ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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意味:酒にかなり酔っても、その人が本来もっている性質に変わりはない。





54 生酔い本性違わず

 

 

Ms.バラライカが街へ帰ってきてから数日。

彼女がいなくなったことで暴れていた馬鹿どもがようやく落ち着いたのか、街は以前の雰囲気に戻りつつあった。

 

我らが三合会は彼女がいない間、馬鹿どもを牽制しつつ通常の業務をこなさなければならなかったため大忙しだった。

 

殺し合いが増えたお陰で三合会からも重軽傷者が多く出てしまい、私の方もしたくもない男の治療に勤しむ羽目になった。

張大哥や郭も鉄火場に繰り出していたはずだが、二人は全く怪我を負っていない。

 

下っ端どもはそこを見習ってくれたらいいのにと何度思ったことか。

 

そんなこんなで、まだ完治していない野郎も少なからずいるが特に私が気にかける程でもないためいつもの忙しさへと戻った。

 

今日は定期的な仕事の一つである、スローピー・スウィングの女の子たちの健康診断をしている。

風俗は女の子の体に気を遣わなければならないからか、一か月に一回はフローラから依頼が来るのだ。

 

ここ最近毎日のように男どもの裸を見てきた私にとって、女の子と触れ合える至高の一時。

 

「リン、久しぶりい! 元気だったあ?」

 

「野郎どもの体ばっか触ってたから毎日最悪な気分だったわよ。でも、イザベラの顔見たらそんなことどうでもよくなっちゃった!」

 

「相変わらずの男嫌いねえ」

 

 

 

ああ、可愛い。

 

 

女の子と話すだけでなんでこんなに癒されるのかしら。

 

「アナタの方はどう? あれから良くなった?」

 

「ええすっかり。リンがくれた薬のおかげよ」

 

「それは良かったわ」

 

イザベラは何回か前の診断で、生理痛がいつもより酷いと訴えていた。

ホルモンバランスが崩れているということが分かり、彼女の体調に合わせた薬を処方し、様子を見ることになったのだ。

 

彼女の今の様子だと本当によくなったらしいので、アタシとしてもとても喜ばしい。

 

「じゃあ、いつものをちゃちゃっとやりましょうか。そろそろ営業準備しなきゃでしょ?」

 

「ええ、お願いね。リンセンセー?」

 

スローピー・スウィングでも売れている方である女の子の言葉に、満面の笑みを浮かべながら診察を始めた。

 

 

 

 

――そんな風に調子よく最後の一人まで診察を終える。

可愛い女の子達と離れ難いが、いつまでもここにいる訳にはいかないので渋々帰る準備をする。

 

最後の道具を鞄に入れた瞬間、ノック音と共にフローラがドアを開けて入ってきた。

 

「リンお疲れサマ~! いつもありがとネ」

 

「礼を言いたいのはこっちよフローラ。今日もみんな可愛かったわあ。お陰で気分最高よ!」

 

「それは良かったわあ。それで、どうだった? 問題の子いる?」

 

「気になったのはエルね。生理がしばらく来てないみたいだからちょっと様子見。妊娠してるようだったら、その時また彼女の意志に沿った対応をするわ。あ、あとマチルダが豊胸手術したいそうよ。フローラが許可するなら私がすぐに格安で請け負ってあげるけど?」

 

「アナタなら大丈夫だから任せるわ。マチルダにはアタシからも話しておく」

 

「あの子胸なんか無くても十分可愛いのにね」

 

「職業柄、あった方が何かと便利なのよぉ」

 

診察が終わった後は、こうして気になったことを報告して、どうするかをフローラに聞いている。

彼女は多くの女の子を束ねるオーナーでもあり、アタシの友人でもある。

 

そんなフローラと交わす他愛ない会話はとても心地がいい。

 

 

もう少し話していたいところだが、彼女たちはそろそろ営業に入るので邪魔するわけにはいかない。

 

「じゃフローラ、お金はいつもの口座に入れといてね」

 

「はいはい。あ、そういえばリン」

 

 

そう言って部屋を出ようとした時、フローラが思い出したかのような声を出した。

 

 

「キキョウが今下で酒飲んでるわよ。営業開始と同時に来るなんて珍しいわよねえ」

 

