イエローフラッグで浴びるように酒を飲んでから二日。
あの日以降、特に何事もなく比較的いつも通りの日常を送っている。
あの時は岡島との会話のせいであまりいい気分ではなかった。
普段は少し嫌な事があっても酒があれば大抵気が紛れる。
だからいつものように酒で気分を上げようと飲んでいたのだが、自分が思った以上に参っていたらしく大量の酒をとんでもないペースで飲み干してしまい、いつの間にか相当酔っていた。
どんなに飲んでも気分が晴れず少しイライラしていた時に、張さんの姿を見て思わず気が緩んだ。
そのせいか、あんな醜態を晒してしまった……。
よりにもよって、あの張さんにだ。
案の定張さんはもちろん、あの場にいた三合会の人やリンさん、バオさんまでからかわれる始末。
全員が「珍しいものを見た」と面白そうに言うものだから私としては堪ったものじゃない。
もう二度とあんなに酒は飲まないと固く誓った。
はあ、と一つため息を吐き、今日も今日とて依頼がないので暇つぶしに刺繍をする。
ただひたすら無言で手を動かし続け、水を飲もうと立ち上がったその時だった。
玄関のドアからコンコンコンと来客を告げるノックが響く。
依頼なのかまだ分からないので、いつものように声がかかるのを待つ。
「あの、洋裁屋さんはいますか? その……服を頼みたくて」
飛んできたのは少し高めの男の子の声。
たまに女の子が来ることはあるが、男の子が態々私のところまで服を依頼しに来るのは滅多にない。
珍しいな、と思いながら足を動かし、ドアノブへ手をかける。
そのままドアを開ければ、目の前には短い黒髪に褐色の肌をしている少年が立っていた。
身長は私の胸あたりまである。背格好からして十二、三歳といったところか。
彼の顔はまだ大人になる前だからか少し丸顔で可愛らしい顔立ちだ。
その上、今は緊張した面持ちをしていて更に可愛らしく思えてしまい、思わず口の端が上がった。
これ以上緊張させないよう、できるだけ柔らかい声音で話しかける。
「こんにちは」
「……こんにちは」
短く返された挨拶に笑みを零しながら話を続ける。
「よく来たね。ぜひ君の依頼を引き受けたいんだけど、その前に一つだけ確認」
「何ですか?」
「お金はある? または何かお金の代わりになるものとか」
失礼な質問かもしれないが、子供が依頼に来るときはできるだけ聞くようにしている。
過去に何度か子供がお金も代わりになる物もない状態で依頼しに来ることがあったためだ。
それでも子供の方は中々諦められず、押し問答を続けるというのがいつもの流れになる。
この子はどうなんだろうかと考えていると、少年は少し間を空けて微笑んだ。
「噂通りだ。本当にあの時から変わってない」
「……え?」
「今でも誰かとの約束、守ってるんだね。すごいや」
「えっと……」
「僕の事覚えてない?」
先程までの緊張した顔はどこへやら、今はニコニコとどこか嬉しそうな表情を浮かべている。
その少年の顔を見ながら、必死に過去の記憶を探る。
この歳の少年が依頼に来たことはない。少し前ならばもっと背も小さかったはずだろう。
ここへ来た依頼人の中で褐色の肌に黒髪の男の子がいたかどうか思い返すが、中々記憶から出てきてくれない。
しばらく唸っていると、少年は笑顔を崩さず再び口を開く。
「僕とアナタが初めて会ったのは――アナタが洋裁屋を本格的に営み始めた少し後」
「……大分前だね」
「うん。あの時、どうしても服が欲しかったけどお金も何も出せなくて困ってた僕に、採寸する代わりにアナタはあるものをくれた。それがこれ」
少年はそう言って、ズボンのポケットから何かを出した。
出てきたのは、白い布に青いバラが刺繍されたもの。
布の隅には、私が作ったものの証であるあのマークもある。
少年の手にあるそれを見て、一瞬で記憶が呼び起こされる。
張さんに初めてロングコートとスーツ一式を仕立て上げたしばらくした時。
私が仕立てたその服を見た男の子が「あの人が着てた服がほしい」と言ってきたことがあった。
その子はこの街で生まれ育った子供で、黒髪に褐色の肌だった。
子供故に何も出せなかったその男の子の押しに負けて、子供のサイズを計らせてもらう代わりにあるものを渡した。
――それが、今目の前にある青いバラが刺繍された布。
これをこの子が持っているということは、つまり
「……君、あの時の」
「久しぶり、お姉さん!」
思い出した私の様子を見て、洋裁屋として名を広めるきっかけとなった男の子は満面の笑みを浮かべた。
そしてすぐさま、布に刺繍された青いバラを見ながら話を続ける。
