「へ、陛下!またも王都周辺に雷雲が……」
「なんだと!?くそ!これで何度目だ!」
リ・エスティーゼ王国、王城。内政官からの報告を聞きながらバルブロは怒りに震えていた。
ロフーレ商会の資産を徴収し、そこで得た資金を各貴族に融通することで国王派閥は大幅に拡大した。あとはバハルス帝国へ宣戦布告し戦争を開始するのみ。
───そのはずが……
王都の兵を率いてエ・ランテルへと向かおうとするたびに、どういうことなのか王都を囲むように大嵐が発生していた。雷を伴う尋常でない風雨により軍は王都を出発することが出来ず、いまだに戦争を開始するどころか戦場まで進むこともできていなかった。
「これで10度目かと……」
「なぜだ!なぜ嵐が起こる!こんなことおかしいだろう!」
「あの……恐れながら陛下。これはもしや魔法なのではないしょうか……」
「魔法だと!?あのような手品の類でこんなことが出来るはずがなかろう!」
王国では魔法に関する研究が周辺国とくらべ極端に遅れており、バルブロの認識はこの国としては間違っていない。また、バルブロは冒険者についての知識も不足していた。魔法使いなどちょっと火や水が出せる程度の手品師と変わらない程度の認識なのだ。
「ですが帝国の大魔法詠唱者フールーダ・バラダインは各国が恐れるほどの魔法を操り、その力は万の兵士に匹敵するのではとの噂も聞きますので……」
「ぐぬぬ……ならばこちらも魔法使いを用意すればよかろう!魔術師組合を動員してこの嵐を晴らして見せろ!」
「そ、それが……すでに王都の魔術師組合は解散し……亡命したようで……あの……その……」
「なん……だと……またか!?またなのか!?」
ここ数か月で王国から亡命する者が急速に増えていた。まず最初に国を捨てたのは冒険者組合の関係者たちだ。
それもそのはずである。冒険者組合として正式に依頼され警備していた倉庫が国王により略奪され、金等級の冒険者たちが殺されたのだ。国に縛られない冒険者たちがそのような国に住み着くわけもない。
そしてモンスターを狩っていた冒険者たちがいなくなれば、その代わりを兵士たちが務めなければならないのだが、バルブロはそのために資金を捻出することはなかった。結果的に危険なモンスターは増え、国を捨てる者は増えつつあったのである。
「どいつもこいつも!では次だ!ロフーレ商会のものたちは見つかったのか!」
「捜索は続けておりますが依然……その……見つかりませんで……」
「おのれ……あいつらぁ!どうやって逃げおったのだ!」
牢へ捕らえていたロフーレ商会の関係者もいつの間にか姿を消していた。協力者がいたとしか思えないが、まるで煙のように消え去っており牢の番をしていた衛兵を問い詰めても答えはでなかった。
「それよりも陛下……食糧問題をなんとかしませんと……」
「ああ、分かっている!城の食糧庫の事だろう!」
ロフーレ商会を排除したことにより物流のほとんどが絶たれてしまったのだ。残った商人たちに運送や買い付けを行わせているが、金はあれども国外とのパイプまで元通りとはいかず城の食糧庫にまで食料が不足する始末である。
「仕方ない……金はあるのだ。周辺の村々からかき集めろ」
「陛下!!それをしては飢え死にする者が……何より冬を越せません!」
「ならば王たる我に飢えよとでも言うのか!民は王を支えてこその民だろう!なに。帝国に勝てば腹いっぱい食わせてやる!それまでの辛抱なのだ!いいからやれ!」
「は……はい……ではそのように……ですがその……逆らう者もでるかと……」
内政官の顔は青い。バルブロが即位する前でさえ重税に村々が苦しんでいたのだ。そして戦争による敗北で働き手を失い、流通は断たれ、飢えて死んでいくものでさらに人手が減る最悪の循環。この国の末路が予想できようものだ。
「反乱か……なるほどな……。愚かな平民どものことだ、先も見据えずそのようなことを考える輩もいるやもしれん。よし、では逆らうものがいれば戦士長にその首をはねさせるのだ。いいな」
「はっ……はい……」
事あるごとに忠言を言ってくる戦士長への意趣返しなのだろう。自分の手を汚さず、戦士長に手を汚させる。もはや何を言っても無駄だと内政官は顔を伏せる。だが、この時点でさえこの国は幸運であった……まだリ・エスティーゼ王国と国の体をなしていたのだから……。
