ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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最終章、6話目です。



6 虫食い跡

 春も終わりを告げ、夏に差し掛かろうとしている季節。

 薄桃色の花びらで埋め尽くされた道は元に戻り、人々は夏を迎える準備をしている。

 

 そんな四季がはっきりとしている国──日本。

 首都である東京に建つ大きな日本家屋の庭では、一人でひっそりと、池の傍らで座り込んでいる老人──藤崎 仁は餌を食べる鯉を見つめていた。

 

 彼の人生は苛烈そのものだが、そんな事を微塵も感じさせない穏やかな笑みを浮かべている。

 

「親父」

 

 仁を親父と呼び、近づくのは藤崎組若頭である佐伯。

 自身の右腕でもある佐伯の呼びかけに、仁は鯉を見つめたまま口を開く。

 

「どうした。茶でも淹れてくれるのか」

 

「勿論。ですがその前に、耳にお入れしたいことが」

 

 冗談に乗りつつも、いつもより固い声音を出す佐伯に、仁は黙って話の続きを待つ。

 

「近頃、縄張り(シマ)に出入りしてる中国系の奴らについて洗い出したところ、どうやら上海マフィア、飛龍(フェイ・ロン)衆の人間のようです」

 

「……飛龍衆か。懐かしい名だな。戻って来たところで、今や落ちぶれた組織が何かできるとは思えんが」

 

「現在目立った動きはありません。ですが、今後藤崎組(うち)に仕掛けてくるのは確実かと」

 

「懲りてないな、全く」

 

 仁はため息を吐き、数年前に行われた上海マフィアとの抗争を思い出していた。

 

 かつて、飛龍衆は日本で多くの商売に手をつけていた。

 そのうちの一つの商売によって自身の縄張りは荒らされ、その上堅気にまで手を出されたとあっては最早潰す以外の選択肢はなく、一年と数か月の抗争を繰り広げた。

 

 藤崎組の抗争とある事件によって飛龍衆は政界からは切られ、裏社会からも追い出され、日本で動くことさえままならず自分たちの故郷に帰っていた。

 

「特に懸念することもないだろうが念のためだ。飛龍衆の目的を洗っておけ」

 

「……親父、そのことについてなのですが」

 

「なんだ」

 

「先程、その……」

 

 普段は確然たる姿勢で喋る男が歯切れは悪く、言葉を選んでいる。

 若頭の珍しい様子に仁は振り返り、顔を見やる。

 

「どうした、お前らしくもない」

 

「──失礼しました。実は、ホテル・モスクワのバラライカから連絡がありまして」

 

「……あのお嬢さんか。なぜ」

 

 唐突に出された名前に、流石の仁も驚きの表情を見せた。

 

「どうやら、ロアナプラでも飛龍衆が動いてるようで」

 

「それが何でこっちに関わって来る」

 

「……」

 

 仁の問いに、佐伯は口を噤む。

 言うのを躊躇う佐伯に、すぐさま声を低くし催促する。

 

「はっきり言え、佐伯」

 

 親父の命令は絶対。やくざ者であれば誰もが身に染みている掟。

 佐伯は意を決し、仁の顔を見据えたまま静かに告げる。

 

 

 

 

 

「──キキョウ……李緒さんが、飛龍衆に捕らえられたそうです。バラライカから、彼女についての情報提供を求められています」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 ──路南浦停泊所の桟橋の上で、バラライカは紫煙を燻らしていた。

 ただ静かに、太陽の光によって輝きを放ちながら波打つ穏やかな海を見つめている。

 

 彼女がここにいる理由は、そんな街の喧噪を忘れてしまいそうな絶景を眺めるためではない。

 

「待たせちまったか」

 

 背中越しに聞こえてきたのは、最も事態の収束を望んでいるであろう男の声。

 普段と変わらぬ悠然とした声音にバラライカは煙草を落とし、足で踏み潰す。

 

「そうでもないわよ。時間厳守が美徳なのは変わらないみたいね」

 

「あんたとの会合は最優先すべき事柄だ。そりゃ何が何でも駆けつけるさ」

 

「どうだか。貴方が今でも駆けつけたい相手は別にいるんじゃなくて?」

 

