長い長いまどろみの中にいた。そして───そこに現れた優しく暖かな光、柔らかな手、その手にひかれるように手を伸ばして……。
ペテルは目を覚ました。窓に掛けらた純白のカーテンから日が指しておりその眩しさに目を瞬かせる。
「ここは……?」
見上げた天井は知らない模様を描いている。そこからは微かな魔法の光が室内を照らしていた。ペテルが自身の体を見るとそこはベッドの上である。体に気だるさを感じつつその身を起こすがベッドは何の軋み音も発しなかった。それでいて柔らかでしっかりと体を支えるマットはいつもの貧乏宿のものとは物が違う。いつまでもそのベッドと布団の感触を味わっていたかったがそういうわけにもいかないだろう。
ペテルは立ち上がるとあらためて自分の姿を見下ろす。いつの間にか清潔な寝間着に着かえさせられており、大切にしていた武具がないことに慌てて周りを見渡す。
「あった……」
そこにはペテルの装備品が丁寧に置かれていた。そしてその向こう側のベッドには仲間の姿もある。まだ眠っているのかベッドに横たわったままであるが寝息とともに胸が上下しているのを見てほっと胸を撫でおろす。
「私たちは死んだのでは……」
ペテルの最後の記憶は王国の兵士たちから剣や槍を突き刺され意識を失ったところまでだ。そしてその傷は致命傷としか思えない深さであったはずである。
「どこも……怪我をしていない?」
体中がボロボロになり血もたくさん出た。その体をペタペタと触ってみるがどこもかしこも痛み一つない。よく見ると昔あった古傷までなくなっていた。
「どういうことだ……ここはどこなんだ?」
ふと窓に寄ってカーテンを開けると外の様子を伺う。それはどこかの街の商店街のようであった。窓から噴水のある広場が見える。見たことのない場所だ。少なくともエ・ランテルではない。
カーテンを開け放たれたことで差し込んできた日の光に反応したのか寝ている仲間の一人が声を上げる。
「むにゃむにゃ……ナーベちゃん。そんな大胆な……むにゃむにゃ」
声のした場所を見るとルクルットが幸せそうに眠っている。ただの寝言のようだ。
「ナーベちゅわあん。俺も好きだよー。んーっ」
どうやら夢の中で意中のナーベとイチャイチャしているらしい。枕に抱きついてキスをしているルクルットにペテルは悩んでいるのが馬鹿らしくなった。そしていい夢を見ているところを悪いが現実に戻してやるためペテルの鼻をつまんでやる。
「むぐっ……そ、そんな……ナーベちゃんそんなプレイを……はっ!?」
あまりの息苦しさにルクルットが目を覚ます。そして目の前のペテルの顔を見るとこの世の終わりでも見たように頭を抱えた。
「ああー!もう!なんてことしてくれてんだリーダー!もうちょっとで俺とナーベちゃんが結ばれるところだったのに!……って……ここどこ?」
「ちょっと、ルクルット静かにしてくださいよ」
「ううん……」
ルクルットの大声にニニャとダインも目を覚ましたようだ。二人もペテルと同じように周りを見渡して驚いている。
「ここは……どこです?」
ニニャが周りをきょろきょろと見回していた。しかしペテルにしてもそれに答えられるだけの情報は持っていなかった。しかしパタパタとペテルたちの部屋に近づいてくる足音を聞いてその情報を持っていそうな人物が現れることを予想する。
思わず身構える4人であるが……。
「入ってもよろしいでしょうか?」
コンコンと鳴ったノックの音。そしてその声は若く優し気な女性のものであった。
漆黒の剣の4人は顔を見合わせるとその視線をペテルに向ける。リーダーに任せるということなのだろう。ペテルはゴクリと唾を飲み込むと扉の向こうの人物に返事をした。
「はい、どうぞ」
ペテルの言葉に入ってきたのは美しい金色の髪を持つのメイドであった。可愛らしい顔立ちが一向に安心感を与える。その安心感に既視感を感じつつも、一行の目が注目したのはその頭に乗っている帽子だ。色は違うものの漆黒の剣はその帽子を知っている。
「「「「ルプーさんの軍帽!?」」」」
「あ、はい。こちらはルプー魔道具店のバハルス帝国本店です。皆さまのことは大切なお客さまだとお聞きしています。どうぞおくつろぎください。簡単ですがお食事を用意させていただきました」
ニコリと笑ったメイドは部屋のテーブルに料理を並べていく。パンにバター、スープ、サラダと簡素なものだが、スープから香る甘い香りが一同の食欲をそそる。それを見て……。
グーッ。