♦
1年……2年……。リ・エスティーゼ王国の国民にとって辛い年月が過ぎていった。いまだ帝国への宣戦は布告されていない。もう何十度と兵を集め、王都を発とうとしたことか。しかし、その度に大嵐が発生し兵士の行く手を阻んだ。
度重なる徴兵、そしてそれにともなう大不況。悪循環の中で飢える国民をよそにバルブロは今までと変わらぬ生活を続けていた。国民への税もさらに増加し、贅沢なものを食べ、豪華な衣装を纏う。まるでそれが王の矜持であるとでも言うように……。
しかし、そのような状態にもかかわらず民衆の反乱は起きていなかった。戦士長が民衆を抑えていたというのではない。食料や物資は不足している。値段も天井知らずに上昇し続けている。だが供給が尽きることがなかったのだ。そう、まるでどこからか何者かが流しているように……。
「どういうことだ……?これはいったいどうなっている……」
さすがのバルブロも異常に思いその灰色の脳みそを必死に動かすがその答えは出てこない。なぜ民衆は食料を手に入れることが出来るのか。それなのになぜ食糧庫は尽きかけているのか。
「陛下……もはや国庫が……」
「言うな!分かっておる!」
急速なインフレによりもはやロフーレ商会から徴収した資金も尽き国庫も限界であった。民衆からの税をいくら増やそうともまるでそれに比例するように物価が上昇してしまう。むしろ税率を上げれば上げるだけ収入が減っている状態なのである。
「やはり民衆が亡命するのが問題なのではないでしょうか……。ここは税を下げ、民衆の不安を払拭することが……」
「馬鹿を言うな!この俺に民衆に頭を下げろとでもいうのか!それも有象無象の愚民どものために!?そんなことができるか!!」
バルブロは手に持っていたグラスを内務官に投げつける。中の液体が飛び散った瞬間、あたりに酒の匂いが漂った。こんな状況だと言うのに昼間から酒とは内政官は怒りよりも憐れみを感じてしまう。
税収が減っている理由は一目瞭然なのだ。亡命により国民の数が減っているからである。しかし亡命の方法は謎に包まれていた。王都はたびたび嵐に包まれている。そして冒険者や商人さえ出入りしていないというのにどうやって国民は国外に脱出しているというのだろうか。
「……」
「くそ……本当にどうなっておるのだ……」
もはや何も言わなくなった内政官。それに対し怒る気力もなくなったのか、バルブロは情けなく肩を落とし呟くのだった。
♦
リ・エスティーゼ王国の首都リ・エスティーゼ。
かつては人々の賑わいと憩いの場であった中央広場に面した商店街であるが、今は閑散としていた。王国の商人は他国との取引もできず、さりとて国内の生産は乏しく売れる物がない。そのためほぼすべての店舗が閉店していた。
しかし、その中で一軒だけ開いている店がある。看板には奇妙な絵柄のマークを掲げ、ガラス張りのカウンターの奥には長身の人物が座っていた。黒い軍帽に黄色い軍服、そして背中にはサーコート。胸にはいくつもの勲章をぶら下げた人物。しかし、その顔は帽子の影になり見ることはできない。
「あ、あの……小麦を売っていただきたいのですが……」
「いらっしゃいませ、お客様。現在、小麦一袋で金貨20枚となっています」
それは小麦の値段としてはあり得ないほどの金額。しかしそれでも金はあるところにはあるもの、他にまともな食料が売っていない以上それでも買うしかない。
男は身なりのしっかりした人物であり、貴族の使用人か何かなのだろう。文句を言うこともなく金貨をカウンターの接客窓から差し入れると、店員はどこからともなく袋を取り出し、脇の棚へと入れる。防犯対策なのだろう。外から客が取り出せるようになっている。
「もう少し値段を上げてもいいかもしれませんね……物の価値というものは相対的なものなのですから……」
早足に去って行く男の後ろ姿を見ながらボソリとつぶやいた声は恐ろしいほど冷たいものであった。
そこへ次はみすぼらしい恰好をした少女が訪れる。とても先ほどのような金額を払えるとは思えない人間である。
「あ、あの……」
「はい、なんでしょうか?
