ドイツでまたも騒動が起きてから数日後。イタリアはローマの街を、二人の青年が連れ立って歩いていた。
時間は夜。周りに負けず劣らず賑やかな雰囲気を漂わせており、両者の友好が深いことをうかがわせる。
「そうか~~、せっかく彼女ができたってのに国外勤務なんてマルクもツイてないなぁ!」
「本当さ! ……でもしょうがない、一応これでも軍属だしね。それに何もかもがツイてないわけじゃあないぜ、なんせシュトロハイム少佐の部隊はサンタナ王国まで飛ばされたんだ。上からの命令で急にだぞ? それに比べたらイタリアはマシさ。フツーに手紙でやり取りできる距離だからね」
「何ィーッ、突然大西洋を渡らされたヤツもいるのか!? 確かにそいつらに比べたらマシだな!」
「だろ? それに、こうして休みの日にシーザーと会えるんだ。これ以上は文句は言わないよ」
――ま、できれば君のいるヴェネツィアに行ってみたいところだけどね。
そう付け加えて肩をすくめたマルクに、シーザーは嬉しそうに破顔すると、その野太い腕で半ば強引に肩を組んだ。
「なんだァ、嬉しいこと言ってくれるじゃあないかこいつめ!」
「わっ、それは苦しいからやめてくれよ! 君の逞しい身体で手加減してくれなかったら死んでしまう!」
「そんなことで兵士が務まるのかァ〜? ンン〜?」
「波紋戦士の君と一緒にはしないでほしいなぁ!」
ワハハと笑い合うマルクとシーザーの二人。国籍は違えどどこにでもいそうな、仲のいい若者と言った様子である。
かたやナチスドイツの兵士、かたや波紋戦士であるが……どんな人間であろうと日常というものは存在するのだ。
「しかしあんまり長く留守にしたら、彼女にフラれちまうかもなァー?」
「ちょ、それは思っても言いっこなしだよシーザー!」
そうして仲良く街を歩く二人。
しかしあるとき、フッとシーザーの顔が鋭くなった。その変化に、マルクも気がつき首を傾げる。
そんな彼に、シーザーは問わせずそれまでの空気を維持するよう努めろと小さく伝える。
そのまま二人は騒ぐ若者の体を表面上は崩すことなく歩き続け、程なくしてマルクの所属する部隊の詰所へと辿り着く。
「……シーザー?」
「俺の勘違いかもしれん。そうだといいんだが……吸血鬼がいた」
途端に室内が、シンと音を失った。
「本当なのかい、シーザー!?」
「……まさか?」
「数日前、ベルリンから一体が逃げたとは聞いたが……」
「このローマになぜ?」
だがすぐに、マルクを始めとした兵士たちが殺到した。
「少なくとも俺はそう感じた。勘……みたいなもので、根拠があるわけじゃあないんだが……」
兵士たちをなだめるように、手をかざしながら言うシーザー。彼は途中で一度言葉を切ったが、すぐに鋭い視線を外に向けて続きを口にした。
「……少なくとも、ここまで
それを聞いた兵士たちは、再び静まり返った。誰かが唾を飲む音が、やけに大きく響く。
彼らはシーザーの言を信じていないわけではない。むしろかなりの確度で信ぴょう性があると、ほぼ全員が感じていた。
なぜならここ数年、ドイツ軍は波紋を科学的に究明する過程で、人間としての限界を波紋戦士がやすやすと上回るとおおむね理解しているのだ。
拳銃くらいであれば、持ち前の体力と技であしらえるのが波紋戦士。そうでなくとも、超能力と評して余りある波紋は、生半可な覚悟と修行では身につかない。
それを若くして使いこなすシーザーに対して、多くの兵士たちは一定以上の尊敬を寄せているのだ。その傾向は特に、マルクのようなシーザーと年の近い……すなわち若い兵卒たちに顕著であった。
だから、というわけでもないのだが。沈黙したドイツ兵たちに向けて、シーザーは不敵に笑って見せた。
「狙いが誰なのか、何なのかはわからんが……吸血鬼の相手は波紋戦士にしか務まらん。ここはこのシーザーに任せてもらおう」
