大丈夫って思えてきません?」
「え……あ、ああ……」
「まあ大丈夫じゃないんですけどね、それは置いておいて」
ぱちぱちとまたたきをして、手のひらを見る。指先が透けていて声にならない悲鳴をあげた。卒倒しそうだった。
この場にいる天使はこの地に足がつかないような不安感を煽るだけ。足が震える。体は無いそうだが、胃だか心臓だかがぎゅっと縮んでいる気がしてくる。
「あーーーー、聞こえてんのかなこれ。
まっいいや。とりあえず要件を言いますね〜〜? ちょっとした手違いで命を落としたあなたは、まあお詫びとして、いろいろな特権を持って次の世界にいけます。あなたがたの言葉でいうと輪廻転生〜っていうやつですネ!」
「…」
「特権というのは三つ。三つのお願いを言ってくだされば、私が転生先の世界へお手続きをする際にいいようにしますよー?」
「………………………………猫ッッッ!」
「うひゃあ、びっくりした。いきなり叫ばないでくださいよ」
もう一度がばりと跳ね起きた男は、弾かれるように天使を見る。その必死な形相と、興奮で震える手足、ギョロつき血走る目に正直に言って天使はヒいた。
「猫ッッッ!!」
「はいはいにゃーん、猫がどうしました?」
「なああんた、この際あんたが天使でも悪魔でもなんでもええわ! 猫、俺がマジで死んだって言うなら、猫ッ」
「猫…? あーはいはい、そういえば二匹飼ってらっしゃいましたね〜」
天使はペラペラと手元の紙を捲って確認する。
男────■■ ■■(これから消える名前を知っていたって意味が無いでしょう?)。■■歳。5年前に母親を亡くして以来天涯孤独。二匹の猫と暮らしているが、あまりに溺愛がすぎるため5か月前に出来た彼女と2ヶ月前に破局した。いや、この情報いらねえな…と天使は2本線を引いて消す。
「俺、死んだ…………のはええんや! 百歩譲って、まだ実感湧かんけど、別にええ。でも猫はあかん。俺の家族はあいつらだけや、あいつらの家族も、俺だけや。俺が死んだ後あいつらはどうなる??」
「あなたに家族はいらっしゃらないので、恐らくは保健所………」
「あ、か、ん!!」
「うるさいですよ叫ばないでください」
天使の肩を引っ付かみガタガタ揺する。
可愛らしい顔を歪め目がぐるぐる回っていても構わない。正直恨みしかない。
「ど、どないしよ〜〜〜〜!」
「………あなた意外と図太かったりします?
まああなたの運命はあなたの運命(手違いで殺してしまったけれど)、猫の運命は猫の運命です。生きるも死ぬも猫次第では?」
「あ、か、ん、わ! 引き取って家族になってもらった以上、俺は最期まで面倒みんとあかんかったんや…それなのに俺………」
「情緒不安定ですね〜〜〜」
ついにボロボロと泣き出す男に、天使は面倒くさくなって耳をかいた。正直あまり時間はないのでさっさとすませたいのだが……狼狽する男の表情を見て静かにため息を吐く。
………時間がかかりそうだ。
「せや、」
「あ、妥協点見つかりました?」
「せや、そやな、なあ天使、あんた…なんでもお願い聞いてくれるゆーたやんな?」
「はあ、まあ言いましたね…」
「なあ、なら、“飼い猫が素晴らしい次の飼い主を見つける”とか“幸せに大往生する”ゆー願いもいけるんか?」
さしもの天使もこれには黙った。
「あなたの来世を潤いあるものとするための三つの願いを、あなたは前世の飼い猫のために使うのですか? もう二度と会えない、どう生きていくかもわからない存在に?」
「当たり前やろ…!」
「…………………あっっっっきれた。あなた、お馬鹿さんって言われません?」
「なんとでも言えばいいわ! できるんやな…?」
天使は逡巡すると、少しためらったあと頷いた。瞳には呆れが見て取れる。
「ええ、ええ。できますけど、これであなたは二つの願いを消費することになりますよ?」
「かまへんかまへん。死んだっていうのに願いなんてぽんぽん思いつかんやろ」
「いえいえ、結構あるんですよ? “スマホやPCの検索履歴消してくれ”とか“自室のベットの下にある
「あ〜〜〜そういうのは俺、ええわ。別に。見られて困るもんはないし」
「見る人も居ないですもんね」
「やめーや、哀しくなるやろ」
まじまじと天使を見る。次はまた、中学生の頃に一目惚れをして大破局した同級生の女のコに似ている気がした。
いや、ろくな記憶を思い出さないな…。