「えっ、キキョウちゃんが!?」

 

「どうせなら付き合ってあげたら? 普段あなた急がしいって飲めないらしいじゃ」

 

「ありがとフローラ! じゃあまたねっ!」

 

アタシはフローラの話を聞いて、居てもたっても居られずすぐさま部屋を出て行った。

 

最近大哥があの子を独り占めしているので実は中々話せていないのだ。

 

アタシ一押しの可愛い女の子が下で一人酒を飲んでいるのなら、駆け付けないわけにはいかないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……相変わらずキキョウ大好きねえ。でもあの子、ちょっと様子がおかしかったけど大丈夫かしら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――バオさん、もう一本ください」

 

「お前……一体どんだけ飲むんだ。もう十本以上空けてんの分かってんのか」

 

「まだ飲み足りないんです。まだ……気分が晴れなくて」

 

「……お前さんがそうなるのは初めて見たな。何があったんだよ」

 

「別に、大したことじゃないです。……バオさん、早くお酒ください」

 

「……言っとくが、介抱はしねえからな」

 

「バオ、介抱はアタシがするから心配ないわよ」

 

「心配なんざしてねえよ。ったく」

 

イエローフラッグ店内。

カウンターにはキキョウと一つ空けた席にリンが座っていた。

 

テーブル席で賑やかに多くの客が酒を飲んでいる中、カウンター側の雰囲気は賑やかさとは程遠いものだった。

 

キキョウは無表情で酒を飲み続け、リンはそんなキキョウを少し心配そうに見守り、バオは眉を寄せながら二人の様子を見ている。

 

キキョウは何年もイエローフラッグの常連として通っており、いつも機嫌よくジャックダニエルを飲んでいる。

酒豪である彼女はどんなに酒を飲もうと他の客のように店主に対して迷惑をかけたことが一切ない。

 

そんな彼女が営業時間開始ぴったりにやってきて開口一番、「ジャックダニエルとアブソルート以外の酒をください」とバオに注文したのだ。

イエローフラッグに来るときは、毎回欠かさずジャックダニエルを頼む彼女がそう言った。

 

それだけならまだ心境の変化だろうと納得はできるが、その後恐ろしい程のペースで酒を飲み干しているのだ。

その証拠に、カウンターの向こうにはたった三時間でキキョウが空けた酒瓶が既に十二本転がっている。

 

 

 

しかも、酒を飲むときは機嫌がいい彼女が、今日は何やら荒れたように休む間もなく飲み続けている。

 

 

――いつもと全く違うキキョウの様子に、彼女の“いつも”を知るリンとバオが気にならない訳もなかった。

 

リンはキキョウの様を見兼ねて何回か声をかけたのだが、「今は一人で飲みたい」と言われてしまい、どうすることもできなかった。

やがて諦め、今は話しかけることもなく酔いつぶれた時のため傍にいるだけ。

 

 

 

「……それにしても本当初めて見たわ。この子がこうなってるの」

 

「張の旦那となんかあったんじゃねえか?」

 

「そうだったら大哥も少し機嫌が悪くなると思うわ。でも今日会った時はいつも通りだったし、また別のことかも」

 

「……なんかの予兆か? こりゃ」

 

「またこの店爆破されるんじゃない? この前のメイドの時みたいに」

 

「冗談でもやめてくれ」

 

男嫌いであるリンはバオともそこまで仲がいい訳ではないが、今は心配事があるせいか敵意を出すことなく言葉を交わす。

 

「……バオさん、もう少し強いお酒ないですか」

 

「おいおい、まだ飲むのか」

 

「まだ飲み足りないですよ……もう一本お願いします」

 

「……今日は本当腐ってんな」

 

キキョウの懇願するような声音に、バオは一瞬躊躇った後次に出す酒を選び始めた。

リンは一つため息を吐き、自身のグラスに口をつける。

 

瞬間、ポケットから携帯の着信音が鳴り響く。

眉を寄せ、盛大にため息を吐きバオへ声をかける。

 

「バオ、アタシちょっと席外すから。アタシが戻るまでこの子の事ちゃんと見てなさいね。じゃなきゃ殺すから」

 

リンはそう吐き捨て、バオからの返答を聞くことなく席を立ち人気の少ない位置へと歩み出した。

 

