ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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60 小さな蕾Ⅱ

「――そうだったんですか。それは大変そうで」

 

「ええ。イタリアを出てから色々あってここに流れ着きました。いやしかし、中々落ち着くことができませんねこの街は。噂通りだ」

 

「きっともうすぐ慣れますよ」

 

「だといいんですが」

 

ルカをお試しで弟子に取ってから一週間。

初めはそのつもりはなかったのだが、彼からの強い要望と信用できるかどうか見極めるにもいいだろうと、家事を手伝ってくれることを条件に住まわせている。

 

今は依頼人が来ているため洋裁を教えることができないので、ルカは私の自室で読み書きの練習をしている。

 

 

依頼人である茶髪に茶色い瞳のイタリア人――ラウルさんは数か月前にこの街に来たばかりらしい。

 

 

イタリア出身だが育ちは別の国で、そこで詐欺まがいのことをし警察と現地マフィアに追われに追われロアナプラに流れ着いたという。

やっと少し落ち着き、最近一仕事終えた記念にと服を頼みに来た。

 

一九〇センチほどある高身長で少しやつれているが、話すときの口調は穏やかな物腰が柔らかい人物。

 

 

 

「それでは完成したら電話で連絡しますね」

 

「分かりました。ではキキョウさん、楽しみしてますよ」

 

口端をほんの少し上げ最後にそう言い残し、颯爽と外へ出て行った。

 

 

客人がいなくなりしん、と静まり返ったが、少しの間の後静けさを跳ね除ける声音が聞こえてくる。

 

 

「終わったの? 先生」

 

「うん。ひとまず今から依頼人の要望に沿ったデザインを練る。それから仮縫いに……って流れになる」

 

「デザインするとこ見たい!」

 

「私の作業を近くで見せるのはアルファベット全部覚えてからだよ。この前言ったでしょ?」

 

「覚えたもん!」

 

「じゃあテストしようか。ペンと紙持ってきて、ここで全部書いて」

 

「……いきなりだなあ」

 

「抜き打ちじゃないと意味ないでしょ。ほら、持ってきて」

 

「はあい……」

 

ルカは手先は器用で大抵のことはすぐできるのだが、どうにも読み書きは苦手なようで英語のアルファベットを覚えるところから既に苦労している。

最初はSが逆だったりMとWの違いが分からないほどだった。

 

文字が読めなければ、洋裁の作業にも支障を来す。

読み書きできて損はないので教えるほかないと意気込んだものの、全く文字に触れたことがない子どもに一から教えられるのだろうかと心の底から不安になった。

 

 

それでも毎日作業の合間に彼の勉強を見やり、もうすぐ全てのアルファベットを覚える一歩手前まで何とか辿り着いた。

 

 

不満気な表情を浮かべ自室から紙とペンを持ってきたルカに苦笑する。

 

 

「そんな不貞腐れた顔しないの」

 

「……不貞腐れて無いもん」

 

「アルファベット覚えられてたらちゃんと教えるから。だからそんな顔しないで」

 

「だから不貞腐れてないってば!」

 

「はいはいごめんね。じゃ、どうぞ」

 

「もう……」

 

ルカの子どもらしい態度に微笑ましく思いながら、彼が渋々と紙に向かう様子を眺めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――夜も更け、時計が夜の十一時を指し示した。

自室の床に敷いた簡易的なベッドに横たわるルカに、起こさないようシーツをかけ直す。

すやすやと寝息を立てるルカの顔をほんの少し見つめた後、静かに部屋を出る。

 

 

 

そのまま作業台へ向かい、まだ途中だった作業を再開する。

 

 

 

 

今日はルカがアルファベットを全て覚え書ききったので、服作りをする時にはまず初めにデザインをすることと、デザインするためにちゃんと依頼人に拘りなどを聞くことなどを説明した。

 

だがあの子には依頼人の要望に沿った服をデザインするというのはまだ早いので、私が作業している間、余った布に引いた線に沿って真っすぐ糸を通す練習をさせた。

 

 

思ったより飲み込みが早く、気づいた時には手慣れたように糸を通していた。

だがルカは初心者なので、裁縫にもっと慣れさせるためしばらくはこの練習を続けてもらおうと考えている。

 

 

 

――と、ルカに教えつつこなしていたので、少し作業の進み具合が遅くなったのだ。

遅れ分を取り戻すため、夜遅いが作業の続きをこなす。

 

 

デザインは決まったので、ひとまず仮縫いをしなければ。

裁ちばさみに手を伸ばし、布に切り込みを入れていく。

 

 

 

 

「――せんせぇ、なにしてるの……?」

 

