ルプーが蒼の薔薇に頼んだのは元娼婦を含む自分たちのことは見なかったことにしてくれと言うものであっだ。
もし、娼婦を含む自分たちがここから救出されたことが知られれば、ここを利用していた者達はかならず口封じのために彼女たちを亡き者にしようとするだろう。それではせっかく手に入れた従業員が台無しだし、面倒ごとに巻き込まれるだけである。
またルプー自身のことも公になればバルブロが黙ってはいないだろう。そのため行方不明になったというのが一番いい落としどころだと考えたのだ。
代わりに蒼の薔薇には娼館で回収したその犯罪の証拠資料を渡すことで手打ちにしようというものだ。
───そして現在
ルプーは元娼婦たちとともに馬車に揺られてバハルス帝国へと向かっていた。
元娼婦の中には精神に障害が出てしまっている者達もいたため、そのような者達は《
身だしなみを整え、体を洗い、髪も店員として好感を持たれる程度に切りそろえられていた。そして店員用へ採用した制服、それはメイド服だ。
さらに頭には軍帽を被せさせてもらった。色はルプーのものと色違いで白い軍帽だ。
(ああ……白もいいですね。海で映えそうです。モモンガ様も私に色違いの軍服作ってくれませんかね……)
モモンガ本人がいないので無理な願いなのだが、元娼婦たちの白い軍帽を羨ましそうに見てしまう。
(今は女性従業員だけですからこれでいいですけど、そのうち力仕事も出来る男性従業員も必要になりますね……。男性用の制服となる軍服も作っておきますか……)
なお、ロフーレ商会の会長については、何を勘違いしたのかルプーの行動にいたく感動していた。借金をかたに店員として働かせようというのだが、それを行き先のない哀れな元娼婦たちを引き取ったと善意に解釈し、全面的に応援してくれている。
もっともルプーの開拓した首都の客層と店をそのままロフーレ協会が引き取ることが出来るという商売人としての打算もあったのだろうとも予測されるが、何かあった場合に備えて《伝言》を使用可能とする指輪を預けてある。
(まぁ、王国にはモモンガ様の情報はありそうになかったですからね……)
国のトップがあれではコネを作ったとしても期待薄だろう。そこで次は帝国と言うわけだ。王国と違いバハルス帝国はトップが優秀であるとの噂だ。
さらに移動に際しては馬車に目いっぱい帝国で手に入れにくい商品を積んであるため一石二鳥と言うわけだ。
御者を王都で雇い、馬車の中にはメイドたち、そして満載の荷物とともにメイドたちが使用する道具も置かれている。箒やモップなどの道具類だ。
そんな彼女たちに馬車に揺れながらルプーは問いかける。
「さて、あなたたちには店員として働いてもらうっすけど、店員として一番大事なものは何だと思うっすか?」
ルプーの問いかけにメイドたちは顔を見合わせる。そのうちで一番の年長と思われるメイドが恐る恐る声を上げた。
「えっと……計算能力とかでしょうか……」
「荷物を持ったりするし……力ですか?」
「お客さまと……会話する能力じゃないかしら……」
まだ男たちから虐げられていた心的外傷の残滓があるのか自信がなさそうではあるが、いくつかの意見が出される。しかし、そのどれもがルプーの求める答えではなかった。
「んー、分かんないっすかねぇ……」
メイドたちが自信を無くしたように目を伏せる。しかし、ルプーの一番そばに座り、それまで一言も発していなかったメイドがたどたどしい言葉遣いでルプーを見つめながら口ごもる。
「あ……あの……」
「ん?えーっと確かツアレだったっすか?何すか?言ってみるっすよ」
「あの……」
ツアレはあの時のことを思い出していた。あの牢屋の中での彼女の誇り高いしぐさ、女神さまだと感じた瞬間のことを。
「それ……敬礼……です……か」
「正解っす!そう!敬礼が正しく美しい方法で出来ることに比べたら頭がいいとか仕事が早いとかなど大したことではないんす。私の店の店員になったからにはまず第1に正しい敬礼の仕方をしっかりと仕込むっすからね!我がルプー魔道具店の部隊のあいさつは敬礼が基本!じゃあ正解したツアレにはこれを与えるっすよ」
ルプーは軍帽と同じサインの入った赤い腕章をツアレの腕へとつける。
「これ……何……ですか」
「ツアレにはメイド隊の隊長を任せるっす」
「隊……長……?」
よく分からないが尊敬する女神様から褒められて認められたのであればもっと頑張るだけだ。ツアレは愛おしそうにその腕章を撫でる。
しかし、そんな順調な旅がいつまでも続くわけではなかった。突如としてガタガタと揺れていた馬車がピタリと止まる。
「ん?どうしたっすか?御者さん」
「へっへっへっ、わりぃけど俺は御者じゃねえんだわ。こういうもんでな」
御者をしていた品性も貫禄も無い嫌らしい男は口に手を当てピューと甲高い口笛をあたりに響き渡らせる。
それに合わせるように周りの茂みが動いたかと思うと、あっという間に馬車の周りが屈強な男たちに囲まれていた。
彼らは『死を撒く剣団』という名の傭兵団だが、仕事のないときはこうして野盗行為に精を出しているのだ。
「へへへっ、まぁ女ばかりで旅をしてたことを恨むんだなお嬢さん方」