「あの時は金の稼ぎ方も、大人と交渉する時には金が多少必要な事も分かってなかった。だからあんな我儘を言っちゃったんだ」
「……」
「あれからもね、正直言うと盗みもいっぱいやった。生きていくのに必死で、綺麗ごとなんて言ってられなかった。でもね、このバラを見てそういうお金じゃきっとお姉さんは受け取ってくれないかもって思って……新聞配達とか、酒場の雑用とかできるだけ汚れてない仕事を見つけて、なんとかお金を作れるようになったんだ」
少年はぎゅ、と布を握りしめた。どこか真剣な声音を滲ませて話す彼を見つめ、ただ黙って耳を傾ける。
「きっといつか、もう一回ちゃんと依頼しようって決めてたんだ」
そう言って男の子は私の目を真っすぐ見つめてきた。
少し青みがかった瞳は、陽の光が入って綺麗だと思わせる。
「お金はある。これで作れる分だけでいい。僕に服を仕立ててください!」
意気揚々と告げられた言葉と共に恐らく金が入っているであろう封筒を差し出される。
黙ってその封筒を受け取り、中身を確認する。
中には六千バーツ。正直オーダーメイドを作るには少ない額だ。
だが、前とは違い必死に貯めたお金を差し出し、尚且つ作れる分だけでいいと言ってきた。
この年頃はもっと違うことに金を使いたいはずなのに、私の依頼料に充てようとしている。
参ったな、と頭を掻き、息を洩らす。
ここまで言われてしまったら、断れる訳がない。
口の端を上げ、再び緊張した顔をしている少年を見据え口を開く。
「とりあえず、中に入って。どんなものがいいかとか、色々話すこともあるから」
私の言葉に少年は顔を輝かせ「うん!」と年相応の笑顔を再び見せた。
「――大きくなったね。前と全然サイズが違う」
「前って、もう五年前だよ? そりゃ少しは成長するよ」
「あの時は私の腰まで位しかなかったのに。男の子はやっぱり成長が早いのかな」
「いや、普通だと思うけど」
和気あいあいと話しながら彼を採寸し、やはり以前計ったサイズとは明らかに違うことに時が経つのは早いものだと実感する。
「ルカ、あの布まだ持ってたんだね。正直びっくりしたよ」
「だって、あれは僕の宝物だもん。何回か盗られかけたり売ってくれって言われたこともあったけど、絶対手放したくなかった」
「そっか。ありがとね、大事にしてくれて」
「えへへ」
素直にお礼を言うと、少年――ルカは照れたように笑った。
そうこうしている間に採寸も終わり、自身も口の端を上げながら本題を切り出す。
「それで、どんな服が欲しいの?」
「なんでもいいよ」
なんとアバウトな希望だろう。それだけでは流石に作れないので、彼から何かを引き出さなければ。
少し苦笑しながらルカを見つめ言葉をかける。
「もうちょっと具体的に教えてほしいかな。例えば……」
そう言いながら棚にある一冊のファッション雑誌を手に取り、ページをめくりながら彼に見せる。
「ルカの背格好だとスーツみたいにきっちりしたものは浮いちゃうから、少しゆったりとしたものが似合うかも。あ、これとかゆったりだけど男の子らしいかっこよさは出てくるよ」
「うーん……いっぱいあってよく分かんないや」
雑誌にある一つの服を指さしながら説明してみたのだが、少し難しいらしい。
どうしたものかと頭を悩ませていると、「あのね」とルカから話しかけられる。
「僕、キキョウさんが作ってくれた服なら本当に何でもいいよ」
「え?」
「きっとキキョウさんが作ってくれた服なら満足する。皆“キキョウの服にハズレはない”って言ってるし。それに僕はキキョウさんに服を作ってもらえるなら何でもいいんだ」
「でも、折角貯めたお金を使うなら自分が求める服を頼んだ方がいいと思うよ」
「キキョウさんが僕の為に作った服が欲しいんだ。ダメ、かな?」
さっき話とこの言い分からして、ちゃんと依頼したいという考えだけで数年頑張ってきてくれたのだろう。
そのせいか、どんな服がいいのかという拘りも本当に持ってないようだ。
まあ、正直今までも似たような依頼は何回も受けたことはある。
「自分に似合う服が欲しい」と言われたときは、私なりに考えて仕立てている。
今回もそっちで進めた方が話が早いだろう。
「そこまで言ってくれるなら折れるしかないね。ひとまず、渡してくれた予算内で君に似合う服を作る。今回はこれでいいかな?」
「うん!」
ルカは満面の笑みを浮かべ元気のいい返事をする。
その顔を見て、自身も釣られて口の端が上がった。
すると少し間を空けて、ルカが何やら言いにくそうに「あのね」と再び口を開く。