 

 

唐突に後ろから聞こえてきた声に思わず手が止まる。

すぐさま裁ちばさみを置き、声がした方へ言葉をかける。

 

「ごめんね、起こしちゃったかな」

 

「ううん……トイレ行こうと思っただけ」

 

「そっか。なら早く行きなさい」

 

「うん」

 

そう言うと、ルカは目をごしごしと擦りながらトイレの方へと向かっていった。

 

ルカの姿が見えなくなり、止めていた作業を再開する。

 

今回依頼されたのは、動きやすくカジュアルだが安っぽさを感じさせない服。

あまりサイズにピッタリな物だと少しばかり動きにくい。そうなるとサイズよりも大きめに作れば動きやすくはなるが、あまりにもサイズが合ってなければ逆にだらしなく見えてしまう。

 

特にラウルさんの体格は高身長で割とガタイがいいから特に。

 

となると、やはりカジュアルスーツが一番要望には沿っているだろう。

その名の通りカジュアルで着こなし方も自由。かつ動きやすく、れっきとしたスーツなので安っぽく見えることはない。故にスーツと思われないこともある服だ。

 

ラウルさんの色白さを引き立たせるなら黒やネイビーなど暗い色。爽やかさを出すならパステルカラーや白など明るい色だ。

今回は色白さを引き立たせる、ネイビーで仕立てようと思う。

 

早速、さっき大体の大きさに切ったネイビー色の生地をカジュアルスーツの形にしようと手早く裁ちばさみを再度入れていく。

 

 

「こんな時間まで仕事してるの?」

 

 

生地を切っていると、トイレから戻ってきたルカがこちらに近づいてきた。

眠そうな顔を一瞥し、一つ間を空けてから声をかける。

 

「少しでも終わらせたくてね。もう遅いから早く寝なさい」

 

「先生が仕事するなら……近くで見とく……」

 

「いや明日も作業するし、そんな無理しなくても」

 

「見る……」

 

眠そうな声でそう言った後、近くに置いてある椅子を台の反対側まで持ってきた。

そしてそのまま椅子にちょこんと座り、目を擦る。

 

「ルカ、やっぱり眠いんでしょ? なら早く」

 

「見たいんだもん……全部、見ないと……」

 

放っておけば一瞬で眠りに落ちそうな雰囲気だ。

だがここまで言っても寝室に戻ろうとしない態度を見ると、本当に見たいらしい。

これは、彼の気が済むまで好きにさせたほうがよさそうだ。

 

「そこまで言うなら好きなだけ見ていきなさい。椅子で寝ないようにね」

 

「うん……」

 

ゆっくり頷くと、眠たげな表情でじっと私の手元を見つめてくる。

その様に小さく息を吐き、止めていた手を動かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ルカ、寝るなら寝室に行きなさい」

 

「……」

 

「ルカ?」

 

「……すう……すう」

 

ルカに見られながら作業すること数十分。

寝起きだったからか相当眠かったようで、椅子の上で器用に寝息を立てはじめた。

 

時計の針は夜の十二時近くを示している。

 

ルカがこの時間に眠くなるのであれば、今後の作業時間は考えたほうがよさそうだ。

今日と同じ時間で仕事をすれば、きっとまた無理にでも見てくるかもしれない。

急ぎの依頼でない限り、この時間で作業するのはやめておこう。

 

そう考え、裁縫道具を片付ける。

目の前で安心しきったように寝られては、とてもじゃないが作業する気にはなれない。

 

すべて道具を片した後、ルカのほうへ足を動かし肩を揺らす。

 

「ルカ、寝室に行くよ」

 

「…………」

 

「……はあ」

 

声をかけても肩を揺らしても全く起きる気配がない。

だから寝なさいって言ったのに……。と心の中で呟き、しゃがんでルカを自身に引き寄せる。

 

 

そのまま背中と足の隙間に手を入れ、抱きかかえた。

 

 

思った以上に軽い小さな体に少し驚きつつ、横抱きにした状態で寝室へと向かう。

起こさないよう彼のベッドへ静かに横たわらせ、シーツをゆっくりと掛ける。

 

深い眠りに入ったルカの寝顔を見つめ、彼の黒髪に手を伸ばす。

 

 

 

「おやすみルカ、いい夢を」

 

 

 

ゆっくりと頭を撫で、そろそろ寝ようと自分のベッドへ身を沈める。

明日の朝食は何だろうか、とルカが作る食事に思いを馳せながら瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――キキョウが弟子をとった?」

 

「はい。現地のガキを自身の家に住まわせて教えているようです」

 