両手を広げた奇妙なポーズを取りつつ少女に接客する店員。そのリアクションに戸惑いながらも少女は声を絞り出す。
「あ、あの……ここで……冒険者さんに依頼が出来るときいたのですが……」
おどおどと上目遣いで見つめて来る少女に男は静かに頷く。
「はい、こちらでは冒険者ナーベへの依頼の仲介をさせていただいております。お客さま、どのようなご用件でしょうか?」
「は、はい!私たちを……私たちをバハルス帝国に亡命させてください!」
少女の必死な叫び。それは国を捨て他国へ逃げるというもの。不安はある。亡命先で仕事があるとは限らない。それでもこの国にいるよりはましだと思えるのだ。王は重税を課し、他国との関係は険悪。郊外には野盗やモンスターが溢れている。
そんな絶望的な状況の中で聞いた噂がこの店のことだ。いつからそこにあったのか誰も分からない。いつの間にか店が出来ていたとしか言えなかった。一夜のうちに完成したとの噂もある。
しかし何より興味を引かれたのが帝国にできた農場の噂だ。トブの大森林を開拓し、広大な面積を有する農場ができた。そしてそのあまりの大きさに人手が圧倒的に不足しているという話だ。帝国が大々的に労働者を求めていると、そのための窓口がこの店だと。
「よろしいでしょう。ではこちらの契約書にサインを。お代は帝国についてからいただきます」
当然これも慈善事業ではない。すべてはギブアンドテイク。男は仕事を斡旋する。相手は対価として労働力を提供する。どちらにとっても悪い話ではない。そう、この国の政府にとって以外は……。
その日、王国からさらに数百人の人間が姿を消した。
♦
さらに年月は過ぎていく。国王バルブロはさすがにことの異常さに気づいていた。経済封鎖にも等しい他国との断交───敵対関係のバハルス帝国はもとより、ローブル聖王国、竜王国、スレイン法国までリ・エスティーゼ王国との国交を閉ざした。
そして刻一刻と数を減らしていく王国の国民。しかしバルブロはついに決定的な情報を手に入れた。
「……間違いないのだな?」
「はっ!命令通り……その……町の人間を拷問して……吐かせました……」
兵士の顔色はよくない。罪なき人間を拷問にかけた罪悪感に苛まれているのだろう。しかしバルブロはそんな兵士の気持ちには目もくれない。
「とうとう尻尾をつかんだな。首都で堂々と亡命の手引きなどと……その店を襲わせ……いや、協力者がいるのだったな……。まずは先にそっちを片付けろ!店の周辺を張っておけ!接触した者どもが国を出ようとしたならば……そうだな、ガゼフを呼べ!相手も手練れを用意しているかもしれん!5宝物の着用も許可してやろう!やつにやらせろ!」
「そ、それでガゼフ戦士長殿にどのようなご命令をされるのでしょうか……?」
「亡命者及びその首謀者……おそらく冒険者だろうが……やつらを皆殺しにしてその首を城下へ並べてやれ!見せしめだ!」
バルブロを敬うことを知らない愚かな民衆たちであるが、そのような愚か者の末路を目にすれば心を入れ替えるだろう。きっと大嵐を引き起こしているのも、他国に王国の悪評を流しているのもその首謀者なのだろう。
それはあながち間違いとは言えないバルブロにしては的を射た考えであった。そしてバルブロの考え通りその首謀者さえ討ち取れば問題は解決するのである。ただし、その首謀者が世界の経済も人の心も支配する神代の力の持ち主であり、討ち取ることなど不可能という点に目をつぶれば……であるが。
♦
その日の夜、王都の空は珍しく澄み渡っていた。月明かりの下、数百人の民衆が王都から街道へと秘密裏に移動していた。その先頭を歩いているのは冒険者ナーベであった。月明かりでその漆黒の髪が艶やかに映え幻想的なまでの美しさを誇っている。
その後ろを恐る恐る馬車に荷物を積んだ人々が続いていた。その数は数千人に及ぶだろうか。
「あ、あの……大丈夫でしょうか。あそこに検問が見えるのですが……」
その美しさに見惚れていた人々であるが一人が心配そうにナーベへと問いかけた。
