神やダンジョンのある世界で生きていく話 作:どくへび
→せっかくだからヒロイン系女主人公でいこう。
→せっかくだしヤンデレにしよう。病んでる子にしよう。
→ついでに、リリも助けよう。(今ここ)
続くかは不明。
――ふと、目が覚める。
「……?」
微睡みの伴う意識と霞む視界の中で、しばし考える事になった。
考えて、考える意味を考えて、この場にいる事の理由を考えて、放棄した。
だって、意味が分からない。
何をどうすれば、自らが土と石で出来た地面を寝台にしなくてはならないのだ。地面を寝台とする全身に感じる倦怠感は、拗らせた風邪の中でも最悪の部類に近い物で、思わず眉を顰めた。
「……ぁ、ぁー」
およそ自らの物とは思えない掠れた声音を起点に意識の覚醒を促す。
少しずつ明瞭となる思考に基づき、まずは手足を動かし、ゆっくりと身体全体を動かしてみる。全体的な不調はもしもゲージがあるならば、きっと赤色で、ゲームオーバー目前だろうか。
(ゲームか、夢なのだろうか)
今が何時で、ここはどこなのか。
自らに圧し掛かっていた死体を押し退け、自らの思考に集中する。
時計など持ってはおらず、手を地面に付き、緩慢とした動きで上体を起こした。
電灯のような人工物は視界内には入らない。
にも関わらず、視界が闇に閉ざされないのは、この洞窟自体に光量があるのか。
ふと上を見上げると、それなりに高さのある天井から僅かな燐光が覗くのが見えた。
(ゲームの夢なのだろう)
そう結論付けた。付ける事にした。
昔、中学生の頃、せめて夢の中でくらいは自由になりたい、と試していた明晰夢が成功したのか。だとしたなら遅すぎる。現実逃避をする為の時間などもはや不要だと言うのに。
装着した覚えのない手袋に包まれた手で頬を叩くが、肉体が目覚める兆候はない。
最悪、あの醜悪な目覚まし時計が、夢から叩き起こすだろう。
嫌でも現実に戻り、あの忌まわしい日常を過ごし、時折ゲームで現実逃避する。
現実の煩雑な事を忘れ、ゲームにのめり込む事こそが、ささやかな自らの幸福なのだ。
ワイヤレスイヤホンから流れるBGMや効果音に酔いしれて、惚れ惚れする高解像度グラフィックが展開する世界観は、現実と間違える没入感を与えてくれる。小説で読むようなフルダイブのVRといった代物ではないが、コントローラと飲み物を片手に楽しむ快楽は何者にも代えがたい。
神ゲー等とゲーム業界で発売前から期待されたソレは、オープンワールドRPGだ。
王道物のストーリーで、主にダンジョンの最奥に眠る秘宝を巡り、モンスターを殺し、時には人と協力し、殺し、勲章や、名声、金や土地を手に入れ『至高の幸せ』を手に入れるという物だ。ベタな展開だが時に邪道な展開も含まれ、世界中の大人と子供を虜にしているゲームだ。
だから、そういう夢を見ているのだと結論付けた。
こんな冷たい地面ではなく、柔らかく使い慣れた寝台で眠っていたはずだ。
確か、義妹が帰ってくるまで、少し昼寝をしようと自らの部屋の寝台で目を閉じて――、
『……ブリャァ』
「あ……?」
ふと、くぐもった声が耳朶に響く。
思考を止め、反射的に声の方向に目を向けると、ソレはいた。
生物なのだろうか。否、その生物を見た瞬間、ある程度自らの中の疑問が解消するのを感じた。その緑色の生物、あのゲームの世界観において、NPCが最弱と称していたゴブリンの姿があった。小さくうめき声を上げる醜悪な生物を見て確信に至り、小さな笑みがこぼれた。
「なんだ」
身体に感じる倦怠感を歯を食い縛り我慢する。
夢の癖に、初めての明晰夢で感じる感覚の中で、こぼれた笑みと安堵の吐息。