「……」

 

 言葉を交わす間、二人の距離は段々と縮まっていく。

 やがてバラライカの隣に並んだ張は、彼女の最後の言葉には沈黙を貫き、懐から煙草を取り出し火を点ける。

 

 軽い冗談さえ今は乗る気がない様子の彼に、バラライカは微かに上がっていた口端を下げた。

 

「──最近うろついてる鼠の群れの正体が分かったわ」

 

 本題の切り口を告げると、新しい煙草を口に咥え、深紅に塗られた唇から煙をゆっくり吐く。

 

「飛龍衆。貴方は聞いたことあるんじゃないかしら」

 

「……ああ、ちんけな上海マフィアだろう。大分前に三合会(うち)と一回かち合ったこともある。そんな落ちぶれた奴らがなぜここに」

 

「奴らの目的は二つ。──一つはこの街の利権。矮小な組織が考えることは世界共通みたいね」

 

「全くだ、面白味の欠片もない。で、もう一つは」

 

 一切の感情が乗っていない声音での催促に、バラライカは一つ間を置いて続ける。

 

「二つ目は、あるヤクザへの手土産調達」

 

「手土産?」

 

 怪訝な声音を出す張へ視線を向け、長くなった灰を地面へ落とし「少し長い話になるわ」と静かに語り始めた。

 

「十年以上前、飛龍衆は日本で過激な舞台を催していたらしい。金持ちの道楽の道具として仕入れた堅気は数知れず。裏社会だけでなく、政界の人間も何人か関わっていた。その内の一人の政治家がより多くの利益を得る代わりに、飛龍衆の幹部に自身の一人娘を差し出す予定だった。──が、それは政治家が起こしたある事件によって白紙になった」

 

 話の続きを促すように、張は無言でバラライカを見据えた。

 期待に反することなく、すぐさま続きを口にする。

 

「妻を殺したのよ。事件自体は大したものじゃなかったけど、その政治家は表でも影響力がありすぎた。数多くの政界の人間が海外マフィアと関わっていたなんて、あまりにも不利益な事実。日本政府は飛龍衆と政界の繋がりが表に漏れることを恐れ、その事件を材料に政治家を政界から切り、当時飛龍衆を潰そうと動いていた極道と手を組み、飛龍衆の存在を闇に葬った。主な資金源だった日本での商売を失った奴らは順調に落ちぶれていった。──と、ここまでは前置き」

 

「……」

 

「飛龍衆に引き渡すはずだった政治家の娘はヤクザの友人の家族だった。その時娘には友人しか家族がおらず、その友人さえも死に一人となった時。再び娘を材料に権力を手にしようとしたらしい。だが、それも失敗に終わる」

 

「また例のヤクザが活躍するのか」

 

「今回彼の出番は少し遅かった。──今度は娘が父親を殺したのよ。色々酷い仕打ちもされたみたいだから、因果応報ってやつかしらね」

 

「……」

 

「犯罪者となった娘を気にかけていた例のヤクザは、日本からこの街へ娘を逃がした」

 

「……」

 

「そしてその情報は、何故か着飾り野郎の亡霊の手に渡った」

 

 張はそこでようやく話の繋がりを理解する。

 煙草を地面に落とし、一つ間を空けバラライカは続ける。

 

「亡霊から情報を聞いた飛龍衆の幹部──現ボスである(ハオ)は、ヤクザへの復讐のためその娘を利用しようと考え、この街に鼠を放った」

 

 

 

 

 バラライカの話に耳を傾けながら、張は咥えていた煙草を手に取り、ため息と共に煙を吐く。

 

 

 

「手土産が誰かなんて、聞くまでもねえな」

 

「ヤクザと貴方が同時に釣れる餌なんてあの子だけ。まあ、上手くかかるかは別だけど」

 

 呆れたような表情を浮かべ、心底つまらなさそうに言葉を続ける。

 

「亡霊から、娘の価値はこの街でも発揮されると吹き込まれたそうよ。──仮にもこの街で一番広い縄張りを持ってる貴方のお気に入りを攫えば、いずれ隙ができるはずだとね」

 