「問題ありません。彼らはすでに眠らせておきました」
確かにこの距離であれば検問からこちらはすでに見えているだろう。しかし誰も出てこようとはせず、門は開けっ放しになっている。
「ほ、本当ですか?」
人々は恐る恐る歩みを進め、ついには門を通り過ぎるがそれでも兵士が現れることはなかった。事実、魔法で眠らされた兵士たちがそこにいたのであるが気づいた者はいない。
「では行きましょう」
ナーベは人々へ冷たく言い放つと歩みを進める。王都を出たものの先は長い。歩みを止めればいつ追っ手が来るか分からないのだ。民衆は必死にその足に追いすがる。
どれだけ歩いただろうか。人々の顔に疲れが見えだし休憩が必要と思われたそのとき───前方に一人の人物が仁王立ちをしていた。
「あ、あの方は……」
「ガゼフ戦士長殿……?」
ざわざわと人々が騒ぎ始める。かつて王国にこの人ありと謡われた王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。ランポッサ王の懐刀として周辺国へ睨みを利かせ、民からの信頼も厚かったのも今は昔。
バルブロに仕えだしてからの戦士長は変わった。バルブロの命令に従い、傾きかけた王国を支え続けている。
「お前たち止まれ!ここから先に通すわけにはいかない!王都へ戻るがいい!それでも行くと言うのであれば実力で排除する!」
ガゼフは大声で自身が守るべき人々へと叫ぶ。その表情は決然としており、交渉の余地がないことは一目瞭然であった。それでもかつての戦士長を知っている人々は一縷の望みにかけ、口々に懇願の言葉を放つ。
「ガ、ガゼフ戦士長!なぜですか!なぜあなたがここへ!我々を行かせてください!このままでは王国は……王国は亡びます!」
「そうです!ガゼフ様!お願いです!」
「子供が……子供が飢えているのです!もうこの冬は越せません!」
老人が、父親が、母親が、子供が、かつて戦士長に期待を寄せていた民衆がガゼフに懇願する。しかし、ガゼフは微動だにしなかった。
「なぜかだと?それは私が王国の剣であるからだ!王国の民は王国で生き、そして王国で死ぬものだ!これは王家の定めた国法である!」
ガゼフの心が揺れることはない。その心にあるのはただ一つ、ランポッサへの忠義である。剣しか取り柄のない平民である自分を取り立ててくれた、信頼してくれた、自身のすべてをかけてもいいと思わせてくれた王。その王がバルブロを支えろといったのだ。子を思う父親のわがままだとてガゼフには断るべくもない。当然殺すつもりなど毛頭ないが、国を捨てるような真似をさせるわけにはいかない。
しかし、それを嘲笑うように漆黒のナーベが舞うように踊り出る。風にバサバサとマントを揺らしながら無造作にガゼフへと近づいてゆく。隙だらけに見えるが、ガゼフの獣じみた勘が告げる。今仕掛ければ負ける……と。それほどの相手だ。
「愚か!王、王足らざれば臣、臣足らず。もしこの国を憂うのであれば貴方の役割はその剣で王の首をはねることではないのですか!王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフ!?」
「……ご高説痛み入る。貴殿は冒険者漆黒のナーベ殿とお見受けするが?」
「さぁ……?愚王に仕える愚臣に名乗る名などないわ」
取りつく島もないナーベの言葉にガゼフはつい笑みを零してしまう。まさに正論。言い返すすべもない。国と忠義を天秤にかけ、忠義を取ったガゼフにここまで言える存在がどこにいようか。心のどこかで自分を非難してくれる人間を求めていたのだとガゼフはこの時初めて分かった。だが、それでどうなるものでもない。
「分かった。では名も無き冒険者殿。そこをどかぬと言うのであればこの剣で斬るしかないのだが?」
「《道具上位鑑定》!」
ガゼフが腰から剣を引き抜いた瞬間、ナーベの放った魔法がその剣を包む。一瞬攻撃魔法かと身構えたガゼフであるが、痛みも何もないため何かを探られたのだと悟った。