吐息と共にこぼした言葉、正確には声に違和感を抱きながらも、夢だからで解決する。
壁に手をつき、ゴブリンに近寄る。
どこかのプレイヤーが殺し損ねたのか、背中に刺さった剣が地面に縫い付けている。
既に瀕死の緑の生物は、最初から此方に気づいていたのか、呻き声を上げるだけだ。
それに気づけなかった己の無能さを棚に上げ、地面に縫われたゴブリンに脚を向ける。
『……ゴ、リャ』
「……」
醜悪な生物だ。
経験値など十にも満たず、初心者の頃ならともかくやり込んでいる今となっては、最早戦おうとすら感じない雑魚中の雑魚だ。ゴブリンでレベル上げをするのは効率も悪く、得意とした獲物どころか拳で撃退すら可能だろう。
だが、それはともかく、このゴブリンには感謝を、お礼をしなくてはならない。
どこか苦悶の表情を浮かべる生物に死を。
ここが現実ではなく自らの記憶に基づく夢だと教えてくれた返礼を。
「――――」
ゴブリンに刺さった剣の柄に手を伸ばす。
ほんの少し、ほんの少しだけ力を入れれば、心臓を断ち切れるだろう。
どこか違和感を感じる腕の長さや感覚を夢の所為だと断定し、柄を握りしめる。
どこにでもありそうな片手剣だ。
使い込んであったのか、もしくは使っていたのか、手に馴染む鉛色の武器は、命を刈り取る形をしている。大型アップデートがあったのか、演出の変更があったのか、やけにリアルな感触が手のひらに広がる。
ふと、どこかで見たことのある形状に、そういえば、と思い出す。
まだ初心者だった頃、使用していた≪スモール・ブレード≫と見た目が酷似している。
少しゲームは控えるべきかと思い、しかし勿体無いという中毒に冒された思考に苦笑しつつも、介錯をする為にゆっくりと腕に力を籠めた。
考えるよりも、あっさりと、何かを壊し砕く感覚が手のひらに伝わる。
『ゴブォ……』
ほら、夢だ。
だって、普通は、血とか死体が残るだろう。
灰になって消える演出なんて、あのゲームと一緒ではないか。
消えた緑の体躯に感謝を告げる奇妙な状況、しかし、そう悪い気分ではない。
身体に圧し掛かるような倦怠感は変わらず、ただ少し楽しいとすら感じ始めた。
消えた肉塊、灰となり自らのブーツに掛かるのを気にせず、片手剣を持ち上げる。
現実ならば持てそうにはない。
長さは九十センチ程だろうか、それなりに重い武器は振る事に問題はない。
細身のアバター、多少鍛えられている身体は、やはり現実の物とは異なっている。
「ん?」
あまりにも細部まで作りこまれているのは気のせいか。
土で汚れつつも細く白い柔腕、視界の端でチラチラと映りこむ紅色の髪の毛。
視界を下に移すと、映りこむショートブーツと、ボロボロの衣服と破損している皮鎧。
腰には空の袋と、小さなナイフ、レッグホルダーと、基本的な装備には既視感を覚える。
(自分の作ったアバターだよ、な……)
皮鎧の隙間から覗く胸板がやけに大きく感じた。
グラフィックが向上したのかやけに赤黒い血が衣服にこびりついているのを不快に感じつつも、首筋から僅かに覗く白い肌に何故か変な気分に襲われた。
(ノリノリで作った奴じゃないか、これ)
酒の勢いは恐ろしい。
あれは、今になるとただの黒歴史だ。
『ぼくの考えた最高に好みの女の子』のアバター作成に三時間は掛けたのを覚えている。
十人に一人、男の中でも女になる事に適性がある奴がいる、というのは知り合いの言葉だ。その真偽を確かめた事はないが。虚構と現実に境目を作り、そして愉しむ為にゲームの世界では女性の性別にしていた。そんな事を思い出しながら、皮鎧の隙間から恐る恐る膨らみのある胸部に触れると、ふゆん、と現実では触り慣れない柔らかさに富んだ弾力を感じた。
