ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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最終章、7話目です。

※注意※
キキョウさんがとても酷いことになってます。
心の準備を……。


7 もがれた花弁

 かつてロアナプラは土地の場所故に、黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)から運ばれる麻薬の密売所としても有名な港町であった。

 数多くの麻薬が集った時代の名残からか、今や誰からも使われていない無人倉庫もいくつか存在する。

 

 その内の一つである、街の端に位置する大型の無人倉庫。

 

 ロックは倉庫の入り口が見えてきた位置で車を停め、約束通り張の番号へ再びかける。

 短く「着きました。通話はそのままで」と放った後、ポケットに携帯を入れた。

 

 レヴィと同時に車を降り、いつもよりやや早い歩調で倉庫の道を進む。

 やがて、錆びた扉の前に立つと、レヴィは無言でソード・カトラスをホルスターから抜いた。

 

「静かすぎるな。()()()()()()

 

「ああ、見張りが一人もいねえ。──妙な空気だ。鍵もかかってねえ」

 

「ここが当たりなら、罠かもな」

 

「引き返すか?」

 

「いや、このまま行く」

 

 

 ロックは一歩前へ踏み出すと、後ろで二挺拳銃を構えている相棒へ声を掛ける。

 

 

「行こう、レヴィ」

 

「オーライ」

 

 一つ間を空け、ロックは入り口である引き戸の取っ手を両手で力強く開けていく。

 錆びた鉄と鉄の音が鳴り響き、やがてひと一人入れる隙間ができる。

 

 ロックが引き戸から手を離した瞬間、レヴィが戸に背をつけ、隙間から中の様子を見る。

 数秒後、勢いよく中へと入り、銃口を自分の視線の先へ向けた。

 

 しん、と静まり返る空間の中、レヴィは銃を構えたまま静かに歩き出す。

 彼女の足が動いたのを目にし、ロックも倉庫の中へ足を踏み入れる。

 

 ── 一見、ただの古びた倉庫。

 中央にぶら下がるチェーンブロックは錆びており、その真下には乾いて黒くなった血がコンクリートにこびりついている。

 

 人の気配はなく、静寂が二人を包み込む。

 

「普通ならここで撃たれてもおかしくねえが……嫌な気配は変わらねえな」

 

「俺にも分かるよ。やっぱり妙だ」

 

「気抜くなよ、ロック。相手は銃じゃなくヤクで勝負を仕掛けてきた野郎だ。アタシでもアンタを守れるか分からねえ。何があっても自分の命優先にしろ、いいな」

 

「ああ」

 

 強張った表情のまま、二人は徐に足を動かした。

 ロックは彼女の居場所の手掛かりを探そうと、倉庫の奥で積まれている廃材の山へと近づく。

 レヴィは銃を下ろし、彼の後ろを無言で着いて行く。

 

 木材や瓦礫を所々触れていき、細かいところまで確認していく。

 

 やがて、薄汚れているビニールシートが被せられている箇所へたどり着く。

 

 勢いよくシートを剥がすと、鉄骨と木材、煉瓦が転がっているのみだった。

 例外なく廃材へ手を伸ばし、懸命に手掛かりを探っていく。

 

 

 やがて壁際で積み上がっている鉄骨に触れた途端、ロックの手が止まる。

 

 

「……これは」

 

 ロックが感じたのは、鉄特有の冷たさではなくペンキで塗装された木材の感触。

 鉄骨ではないそれを調べようと、一番上にあるものへ手を伸ばし動かした瞬間、下に積まれているものも全て繋がっているかのように、同じように動く。

 

 

 

 ──積まれたかに見える鉄骨ではないそれは、一つの大きな壁となっていた。

 

 

 

「……」

 

 

 

 そのことに気づいたロックは勢いよく木製の鉄骨の壁を前へ倒す。

 

 ガタン、と大きな音と共に現れたのは、一つの灰色のドア。

 即座に二人の間には最大の緊張感が走る。

 

「レヴィ」

 

「ここまでご丁寧に隠してたってことは、十中八九そうだろうな」

 

 レヴィは咥えていた煙草を吐き捨て、ソード・カトラスを握り直す。

 眉間に皺を寄せ、ドアノブに手をかけようか迷っているロックへ煙草を踏み潰しながら声を掛ける。

 

