神やダンジョンのある世界で生きていく話   作:どくへび

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第三話 『一日目の終わり』

 仄かな燐光の中で、優しい雨が降り注ぐ。

 そんな中で、まずは、己の状態を確かめるべきだと思った。

 

「――――」

 

 そこに深い意味はない。

 己の意識と常に一体化している肉体の事は、その肉体の持ち主が最も理解していなくてはならない。他に理解して貰う相手など医者か家族か恋人ぐらいだろうか。

 いずれにせよ、一先ずの危機が去ったので状況の整理に努めるべきだとレアは思った。

 

「ふわぁ~……」

 

 身体の汚れが消える事はある種の快感だった。

 自らの柔肌から目に見えて土と汗、血が流れ落ちていく。

 

 上から流れる多量の水が火照った自らの肢体を蛇のようにくねり、臍を、腿を這い伝う。

 赤黒く固まった血を手で擦ると、既に塞がった肌には全身の傷が消えている事と、左腕の噛み傷のみを残している事を、頭から爪先と隅々まで己の眼球で焼き付けて確認した。

 隅々まで、じっくりと。

 

「ん……、んんっ、ファンタジーだな」

 

 興奮しても鼻血が出ない事は現実だったが。

 周囲を見渡し咳をするレア。自らの手で自らの身体を洗う事は、何も問題など起こらない。

 今すぐ外に出て、自分の身体を洗う事は変かと尋ねれば、呆れを超えて、可哀そうな人を見るような眼差しを向けられかねないだろう、と己の乳肉を持ち上げて小さく唸った。

 

『やったね! ベル君!』

 

『はい、神様! 遂に二人目ですね! 二人目!』

 

『ベル君!!』

 

『神様ぁ!!』

 

『実はちょっとだけ君が人攫いをしたんじゃないかって。疑ってごめんよ』

 

『神様ぁ……』

 

 シャワーを浴び身体の汚れを洗い落しつつも、時折、出入口付近にレアは目を向ける。それは覗きを警戒しての事ではなく、裏切りと襲撃を警戒しての事である。

 思えば、到着から流されるようにシャワーを浴びているのは疲れによる判断力が低下した為なのだろうと、渡されたタオルで肩に掛かる程度の長さの髪を拭きながらレアは思った。

 

 もしかすれば無用の警戒かもしれない。

 構成員一名、立ち上げ一週間の弱小【ファミリア】の本拠地で、レアは身体を拭う。

 さっぱりとした身体でピンクの下着の着用に僅かに苦戦しつつも、着替えを完了する。

 

 己の身体に興奮するという異常事態。

 己の身体の変貌に、大してショックを受けていない状況。

 もしかして自分こそが十人に一人の女装癖の持ち主かもしれない疑惑。

 

「――――」

 

 シャワー室の手前のひんやりとした感触に、ふとレアは脚を止める。

 どこにでもある、少なくともレアの記憶の中にも存在する四角い小さな鏡だ。

 

「――私は」

 

 皮鎧は装備してはおらず、黒インナーとホットパンツを着た薄紅色の少女がいた。

 信用の証として剣は預けたのか、それでも腰付近に大型ナイフを装着しているのは、レア自身の問題か。とはいえここはかつてレアの居た平和な国などではない。モンスターも敵もいる世界で、味方など居ない場所なのだ。見知らぬ善意で簡単に誰かを信頼すべきではない。

 

 ――そう、見慣れぬ紫紺の瞳が鏡越しに告げているように感じた。

 

 

 

 +

 

 

 

 

 【ヘスティア・ファミリア】の本拠地は、人気の無い袋小路の崩れかけの教会だ。

 人の住む気配は無く、もはや廃墟の部屋の奥、さらに地下へと通じる階段からアクセス可だ。

 秘密の隠れ家という感覚だが、古臭く、襲撃を掛けられた際の防犯面が不安といった処か。

 

「シャワーありがとうございます。……女神さま」

 

「いやいや、良いんだよ。それぐらいね……、それより見違えたじゃないか。ねっ、ベル君」

 

「は、はい」

 

「――ありがとうございます」

 