「よし、よくやったぞザック!」
「ありがとうございやす!団長!へへっ、俺が手配したんすから俺にも一人くらいわけてくださいよ」
「心配すんな、こんなにいるんだからよ。さぁ分かってると思うがこの馬車は俺たちがいただく。お前たちも一緒に来てもらうからな。抵抗したらこの死を撒く剣団の前に死体が転がることになるから覚悟をしておけ。なぁに、抵抗しなけりゃ命までは取らねぇからよ」
団長と呼ばれる顎髭を生やした男の指示で男たちがルプーたちへと手を伸ばそうとするが、それに対して元娼婦の一人が騒ぎ出した。
辛い記憶は消したが、それでも娼館で男たちから酷い目に合わされていたと言うことは分かっており精神の安定を振り切ったのだ。
「い、いやああああああああ!」
「おい、こら暴ばれんな!」
「いや!いや!いやあああああああああ!」
「てめぇ!この!」
あまりの煩さに黙らせようと野盗の一人がメイドのみぞおちへと拳を放つ。その場の誰もが女の抵抗はそれで終わりだと思った。しかし……。
「いっでえええええええええええええ!」
殴りつけたメイド服からは布が放つとは思えない『ガン』という音が鳴り、男は殴りつけた手を抱えて転げまわる。
「どうした!?」
「手……手があああああああ!」
「なっ……どういうことだ!?」
団長を始め男たちは動揺して言る。それを嘲笑うようにルプーが声を上げる。
「馬鹿っすねぇー!さぁルプー魔道具店の店員たちよ!男など恐れるに足らずっすよ!」
ルプーはちょうどいい機会だと内心歓喜する。元娼婦の女たちは今まで男に恐怖と言う恐怖を与えられ続けている。今でも男に強く出られれば恐怖が勝ってしまうかもしない。しかし、これはその失ってしまった恐怖に対抗する自信を取り戻す絶好の機会だ。
「あなたたちには戦う力があるっす!!さあ、私を信じてその手にそこの道具を取るっす!」
女神と慕うルプーからそうまで言われては断れない。メイドたちは恐る恐る馬車に積まれていたモップや箒を手に取る。
「何やってやがんだ!女にやられてんじゃねえ!このやろう!」
男の一人がメイドの一人を蹴りつけるがそれも金属音に阻まれる。そして反撃とばかりにメイドがモップを男の頭に叩きつけた。
「いぎゃっ!?」
奇妙な叫びをあげ男は倒れる。それを見てメイドは驚いたように手元のモップを眺めている。
「わ……私が男を倒せた……?」
店員のメイドたちが顔を見合わせる。それは今までの恐怖を払拭する出来事だった。男にいいように使われ虐げられてきた自分たちが男を屈服させた瞬間。
それを目の当たりにした店員たちにルプーは叫ぶ。
「さぁ!やっちまうっすよ!店員ども!」
そこからはメイドたちによる野盗の蹂躙と言うシュールな光景であった。あるものは箒で吹き飛ばされ、あるものはモップで叩きつけられる。
なぜそのようなことが起きたのか。
それはメイドたちの服や清掃道具などが至高の存在をコピーしたパンドラズ・アクター謹製の品だからだ。メイド服はミスリルの糸から作り出した金属製のものであるが、重量軽減効果がかかっており羽のように軽い。それでいてその防御力は今まで販売してきたものの比ではないほどのものに仕上げてある。
手にしている物も掃除道具とは名ばかりの高性能の攻撃力を有しているアダマンタイト製のものだ。
冒険者にもなれずに野盗に身を落としている程度の連中など一般人に毛が生えた程度の実力であるため、圧倒的に装備の差があるメイドたちに勝てるはずもない。
「さて、もう終わりっすかね?」
「おいおい、待てよ。遅れてきてみればなんだこりゃ?全滅?」
森の中から一人の男が現れる。
ほっそりとした体躯でありながら鋼鉄のように引き締った体。髪はボサボサで顎には無精髭がカビのように生えている。
「誰っすか?《道具上位鑑定》」
「俺の名はブレイン・アングラウ……」
言い終わる前にルプーの拳がブレインの顎を打ち抜きその体が天空へと舞い上がる。
「装備的にうちの店員にはちょっと厳しそうっすからね」
「うっ……ぐぐっ……なんだと……俺がメイドに一撃!?」
ブレインはガクガクと足を震わせながらも立ち上がろうともがいている。
ブレインの使用できる武技<領域>、範囲内のすべての行動を把握する能力によりルプーの攻撃を一瞬だけ早く感知はできたものの、その速度に僅かに体をずらすのが精いっぱいだった。
「あちゃー……ちょっと手加減しすぎたっすか?でももう良さそうっすね。さぁみんなやってしまうっす!身ぐるみ剥がしてやるっすよー!」
「「「ヒャッハーーー!」」」
震える足と揺れる視界の中でブレイン・アングラウスはメイドに掃除道具でボコボコにされていく。
「う……うそ……だろ?俺が……メイドに負ける……?」
己の強さのみを求めて生きてきた。かつて王国の御前試合で負けた相手、ガゼフ・ストロノーフにいつか勝つために。対人戦闘技術を極めるため野盗の用心棒までやったというのに今は刀を奪われ、服をはぎ取られ、白ブリーフ1枚の姿へと変わっていく自分。
培ってきた自信がポキポキと音を立てて折れてゆく。意識を失う寸前、絶望したようにブレインはつぶやいた。
「お……俺は……こんなに……弱いのか……」