鉄の意志を5ミリくらいは引き継げればいいなっていう男の話 作:藤涙
便りがないのは、無事な証拠。というのは、母の口癖だった。
家族の写真が飾られている棚。特に幼いお茶子とその兄が撮られているそれを見ながら、母は微笑みを浮かべた表情で言う。
ただ、その時ばかりは違っていた。
12歳年上の兄はお茶子にものすごく甘かった。お茶子の個性が発現した3歳の時まで彼は家にいて、中学卒業とともに東京の学校に進学するために出ていった。母はそれを少し、寂しそうに見送っていたのをよく覚えている。
高校は三年間、季節に一回は帰ってきていた。会う度会う度に大きくなる兄は、小学校入学を控えて胸を張るお茶子を見て、「入学式、一緒に行けんくてごめんな」と寂しそうに笑ったあと撫でてくれた。
高校を卒業したあとは、とあるプロヒーローの“
その時からだ。ずっと文通はしていたため、毎日ポストを見ては空っぽで肩を落とすお茶子に、これからずっと言い続けることになる言葉を母が口に出したのは。
お茶子は8歳の時まで来ていた手紙の束に触れる。兄からの便箋はとてもセンスがよかった。封筒の中には手紙の他に、彼が東京で撮ったらしい写真も1枚入っていた。母と父宛にも手紙は来ていたらしいが、お茶子はそれを読んだことはない。
兄が成人して、それを祝うために一度だけ帰省して、それっきり。お茶子が最後に兄の姿を見たのは、父とリビングで二人、何かしらを話しながら会話をしていた時だ。朝には兄は消えていた。
「男の子はせっかちやね」、とは母がその日に言った言葉。
母は毎日、夕食の時に写真を眺めている。少し寂しそうに微笑んで。もしかしたらそれは祈りのようなものだったのかもしれない。普通の子供より早いうちに、自立して行った息子に。遠く離れた土地で危険な仕事をする子供に。母ができる精一杯の祈りだったのかも。
そんな母が口癖を言わなくなったのは、それから6年後のこと。お茶子が14歳の秋だった。その日学校から帰ってきたら、母は既にいなかった。その後すぐに帰宅した父から、母は東京に行ったんだよと聞かされた。ぼんやりと白く霞む思考の中で、兄に何かあったんだ、と感じた。もうほとんど、写真の中の彼以外を、思い出せなくなった時期だけれど。
帰ってきた母は口癖の代わりに、写真を見つめてはきゅっと口を結ぶようになった。まるで写真の中の兄に文句を────怒っているようだった。
お茶子は覚えている。夕焼け小焼けの空の下、一緒に保育園からの道を歩いたことを。あの時の兄の顔が夕焼けに照らされていて、兄が猫みたいにくしゃくしゃな顔で笑って、二人で童謡を歌った帰り道を。
お茶子がヒーローを志したのは、災害現場で活躍するヒーロー達をテレビの中で見てからだ。もしかしたらあの中に兄もいるのかもしれない。そう考えると、嬉しさとともに寂しさも溢れかえる。
その話をすれば、母は迷うように眉を下げた。ヒーローになりたい、憧れのヒーローがいる雄英高校に通いたい、心が痛いほどにそう主張していた。
「兄妹って、似るもんなんやねえ…」
「え?」
そう言って、母はくしゃりと笑った。いつかの兄と姿が重なる、そんな笑顔だった。母は可笑しそうに声を上げて笑うと、引き出しの中から真新しい封筒を取り出した。飾り気のない、真っ白い便箋だった。
内容は簡素なもので、「教師免許取ったから雄英の先生やるわ」みたいなものだった。
「えっ、茶ノ丸兄、雄英におるん?!」
「そう、何年か前からいるみたいなんやけど、報告が来たのが最近で…!! 全く、連絡しないのも、形が違えど甘えなんやろうな。テキトーに扱ってもうちらは自分のこと嫌いにならないって思ってんのよ。きっと。これだから男は、これだから男の子は!」
「お、お母ちゃん…?」
日頃の鬱憤が堰を切るように溢れ出す母に、お茶子は困惑して父に視線を移す。父は新聞を顔の前に掲げて隠していた、わかりやすい反応である。
「こっちに帰ってこないんならこっちが会いに行くしかないわ! なぁ? お茶子。だって相手を変えるより自分を変える方がよっぽど簡単や、腹立たしいけど!」
「お、お母ちゃん??」
「ええよ、大丈夫。お茶子、雄英行き。茶ノ丸の頭引っぱたいてき」
「お、お母ちゃん?!」
「お父さんもお母さんも、お茶子と茶ノ丸が一番大事。あんたらが無事に、自分の夢叶えて大人になってくれるのが一番、嬉しいんやから」
そう言ってぽんぽんと頭を優しく叩いてくる母に、お茶子の目に訳もなく涙が溜まった。
その後ボロボロと泣いて、父と母が慌てて、必死に勉強した。そういえば記憶の中の兄はずっと机に向かっていたような気がする。
お茶子は思い出す。
冬の、透き通った空を見上げる。
白い息を吐く。あの高校の中に、10年ぶりの兄がいる!
麗日お茶子はその日、夢への第一歩を踏み出した。