神やダンジョンのある世界で生きていく話   作:どくへび

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第四話 『黄金の風、力の象徴』

「うーん……」

 

「……?」

 

 燐光の仄かな明かりを頭上に感じながら、レアは隣に目を向ける。

 如何にも初心者装備といった感じの様相の少年は、自らの髪の毛を触り、どこか落ち着かない様子で周囲を見渡している。腰に佩いたナイフの柄に手を置きどこか警戒しているようなので、レアの紫紺の眼差しは自然と白髪の少年の視線を追う。

 

「――――」

 

 ダンジョンの壁は変わる様子は見せない。

 周囲に敵影は無く、ダンジョンの冷たい壁からは新たな怪物が生成される前兆もない。

 不思議と遭遇するはずの『コボルト』や『ゴブリン』などの群れも、心なしか少ない程度か。

 

「何が気になるの?」

 

「あ、えっと……、何となく、なんだけど……少し変な気分で」

 

「そっか。……今日は帰る?」

 

「――いや、大丈夫」

 

 人間の直感は決して侮れない。

 口に、言葉に出来ないだけで、脳裏では感覚や情報に基づいた何かを出力しているのだ。

 それは『何か』が起きる事を予感したのかもしれないし、些細な事なのかもしれない。

 

 暫定的相棒であるナイフ使いの少年に目を向けつつ、死骸にナイフを突き刺す。

 然したる感慨も嫌悪も感じず、ある種の作業を行い数秒、モンスターの核を取り出す。

 紫紺の結晶――魔石と呼ばれるソレは、ダンジョンでしか採る事が出来ない貴重な物だ。

 

 もっとも、レアが手に入れたのは『コボルト』の魔石の欠片だ。塊などではない。

 欠片をバックパックに入れつつ、時折周囲の見張りを交代するのが板に付いてきた。

 その日の冒険を終了し、シャワーを浴びた後に、ギルドで換金を行い、ベルと帰宅する。

 

 習慣とは恐ろしい物だ。

 ――既に一週間が経過し、冒険者としてのノウハウをある程度身に着けた頃だった。

 

「そっか……、終わったよ先輩」

 

「先輩は止めてよ、ボクとレアとの差ってあんまりないんだから」

 

 苦笑する少年とも、共に仕える女神とも、それなりに仲良くなった。

 ギルドに向かいベルのアドバイザーを紹介されたり、市場で初めてのお使いをしたり。

 文字に関しては、まだ習得率は低いが、勤勉なアドバイザーにみっちりと仕込まれている。

 ――そうして戦って勉強して食べて眠っての充実した日々を過ごしていた。

 

「そういえばレアとも、もう一週間になるね」

 

「そうだな、……そうだね、うん。コンビ結成パーティでもする? 団長持ちで」

 

「あはは……」

 

 構成員が二人となった為に、【ヘスティア・ファミリア】にもリーダーが必要になった。団長、リーダー、指導者。そういった責任ある立場というのはレアはあまり興味が持てない。どちらかと言えば陰ながらサポートする立ち位置が好ましい。

 

 当然だが、ソロよりもコンビの方が安全性は高い。

 常に気を張り巡らせるソロよりもツーマンセルで行動出来るコンビの方が、ある程度の余裕を持てる。余裕が持てれば視野は広がり緊急時の対応も速くなる。群れが相手であっても処理の限界に訪れる事が随分減ったというのはベルの言葉でレアの感覚でもある。

 現状ではまだ連携は拙く、偶に戦略的撤退を行う事もあるのだが。

 

(悪くはない)

 

 そう少女は思った。

 

 

 

 +

 

 

 

 

 ――冒険者は、冒険をしてはならない。

 最初にその言葉を聞いた時、何かの哲学かとレアは思った。

 その数秒後にその言葉の真意を理解して、――理解を示しつつも、それだけだった。

 

 冒険者は冒険をする生き物だ。

 他の職に就けば安全だというのは分かる。

 だが、レアは決定的に異世界に対する、オラリオに対する知識も学も、何もないのだ。

 