「ロック、そのドアを開けるのは応援が来てからの方がいい。大事に取っておいた餌を亡霊がいつまでも放置するはずがねえ」

 

「……」

 

「にも関わらず、まだ現れねえってことはアタイらをその中へ誘い込もうとしてるか、入った瞬間殺そうとしてるかだ。運よく本当にいなかったとしても、こんな不気味な事に突っ込むには無謀すぎる」

 

「でも……」

 

「キキョウを助けたいのはアタシも一緒さ。だが、張の旦那が来るまでここは大人しく」

 

「帰るのか? 寂しいねえ、折角の客人をもてなそうと思ったんだが」

 

 

 

 渋い顔のロックへ提案するレヴィの声を遮ったのは、二人の背後から届く男の声。

 

 

 

 瞬間、レヴィは鋭い視線と銃口を声の主へ向ける。

 

 

 ロックも同時に同じ方向へ視線を動かすと、目に映ったのは整った黒髪に、黒いロングコートを身に着けている高身長の男。そして、その後ろで銃を構えている男二人。

 お互い銃の引き金(トリガー)を引くことはなく、牽制状態が続く。

 

 緊張感と殺気が漂う中、高身長の男はただ一人口端を上げ余裕の笑みを見せる。

 

「いやあ、まさか俺が少し留守してる間に客人が来るとはな。戸締りしてなかった俺も悪いが、勝手に入るのは行儀が悪いぞお二人さん」

 

「はっ、女一人こんなとこに閉じ込めていたぶってる悪趣味野郎がよく言うぜ。説教する前に、テメェの行動を見直しな」

 

「やれやれ、この街の女は何かと口が悪いな。可愛げの欠片もない」

 

「生憎、そういうのは昔から品切れでね。男に振りまく愛嬌なんざ娼婦だけに期待しな亡霊野郎」

 

 

 わざとらしく肩を竦める亡霊との会話にレヴィはただ冷たい声音で応じる。

 ここで引き金を引けば、ロックを逃がせる可能性が更に低くなってしまう。

 今も逃がせる確率は十分低いが、ここから更にゼロへ近づかせることは避けなければならない。

 

 相手の出方を探り、なんとか応援が来るまで持ち堪える。

 これが今できる最大の事だった。

 

 そんなレヴィの考えを知る由もなく、ロックは冷静を保ちつつ口を開く。

 

 

「あんたが、亡霊」

 

「君は以前この街にはいなかったな。──ヴェスティだ、名前だけでも覚えてくれよ」

 

「……この五日間、何度もその名前を聞いたんだ。嫌でも覚えたさ」

 

「そりゃ嬉しいね」

 

 

 殺伐とした会話の後、再び静寂が訪れる。

 殺気と緊張感が満ちている空間で、誰一人動こうとしない。

 

 やがて数分経った後、唐突に銃声が鳴り響く。

 ヴェスティの後ろで構えていた男の内一人がレヴィへと発砲したのだ。

 

 

 

「下がれロック!」

 

 

 

 弾丸が当たることはなく、レヴィは横へ走りながら指示を出し引き金を引く。

 武器を持っていないロックはいつものように鉄火場を彼女に任せ、隠されていたドアへと手を伸ばそうとした。

 

 だが、ドアノブに触れる前にその手は止まる。

 ──ロックの後頭部には、銃口が押し付けられていた。

 

 

「ロック! ……くそっ」

 

 

 男二人を相手にしているレヴィはロックの元へ駆けつけることはできない。

 彼女の助けは期待できないと判断し、後ろの男の出方を待つ。

 

「君たちは張の差し金だろ。俺を殺せと依頼が?」

 

「……俺達は殺し屋じゃない、ただの運び屋だ。アンタを狙ってるのはあくまでもマフィア達であって、俺達は別の目的があってここに来た」

 

 レヴィの銃口を避けて、大分距離があったはずの自身の元までやって来た。

 鉄火場から身を引く立場であっても、この男が相当の手練れであることは理解できる。

 

