Epilogue 1.
──激しい銃声の音が鳴り響いた一夜から三日が経った。
あれから嘘のように街は落ち着き、いつも通りの日常へ戻っている。
ルカが聞いた噂によれば、メイドの件は片が着いたと黄金夜会が布告を出したらしい。
今回の件は大事だったため、そうでもしなければ街が落ち着かないと判断してのことだろう。
ただの住民である私たちとしては、物騒な出来事が無事終わり一安心である。
ルカも世話になったお婆さんや小さな子供たちのことが気がかりだったようで、様子を見に行っている。
「もし無事だったら今日はそっちで過ごす」と言っていたので、一人で夜を過ごすことになるだろう。
一人の夜は久々なので、折角ならイエロー・フラッグに向かおうか。
……いや、確か全壊してて今は休業中だったか。
なら別の酒場に? リンさんと行く酒場なら今も営業しているだろうが、あんな高級店に行くとなるとそれなりの恰好をする必要がある。一人で入るには少し敷居が高い。
うーん、と今夜の過ごし方に悩んでいると、外から足音が聞こえてくる。
仕事の依頼かと予想している中、足音がドアの前で止まった。
やがて一つ間を空けた後、三回ノック音が響く。
「キキョウ。レヴィだ」
短く発せられた名前にすぐさま足を動かす。
ドアを開けると、怪我をしているのか両腕に包帯を巻いたレヴィが立っていた。
「いらっしゃい」
「よう」
「……その腕、大丈夫?」
「ああ」
「ならよかった」
見た目の割には平気な様子に安堵し、自然と口端が上がる。
凄腕のガンマンである彼女が商売道具の腕を傷つけられたのは、きっと先日のメイドさんの件が絡んでいるのだろう。
だが、無事なのであれば怪我の原因を聞く必要はない。
「とりあえず中に」
「いや、すぐに出るからここでいい」
来客用の椅子を出そうとしたが、レヴィの言葉に動きを止める。
どこか固い声音を発した彼女の顔を見ると真剣な表情を浮かべており、その様子に少しの緊張感を覚える。
「どうしたの」
自身の顔から微笑みを消し、問いかける。
途端、レヴィは戸惑ったように目線を逸らしたが一つ息を吐き、こちらを再び見据えた。
「単刀直入に言う。──ロックと、話してくれねえか。二人で」
彼女の口から出た名前と提案に、驚く他なかった。私もまたレヴィの顔を見据え口を開く。
「私には彼と会う理由も話すこともないよ」
「お前がアイツをよく思ってないのは分かってる。一度殺そうとした相手と話すことに、生産性がないことも」
「なら、どうして?」
例え友人である彼女の頼みでも、こればかりは素直に聞けない。
レヴィの言う通り、彼と話すことなんてなんの意味もないのだから。
「アイツを変えたのはお前だ。アイツは……お前のせいで
拳を握り、冷たく固い声音で発せられる。
話の筋が見えないが、彼女のいつもと違う様子に黙るしかなかった。
「だから、せめて今のアイツを……ロックを見てやってくれ。──頼む」
その言葉に、思い切り目を見開く。
プライドが高く、常に軽口で話す彼女がここまで真剣に私に頼みごとをするのは初めてで。
しかも、恐らく今彼女は自分ではなく、岡島のために彼と私を会わせようとしている。
いくら仲間とはいえ、あのレヴィがここまでするとは。
──きっと、彼女をそこまでさせる何かがあったのだ。
私には想像できない、大きな何かが。
「何があったの?」
私の古傷を抉り、身勝手な正義感を振り回した彼を今も許せないし許す気もない。
そんな彼と話せというなら、せめて会わなければならない……レヴィがここまで会わせたがる理由を知りたい。
レヴィも分かっているのか、やがて静かにあの喧噪の一夜の出来事を語り始めた。
──路南浦停泊所。
落陽の金色で染められた海面の上を潮風が撫でる。
街の喧噪を忘れさせるかのような美しい光景を、桟橋でただ一人ロックは眺めていた。
桟橋の手すりに凭れ掛かり、
