――街灯ひとつない狭い路地裏。
そこには、ラグーン商会が所有している車が静かに停まっていた。
車の中では、後部座席に座っているエダがレヴィとロックに話している。
彼女の話が終わり、レヴィは呆れたような顔を浮かべた。
「あほらし、んなもんに誰がノるってんだ」
「いいんだよ、これくらい分かりやすい方が」
「自信たっぷり言うもんだからなんだと思えば下らねえこと言いやがって。やっぱ付き合うんじゃなかった」
「うるさいねえ、これが上手く行きゃ一攫千金。百万ドルが手に入る折角のチャンスだ。やってみる価値は十分あるだろ?」
「そう簡単にいくかよ」
はあ、とため息を吐きレヴィは煙草を取り出し火を点けた。
エダはそんなレヴィに「けっ」と吐き捨て眉根を寄せた後、今度は黙っているロックへ声をかける。
「ロック、アンタはどうよ。この話乗ってくれるよな? なんたって大金が手に入るんだからよ」
「……金はどうでもいいよ」
「おいおいノリが悪いなあ。賭けてみてもいいんじゃねえの?」
「だから、んなもん誰も」
「勝算はあるのか?」
「あ?」
「この賭けに勝てる勝算だよ。そこまで言うってことは、何かあるんだろエダ」
「ロック、お前何言い出すんだ」
「……いいねえ、ノッて来たじゃないの色男」
ロックの問いにレヴィは戸惑ったような声を出す。
エダは彼の態度にほんの少し違和感を感じながらも、ニヤリと口元を歪め前に身を乗り出す。
「今まで七回試して四回上手くいった。確率は今のとこ半々だが、あのインド女は恐ろしく察しが悪い。なら、確実にこっちの誘導に乗ってくる」
「彼女がここに来るまで殺されない確率は?」
「そこはアイツの逃げ足の速さにかかってる。まあ、そこで殺されたらそこまでだ」
「……あまり、分は良くないな」
「だけど、賭ける価値はある」
「おいロック、まさかこんな話に乗るつもりじゃねえだろうな?」
レヴィが訝し気に眉根を寄せ問いかける。
ロックはそんなレヴィを一瞥し、一つ間を空けて再び口を開く。
「エダ、これは正式にウチへの依頼ってことでいいんだよな」
「ああ。金も即金で出す」
「だってさレヴィ。依頼なら断る理由はないんじゃないか?」
「…………」
微かに口端を上げレヴィへと投げかける。
ロックの表情を目にし、レヴィは「はあああ」と盛大なため息を吐いた。
「ヤキが回ったなお前。どういう風の吹き回しだ」
「別に? ただやってみる価値はあるって思っただけだよ」
「あの話をどう聞いたらそう思うんだ」
「そう来なくちゃ。流石色男」
エダはロックの言葉に更に口端を上げる。
だが胸の内では「まさかこいつがノッてくるとはね」とロックに対し猜疑心にも似たものを抱いていた。
彼女の中でのロックという男は、撃ち合いを嫌い、この街に来て一年しか経っておらず未だ平和ボケが抜けていない人間。
決して、こんな賭け事を自ら好んでやるような男ではなかった。
だが確かに今、ロックはどこか楽しんでるような表情を見せ自分の誘いに乗った。
一体、彼の中で何があったのか。
エダはロックの顔を少しの間見据え、「まあ、どうでもいいか」と、カモが来るであろう方向へ笑みを浮かべたまま視線を向けた。
――――――――――――――――――――――――――――
――イエローフラッグにかかってきた電話に応じて数十分。
電話の相手から急に呼び出されたので、イエローフラッグでの一人酒をやめ、とある場所へ向かっている。
もう夜なので路地裏は避け、多くの明かりで照らされている大通りを進む。
相手から迎えに行こうかと言われたが、そんなことはさせられないため一人で街を歩いている。
そうして明るい道をしばらく歩いて行けば、やがて目的地へと辿り着いた。
何十階とあるビルの中へと進み、すれ違う顔見知りの人たちと挨拶を交わしていく。
奥にあるエレベーターへ乗り、最上階のボタンを押す。
何十秒後には最上階へ着き、見慣れた綺麗で広い廊下を進んでいく。