 稼ぐ為には、生活の資金を稼ぐには、モンスターを倒さなくてはならない。

 モンスターを倒す為には【ステイタス】の熟練度を向上させなくてならない。

 危険である事など百も承知である。気を抜けば、隣の相棒も、レアも殺されるかもしれない。

 

『俺は少なくとも、あっちの方が好みだけどな!』

 

 その相手は、モンスターか、人か。

 そもそも、モンスターも醜悪な人も、敵に変わりない。

 

 前方から二匹の『ゴブリン』と『コボルド』を発見する。

 同時に気づいたのか此方に走り寄る敵を確認したレアは一瞬だけ指示を出す。

 

「――左を」

 

「うん!」

 

 レアとベルの連携など、現状では底が見えている。

 しかし、ソロとソロとして戦えば、コンビの意味は為さなくなる。

 その為の苦肉の策として、最低限お互いのピンチにおいては必ず助けるという物にした。

 

 どちらかが魔法使いといった後衛ならば、また違ったのかもしらない。

 だが、ベルはナイフ使いであり、レアは片手剣使いと、完全に前衛職しか存在しない。

 幸い遠距離での攻撃が必要になる敵は、現状では見当たらないのが幸いだろうか。

 

「――っ!」

 

『ギャッ!?』

 

「ふ……っ!」

 

『ビギィ!』

 

 白刃が緑の体躯を横に切り裂き、鉛色の刃が大型犬の首を胴体から斬り離す。

 この一週間で、飽きる程に倒して来たモンスターの死骸を蹴り飛ばし、周囲を見渡す。

 ほぼ同時に敵を退けたレアとベル、予め決めた通りに今度はベルが屈みこみ魔石の採取を開始し、バックパックに詰める。流石に数が多くなった場合は一緒に行うが、基本的に一人は周囲の見張りを行いつつ適度に休憩を挟む。これをレアとベルは交互に繰り返していた。

 

「おつかれ」

 

「うん、レアも」

 

 最初は女の子だからとか僕一人で大丈夫だとか、口説いているのか舐めているのか、紳士の真似事をしようとするベルに半眼を向け続けたレアだったが、今ではこの通りだ。

 せっせと真面目にナイフで死骸を漁るベル、しかしこの純真そうな少年がオラリオに来た理由は、なんと異性と仲良くしたいという若い雄が考えがちな『ダンジョンに出会いとハーレムを求めて』という事であった。

 

 尋ねた当時、というよりも五日程前の事だったが、顔に似合わずハーレム願望を抱く少年を見つめるレアの紫紺の眼差しに何かを感じたのか、必死に弁明するベル曰く、夜な夜な抱く女を変えたいとか、六股を平然とする物語の奇術師になりたいといった欲望塗れの物ではないらしい。

 

 ただ可愛い女の子と仲良くなったり。

 異種族の綺麗な女性と交流したいと。

 要するに、ただ異性とイチャイチャしたいという若く青臭い雄の性か。

 そんなどこかチグハグな幻想と夢を抱える少年を、レアは馬鹿にはしなかった。

 

『ベルならきっとなれるよ。夢はいつか叶う物だって誰かが謳っていたけど』

 

『ありがとう、レア。ハーレムは男の夢で浪漫なんだ』

 

『きっとハーレム王になって、修羅場の連続、なんやかんやで刺されるのが見えるけど頑張れ』

 

『不吉!?』

 

 夢を持つ事は良い事だ。

 目的を持てば、モチベーションに繋がり、時には信じられない力を発揮する。

 少なくとも、彼程の御大層な夢をレアは持ち得ていない。精々美味い飯が食べたいとかか。

 

(ジャガ丸くんは美味しかったが、飽きた)

 

 主食が芋なのはそれなりに堪える。

 食事は日々の生活に潤いと活力を与えてくれる。

 スマホもネットも消失した世界、食事こそがレアのささやかな至福の時なのだ。

 確かにジャガ丸くんは美味しい。だが栄養価は無い。ジャガ丸くんは肉でも魚でもない。

 

「ただの芋だ」

 

「終わったよ、レア。……うん? どうかした?」

 

 魔石を回収した死骸は灰となって消える。

 何故、死骸がいきなり灰になるのかなど、考える事にあまり意味はないだろう。

 あの男達に比べて死骸など残さない点を考えれば、それだけでも遥かにクリーンだ。

 

