──イエロー・フラッグで騒ぎが起きてから二日。
ラグーン商会事務所には、パソコンに向かい手を動かしているベニーとソファで煙草を片手に寛いでいるロックの二人のみ。
レヴィとダッチは例の噂がどこまで真実なのかを探るため街へ情報収集に出ており、事務所に残っている二人は出る幕なしと言わんばかりに留守を任されていた。
「なあベニー」
「んー?」
「例の亡霊の話、本当だと思うかい」
「さあ、どうだろう。ただまあ“死んだ人間が生き返った”なんて、にわかには信じられないよね」
「だよな」
沈黙を破るように、ロックは軽くベニーへ話題を投げかける。そのまま煙草を灰皿へ押しつけながら煙を吐く。
「それにしてはマフィア達が異様にざわついてる」
「そりゃそうさ。例の亡霊が亡霊だからね。神経質にもなるんじゃない?」
「ベニーは亡霊の男を知ってるのか?」
「僕がこの街に来る前に殺されたらしいからねえ。僕も話しか聞いたことないよ」
「そうか」
あまり期待していなかったのか、ロックは落胆する様子も見せず再び煙草に火を点ける。
窓の外を見ながら紫煙を燻らすロックの姿に、ベニーは一度手を止めた。
「ロック、今度は何考えてるんだい」
「……亡霊が本当に例の男だとしたら、何のためにこの街へ戻って来たんだろうな」
「その男が何を考えてるのか知らないけど、ロクなことにはならなさそうだね」
「ロクなこと……」
どこか遠くを見据え、静かに呟く。
そんなロックの横顔を見つめた後、ベニーはビールを呷り腰を上げる。
「ロック、今回ばかりは容易に手を出さない方がいいと思うよ」
「え?」
「メイドの時と状況は少し似てるけど、今回は何かが違う。この前死んだのは何の組織にも繋がっていない、この街に来たばかりのただのチンピラだった。そんな人間をピンポイントで狙ったとは考えにくい」
「……」
「これはあくまでも僕の推測だけどね、殺すのは誰でもよかったんじゃないかな。なら、ここにいる僕らだって殺されてもおかしくない」
「…………」
「今回は死ぬ確率が皆平等だ。こんな野蛮なロシアンルーレット、せめて一歩引いた立場でいたいね」
ベニーの言葉にロックは眉根を寄せた。
煙草の先端の灰が長くなっていく。
「だとしたら、だ。このロシアンルーレットの景品はなんだろうか」
「え?」
「ベニー。この件で何よりも重要なのは、亡霊は何を得るためにロシアンルーレットを持ち掛けたのかってことだ」
「……」
「ゲームを仕掛けるのは大抵景品が目当ての時だ。──大きな目的がないまま、あんな派手なことをやらかすとは考えられない」
顎に手を当て、考えるような仕草を取る。
そんなロックの様子にベニーは肩を竦めて、はあ、と深いため息を吐いた。
「──ああ……ったく、とんだ無駄足だった」
「ぼやくなレヴィ。昨日の今日だ、しょうがねえさ」
ベニーがロックへかける言葉を失ったその時、苛立ったような声音を発しながらレヴィが乱暴にドアを開けた。
後ろに続いているダッチがそんなレヴィを宥めている。
「おかえり、早かったね」
「これといった情報を得られなくてな。バオのとこにも行ったんだが、噂以上の話は聞けなかった」
「得たもんといえば、マジで亡霊が復活した可能性が高くなった、っていう事実しかねえ」
話しながら冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ドカッとレヴィはソファへと腰かける。
「本当にあの野郎が生き返った、となると……また血の嵐が吹きそうだな」
「もう吹いてるさレヴィ。──バラライカのとこにもう一体死体が増えたそうだ。それも、イエロー・フラッグのものと同じ状態のな。だが、ホテル・モスクワとは関係ない人間だったらしいが」
「……チッ」
自身のボスが淡々と告げる内容に、レヴィは苛立ちが増したのを隠すことなく舌打ちし、勢いよく缶ビールを開け呷っていく。
「ったく、これじゃ前の時と流れが全く同じだ。奴さんの目的が分からないまま、こっちは死のギャンブルにいつの間にか付き合わされてる。向こうがやりたい放題のこの上なくクソッタレなゲームにな」