「ま……待ってくれシーザー! そんなことしたら君がどうなるか……」
「なーに、心配するな。俺だって既に免許皆伝はもらっている! 吸血鬼の一体くらい、わけもないさ!」
言うや否や心配そうに言い募ってきたマルクをなだめながら、シーザーは笑って見せる。
しかしそんな彼の脳裏をよぎるのは、何もできなかったかつての痛い記憶だ。好奇心で首を突っ込んでもいいことは何もないと、彼は学んでいる。
だが今のシーザーは力なき一般人ではない。むしろ力あるものとして、やらなければならないことがある。だからこそ彼は、素直に二の句を継ぐことができた。
「……吸血鬼をなんとかするのは波紋戦士の役目だ。君たちを巻き込むわけにはいかないんだ。わかってくれ、みんな」
「……シーザー」
「大丈夫、無理はしないさ。俺が死んだら悲しむ、お嬢さんがたくさんいるからな」
それでもなお案じるマルクにそう言うと、シーザーは茶目っ気たっぷりにウィンクをしてみせた。その姿は、まさにイタリアの伊達男と言わんばかりの男ぶりであった。
さて、そうと決まればシーザーはすぐさま動ける男だ。さも友人を送っていったという体で詰め所を後にする。そうして陽気な態度を表面上は維持したまま、ローマの街並みを歩き始めた。
向かう先は決めているが、ルートは決まっていない。気分に任せて、けれど人気は少しずつ少なくなっていくように、慣れた足取りでゆるゆると。
道中、酒屋に立ち寄ってワインを購入する。お土産の体裁に包装を整えてもらってであるが、もちろんただの贈り物ではない。波紋使いにとってワインは……というより液体は、重要なアイテムなのだ。
(……やはり来ているなッ)
ワインを腋に挟む形で抱え、口笛を吹きながら歩きつつも、シーザーの感覚は尾行者をはっきりと認識していた。
だが、だからこそ彼にはわかった。相手もシーザーから認識されていることを承知の上で、尾行を継続しているということが。
ならば目当ては自分ということか……と考えたところで、目的地に着いた。コロッセオ……かつてシーザーが、父と再会した因縁の地下遺跡を密かに抱える場所だ。
既に周辺に人はいない。それを確認して、シーザーはゆっくりと振り返った。
そこにはもはや隠すことなく、一人の男が佇んでいた。長い黒髪の美丈夫。歳の頃はシーザーより確実に上だが、それでも三十路には届いていないであろう。
身体つきはひらひらとした衣服とマフラーで隠れているが、シーザーにはわかる。鍛え抜かれた肉体がそこに隠れているということが。
だが、シーザーにとってそれらはさほど気になるものではなかった。何よりも彼の注意を引いたのは、男の顔。
「……やあシニョール、どこかで会ったかな?」
そう、なぜか見覚えがあったのだ。しかし、実際に顔を合わせて会話をしたような記憶はどうにも持ち合わせていない。
だからあくまで陽気なイタリア人の態度を崩さず、問いかけてみた。
「…………」
だが返答はなかった。ただ、にやりとした笑いが向けられただけで。
しかしその笑いのうちに垣間見えた、男の口の中……そこからのぞく鋭い歯に、シーザーは一気に警戒のレベルを跳ね上げた。
佇む気配からして
けれども彼の警戒は、この場合逆効果だった。一瞬とはいえ彼は確かに態度を、気配を、そして何より態勢を変えてしまった。
だからこそ。
「ふむ……偶然若い波紋使いを見かけたから、どれほどのものかと思ったが……」
相手の男は、言いながら殴りかかってきた。
常人であれば、到底認識できない速度での一撃。しかしそれを、シーザーは培った経験から見抜いてすんでのところで回避する。
と同時に、カウンターを放つ。カウンターに対するカウンターを警戒し、蹴りは使わない。ワインボトルを抱えていないほうの手を握り、顔めがけて裏拳を見舞う。その拳には、もちろん波紋の輝きが煌めいていた。