 だが、そんなすぐ殺せる立場だというのに悠長に話を切り出したということは、まだ自分が殺されるまでほんの少し猶予がある。

 この小さなチャンスを逃すまいと、慎重に言葉を交わす。

 

「別の、ねえ。てことは、あの女を助けに来たのか? たかが女一人のために運び屋を動かすとは。張もヤキが回ったな」

 

「確かに俺達は張さんから依頼された。でもそれだけじゃない」

 

「あ?」

 

 銃口を向けられている緊張感の中、冷静を保とうと小さく息を吐く。

 やがて、ゆっくりと顔をヴェスティへと向け、はっきり告げる。

 

 

「彼女にこのまま死なれちゃ困る理由が、俺達にはある。だからここに来た」

 

 

 

 ロックの言葉にヴェスティは目を見開いた後、薄い笑みから酷く冷めた表情へ変え「ああ、なるほど」と呟く。

 

 

 

「お前もあの女の毒牙にかかったクチか。全く、東洋人の好みはあれなのか? 一体、何がいいんだかなあ……理解に苦しむ」

 

 

 心底呆れたような声音を発し、ため息を吐く。

 ロックは眉間に皺を寄せ顔を見据えていると、ヴェスティは何か思いついたかのように今度はニヤリとした表情を浮かべる。

 

「まあ、そうだな。たった一人の女のためにここまで来た男の気概を無下にするのは、ちとあんまりかもな」

 

「え……?」

 

「見たところお前は丸腰だし、いいだろう」

 

 

 歪んだ笑みを浮かべながら愉しげに話すヴェスティに、ロックは背筋に嫌な汗が伝うのを感じた。

 

 

 

「会わせてやるよ。あの腐った果実みたいな女に」

 

 

 

 放たれた一言に、今度はロックが目を見開いた。

 

 

 

 

 

「会いたいだろ、キキョウに。アイツはその扉の向こうだ」

 

 

 

 

 

 催促するように、銃口を更に押し付けられる。

 抵抗することを許されない空気の中、ロックは恐る恐る手を伸ばした。

 ドアノブを回し、ギギギ、と錆びた音を響かせながらゆっくりと押す。

 

 ドアが開かれロックの視界に映ったのは、真っ暗な空間に階段が下へと続いている光景。

 

 後ろで多くの銃声が響く中、「ロック!」と相棒の声が届く。

 

 

 

「さあ、どうぞ」

 

 

 

 唾を飲み込み、拳を強く握り、意を決して足を動かす。

 

 外の光のみが照らしている階段を、二人はゆっくりと降りていく。

 

 やがて階段の終わりと共に見えてきたのは、一つの錆びた灰色のドア。

 最後の一段を踏み、ドアの前でロックは足を止める。

 

「どうした、行かないのか?」

 

 躊躇っているロックを愉快そうに見ているヴェスティが声を掛ける。

 声音から愉しんでいることを察し、ロックは心の中で舌打ちしながら徐にドアを開ける。

 

 

 

 途端、ドアの向こうから血の匂いが混じった悪臭が一気に漂う。

 

 

 

 顔をしかめ、たった一つの電球が照らす部屋の中を見据える。

 

 

 

 

 

 すぐさまロックの視界に入ったのは──部屋の奥で両手足を鎖で縛られ、関節が複数あるかのように歪んだ右腕。露になった胸元に多くの火傷痕が刻まれたキキョウの姿。

 

 

 

 そんな変わり果てた彼女の姿に、ロックは考える間もなく飛び出した。

 

 

 

「キキョウさん!」 

 

 

 

 銃を突き付けられていたことなど忘れ、真っ先にキキョウの元へと駆け寄った。

 力なく下へ向いている顔を両手で上げると、気を失っているのか目は閉じており、鼻から垂れた血はこびりつき、頬が腫れている顔が目に入る。

 

 生気を感じない姿に、ロックの脳裏には“最悪の事態”がよぎり、焦燥な表情で必死に声を掛ける。

 

「キキョウさんッ!」

 

「……」

 

 

 目の前で呼びかけても反応しない。

 それでもロックは叫びにも似た声を出し続ける。

 

 

 

「キキョウさん! 俺です! ロックです!」

 

「……」

 

「目を開けてください! キキョウさん!」

 