やがて一つの部屋の前に立ち、シースルーの上着を少し整えてからドアをノックする。
「キキョウです、お待たせしました」
「入れ」
「失礼します」
聞こえてきた言葉に、ドアノブに手をかけ開ける。
――見慣れた社長室の奥には、高級椅子に腰かけている彼の姿があった。
「よう」
「わざわざイエローフラッグに電話しなくてもよかったんじゃないですか? 何事かと思いましたよ」
「携帯にかけても出ねえからだ。外出るなら持ち歩けと言っただろう」
「すみません、あまり外に出ないので……癖付けようとは思ってるんですが」
「おいおい、少しは危機感ってのを持ってくれないか?」
「……善処します」
「全く。ま、説教はこれくらいにしておこうか。時間が勿体ねえ」
上機嫌な声音で彼――張さんはそう言った。
イエローフラッグで彼の名前が出た時、本当に何事かと少し緊張したのだが、電話をかけてきた理由が“一杯の誘い”だと知り拍子抜けした。
まさかたったそれだけの理由で彼がわざわざイエローフラッグに電話してくるとはこの街の誰も思わないだろう。
道中、本当に酒の誘いだろうかと疑ったが、彼の様子だとどうやら他に用事もなさそうだ。
こっちに来い、と手招く張さんの誘導に素直に従い足を動かす。
かけていたサングラスをデスクの上に置いた後、彼は席を立った。
「そういえば、今日はちと違う格好だな」
「……たまには変えてみるのもいいかと思いまして。おかしいですか?」
「いや、白も映えていいと思っただけさ」
「…………汚れが目立つのであまり着たくないんですけどね」
少し垂れ気味の目を見据えながら言葉を交わす。
彼は機嫌がよさそうに「そりゃ残念」と呟いた。
「――あれから馬鹿な野郎にちょっかいかけられてねえか?」
「ええ。顔も合わせてません」
「お前がそこまでなるとは相当だな。やっぱ消しとくべきだったか」
「これは彼と私の問題なので、貴方がわざわざ動く必要はありませんよ。まあ、そうは言っても貴方は動くつもりはないでしょうが」
「お前のためなら男の一人や二人喜んで殺してやるさ」
「……相変わらず冗談がお好きですね」
「冗談じゃねえさ」
社長室の奥にあるプライベートルームへ移動し、いつものように大きめのソファで張さんと酒を飲む。
空いた彼のグラスに酒を注ぎながら、物騒な冗談を聞き流す。
この部屋に来るのは、この前酔っぱらった時以来だ。
あの時はただ寝て一夜を過ごしただけだったが、最近は酒を飲んだ後流されるように彼のベッドで一夜を過ごすようになった。
今夜も彼にその気があるのかは知らないが、私はあくまでも酒の誘いに乗っただけなので期待はしない。
――だけどもし……もし万が一にも“そうなる”のであれば、その時は抵抗する気もない。
そうなる可能性も踏まえてこの部屋に来たのだ。
だが未だあの行為は慣れておらず、意識するとどうしていいか分からなくなってしまう。
張さんにそのことを悟られたくなくて、この部屋に来てもできるだけ意識しないようにしている。
「何考え事してるんだ」
「……いえ、特に何も」
「ほう。この部屋に来て何も考えてないと? ――俺の部屋に来ておきながら、そんなこと言うのか」
目線を逸らし返答すると、彼は徐にグラスを置いた。
やがて、グラスを持っていた手を私の左頬へと伸ばす。
グラスの冷たさが残っているその手の感触に、思わず肩が震える。
そのまま半ば強引に顔を彼の方へ向かされ、黒い瞳と視線が交差する。
「入れ込んでる女と久々に二人きりになって喜んでる男を前にそんな悲しい事言うとは、冷てえじゃねえかキキョウ」
「久々って……前会った時から一か月も経ってないじゃないですか」
「一日二日会えないだけで干からびそうなんだぜ、俺は」
「言っている意味が分かりません」
今まで一か月以上会わないことの方が多かった。
だというのに、何故こんなこと言っているのか理解できない。