「……存外やるな小僧。きちんと鍛えていなければできない反応だ」
のけぞってそれをさらりと回避した男は、ふわりと後ろに跳躍。空中で一回転して柵の上に着地すると、そう言ってのけた。
妙に上から目線の発言に、少々イラつきながらもシーザーは身構える。今度こそ確実に、戦うための構えだ。
「少なくとも、ナチスの小僧どもとは比べ物にならんくらい仕上がっている……免許は皆伝と言ったところか! いいぞ、相手にとって不足はない!」
「貴様……何者だッ?」
「そう言いながら、既に察しているだろう?」
「
舌鋒鋭く言い放ったシーザーに対して、男はなおも笑う。
いや、これは嗤っているのか。その態度に、元々そこまで気の長いほうではないシーザーは、怒りを露わにする。
「知りたければ私を倒してみるがいい、若き波紋使いよ!」
「……ッ、お望み通りにしてやろうじゃあねーかッ!」
そうしてシーザーは、地面を蹴って前に出た。波紋の呼吸に乱れはなく、基本を着実に積み上げたことが見てわかる、美しい輝きが黄金のエネルギーとなって迸る。
男……吸血鬼はその様子に一瞬だけ、嬉しそうに目を細めた。彼が少し前に見た紛い物とは異なる、正当かつ見事な波紋だった。
「食らえ吸血鬼ッ!」
シーザーはまず、手にしていたワインに勢いよく波紋を流し込んだ。すると瓶の中のワインが激しく膨張し、コルクがライフルを思わせる速度で発射される。それに続く形で、波紋を大量に帯びたワインが水鉄砲のように噴き出した。
「甘いな」
だがそれを、吸血鬼は見てからでも余裕とばかりに回避する。横でも後でもない。前にだ。最小限の動きでコルクとワインの軌道から逸れた彼は、そのまま鋭い手刀を突き出す。
「甘いのは……どちらだッ!?」
対するシーザーは、ワインボトルを大きく振り払った。すると噴射されていたワインが、波紋の力によって一定の固さを得ていたワインが、鞭のようにしなって吸血鬼に襲い掛かる。
しかしそれすらも、吸血鬼はニヤリと笑って回避した。今度は跳躍し、シーザーの頭上を通過する形で。
さらに通過する途中……跳躍の頂点に達したところで、縦に回転しながらシーザーの脳天めがけて踵を振り下ろす。
「ぐッ!?」
かろうじて左腕で防いだシーザーだったが、吸血鬼の膂力によって放たれた一撃はすさまじい重さであった。シーザーにとって今まで受けた最大の物理的衝撃はジョナサンのタックルであったが、それを優に上回る衝撃が彼に襲い掛かる。
直撃ではなかったにもかかわらず当たり前のように骨がきしみ、折れたときのような音が響いた。
「ぐ……くッ、なんのこれしき!」
だがその程度の痛みは、波紋の呼吸で軽減できる。治癒力を底上げする波紋があれば、骨折すらハンデにはならない。
ゆえにこそ、シーザーはひるむことなく波紋を帯びたワインの鞭を振るう。しかし既にそこに吸血鬼はおらず、空振りに終わった。
「フフ……言っただろう、甘いな、と」
少し離れたところで腕を組み、にやにやと笑う吸血鬼。完全に遊ばれている。
またもシーザーの頭に血が上る。
しかし、彼が突撃することはなかった。なぜなら、彼が一歩前に踏み出した次の瞬間に、大量の銃声が響き渡ったからだ。
そして彼の目の前で、吸血鬼の身体に無数の弾丸が四方八方から殺到し、蹂躙し始める。
一瞬何が起きたのかわからなかったシーザーだが、すぐに気がついた。マルクたちが助けに来てくれたのだ、と。
無抵抗に弾丸を受け続ける吸血鬼をよそに、彼が闇の奥へ目線を向ければ……果たしてそこには、武装したドイツ軍が複数並んでいた。
とはいえそれを嬉しく思う反面、なぜ助けに来てしまったのだ、とも思う。下手すれば彼らの中から、誰かが死んでしまうかもしれないというのに。
(だが……俺が彼らの立場なら、同じことをしていただろう……まったく、お人よしのやつらだぜ!)
