──その後、彼は『また来る』と言い残して出て行った。
一人となった瞬間、私は力が抜けてその場にへたり込んだ。
銃を二回も突きつけられて生きているなんて、あまりにも運が良すぎる。
逆に運が悪すぎるのか。
この街に来てから一年。
故郷である日本を捨ててなんとか生きてきた。
まさか、ここにきてこんな目に遭うとは。
深呼吸をして、今生きていることを実感する。
もし、本心を言わずに嘘の理由を言っていたら。
もし、断った直後すぐに男が引き金を引いていたら。
そう考えるとぞっとする。
私は、彼に『生かされた』。
そして、『タダで服を渡さない』と約束した。
これらは紛れもない事実だ。
守らなければ今度こそ殺されるだろう。
『約束は守らなければならない』
自身の言葉が頭によぎる。
きっと、あのマフィアからもう逃げられない。
なら、やれるだけやってみるしかない。
私にはそれしかできないのだから。
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──そう決心した日から一週間経ったが、以前と何も変わらない。
元々「人に服を渡すこと」自体が滅多にないのだから当たり前なのだが。
特にやることもなく暇を持て余しているので、今はそれに合うスカートの型紙を製作中だ。
デザインから型紙製作など一からすべて1人でこなすため、一つの服を作るのに少々時間がかかってしまうが、その時間が安らぎなのだ。
服を仕立てる中、気がかりなのは収納場所も提供すると言われたが、あの言葉は本当なのだろうか。
別に期待している訳じゃない。
ただ、自分が作った服を燃やしている時が少しだけ心が痛むだけだ。
黙々と作業をしていると、ドアからノックの音が聞こえた。
その後、聞き覚えのある声が飛んでくる。
「俺だ、いるなら開けてくれ」
私は作業を中断し、ドアに向かう。
ドアを開けると、一週間ぶりに会う彼がいた。
「やあキキョウ。調子はどうかな?」
「調子はまあまあです。それで、どうされたんですか張さん」
ずっと立たせている訳にもいかないので、家に招き入れる。
また来るとは言っていたが、まさか一週間後に来るとは思わなかった。
「そう急かすなよ。どうせなら、ゆっくりお茶でも飲みながら話をしたいものだ」
「ココア、牛乳、お湯、水しか出せませんがそれでいいなら」
「コーヒーはないのか?」
「……今度買っておきますね」
一応、大事な取引相手なのでコーヒーぐらいは買っておこう。
我儘だ、と思ったことは心の中に留めておく。
張さんが座るための椅子を自室へ取りに行った後、作業台の上を少し整理する。
彼が椅子に座ったのを確認し、自分の椅子に腰かける。
それにしても、ロングコートなんか着て暑くないのだろうか。
「あれからなにか服はできたのか?」
「一着だけあります」
「ちゃんととってあるんだろうな」
「そういう約束ですから」
「今度はどんな服を?」
「ブラウスです。以前貴方が来た時にも作ってたものですよ」
「そうだったか。どんなものか見せてくれないか」
「見てどうなさるので?」
「どうもしないさ。だが、改めて自分の目で洋裁の腕前を見ておくのもいいだろ?」
「……分かりました。ちょっと待っててください」
自室にあるバルーンスリーブのブラウスを手に取り、彼の前で広げる。
「普通のブラウスですよ」
「……このマークは」
彼は襟の端にあるマークを指さした。
「何か作った時は自分のマークをいれるんです。サインみたいなものと思ってもらえれば」
「なるほど。いかにも職人らしい」
これは洋裁師として服を売っていた時からの名残。
自分の作ったものだと見分けるためにやり始めたことがきっかけだ。
花個紋である「李の丸」をモチーフに李の部分を桔梗の花に変えたもの。
このマークは案外気に入っている。
「もしかして、いれないほうがいいでしょうか?」
「いや、逆にあったほうが俺としても見分けがつきやすい」
「分かりました」
念のため彼の了承を得、話が終わったと判断しブラウスを畳む。
「そのブラウスだが」
「はい」
「こっちのほうで“収納場所”の用意ができた。今から行かないか?」
「……本当に用意してくださったんですか」
「あたり前さ。俺は約束は守る律儀な男なんだぜ、Ms.キキョウ」
まさか、ちゃんと用意してくれたとは。
それどころか、約束を忘れているだろうと思っていたのもあり些か驚いている。
「ありがとうございます。その場所はどちらに?」
「ああ、今から案内する。今日はそのために来たんだからな」
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彼に案内されたのは、我が家から歩いて十分もしないところにある灰色のビル。
その二階に収納場所となる部屋が用意されていた。
しかも、幅が八十から百三十センチのハンガーラック六台。
ロングドレスが掛けれるハンガーラック3台と大量のハンガーまである。
思ったよりしっかり用意してくれていたことに、拍子抜けする。
「今はこの程度しか用意していないが」
「いえ、充分すぎるくらいです。まさかここまで用意してくださるとは」
「“収納場所”を提供するといったからな。ただ部屋を渡すんじゃ収納はできないだろ?」
「ありがとうございます。今後、ぜひ使わせていただきます」
「気に入ってくれたようで何よりだ」
張さんは私の言葉を聞いて満足げに微笑んだ。
「今後、またなにか必要なものがあれば言ってくれ。こちらで用意する」
「自分でも用意できるので、そこまでお世話になるわけにはいきませんよ」
「……一つ気になったんだが、いままでどうやって布を調達してきたんだ。商売をしているわけでもないのに」
「お金だけはあったので」
「その金はどこから手に入れたんだ」
「故郷から持ってきたんです。一応、そこそこ稼いでいたので」
そう、日本から出るとき金だけは必要だろうと全財産を持ってきた。
服作り以外にそこまで出費はしていなかったので、金だけは有り余っていた。
日本から持ち出したのは五千万。
私が無事に金を持ち運べたのはある人にお世話になったからなのだが、それはまた別の話。
とにかくそれだけあれば、しばらくは服作りにも生きていくのにも困らない。
「なるほどな。ま、その腕ならすぐに客も集まるだろうからな。遠慮なく頼ってくれ」
「しかし」
「俺はその腕を見込んでる。だから“パトロン”として、洋裁屋キキョウの作りを支えたいのさ」
──マフィアがパトロンの洋裁屋。
それはそれで問題な気もするが。
まあ、この街ではなんだって起きる。
色々考えてもしょうがない。
「……ありがとうございます。では、どうしてもという時だけご相談させてください。基本は自分でなんとかしますので」
「分かった。その時になったら連絡を」
「はい、ありがとうございます」
さっきから彼にお礼しか言ってない気がする。
それほど自分が思っている以上に嬉しかったのだと自覚し恥ずかしくなる。
顔に少し熱が帯びるのを感じながら、ハンガーにブラウスを掛ける。
やがて深呼吸をし、張さんと向き合う。
「改めまして、これからよろしくお願いいたします。Mr.張」
「こちらこそ。Ms.キキョウ」
この時から、私はただの住人ではなく、ロアナプラで『洋裁屋キキョウ』として生きていくこととなった。