「なるほど、
「鑑定魔法とは慎重なことだな。そのとおりだ。この剣は例え鉄だろうとバターのように切裂く鋭さを宿している」
「……何も知らないようですね。それはその剣の能力の一端にすぎませんよ?さて次はその装備を……」
「……面倒な手間ははぶかないか?教えてやろう。この小手は
ニヤリと笑ったガゼフは懇切丁寧に自身の武具について説明する。その心境は装備の能力を知られてもいいという自信か、それとも諦めか。その達観した表情を見れば恐らくは後者なのだろう。
「さて……満足したか?名も無き冒険者殿?」
「なるほど、なかなか面白い人物ですね」
「そうか。では気に入ってもらったところで悪いがここで倒させてもらう」
「私と
「無論!」
その言葉にナーベは無言で顎をしゃくる。どこからでもかかってこいと言う不遜なものだ。しかし高名な冒険者……それも絶世の美女にされるとさもありなんと思ってしまう。
そこでガゼフはブレインに忠告されたことを思い出した。戦闘メイドに気を付けろ。目の前の冒険者はメイド服ではないが、その頭の帽子にはその時聞いた特徴に一致する。ブレイン・アングラウスでも一撃で何もできずにやられるような相手であればガゼフをしても勝利は絶望的であろう。
ガゼフは不敵に笑う。例えここで倒れることになろうと逃げかえるわけにはいかない。そんなことになればランポッサの信頼を裏切るだけでなく、この国の滅亡も早まるだろう。例えそうなろうとも信じた主に尽くすのみだ。
ガゼフは覚悟を決めると意識を集中させ力の限り叫ぶ。
「我こそは王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ!王国に仇な……」
言い終わるより前……一瞬でナーベがガゼフの眼前で身を沈めたかと思った
───瞬間
その身は中空へと投げ出されていた。殴られた瞬間の記憶さえなく月に重なるようにガゼフが空中を飛んで行く。意識は刈り取られ、その身に纏っていた装備はいつの間にかひとつ残らず剥がされていた。そして月明かりの下、白いブリーフがそれはそれは綺麗に輝いていたという。
♦
───さらに時は経ち
王国は人口が激減していた。そしてそれにともない、税収が減り、食事することすらままならなくなっている。
バルブロの食事からも肉が消え、副菜が消え、主菜も消え、パンが消え今や小麦粉の薄めたスープが出てくる始末である。
「おい!なんだこれは!もっとまともな料理はないのか!私を誰だと思っている!」
「それは……その……」
料理長が言いよどむ。ありませんとそのまま答えても詮無き事。バルブロの叱責が飛んでくるだけである。
「どうした!?」
「あの店がまた値上げをしたようで……」
ここで言うあの店とは王都に今やただ一つ残った店舗のことだ。黄色い軍服を着た店員が営む奇妙な店。おそらく亡命の手引きをしていると思われるため、人に探らせたがその者が帰ってくることはなかった。肝心のガゼフもその捜索の最中に姿を消している。
力づくで何とかしようとしたこともあるがその店にはどこにも入口はなく、その窓や壁を叩こうが焼こうがビクともしなかったのだ。
さらに奇妙なことにはそんなことをしたバルブロに対しても売買は続けているとのことだ。
「またか……どのくらい値上げしたのだ……?」
「それが……昨日までの3倍に……」
「さ……くぅ……足元を見おって……」
かと言って他に店はない。そもそも王都にはほとんど人も残っていなかった。あまりの圧政にほとんどが亡命し、どれだけの人が王都に残っているのかバルブロでさえ分からない。
「もはやあの武具を売るしかないのでは……」
「そんなことが出来るか!あれは……あれは……帝国に勝つための切り札だ!」
そこまで言ってバルブロの口が止まる。帝国に勝ちさえすれば何とでもなる、そう言い続けて、そう思おうとしてきた。しかし、さすがに分かっている。強力な武具はあれどももはや国民がいない。この王城にさえもはやほとんど人が残っていない。それでどうやって戦争をするというのだ。