「その、もし出来たらでいいんだけど……」
「なに?」
言葉に詰まった彼を見ていると、やがてもじもじと恥ずかしそうにしながら言葉の続きを告げた。
「服が出来上がるまでの仕事ぶりを見てみたいんだ」
「……服作りに興味あるの?」
「うん。街でキキョウさんが作った服を何度か見かけたことあって、本当に色んな服を作るんだなって。どんな服でも着てる人たちがすごい嬉しそうにしてて、文句を言う人なんて誰もいなかった。皆が満足するものを作れるのが、とてもすごいなって思ったんだ」
「……」
「そんな服をどうやって作ってるんだろうって、知りたくなったんだ。勿論仕事の邪魔はしない。傍で見せてくれるだけでいいんだ」
「……面白くもなんともないよ。ただ黙って作業してるだけだし」
「それでもいい」
これはどうしたものか。
別に見られて困るものはない。
だが、正直一人で仕事に集中したいのが本音だ。
邪魔しないとは言うが、傍にいるだけで気が散るかもしれない。
それで彼の依頼が遅れるのは避けたいが……。
ふとルカの方を見ると、真剣な表情を浮かべそわそわと私の返答を待っている。
しばらく考え、小さく息を吐いた後意を決して彼に言葉を投げる。
「そこまで言うならいいよ。でも、一回でも仕事の邪魔をしたら二度と見せないからね」
「分かった!」
ルカは先程と同じように元気な返事をした。
まあ、一度見て飽きたらそれでも良し。
それに、彼一人がいるだけで切れる集中力ならないも同じだろう。
自分の修行だと思えばいい。
そう考えながら、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべているルカに釣られ、再び笑みがこぼれた。
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「――じゃあ、そういうことで。頼りにしてるぞ、ダッチ?」
「ああ。金はきっちり入れといてくれよ、旦那」
「いつもの口座に、だろ。分かってるよ」
キキョウが依頼に来た少年、ルカと話をしている同時刻。
ラグーン商会事務所には商会のメンバー四人。そして彼らに仕事の依頼のため、張維新が部下達と共にやって来ていた。
机の上に足を乗せ優雅に寛ぎながら張は吸い終わった煙草を灰皿へ押し付け、新しい煙草を取り出せばそこへすかさず彪が火を点ける。
煙を吐き出し、サングラスの奥に隠れた瞳を自身を見つめているロックへ向けた後、やがて徐に話を切り出す。
「そういや、この前ちと面白いもんを目にしてな」
「面白いもん?」
「旦那がそう言うってことは鉄火場での話か?」
「最近そういうのは部下たちに任せてるんでな。もっと平和な話だよ」
「この街でそんな話があるとは驚きだな」
「俺にとっては、という前置きがつくがな」
唐突に切り出された話題に驚くことなく、ダッチとレヴィはそれぞれ思ったことを口にした。
ベニーとロックは黙ったまま目の前で繰り広げられる話に耳を傾ける。
「一昨日、キキョウがイエローフラッグで酔い潰れてな。聞きつけた俺が介抱してやったんだが、まさかあんなアイツを見れるとは思ってなかった」
「……噂は聞いてたが、まさか本当だったとはな」
「旦那、アイツが酔うなんて相当じゃねえか? アタシは一回も見たことねえぞ」
「そう、どんなに飲んでも酔わねえ。あのバラライカでさえ感嘆するほどの酒豪がだ。そんなヤツが酔っぱらうとなりゃ羽目を外したか、何か気に食わねえことがあったかのどっちかだ」
再び煙草に口をつける。
ゆっくりと煙を吐く様をロックは拳に少し力を入れながら見ていた。
「なんでも、どっかの馬鹿に変な事を言われたらしい」
「……変な事?」
「この街から出ていけ、だとよ。酔っぱらいの言う事だからどこまで本当か知らねえが……まあ、どこぞの馬鹿のおかげで俺は楽しいひと時を過ごせた。そこに関しちゃ感謝だな」
瞬間、ニヤリと張の口元が愉しそうに歪む。
「いやあ、本当に愉快だった。アイツ俺を見た途端満面の笑みで駆け寄ってきてなあ。終いにゃ“大好き”なんて言われたぞ。なりふり構わず抱きしめちまうところだった」
「……そりゃ何かの冗談だろ、張の旦那」
「冗談じゃねえさ。なあ郭?」
「まあ、そうですね」
「おいおい、カクはアンタの忠犬だろ。言われるがまま頷いてるだけじゃねえの?」
「どう言おうと勝手だが、大哥の言葉に嘘はない」
ベニーとレヴィは張の話に信じられないと言った表情を浮かべている。
そんな二人を目の端に、ダッチは無表情で思考を巡らしていた。