「……」
リアリティがあり過ぎるのも困り物だ。
夢はレム睡眠の最中に訪れると調べた事がある。義妹が起こしてくれず眠り続けているとは思えないが、そろそろ目覚めて欲しい物だ。そもそも時計のアラーム機能はセットしただろうか。
そう、独り吐息をした時だった。
「おらっ、この、クソがぁっ!!」
「――――」
近くも、遠くもない距離で聞こえる怒号。
思わず耳を澄ませると、男の怒号と、微かに女の声が。
此方に近づいてくる靴の音に咄嗟に壁に張り付くも、此方にまでは来なかった。
「ふがっ!?」
「おらっ、そろそろやると思ってたんだよ、俺はよぉ!」
「あがぁ……っ!!」
鈍い肉を叩くような音はすぐ近くからだ。
狂暴な気配と怒号、悲鳴を上げる弱弱しい少女の声は、メインシナリオでは見られない。
ならば、サブシナリオ、もしくはプレイヤー間での争いの可能性が一番高いのだろう。
それなりにPVPの多いゲームだが、こんな現実に近い展開など、聞いた事が無かった。
暴力と悪意のリアルさに酷く、頭痛を覚える。
自らの夢の悪趣味さ、そして生み出した自らに吐き気を覚えつつ、違和感を覚える。
(こんな事、前にも無かったっけ……)
悲鳴や怒号は身近な存在だった。
というよりも、少し前に聞いたような、気がするのだ。
何かを忘れている。そんな気がして、だが具体性のない感覚に苛立ちを覚える。
「くくっ、そろそろ捨てる頃だと思ってたんだよ。俺の勘も捨てたもんじゃねえなぁ!」
「あ、ぎ……!?」
「なんでってか? 五階層で網張ってりゃぁって、……教える訳ねえだろ、馬鹿がっ!」
「ふぎ……っ」
怒号と共に、衣服が引き千切れるような音が聞こえる。
時折殴りつけるような音、嗜虐的な声で肉を殴り、愉悦に浸るクズの声に眉をひそめる。
いつの間にか息を押し殺す自分に言い訳を繰り返し、隠れ続ける理由を模索し続ける。
次に大型クエストでは確か、こういった残虐系のイベントが実装されるはずだ。
その試験テストは、賛否両論らしいが、概ね受け入れられているらしいイベントクエスト。
どうでも良い記憶を思い出し、夢から醒める事を祈りながら、ふと自分は剣を握ったままだったのを思い出した。
「ぶ……っ」
「お似合いの末路だろ? ええ、サポーターよぉ!! ぶははははははっ!!」
「おい、こいつ魔剣なんて持ってるぞ」
「おいおいおいおい、とんだプレゼントじゃねえかよ、おい!」
「やめて、……く、だ、ぃ」
「うるせぇ!」
意識は既にハッキリとしている。
ゴブリンを殺した時のように、夢現だった訳ではない。
あまりにも暴力的で、欲望に満ちた悪意に、自らの脳が現実か虚構かを判断しかねた。
声からして、男が三人。少女が一人だろうか。
そっと声が発せられている通路付近にゆっくりと顔を出し、真偽を確かめる。
運よく此方に背を向け、地面を這いずる半裸の少女に殴る蹴るの暴行を加えていた。
「な、なあ」
「あん? ……お前、本当にこんなパルゥムになんざ興奮してんのかよ」
「ちょっとだけ良いだろ? 約束通り、報酬はお前にやるからよ」
「ちっ、ガキ趣味が。……まあ魔剣は俺の物な」
見張りを立てるのか、或いは此方が帰り道か。
ゆっくりと足音が此方に近づいてくる事に息を呑む。
思わず握りしめた手、その中で存在感を放つ重みが、壁にぶつかり、カツンと音を立てた。
――暴力と悲鳴、悪意に塗れた雑音に、微かな剣の音が。
「……ぁ」
「あ? ……おい、そこで何してる」
馬鹿か、お前は。
何故この場面で音を立てる。何故相手もこんな音に気づくのだ。目が合った。
「ん、ガキか」
「俺が行く。少なくとも俺はあっちの方が好みだわ」