ダッチは頭をガシガシと搔きながら、ベニーから缶ビールを受け取った。
ロックは密かに眉根を寄せ、一人掛け用のソファに腰かけ足を組みビールに口をつけているダッチへ視線を注ぐ。
「ダッチ、前の時と同じって?」
「そうか、二人は詳しくは知らなかったな。──前回、例の亡霊は一人の女を手中に収めようと躍起になってた。これはお前達も知ってるな」
「ああ」
「うん」
ダッチは二人の短い返答を聞くと、煙草に火を点け話を続ける。
「あの野郎はな、女が目的だってことを悟られないようカモフラージュのためだけに何十もの死体をあげた。何の前触れもなく、唐突にだ。それも人目に付くようにド派手なもんをな。しかも手口は巧妙で、マフィア達でさえ野郎の尻尾を掴むだけでも何週間とかかった。……俺達は訳も分からず、ただ気味が悪い死体が積み上がっていくのを眺めながら、己がその成れ果てにならないよう祈るしかなかったんだよ」
「は、はは……そんな大げさな」
「残念ながら大げさでも冗談でもねえよベニー。こいつはオカルトじゃねえ、本当の話だ」
苦笑いが浮かんでいるベニーの顔に対し、レヴィは真剣な表情を向けた。
缶の底に残っていたビールを勢いよく飲み干し、やがて冷淡な声音で静かに呟く。
「今回も同じだ。何が何だか分からないまま、アタイらはいきなり始まったロシアンルーレットに巻き込まれてんだよ」
再び苛立ったように舌打ちをする。
「ダッチ、レヴィ」
二人の話をただ黙って聞いていたロックは眉間の皺を深くし、重々しく口を開く。
「彼女のとこには行ったのか。──前回の景品だった、彼女のとこに」
「……」
「……」
ロックの言葉に沈黙が流れた。
その沈黙をものともせず、自身の考えを告げる。
「前回と全く同じ。なら、今回も彼女が目的だっていう可能性は十分ある」
「流石に亡霊野郎も同じ轍を踏むとは思えん。あれはとにかく狡猾な男だった」
「……まあでも、確かに流れは今んとこ一緒だよな」
レヴィの肯定するような発言に頭を掻くダッチへ更に言葉を続ける。
「──ダッチ、死んだ人間が生き返るなんてあり得ない。今回の犯人は全くの別人で、前回の件をただ模倣してるだけなんじゃないか」
「バオもあの男の顔は良く知ってる。アイツが見間違うとは思えねえ」
「亡霊が死んだのは何年も前。変装でもなんでも、顔だけならいくらでも似せる方法はある。流石のバオでも、正確に偽物と本物の見分けをつけられるはずがない」
ロックが告げた推測を聞き、ダッチは無表情で何かを考えている。
やがて煙草を一気に吸い、灰皿へと思い切り押し付けた。
「……渦中にいるかもしれねえ奴とは正直関わりたくないってのが本音なんだがね。それにアイツの事は張が面倒みると思うが」
「ダッチ、でも」
「だが、正直何も知らないままってのは怖くて眠れねえ。現状をもう少し把握したいところだな」
ダッチのぼやきに一瞬焦ったロックだが、すぐさま発せられた言葉に安堵する。
「一つだけ言っておく。アイツの生存確認が済んだらお前の出番はそこで終わりだ。これ以上深堀するな。後は張やバラライカらに任せろ。これは上司命令だ」
安堵したのも束の間、ダッチの言葉に再びロックは眉根を寄せた。
「……もし、その二人が彼女を保護しなかったら?」
「流石にあの亡霊の好きにはさせないだろうさ」
「……」
納得がいかないと言わんばかりのロックの表情を一瞥し、愛銃ソード・カトラスの調子を確かめているレヴィへ呼びかける。
「レヴィ、お前が着いて行け」
「あいよ。こいつが馬鹿しないように見張ってるさ、ボス。──行くぞ、ロック」
冷静な態度を取っているが、恩人でもある女が狙われているかもしれない事実はレヴィにとっても気がかりであることをダッチは理解していた。
勿論、ロックの暴走を止めるストッパーに適役でもあるからこその人選である。
愛銃をホルスターに収め、腰を上げるレヴィの後を慌ててロックが追いかけ、二人は足早に事務所を出て行く。
残されたベニーとダッチは顔を見合わせ、お互い同時に肩を竦めた。
