鉄の意志を5ミリくらいは引き継げればいいなっていう男の話   作:藤涙

29 / 29
text28:海月

「は、はッ、疲れた。無理だ。しんどい。うう…」

「頑張れ環…!!! ここからが中層だよ…!!!」

「きゅう………」

「あのねちゃんダメっぽい…身体的にも精神的にも限界だったのかな…」

「ははは…ここからは俺が背負うよ。波動さん」

 

中層へと続く通路の直前。「ここから先、中層(ニコちゃんマーク)」と描かれた看板の元で、4人の生徒がへたりこんでいる。ヒーロー科通形、天喰、波動と、普通科声響の4人1組。

巨大クロオオアリと巨大ヒアリに追われた下層から逃げ延び、やっとここまで。

 

ぐるぐると目を回しながらうわ言を呟いている声響を通形が背負う。波動から彼女の個性の概要を聞いた今でも、影響を受けていたことが信じられない。

人質の交渉とかにものすごく活躍しそうだ。あとは避難のアナウンスとか。

 

「ねえねえ、通形! 次の階層、最初はどうする? 下層は逃げてばっっかだったからね、中層では暴れてみる?」

「うーん、そうだな。アント先生のことだからそういう思考も絡めて蟻の配置をしているのかも。下層と同じ手は通じないぞ…みたいな」

「あ、ありえる……でもミリオ、それだとまた後手に回らないか?」

 

逃げ回るだけだった下層のことを思い出す。自分たちはヒーローだ、誰かを照らす月明かり。敵が現れたのなら立ち向かおう、迷子になって泣いている子供がいるなら手を伸べよう。だけれど────

 

「これは守るべきものを守る競技。赤ちゃんが泣かないように、できるだけ戦闘を避けて上層へ向かおう」

「うん───うん、わかった。俺はお前に従う」

「よーし! 頑張っていこう!」「お〜……」

 

力なく声響が呟いたのに、みんなで笑った。

競技開始から約20分。舞台は岩場の中層へと続くのだった。

 

◆◆◆

 

「ちゃのにいは、ヒーローならへんの?」

 

そう問うたのは、大阪の水族館の深海ゾーンでのこと。小さなクラゲたちがライトアップされた水槽の中ゆうゆうと揺蕩うのを眺めながら、兄は自分の体を揺すりあげた。

 

兄はぱちくりと私とおそろいの大きな瞳を瞬かせると、うーんと困ったように微笑む。深海ゾーンはとても静かで、闇に浮かび上がるようなクラゲが不気味で、効きすぎた冷房が肌寒くて、抱っこをせがんで困らせたからもうそんな顔させたくなかったのに。

 

「…お茶子は俺にヒーローなってほしいん?」

「うん! だって、かっこえーやん!」

「そうかなあ…」

 

暗闇の中、寒さの中、それでも平気なのは兄が抱いてくれていたからだ。兄はすごい、どんなに怖い見た目のクラゲや魚を見ても怖がらないのだから。いちいちビクつき兄の服に皺を作る私を、ケラケラと笑って「平気だよ」とくすぐってくれる。

 

「ヒーローってぷりき⚫あ? 俺男の子やし、大きいしなあ…ぷ⚫きゅあは難しいかもしれん…」

「ちゃうよー。おーるまいと、とか。そういうの!」

「そういうのかあ…」

 

そういえばオールマイト何某の特集、テレビでやってたね。と兄はクラゲを眺めながら、また困ったようにくしゃりと笑った。彼が見ているクラゲはタコクラゲだ。その名の通り小さなタコのような見た目で、笠にある水玉模様がなんとも可愛らしい。少し興味を惹かれて水槽に手を当てる。笠を細かく動かしながら移動する彼らは、目の前に現れた巨大な手を気にすることはない。

 

「…クラゲってなー、分類的にはプランクトンなんやで。プランクトンってわかる? ほら、さっき見たクラリネとかも」

「ぶんるいてき?」

「“仲間”ってことやよ」

 

少年らしさが残る兄の眼差しは穏やかだ。

瞼がゆっくり落ちて、大きな目を隠してしまう。男性にしては長めの睫毛。筋の通った鼻に、いつも口角が上がっている唇。彼の頬はいつも固い。肉がついていないというか、よく笑っているから筋肉がついているのだろう。

 

「プランクトンの定義は水の中を漂っている生物、らしいで。自分で泳ぐ能力がない生き物」

「でも、この子ら泳いでるよ?」

「ああ、うん。水槽のなかならな。海の中には水流っていう大きな力があって、クラゲはその流れに逆らえないんや。いちおー泳ぐ能力はあるんやけど弱すぎるから、水流の流れに沿って漂ってんの」

 

兄の指が水槽をくすぐるように動く。

 

私はその話を聞いて一層まじまじとクラゲを観察した。

 

「じゃあ、なんでこの子らのかさは動くの? すいりゅうをただようだけなら、うごかなくてもええよね?」

「うーんと、確か、体液を循環させるためやなかったっけ。それに限らずだいたいの生き物って動かないと死んじゃうんやけど。お茶子だって、眠ったら寝返りうつやん?」

「???」

 

兄はすごい、なんだって知っていた。

私が知らないことはなんだって。

 

私にとって“兄”とは憧れであり、理想であり、そして“ヒーロー”そのものだった。なんだってできてしまう、無敵のヒーロー。

 

兄は体を揺らしながら、暗がりをのらりくらりと歩いていく。

 

「くらげってさあ、“海の月”って書くんやって。なんでかなあ」

 

ただその時、なんでも知っている兄がこぼした問いに、彼がどこかに行ってしまいそうな気がして思わず指の力を強めた。

 

そうだ、そうだった。兄はなんだって知っていた。

───15歳という歳に似合わず。

 

「次、何見る。ペンギン? イルカ?」

「いるかさんのショー見たい!」

 

その数ヶ月後、兄が「雄英高校のヒーロー科」に進学すると聞いたのだ。

当時は無邪気に喜んだものの、彼と同じ歳になって、私はそのことに後ろめたさを感じていた。

 

───「ええよ、お茶子。俺はお茶子のためのヒーローになる。お茶子が“助けてー”言うたら、いっちばん最初に駆けつけてみせるよ」

 




短めでした(駆け足)。

先日某年末の大イベントの当落発表されましたね。無事スペースをいただけたので新刊落とさないようにそっちに集中します…! 息抜きですよ息抜き。やばかったら(締切)12月中旬まで、やばかったら(精神面)11月中もちょくちょく更新できるかな…?

プランクトンの定義って幅広いなあ…

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。