 目の前のベッドに、赤面する白髪の少年と濡羽色の幼女が座っている。

 勧められまま向かいに移動させたらしいソファーに座り、面接のような状況になっている。

 とはいえ、実は既にシャワー前に一度、ベルの主である幼女とは軽く話をしていたのだ。

 

(目の錯覚ではなかったか)

 

 ツインテールの黒髪の幼女。

 青色の双眸は湖のように透き通り、身体にそぐわない双丘には、思わず目が吸い寄せられる。

 オラリオの街を歩いている時もそうだったが、やけにこの街の住人は男女問わず露出が多いのは平和な証拠なのか。考える脳を持っていないだけなのか。恐らくは前者の可能性が大だろう。

 レアの物よりも一回り程大きい果実から目を逸らし、ジッとその双眸を見つめる。

 

 紫紺の瞳が幼女を――神を捉える。

 なるほど、確かに言葉に出来ないが、人とは『何か』が異なる事を感じた。

 マスコット然とした様相は仮の姿、その器の中に、底知れない何かをレアは見た。

 

「――――」

 

「――――」

 

「はわわ……」

 

 そして同時にレアの何かを見たのか。

 深淵を覗き込むように、真顔で大きな蒼色の瞳にレアを映す幼女。

 お互いを無言で見やる少女と己の神の横顔を交互に見やるベルを横目に、やがて小さく頷くと幼女の神から、何か神秘のような物が消え去り、残された物は慈しむような微笑だけだった。

 

「うん、それじゃあレア君」

 

「はい」

 

 中小企業の最終面接、社長からの最後の質問のような雰囲気。

 否、ようなではない。目の前に在る神こそ、レアが今後仕える事になる相手なのだ。

 レアと神――ヘスティアは出会ってまだ一時間といった関係でしかない。善意か何か考えがあったのか、汚れていたレアにシャワーを貸し与えてくれた事には感謝しているが。

 

 ――鈴と蒼色のリボンの髪留めを揺らしながら、ヘスティアは尋ねた。

 

「君は何のために、冒険者になろうと思ったんだい?」

 

「――――」

 

 シャワーを浴びる前に己の状況はある程度話した。

 記憶喪失であること。気づけばダンジョンにいた事。サポーターと名乗る少女と共に四階層に向かう途中でベルと出会った事などを語った。シャワーの合間にベルからも裏は取ったのか、再度聞いてくる事はなかった。

 流石に殺人を犯した事を堂々と言う気にはなれなかった。嘘は言っていない。嘘は。

 

 このオラリオという街をレアは知らない。

 レアが居た国のような法治国家であるならば、既にレアが座り込むべき場所は誇り臭いソファではなく、かび臭く冷たい床で、臭い飯を食う事になっただろう。

 

 それはさておき、ヘスティアの質問だ。

 即ち、何故彼女のファミリアに入団するのかという動機への回答をレアは考える。

 ――実は既にそういった質問への回答はシャワーを浴びながら用意していた。

 

「家族を、探しているんです」

 

「家族?」

 

 用意したというよりも、ふと気づいた事だ。

 何故、ダンジョンにいたのかという事よりも、何故女の身体なのかという事よりも。

 己の身体という大前提が存在するからには、この世界に、彼らもいるのではないのか、と。

 

「はい。義妹が一人。父が一人。彼らの消息を知りたくて、でも知るには世界が広大で手掛かりも無く……、だから私の名声を高めれば、いつか手掛かりが得られるんじゃないのかって」

 

「――そっか」

 

 どこか柔和な眼差しを向けるヘスティア。

 その神々しい優しさに喉の奥に痒みを感じ、そっとベルの方に視線を向ける。

 泣く要素など何処にあるのだろうか。目頭を押さえ悲しそうな顔をしている姿を捉えた。

 

 情に熱いのか、単純なのか、心が優しいのか。

 荒れた心を僅かに和ませながらも、何かに納得したのかヘスティアによる面接は終了し、晴れてレアは【ヘスティア・ファミリア】に加入を果たしたのである。

 

 

 

 +

 

 

 

「……である……である」

 

「どうしたんだい、レア君も食べなよ! 今日は君の歓迎会と【ファミリア】結成一週間目パーリーなんだから!」

 

「いえ、頂きます」

 

