ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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51 花の影

 

 

「――かつて儂には一人の親友がいた。そいつは由緒ある和裁師の家の生まれだったらしいが、何があったんだか勘当されたらしくてな。儂が出会った時には既に一人で生計を立ててたよ」

 

仁は懐かしむように、ほんの少し口の端を上げる。

 

「和裁師の血が濃かったせいか、基本的に服作りの腕を上げることにしか興味がなくってな。自分の事は二の次、どんだけ腹減っても食事を摂らず、一つの服を完成させるまで何日も寝ないのが当たり前。ヘラヘラして“大丈夫”と繰り返すアイツに何度ぶち切れたか」

 

 

そう話す様は、ヤクザ者とは思えない程穏やかで、柔らかいものだった。

 

 

「そんなアイツが急に子供を引き取ったって言ってきてな。自分の事も顧みない馬鹿が子供なんか育てられるかって、何度も怒鳴ったしぶん殴ったこともある。人ひとりの命を背負うことがどういうことなのか、アイツは分かってないと思ってた」

 

「……」

 

「だがな、そんな儂の予想に反して彼女を立派に育て上げたようだ。親友が託したものをちゃんと受け継いで、アイツを最期まで支えてくれてたらしい。まあ、自分を顧みないっつう悪い癖も受け継いじまったみたいだがな」

 

「……まるで他人事みたいですね」

 

「そりゃ、アイツが生きてた頃はその娘に会ったことがないからな。ヤクザ者と会ったところであの子にとって得にはなりゃしない」

 

ロックは思わず言葉を口にした。

よく知っていると言っていた割には、まるで他人から聞いたかのように話していたからだ。

 

仁の言葉に素直に納得し、話の続きを待った。

 

「親友の話では、その娘は父親が奥さん……娘の母親を殺しちまって一人になったんだと。父は当然引き取ることもできず、親戚もいない。よく自分の店に来て服を楽しそうに見てくれていたその子とは元々仲が良く、そのまま放っておくことができず引き取ったんだそうだ」

 

「……父親が、母親を?」

 

「当初は殺意がなく、過失だって判決で終わった。だが、その父親はちょいと日本じゃ有名人だったんでな。父親だけでなく娘であるその子にも飛び火が来た。周りからは“殺人者の娘”だと罵られ、その上マスコミにもつけ回されて。親友に引き取られた後も苦労していたようだ」

 

何とも酷い話だとロックはただそう思った。

平和な日本では、人一人殺すだけで日本中で大きく取り上げられる。

それだけでも、相当肩身の狭い思いをしてきたというのは容易に分かる。

 

「親友も流石にこのままじゃいかんと思ったのか、その子を連れて海外へ行ってな。その間の事は分からんが、数年後二人で帰ってきた後はあの事件の熱は収まり、順風満帆だった」

 

「……」

 

「だが、しばらくしてアイツが病で死んじまって、その子一人で店を切り盛りしようって時だ。あの子の前に父親が現れてな。丁度六年前―― 一九九一年に、あの出来事が起きた」

 

六年前。自身がロアナプラへ踏み入るより遥かに前。

あの街でマフィア同士の連絡会というシステムが出来上がったのが四年前の一九九三年。

彼女はその少し前からロアナプラに住んでいるとレヴィが言っていたのを思い出す。

 

 

――丁度、彼女があの街へ流れついた時期と重なる。

 

 

「青年、ここまで話しといてなんだがここから先を聞けば後には引けん。これは大きな“地雷”だ。踏み入ったら最後、何をされても文句は言えないと思え」

 

「……」

 

「それでもいいのか」

 

「……構いません」

 

ロックは話を切り出した時から、例え踏み入って殺されてもいいという覚悟を決めていた。

 

 

 

――訳ではなく、一つの確信があったが故の言葉だった。

その確信が功を為すかは、その時にならなければ分からない。

 

 

 

「何がお前さんをそこまで駆り立てるのやら」

 

また一つため息を吐いて、仁は意を決したようにロックの目を見据えた。

 

「あの子はな――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――まさか、そんな……本当に……?」

 

「嘘などつかんよ。ともかく、それが真実だ」

 

「……それが本当だとしても、何故行き着いた先がロアナプラだったんですか」

 