「言ってろ」
「――――」
目が合う。強そうな大男だ。
現実の自分など、一捻りで殺せそうな体格、見知らぬ大男が此方に走り寄る。
慌てて洞窟の曲がり角に顔を隠そうとも、数秒後に走り寄る男の醜悪な姿を拝むのは必然だ。
考える暇はない。
逃げる暇も、逃げ切れる自信もない。
迫りくる足跡、背を向ければ、臆すれば、摑まり、あの少女と同じ目に――、
「糞っ、面倒な事に、ィっ?」
火事場の馬鹿力と言うべきだろうか。
無意識に好機を待った自らは、曲がり角から興奮する男の太い首が出た瞬間、肩と水平に並べ構えた剣を突き出した。自らのイメージ通りに、否、イメージを超えて全力で踏み込み加速した右腕に持つ剣は一閃と化し、正確に首元を突き上げた。
「あ、え? あ?」
愕然と此方を見下ろす男は目を見開き、口元から赤い血を吐く。
ゴブリンにも怪物にも劣る様相、右手に持つ斧がゆらりと動くのを感じ、自らが持つ剣の柄に左手を重ね、無言で力を籠めた。
押し込んだ剣、唐突に力を抜き、ぐらりとふらつく男は目を剥いたまま、斜め後ろに倒れた。
三十歳程の筋肉質の男だ。
如何にもな恰好は、冒険者であろうという予想をさせる。
自らが持つ鉛色の刃が男の赤い血を吸い、時折吐き捨てるように地面に垂れ落とす。
「ネッドぉ……っ!!」
『敵』のキルに喜ぶ暇はなく、通路に体を出した自分は剣を引き抜く。
ぶしゅりと、肉と脂の感触に何かを感じる前に、死んだ男の持つ遺品を腰から抜き取る。
小型ナイフは解体用にもなるが、同時に投げる用途としても使えるのはゲームの仕様だ。
「てめぇ、クソガキっ」
驚愕を宿した男が、形相を赫怒に染めて、緋色のナイフを振り上げる。
その瞬間、何かを感じ再度曲がり角に身を潜めると、火炎が死んだ男を焼き焦がした。
肉壁からは肉が焼ける匂いが鼻腔を擽り、男の怒号と駆ける足音が近づいてくる。
(次が、確か八十八レベだったな)
プレイヤー間での戦闘でも、経験値は手に入る。
あと一人殺せば、不可視化されているゲージが満タンになるだろう。
そんな呑気な事を考えながら、炎が止んだ瞬間に、『私』は駆け出し、遺品を投げる。
投げナイフのスキルは取得してないが、ビギナーズラックだろう。
肉体補正もあるのか、吸い込まれるように飛ぶナイフは、再度振り上げようとする男の脚に刺さり、ぐらりと体躯をふらつかせる。
それでも掴みかかろうとする男の動きに合わせるように、添えるように、剣を突き出す。
結果、吸い込まれるように刃が男の胸元に刺さり、肉を断ち、貫いた。
「は? ……ぁ」
「――は」
それでもと、緋色のナイフを振り下ろそうとする冒険者らしき男を蹴り飛ばす。
不意を突く形で『敵』を仕留めた、此方に体重を預けてくる敵に、何故か笑いがこぼれた。
連続キルボーナスが確定だ。レベルアップはまだか。もう十分のはずだ。
「――――」
「―――ひ、」
屍と化し、ログアウト待ちになった死体を蹴り飛ばす。
ごちゃっと血肉が地面にぶつかり響かせる音に目をくれず、残りの『敵』に目を向ける。
膝を付き、呆然と此方を見やる金髪の男。
衣服を引き裂かれボロボロの身体、地面に倒れ込んでいる栗色の髪の少女。
「ひ、ひ、ひとひとひととと……、人殺しだぁぁぁああああっっっ……!!」
怯えた男が叫び、背中を向けて走り逃げる。
一瞬、その背中を追いかけようとし、その言葉の意味に脚を止める。
ふと、地面を見下ろすと死体が一つ。
背後を振り返り、少し離れた場所に、焼け焦げた死体が一つ。
合計二つの死体が出来ていた。出来ていたというより、作り上げたというべきか。
虚無の瞳と目が合う。