それでも思わず口元が緩むのを感じてしまう。彼らの心意気が、身に染みた。
しかしそれで油断するわけにはいかない。シーザーは一瞬逸らした視線を、吸血鬼へ戻す。
その吸血鬼は相変わらず無抵抗のようで、なおも執拗に弾丸を浴びせられていた。しかし、シーザーにはそれが妙に気にかかった。防御する姿勢は見せているが、回避しようという気配が微塵も感じられないのだ。
これにはきっとわけがある……シーザーがそう思ったとき、ちょうど射撃が止んだ。
「……やったか?」
マルクではない、誰かの声が聞こえてきた。
だからシーザーは、思わず応じていた。
「いや!」
そしてその通りになった。
倒れていた吸血鬼が、ほどなくゆらりと起き上がったのだ。全身には銃創がいくつも空き、相応の血が流れている。しかし、それでもなお……。
「フ……フフ、フフフフフ……」
吸血鬼は笑っていた。
そして立ち上がると同時に、身体を勢いよく
地面に落ちた弾丸が、むなしく金属音を響かせる。そしてその頃には、早くも全身の銃創は閉じ始め、流血も止まっていた。その姿から、死はまるで感じられない。
「ば……バケモノだ……!」
まさしく化け物であった。ドイツ軍の誰かの言葉に、吸血鬼はさらに笑いを上げる。
「これが……これが吸血鬼か……!」
シーザーもまた、怪物の実態を初めて目の当たりにして息を呑んでいた。
知識としては知っていた。どういう攻撃が有効で、あちらが習得し得る特殊な攻撃も、しっかり聞いている。だが……やはり、見ると聞くとでは大違いであった。
しかし、だからといって戦いを諦めることにはならない。気圧されてはいるものの、及び腰にはなっていない。
目の前で起きた現象から目を背けることなく、状況を把握しようと努め……そしてふと気づいた。
(……あれだけ弾丸を食らったのに、頭にだけは一発も入っていない? 何をした?)
「……ディオの失敗は、自分の能力を楽しんだことだった」
だが思考を始めたシーザーをよそに、吸血鬼は早くも傷口がふさがった身体で拳を握り締め、誰にともなくつぶやき小さく空を仰いだ。
「奴は実験し、自分の能力の限界を知りたがった……そこにスキが生まれ、ジョナサンに敗北した」
その言葉に、シーザーは今度こそ驚愕で固まった。
「なんだと? 貴様ッ、ジョナサン師範の何を知っている!? ディオの部下か!?」
「ほう? ジョナサンを師範と……ということは、お前は正式なローマ式波紋道の弟子か。だとすると……もしやお前、シーザー・ツェペリか?」
「……!?」
突然名前を言い当てられ、シーザーは無意識のうちに身構える。
だが吸血鬼は攻撃をせず、なぜか立ちっぱなしで自嘲気味に笑っていた。
「……やはりそうか。そうか……ツェペリさんの孫か……」
「貴様……ッ、じいさんのことを知っているのか……!?」
「ああ、知っているとも。恐らくはお前よりもな。……彼は良き兄弟子だった。才能も、人望もあった……どうやら彼のそれは、確かに孫に受け継がれたようだな。少々……羨ましいものがある」
先ほどまでと異なり、穏やかな表情を見せた吸血鬼は、シーザーを……次いで銃を構えて狙いをつけているドイツ軍人たちを見渡して笑った。
これまたあざ笑うような笑い方ではなく、嬉しそうな……あるいは楽しそうな、そんな笑い方で。
その険の取れた顔を見たシーザーの脳裏に、あるものが浮かんだ。
それは写真だ。それぞれが一人の赤子を抱えた、若き日のジョースター夫妻。その傍らに立っていた二人の男の片割れ……今とほぼ同じ衣装を身にまとった、今とほぼ同じ顔立ちの男の姿が脳裏に……。
「まさか……
「ほう、気づいたか。頭もいいようだ……ジョナサンもエリザベスも、良き弟子に恵まれたらしい」
シーザーが思いついた答えを聞かずとも、吸血鬼は肯定して見せた。あり得ないと思ったシーザーに、しかしそれが現実だと突き付けるように。
「
そうしてようやく名乗った男……ストレイツォのあまりに堂々とした態度に、シーザーは唖然とするしかなかった。
なぜなら彼は……シーザーが敬愛する師匠の一人、リサリサの師匠なのだから。
新章が始まって3話目にして、早くも霊圧が完全に消えた主人公がいるらしい。