 はぐはぐとリスの如く頬張るヘスティアは器用に喋る。

 同じようにコクコクと頷くベルもまた、目の前のご馳走に齧り付いている。

 新団員もまた、勧められるままに『ジャガ丸くん』なる食べ物を恐る恐る口にしてみる。

 

 『ジャガ丸くん』は芋を揚げた物だ。

 サクサクとした食感とホクホクした芋の温かさは、レア自身の空腹を自覚させ、思わず涙腺が緩むのではないのかと思う程に美味な物であった。団欒の温かさに生きている実感を得た。

 

「……おいしい」

 

「レア。こっちのクリーミーピザ?味も凄いよ!」

 

「うん」

 

「ちっちっち。待つんだレア君。君には店員であるボク直々に美味しい食べ方を伝授しようではないか!!」

 

 野菜やチーズといった栄養価ガン無視の食事だ。

 最初ならばともかく、この生活が続くことを危惧する無粋な思考を抱きつつも、それは明日の自分に任せようと、レアは自然と零れる笑みを隠す事はしなかった。

 

 ――生きる目標に、美味しい御飯を食べるという事は間違っているだろうか?

 

 

 

 +

 

 

 

 【ファミリア】入団の儀式は滞りなく始まり、感慨を得る前に終わった。

 彼女の、ヘスティアの『恩恵』を刻む行為はレアの背中に漆黒の文字を刻み込む事で終わりを迎えた。経験した事象を蓄積する【ステイタス】は、いわば『恩恵』を授かった者の経歴書だ。

 レアが見て進んだ道を、ヘスティアが読み解き、評価し、その華奢な白い背中に刻んでいく。

 

「……凄いね、スキルと魔法が一つずつだ」

 

「――!」

 

 もういいよ、と背中から離れるヘスティア。

 ちらりと自らの背中を見ると文字は消え、染み一つない自らの白い肌のみが残る。

 刺青のようにならなかった事を、事前に話を聞いてたとはいえ、レアはそっと吐息した。

 

 時折、身体に刺青をする輩がいるが、分からない。

 何をどうすれば、自らの身体を傷つける行為をしようと思うのか。

 

 ともあれ、スキルとか魔法とか言われてもレアが示す反応はいま一つだ。

 ヘスティアの言葉が分からなくなった訳ではない。己の耳には彼女の言葉がよく届く。

 だからこそ、そのゲームチックなシステムが己の身体にも作用すると聞いてみても、確かな実感が示すには、数秒前の肉体と差異は無く、なんとなく手持ち無沙汰で自らの双丘を触り遊ぶ。

 

「ん……」

 

「ちょ……、れ、レア君。はしたないだろう。そういうのは誰もいない時にだね……、ほ、ほらベル君呼ぶから服着て、服!」

 

「……ヘスティアのって大きいね」

 

「君もこれからどんどん大きくなるさ。それに今も十分に大きいぜ」

 

「なんかね……こう、触ってたくなる感じ、なの……ですよ」

 

「君もなかなか面白い子だね! けど、ほら……早く着なさい、まったく」

 

 身体は乙女、中身は男。真実は一つだ。

 そんな理屈が神に通じても通じなくても、レアの見た目は女の子だ。

 動物園に珍しい動物が存在したら、当然観客は見たくもなるし触りたくもなるだろう。反応に歓喜の声を上げ、顔を向けると写真を撮る。レアにとっての身体はそういう珍獣のような物だ。

 ――触っていれば多分、きっと、恐らく、そのうち飽きるだろう。

 

 そんな事情など外部の神及び人間には関係ない。

 意外とヘスティアはその辺り厳しく、レアの男要素を排除し、矯正しようとしてくる。

 神という割には結構フランクで気安い彼女に対して、何となく親しみを感じるのは彼女が神であるからか。彼女自身の性質による物なのか。

 

「あっ、もう大丈夫ですか……?」

 

 薄っすらと頬を朱色で染めたベルがおずおずと部屋に入ってくる。

 話を聞いていたのか、或いはヘスティアの声が大きかったのか。レアではないだろう。

 部屋の隅に掛けられた古時計の文字は分からずとも、そろそろ深夜に迫りそうな頃合いか。

 