ふいに聞こえた何かの鳴る音。その発生源を見るとニニャが顔を赤らめて頬をかいていた。空腹のところに美味しそうな料理を並べられて体が反応したらしい。
「ニニャー……」
普段はやりこめられているルクルットが面白おかしくニニャを揶揄おうとしたそのとき……。
「「はい」」
二つの声が重なった。一人は漆黒の剣のニニャ、もう一人は食事を運んできたメイドだ。二人の声はよく似ており、よくよく見ると顔立ちもそっくりである。それもそのはず、ニニャとはツアレの本名の愛称であり、ニニャが姉を探すにあたって使っていた偽名だったのだから。
「は……?え……?なんでメイドさんが返事するの?」
ルクルットは首を傾げながら顎に手を当てているが、ニニャとメイドはお互いの顔を凝視したまま動かない。そしてその瞳には見る見るうちに涙が溜まっていった。感極まったのかニニャがメイドの胸に飛び込む。
「姉さん!!!」
ニニャは両手で力いっぱい抱きしめる。そして確認する。これは姉だ。あの頃に比べ髪も伸び、年月が経ってしまっているが忘れるはずがない。懐かしい姉のぬくもりと香り。貴族に攫われ、生き別れになり、冒険者となって探し続けていた姉が目の前にいる。その奇跡をニニャは神に感謝をする。
「本当に姉さんだよね!?どうしてここに!?いつから!?体は平気なの!?ルプーさんと関係があるの!?ずっと……ずっと探していたんだよ!会いたかったよぉ」
まるで子供のころに戻ったように泣きながら姉を質問責めにするにニニャにメイド……ツアレは目に涙を溜めながらその髪を優しくなでる。
「私も会いたかった……ああ、ルプー様は本当に約束を守ってくださった……。全部……全部ルプー様のおかげです……ありがとうございます女神様……」
ツアレもこの場にいない女神に感謝しながら泣いていた。妹を探してくれるという約束を守ってくれるとは思っていた。だがしかし、まさかこんなに早く会えるとは思っていなかった。
そんな二人を温かく見守る漆黒の剣。やがて二人は泣き止み、照れながらその体を離した。落ち着くのを待っていたペテルが我慢していた質問をぶつける。
「あの……どうして我々がここにいるのでしょう?それからあなたとニニャのことも教えていただきたいのですが……」
ペテルの言葉にツアレは漆黒の剣の4人に椅子にかけるようにすすめると事情を話し始めた。
ツアレが王国で貴族に攫われた後、飽きられ娼婦として売られたこと。その後、娼館で酷い扱いを受けていたこと。組織からルプーに助け出されたこと。店員として雇ってもらえることになりバハルス帝国まで来たこと。そして敬礼や軍服のすばらしさをたっぷりと時間をかけて語り、ツアレがルプーを女神のように崇めていることで自分の話を締めた。
その後、話は漆黒の剣の話に移る。エ・ランテルの倉庫が襲われたルプーはすぐに倉庫へ向かったというのだ。そしてその前で倒れていた漆黒の剣を助け、帝国まで連れてきてくれたらしい。
「でもさー、ここからエ・ランテルまでどれだけ距離があんの?俺らをここまで運んでくるなんてどれだけ時間かかるんだ?」
ツアレの話を聞いたルクルットの疑問は当然である。いったいどうやってここまで運んできたというのか。それに八本指の娼館から娼婦たちを救い出すなど一介の商人が出来ることではない。
「それもルプー様のお力です。よく分かりませんが魔法じゃないでしょうか、たぶんですけど……」
魔法をあまり知らないツアレは簡単に言うが、このような長距離を移動する魔法など聞いたこともない。近距離での転移でさえ第三位階以上の魔法を必要とするのだ。それらを考えるにルプーは魔道具を作る技術や商才だけでなく、それに匹敵する実力を兼ね備えているということになる。
「ルプー様はお怒りになられていました。エ・ランテルの倉庫のことで……。あと皆さまには感謝していましたよ。すべてが済んだら必ずお礼をするとおっしゃっていました。しばらく留守にするのでこの部屋は自由に使っていただいていいとも……」
ペテルたちの背に滝のような汗が流れる。もちろんルプーを裏切るつもりなど毛頭なかったが、それほどの人物の期待を裏切らなくてよかったと本気で神に感謝する。もし裏切っていたらどうなっていたかなど容易に想像できる。そしてそんな人物の怒りが向いた相手の末路も……。
♦
バハルス帝国、王城執務室。
筆頭秘書官であるロウネからの報告にジルクニフがため息を吐き出す。
「帝国の税収が昨年の3倍になったか……」
