そもそもの話だが。シーザーは、彼が指摘した通り波紋が効かない衣料の存在を知っている。なぜなら、師の一人であるリサリサが武器として用いるものこそ、それであるからだ。
これの起源は遠く共和政ローマの時代、
その特徴は、驚異的な波紋伝導率だ。人体よりも遥かに高い伝導率を誇るために、衣服として身に着けると身体に波紋が流れるより早く波紋を散らしてしまう。つまりは、雷に対するアースのような現象が起こるのだ。
かつてのローマ波紋の戦士たちはこの性質に目をつけ、武器として使い始めた。その伝統を今に受け継ぐリサリサもまた、この衣料から作ったマフラーを武器に使う。波紋を流し、硬化させたマフラーはシーザーのシャボンバリアーと同じく、マフラーとしての性質も併せ持つため攻防一体の武器となるのだ。
そしてそんな師匠を持つために、シーザーは対処法を知っている。正確には、彼女と本気で戦うことになったときはどのように対処すべきかずっと考え続けてきた、と言うべきだが。
ともかく、シーザーはどうすればいいのか、大まかにだが答えを持っている。問題はそれを使うタイミングだ。
「ふん!」
シーザーの機先を制して、ストレイツォが仕掛けてくる。剛腕がうなり、シーザーの肺を一直線に襲う。
これに対してシーザーは、後ろに跳んで回避する。いつでもシャボンバリアーを展開できる体勢でだ。これにより、ストレイツォは
しかしシャボンバリアーで防げる範囲はそこまで広くない。せいぜいが、シーザーの上半身の一部くらいだ。
ゆえに、ストレイツォの追撃は足払いとなった。鋭い蹴りがシーザーの足元をすくう。
文字通り石畳に刺さるほどの勢いで放たれたそれを、再び小さな跳躍で避けたシーザーは、避けながらもシャボンバリアーの体勢から流れるようにランチャーへ移行する。先程は一旦消したが、本来バリアーはそのままシャボン玉の弾幕を放つ砲台になるのだ。そうして無数のシャボン玉が、一気にストレイツォへ襲い掛かる。
だがシャボンランチャーは、足払いによって巻き上げられた石畳の破片で蹴散らされてしまった。破壊されてはいないが、完全に軌道が逸れている。
このため、シーザーとストレイツォの間に空白ができてしまった。そしてこれを見逃すストレイツォではない……
「……チ、やるな。破片程度で払えるくらいの弾幕にとどめたのはそういうことか」
が、彼は
ならばと殴りにかかるが、わずかな間のうちに用意された火炎瓶を投げつけられ、目を見張る。
「小癪な!」
ここで炎を繰り出してきた意味を正確に悟ったストレイツォは、的確に火炎瓶を打ち払った。
それを阻止しようとシーザーはシャボンランチャーで追撃するが、健闘虚しく火炎瓶は離れた場所に落ちて割れた。闇の中に一つ、炎が燃え上がる。しかしそれは、夜にあってはいかにも頼りない。
要するにマフラーを燃やして無効化しつつ、あわよくばストレイツォの身体も焼いてその再生力を無駄遣いさせようとしたシーザーの思惑は、露と消えたのである。思わず舌打ちが漏れる。
しかしこれも想定内だ。なぜなら、火炎瓶を払う一手は間違いなく、ストレイツォの行動をワンテンポ遅らせたのだから。
その隙間を縫い、遅れて放たれたストレイツォの拳をかいくぐったシーザーは、波紋に満ちた拳をストレイツォの胴体へと思いっきり叩きつける。
「これでどうだ!