「レア?」

 

「大丈夫。ただの狂言だ」

 

 何となく後頭部で纏めた髪に触れながらレアは頷く。

 ポニーテールにしたのは今日が初めてだが器用さの熟練度が上がったからか上手に出来た。数日前にヘスティアから貰った白色の髪紐をせっかくなのでと使用していた。ショートの部類には入るがレアの髪のそこそこ長いからか、纏めると涼しく主観的にも可愛らしい。うなじをチラ見するベルの反応も中々に面白く、しばらくはこの髪型で過ごそうと――、

 

「――ねえ、ベル」

 

「どうしたの?」

 

「私……俺って男だよね」

 

「………………はぇ?」

 

 ナイフ使いの少年は、まるで宇宙人に遭遇したような顔をしていた。

 馬鹿にするという訳ではなく、大きな深紅色の瞳を丸くし、驚愕と疑問を宿しながら。

 やがて、何かが彼の中で解消されたのか、柔和な笑みで、しかし頬を僅かに染めて言った。

 

「えっと……レアは女の子だと思うよ。えっと……、その可愛いし、綺麗で、……その」

 

「ぁぁ……。うん、そっか」

 

「レア?」

 

「ううん、そんな口説かれても私は軽くないよ」

 

「く、口説いてなんて……!」

 

 赤面する彼から見ても、『レア』は可愛いらしい。

 とはいえ、レアから見て、暫定的相棒の評価は夢見る少年という位置から変動はない。

 少しずつ己の精神が自らの身体に引き摺り込まれていくのを感じつつも、思考を切り替える。

 

「それより、この後はどうする?」

 

「――うん」

 

 そうレアが尋ねる。

 この後という意味は、何もダンジョンを出た後という意味ではない。

 そもそも、今外に出たところで、ダンジョンの外はまだ昼を少し過ぎた程度だろう。要するにレアがベルに尋ねたい事の真意とは、この階層に留まるか、或いは――、

 

「……六階層に行ってみようと思うんだけど」

 

「――。ベル、冒険者は……?」

 

「冒険してはならない……。エイナさんの言葉は最もだけども、でも僕は一人じゃない、レアもいる。二人いれば多分いけるんじゃないかな……?」

 

「――――」

 

「レアの魔法だってあるんだし、さ」

 

 正直、ベルの言葉には賛成している己がいる事を否定しない。

 『ダンジョン・リザード』や『フロッグ・シューター』などのモンスターは一通りレアも撃退している。あとは数の問題などもあるが、いずれ相棒との連携が噛み合えば解消されるだろう。そういった諸々を含めて、既にレアとベルは五階層に来ているのだから。

 

「――――」

 

 ――死体が既に無くなっている事は確認しなかった。

 レアがかつて見ていたドラマには、よくある推理サスペンス物があった。

 その内容は、大抵犯人が殺人現場に戻り証拠を残すという、陳腐で典型的な展開が多かった。

 

 あの陳腐な展開を見る度に、レアは思った。

 自分ならば、あんな愚挙を犯さないと、根拠の無い自信があった。

 そもそも死体が未だに存在するならば既にギルドに報告か何かが行くはずだ。隠蔽する意味は無いはずで、恐らくはモンスターに捕食されているはずなのだ。そうでなくては困る。

 

「――――」

 

 己の現在の装備を見直す。

 自らの双丘及び身体を守る皮鎧とインナーが主体の、戦闘衣とも呼べない出で立ちだ。拾った片手剣を背中の剣帯に佩き、腰には大型ナイフを装備している。追加で購入した小型の盾はレアの左腕に装備している。そんな自らの細い体躯を赤茶色の格安フードを最後に羽織っている。

 

 元々奪った金が大半だ。

 冒険者が多い場所では基本的にレアはフードを被るようにしている。

 無用の警戒かもしれないが、それでも仕返しの可能性を警戒しての事である。

 

(顔写真が無いのが幸いか)

 