「はい、陛下。あの……どうかなされましたか?これは喜ぶべきことではないでしょうか。民もこの好景気に喜んでおりますし、陛下の治世を称えております」
「そう思うか……?」
税収の詳細を記した書類を見てジルクニフは眉間にしわを寄せる。増えた税収のほとんどすべてにロフーレ商会の影を見たからだ。
現在、帝国では未曽有の好景気が続いている。世に仕事があふれておりどんな貧民であろうと仕事と給金にありつける。お金が手に入ればそれを使うのが人というものだ。そしてそれに伴い物が飛ぶように売れる。
このように帝国において経済は回り続けており税金が入ってくるのだ。しかし、この経済の循環を行っているのがロフーレ商会であるというのが問題であった。経済の循環、それは人間で言えば血液の循環であり止まれば国家は死んでしまう。
「ロフーレ商会……もはや止めることは叶わぬか……」
ジルクニフは帝国政府としてこれまで1つの巨大な商会が立ち上がるようなことがないように努めていた。心臓が一つしかなければそれが止まることは死を意味するからだ。だからこそリスクを分散するべく多様な商会の立ち上げを推奨していた。
しかし、どうだろう。バハルス帝国中の商会がロフーレ商会との競争に負け、吸収されてしまった。それどころか世界を股にかける大商会が誕生してしまったのだ。これは非常に危険な事態である。
「ですが国は豊かになり、多くの民がその恩恵にあずかっております。もしロフーレ商会に圧力をかけるようなことをしては……陛下もお困りになるのではないですか?ユリ殿のお店などがなくなっては……」
「それは……困る。あそこの料理は絶品だ」
もはやジルクニフの行きつけになっているユリのレストラン。店主のいることは少ないため、メイドたち店員が料理をしていることが多いがそれでも他の店と比べ物にならない質の高さを誇っていた。
しかも常に料理の研究をしているらしくジルクニフの見たことも聞いたこともない料理で毎回違った楽しみを提供してくれる。予約することさえ困難なほどの人気の料理を出す店がなくなるとなったらジルクニフでさえ悲嘆にくれるだろう。
「これはあれだな、男を掴みたければその胃袋を掴めというやつか……。だからこそ危険なのだがな……聖王国を見て見ろ。あそこはもはや完全にロフーレ商会に支配されているといっていい」
「ええ……あそこは兵の武装をロフーレ商会に完全に依存していますからね……」
聖王国はもはやロフーレ商会に逆らうことなどできないだろう。もし自分たちの力を過信しその兵器を彼らに向けた日には、兵器の供給を絶たれ亜人に蹂躙される未来が想像に難くない。
「竜王国はスレイン法国の支援でビーストマンを撃退したようですが……」
「あれにもロフーレ商会が絡んでいるらしい。あのロリババアどういう手を使ったんだか……」
竜王国はビーストマンの脅威から救われ、今は復興の最中であるらしい。今後は侵攻を防ぐための防壁をロフーレ商会と協力し築造中とのことだ。しかし、それより問題はスレイン法国だ。
「スレイン法国のあの噂……本当なんでしょうか……」
「言うな……聞きたくない、耳が汚れる」
スレイン法国では国の首脳陣が下着1枚で口にするのも憚られる破廉恥な行いをしていたという噂が流れていた。それは宗教国家として致命的な醜聞であり、信徒の数は減り、寄進による収入の減小に苦しんでいるということだ。
そしてそれを見越していたようにスレイン法国へのロフーレ商会からの資金提供が行われた。スレイン法国が商業主義国家となるのは遠くない未来だろう。
「しかしまぁ、どの国もロフーレ商会頼りになってきましたね……。でもよくそんな巨大な組織を運営していけますね」
そうなのだ。普通一つの巨大な組織が利益を独占するようなことがあれば、熟れた果実が腐れ落ちるように内部から腐敗するのが世の常なのだ。しかし、かの商会にその兆しはない。帝国として当然監察官なども送っているがその会計は清廉潔白で実直そのものであり、まるで金銭欲などないと言わんばかりである。
───そんな商会を敵に回すなんて……バルブロお兄様は愚かなことをしましたわね
突然聞こえた女性の声に振り向くと……盗み聞きでもしていたのか扉から入ってきたのは元王国の第三王女ラナーであった。その肌はツヤツヤと輝いており、王国から亡命してきた時より美しくなっている気がする。
「おま……ラナー王女か。今日は部屋から出て来ているのか……。いい加減あの従者に休みでもやったらどうだ」
