鉄の意志を5ミリくらいは引き継げればいいなっていう男の話 作:藤涙
少年の約12年の人生は、その瞬間の喜びの前に弾け飛んだ。ついでに眉毛は真上30cmほど飛んだし、目玉は飛び出た上に顎は外れかけた。体に電撃を受けたような衝撃が身を包んだし、その衝撃のせいで前世の記憶が蘇った。訳が分からない。なんだあの小悪魔デビルちっく美少女天使(矛盾)は。
少年としての12年間を思い出す───。
正直味気ない12年間だった気がする。あれ、これ前世も思ったな。
世界人口の八割が“個性”という超能力を持つ世界に飛び出て、関西のどこかの家庭に生まれ、4歳で個性を授かった。
「右手で自分を含むものを小さくでき、左手で自分を含むものを大きくできる」というものだ。まあこれはどうでもいい。駄菓子屋で買った棒アイスを食べていたら当たりだったため、興奮したらうっかり小さくしてしまい爪楊枝になった。とかそんな苦い記憶などない(血涙)。
“ヒーロー”という言葉に心踊った幼少時代もあったが、如何せん派手ではないので8歳くらいからはもう達観していた。いやスレていた。ものを小さくしたりでかくしたりどうヒーローになると言うのかと同級生にからかわれたのも原因だろう。
あの学校帰りに寄った洋菓子店でテイクアウトしたショートケーキを、公園で
今思い返せばどちゃくそ食い意地張ってるだけである。なんやお前、あほちゃうか。
そんな苦い思いのせいか───少年はちょっとしたあることが癖になっていた。人の消しゴムをちょっと拝借して、そいつが無い無いと困っていたら「落ちてたで」と颯爽と渡す。つまりはスリまがいなことである。手癖が悪いとも言える。なかったものがあった、と人が浮かべる安堵の表情というのは格別で、自分でも人の役に立てたと心が震えるのだ───。
まあ、ともかく。生まれてから12年、個性が出てから6年、少年の人生はこんなものだった。早いうちに打ちひしがれ、自分の個性に見切りをつけ、暗い欲望を消費する。
それが全て吹き飛んだ。
「ほら、
ある日病院に入院していた母親が退院し、腕の中には小さな赤ん坊の姿があった。
一回りも歳が違う妹の姿は少年──麗日茶ノ丸からしたら本当に小さい。成長期が来て一気に伸びた背から見下ろせば赤ん坊のまあるい目がぱちぱちとまたたいて、大きくなった手のひらをおずおずと差し出すときゅっと人差し指を握ってくれた。
ぎょっと目玉が転げだしそうになるほど目をひんむき、眉毛は30センチほど上空に浮き、髪の毛を逆立てた息子を今世の母はどんな面持ちで見ていたのであろうか。
「(ちょっと遅い赤ちゃん返りかなあ……)」
ニコニコ微笑ましそうに見守る母の心を茶ノ丸は知らない。
握られた指はやがて弛緩した。未発達な喉を鳴らしていた赤ん坊はやがて眠りにつく。その姿をたっぷり30分は眺め──母の腕はぷるぷるしていた──茶ノ丸少年は震える声を絞り出した。
「なあ、お母さん。いや、オカン!」
「えっ、オカン?」
「ぼく、いや、俺…お茶子の為だけに生きる…!」
その宣言通りに───茶ノ丸はその日からお茶子のために息をしていた。学校から帰ってきた途端揺りかごの傍に寄り、寝顔を眺めた。ぐずり出したらミルクを与え、おしめを変えた。それでも泣き止まない時は揺りかごをそっと揺らした。お茶子が笑えば幸せだったし、お茶子が泣けば世界が滅びた心地だった。
お茶子が生まれて数ヶ月、テレビから偶然流れてきたピアノの音に反応し、ピアノが流れる度にきゃっきゃと笑うようになったので、茶ノ丸は母に相談した。
「オカン、俺、ピアノ習う…!」
「えっ、ええ?! ええけど…」
近所のピアノ教室に通って幾許か。週に三度ほど通いつめ、親戚が子供の頃ピアノをやっておりおさがりをもらえたため、毎日コツコツ練習し“星に願いを”を完璧に弾きこなしたあとお茶子が笑ってくれた顔を茶ノ丸は今起こったことのように思いだせる。
ピアノは今でも続けている。
茶ノ丸はそれから、お茶子のための良き兄でいようと努力し始めた。
お茶子が産まれる前に、放課後に巨大ショートケーキ買い食いをやらかしていたため体型はちょっとぽちゃっていたが、毎朝毎晩走って絞った。勉強は常に一位であろうとしたし、実質物理や数学はとても得意だった。今ではその教科担任を任せられるほどだ。
将来は小さなお茶子を守れるような強い男でないとならないため、体力の増加につとめたし、勝手に見切りをつけていた個性を鍛え始めた。鍛えてみれば面白い個性である。