 

 放たれた内容に、張は片眉をぴく、と上げる。

 

 

「初めは三合会の縄張りだけ荒らし、丸め込もうとする計画だった。ただ、そうなるとホテル・モスクワ(うち)やコーサ・ノストラも少し邪魔。だから三合会だけでなく街全体にヤクをばら撒き、乗り込む算段をつけてたみたいね」

 

 バラライカの話に耳を傾けながら、張は咥えていた煙草を手に取り、ため息と共に煙を吐く。

 

 

 

「──バラライカ、今の話はどこから聞いた。アイツの情報は死んだということ以外手にできなかったはずだ」

 

 

 素直な疑問をバラライカへ投げかける。

 語られた話はこれまでホテル・モスクワや三合会のコネクションでさえ得られなかった情報。

 

 たった一人の女について分かっていたのは、ある洋裁屋から辿ってようやく知れる程度の僅かな経歴。そして、既に死んだとされていることだけ。

 肝心の本名、詳細な経歴、顔写真さえ知ることができなかった。

 

 まるで、国そのものが彼女の存在を隠しているかのように。

 

 何故そんなものを目の前の女が語れたのか、張が疑問に思うのは当然だった。

 

「例のヤクザとちょっとした縁があってね。中々首を縦に振ってくれなかったけど、なんとか彼の協力を取り付けた。おかげで、やっとあの子の資料を手に入れられた」

 

 そう言って書類の入った封筒を張へと手渡す。

 書類を取り出し、静かに読み始める張を横目に言葉を続ける。

 

「あの子の個人情報はトップシークレットとも言える扱いだった。政界の汚職が絡んでた上に、例の政治家はいずれ日本にトップになるはずの男だったのもあったから念には念をってことなんでしょう。道理で調べがつかないはずだわ」

 

 

 

 ふと、バラライカはいつか聞いた彼女の言葉を思い出していた。

 

 

 

 

『──私はただ、一人の男を最後まで否定しただけですよ』

 

 

 

 かつて放った「なにをしでかしたのか」という問いに返って来た一言。

 その男が、彼女がこの街に流れてきた理由だと薄々感づいていたが、まさか政界の中心人物とは思っていなかった。

 

 彼女の全ての不幸の元凶は自身の父親。

 日本で自ら絶ったはずの男との因縁が、海と年月を隔てても尚彼女を縛り続けている。

 

 ここまで不運なことは中々ないだろう。

 今もどこかで亡霊に弄ばれているであろう彼女に、バラライカは哀れみを感じざるを得なかった。

 

「アイツの巻き込まれ体質は生まれつきだったか。ここまでくると同情を覚える」

 

 資料に目を通し終えた張は、煙草を地面に落とし踏み潰す。

 バラライカは淡々とした声音での呟きに胸の内で同意し、渡すべきか今の今まで迷っていた彼宛ての手紙を、意を決し胸ポケットから取り出す。

 

「勝手に中身見ちゃったけど、ついでにこれも渡しておくわね」

 

「…………亡霊からの手紙か」

 

「ええ。もしかして、既に受け取ってたかしら?」

 

「ご丁寧に死体のおまけでついてたよ」

 

「あらそう。なら、これはいらないかしら? 貴方宛てだから渡した方がいいと思ったけど」

 

 眉間に皺を寄せ、差し出された白い封筒をサングラス越しに睨む。

 少しの間の後、徐に受け取り中の写真を目に映すと「はっ」と嘲笑する。

 

「センスがねえな。少しは趣向を変えりゃいいものを」

 

「……へえ、意外と冷静ね。もう少し苛立つものと思ったけど」

 

「まあ、つまらんもんに巻き込まれた苛立ちはあるがな。それよりも、こんな形でアイツの本名を知っちまった方がショックだね」

 

「あら、なぜ?」

 

 

 

 

 張は写真をポケットにしまい、サングラスのズレを直す。

 

 

 

 

「アイツの口から直接聞きたかった。なに、男のつまらない願望さ」

 

 

 

 

 わざとらしく肩を竦めて見せる張に、バラライカは思わずくす、と微かに口端を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 一体、どれほどの時間が経っただろうか。