だが、
「狙いはよかったぞ! 狙いはな!」
「くっ、マフラーだけでなくその服までも!?」
ストレイツォの衣服はマフラー同様、波紋を容赦なく散らしてしまった。結果、シーザーが与えることができたのは、ただのパンチになってしまう。
そしてそんなものが、吸血鬼に効くはずもない。
「覚えておくといい! サティポロジァビートルの原産地は東南アジア……そして私は
ストレイツォが邪悪な笑みを浮かべ、勝ち誇る。
「そしてこの距離! もはやかわせぬぞシーザー! 喰らえい!」
「がはあ……っ!」
遂にストレイツォの拳が、シーザーの身体を完全にとらえた。とっさに身をねじって左腕を盾にしたが、激しい打撃音と骨折音と共にシーザーの身体は大きく飛ばされ、あろうことか炎へ向かって投げ出される。先ほど、シーザー自身が作り出した炎の中にだ。
彼は一応受け身を取ったが、それでも吸血鬼の一撃は間違いなくその身体機能を麻痺させた。おまけに左腕は、既に一度盾にしている。完治まではしていなかった左腕は、これで当分動かせないだろう。少なくともこの戦いが終わるまでは、満足に動かせるとは思えない。
そしてこれに伴う全身を襲う激痛と突然の大量出血が、シーザーの身を苛む。簡単には炎の中から脱出できそうになかった。
「うぐ……く、うう……!」
そうしてあがくシーザーを、ストレイツォはくつくつと笑いながら見下している。
「このストレイツォ相手にお前はよく戦った……お前が優れた波紋戦士であることは私が保証しよう」
「ぐ……!」
「だが、まだ青い。未熟だ! ……とはいえ、だからこそ今ここでお前を始末できる幸運に感謝せねばな。お前が私と同じ歳になったとき、どれほどの戦士になっているかは私でも想像できん」
ここでようやく、シーザーは炎から抜け出ることができた。ランチャー用に身体のあちこちに仕込んだシャボン液のおかげか、ほとんど火傷にはなっていない。それでも炎の熱を完全に防げたわけではない。満身創痍だった。
「ではこれで終わりとしよう……さらばだ!」
だが、ストレイツォがとどめを刺そうと大きく瞠目した瞬間。
突如として、甲高い音と共に真っ赤な光線が槍衾のごとくストレイツォに襲いかかった。
「
そしてそのすべてが、か細くも確かな破壊力を持っていた。ストレイツォの身体は未舗装の路上さながらに凸凹となり、しかもそのすべてが治る気配を見せない。
これにはたまらず、苦悶に身体を震わせるストレイツォ。何が起きたかわからず、痛みを堪えながら光線が放たれたほうへ憎々しく目を向ける。
そこにあるのは、小さな炎だ。先ほどシーザーが投げた火炎瓶の成れの果て。波紋の媒介となる植物油で作られたそれは、小さくも今なお燃え続けている。
そんな炎の、傍らに。子供の手のひらに収まるくらいの小さい石が転がっているのを、遅まきながらストレイツォは気がついた。
石は、
そんな石に、炎の光が今も少しずつ吸い込まれていて――
「――
ストレイツォがその正体に気がついた瞬間、石は――エイジャの赤石は、再度赤い光線を乱射した。
慌てて地面に身体を委ね、転がったストレイツォだったが、それでもまだ遅かった。彼の背中を、いくつかの光が引き裂いていく。
「ぐおおおぉぉぉ!?」
「あの、
それをよそに、シーザーが呼吸を整えながら立ち上がる。赤石を拾い上げながらだ。
「……
シーザーはそう言って、ニヤリと笑った。
そう、これが彼の策だった。火炎瓶も、腹への
いや、もちろんここまで来る前の段階で有効打を与えられればなおよかったのだが、念には念を入れたというわけだ。そしてその判断は正しかった。
……本来ならあり得ないことだが。この世界では、エイジャの赤石の価値はそこまで高くない。もちろん、下手な宝石よりよほど高価なものであることは間違いないし、シーザーが使った石は小さい上にスーパーエイジャの足元にも及ばない低品質なものだ。
それでもアルフィーが起こした蝶の羽ばたきは、二千年の間に巨大な波紋となり、大きな変化をもたらしていた。すなわちルブルム商会、ひいてはルベルクラク、さらにはルージュフィシューによって、赤石は幻の宝石ではなく、実在する宝石として
またルベルクラクが溜め込んでいた赤石の多くは、目覚めたアルフィーからジョナサンを経て、イタリアの波紋戦士たちの手に渡った。波紋増幅器としての使い方もである。