 悲痛な声で叫ぶ運び屋を後ろで見ながらヴェスティは静かに銃を懐に収め、気づかれないようゆっくりとドアを閉め鍵をかける。

 

 そのことにロックは気づくことなく、震える両手でキキョウの両頬を包み、何度も彼女の名を呼ぶ。

 

「キキョウさん!」

 

「…………ろ……く……」

 

 彼の呼びかけが功を奏したのか、キキョウの瞼と口が微かに動く。

 掠れた声音で途切れ途切れだが、確かに自身の名を呼んだことに心底安堵する。

 

「キキョウさん、しっかり」

 

「な……で……」

 

「貴女を助けに来ました。レヴィも一緒です」

 

「…………に……な、さ……」

 

「喋らないで。今は生きることだけ考えてください」

 

 安堵したように微かに口端を上げ、乾いた血がこびりつきザラザラとした頬を両の親指で撫でる。

 やがてゆっくりとキキョウの顔を下ろすと、後ろを振り返りニヤニヤと笑みを浮かべている男へ怒りの表情と声を向けた。

 

「アンタ……なんで、こんな……!」

 

「落ち着けよ、何も殺す気はない。ただ、少し痛い目見てもらおうとしただけさ」

 

「少し……これのどこがッ」

 

「俺だってここまでするつもりはなかった。だが、こいつが無駄な意地を張って生意気な口を叩いた。圧倒的に自分が不利な状況でも尚、俺を苛立たせやがった。自業自得だ。──思えば、あのアンナって娼婦もそうだったな」

 

 

 ヴェスティはポケットからCamel(煙草)を取り出し火を点ける。

 息と共に煙を吐き出し、キキョウとロックを見据え語り始めた。

 

 

「世界でも特に腐った肥溜めのこの街で育ったメス豚のくせして、自分が一番良い女だと思い込んでた。そんな豚に誑かされた仲間も不甲斐ないが……何より男のナニを咥えてきたドブの匂いがする口であの方に生意気な言葉を吐きやがった」

 

 

 

 苛立った声音で発せられる、さっきまでの丁寧な口調とはかけ離れた酷い言葉の羅列にロックは眉間の皺を更に寄せる。

 

 

 

「自分が最高な女だと勘違いしてた娼婦如きがしゃしゃり出やがったから、あの方がわざわざ処刑する羽目になった。今思い出しても腹が立つ。──まあ、あれの最期がまさにメス豚らしく無様だったのが唯一笑える点だな」

 

 

 

 朧げな意識の中で聞かされる自身の親友の話に、キキョウは残った僅かな力で視線をヴェスティへと向ける。

 何か言いたげな瞳に見据えられていることに気づくと大きく舌打ちし、「その()をやめろ」と吐き捨てると、煙草を床へ落とし荒々しく踏み潰す。

 

 

 

「相変わらずムカつく女だ。──本当、なんであの方はお前に拘ったのか」

 

 

 

 酷く冷めた表情で呟き、新しい煙草を咥える。

 

 

 

「そうだ……お前如きの存在があの方を縛っていい訳がない。お前があの時黙って彼の言うことに従ってれば、あんなことにならなかったんだ」

 

 

 

 前髪を軽くかき上げながら、目の前で痛々しい姿で捕らえられている女を睨む視線には殺気が含まれていた。

 飄々とした態度しか見せなかった彼の鋭い眼光に、ロックは一瞬息を忘れた。

 

「マフィアってのは誇りだなんだと言っちゃいるが、所詮面子を気にしないと生きていけない無様な人種だ。……だが、あの方はそんなマフィアの中でも本当に素晴らしい人だった。人心掌握に長け、目的のためなら何だって利用し突き進み、欲しいものを余すことなく手に入れていた。傍から見りゃ、自分の思うがまま他人を利用しているだけのクズに映る。だがあの方を慕い傍に居た人間はマフィアも含め誰一人、彼をそんな風に思ったことはない」

 

 ライターを取り出し、煙草に火を点ける。

 昔を懐かしむかのように微かな笑みを浮かべ、顔を天井へ向けるとゆっくりと煙を吐く。

 