瞬きも見開きもしない、男の濁った瞳と目を合わせて、気づく。
気絶した少女を残し、自らを残し、誰も、何もいないこの場所で、気づく。
揺蕩う虚構と現実が明確になり、本当の意味で意識が覚醒を果たした。
「…………ころし、ちゃった」
少女は、呆然と立ち尽くした。
+
――殺した事は仕方ない。
強姦など最も愚かしく残忍な行為の方が罪は重いはずだ。
とはいえ、だから殺して良いという事を言いたい訳ではない。殺した事は仕方がない。ただ、今更追加で二人殺したところで削れる心は無いと思うから。怪物にも劣る畜生を殺しただけだ。
深呼吸を繰り返し、血の匂いに顔をしかめながら自らを奮い立たせる。
「うん、そう、襲ってきた方が悪い」
口に出す事で客観性を作り、自らを落ち着かせる。
落ち着かなくては、冷静にならなくては、何も出来ない事を知っていた。
「そもそも、これって銃刀法違反だから……、魔剣ってなんだよ、火炎放射器の改良版か何かか? 逃げるか? 逃げ切れるか? このご時世に逃げ切れるとは思えないし、警察に言うべきか、何て言うべきか。大体なんでこいつ等こんなコスプレ……いや、それは私もか」
独り言を呟き、足りない頭で現状の打破に努める。
冷や汗が今更に背中を伝い、血の匂いで異様に頭が冴えていく。
敢えて口に出すことで、溢れ出す考えを口に出し、脳内の整理を行う。
(ダンジョンなのか)
ふと、冴える思考がある事に思い至る。
WEB小説で良く読み、流行にもなっている異世界転生物。
トラックに轢かれ、神か何かから仮初の力を貰い、作者の妄想のままに無双する物語。
とはいえ、『私』自身トラックに轢かれた覚えも女神に出会った覚えもない。
自らの血だまりに顔を沈める亡骸を脚で転がし、何か手掛かりになる物を探りながら『私』は状況の打破に努めようと――、
「『私』って誰だ?」
――疑問が更に増えた。
アイデンティティを構成する主軸、自我を確立する為の重要な基盤。
自らの記憶が欠けている事に今更ながら気づき、『私』は愕然と額を叩いた。
記憶に穴が開いている。
母は既に病で死んでいる。父と、義妹の三人で暮らしていたはずだ。覚えている。だが、父の名前も、義妹の名前も思い出せるはずなのに、肝心の自分の名前を思い出す事が出来ない状況であった。自宅でゲームをしていたはずだ。それから義妹に呼ばれて、それから――、
「違う、そうじゃない」
今考えるべきは、そこではない。
違和感の感じる自らの身体、腿を剣の柄で叩きながら、吐息する。
今更緊張で冷たく硬直し張り付いた指は剣と一体化したように、離れそうにない。
ゆっくりと一本一本指を剥がそうとしながら、思い出したように、少女の下に駆け寄る。
(気絶しているのか)
地面にうつ伏せになった少女に視線を転じた。
倦怠感が消え熱を帯びた自らの身体を動かし、少女の細い腕を取る。
身長は低い、パルゥムと言ったか、ボロボロの衣服から覗く肌は、拳痕や蹴りによって青く腫れ上がり、痛々しさを主張する。近くに転がるローブの周囲に散らばる金時計や、紫紺色の石、コインらしき物が鈍く光を反射している。
出血自体は少なく、身長にそぐわない豊かな胸部が微かに上下している。
死んでいないが重症であるのは間違いない。
救急車を呼ぼうにもスマホなど持ってはいない。
そもそも、未だに、これが細部に拘りを持った自らのゲームの夢だと――、
「ゲームなら……」
屈んだ身体を起こし、再度死体に目を向ける。
男の腰付近、臀部に敷かれくたびれたポーチを漁ると、一本の試験官を見つけた。
