切って、薙いで、また切って 作:朝顔の苗
一応メインの方終わるまでは不定期更新かそっと消えてるかになると思います。
始まりは知らない。興味もない。ただあるのは、自分はこの抜き身の刀を抱え込むようにして眠っていたという認識と、この刀は己のものであるという理解。そして幾万幾億にも登る、汚濁というにも生温いあまりにも穢れ淀んだどす黒い記録。
——一太刀振るえば首が落ち。二太刀振るえば肢体が離れ。三太刀振るえば群れを消し。四太刀振るえば村潰し。五太刀の頃には何も無し。
最早顔すらわからない有象無象を切り捨てた。記憶はない。ただ、記録がある。間違いなく、アレらはこの刀が切ったものだ。
「ふうむ」
刀を脇に退けて近くの倒木に腰を下ろし、脚を組んで意味ありげに呟いてみる。別に意味はないし、なにも考えちゃいない。ただ、そうするのが正しい気がした。それだけだ。
今、私がいるこの状況。残念ながら私のちっぽけな頭ができる理解の範疇を超えていた。私はいま森の中にいる。全長が三十メートルを超えようかというあまりに巨大な木々。葉はびっしりと生えているようで、日光は落ちてこない。だというのに薄暗いながらも真っ暗でないのは、足元の倒木いっぱいに生えた蛍光色に光る苔のような物のせいだろうか。
それはまあいい。いや、よくはないが。どうやってここに来たのかもわからないのだし。そう、問題はそこだ。目を覚ます前、その記憶がぽっかりと抜け落ちていた。生まれも、育ちも、自分の素性も、何一つとして覚えちゃいない。
とりあえず、記憶がない状況で見知らぬ森の中にいる。それがどれくらい危険かはよくわかる。わりと青ざめ打ちひしがれていた時、ふと視界の端で揺れ動くなにかを捉えた。
赤い光だった。八つの鈍く光る紅玉がこちらを見据えていた。それは、薄暗い森の中でよく映えた。一瞬で理解する。アレは、生物。そして、敵。直後、その全容が現れる。端的に表すならアレは蜘蛛。けれど蜘蛛などとは形容したくないものだ。全高だけで四、五メートルはある怪物など、蜘蛛であるものか。光っていたのは蜘蛛の眼だったらしい。
足で蹴り上げて刀を手にする。シューという音が聞こえると同時、刀を振った。蜘蛛の口から出た糸を一刀両断にする。
「たく、蜘蛛は口から糸は出さないだろうが!」
悪態をこぼしたものの蜘蛛は聞き入れる様子をこれっぽちも見せやしない。当たり前か。
駆け寄る、というか這いずってくるのに合わせて跳ぶ。動きは鈍いくせに体格のせいで十二分に疾い。キバとしか言えないものが足元でガチンと音を鳴らした。はて、蜘蛛にキバはついているのだろうかなんてしょうもない考えとともに蜘蛛の背中に着地する。わりと硬いんだな、蜘蛛の背って。それくらいは考えられる時間の間を置いて蜘蛛が慌てたように身体を揺らすが、もう遅い。
「シッ」
一閃、掛け声とともに蜘蛛の首筋に刀を叩きこむ。わりと硬いと自ら評したその甲殻を私の刀はやすやすと切り裂いた。蜘蛛の首が私を降り落とせなかった無念を晴らすようにごろりと地に落ちる。
怪物の首の直径は明らかに刀身の全長以上の長さがあった。にも関わらず、この刀はそれを切り落とした。驚きはなかった。ただ、漠然とそうあるのが正しいと思った。
「さぁーて、どうしますかね。とりあえず食事かな。流石の私でも蜘蛛肉食って生きたかないぞ」
沈む蜘蛛の背から飛び降り、刀に付いた蜘蛛の体液を払いながらそうこぼす。目下最大の目標は食糧の確保だ。とりあえず人がいるところまで向かわなくてはならないだろうがそれまでの活動源は必須。ここの土地勘がない以上、なるべく食べれるものを腹に入れておきたい。だというのに。
「鳥のさえずり一つ聞こえやしない。あの蜘蛛が片っ端から食っちまったのか?」
蜘蛛は肉食なんだそうだ。喰い方は肉というか相手を溶かして液体にして食うって感じらしいけど。そういやあいつは溶かして食うのかな。キバあったしそのまま平らげるのか?