 時間の感覚が奪われてしまい、何日ここにいるのかも、今が昼なのか夜なのかも分からない。

 

 これまで何度も気絶してはその度に起こされ、あの男にされるがまま身体を傷つけられた。

 シャツは裂かれ、露になっている胸元には煙草を押し付けられて出来た火傷痕が広がり、鼻から垂れた血は口元にまでこびりつき、右腕は骨を折られ歪んだ形で鎖に繋がれている。

 失血死しないよう考慮しているのか、鼻以外から血はそこまで出ていないものの、最早痛みの感覚さえなく身体を動かすことはできない。

 

 煙草を押し付けられ、腕は折られ、逃げることは叶わない。

 

 一人の男からもたらされた今の状況に、まるで昔に戻ったようだと自嘲する。

 

 だが昔と違うのは、心はまだ相手への恐怖に染まり切っていないこと。

 この場で私ができるのはあの男に屈しないことだけ。

 その意地が、私をまだ絶望の淵に立たせていない。

 

 ふと、たった一つのドアがゆっくりと開かれる。

 閉まる音の後にカツカツ、と革靴がコンクリートの床を踏む音が続く。

 

 やがて足音が止まると同時に、だらんと首を下げたままの状態の視界に黒い革靴の爪先が映る。

 

 

  

「おはよう、よく眠れたかな」

 

 

 

 最早聞きなれてしまった声に、何とか顔を上げる。

 

「本当なら交代で痛めつけてもいいんだがな。だが、俺も彼らも君ばかりに時間を割けられないんでね。君も休憩ができて嬉しいだろ?」

 

「…………相変わらず、口が減らない男だな。毎回、面白くないことを言って、楽しいのか?」

 

 にやついている顔が目に入り、途切れ途切れになりながらも呆れを隠さず掠れた声で呟く。

 

 瞬間、左頬に衝撃と痛みが走る。

 

 殴られたのだろう。もうこの痛さにも慣れてしまった。

 

 

「こんな惨めな姿になっても、まだ死なねえのか」

 

 

 苛立ったような声に「生かしたまま連れて行くんじゃないのか」と敢えて的外れな言葉を放つ。

 「チッ」と大きく舌打ちした後、髪の毛を掴まれ強引に目を合わせられる。

 

 殺気を含んだ視線に負けまいと、相手の瞳をしっかり見据えた。

 

 

 

 

 

 

「──その瞳だよ、俺が何よりもムカつくのは」

 

 

 

 

 

 

 ヴェスティは小さく呟くと、苛立ちを露にしたまま顔を更に近づけた。

 

 

 

 

「利き腕も折った、背中と同じ痕を体中につけてもやった。なのに、なんでまだその瞳は死なねえ。何もできない愚図のくせに、いっちょ前に意地は張るってか?」

 

 

 

 

 

 ハッ、と鼻で笑うと、今度は嘲笑したような表情を浮かべ言葉を続ける。

 

 

 

 

 

「本当に哀れで馬鹿で間抜けで、意地を張ることしか能のない愚かな女だ。こんな様じゃ洋裁屋どころか女としての価値もない。多少その外見のおかげで上手く生きてきたんだろうが、最早それもできなくなった。──張はただの女が自分に歯向かったっていう物珍しさだけでお前を生かし、ついでにタダでヤれる女として都合よく抱いてたに過ぎない」

 

「……」

 

「こうしてみると、つくづく糞みたいな人生だな。何の価値もないのに無駄に生き延びて、他人の都合のいいように利用される。家畜の方がいくらかマシだろうに」

 

「……」

 

「お前、本当に張が自分に惚れてると思ってたのか? だとしたら、お前は救いようのない脳みそを」

 

「は……はは……ッ」

 

 ヴェスティが喋っている途中で思わず笑ってしまった。

 私の笑い声に、ようやくうるさい口が止まる。

 

 何故笑ったのかと言わんばかりの視線に、今度は自身の口を開く。

 

 

 

「私を罵倒するのに……そこまで必死にならなくても、いいだろうに」

 

「……あ?」

 