深海の水のような、濃い青色がちゃぷんと手の中で揺れている液体。わざわざこんな場所に毒物を持ってくるとは思えない。最低限飲む事を推奨しているような形状は、予想の品と一致するならば、きっと、ポーションと呼ばれる物ではないのだろうか。
恐る恐る蓋を開け、中身を口に含む。
不思議な感覚だった。身体の痛みがすっと減った。
こんな物があるならば、現代医学は革命が起きるだろうと思いながら、残り半分は、気絶したままの少女の身体の痣部分に掛けてみると目に見えて少女のボロボロの身体にも効果は表れた。
ポーションらしき液体は、まさに甘露のように、少女と自らの身体に生命を与えた。
これで殺人罪に窃盗罪を追加するも、生命の危機を乗り越え、苦悶の表情が和らいだ事を確認した『私』は、夢が続いても続かなくとも必要な事だからと死骸の持ち物を漁る事にした。
「斧と、ナイフ、袋と、あとは通貨らしき物……、読めないのは微妙にリアルだ」
ゲームの次は異世界転生だ。
凡そ定番だが、まさか殺人から始めるとは思わなかった。
目覚まし時計への希望は薄れる中、謎の文字が刻まれた鉛色の通貨らしき物を袋にしまう。
続いて、男達の所属を確かめようとしたが、その辺りは周到だったのか、偶然か身元が判明する物は無かった。とはいえ、襲われた側との接点はあるのだ。そちらから情報は得られる。
「あの男」
金髪の男だった。
今更だが、逃げられたのは不味い。非常に不味い。
そもそも時間はどれくらい経過しただろうか。仲間がいるならば誰か来るのではないのだろうか。或いは警察を連れてくれれば嬉しいが、敵ならば私刑になるのは想像に難いだろう。
そろそろ逃げるべきだろう。だがどうやって?
――答えは簡単だ。
死骸の持ち物から水らしき液体を少女に掛ける。
念には念をと、か弱そうな少女の手を縛り、顔に掛けると口か鼻に入ったのか咽ながら瞼を開けた。弱弱しい瞳に光を乏し、見下ろす此方に如何にも怯えたような視線を向ける。
何故そんな目で見られなくてはならないのか。
「……っ、ぅぷ、ごほっ、ごほっ……っ! かみ、さま?」
「……いや」
「ここっ、えっ……」
「落ち着いて、ほら、これでも飲んで」
「いや、でも、リリは」
「――いいから飲め、そして質問に答えろ」
「――――」
今更ながら手を拘束する布と、『私』の持つ武器に気づいたのだろう。
覚醒と状況の判断は素早いらしく、そして素直に水分を補給しながら、上目遣いで探るように、肩を震わせた小動物の如く、逡巡した様子を見せるが、観念したように飲み始めた。
「あの! リリは……」
「落ち着け。一応、私はおまえの大恩人だ。まずは此方からだ」
「……はい、分かりました」
焦りを感じているのは此方も同じだ。
背中に感じるじっとりとした汗がもどかしく、しかし冷静さを忘れてはならない。
時間は有限で、時間を無駄に失う事は、後々面倒な事になる事を『私』は知っていた。
「おまえの名前と、ここはどこだ?」
「……リリルカ・アーデです。ここは、恐らく五階層……、六階層への入り口付近でしょうか」
「ゴカイソウ……、五階層ね……、どこの?」
「えっと、ダンジョンですけれど」
「……、ど、どこのダンジョン?」
「すみません、少し質問の意図が理解出来なくて。……ダンジョンはダンジョンです。他にもダンジョンがあるなんて聞いた事がありません」
大きく開いた亜麻色の髪の少女と目を合わせる。
現地人らしき人物からもたらされた情報に目を細めるが、嘘を付いているとは感じない。冗談の類であって欲しかったが真顔で告げられた言葉に、大きく息を吐く。
「そうか……、そうかぁ……、ここはダンジョンの五階層か」
「は、はい、そうです」
「このダンジョンから脱出する方法を知っているか?」