 ロックは唐突に始まった話に困惑するも、最大の緊張感が張り詰めている空間では彼の話を遮ることはできなかった。

 ただ背中に滲む汗を感じながら、目の前の男の話に耳を傾ける。

 

「俺はそんなあの方にすべてを教わった。麻薬の作り方、ルートの確保方法や捌き方、人を騙すためのコツ。そして、誰にも屈することない男の生き様を見せてくれた。そんな男の右腕として認められたのは俺の誇りだったし、これからもそう生きていくんだと思っていた」

 

「……」

 

「だが、五年前この女と出会ってから全てが狂った」

 

 

 一つ間を空けて放たれた声音はとてつもなく冷めたもの。

 ぐしゃ、と咥えていた煙草を握り潰し、再び鋭い視線をキキョウへと向ける。

 

 

 

「服を集めるのが趣味な彼は、この女を手に入れることしか考えなくなった。何度も“彼女の腕は素晴らしい”だの、“可愛くてものにしたい”だの聞かされたよ。そこまではいいんだ。彼のためなら、俺はなんだってやると決めていたからな。──問題なのは、こいつがあの方の誘いに首を縦に振らず、陥れたことだ」

 

 

 

 

 

 ぐしゃぐしゃになった煙草を床へ落とし、更に力強く踏み潰す。

 

 

 

 

 

「お前が素直にあの人と共に来れば、張にも遅れを取らず生き延びたはずだった。あの方は……ボスはとてつもなく頭がよくて、機転も利いて、それを一人で実行できる力があった。そんな人が、たかが香港マフィアごときにヘマするわけねえんだよ」

 

 

 

 

 男が語っているのは、かつてこの街でマフィア達を相手取った『クソ紳士』の話であることをロックは途中から気づいていた。

 そして、目の前の亡霊は誰よりもヴェスティに心酔していることも。

 

 ヴェスティを褒め称えたその姿は、悪徳宗教の洗脳に近いものをロックに感じさせた。

 

 

 

 

「だから、あの方が殺されたのはこの女のせいだ。全部、この女が言いなりにならなかったのが悪い」

 

 

 

 

 まるで子供のような言い分に、ロックは思わず顔を引きつらせる。

 

 それってただの逆恨みだろ、と喉まで出かかった言葉を何とか抑える。

 そもそも、当時は既に張との信用ができていたのだから、尚更彼女がクソ紳士の言いなりになるわけがないことは簡単に考え付く。

 

 ただ一人の男が勝手に暴走し、勝手に仲間を差し出して自滅への道を早め、マフィア達に制裁されただけの事。

 彼女に何の罪もない。

 

 ロックは怒りと同時に呆れさえ感じていた。

 

「俺はな、あの人が死んだ時からずっとこの女に復讐するためだけに生きてきた。この女が壊れるまで耐えがたい地獄を味わってもらう。悪趣味上海マフィアのボスに渡せばそれが叶う。今日がその日だ。──長かった俺の復讐も、ようやく終わる」

 

 

 

 酷く冷めた声と視線を二人へ浴びせ呟く。

 

 

 

 ──瞬間、ドアの向こうから多くの銃声と怒号が響き渡る。

 

 

 

「あー……やっぱこうなるか」

 

 

 ロックは驚きと困惑が混じった表情を滲ませる。

 ヴェスティは後ろのドアに顔を向けながら淡々と呟いた。

 

「まあそれは想定内だが、問題は向こうの数だな。相手は三合会かホテル・モスクワのどっちか……いや、あるいは両方か? となると、ちと苦労するかもな」

 

 はあ、とため息を吐く焦燥を感じさせないヴェスティにロックは恐る恐る声を掛ける。

 

「……こんなところで油売ってていいのか。仲間が戦ってるんだろ」

 

「おいおい、いくら好いた女と二人きりになりたいからってそう焦って追い出さなくてもいいだろ。まあ、もう少ししたら出て行ってやるからそれまで待てよ」

 

「もう少し?」

 

「この街に集まるのは飛龍衆の大半だ。百以上が相手なら元軍人どもや香港マフィアも少しは苦労するだろうが、退かせられるとは思っちゃいない。数こそ正義とは言うが、向こうも精鋭揃いらしいからな。真っ向勝負じゃ勝ち目は低いだろう。そこで、俺の商品が役に立つってわけだ」