それはそうと、それに加えてあの体格なら、目につく動物を軒並み平らげていても不思議はない。……とすれば、意外と私ピンチ? えーと、とりあえず水。水さえあれば一週間は生き延びれるってどっかで聞いたことがある気がする。そうは言えども水音一つ聞こえてこない。辺りはしんと静まり返っている。
――故に、ガサリと。その茂みが揺れ動く音は、よく響いた。
「動物!」
「人よ」
茂みから現れたのは、残念ながら鹿でも猪でもなく銀髪の女だった。長髪を後ろで三つ編みにし、赤と青の独特な服を着た、二十代頃に見える女。大きな屑篭を背負い、弓に矢をつがえこちらを見据えている。
距離にしておよそ10メートル。おそらくこちらが一方的に嬲り殺される間合い。
「なんだい物騒な。悪いがあんたになんかした覚えはないぞ」
「ええ、お生憎様私にもなにかされた記憶はないわ。だって初対面ですもの」
だろうな。と言っても記憶ないから本当に初対面かどうかの確かめようはないのだけど。
だとすると、なぜ私は初対面の女に見知らぬ土地で命を狙われているのだろう? ……自分で言っててなんだがなかなか奇抜な状況に追い込まれてるな、私。
「なら尚更なんで私はその物騒なモンを向けられてんのかね。説明をしてもらっても?」
「……それ」
「それ……って、ああ。この蜘蛛もどきか? ペットかなんかなら悪かったがなら人様を襲わないようにしつけをだな——」
「アラクネ」
「あん?」
女が呟いたそれは、確かにアラクネと聞こえた。アラクネといえば、確かギリシア神話に出てくる女の名前だったか? なんだってまたそんな名前が。まさかこの蜘蛛がそうだとか? だとしたらとんでもないモノを切ったっていうか世界観がとんでもないモノになるんだが……。
「その蜘蛛は、そう名付けられたこの森の主。何度も討伐部隊が組まれたのにも関わらず悉く返り討ちにしてきた怪物中の怪物。それが、なぜ死んでいるの?」
「なんでと言われてもねぇ。襲われたから、必死こいて斬り殺した、としか」
「ありえない! あなたの細腕がソレを殺せるはずが……!」
「信じないならそれでも構わないし、信じてもらいたいわけでもない。とりあえず、それ下ろしてもらえんかね。別にあんたになんかする気はないよ」
ちょいちょいと指で、弓を下ろしてもらうよう頼んでみる。女は少しの間硬直というかこちらを観察するような視線を送ってきたあと、ため息とともに弓を下ろした。そして弓を指で一なぞり。それだけで、弓はパタパタと畳まれ筒状のコンパクトなものになってしまった。
「驚いた。どういう仕組みだい、それ」
「さて、ね。それより、質問いいかしら」
「あいあい」
「この際あなたがそれを本当に殺したかどうかは気にしないようにしましょう。それより、あなたはどうやってアラクネの首をはね落としたの? それの甲殻の硬度は、抜け殻ですら金剛石を遥かに超える。ましてや本体の物など想像もつかない。まさか、あなたの携える剣で斬ったなんては、言わないわよね?」
「いや、この刀で叩き斬った」
嘘は言ってないし、本当の事を隠してるという事もない。だというのに女の目は丸々と見開かれる。まあ私とて聞いてみれば耳を疑う話なんだろうが、できたものはできたもの。息をするように、歩くようにできると意識すらしないものに驚くことはない。
「ありえない……! そもそもその剣の刃渡りじゃ切り落とすなんて芸当できるわけ……!」
「んな事言われたってできたモンはできたモンなんだからそう言うしかないだろ。あんたを騙す気はないよ」
「……」
「おい?」
返事がない。聞いてなかったのかと思えばそうでもないらしい。女がなにやらブツブツと独り言を言っているのが聞こえる。これ、あれだな。何かに没頭すると周りの音が聞こえなくなるタイプの人間。違いない。
放置されて手持ち無沙汰になった私は、彼女を置いてここを離れるのも忍びなく、そこらの倒木に腰掛けることにした。相変わらず聞こえてくるのは木の葉の擦れる音と女の独り言だけ。暇を潰そうにも潰す手段もなく、女はトリップから帰ってくる気配もない。
どれくらい待ったか、流石の私も痺れを切らしてしまい、女に声をかける。
「なあ」
「……」
「おい」
「……」
「おい銀髪女!」
「うるさいわね聞こえてるわよ」
3コール目にしてようやく女がこちらをキッと睨んで反応を示してきた。こっちは律儀に待ってやってたってのになんて態度だろう。邂逅から殺意を向けられて元々低かった彼女への評価は地の底へ着いた。なんか気に食わん、いけ好かないタイプだこの女。
「じゃあもう私に用はないな? 行かせてもらうぞ」
この場から一刻も早く離れたいと思い女に背を向ける。あっ、という声が聞こえるが耳を貸してやる義理もない。ずんずんと歩みを早め彼女から距離を取ってやろうとする。彼女の声が少し大きく響いて聞こえてくる。
「……待ちなさい。食糧はあるの?」
「道すがらなんか見つけるさ」
「この辺りに食べれる物はなにもないわよ」
足が止まる。
「……マジで?」
「動物は軒並みアラクネが食べてしまうし、植物は魔力を帯びて劇毒になってるし」
ブリキ人形のように、ギギギと身体が女の方へ向き直る。いい顔してるな、畜生。
「私、あなたに食糧を恵んであげようと思うのだけど」
「……ッチ。何をすればいい?」
蜘蛛には勝てても飢餓には勝てぬ、ってね。