 あの現場でレアの顔を見たのは、金髪の男一人だけだ。

 時間が経過すれば、日数が過ぎる程に、レアの顔の詳細など忘れるだろう。

 とはいえ、此方が先に見つけた場合は今後の為にも、速やかな処分が必要だろう。

 そう考えるとやはり――、

 

「ダンジョンっていいよね」

 

 

 

 +

 

 

 

 知識とは力だ。

 無知とは愚かな物である。

 

 そうレアが考える事としては目の前のモンスターにある。

 闇で身体を塗り固めたような体躯、十字の形を描く頭部は、六階層出現モンスター『ウォーシャドウ』だ。つい数日前まで、その存在どころか名前すらレアは知らなかった。

 

『……』

 

「っっ!」

 

「……!」

 

 二対一。

 だが、数の差など関係ないとばかりに、ウォーシャドウの移動速度は速い。

 無言で駆け寄り、異様に長い両腕の先から放つ『爪』の威力は単調ながら瞠目する程に高い。

 

 鉤爪状に折り曲げた三枚の黒刃を剣で受け止めると、同時に敵は姿を眩ます。

 視覚外への移動を瞬時に成し遂げる速度は、絶死の一撃を的確にレアに与えようとしてくる。

 

「ぐっ……!!」

 

『……』

 

 一回死んだ。

 ベルが弾かなくては目を潰されただろうか。

 

 そう思わせる程に、ウォーシャドウは単純に強かった。

 五階層までの敵とは比べ物にならない程に敵は純粋に、速く、巧く、強い。『上層』と定められるダンジョン一階層から十二階層の中で、新米の冒険者では敵わないモンスター筆頭である。

 

 六階層での初遭遇。

 運が良いのか悪いのか、レアとベルは苦戦を強いられていた。 

 新米の冒険者には敵わないというのは本当なのか、低いステイタスでは二人で対抗するのがぎりぎりといった所だろうか。……ぎりぎりで、レア達が負けそうといった状況だ。

 

 負ける。

 それは即ち、死だ。

 

「――――」

 

「――――」

 

 こんな所で朽ち果てて良いのか、レア・キャリプソー。

 こんなモンスター如きに負ける程度ならば、死んでしまえ。

 六の黒刃が薄皮一枚を掠め、前から、横から、下から、着実に単調に『死』へとレアを誘う。

 

「せ、あ……っっ!!」

 

『……』

 

 馬鹿が。自分の死に方は自分で決める。

 決死の意志で剣を振るい、ベルの短刀が、敵の僅かな隙を斬り拓く。

 

 ――黒影を捉えて、一声。

 

「【深淵よ(トリアイナ)】」

 

 超短文詠唱を引金に、『魔法』という撃鉄を下ろす。

 

「【アーク・クエイガ】」

 

『……、……!』

 

 不可視の何かが大気を振動させ、レアの左手に『収束』し瞬時に『解放』した。

 がくんと、頭を仰け反らせる敵顔面の鏡面は砕け、頭部の中心には風穴が穿たれていた。

 ヘドロのようなどす黒い液が穴から漏れ出し、黒の体躯を痙攣させ、地面に崩れ落ちた。

 

 火でも水でも土でも風でも無い。恐らくは振動関係の魔法が、レアの唯一の『魔法』。

 付与魔法らしいが、今はまだ自らの手に『魔法』を収束出来る程度のコントロールなど皆無だ。ただ火力の無い現状を補う程度には高い攻撃力を誇っている。

 

(普通に使ったら、ナイフを一本壊したからな)

 

 魔力を帯びた剣は憧れだったが、そう上手くはいかない。

 死骸から奪った大型ナイフに『魔法』を付与した結果、一瞬で砕け散った。結果レアの購入するべき品が一つ増えてしまった。

 

『でも、レア君のマッサージは良い感じだよ』

 

 というのは、レアが仕える女神談だ。

 修行として毎日、手のひらに『収束』させて仕事帰りのヘスティアの凝った肩を解すと非常に喜ばれた。レアとしても嘗ての祖母にしていた肩たたきの記憶が蘇ったが、流石にそれを口にするのは憚られたのだが。

 

「やっぱり、レアの魔法凄いね!」

 

「そう? そうだろ?」

 

「うん、こう、不可視の一撃っていうの? いいなー!」

 