シーザーが持っていたのはそのうちの一つでしかない。なんなら使い捨てにしてもいいくらいのものだ。
つまり、もはや今のローマ式波紋道において、エイジャの赤石は切り札ではあるものの、出し惜しむほどのものではなくなっていたのである。
だからこそシーザーは今この時、適切なタイミングで切り札を切ることができた。炎の光であっても増幅し、天然のレーザーと化す赤石を使い、ストレイツォの対波紋装備を貫通させたのだ。
もっとも、品質の問題で光線は多方向へバラバラに乱射されており、ゆえに半分近くはストレイツォとは関係ないほうへ飛んだが。この辺りは今後の課題であろう。
「覚悟はいいか、ストレイツォ……!」
「ぐ、ぬ、くうううおおおーー!」
至近まで詰め寄ったシーザーに、ストレイツォが悪あがきの
だが遂に視線から射線を見切ったシーザーは、最低限の動きで攻撃を潜り抜ける。
握り込んだその右手には、波紋の輝き。
黄金ではない。握り込んだ赤石によって、増幅された赤い輝きと混ざり合い、橙へと変わった光。
それすなわち――
「――
まさに日没を思わせる輝きの奔流が、ストレイツォの腹へ……今度こそ散らされないようレーザーが空けた服の穴から、体内へ注ぎ込まれていった。
波紋の音が鳴り響く。まるで分厚い鉄の板に銃弾が当たったような、独特の音が夜の闇の中に響き渡る。
間違いなく致命の一撃であった。ストレイツォの身体は大きく吹き飛び、抵抗なく石畳を転がっていく。
彼の身体はやがてとまったが、身体の崩壊はとまらない。ストレイツォは、これから死ぬのだ。
「く、くく、ふ、ふふふふふ……見事……実に、見事だ、シーザー……。ツェペリの波紋、確かに……見せてもらったぞ……」
だからこれは、断末魔の悲鳴のようなものだ。死にゆく悪鬼の、末期の恨み節。
……そう、思っていたのに。
「……ッ、な!? そ、それは、
「最期の……我が生涯の最期を飾るに、相応しい……戦いだった……。これで、安心して、死ぬことができる……」
「そんな! なぜ!
ニヤリと、ストレイツォが笑う。
嘲笑ではない。憐憫でもない。満足と、達成感に満ちた……言うなれば、希望にあふれた顔で……その口から、独特の呼吸音が響いてくる。
――コオオォォ……と。その意味を、シーザーがわからないはずもなく。
「……なぜ!
そう、ストレイツォは波紋の呼吸をしていた。太陽と同じエネルギーを生む、波紋の呼吸を。
吸血鬼がそんなことをすれば、どうなるかなど深く考えるまでもない。体内で生成された波紋のエネルギーによって、内部から死ぬに決まっている。
実際、ストレイツォの身体は体内から崩壊が進んでいた。シーザーの
「ふ、フフフ……この、ストレイツォ……痩せても、枯れても……チベット式波紋道の継承者……! 犬死は、せぬ……波紋のなんたるかを解さぬ連中の、虜囚としてではなく……! 戦士として……! 後世に続く、若き戦士たちの、礎として……誇りある死を……!」
「す……ストレイツォッ! まさか、俺に実戦を経験させるために……!?」
「いいや……私は今宵、嘘は、
「バカな! ならば……ならばその顔は、一体なんだと言うんだッ!?」
慌ててシーザーが駆け寄る。
だが、時は既に遅い。
「フフフ……。シーザー……ツェペリ……我が、兄弟子の……孫よ……。世界を……柱の、男たちを……任せたぞ……!」
それだけを言い遺して――穏やかに。
どこまでも凪いだ、透明な笑みを見せたストレイツォは、塵となった。
「う……うおおぉぉーー!!」
風に乗って、いずこかへ消えていくストレイツォの面影。その顔に向けて、シーザーは吼えた。
そんな彼の姿を、夜空の彼方から月だけが見守っていた。
・創作者としては苦渋の解説
ナチスに拉致されたストレイツォを誰も助けに行ってないのは、その連絡がヨーロッパまで来るのがかなり遅れたから。
ジョナサンとストレイツォは連絡を取り合ってはいたものの、頻繁ではなく。他の人間はその詳しいいきさつやルートを把握していなかったため、あとついでに純粋な距離に阻まれて、連絡が遅れた形ですね。
それと所在が長らく不明だったから、というのもあります。ナチスに拉致されたことまではわかっても、ドイツのどこにいるかまではわからなかったという流れです。
そしてアルフィーもこの四年間は暇ではなかったので、調べるために直接乗り込むわけにもいかなかった・・・ということで、おひとつ・・・。