「うふふっ、ごきげんよう皇帝陛下。私はもう王女ではありませんので呼び捨てでかまいませんよ。それとクライムのことですけど、ふふふっ、彼も喜んでくれてますのでお気遣いなく……」
ラナーの従者であるクライムは帝国に来て以来、日に日にやつれてきているのは帝城にいるもの達には周知の事実だ。そしてクライムの衰弱に反比例するようにラナーが美しくなっていることも……。理由は推して知るべしだろう。
「そんなことよりラナー王女。王国がロフーレ商会を敵に回したと……どこでそれを知った……?いや、まぁいい……」
化物の耳の速さの理由を聞いてもこちらが動けなくなるだけだ、ジルクニフは思考を切り替える。それよりその化物の考えを聞いておいた方が得策だろう。本心はさっさと始末をした方があと腐れがなくていいと思っているのだが、こうして機を見て役に立つ情報を提供するため、嫌いな女NO.1であるにも拘わらず殺すに殺せない。
「バルブロお兄様があの御方の倉庫を襲ったそうですね」
「ああ、おそらくルプー魔道具店の倉庫だ。中には強大な魔法道具が多数あったことだろう。もしそれを持って帝国に攻めてこられたら厄介だろうなぁ。おお、怖い怖い」
ジルクニフは涼しい顔で恐ろしいことを口にするが、ロウネはそれを聞いて顔を青くした。
「あら……?その割にまったく困ってないように見えますわ」
「当たり前だ。その彼女から助言をもらったからな」
「えっ……?」
さすがにそれはラナーにも予想外だったらしい。この化物でも知らないことはあるのかとジルクニフは溜飲を下げる。そしてもったいぶったように間を取るとラナーに告げた。
「要するに王国には手を出すな、とのことだ。まぁどちらにしろ自滅するのを待つつもりだったがな」
「なるほど……あの御方が自ら手を下すと……すると……」
ラナーはまるで人が変わったように沈黙を続けた。その顔は先ほどまでの黄金の姫君とはまったく別種、いや……もはや別の種族と言っていいような異様なものである。その人間離れした頭脳を回転させているのだろう。ジルクニフは心の中で『化物め』とつぶやく。
「亡命してくる方が多数来られるのでしょうね」
「もうすでに多くの者が亡命してきているがな……。だがそれは当然の話ではないか?我々が攻め込むまでもなくあの国にいては食べていけないのだから。まぁこちらも人手不足だったからありがたい。ああ、そうそう、『蒼の薔薇』も帝国の冒険者組合に来たそうだぞ。顔見知りだろう、会ってきたらどうだ?」
「お気遣い痛み入りますわ。でも陛下、そんなにのんびりしていていいのかしら?」
「なんだと……?」
「だって今回の亡命はきっと陛下の予想を上回りますわ。たぶん下のお兄様も来るかもしれませんし……。でもお父様が亡命してきたら……殺してしまったほうがよろしいですね、きっと邪魔になります、例えば八本指の関係者に操られたりして……。そんな犯罪者が紛れ込んでたりしたら……。今回あの御方の倉庫を襲ったのは上のお兄様でしたからいいですが、もし帝国でそんなことでも起きれば……」
さらりと恐ろしいことを言ってのけるラナー。その予想を聞いてジルクニフはしばし考えた後、顔が真っ青になる。
(ありえる……いや、なぜそのことを今まで考えなかったのだ……思考誘導されていた?まさかな……)
八本指が壊滅したという話は聞いていない。であれば亡命のどさくさに帝国に入り込む可能性は十分にあり、それでロフーレ商会に手を出されたりしたらあの女は……そしてロフーレ商会は帝国に反旗を翻すかもしれない。その経済的な打撃は計り知れず、武力で押さえようにも恐らくは不可能だろう。
「ロウネ・ヴァリミネン!」
「はっ!ただちに法改正について法務省のものと詰めさせていただきます!さらに警備の強化について予算を……」
「金は惜しまん!アリの子一匹逃さない警備網を整えろ!特に国境を越えて来る者は徹底的にな!」
利益を上げる者がいればそれに嫉妬し奪おうとするものはどこにでも現れる。王国の二の舞になることは絶対に避けなければならない。
もはやロフーレ商会については処置なしだ。世界を支配するのも時間の問題だろう。ならば帝国の未来を思えば最大限の便宜を図るしかない。きっとラナーは分かっていながら今まで話すタイミングを計っていたのだろう。
(ああ、まったく……お手上げだ……。大したものだ、まったくな……)
ジルクニフは憎々しげに