「えっと、分かりますけど……冒険者様が、ここまで御一人で来られたのでは?」
「知ってれば聞かないさ。……あと冒険者じゃない」
「ぇ」
戸惑う少女を無視して、水の入ったボトルを取り上げる。
いつの間にか乾いた口内を温い水で潤していると、少女の視線が背後に向いているのに気付く。死骸を見て見開かれる少女の反応を無視し、膨れ上がる焦燥と警戒心の中、出来るだけ淡々と質問を続ける。
「あれ、は」
「おまえを助けるのに、二人殺した」
「殺し……ぇ?」
「だがもう一人には逃げられた。金髪の男だ。奴の名前、所属は分かるか? お互い顔は見られたはずだ。特におまえ」
「……わ、分からないです」
「――――」
「リリは、あの時、もう死んでしまうんだと思って」
「殆ど殺されたようなものだろ」
「――――」
呆然とする少女を置き去りにしばし思考に浸る。
仮に少女を襲った男達が複数人だった場合、恐れるべきは報復だ。
幸いにも顔を見られはしたが、写真に残っている訳ではない。一人ならまだしも、この少女を襲った背後に何かしらの集団があるなら、早急に現場からの離脱を行う必要がある。
怯えと震えを孕んだ声の少女を見やり、再度『私』は口を開こうとし――、
「あ……?」
ふと、右側の壁が隆起した事に気づいた。
膨れ上がる壁から、まるで生まれるように、醜悪な怪物が地面に脚を付いた。
数は五体。一つ目のカエルのような生物と大型犬のような生物が、此方に顔を向ける。
『ウオオオオンッ!!』
「……、これは逃げるが勝ち」
「きゃ!」
少女を担ぎ上げ、適当な方向に走る。
見た目に相応しく、羽のように軽い身体を持ち上げると、少女は悲鳴のような声を上げた。
話し合いの時間は終わりを迎え戦いの時は来た。ただし戦いをするつもりはない。
ここはダンジョンらしい。ただゲームとは異なる点が一つあった。
「あんな風に生まれるなんて聞いてない……っ!」
「あ、あの、そっちは六階層です。次の右の角を曲がって下さい!」
「案内は任せる! 目標は出口!」
「――はい!」
死体に引き寄せられるのが一匹。
残りのカエルと、大型犬が追いかけてくる中で、少女を抱えて走る。走る。走る。
折角手に入れた情報源。同時に敵を引き寄せるリスクもあるが捨てては置けない。
「名前、お名前を!!」
叫ぶように告げられた言葉に、しばし考える。
他に人がいるなら押し付けたいが、周囲は相も変わらず洞窟と天井の燐光だけだ。
右手に剣を、左腕に少女を抱え、逃げ出した時に、ふと少女に叫ぶように質問される。
「――レア」
「え?」
「私は、レア・キャリプソーだ」
偽名だが決して嘘ではない名前。
ゲームをする時は、必ず己のキャラクターに付ける名前は、もはや半身と呼べる。
何故、そんな名前だったのか。理由までは思い出せないが何故か、酷く、しっくりくる。
そうして自らを定義した瞬間、『私』というアイデンティティが出来たような気がした。
――ガチリ、と身体と心が一致する。
「戦わないのですか、レア様!」
「もう少し、数を、減らしてから!」
「……分かりました! でしたら――」
定義は出来ても、自らが戦えるのかは不明だ。
そもそもレアは一般人だ。人を殺した事があっても、モンスターはまだ一匹だけだ。
流石に人とモンスターでは勝手が違うだろう。戦うにせよ『敵』の知識など無に等しい。
恐らくは抱えた少女は戦闘力は低いが知識はあるのだろう。だからこそ利害は一致する。
お互いの失敗は死を意味するのだから。
「次の曲がり角を真っ直ぐ!」
「了解」
こうして『私』は、レアは走り始めたのだった。
――暫定的パートナー、リリルカ・アーデを小脇に抱えながら。