「嫌いな相手に、無駄な口を叩いて……ちょっかいだして……大の大人が……」

 

 

 

 本当なら大笑いしたいところだが、今の気力では僅かしか口端を上げられない。

 髪を掴む手に更に力が入るのを感じつつ、言葉を続ける。

 

 

 

 

「確かに、私、は……愚かな女だ……何もないのに、高望みしてきた……それは事実」

 

 

 

 ヴェスティの言う通り、あの人が私に惚れるなんてあり得ない。

 その上、こんな傷ついた体ではもう彼と夜を共に過ごすことさえできないだろう。

 彼の隣に立ちたいなんて、最早心の中で口にするのもおこがましい。

 

 

 

 

 ──ただ、どんなに惨めな姿になっても尚、私はこの男に屈しなかったという事実を彼に知ってほしい。

 そして、爽やかささえ感じるあの飄々とした笑みで「お前らしい」と言ってくれたらいいなと、こんな時でも思ってしまう。

 

 

 

 こういうところが、きっと私の愚かさなのだろう。

 

 

 

「だがお前は……そんな愚図で、馬鹿な女への嫌がらせのために、何年も無駄にしたことを、分かってない」

 

「……なんだと」

 

「復讐なんて、言葉を使うには……あまりにも、お前の行動は……子供じみている」

 

 たった一つの小さな望みが。あの人の存在が、私を私でいさせてくれている。

 微かに上げた口端を保ったまま、怒りの表情に満ちた顔を見据えたまま告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に哀れなのは、一体どっちだろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の精一杯の嫌味は、目の前の子供を怒り狂わせるには十分だった。

 

 

 

 

 ──そこから先は、ただひたすら自分の血の味ともたらされる痛みを感じることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

「──うーん」

 

 ラグーン商会事務所のソファで、ロックは写真を片手に唸っていた。

 彼の目に映っているのは、写真の裏に記された一言。

 

「ロック。ずっと写真と睨めっこしてるが、何が引っかかってる」

 

「いや、この一文がどうしても気になってさ」

 

 愛銃を磨きながら、レヴィは小一時間ほど唸っている相棒に堪らず声を掛けた。

 言葉を短くかわした後も、ロックはぶつぶつと呟きながら思考を巡らしている。

 

Where the holy Hannah rests in the sea hangs.(海に眠る聖なるハンナが吊られし場所)。絶対何か意味があるはずだ」

 

 わざわざ張へ宛てた手紙に記したということは、必ず何か意図があるとロックは確信していた。

 顎に手を添え、眉間に皺を寄せる。

 

「この書き方からして、場所を示してるのは確かだ。だけど、『海に眠る聖なるハンナ』っていうのが分からない。一体何のことを言ってるんだ……」

 

 前回の事件をなぞって今回の騒動は起きている。

 なら、五年前と何かしら関りがあるのだろうか。

 

 心の中でも呟きながら、今度は騒動の元となった前回の事件の流れを改めて思い返す。

 

 

 

「キキョウさんを手に入れようとしたのが発端……そこから街で騒ぎを起こし、仲間を差し出した……その後は……」

 

 

 

 ふと、ロックの口が止まる。

 彼の頭の中に浮かんでいるのは、ラグーン号でキキョウから語られたある女の子の話。

 

『犯人があの男だって張さん達が気づいたのは女の子がきっかけで、自分の犯行だとバレた原因であるその子を腹いせで殺したの』

 

 自分が原因で殺されたと、自嘲したかのような微かな笑みを浮かべて話してくれた。

 誰もその女の子について触れていなかったから、気づくのに時間がかかってしまった。

 

 微かな希望を抱き、当時の事を知っている目の前の彼女へ顔を向ける。

 

「レヴィ」

 

「あ?」

 

「キキョウさん、確か仲良かった娼婦の墓参りに毎年行ってるんだよな」

 

「ああ、それがどうした」

 

「その子の名前、分かるか」

 

 真っすぐな視線を向けられ、唐突の質問に訳が分からないままレヴィは答えを口にする。

 

「──アンナだ」

 

 瞬間、ロックの中ではピースが全て嵌ったような感覚が巡る。

 目を見開き、再び写真に記された一文へ視線を向けた。

 