「良いからさっさとそのない頭を使って何か考えろ無能が!」
バルブロは水の入ったグラスを内政官に投げつける。そしてその内政官さえ数日後に居なくなるのだった。
───そして
それからしばらくの時が流れた冬の朝。バルブロは寒さに震えながらベッドから起き上がる。薄い布を体に巻き付けながらバルブロは体温が上がるのを待った。
「おーい」
バルブロは叫ぶ。それは日課だ。しかし帰ってくる返事はない。
「おーい!誰かいないのかー!」
王城の中にむなしくその声だけが響き渡る。バルブロの背にいつもの嫌な汗が流れる。王城の廊下を歩く。そこにはかつて深紅の絨毯が布かれていたがそれも昔の話。それはすでに売られてしまっていた。豪華なシャンデリアも魔法の照明も高価なソファーやテーブルも、もはやバルブロの持っているものはほとんどない。
「……」
バルブロは無言で城の中を歩く。そしてありとあらゆる扉を開けていった。使用人の部屋。大臣の部屋。弟や妹、父親の部屋。どこにも誰もいなかった。
最後にバルブロは宝物殿へと駆け込む。そこで少しだけ安堵する。あのルプー魔道具店から奪った魔法道具がまだ1つだけ残っているからだ。それを手にするとバルブロは門から街へと降り立つ。
「おーい!」
街で叫ぶも何の反応もなく耳が痛くなるほど静まり返っていた。それは無人を意味するもの。そう、この町には誰一人として人がいないことの証明であった。
「おーい!誰かいないのか!」
大声で叫ぶが返事はない。町の店はすべて締まっており、民家の入り口には板が打ちつけてある。
バルブロは思う、どうしてこうなってしまったのかと。自分は間違ったことなど何一つしていない。世界を制する力を手にし、あとはそれを振るうだけだったはずなのだ。
バルブロは街を彷徨う。どこをどう歩いたのか、気が付くと一軒の店舗の前に行きついていた。それは奇妙な模様のマークを掲げた店。ガラス張りのカウンターの奥には黄色い軍服を着た長身の男が座っている。
「ああ……いらっしゃいませ。お客さまですか?」
「あ、ああ!」
久しぶりに人の声を聴いた嬉しさからかつい、自分は声が弾んでしまう。前にここにきたのはいつのことだったか。街の住人がいなくなり、城にいた内政官や側近たちも既にいなくなっていた。そのため、城にあるものをここで売り、代わりに食料を買っていたのだ。
「食料があったら売ってくれるか……」
バルブロの声にかつての傲慢さはない。ここがなくなったら路頭にまようしかないのだからだ。しかし、返ってきたのは冷たい声だった。
「……では小麦を一袋で白金貨1000枚というところですね」
「小麦……?すまないが私は料理ができない。パンはないのか……」
「今日はこれだけです」
無慈悲な言葉に表情を暗くしたバルブロは自身の懐を探る。それはかつての豪奢な衣服ではなくすでに麻で出来たみすぼらしい服だ。そして袋を取り出すと中の白金貨を並べていく。しかし、2枚ほど足りない枚数であった。
「すまないがまからないだろうか……」
「お支払いいただけないのであればお引き取りを」
店員は小麦の袋を片付けようと背を向ける。それを見て慌ててバルブロは手にした魔法道具……キリネイラムのレプリカを取り出す。
「ま、待ってくれ!こ、これを売る!その代わり毛布を……毛布をくれないか……このままでは凍えてしまう!」
そんなバルブロに背を向けながら店員の体が揺れている。笑っているのだろうか。
「白金貨2枚……といったところですね。小麦代にはなりますがどうされますか……?」
その無慈悲な言葉にバルブロは一瞬思考が停止しポカンとするが、次の瞬間頭に血が上る。
「お……お……おまえ!よ……よくも……よくもそんなことが言えるな!こ、この私が頭を下げて頼んでいるというのに!」
「ですが、商売ですので……」
「ふざけるな!