「俺はやっと手に入れたお前を毎日抱きたいって考えてんだ。そんな男にとって一か月近く我慢するのは拷問に近い」
「なっ……なに、言ってるんですか」
急に何を言い出すんだこの人は。
いきなり恥ずかしいことを言われ、反応に困ってしまう。
思わず頬に触れている彼の手から逃れ、思い切り顔を逸らす。
羞恥のせいか、心臓の音が脳まで響く。
「この部屋で初めて抱いたあの時から、無理矢理にでも俺の傍に縛ってもよかった。だが、それを必死に我慢し今まで通り自由にさせているんだ」
「…………」
「なあキキョウ」
心臓の鼓動を聞きながら彼の言葉に耳を傾ける。
私の名を呼ぶと、張さんは再び頬へ手を伸ばし顔を耳元へ近づけた。
「ちゃんといい子で我慢できた俺に褒美をくれよ」
「ッ……!」
低い声音が耳から全身に伝わる。
脳裏に響く甘い囁きに、背骨に電流が走ったような感覚が巡った。
同時に彼が“その気”なのだと理解し、慌てて言葉を口にする。
「ちょ、ちょっと待ってくださ」
「待てない」
「ん……ッ」
短く呟かれた後、彼の唇が耳へ触れた。
そのまま肩を掴まれ、後ろへ倒される。
――その時、右腕から急に痛みが走った。
「いった……!」
唐突の痛みに思わず呻き、右腕を抑える。
押し倒された衝撃で、先程負った火傷痕が痛んだのだと理解する。
そんな事を知りもしない張さんは、顔を上げ訝し気な表情を露にした。
「どうした」
「……すみません、少し右腕が」
「見せろ」
「え? ……ちょっと、張さん!?」
一言そう言うと、張さんは私の上着を掴み肩から無理矢理ずらす。
その行動があまりにも早すぎて抵抗する間もなく巻かれている包帯が晒される。
張さんは包帯を見た途端、眉根を寄せ低い声音を出す。
「何故言わなかった」
「えっ……」
「何の傷だ」
「えっと、銃弾が掠って」
「誰にやられた」
「あ、あの」
「相手の顔は覚えてるか? 特徴は?」
「あの、ちょっと待って下さ」
「これは医者に診てもらったのか?」
「い、いえまだ……」
答える間もなく次々に飛んで来る彼の言葉に戸惑ってしまう。
最後の問いに答えると、張さんは眉根を寄せたまま起き上がる。
そのままテーブルの上にある携帯を手に取ると、番号を押し始めた。
慌てて起き上がり、戸惑ったまま彼に声をかける。
「張さん、一体何を」
「リンを呼ぶ。今すぐアイツに診てもらえ」
「えっ……そんな、大丈夫ですよ。ぶつけたりしなければ痛くないですし……現に今の今まで忘れてたくらいなので」
「放置すると酷くなることもある」
「で、でも応急処置はしてもらったので」
「素人にだろ。いいから黙っとけ」
最後にそう言うと、本当にリンさんへかけ始めた。
彼女は二つ返事で了承したらしくあっという間に話が終わり、急遽リンさんがこちらへ来ることになった。
電話を終えた後、張さんは携帯を置き、こちらを見て眉根を下げる。
「全くお前は……怪我してるならそう言え」
「別に動かせますし、わざわざ言う必要ないと思ったんです」
本当に忘れていたというのもあるが。
私の言葉に、彼は眉間を押さえ「はああ」と盛大なため息を吐いた。
「お前な……商売道具をそう蔑ろにするな。使い物にならなくなったら困るのはお前だぞ」
「ですが今は大丈夫ですし」
「今回は運がよかっただけだ。こういうことがあったら次からすぐリンに診てもらえ」
「しかし……」
「分かったな?」
彼の有無を言わせない声音に言葉が出ず、ただ「……はい」と返事することしかできなかった。
――――――――――――――――――――――――――――
「――ったく、好き放題やりやがって。後処理にどんだけ手間がかかると思ってんだ」
とあるモーテルの一室。
その部屋の前で呟いたのは、黄金夜会に名を連ねていないマフィア組織に身を置いている男。現在ラグーン商会の客となったジェーンを連れ戻すため殺し屋たちに声をかけていたロボスである。