「それで、神様。レアの……」

 

「うん、彼女の【ステイタス】ね」

 

 書き写したらしい紙の内容は、数時間で読めるようになる訳がなく。

 そんな無知で愚かなレアを馬鹿にする者も、哂う者も居らず、ヘスティアが口頭で告げた。

 

 レア・キャリプソー

 LV.1

 力:I0 耐久:I0 器用:I0 敏捷:I0 魔力:I0

 《魔法》

 【アーク・クエイガ】

 ・付与魔法(エンチャント)

 ・詠唱式『終焉よ(トリアイナ)』。

 ・収束、解放推奨。

 《スキル》

 【怪物思考(マインドエラー)

 ・精神に狂高補正。

 ・強制発動。

 ・人型との戦闘時における、力・敏捷の高補正。

 

 上記の内容を告げられて面白そうだとレアは他人事のように思った。

 深紅の瞳を輝かせるベルとは裏腹に、僅かに回転の鈍る頭でレアは考察する。

  

 既にベルとヘスティアから受ける『恩恵』――【ステイタス】の説明は受けている。

 基本アビリティが五つ、更にSからIの十段階で能力の高低が示されており、鍛えれば鍛える程に上昇するが普通はSに近くなる程、伸びは悪くなる。

 

 この世界ではLVが最も重視される。

 冒険者はLV.1が大半であり、LV.2との間には数字以上の壁が存在している――らしい。

 魔法は本人の資質と知識に関わる【経験値】が反映されているが、学んだ覚えは無い。【アーク・クエイガ】なる物などあのゲームの中で似た語感の物はあるがどういった物なのかは検討が付かない。

 

 スキルなど意味が分からない。

 なんとなく殺人周りで取得したのか、それ以前に取得していたのか。

 強制発動という言葉にげんなりとしつつも、能力の補正には僅かに目を細めた。

 

(うん、わかんね)

 

 そもそもレアは風呂に入ったら、そのまま寝る人物だ。

 それは『私』で会った時もそうであり、『レア』以降でもそのつもりだ。

 つまるところ、風呂/シャワーを浴びたのなら、今日はもう寝ようぜと身体が告げているのだ。

 

(使えば分かるだろ)

 

 どうせ、明日からも忙しいだろう。

 話を聞く限り、ギルドで冒険者登録をして、ダンジョンに向かう。

 あの紫紺の石が魔石であり、あれを換金すればお金が手に入り、生活出来るのだから。

 

(切実だなぁ)

 

 既に契約は為された。

 この女神を養う代わりにレアはベルと共に生活資金を稼がなくてはならない。

 

(まだ、一日目か……)

 

 まだ、なのか。

 もう、なのか。

 

 体感としては長く、あまりにも濃い一日であった。

 刺激的で濃厚な血と悪意に塗れ、死に全身を舐められ、身体は見知らぬ誰かの物だ。

 己のスキルが書かれている紙切れに真面目な顔をする神と少年に苦笑しつつも剣を手に取る。

 

 鞘に覆われた片手剣は、改めて見ると重い。重いのだ。

 この剣で敵を殺すと同時に己の命を繋いだ武器は、やはり命を刈り取る形をしている。

 抱き枕というには武骨で硬く、しかし安心出来るのは『愛剣』に愛着が湧いているからか。

 

「でも、凄いですよね? 神様」

 

「まあ、呪いって訳ではないとは思うけど……、ん? レア君、眠いのかい?」

 

「――――」

 

 疲れた。

 身体の傷は癒せても、疲れはある程度残るのか。

 夢の中で眠ればどうなるのか、夢は夢なのか。それとも現実となるのか。

 

(願わくばこの暖かさを)

 

「おやすみ、レア」

 

 慈悲深く優しい子守唄。

 微睡みがレアを暖かな暗闇へと導いていく。

 頭を撫でる見知らぬ誰かの手のひらの優しさは、レアの意識をゆっくりと沈めて――。

 

「おやすみ、レア君。明日からよろしくね」

 

「――――」 

 

 

 

 ――たとえ、夢でも、この恩だけは忘れない。 

 

 

 





ステータスを書くって実は一度やってみたかった。
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