「んなこと聞いてねえな。一体どういうつもりなのか」

 

「さあ。ただ、子供に甘いアイツの事です。せがまれて仕方なく、というのもあり得るかと」

 

「……ふむ」

 

街の中心に聳え立つ高層ビルの最上階。

ガラス越しに街を見下ろし、煙草を吹かしながら部下からの報告を受けている。

 

 

やがて長くなった灰を灰皿へ落とし、徐に口を開く。

 

 

 

「あの謙虚の塊が弟子、ねえ」

 

「聞き出しますか」

 

「……いや、しばらくはアイツの好きにさせてやれ。だがそのガキについては洗っとけ。念のためにな」

 

「は」

 

「何かあれば逐一報告を」

 

「かしこまりました」

 

 

 

煙を吐き出し、サングラスの奥で街の光を見ながら灰皿へ煙草を押し付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

ラウルさんの依頼を受けてから約三週間。

昨日服を仕立て上げ、さっき受け渡しが終わった。

今日はどうやら久々に仕事らしく、ラウルさんは服を受け取るとお金をおいて足早に帰っていった。

 

 

 

――この一か月、依頼をこなしながらルカに文字の読み書きと基本的な裁縫を教えていた。

 

 

 

今ではアルファベットをすらすらと書けるようになり、単語を覚えるのに必死だ。

勉強は苦手だが読める文字が増えていく感覚は面白いらしく、私のメモ書きを見るなり「これなんて読むの」と興味津々で聞くようになった。

 

それだけでなく裁縫にも練習した成果が出始め、今ではスムーズに布と布を縫い合わせることまでできている。

裁縫にそこまで触れたことがないと言っていた割には、本当に飲み込みが早く少し驚いている。

 

依頼もこなし、今日やるべきことはない。

いつもならこの後刺繡をして過ごすところだが――

 

「先生、早く食べないとごはん冷めちゃうよ」

 

「ああ、ごめん」

 

「何か考え事?」

 

「ううん、何でもないよ」

 

そういうと、ルカは自身が作ったチャーハンを頬張り始めた。

 

私の冷蔵庫を見て「サンドウィッチと酒で生活してるの?」と呆れた時から、比較的彼が料理を担当することが多い。

 

ルカが料理をするようになって、私の食生活も変わった。

料理も一通りできるらしく、手軽なサンドウィッチ三昧の日々から様々な料理が食卓に並ぶようになった。

 

家で誰かの手料理を食べたことはこの街に来てから一度もなく、初めは違和感が勝っていたが、今では二人で食卓を囲むのが自然になっている。

 

 

――こう毎日誰かと食事をとるのは師が生きていた時以来で、少しこそばゆくなる時がある。

 

 

「この後刺繍のやり方教えてくれるんでしょ? 早く食べてほしいんだけどなあ」

 

「そう急かさないでよ。逃げるわけじゃないんだから」

 

「分かってないなあ先生は。子供の“コーキシン”は誰も抑えられないんだよ」

 

「はいはい」

 

「あ、流した。先生反応に困ったらいつもそうする」

 

「こういうのも上手く生きるコツだよ」

 

 

いつの間にか食べ終えていたルカは、むう、と少しむくれながら皿を片付ける。

自身も残り少ないチャーハンを数回口に運んで食べ終え、皿を洗っているルカへと手渡す。

 

 

 

「ごちそうさま。美味しかったよ」

 

「よかった」

 

笑みを浮かべ、慣れた手つきで皿を洗っていく。

その様を一瞥した後、刺繍の準備をしようと作業場へ足を動かす。

 

 

ルカ用に刺繍道具を準備していると、台所から物音が聞こえなくなり、代わりにこちらへ走る足音が近寄ってくる。

 

 

 

「あれ、それいつも僕が使う針じゃない」

 

「よく気付いたね。これは刺繍針で、文字通り刺繍用の針ね。ルカがいつも使ってるのは普通の裁縫用の針。何が違うか分かる?」

 

 

 

仕事を正確に、スムーズに終わらせるには基本的な洋裁の知識も身に着けておく必要がある。

 

特に手に持つ道具については知っておいてほしいので、刺繍針と普通の針を刺しているピンクッションをルカに渡し、質問する。

 

 

うーん、と唸りながらしばらく針を眺めた後、ルカはゆっくりと口を開いた。

 

「……少し太くて、糸を通すところがこっちの方が大きい」

 

「そう、よく気付いたね」

 

「へへ。でも、糸を通しやすくなっただけだよね? 別に普通の針でもいいんじゃ」

 