バオはカリカリと頭を掻き、キキョウの前に新しい酒を出す。

そのまま無言でグラスに注ぐ彼女を見ながら、呆れたように息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――バオさん、お手洗いお借りしますね」

 

「頼むから吐くなよ?」

 

「あ、アタシも」

 

開店から4時間。

まだキキョウは酒を飲み続けていた。

既に空けた酒瓶は二十を超えようかという本数になっている。

 

トイレに向かうキキョウの後を追うようにリンも席を立ち同じ方向へ向かう。

 

バオは誰もいなくなったカウンターを見やり、やがて空いた酒瓶を片そうと動く。

一人でこんなに空けた奴なんざいねえぞ。と心の中で呟きながら、かがんで複数の酒瓶を手にする。

 

途端、次第に店内の賑やかさが無くなっていく。

バオはそのことに素早く気づき、顔を上げ店内の様子を窺がった。

 

 

瞬間、客が大人しくなった原因を理解する。

バオは一瞬目を見開いたが、段々こちらへ近づいてくるその原因に平然とした声音で話しかける。

 

「珍しいな、アンタがここに来るなんて」

 

「なに、面白いもんが見れるって聞いたんでな」

 

声をかけられた相手――夜だというのにサングラスをかけ、漆黒のロングコートに身を包んだ男は口端を上げながらバオと言葉を交わす。

 

 

 

 

「それで、俺の可愛い洋裁屋はどこに行ったんだ」

 

 

 

 

張維新の言葉に、バオは一つ間を空けてから「……待っときゃ帰ってくるぜ」と一言だけ返す。

 

 

その答えを聞き、張は「そうか」と上機嫌に呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キキョウちゃん、大丈夫? トイレ長かったみたいだけど」

 

「吐いてないので大丈夫ですよ。お待たせしました」

 

「そう、それならいいけど……」

 

トイレに五分以上籠り、やっと出てきたキキョウをリンは心配と呆れが混じった表情で見やる。

短く言葉を交わした後、キキョウはそのまま自分の席に戻ろうと歩み始めた。まだ飲むつもりであろう彼女にリンはため息を吐きながら後ろをついて行く。

キキョウは次は何を飲もうかと、顔を洗ってほんの少しすっきりした頭で考えていた。

 

 

 

店内が見えてくる所に来ると、ふとキキョウの足が止まる。

 

 

同時に、カウンターから男の声音が飛んできた。

 

 

 

 

 

「お嬢さん、一人なら俺と一緒に飲まないか?」

 

 

 

 

気障な口調で上機嫌にそう声をかけたのは張だった。

ジャック・ダニエルが入ったグラスをゆらゆらと揺らし、サングラスの奥からキキョウを見据えている。

 

キキョウは驚いているのか張の声に反応せず足を止めたまま。

リンはキキョウの後ろで「ほんとにきた」と呟いていた。

ふと店内を見渡せば、張の護衛らしき三合会の人間がいくつかのテーブル席を埋めているのが目に入る。

 

そのおかげでここまで静かになっているのかとリンは一人納得した。

 

「キキョウ、そんなとこに突っ立ってないでこっちこい。男の一人酒は寂しくてな」

 

「……」

 

促すように張が再び声をかけるが、キキョウは一歩も動かない。

その様に張は口端を下げ、訝し気な表情を見せる。

 

「おい、キキョ」

 

「張さん! 張さんじゃないですか!」

 

 

張が名を呼ぼうとした瞬間、キキョウは大きな声を発した。

 

 

 

 

満面の笑みを浮かべながらとたとたと駆け寄ってくるその様は、まるで純真無垢な子供のよう。

 

 

 

 

キキョウのその様子に張だけでなくリンやバオ、テーブル席にいる三合会の組員までもが驚いた。

 

 

 

「珍しいですね、ここに来るなんて! いつもは自室で飲むのに!」

 

「……」

 

「あ、お隣いいですか? ぜひご一緒させてください!」

 

「……ああ」

 

普段のキキョウから想像できない様子に張は一瞬反応に戸惑った。

困惑している張の返答を聞き、キキョウは嬉しさを前面に出すように笑い、嬉々としてカウンターに座る。

 