かつて、ロアナプラはただの朽ちた港町であった。
世界のありとあらゆる裏社会の人間が協力し、時に激しい争いを繰り広げながら三十五年の月日を経て、闇夜の精気が満ちる悪党の安息の地──悪徳の都へと変貌させていった。
そんな街の経済を現在支えているのは、タイの有名な観光地ではない。
風俗店やクラブ、賭闘技場など淫靡な雰囲気が漂う歓楽街の収入も悪徳の都の存続を保っている要素の一つである。
その内の一つ、三合会が仕切る高級クラブ『
絢爛豪華なクラブの入り口にはマフィア達による警戒が敷かれ、鼠一匹入りこむ隙がない。
貸し切りとなった広々とした部屋の真ん中にある一つのテーブルを、四つの高級椅子が囲んでいる。
その椅子に腰かけ、それぞれ用意されていたボトルの酒に口をつけるのは、連絡会に召集されたマフィアの幹部達。
三合会、ホテル・モスクワ、コーサ・ノストラ、マニサレラ・カルテル。
今夜、街の支配者達の会合が開かれようとしていた。
「全く、メイドの件が片付いたばかりだというのに。最近は一層忙しないわね」
嗜好品である葉巻を咥え溜息混じりに発したのはバラライカ。
呆れたような表情を浮かべる彼女へ視線が集まる。
「なんだモスクワの。米軍とヤリ合えなくて鬱憤が溜まってんのか?」
軽快な口調で言葉をかけたのは、ヴェロッキオの後任であるロニー。
笑みを浮かべる口には歯列矯正の器具がついており、ロアナプラに来た直後に彼が行った粛清は街の住民に悲惨な光景を焼き付けた。
人々は彼を「ロニー・ザ・ジョーズ」と呼び、その渾名は今や街中に知れ渡っている。
「貴様が吐くくだらないコメディはつくづく私を苛立たせる。それに、お前は今笑っていられる立場なのか? 軽い言動は慎めイタ公」
「そいつはお互い様だぜ。私情で散々周りを引っ搔き回しといて、よくそんなふんぞり返れるな。お前の面の厚さは尋常じゃねえようだ」
「二人とも、そこまでだ」
いつも以上に剣呑な雰囲気が部屋を包み込む中、張が二人を諫める。
「ようやく落ち着いたからこそ、再び混乱を招くのは避けたい。我々が迅速に処理しなきゃならん」
淡々とした声音で発された言葉に、ロニーとバラライカはお互いに鋭い視線を交わすも口を閉ざした。
「早速だが本題に入らせてもらう。──諸君も知っての通り、ここ数日で妙な死体が上がっている。うちでは昨日と今朝に二体発見された」
「うちも今朝一体上がったわ」
「こっちは二体」
「うちは一体だ」
張に続いてバラライカ、ロニー、そしてマニサレラ・カルテルの新しいボスであるグスターボが各々の縄張りでの死体数を口にする。
「イエロー・フラッグのものと合わせて七体。──初日からまだ三日しか経っていないというのに、広範囲での死体数の多さ。そして全て同じ死に様となると、どう考えても異常だ」
張は
「ええ、そうね。こっちでも探りを入れたら、どうも死体を置いてった人間が中国系の顔つきだったって話よ」
「らしいな。だが生憎こちらには全く身に覚えがない」
「その言葉どこまで信用できるもんかね」
「ロニー、アナタだって人の事言えないはずよ。──事の始まりは、奴の亡霊らしいしな」
冷徹な声音で発せられた言葉に、ロニーは張り付けていた笑みを崩した。
苛立つ一つの要因であった軽薄な笑みが剥がれたことに、バラライカは心の中でほくそ笑む。
「亡霊の件について俺から一つ。……死体をウチの医者が調べたところ、五年前にも起こった大量殺人に使われたものとほぼ同じ成分のヤクが検出されたらしい。そいつをベースにしちゃいるが、快楽成分を無くし、より派手に死ねるよう改良されたものだろう、ということだ」
煙草の煙を肺一杯に入れ、灰皿へ押し付ける。
無表情で煙を吐き出した後、張はサングラスに隠れた瞳を他の面々へ向ける。
「やり口も、死に様の派手さも何もかも五年前と同じだ。そう思わないか、バラライカ」
「それにこの不快感もね」
「ああ、全くだ。……ロニー、例の亡霊はお宅のとこの人間だった。何か情報を持っているのなら、些細なことでも惜しみなく提供してほしい」
話を振られたロニーへ全員の視線が向けられる。