「あの日、既にもう事が終わっちまっていた時に儂は初めてあの子と対面した。その時、呆然としていたあの子は儂に言ったんだ。“帰るべき場所も生きる意味も、全てを失った。もう疲れたから死にたい”だの、“こんな私がのうのうと生きていいはずがない”とな」

 

「……」

 

「あの子はずっと実の父親に苛まれていた。アイツが遺した忘れ形見にそんな惨めな思いをさせたまま死なせてたまるかと、外へ逃がした。今度こそ自由に、自分の思うままに生きてみろと」

 

「…………それは、あの街じゃなくてもできることだ」

 

ロックは拳を強く握りしめ、自身の考えを真っすぐ仁へ告げる。

 

「そう思うなら今度は貴方があの人を引き取れば、少なくてもあんな欲と闇に塗れた世界で厄介ごとに巻き込まれることもなく、今もまだ日本で平和な生活を送っていたはずなんだ」

 

「日本じゃダメなんだよ。ここじゃどこへ行こうと父親の影が纏わりついちまう。あの子にとって父親は一番の障害であり、今も取り払えない大きな壁だ。――海外ならその影をとことん小さくできる。少なくても当時のあの街はまだそこまで裏の世界に影響力がなかった。何もしなければ問題なく暮らせるほどの治安。それでも罪を犯した者が多く、あの出来事を起こしちまったあの子なら普通の街よりも暮らしやすいだろうと選んだ。まあ、一年後ぐらいから悪化しちまったがな」

 

 

仁は何を考えているか分からない表情で淡々と話す。

 

だが、まだロックは納得しきれていなかった。

胸の内に燻る感情を必死に抑えながら、再び口を開く。

 

 

 

 

 

「それでも、死ぬよりマシじゃないですか」

 

 

 

 

 

更に拳に力を入れ、微かに震わせながら言葉を続ける。

 

 

 

「今あの街はバラライカさんの様な人間が山ほどいる。そんな街で破壊的なまでの暴力の渦に巻き込まれながら悲惨な死を遂げるより、平和な国で争いにも巻き込まれず、血をこれ以上浴びない人生の方があの優しい人には似合ってる。――あんな街に逃げて、幸せになんかなれるはずがない……あの人にとって救いなんてあるはずないんだ……ッ」

 

拳と共に声も震わせながら自身の胸の内を吐露する。

今発した言葉は、ロックの嘘偽りない心情だった。

 

仁はロックの顔を暫く見据え、無表情のまま言葉を返す。

 

「何が幸せなのかは己しか分からん。それに、あの街へ行くと決めたのは他ならないあの子だ。そして今もあの街で生きているというのなら、悪徳の都で満足のいく生活を送っているという事。それを違うだの、似合わないだのと自分の価値観を押し付けるのはお門違いだ」

 

「だけど……!」

 

「あの子は確かに優しい子だ。母親のために理不尽に襲い掛かる恐怖に何年も耐え続け、拾ってくれた恩師の腕を絶えさせまいと自信が無いながらも必死に技術を磨き、最後にはその二人のために怒り行動した子だ。――だがな、世の中はあまりにも無情で不平等だ。幸せに生きるべき人間が不幸を被り、幸福を感じることなく死ぬのは特別なことじゃない」

 

「……でも、俺は」

 

「青年、儂らにできることは何もない。君がなぜそこまであの子の人生に踏み込みたがるのか知らんが、軽率な行動は謹んだ方が身のためだ。人の人生に軽々しく踏み入って、痛い目を見ないってのはそうそうない」

 

「……」

 

「それでも踏ん切りがつかないってなら本人と直接話をすればいい。そうすりゃ、少しは胸の内の鬱憤が晴れるかも知れんな」

 

「…………助言ありがとうございます。一旦、考えてみます」

 

仁から放たれた言葉を聞き終わった後も様々な思いが次々に浮かんでくるが、ひとまずここは冷静に、仁の言う通り慎重に動こうと密かに心の中で決める。

 

「儂が知っているあの子についての話は以上だ。これで満足かな?」

 

「最後にもう一つだけ、いいですか」

 

「なんだ」

 

「彼女とその父親の名前を教えてください」

 

できれば言わずに終わろうと思っていた仁だったが、ロックははっきりと“父親が日本じゃ有名人”だという一言を忘れてはいなかった。

有名人だというのであれば、調べれば仁から聞いた話以上の情報が得られるかもしれない。

彼女の本名を知りたがったのは、少しというにはあまりにも不釣り合いな興味本位。

 