ロボスは自身の顔についた血を拭きながら、ため息を吐いた。
「まあ、中国人やロシア人共と戦争になるよりかマシ」
「中国人がどうしたって?」
「うおっ!」
「
気配もなく現れた男にロボスは思わず拭っていたハンカチを落とす。
男はそのハンカチを拾い、汚れを落とすようにはたきつつ軽口を投げる。
口端は上がっていても目は一切笑っていない男を前に、ロボスはできるだけ冷静に言葉を返す。
「アンタらと戦争する気も武力もウチにはないさ。寧ろ、起こしかねなかった馬鹿を今始末したところでね」
「へえ、そりゃよかった」
「ところで、三合会の拷問人のアンタが一体何の用だ。今から後処理しねえといけねえんだが」
差し出されたハンカチを受けとりながら、三合会の組員――
胡は口端を上げたまま話し始めた。
「何の用、ね。その様子だと心当たりなさそうだな」
「あ?」
「昼間、アンタのお仲間が暴力教会に喧嘩売ったろ? そん時、ウチのボスが大層可愛がってる女が巻き込まれた」
「……あん時死人は出てなかったはずだが」
「死んじゃいねえさ。ただ、腕に銃弾が掠ったんだと」
胡はやれやれ、と言ったように肩を竦め言葉を続ける。
「アンタならその女が誰なのか。そして、その女の腕にどれほどの価値があるのかも分かるはずだ」
「…………」
「このことに大哥は大変お怒りでいらっしゃる」
ロボスは胡の言葉に、全身から汗が噴き出すのを感じていた。
三合会という最大の縄張りをもつ張維新のオンナを傷つけた。
ただのオンナならまだいい。
だがよりにもよってあの“黄金夜会御用達”の洋裁屋の腕を自分の身内が傷をつけた。
張だけでなく、あのバラライカも贔屓していると聞く。
下手したら三合会だけでなくホテル・モスクワも動きかねない。
“ほんと余計な事しかしやがらねえあのクソ野郎”と、ロボスは心の中でこぼす。
「それで、ウチを潰しに来たってわけか」
「いや? 俺はただ“銃口の先を見据えられない愚か者に忠告を”と言われただけだ。だけど、アンタがその愚か者を始末したんだろ?」
「ああ。だからここは」
「分かってるよ。大哥には俺から言っておく」
「助かる」
「借りは返してくれよ?」
じゃ、と手をヒラヒラさせて胡はその場から立ち去った。
ロボスは何事も無く終わったことに、一人胸を撫でおろした。
――モーテルを出、胡は仲間が待っている車に足早と向かう。
煙草に火を点け、煙を吐きながら口を開いた。
「にしても、マジで入れ込んでんのなあ」
街灯が照らされていない道を歩きながら、一人呟く。
「あの人がたかが一人の女のために俺を動かすなんて。今までこんなことなかったのに」
自分たちのボスは、今まで女に対し良くも悪くも無関心だった。
性欲を満たし、自分に害がなければ何でもいい。そんな態度だったように思う。
そんな男が、女を少し傷つけられたからと拷問が主な仕事の自分を駆り出してまで相手に忠告させようとした。
今までも彼女を気にかけていた部分があったが、香港から帰ってきてそれがより一層強まっている。
「……いつか、アイツを大姐と呼ぶ時が来るんかねえ」
それはそれで楽しそうだ、と胡は先程とは違う笑みを浮かべた。
――――――――――――――――――――――――――――
~リンさんの診察が終わった後~
「お前がこのナリだと正常位は難しそうだな」
「なっ」
「ああそうだ。折角だから別の体位もやってみるか」
「何言ってるんですかっ。というか、まだその気が」
「あるに決まってんだろ。傷の事黙ってた仕置きもしねえとな」
「は? え、ちょっと……!」
「今日はお前に頑張ってもらおうか」
「ちょ、っと……まっ――」
という会話をドアの前で聞いてしまったリンさんの心境。
「本当ふざけんなよあのグラサン。絶対分かっててやってんだろ」
こういうシーンが好きで我慢できず書いてしまいました。
相変わらずの趣味全開。