リンもハッとしたように、静かに郭と彪、胡がいるテーブルへ向かう。

三人から「あれはなんだ」と聞かれたが「それはアタシも知りたい」と一蹴し、ただ張とキキョウの様子を見守ることにした。

 

「おいバオ、今日はずっとこの調子だったのか」

 

「いや、アンタが来るまでは腐ってたんだが……」

 

「ほう? ――なあキキョウ」

 

「なんですか?」

 

 

 

張はバオの言葉を聞き、ニヤリとした表情を浮かべる。

 

 

 

「俺が来てそんなに嬉しいのか?」

 

「はい!」

 

 

 

 

即答だった。

 

 

 

しかも、心から嬉しいと思っているような表情を浮かべている。

 

 

いつもなら冗談だと流す彼女がそう返すとは思わず一瞬目を見開いたが、間をおいて再び口の端を上げた。

 

 

 

「そうか……はっはっは! そうかそうか!」

 

 

張の顔からは困惑の色は消え失せ、代わりに高らかに笑った。

 

 

「俺もお前に会えて嬉しいぞ、キキョウ」

 

「ふふっ、そう言ってもらえて更に嬉しくなりました」

 

 

とても幸せそうに言われ、「はっ」と息を洩らし、キキョウの空いたグラスにジャックダニエルを注いでいく。

 

「乾杯」

「乾杯!」

 

 

 

お互い上機嫌にグラスをぶつけ、酒に口をつけていく。

酒を喉に通したキキョウがまたもや「ふふ」と笑みをこぼす。

 

 

「貴方と飲むお酒はいつも美味しいですね。今日は特に美味しいです」

 

「そりゃよかった」

 

「張さんはどうですか? 私と飲むお酒は美味しいですか」

 

「ああ、格別だ」

 

「よかった!」

 

 

 

満足そうに笑みを浮かべながら、キキョウは酒を呷っていく。

 

 

 

「ねえ、張さん」

 

「ん?」

 

 

やがてテーブルに肘をつき、張の顔を見据えながら声をかける。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、貴方の事好きですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唐突のキキョウの告白に、張を含め会話を聞いていた全員が目を見開いた。

何人かは飲んでいた酒を吹き出し、郭、彪、リンはあまりの出来事に固まっていたが、唯一胡は面白そうに「へえ、やるなあ」と呟いている。

 

 

張はキキョウの言葉にゆっくりとグラスを置き、真剣な声音を出す。

 

 

 

「……なんだと?」

 

「バラライカさんもリンさんも、レヴィやダッチさんも三合会の人も、街の人みんな大好きです」

 

「…………そうか」

 

キキョウのさっきの言葉は誰もが思っていたものとは違う意味を有していた事を知り、全員「そっちか」と内心でつっこんだ。

 

そんな事を知る由もなく、キキョウは話を続ける。

 

「私みたいに何も持ってない人間でも認めてくれて、普通に接してくれて……貴方がパトロンとなってから普通の洋裁屋として生きていけている。だから私、今とっても幸せなんです」

 

「……」

 

「でもね……私、この街にいちゃいけないんですって」

 

そう言った時の彼女の笑みには、どこか寂し気な色が滲んでいた。

張はただキキョウの話を黙って聞いている。

 

 

「アンタみたいな人間はこの街に似合わないって……この街から出ていけって言われちゃいました」

 

「……」

 

「だけど、どうしてそれを彼に言われなきゃいけないのかが分からないんです」

 

そこで張の顔からグラスに視線を向ける。

グラスを持っている手の力が、無意識に強まっていた。

 

「今まで平和に生きてきた奴がどうしてそんな上から目線で物を言ってきたのか。私のことをよく知りもしないくせに、少し過去に触れたからって全部知ったような気になって、私の幸せまでも決めつけて……よりにもよって、私が欲していたものを持っていた奴にあんなこと言われたのが、どうしようもなく苛立つんです」

 

そう言いながら徐にテーブルに突っ伏す。

頭を腕に乗せ、グラスに視線を注いだまま言葉を続ける。

 

「確かに私がここまで無事に生きてこれたのは運がよかっただけ。何かあればすぐ死ぬのは分かってる。でも、それでも日本じゃ手に入らなかった幸せを手放してまで生きようとは全く思わない」