ここまで話してしまったからには最後まで付き合うしかないか、と仁は内心呟き、徐に言葉を発する。

 

「まず、父親の名だが――」

 

 

 

次に言い放たれた二人の名前をしっかりと脳に刻み、やがて仁へ頭を下げる。

 

 

 

 

 

「ありがとうございました。俺から聞きたいことは以上です」

 

「満足したようで何よりだ」

 

仁は微笑みを携えていながらも、どこか固い声音で発する。

 

「……青年、一つ聞かせてくれないか」

 

「なんでしょう」

 

今度は、仁が遠慮気味にロックへと言葉をかける。

しばらく間を空け、やがて先程よりも緊張したような色が滲んだ声音で問いかけた。

 

 

 

「キキョウは……あの街で生きているあの子は、お前さんから見てどんな人間だ」

 

 

 

 

拳を強く握り、どこか不安そうな瞳でロックを見据える。

そんな仁の様子に少し目を見開きながらも、しっかり答えようと姿勢を正す。

 

「悪徳の都の住人とは思えない、綺麗で凛とした女性です。マフィアだろうと殺人鬼だろうと真っすぐな姿勢を崩すことはない。――彼女にあの街は似合わない。俺は貴方から話を聞いても尚、そう思います」

 

「……そうか」

 

仁は再び柔らかい微笑みを浮かべながらも、僅かに悲しそうな色を滲ませた。

短く息を吐き、ハンカチを裾の中へ戻し「さて」と腰を上げる。

 

「そろそろ向こうさんが待ちくたびれている頃だろう。これ以上待たせるのはよくない。通訳さん、後も頼んだぞ」

 

「はい」

 

そう言って二人は和室を後にし、バラライカらが待っている部屋へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

「――大使館に寄って、モスクワの後任に引き継いだら姐御の仕事は終わりだ。今日中には日本を出るってよ」

 

藤崎仁とバラライカの会合はひとまず無事に終わり、同時にロックの通訳としての仕事も終了となった。

バラライカらが残りの仕事を片付けている間、ロックはレヴィと共にとある住宅街の公園へ来ていた。

 

子供たちの声が響いているその公園は、ロック――岡島祿郎の実家の近くにある。

 

“日本を発つ前に会っておくべきだ”というレヴィの強い提案により、彼は約一年振りに実家への道を辿っていた。

二人は公園のベンチへ座り、昼間とはいえ寒い空気の中缶コーヒーを片手に言葉を交わしている。

 

「折角カトラス取り寄せたってのに出番がなかった。あのクソ野郎を先に鷲峰組が片付けたおかげでこっちはずっと退屈だったぜ。チクショウ」

 

「弾を消費しなくてよかったじゃないか。あの街でまた銃の撃ち合いをするだろうからその時に鬱憤を晴らしなよ」

 

「そういう問題じゃねえんだよ」

 

レヴィは「けっ」と吐き捨てると、コーヒーを喉に通す。

徐に白い息を吐き出し、どこか遠くを見つめているロックへ促すよう言葉をかける。

 

「ロック。結局お前、どうすんだ」

 

「……」

 

「もうあっちに帰っちまったら、二度とここへは戻れない。――お前はまだここに戻れる」

 

「……」

 

「日本に残るか、アタイらと同じ世界で生きるのか。それを決める“最後のチャンス”だ」

 

「……」

 

「決めるのはお前だ」

 

闇の裏社会でロックとして生きるのか、それとも岡島祿郎として再び日本へ戻るのか。

 

日本へ来てから一瞬も考えなかった訳ではない。

 

日向側の世界は向こうよりも圧倒的に平和で穏やかなもの。

ロアナプラでは決して味わえない安寧の日々。

 

“いつでも戻れる”という甘い選択肢があったお陰で、はっきり決めることを無意識の内に避けていた。

 

 

 

――しかし、今となってはもうその選択肢はロックの内から消えている。

 

 

仁から話を聞いた時から、彼の中でやるべき事が決まっていた。

それを為すには、あの街へ帰らなければならないのだ。

 

「確かに、もう二度とここへは帰れないだろうな」

 

「……」

 