 『魔法』が使用出来ても、今度は精神疲弊(マインドダウン)の事も考えなくてはならない。当然だが体力を消耗するように『魔法』を使用する度に精神力を削って使用する。当然最初の頃は『魔法』の加減が分からず何度か精神疲弊になった為、ベルにおんぶされ帰還したのは記憶に新しい。

 毎日、気絶寸前まで『魔法』を使用し、武器として使用出来るようになったのは最近だ。

 

「――んんっ、ベル。油断しないでね」

 

「う、うん」

 

 キラキラとした眼差しをベルより向けられる。

 その純粋な視線が眩しくて、嬉しく感じつつも、軽く咳をして誤魔化す。

 つい頬を緩めそうになるのを堪えるべく、ベルから明後日の方向にレアは顔を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミノタウロスが――、

 

 

 

 

 

 +

 

 

 

 レアが本当の意味で、レベル差を意識したのは初めてであった。

 『コボルト』の時や『ウォーシャドウ』等との闘いは確かに死との境目を闊歩する事も多いが、それは同時に勝利への道しるべも見えていた。その微かな光を手繰り寄せる度に、少しずつ、相棒と共に強くなっていると思った。

 

「【アーク・クエイガ】!」

 

『ヴ、ォォォオオオオオオオオ――ッッ!!!』

 

 思いあがっていた。

 レアがモンスターを『敵』と認識しているように、相手も同じく対等に『敵』だと。

 駆け出しの冒険者の魔法では、LV.2相当のミノタウロスの肉体には掠り傷しか付かない。

 そして、その掠り傷が怪物に怒声を上げさせた。

 

「うわああああああああ……っっ!!?」

 

「っっ……!!」

 

 認識が甘かったのだ。

 背後から迫りくるモンスターにとって、レアもベルも、ただの『獲物』なのだ。

 

『『ゴブブッ!』』

 

『『……』』

 

 配下なのか、それとも共に追われているのか。

 ミノタウロスの吠声に触発されたのか、他のモンスターも追いかけてくる。

 悲鳴を堪えるレアと、涙を深紅の瞳に滲ませるベルも、ひたすらに逃げに徹した。

 

 五階層への出口へ逃げ込み、しかし追いかけてくる異常事態。

 ベルよりも敏捷の低いレアの手を必死の形相で掴むベルは哀れなくらいに怯えている。

 あの砲撃のような吼声は身体の奥を致命的なまでに凍り付かせ、簡単には立ち直れさせない。

 

 ――そう思考するレアの脳は、冷たくも回転している。

 悲鳴を上げても、嗚咽を漏らしても、尿を撒き散らしても、このままでは間違いなく死ぬ。

 追われる事の恐怖を理解し、しかし思考は変わらず冷たく状況の打破へと淡々と動く。

 

 ――悲鳴でも上げるべきだろうか。

 

 呼吸を繰り返し、熱くなる肺に息を送る。

 収縮する度に生を実感し、背後から届く怒声が耳朶に響く度に、壊れたような笑みが浮かぶ。

 

「――ルームに」

 

「ぅぅ……っ!!」

 

 一方通行の道の先に広がる軽い広間のような場所。

 円状となっている場所はダンジョンの通路よりも何倍か広く視野も広がる。

 パーティが休憩を行う場所としては非常に多く、理由としてはルーム内の壁を破壊すれば、即席の安全地帯が出来上がるからだ。出入口さえ気を付ければ一息つける。

 そうして休んでいるパーティを見つけてレアは今度こそ、薄く冷たい微笑を浮かべた。

 

 袋小路だ。

 だが、運は良い方なのか。

 

「おおーい」

 

 間抜けな声だ。レアの声がパーティに届く。

 知人に挨拶をする感覚で、見知らぬ四人組のパーティに叫んだ。

 

「あ? ……!!」

 

「なんでミノタウロスが!!?」

 

 最初に気づいたのは、リーダーらしき男だった。

 レアと同じ片手剣使いらしいが、男が纏う防具は段違いに上である事が分かった。

 そんな男の間抜けな声に次々と気づくのは、槍使いや、斧使いと魔法使いだろうか。

 