 

「……」

 

「ねえ、張さん」

 

 

 

張の名を呼び、顔だけを彼の方へ向け寂し気な笑顔で投げかける。

 

 

 

 

 

「私、この街にいてもいいですよね?」

 

 

 

 

不安そうに放たれたその言葉を聞き、張は無表情でしばらくキキョウの顔をサングラス越しに見つめた。

やがて目線を外し、徐に酒に口をつけた後、彼女の短い問いかけに答えようと口を開く。

 

「この街はどんな悪党だろうと受け入れる悪徳の都だ。踏み入るも、出て行くも己の自由。お前がここにいたけりゃいりゃいい」

 

「……」

 

「だが、それを踏まえた上で敢えて言わせてもらうとすれば――」

 

こと、とグラスを置き、口の端を上げいつもの余裕そうな笑みを浮かべた。

 

「俺はお前の存在を認めている。俺に真っ向から歯向かったあの時から、ずっとな」

 

やがて、張は晒されているキキョウの頬へと手を伸ばす。

酒で火照った顔にもたらされた冷たい感触を心地よく感じながら、キキョウは再び満足そうに微笑んだ。

 

 

「よかったあ」

 

 

キキョウは安堵した声音で呟く。

張もまた機嫌がよさそうに微笑み、二人は柔らかな雰囲気に包まれた。

 

「もしお前がいなくなったら俺は寂しすぎて死んじまうかもなあ」

 

「嘘……バレバレですよ」

 

「はは。だが、お前がいないと本当につまらん。まだまだ俺を楽しませてくれよ、キキョウ」

 

「ふふ……ほんと、ご冗談がすき……ですよ、ね……」

 

言葉を交わしていくうちに、段々キキョウの瞼が落ちていく。

やがて完全に目を瞑り、次第に寝息が聞こえてくる。

 

幸せそうに微笑んでいる寝顔をしばらく眺め、やがて頬から手を離した。

 

二人の会話が終了したと判断し、リンは席を立ち張の元へ足を動かす。

穏やかに寝ているキキョウを一瞥し、間を空けて話しかける。

 

「お話は済みましたか?」

 

「ああ」

 

「随分楽しそうでしたね」

 

「羨ましいだろ?」

 

「ええ、アタシだってあんな笑顔見たことなかったのに。嫉妬で狂いそうですよ。……野暮な事聞くようですが、この子がこうなった理由とかお分かりに?」

 

「詳しくは知らんが、大方どっかの馬鹿に変なこと言われたんだろう。だが、まさかこいつがそれを気にするとはな」

 

「……」

 

「まあ、俺としちゃ面白い様を見れたから有難いがな。礼を言いたいくらいだ」

 

「調べますか?」

 

いつの間にか郭と彪も張の元へ移動し、淡々と彪が問う。

胡は別のテーブル席に移動し、他の三合会の組員と何やら話をしている。

 

「いや、探る必要はないだろう。大体予想はついてる」

 

「消しますか?」

 

今度は郭が物騒な問いを投げかけた。

張は「はっ」と笑い、グラスをゆらゆらと揺らす。

 

「俺がそんな物騒な男に見えるか? んな手荒な真似はしねえさ」

 

三合会(うち)で一番おっかないのはアンタでしょうに。

とリンと彪は同時に心の中で呟いた。

 

張はグラスの中の酒を飲み干し、カウンターから腰を上げる。

 

「バオ、こいつの飲み代はうちに請求書送っとけ。どのみちこれじゃお代貰えねえだろ」

 

「ああ」

 

「で、一体どんだけ飲んだんだ。こいつが酔っぱらうってなると相当だろう」

 

「一人で二十本近く空けやがった。店の酒飲みつくされるかと思ったぜ」

 

「……やれやれ」

 

 

半分本気で言ったバオの言葉に張は苦笑を浮かべ、すやすやと寝ているキキョウを見やる。

 

 

「ほら、キキョウ。出るぞ」

 

「……」

 

「キキョウ」

 

「……ん……」

 

張の声掛けにゆっくりと顔を上げるが、目は閉じたまま。

このまま再び寝てしまいそうなキキョウの腕を掴み引っ張る。

 