 

 薄笑いを浮かべ、懐から透明な液体が入った一つの瓶と何かのスイッチらしき機械を取り出しこれ見よがしに見せる。

 

「この倉庫にいくつかこの薬が散布されるよう仕掛けをしていてね。これを吸えばたちまち末梢神経障害(ニューロパチー)を起こして、耐性がない奴は動けなくなる。本当はVERA(ベラ)を使いたかったんだが、あれは散布用じゃない上に仲間もろとも死なせるのはいただけないんでな」

 

「……あんたのお仲間だって、全員耐性があるわけじゃないだろ」

 

「まあな。だから作用しないようここへ来る前に別の薬を飲むよう指示してある。そこまで考えなしじゃないさ」

 

 

 

 ふと、ロックの中で一つの疑問が生じる。

 何故、彼は自身にここまで喋るのか。

 初対面、かつ自分の目的を阻害しようとしてる相手にここまで喋る理由はなんだ。

 

 

 不気味な状況に、ロックは意を決して口を開く。

 

 

「なんで、俺にここまで」

 

「話すのかって? ただの気まぐれさ。それに、もうすぐ死ぬ奴に喋ったって問題ないだろ」

 

「……」

 

「まさか、生きて帰れると思ってたのか? めでたい頭だ」

 

 嘲笑するように鼻で笑うと、瓶とスイッチをポケットに入れた。

 

 

「あー、そうだ。お前に一個聞きたいことあったんだ」

 

 

 

 思い出したように呟くと、キキョウに視線を向ける。

 

 

 

「その女のどこがいいんだ?」

 

「……」

 

「俺は全く魅力を感じないが、顔は多少整ってる上に胸もまあデカい。でもそれだけだろ? こいつは他人の力がなきゃ生きていけないくせに、媚びを売ることもできない無意味に生き意地張ってるだけの女だ。この街で今まで五体満足で生きてたのは奇跡に近い」

 

 

 ロックは拳を握りしめ、顔をしかめた。

 すぐさま汚いものを見るかのような視線から庇うように、キキョウの前へ立ちふさがる。

 

 目の前の男は、何人も惨い殺し方で葬って来た殺人鬼。

 だが一皮剥ければその正体は── 一人の男に依存し、その依存先がなくなった腹いせをたった一人の女性に向けただけの哀れな男。

 

 

 そう思えば、これまでよりも簡単に言葉を紡げられる気がした。

 

 

 

「確かに、この人は張さんの存在があるから助かってた部分もある。それは事実だ」

 

 

 

 ポケットに忍ばせている通話が繋がったままの携帯の存在に、ロックは一つの賭けをしていた。

 その賭けに勝つためには、時間を稼ぐことが必要不可欠。

 できるだけ相手の興味を自身の話にそそらせ、この場に留まらせるため言葉を続ける。

 

「でも、彼の存在をひけらかすだけじゃこの街で生きてはいけない。逆に、そんなことをすれば寿命をより短くする」

 

「……」

 

「なぜ彼女がずっと生き延びてきたのか。答えは単純だ」

 

 息を吸う。

 前からは冷たい視線、後ろではか細い呼吸を感じながらネクタイを少し緩める。

 

 

 

「この街の人間相手との駆け引きに勝ち続けてきた。彼女はただ自分の生き方を貫いた。銃を向けられようと、甘いと言われようと、誰が相手でも臆することなく自身の生き様を魅せ続けた」

 

 

 

 

『その生き方を貫きたいなら貫けばいい』と。『どうするかは自由だ』と、この街での生き方を示してくれた。

 

 

 

 彼女だからこそ、その言葉は誰よりも説得力があり、沁みた。

 

 

 

 

「それが、ロアナプラ(悪徳の都)で認められた洋裁屋キキョウだ。欲情するかどうかなんて、そんな陳腐なもので彼女を計ってる内は彼女の良さは分からない」

 

 

 

 

 きっと、彼女を心から憎んでいる男には一生分からないだろう。

 分かってもらおうとも思わない。

 

 

 

 ヴェスティは「はああああ」と盛大なため息を吐き、呆れたような表情を浮かべる。

 

 

 