ライターを取り出し先端に火を点す。煙を肺に入れ、ゆっくりと外へ吐き出した。
かもめの鳴き声と波音を静かに聞きながら、三日前に喰らった衝撃から痛む腹を撫でる。
“ロベルタを取り戻す”という困難と思われた依頼を、自身ができるすべてを出し切り、成し遂げた。
自身のやり方を気に入らなかった依頼者から空砲弾を撃たれ、罵倒され……感謝の言葉をもらうことはなかった。
だが、彼にとってそんなことはどうでもよかった。
自身の手で事を成し遂げた事実に比べれば罵倒など些細な事。
──はずなのに、ロックの顔が晴れることはない。
何かが足りないと、彼自身が一番実感していた。
足りないものが何なのか。
それは自分が本当に求めているものだということも、自身一人ではどう足掻いても手に入らないことを理解しているからこそ、余計に胸の内にある虚無感にも似たものが時折押し寄せてくる。
腹を撫でる手に力が入る。
項垂れ、ため息を吐く。
同時に、桟橋の床を踏み鳴らす複数の足音が後ろから近づいてくる。
「ロック、お前に客人だ」
「え?」
背中越しに聞こえたレヴィの言葉に振り向く。
途端、ロックの目線は彼女の隣に立っている人物へとすぐさま注がれた。
大きく目を見開き、時が止まったように全身が固まる。
「……キキョウ、さん」
「……」
やっとのことで絞り出した声で彼女の名を口にするが、彼女が反応することはなかった。
キキョウは一切の表情を消した顔でロックを見据える。
彼を見つめている黒い瞳には夕日の光が入り、まるで宝石のように輝くその綺麗さにロックは釘付けとなった。
「じゃあ、後は二人でごゆっくり」
漂う妙に重い空気から逃げるように、レヴィは一言告げると手を軽く振りながら踵を返しその場を去る。
「……」
「……」
残された二人はお互いの顔を未だ見つめていた。
そうしてしばらくの間の後、やがて先に動いたのはキキョウの方だった。
徐に足を動かし、段々とロックの方へと近づいていく。
キキョウが自身の隣に立ったのを見やり、ロックは煙草を床に落とし足で踏みつぶす。
再び沈黙が訪れ、風と波の音だけが二人を包む。
「レヴィから聞いたよ。大変だったみたいだね」
視線を前に向けたまま発せられた声音には、氷のような固さと冷たさが帯びていた。
まだ自身の事を許していないのを隠そうともしない態度に、思わず眉を下げる。
日本語で話しているのもわざとだろう。
彼女は未だ自分を日本のサラリーマンである岡島緑郎として見ているのだと、嫌でも分からせられる。
「確かに、メイドさんを無事あの子たちの元へ戻らせたのは君の功績。君自身の行動で事を成せた」
「……」
「だけど、子供の命をベットして自分は高みの見物。更に、あの子たちの前で最上の結果だと言い張った。それも笑顔で」
「……」
「今までの君ならそんなことなかっただろうね」
「……レヴィにも同じ事を言われましたよ」
「そりゃそうでしょ。──口先だけ立派なことを言って、正義感を振りかざした君がそんなことするなんて思わなかった」
ちくちくと刺すような棘のある言い方に思わず眉根を寄せる。
「聞く限り、君はできること全てやった。だけどそれで誰かから称賛を得られるわけでもない。返って来たのは街一番のクソ野郎っていう罵倒だけ」
キキョウは桟橋の手すりに手を置き、徐に拳を握った。
水平線へ目を向けたまま、続ける。
「自分なりの正義と善意もって動いて、何も残らなかった。──善意なんてただの独り善がり。善意で動いても何も得られないんだよ。今回の事でよく分かったでしょ」
ほんの少しだけ、苛立ったような声音が滲んでいる。
キキョウはゆっくりと、ロックの方へ顔を向けた。
「岡島。本当に、これでよかったと心から思ってる?」
一切の表情を乗せていない顔で問いかける。
視線も声音も冷淡なのに、吸い寄せられるような黒い瞳は美しさを帯びたまま。
初めて見た時から魅入られた瞳を見据えた後、やがて夕日へと視線を向ける。