「そうか……そういうことか」

 

 納得したような声音で呟いた後、ロックは勢いよく立ち上がった。

 

「お、おいロック?」

 

 手紙と携帯を手に取り、困惑顔を浮かべているレヴィへ声を掛ける。

 

「レヴィ、少し出かけよう。確かめたいことがある」

 

「……急にどうした」

 

 戸惑いながら愛銃をホルスターに収めつつ、スタスタと出入口のドアへ歩くロックへ問いかけた。

 ドアノブに手をかけ、レヴィへ視線を向けながら告げる。

 

 

 

 

 

「彼女の居場所が分かったかもしれない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──『海に眠る』は文字通り。ハンナっていうのはヘブライ語で恩恵。これに『聖なる』がつくとなると、多分聖アンナのことだ。ハンナはギリシャ語だとアンナになる。そして、その聖人が吊られたっていうのは死を意味する」

 

 ラグーン商会事務所を出た後、ロックはすぐさま携帯を片手に車を走らせた。

 自身の推測を報せるべき相手である張は呼び出しにすぐさま応じ、ロックは焦りを少し滲ませた声音で語る。

 運転しながら繰り出される話を、レヴィは助手席で煙草を吸いながら耳を傾けている。

 

「つまり、あの一文の意味は『海で眠ってるアンナという女性が最期に殺された場所』になります」

 

『だがあそこは何年も使われてない。人が出入りした形跡はなかったが』

 

「古い倉庫となれば自然と調べも甘くなる。恐らくそこを突かれたのかもしれない。相手は街中にある監視カメラを潜り抜けるほど狡猾だ。そんな人間にとって形跡を残さず、倉庫の部屋を隠すことは容易い」

 

『……わざわざあんな古倉庫に、か』

 

 張が呟いた後、トントン、と机を指で叩く音が聞こえてくる。

 ロックは息を小さく吐き、レヴィが無言で指差す方向へ車を走らせる。

 

「亡霊はヴェスティが起こした騒動をここまで模倣した人間だ。なら、ヴェスティが貴方たちに捕らえられた原因であり、キキョウさんの友人だった女の子が殺された場所を使うのは不思議じゃない。亡霊が彼女に拘っているなら尚更だ」

 

『……』

 

 ロックはハンドルを握る力を強めながら、一つ間を空けて言葉を続ける。

 

「彼女がいなくなってもう五日だ。あの写真の様子じゃ、生かされてるとしても五体満足無事なわけがない。今、どんな姿になっているか想像もできない」

 

『想像したくない、の間違いじゃないか?』

 

「それは貴方も同じでしょう」

 

 

 淡々と言葉を返し、ハンドルを握り直す。

 

 

『奴の悪ふざけ、という可能性もある』

 

「だとしても、確かめない訳にはいかない。今その古倉庫にレヴィと向かってます」

 

『仮にあそこが当たりだとして、どうやって俺に知らせる。そうなったら悠長に電話できる暇はないかもしれん』

 

「現場に着きそうになったらかけ直します。そのまま繋いでおいて、外れなら俺から切ります。当たりなら、中継を聞いて貴方自身がどう動くか判断すればいい」

 

『なるほどな』

 

 張から納得したような声音が発せられる。

 レヴィが再び無言で差す方向へハンドルを切った。

 

『これで当たりだったら、お前にはボーナスもつけてやらねえとな』

 

「ご自由にどうぞ。じゃあ、また後で」

 

 少しの冗談を最後に二人の会話は終わる。

 携帯をポケットに入れ、両手でハンドルを握り「次はどっちだ」と指示を仰ぐ。

 

「そのまま真っすぐだ」

 

「分かった」

 

 淡々とした指示に素直に頷き、アクセルを深く踏みスピードを上げた。

 

 







皆さま、いつも読んでいただきありがとうございます。
今回はキキョウさんの過去について伏線を回収するお話になりました。

そして、いよいよ次は「ロアナプラにてドレスコード……」の終幕への大きな一歩を踏み出す内容になります。
まだもう少し続きますが、引き続き見ていただけたら嬉しいです。

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