 押し付けた訳ではない。

 偶然、逃げた先に、レア達よりも強いパーティがいたのだ。

 

「ぁ……っ」

 

「……」

 

 背後から聞こえる悲鳴と、刃が硬い物にぶつかる音。

 モンスターと他のパーティが戦う事を耳朶で確認したレアは、そのままベルの手を引き、全速力で唯一の出口へと駆け抜けようとして、

 

「ま、まって、レア」

 

「――――」

 

 細く白い手が、レアの脚を鈍らせる。

 何を考えているのか。理解は出来つつも、行わせる気はない。

 

「駄目だ」

 

「……でも!」

 

 深紅の眼差しと紫紺の眼差しがぶつかる。

 怯え切った瞳だ。脚なんてみっともなく震わせて、冷たい恐怖に涙を流している。

 本当の意味で『死』を感じた事など無いのだろう。あの化物を相手にすれば当然だ。

 

「逃げるべきだ」

 

「ぁ……、ぼ、ぼくは」

 

 それでも少年は脚を動かさない。

 逃げる事が最善であると告げるレアと、罪悪感からか助けるべきだというベルの意志。

 

 ――そもそも、立ち止まったら、もう駄目だ。

 

 ぶちゅりと肉が潰れる音がした。

 それはどちらの決断も出来ない愚か者に叩きつけられた、誰かの片手だ。

 飛んできた肉片はベルの白髪を斑に染め、レアの頬に点となって付着し、地面を転がる。

 

 ごろごろ。

 ごろごろ。

 

「ひ」

 

 LV差とはここまでの物だったのか。

 喉を凍らせるベルとは対照的に、他者の勝利は高望みだったかとレアは吐息した。

 たった一つの異常事態で壊滅しかけているパーティは既に二人が肉塊となっている。

 剛腕に吹き飛ばされて、蹄に背中を潰されて、角に武器を折られて、そして殺される。

 

「いやあああああぁぁあああ、あ」

 

「うわあああ!!!」

 

 また死んだ。

 唯一の出入り口は塞がれ、ウォーシャドウが残りの一人を私刑にしている。

 そして、次はお前だと鼻を鳴らし、蹄で土を蹴り上げ、獲物を殺そうと走り寄る。

 

『ヴ、モォオオ!!』

 

 誰だって自分の命が惜しい。

 ついでに言えば、身近な人の命は繋ぎ止めたい。

 それは他人にも言える法則で、ただレアの法則の方が上だっただけで。

 

 死ねば次の機会など無い。

 彼らには悪いが、あの異常事態への備えが無かった自分達を、そして異常事態の原因となった何者かを恨んでもらいたい。回避不可避の突撃に、せめて相棒はと突き飛ばした矢先、レアは壁に叩きつけられた。

 

「レアぁ……!!」

 

「――ごぶっ、ぶ」

 

 咄嗟に盾で自らを守って、これだ。

 盾はひしゃげ、腕はへし折れ、内臓はどこかが壊れた。

 

 レア程度の力でも、武器でも、魔法でも、思考でも、勝てない。

 半分壁と同化したのではないのかと思う程の衝撃に、吐血しながらレアは思う。

 

 怪物は獲物の死の予感に舌なめずりをした。

 そして、ゆっくりと身体の上半身と、下半身がずれていった。

 

『ヴォ?』

 

「――――」

 

 ――黄金の、風を幻想した。

 

 自らが死んだ事に気づかないミノタウロス。

 怪物が灰と化す事など最早目にはなく、息を呑み、霞む視界の中で、その存在を捉える。

 それは風ではなく、黄金の人であった。長髪の黄金の髪が風に揺れ動いている一人の少女だ。

 

 どこまでも黄金の少女の、冴えた瞳もまた黄金色だった。

 銀の一閃を創造したレイピアを片手に持ち、蒼色の装備をしている少女。

 その眼差しは透き通り、精霊に愛されているかのような顔の造形は女神と同等の美の暴力か。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 一撃で、不条理を覆し、怪物を殺す『力』の存在にレアは目を見開き、見ていた。

 身体を震わし、心から湧き上がる謎の感情の正体も、分からぬままに――。

 

 

  

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