「盲目だな、まさかそこまでとは。……そいつ、変なフェロモンでも出てんじゃねえか」

 

「俺がそれにあてられたと?」

 

「じゃなきゃ説明がつかねえよ」

 

 

 ヴェスティは煙草を取り出し火を点けると、再びため息を吐く。

 

 

 煙を吸おうとした途端、ドアを勢いよく叩く音が響く。

 すぐさまヴェスティがドア越しへ声を掛ける。

 

 

「どうした、用件ならそこで言え」

 

「上の騒ぎは聞こえてるだろ。こっちが若干押されてる。船も守っちゃいるがそろそろ限界だ。あれ作動させて早く女を連れてこい」

 

「おいおい、ちと早いぞ。もう少し踏ん張ってほしいんだが……相手はどれだ。状況が知りたい」

 

「倉庫内は三合会。外じゃロシアとイタリアが来てる」

 

「……コーサも来てんのか。まさかここで出張って来るとは予想外だったな。あのジョーズめ」

 

「なら早く」

 

「ああ、そうだな」

 

 飛龍衆であろう男と軽妙な会話をした後、ドアの鍵を開ける。

 頭に怪我を負っているのか、額から血を流した男が部屋に入ると、ヴェスティは煙草を捨てた。

 

「外に出たら作動させる。お前は女を」

 

 短く指示しながら、ロックとキキョウの方へと歩み出す。

 ロックは冷や汗をかきながら、すぐさま傍に置いてあった椅子を持ち警戒した姿勢を取る。

 

「それ以上来るな!」

 

 焦燥感に駆られながら叫ぶ。

 一体何やってるんだ。ここには来ないのか。

 心の中で悪態をつきながら、歩みを止めない男を睨む。

 

 

「騎士気取りか? 滑稽だな」

 

 

 ハッ、と鼻で笑うと、凄まじい速さで動き出す。

 暴力とは無縁な生活を送って来たロックは目で捕らえることができなかった。

 

 頬に入る拳を防ぐことはできず、唯一の武器でもあった椅子を手放し、呻き声を発しながら流れるままに倒れる。

 

「ろ……く……」

 

 キキョウは掠れた声で必死にロックの名を呼ぶ。

 強烈な衝撃を受けた後、ロックは即座に自身を見下げている男へ顔を向ける。

 

 途端、囚われている彼女へ近づく仲間の男が視界の端に映る。

 反射的に立ち上がろうとするロックの喉をヴェスティは足で押さえつけた。

 

「がっ……」

 

「往生際が悪いぞ。男なら潔く諦めろ」

 

 喉を押さえている足を両手で掴み、呻きながらも自身を見下げている男へ視線を向ける。

 ロックの抵抗をものともせず、ヴェスティは静かに銃を取り出した。

 

「ほんの少しだが話した間柄だ。お前は楽に殺してやるよ」

 

 淡々と告げながら仲間へ鍵を投げ渡し、銃の安全装置(セーフティ)を外す。

 ロックは歯を食いしばり、向けられている銃口を見る。

 

 

 

 ここで終わりかと、目を瞑る。

 

 

 

 ──瞬間、一つの銃声が鳴り響く。

 

 

 

 撃たれたはずなのに、痛みを感じない。

 

 

 

 不思議に思い、ロックは恐る恐る目を開けた。

 同時に、ドタ、と人が倒れる音が耳に入り、音の方向へ視線を向ける。

 

 目に入ったのは、キキョウの前で仲間の男が倒れている様。

 唐突の事に戸惑いながら、次はヴェスティへと視線を動かす。

 

 彼はロックではなく、釘付けになったように別の方へ顔を向けている。 

 

 

 

 

「相変わらず、女を口説くのは下手くそらしいな」

 

 

 

 

 彼の視線を辿ってみると、煙が出ている銃口を構え、粋が良すぎる恰好で告げる男が一人。

 

 

 

 

 

 

 

「よう、着飾り野郎」

 







いつも見てくださる方、ありがとうございます。
感想などいただく度、モチベーションに繋がっております。

最終章も佳境に入ってまいりました。
突っ走れるようほどほどに頑張ります。



お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、最後のセリフは序章でのシーンを意識してます。

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