「だけど、あの街でどうしてもやらなきゃいけないことができたんだ。それを為すために、俺はあの街へ戻る必要がある」

 

「……それはこの国での平和な生活を捨てでもやらなきゃいけねえことなのか?」

 

「俺にとってはそうだ。――このまま何も為さずにのうのうと生きるより、あの街で“ロック”としてやりたいようにやってから死ぬのも悪くない。そう思ったんだ」

 

“その生き方を貫きたいなら貫けばいいんじゃないかな”

 

ロックはかつてキキョウに言われた言葉を思い返していた。

 

この世の無情さを目の当たりにし、自分の考えが間違っているのか疑問に感じた時に彼女が言ってくれた。

 

あの悪徳の都で正しいのか正しくないかではなく、自分が後悔しないために生き方を貫いている彼女だからこそそう言ったのだ。

正直あの時は慰めで言っているのかもしれないと少し思ったが、今では心の底から彼女らしい言葉だったと思える。

 

――そんな彼女の生き様は、この国で味わってきた苦しみから出来ていることを知った。

 

あの街に留まっていればこれまで以上の苦痛が彼女に必ず襲い掛かってくる。

マフィアの男の傍にいるのなら、尚更それは避けられないだろう。

 

無事に逃げ切り今を生きているからこそ、今度は平和に穏やかに暮らしてほしい。

 

だが、それを彼女に望んでいる人間はあの街に誰一人としていない。

なら、自分がやらなければ。

 

他の誰でもない、彼女の核心を知り得た自分が。

 

 

「そのやるべき事が終わったら?」

 

「勿論、あの街に居続けるさ」

 

「どうしてだ」

 

「あそこが俺の居場所なんだ。ここは生者が生きる場所で、ロアナプラは歩く死人の街だ。……一年前、お前と出会ったあの時から俺はもう死んでる。なら帰る場所はお前と一緒だよ、レヴィ」

 

言い放たれた言葉にレヴィは目を見開いた。

 

この国に舞い戻るならそれでもいいと決めていた。

血と硝煙の匂いが漂う街で本音をぶつけ合い、幾つもの修羅場を共に潜った仲間だからこそ止めようとは思わなかった。

自分とは違い、平和な世界で生きてきたロックはてっきり日本に留まるものだと決めつけていた。

 

そんな少し前までどっちつかずの事を言っていた男が、今はっきりと自分と同じ死者だと告げた。

 

他でもない彼がそう言ってくれた事実に、レヴィは思わず「はっ」と息を洩らした。

 

「ここを捨ててアタイらと同じ世界に落ちるなんざ、とんだイカれた野郎だな」

 

「そうじゃないと、お前たちと渡り合えるなんて無理な話だからな」

 

「後悔しても知らねえぞ」

 

「後悔ならとっくに済ませたさ。――それに、覚悟ももう決まった」

 

その言葉にどこか嬉しそうな、だがどこか困ったような笑みを浮かべる。

残っていたコーヒーを勢いよく飲み干し、置いてあるゴミ箱へ缶を投げ捨てた。

 

 

「そうかい。これからもよろしく頼むぜ、相棒」

 

「ああ。――じゃあ帰ろうか、レヴィ。“俺達の街”へ」

 

悪徳の都の住民である二人は揃って腰を上げ、足早に公園を去っていった。






=ちょっとした裏話=

仁さんとお師匠さんは50年以上の付き合いがあり、仁さんがヤクザ者になり始めた時からの大親友です。
キキョウさん以上に仕事にのめり込むタイプのお師匠さんはしょっちゅう倒れてしまい、その度に仁さんが介抱してました。(キキョウさんを引き取ってからはそこまで無理することはなくなりました)

そんな二人は一度も喧嘩したことはありませんでしたが、唯一お師匠さんがキキョウさんを引き取った時口論になりました。

結局お師匠さんの頑固さに負けて、「死んでもしっかり育てろ」と告げています。

仁さんはキキョウさんに会う気は全くありませんでしたが、そうも言ってられない状況になったため、最後に一度だけ顔を合わせ、ロアナプラへ送り出しています。

それからもキキョウさんの事は気がかりでしたが関わることはなく、どうなったかも把握していませんでした。

ロックの話を聞いて安堵と心配が入り混じり、複雑な心境となってます。

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日本編も残すところ次回で最終話です(ボソッ)
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