お茶子が3歳になった茶ノ丸15歳の春、父から見事その権利を勝ち取り「おちゃこ、ちゃのにい(お茶子は茶ノ丸の名前を間違えて呼ぶがお茶子が読みがお揃いだと喜ぶのでそのままにしている)のおよめさんになる!」と言ってくれた。喜びのショックで3日間寝込んだ。もうこの生に悔いはない。
茶ノ丸15歳の秋、進路のことで迷っていたところ、お茶子がテレビの中のヒーロー達を見、「おちゃこ、ヒーロー好き。ちゃのにいはヒーローにならへんの?」という言葉に、
「オカン、ごめん」
「今度はなに?」
「俺、ヒーローになるわ…ごめん、家継いでほしかったやろ」
「…」
麗日家は建設会社を経営しており、茶ノ丸はなんとなく、小さな頃からこの会社を継ぐんだろうなとぼんやり思っていたし、きっと両親もそう期待していただろう。
俯きながらそう言うと、聞こえてきたのは溜息ではなく鼻から思わず漏れ出たような、優しく笑う声だった。
温かい手が頭に乗る。
「ええんよ、茶ノ丸。お母さんは、オカンは、あんたが自分の夢を叶えてくれたら一番嬉しい」
「…そか」
「お茶子のことだけじゃなくて、自分のことも考えて欲しいけどな?」
「それはできん、むり、お茶子かわいい」
その後しばらくして、ついにお茶子も個性を持った。“
保育園の帰り道、夕焼け小焼けの空の下、ふわふわと浮き始めるお茶子の手を引いて歩くのがどれだけ幸せだったか筆舌には尽くしがたい。放ってしまえば空の向こうへ行ってしまいそうな妹を繋ぎ止めるロープなのだ茶ノ丸は───自らのことながら妹のことになると頭が茹だる。
ここまで3000文字弱語り、おわかりかと思うが茶ノ丸は妹が大好きだ。もうシスコンとかそういう
もう迷った、本当に迷った。できることなら地元の高校に通いお茶子の成長を毎日目と前頭葉に刻みつけたかった。そういえばこの頃からカメラを始めた。データのどこを漁ってもお茶子が出てくる。母が勝手に出したコンクールで最優秀賞を取ったこともある。さすがお茶子、世界一かわいい。
だが高校在学中にヒーロー免許を取得できるらしく、地元の高校とその東京の高校ととでかかる(お茶子に会えない)時間やコスト諸々を計算した結果、東京のヒーロー専門高校に通うほうがかなり早い、という結果に至っただけだ。
無事受験には受かり、11月から3月末までの数ヶ月を噛み締めるように過ごし、お茶子とは大阪駅で泣きながら別れた。つまりお茶子も泣いてくれたし、茶ノ丸はそれ以上に泣いた。完璧な兄を演じる手前、顔には出さないものの心は大洪水だった。死にたい。
高校三年間をそつなく──相変わらず手癖の悪さは少しだけ治らなかったものの──学級委員長をしたり、お茶子以外の写真を撮ってみたり、もはやお茶子のことでまるっきり忘れていた前世ではやってなかった読書や音楽鑑賞などをしたり、それなりに楽しく過ごしていた。
本当は毎週帰りたかったものの(さすがに金の問題もあるので)、長期休暇は毎回実家へ帰った。季節に一回ずつ帰り、お茶子が目に見えて成長するのを実感する。それが幸せだった。心が安らいだ。
……思えばこの時期が一番人生で充実していた時期だったかもしれない。
卒業し、関西に帰る前に、高校時代の先輩のサイドキックとして雇われて約10年。茶ノ丸は実家に帰れずにいる。
麗日茶ノ丸、27歳。
都内のとある一軒家。雄英高校からほど近いこの家の地下室。
レコードからはリズム良いジャズが陽気に流れ出している。壁には大きな本棚が三つ、どれもギチギチに本が詰め込まれ、それでも足りないのか上に乗せられたり溢れ出たりしている。ガラスケースの中には年代物のアンティーク時計。茶ノ丸が寝そべるソファの横にある机には未だ湯気のたつティーセットが置かれていた。
白手袋に覆われた手のひらが、光避けに顔を覆っていた革張りの古本を退かす。気だるげに体を起こした茶ノ丸の目には───何故か涙が浮かんでいる。
「お茶子…」
今年で彼女は15歳。来年には雄英に来ると母に聞いた。
懐かしいゆめをみた。夕焼けの茜の元、お茶子の手を引いて帰る夢だ。願わくばあの頃に戻りたい、切実に。
「先輩コノヤロー…」
茶ノ丸は茶髪の巻き毛をかきあげて、そっと毒づいた。通勤時間が迫っている。
まあやることと言っちゃ物理の授業と校内の見回り程度なのだが。
「てか前世と言えば、なんか違わん? これあの、あい、あ、ん? なんかあの人じゃなくね??」
多少の違和感を感じ、っかしーな…と首を傾げながら立ち上がる。
茶ノ丸の長い一週間が今日も、始まろうとしていた。