「さて、それでは最後の願いですね。さあ、どうします?」
「願いか〜〜、どないなの願えばええの?」
「願いは具体的なほうがいいですよ。例えば未来予知の力が欲しいのなら、安定とか自由に見る力が欲しいという風に。超解釈されて魔改造されるって可能性もありますし。カミサマってほら、適当ですからね。」
「あんたみたいにな。
………特殊能力みたいなもんでもええんか。転生っていうけど、どんな世界に行くん?」
状況適応能力が高いのか、落ち着いた様子でツッコミを返す男に舌を巻く。いや、これを素直に凄いと思える天使の感性もちょっとアレだ。
「“僕のヒーローアカデミア”、という世界ですね。ご存知です?」
「ジャンプのかな、名前は知っとるけど…有名なやつやんな。主題歌がSudathiの」
「それちょっと違いますね、OPは確かにそのミュージシャンでしたけど、確かに柑橘系の曲ありましたけど、全く違いますよ」
「あれ? ちゃうっけ? 胸に残り離れない苦いすだちの匂いという歌詞が頭に残っとるんやけどな·····まあええわ、ジャンプ系か〜〜〜○○の作品のキャラの能力ー! っていうもの可能なん?」
「男の子なら一度は憧れちゃうやつじゃないですかー! 可能ですよ、そういうのはわかりやすくて良きです」
なるほど、と頬に手を添える。
なにも思いつかないので“来世は途中で死にたくない”でもいいが、如何せん曖昧だ。超解釈魔改造は困る。そこそこ楽しみつつそこそこに生きていたい。
キャラの能力、キャラの能力…と考えて、ふと思いつく。思えば娯楽に疎い、寂しい人生だったが、数回だけ彼女に連れられて映画を見に行ったことがある。
「本当は全部、■■■■マンは三部作あるし、■■■■も三部作あるし、■べ■■■ーズシリーズも全部見てほしいけど、まあ■■ドゲームが上映されている間にあなたが全部見切れるとは到底思えないしとりあえず■■ドゲーム見ましょ(ここまでかなりの早口)」と見に行った映画はとても面白かった。登場人物は名前わからないしそこまでの過程がよくわからなかったけど、その映画の中の一人の男の生き様はとても素晴らしかったと思う。
なんだったっけ、名前。
「あの〜」
「はい? 決まりました?」
「あ〜〜〜これがええなあっていうか、これがあったら楽しそうやなあっていうのは見つかったんやけど、名前思い出せんくて」
「えっ、早く思い出してくださいよ〜。なんなんです? それ」
「えっと、なんやったっけな…なんかヒーローっぽいやつ。アメコミ? の。赤かったような青かったような黒かったような」
「情報曖昧すぎだろおい。アメコミぃ? D○ですか、M○RVELですか?」
「へ?? なんなん、そんな種類あるんか?」
「スー●ーマンとか、キ●プテンア●リカとかご存知ではありませんか? 有名どころですけど」
「名前言われてもわからへん…」
白い空間に眉を下げる男と割とイラついてる女が二人。カオスである。
「(なんやったっけ。きゃ、キャプテンなんとか…聞き覚えあるな。ブラックライオン的な…いや絶対違う。ざ、なんて読むんやろあれ…ザーみたいな名前のやつもおった気がする…)」
「あっ、時間やば」
「…えっ?!」
「ちょっと早く決めてください早く早くピンチなんです!」
「ええちょっと待ってやそんな急に言われても…!」
「飲み会に遅れるんで早く!!!」
「アホか!!!!!!」
ええっと、アイ、アン…
あっ近い、近い気がする。なんかこれな気がする!!!
急かされるまま焦りつつ男はその言葉を口に出した。
「ア、ア〜〜〜…マンの能力!!!!!」
「…………はい了解しました!! 承認です!!! それではおさらば素晴らしい来世にご招待!!!」
「雑すぎひん?!?!」
登場時と同じように、目の前が白くぼやけていく。
自称天使の彼女はひらひらとイイ笑顔で手を振っている。早く帰ってビール飲みてェ〜って顔だ。社畜の男にはわかる。
ブラックアウトならぬホワイトアウト。
これによりこの世界から■■■■は消失した。
「……終わった終わった♪ 飲み会行くぞー!」
天使が愉快そうに鼻歌を歌う。
手元のボードの備考枠には、“飼い猫2匹が素晴らしい飼い主を見つける”“飼い猫が幸せに大往生する”と…………
────“原子に近い小ささからビルのような巨大さま で! 体の大きさを自由自在に操れる個性に目覚め、