張の問いかけは予想の範疇だったらしく、戸惑いも苛立ちも見せず酒を口に含む。
「アイツは確かに本国で処刑された。俺もこの目で穴あきチーズになるのを見たんでな。あの時の奴が偽物じゃなかったなら間違いなく今も地獄の底にいる」
「例の薬物に関しては? 精製法を知ってる人間は一人くらいいるでしょう」
「あのヤクはアイツのオリジナルブレンドだ。レシピを知ってたのはアイツ一人だけ。それに、あれはただの殺人薬物だ。利益よりも損失がでかすぎる。ンな代物扱うには少々手が余る。だから奴の倉庫にあった在庫も全て処分したんだ。今更世の中に出回ることはないはずだった」
「だが、現に今この街を再び蝕みつつある」
葉巻を灰皿に押し付け冷淡とした声音を発するバラライカ。
「本当にヤクについて何も知らないのか?」
「残念ながらな。
酷薄な笑みを浮かべわざとらしく肩を竦めるロニーに、バラライカは呆れた表情を浮かべた。
「まあとにかく、俺が知ってるのはそれくらいだ。今回の件に関しては
「なに、関係ないってことが分かっただけでも十分さ」
ロニーの言葉に薄く笑みを浮かべる張。
大した情報は期待していなかったのか、その笑みには焦燥一つも滲んでいない。
「……となると、今回の件は奴の模倣をしている馬鹿の仕業、ということか?」
「着飾り野郎の真似事かは知らんが、くだらないことに俺たちが巻き込まれてるのは確かだな」
「死んでも尚我々に面倒をかけるなんて、いい加減にしてほしいわ。ねえ張」
「全くだ、バラライカ」
二人は互いに呆れも混じった笑みを零した。
すぐさま口端を下げ、張は考えるように顎に手を添える。
「後は、何が目的かだが……」
「前と全く同じってんなら、お宅んとこの洋裁屋が目当てなんじゃねえのか」
最早空気と化していたグスターボがようやく口を挟んだ。
張は頭を掻き、煙草の煙を吐く。
「まあ……安直ではあるが、その可能性は否定できないんでな。アイツの身柄は責任もってこっちで預かるさ。今うちの部下が迎えに行ってる」
「ハッ、随分好待遇だな。やっぱアンタも惚れた女には弱いのか?」
「男ってのはそういうもんだろロニー。それにもし本当に目的がアイツなのであれば、身近に置いた方が色々都合もいい」
「よく言うわ、前みたいに釣り餌として放置するのも手だというのに。大分過保護になったわね、貴方」
「揶揄うなよ」
ニヤリとした笑みを浮かべるバラライカに、張は思わず苦笑する。
眉を下げるも、否定も肯定もしない男にバラライカは喉の奥でくつくつと押し殺すように笑う。
「何はともあれ、目的がなんであろうとこれ以上惨禍を広げられるのは困る。この街の秩序と安寧を保つため、一刻も早く鼠の愚行を止めねばならん。──よって」
表情を切り替え、固い声音で張は告げる。
「亡霊とその手下どもの迅速な殲滅のため、連絡会に参加している四組織の共闘が必要だと俺は考える。各々思うところはあるだろうが、五年前の厄災を繰り返さないためにも相互の協力を求めたい」
張の言葉に眉根を寄せる者、冷淡な表情を浮かべる者、口元に薄笑いを浮かべる者。それぞれ思うことはあれど、誰一人異を唱える者はいなかった。
連絡会での方針が決まり、解散の言葉を張が発しようとしたその時──静かに入り口の扉が開かれる。
入って来たのは張の腹心である彪。
彼の姿を見た途端、張はサングラスに隠れた目を少しばかり見開いた。
普段彼は張の傍にいるが、今回はキキョウを迎えに行かせていたため連絡会には付いてこなかった。
──今頃は彼女と共に
支配者たちの視線が集まる中、彪は足早に張へと近づいていく。
「大哥」
背後に立ち顔を寄せられてようやく分かるほど微かだが、彪の表情に焦りが滲み出ていることを感じ取る。
一つ間を空け、耳打ちされた内容に張はサングラス越しからでも明確に驚いた表情を見せる。
「何があった、張」
張の表情を見逃すはずもなく、異常を察しバラライカはすぐさま尋ねた。
サングラスのずり落ちを真ん中を指で押さえ、くいっと上げて直す。
しばらくの間を空け、彪から報告された内容を真剣な面持ちで張は静かに告げた。