「刺繍は一本だけじゃなくて二本の糸を通すこともある。二本通すってなると糸通りが広い方がやりやすい。だから普通の針より太く作られてるの。別に普通の針でもできるんだけど、よりスムーズに進むのは刺繍針の方かな」

 

「へえ」

 

「他にも種類はいっぱいあるけど、今日はこの針だけで刺繍してみようか。とりあえず慣れるためだし」

 

「うん」

 

習うより慣れろともいうので、ひとまず説明はここまでにしておく。

作業台の上に置いていた刺繍枠を二つ手に取り、どこか楽しそうな表情を浮かべているルカに一つ差し出す。

 

「はい、これが刺繍枠。刺繍するときはこれに布を挟むの。今から見本見せるから、真似してみて」

 

「……あれ、先生これ二つも持ってたっけ? もしかして買ってくれたの?」

 

「ルカに渡したのは予備だよ。弟子って言ってもまだ仮だから、あるものを使ってもらうよ」

 

「…………ねえ先生」

 

「なに?」

 

「いつになったら本当の弟子にしてくれるの」

 

 

 

そう言ったルカの顔は、真剣で少し悲しげな表情。

急なことでどう答えるべきか迷ってしまい、思わず口を閉ざす。

 

 

 

「僕、これからは家事全部やるよ」

 

「え?」

 

 

 

ん?

 

 

 

 

「ごはんも毎日作るし、掃除も洗濯も……買い物も全部やるよ」

 

 

 

 

一体どうしたというのか。

 

 

 

 

「だから」

 

「ちょっと待って。なんでそうなるの」

 

洋裁を教えてはいるものの、家事を彼に手伝ってもらっているおかげで以前とそこまで作業時間は変わっていない。それにこれ以上やってもらうのは彼に負担がかかる。

だから全部やってもらうなんてこと求めてない。寧ろ気が引ける。

 

 

一回も“もっとやってほしい”と言ったことはないのに、なぜそんなことを言い出したのか。

 

 

「だって……僕が役に立ってないから本当の弟子にしてくれないんでしょ? 今のところ迷惑しかかけてないし……」

 

顔を下に向けながら放たれた言葉に目を見開く。

ため息を吐きたくなるのを堪え、持っている刺繍枠を作業台の上に置く。

 

ルカの前まで足を動かし、目線を合わせるよう屈み声をかける。

 

「そんなことないよ。迷惑だなんて一回も思ったことない」

 

「じゃあなんで……?」

 

「私言ったよね。弟子をとるってことは責任もって面倒見る覚悟がいる。その覚悟ができたら正式な弟子としてとるってことも」

 

「うん」

 

「でもね、まだ私にその覚悟ができてない」

 

ルカには申し訳ないが、まだ彼を信頼できるかどうかの見極めができていない。

だから、正式な弟子として迎えるには“まだ足りない”。

 

 

 

 

 

――だが、いつまでもこのままの状態を引きずるのは、お互いにとってよくない。

 

 

 

 

そろそろ、答えを出さなければいけないだろう。

 

 

 

 

「近いうちに答えを出す。だからあと少し……もう少しだけ待ってて」

 

ルカの茶色い瞳を見据えながら、はっきり告げる。

目が大きく見開かれた後、少し不安げに瞳が揺れた。やがて間を空けて「……じゃあ」と口を開く。

 

 

 

「約束して。絶対答えだしてくれるって」

 

「もちろん、約束する」

 

「絶対だよ?」

 

「絶対」

 

そう言葉を交わし、徐に右手の小指を立て前に出す。

私の行動を首を傾げ不思議そうに見るルカを見つめながら説明する。

 

 

 

「私の故郷だと約束をする時こうするの。えっと、“約束を守ります”って誓うための儀式……? みたいなものだと思ってくれれば」

 

「こう?」

 

「そ。で、お互いの小指をこうして……」

 

説明しながら、ルカの小さな小指に自分の小指を絡める。

 

「はい、約束」

 

 

 

きょとん、としているルカの表情に思わず笑みがこぼれる。

私の笑みに釣られてか、ルカの口端も上がった。

 

 

 

「破ったら許さないからね」

 

「分かった」

 

「じゃ、もう少しだけ待ってる。――ほら先生、続き教えて」

 

 

 

早くと言わんばかりの言葉に苦笑が浮かぶ。

 

 

“君から始めた話でしょ”と心の中で呟き、刺繍のやり方について説明を再び始めた。

 




ルカとのお話はあと一話くらい。
今後どうなるのか……。


余談ですが、ここら辺が折り返し地点……の予定。
まだまだ先は長いかもですが、ちゃんと完結までいこうとは思ってるのでどうか長い目で…………
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