怒りのあまりキリネイラムから漆黒のエネルギーを解き放つが……それは目の前のガラスに当たると霧散して消えてしまった。
「では取引不成立ということで……」
その言葉にバルブロは我に返る。ここで食料を手に入れなければ今日食べる物さえ失う。そして手元に残った武具を見つめる。これがあろうと腹は膨れない。ならば今を生きていくためにそれを引き渡すしかない。
バルブロは悔しそうに俯くと、それをカウンターに置いた。
「毎度ありがとうございます。それではこちらをどうぞ」
代わりに渡されたのは僅かばかりの小麦の入った袋。それを受け取りとぼとぼと帰ろうとするバルブロであったが、後ろから聞こえてきた言葉に足が止まる。
「さて……これですべて回収できましたね……ではこの店も閉店するとしましょうか。長らくご愛顧いただきましてありがとうございました」
まるで演劇のカーテンコールのように膝を曲げ深々と礼をする店員。一瞬なにを言っているか分からなかった。しかしそれに気づくと慌てて店員に駆け寄った。
「ま、待ってくれ!この店を閉める!?ではこれから私はどうすれば……」
「さぁ?ですがもう売るものがないのでしょう?」
そのとおりだった。城にあるものは机から椅子からカーテンの一つに至るまですべて売ってしまっていた。残っているのはその身に纏っているみすぼらしい服とベッドに布団代わりの薄布くらいのものだ。
「そ、そうだが……そうだ!私を雇わないか!そうすればいい!私にはそれだけの価値があるぞ!」
かつてのバルブロを知る者がいたら驚くことだろう。この男が自ら雇われると言っているのだから。誇りをすて一縷の望みを抱いて見つめるバルブロであるが、返ってきたのは辛らつな言葉であった。
「はぁ!?あなたには何が出来ると言うのですか?」
「そ、それは……そうだ!いつかおまえを大臣にしてやる!国の重鎮に取り立ててやるぞ!」
「国?国などどこにあるのですか?」
「ここに……ある……だろう……」
バルブロの言葉は徐々に小さくなっていく。周りを見渡すとそこには誇るべき白亜の城が建つ王都。そして見せつけるように豪華な意匠を凝らした柱、高層建造物、バルブロ自慢の街並みであるが……そこには誰もいなかった。
「民もなく、臣もなく、無人の廃墟の中の哀れな男が一人、私にはそう見えますが?」
「な……ん……だ……と」
「それにあなたに価値がある?何が出来るのか聞きましたが、あなたは自分自身の力で何が出来るとは言わなかった。貴方には飢えを癒すためのパンを焼くことができますか?火を起こすことができますか?作物を作ることができますか?寒さを凌ぐための毛布を作ることができますか?」
確信があるように言う店員の言葉にバルブロは息が詰まる。無価値と断定されているというのに反論できる言葉が見つからない。
「さて、最後の商売も終わりました。店じまいさせていただきますね」
男はくるりと背を向けると、どうやったのかその指をパチンとならす。すると目の前にあった店が掻き消え、軍服姿の男は暗がりの中へと消えていく。
「ま、待て!この店がなくなれば私はどうすればいいというのだ!?」
それを聞いて暗がりから一瞥をくれると
「レア度0、無価値。それがあなたと言うことをせいぜい噛みしめればいいのではないですか?」
最後にそれだけ言うと
……そして何も言えずに見送ったバルブロはぶるりと身を震わせる。
冬が近づいていた。そして手の中にはわずかな小麦。しかし、バルブロにはパンを作る技術も知識もない。そして何より怖かったのはそこに
「おーーーーーい!!!誰かーーーー!!」
バルブロは居てもたってもいられず走り出す。これまではまだ先ほどの店があった。話をする相手がいた。しかし、そこにはもう誰もいない。
「誰かいないかー!」
扉を開いて一軒の家の中に入る。そこにはもはや何もなかった。食料も衣類も金銭も……価値のあるものは何もなく、その家の持ち主さえいない。
「誰か……誰でもいい……誰でもいいから返事をしてくれーーーー!!」
かつて繁栄を極めたリ・エスティーゼ王国の王都に王が一人。その叫びがいつまでもいつまでも続いていたが、やがて王都には何の声も聞こえなくなった。
♦
───そして
パンドラズ・アクターがこの世界に転移してきて100年の月日が流れようとしていた。