問いに対する言葉を慎重に選び、一つ息を小さく吐く。
「正直、今のところは何とも言えません。だけど、俺が欲したのはあの子たちからの称賛じゃない」
「え?」
「メイドと米軍が鉢合わせた時、張さんは俺にこの件を降りろと言った。彼は俺がこのゲームに負けることに賭けたんだ」
ロックから淡々と告げられる言葉の羅列を、キキョウは静かに聞いている。
「だけど俺はその賭けに勝った。彼は俺を思い通りにできなかった。この街の支配者の一人である彼の鼻を、
ロックの口から張への対抗心を感じさせるような言葉が出てくるとは思わず、キキョウは一瞬目を見開くがすぐさま怪訝な表情を見せる。
「俺はね、その事実に少なからず心地よさを感じましたよ。強いて言うなら得られたのはそれだ。……貴女にとっては面白くない話でしょうが」
そういうロックの顔には、どこか寂しげな色が滲んだような笑みが浮かんでいた。
踏み入ってもよいか悩み少し間を空けた後、キキョウは戸惑いが混じった声音と表情を向ける。
「どうして、彼にそこまで」
ロックはキキョウの顔を横目に見た後、視線の先にあった夕日へ背を向ける。
桟橋の手すりに寄りかかり、空を見上げた。
「──彼が、羨ましいんでしょうね。認めたくないですが」
自身が彼にずっと抱いていたのは、男の醜い嫉妬。
そして彼女には憧れにも似た恋情を。
自分でも思った以上にどっぷりと嵌っていたらしい。
自覚するまで時間がかかったが、こればかりはどうしようもない。
誰よりも彼女を縛ることができ、彼女を傍における彼が何よりも羨ましい。
言いかけたこの言葉を口に出したら、余計自身が惨めになる気がして思い留まる。
己の感情を自覚したからか、どこか胸の内が軽くなったことに笑みを零し、煙草を取り出す。
キキョウはロックの様子に再び戸惑ったような声音を出す。
「岡じ」
「Ms.キキョウ」
キキョウの呼びかけを、ロックは英語で遮る。
自然な動作で煙草を咥え、ネクタイを緩めた。
「──俺は、ロックです」
そう告げるロックの顔にはまるで吹っ切れたような……どこか爽やかささえ感じさせるほどの清々しい笑みが浮かんでいた。
ロックのその様にキキョウの怪訝な表情が崩れる。
その理由は、目の前の彼が放つ雰囲気がどことなく張に似ていることにあった。
普通の元サラリーマンだと思っていた男に、大悪党である香港マフィアの幹部と同じ雰囲気を感じたことにキキョウ自身が一番驚いていた。
レヴィから“今のアイツを見てやってくれ”と言われた理由が、今この瞬間にようやく理解する。
この男は本気でこの街で生きて行くつもりなのだと。
日向の世界に戻る気がないのだと、理屈などでは到底説明できないが彼の態度がキキョウにそう思わせた。
かつて自分の過去を身勝手に掘り起こし、
挙句この街から出て行くべきだと言った偽善にまみれていた男が子供の命を道具にしてまで事を成し、
日向者には容赦のないレヴィが彼のために動き、
更には街の支配者たる張やバラライカらに認められるまでとなった。
これらの事実に、この街の呼称で名乗った彼が今までの彼と違うこと──この街の悪党であるということを
「……そっか」
自身が彼にされたことを許す気はない。
だが、悪党として生まれ変わった彼は最早“
なら、“岡島緑郎”として振舞ったあの時の行為をいつまでも根に持つべきではないかもしれない。
許した訳ではない。ただ、この街が彼を受け入れたのなら、自身もそうするのが礼儀だろう。
キキョウの中では様々な感情が蠢いたが、やがて一人でに結論付けたった一言だけ告げる。
「ひとまずお疲れ様──
微笑みながら告げるとロックは一瞬目を見開いた後、こみ上げるような感情を噛み締めるように口端を上げたまま「はっ」と息を吐いた。
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Epilogue 2.