無駄話が嫌いであるはずの張が、こうして世間話をするのには何か理由があるのではないか。
キキョウについて自慢したいだけならそれまで。
だが目の前にいる男は“そんなこと”で時間を潰すような人間ではないことをダッチはよく理解していた。
理解しているからこそ気がかりだった。
そんな中、ただ一人ロックだけは少し眉根を寄せている。
彼なりに隠しているつもりだったが、その不機嫌さは張へ向けている視線でダダ漏れであった。
張は足を組み替え、はああと煙を再び吐きながら話を続ける。
「あん時のアイツはいつも以上に素直でいいもんだった。だが、俺としちゃ少しばかり気がかりでな」
「……」
「気にかけてる女に妙なちょっかいかけられたってのは正直面白くねえ。――お前もそう思うだろ、ロック?」
「……えっ」
自分に話しかけられるとは思わず、一足遅れて反応する。
声をかけられたことにより、その場の視線は全てロックへと向けられた。
「お前はアイツとよく話すっていうじゃねえか。普段世話になってるキキョウにちょっかいかけられるのはお前だって嫌だろう」
「……ええ、まあそうですね」
「いくらキキョウがこの街にいることに理解できないとしても、無理矢理追い出すのはお門違いだよなあ? 例えそこにどんな思いがあったとしても、だ」
意味深な言葉を並べる張に、ロックは訝し気な表情を見せる。
“この男は一体何が言いたいのだろうか”と。
その心中を知ってか知らずか、張は平然と言葉を続ける。
「そう、例えば――男のクソつまらねえ嫉妬、とかな」
淡々と放たれるのと同時にサングラスの奥から鋭い視線を向けられる。
瞬間、部屋全体の空気が張り詰めたものへ変わったのを誰もが肌で感じ取った。
特に、ロックは目を見開きながら息がつまるような感覚に陥る。
背中には冷や汗が滲み、自然と拳を握る力が強まっていく。
「だが、さっきも言った通り俺は良い思いをしたんでな。別にその馬鹿野郎がどこのなんであれ今回は手を出さねえさ」
「……あんたにしちゃ寛大だな。てっきりさっさと殺すもんだと思ってたぜ。特にキキョウはあんたの“大のお気に入り”だからな」
張は机から足を下ろし、いつも通りの軽快な声音へと戻る。
しばらく静観を決め込んでいたダッチが、少し声音に固さを帯びつつも言葉を返す。
「おいおい、どいつもこいつも俺をとんだ野蛮人だと勘違いしているらしい」
「あんたの今までの行動を見りゃ誰だってそう思うぜ」
「はっ。まあ、またちょっかいかけられちまったらそん時はどうなるか分かんねえなあ。うっかり手を滑らせて銃の
口の端を上げながら放たれた言葉をこの場で冗談と受け取る者は誰一人いなかった。
“次はない”
張の言葉にその意味が込められていることはロックでさえ容易に理解できた。
そして、それが自分に向けられていることも。
張は煙を吐きながら短くなった煙草を「さて」と呟きながら灰皿へと押し付けた。
「長々と邪魔したな。じゃ、仕事の方頼んだぞ」
「おう。旦那、キキョウによろしく伝えといてくれ」
「ああ」
ダッチとそう言葉を交わし、ロングコートの裾を颯爽と翻す。
数名の部下と共に部屋を去り、残されたのはラグーン商会のメンバーとどこか重苦しい空気。
誰も言葉を発さない中、しばらくした後ダッチはポケットから煙草を取り出し口に咥える。
火を点け、煙を吸った後「はあ」とため息とともに吐き出す。
そして、まだ吸える部分が半分以上残っている吸い殻を勢いよく灰皿へと押し付け、立ち上がる。
「おいロック」
たった一言呟かれてしばらく後、部屋中に大きな音が響き渡った。
――それから数日間、ロックは顔に大きな痣を負いながら街を歩くこととなった。
=張さんが帰った後のダッチとロックの会話=
「俺は言ったはずだ。アイツだけは止めとけってな」
「……別に、俺は」
「アイツは地雷なんだ。やらかせばお前だけじゃなく俺達まで地の果てまで吹っ飛ぶことになる」
「……」
「お前が何を話したかはこの際どうでもいい。今俺達は張の気まぐれで生かされていたに過ぎねえ。それをよく噛みしめろ」
「……」
「今の一発で済ませてやる。これに懲りたら二度と突っ走んじゃねえ」
「……」
「お前がキキョウと会う時は必ず俺達の誰かをつける。議論はなしだ」
「…………ああ」
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新キャラ登場です。
果たしてルカ君はキキョウにどんな影響を与えるのか……。
P.S
短編の方にもお話を投稿しました。よろしければ見ていただけると嬉しいです。