「ほら」

 

「ん……」

 

脱力したままの体を椅子から落ちないよう上手く支える。

そのまま流れるように横抱きにし、キキョウの体を持ち上げた。

 

「バオ、世話になったな」

 

「ああ」

 

最後にそう言い残し、張はキキョウを抱きかかえたまま足を動かす。

張の腕の中でも、キキョウは幸せそうに寝息を立てている。

 

いつもより酒の匂いを纏わせている女の顔にフッ、と小さく笑みを漏らした。

 

颯爽と歩いていく張の後ろを郭と彪、リン、胡、その他三合会の組員がついて行く。

彼らがやがて店をでると、静かだった店内に再び騒がしさが戻る。

 

 

 

 

――その日のイエローフラッグでは、やはり張とキキョウの話で持ちきりとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キキョウさんと話をし、俺は家に帰った後ベッドに腰かけひたすらビールを呷っていた。

 

 

勢いよく酒を飲みほしていく中、先程彼女から言われた言葉が何回も頭の中に響いていた。

 

『ただ正義漢ぶって何もできない君にだけは、幸せだのなんだの言われたくないよ』

『彼に殺されようと、切り捨てられようと後悔しない』

 

自分は彼女にとってあまり価値のない人間だ。

口だけ達者では何もできないのも分かってる。

 

だが、それを自覚しても尚、彼女の言葉に対して言い表せない程の“何か”を感じていた。

怒りのような、悔しさのような何か。

嫌でも頭の中に残っている言葉を繰り返されるたび、単純ではないそれが徐々に膨れ上がってしまう。

 

 

あのマフィアは貴女を簡単に切り捨てる。

 

必要とあらば殺すだろう。

 

なのに、どうしてマフィアにそこまで入れ込んでいる。

 

あんなマフィアの傍にいたって、無残に死んでしまうだけかもしれないのに何故そこまで。

 

 

 

――俺なら、貴女をそんな簡単に見捨てないのに。

 

 

どうしたら、彼女の中で俺の存在は大きくなるんだ。

 

そう思いながら、思考を巡らす。

 

 

彼にあって俺にはないもの。

 

この街での権力。

金。

武力。

人を人と思わない冷徹さ。

 

 

……確かに、冷静に考えてみれば俺と張さんじゃ比べる間もなく何もかもが違いすぎる。

 

圧倒的に俺には“力”がない。

誰かを動かすことができるほどの力が。

 

なら、俺はこの街で何ができる。

武力を持っていない俺にできること。

 

煙草に火を点け、煙を肺一杯にいれ吐き出しながら考える。

 

思えば、彼女はまだ俺を日本で平和に暮らしてきたサラリーマンとして扱っている節がある。

未だ俺を“岡島”と呼ぶのはそのせいだろう。

 

 

 

――なら、もし“ロック”として認められたら。

日本の元サラリーマンではなく、悪徳の都の住民として認められたら、彼女の中で俺の存在価値は少なからず変わるかもしれない。

 

 

 

そう考えると、胸の内に燻っていた何かが少し落ち着いた。

一つため息を吐き、再び缶ビールを勢いよく呷った。

 












◇翌日
「すみませんでした」
「お前がまさかあそこまで酔うとはな」
「本当にすみません、まさか自分でもああなるとは……あんなに酔っぱらったのは初めてで……」
「いやあ。子供みたいに無邪気に笑いながら駆け寄ってきた時なんか、思わず抱きしめちまいそうだった」
「一生のお願いです、どうか忘れ」
「断る」
「そんな即答しなくても……」
「ははっ。――で、お前をあんなに酔わせた悪い男はどこのどいつだ?」
「……覚えてないです」
「嘘が下手だな」
「…………嘘じゃないです」
「はっ、まあ今はそういうことにしといてやろう」

――――――――――――――――――――――――――――




あの後、張さんの部屋で一緒に寝て、翌日起きたキキョウが二日酔いの頭痛に悩まされながらもベッドの上で謝る。
それをニヤニヤと愉しそうに聞いている張さんとの会話です。

キキョウさんは酔っぱらうと子供っぽくなります。
ただ、記憶は残るので酔いが醒めた時に「うわああああ」ってなるタイプです。
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