「──よう、探したぜ」
キキョウとロックが二人で話をした更に数日後。
同じく路南浦停泊所の桟橋で煙草を燻らし一人佇んでいたロックへ、張維新が声を掛けた。
片手には大きいハンドバッグを持ち、邪気のない微笑みを携えている。
「キキョウと話したそうだな」
「流石、彼女の事は何でもご存じのようで」
「フッ、仲直りできたみたいで何よりだ」
「そりゃどうも」
軽く言葉を交わしながらやがてロックの隣まで歩みを進めると、ハンドバックを足元に落とす。
「メイドの件、あれの始末金だ」
チャックが開いているハンドバッグからは、大量の金が詰め込まれている。
ロックはバッグの中身を一瞥し、興味がないと言わんばかりにすぐさま海へと視線を向けた。
「金が欲しかったわけじゃありませんよ」
「結末の証だ。無意味な代物じゃない。ま、どう使おうとお前の自由さ」
張は徐にポケットから
口に咥え、煙を肺に入れると同時に口端を下げ、硬さを帯びた声音で話し出す。
「やれやれ、今回の件は重かった。徹夜明けにフライドチキンのバーレルを食わされた気分だ」
「……珍しいな、アンタがぼやくなんて」
「迂闊には言えんさ。だが、誰だって泣き言を言いたくなる時があるだろう。──お前はどうだ? 自ら進んで悪党になり下がった気分は」
張の問いかけにロックは答えることはなく、真意を探るように視線だけを向ける。
「お前は賭けに勝ち、ラブレスの若様も目的を果たした。……だが、それで無事幸せを掴んだとでも? んなわけない。彼らに待ってるのは険しく長い茨の道だけだ」
「……」
「それはお前も承知だったはずだ。
「……」
「自分のためだけに彼らを利用した。──立派な悪党だな、ロック」
口元を歪め、愉し気に話す張を横目にロックは煙を吐き出す。
水平線へ目を向け、淡々と言葉を発する。
「俺は彼らの依頼をこなしただけだ。その過程によって詰られたとしても、別にいい」
「……は、随分と淡泊になったな。普通は感謝されたいもんだろうに」
「そうかもしれませんね。──ただ、俺は
「……」
ロックは、数日前ようやく自身をこの街の呼び名で呼んでくれたキキョウとの時間を思い返していた。
自分がやれることの全てを賭けゲームに勝ち、張の鼻を明かしても尚乾いていた胸が潤った瞬間。
この街の住民として彼女に認められたあの瞬間は、どんなものより価値がある。
ロックの顔には自然と笑みが零れていた。
──その笑みを見た張の中で瞬時に一つの勘が働いた。
恐らく……いや十中八九当たっているであろうその勘の答え合わせをしようと口を開く。
「女神さまからキスでもされたか?」
「それと似たようなもんです」
「お前をそこまで浮かれさせるとは、罪な女だなそいつは」
「ほんと、まさか自分でもここまでなるとは驚きですよ」
彼をここまで喜ばせることができる人間は一人しかいない。
その人間が誰かなど今更言うまでもない。
「──いい女だろ、あいつは」
「そんなこと一目見た時から知ってますよ。あんたには本当もったいない」
開き直った男ほど勇ましく愚かなことはない。
決して手に入らないことを理解しているからこそ、彼女が一番信頼を寄せ、身体を許した男に対し負け惜しみのような言葉でしか対抗できない。
なんと哀れで惨めか。
だが、それが彼を
自身が見込んだ女が一人の男を狂わせ、その男はいずれ大悪党となるであろう素質を持っている。
当の彼女は、自身の存在が一人の男を本当の意味でアウトローの世界へ引きずり込んだなど夢にも思っていないだろうが。
「……は……はっはっはっは! ほんと大した野郎だお前は!」
これらの事実と今のロックの姿に、張は堪らず声を上げて笑った。
「どうだ、今夜一杯。なんならキキョウも連れて来よう」
「ええ、ぜひ」
ひとしきり笑った後、良い気分のまま極上の女との酒の席に誘えばロックは躊躇いなく乗って来た。
はっ、と一つ息を吐いた後、ロングコートの裾を潮風で靡かせながら去る張の後ろをロックは黙って着いて行った。
How easy love makes fools of us.
(いかに容易く愛は我々を愚かにすることか)
by モリエール
ロベルタ再来編、何とか書き切りました。
大分亀更新になってしまい申し訳ないです……。
次は平和なお話を二つほど投稿予定です。