ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

129 / 134
お待たせしました。最終章第9話です。






9 よき夢を

「──早かったな。もう少しかかると思ってたが」

 

「あんな有象無象を蹴散らすくらい簡単な事よ。手応えなくて残念だわ」

 

「随分調子いいみたいだな。なんならこっちの分までやってくれてもよかったんだぜ」

 

「それはつまり、アナタ達じゃ荷が重すぎたってことかしら? ならさっさと帰って寝てたらどう? 疲れたでしょう」

 

「その有り余った体力をいつものように戦争ごっこで使いたいだろうと思っただけだ。遊び足りないガキにはちょどいいだろ?」

 

「そこまでにしろ二人とも。俺としては、目の前のガキをどう処分するかさっさと決めたい。これはお前が望んだ話し合いだろ、ロニー」

 

 血痕と多くの死体が転がる倉庫内。

 中央にぶら下がる錆びたチェーンブロックに吊られている男を囲むように、張、バラライカ、ロニーが居合わせていた。

 張の言葉にロニーは飄々とした笑みを崩し、口を噤む。

 

 静けさが落ち、サングラスに隠れた瞳で吊られている亡霊を見ながら張が口を開く。

 

 

「さて、早速本題に入りたいところだが……まずはこいつの正体を明らかにしないとな。いつまでもこんな仮装を見せられてはたまらん」

 

 

 張の言葉に後ろに控えていた彪が亡霊の目の前に立つ。

 手を伸ばし、ぼさぼさになった髪を掴み勢いよく引っ張った。

 

 短い茶髪が現れ、亡霊の真の姿が露になる。

 

「まったく、こんな衣装まで用意して街を荒らすとは。よっぽどヴェスティが好きらしい」

 

「そりゃそうさ。こいつはヤツに引っ付いてたストーカー野郎だからな」

 

 嘲笑するロニーに亡霊が鋭い視線を向ける。

 その視線に動じることなく、ロニーは煙草に火をつけながら続けた。

 

 

「──アベラルド・ラ・ロッカ。ヴェスティがまだ若造だった頃から一緒に動いてた。いわば右腕ってやつだ。五年前もこの街で暴れてる」

 

 ロニーが放ったのは。かつて「ラル」という愛称で呼ばれ、右腕として信頼されていた男の名。

 ロアナプラで麻薬をばら撒き、ヴェスティの計らいにより張とバラライカからの手から逃れ、これまで生き延びていたChiaro di luna(キャロ・ディ・ルーナ)最後の一人である。

 

 

「五年前逃がした鼠がこいつだったとはな。すっかり忘れていた」

 

「だから言ったじゃない。取り逃がすと面倒になるって。……まあ、アイツ以上の餓鬼とは思わなかったけどね」

 

 葉巻を吸いながらバラライカはつまらないと言いたげな表情を浮かべる。

 張もまた懐から煙草を取り出し咥えた。

 彪がすぐさま火を点け、口から煙を吐き出す。

 

「過去に固執し足元を掬われた馬鹿だ。だが、そんな馬鹿であっても我々が手を下さねばならん。問題は、誰がどう下すかだ」

 

「こいつはウチで預からせてもらう。なんであれ、かつての仲間の名前を騙ったんだ。同郷のよしみとして責任もって世話してやるよ」

 

「ロニー。おたくの言い分は分かるが、こちらの話も聞いてもらいたい」

 

「あ?」

 

 再び煙草を口に咥え、ゆっくり煙を吐き出すと冷めた声音を発する。

 

「こいつは少し前に三合会本部にも喧嘩を売っている。おかげで大きな迷惑を被った。我らがボスも大変お怒りでな。こいつの首をご所望だ」

 

「……こいつがアンタの故郷で暴れたっていう証拠は」

 

 ロニーは眉根を寄せ張へ問う。

 二人の間に張り詰めた空気が漂い、バラライカはただ静観に徹していた。

 張が口を開こうとした瞬間、意外な場所から声がその場に落ちる。

 

 

 

「──お前らも暇なんだなあ……こんな詐欺師一人を取り合いっこなんてよ」

 

 

 

 三人は一斉に吊るされた男へと視線を移す。

 刺さる視線をものともせず、男はニヤリと口元を歪めていた。

 

 

 

「やっぱ、香港であの女殺せばよかったな。飛龍衆も近場だったし……いや、でも流石に三合会の幹部を殺すにはまだ準備ができてなかったしなあ……五年前なら、お前を殺せたかもしんねえな」

 

 

 

 ぶつぶつと呟き、張へと歪んだ笑みを向けた。

 片眉を一瞬上げるも、表情を変えることなく酷く冷めた視線を注ぐ。

 すぐさま彪と他数名の三合会組員が黙らせようと動くが、張が手で制した。

 

「まあ、いいか……どうせお前らみたいな虫ケラはすぐに死ぬ。長生きなんてできやしねえ」

 

 

 口端を思い切り上げ、吊られた状態で上から舐めるように三人を見る。

 

 

 

「血の掟だとかくだらないこと言いながら威張ってる奴らも」

 

「……」

 

「まったく意味のない戦争に取り残され、軍隊ごっこを続けてる惨めな奴らも」

 

「……」

 

「犬のクソの臭いが充満してるクソ狭い国でふんぞり返ってる奴らも」

 

 

 

 流れる亡霊の独白を遮る者はいなかった。

 侮蔑と呆れの視線だけを向け、ただ聞いている。

 

 

 

「ぜーんいん、くっだらねえ死に方しかできねえんだよ。どんだけ着飾ってようと、どんだけ誇りや面子を大事にしようと、お前らに待ってるのは惨めな結末しかない」

 

「……」

 

「こんな肥溜めの街の玉座に座って、いい気になってんだろうが……その椅子は、クソと泥に塗れた汚物だ。てめえらは結局、クソの上を王様気分で歩いてる馬鹿な勘違い野郎なんだよ」

 

 

 ニヤリとした表情で語られる内容を聞きながら、張は二人へ視線を送る。

 その視線に、呆れと諦めが混じった表情でロニーは肩を竦めた。

 バラライカもまた心底くだらないと言いたげに、気だるそうに新しい葉巻を手にする。

 

「あの女もそうさ……どうせ下らねえ人生を、くだらねえ死に方で終えるに決まってる……あーあ、せめてあれの死に様見たかっ──」

 

 瞬間、男の言葉は銃声で掻き消える。

 言葉の続きが発せられることはなく、眉間から血を滴らせながら首をだらんと下げた。

 張は、硝煙が出ている銃口を下げホルスターに収め、咥えていた煙草を地面へ落とす。

 

「すまないな、二人とも」

 

「あんなくだらねえ事だらだらと聞かされたら誰だって撃ちたくなる。特に、さっきもこいつと言葉を交わしたあんたならな」

 

「これ以上戯言を聞かなくて済んだもの。寧ろ有難いわ」

 

 眉尻を下げ呟く張に、二人は少し口端を上げた。

 

「俺が殺っといてなんだが……お前はこれでよかったのか」

 

「やった事に対してこれはちと地味だとは思うけどな。だが、こんなくだらない野郎を本国に送るのも忍びない。まあ、この場で処刑されたってんならボスも文句はないだろうしな」

 

「助かるよ、ロニー」

 

 張も口端を上げ、新しい煙草に手を付ける。

「はっ」と一つ笑うと、ロニーは歯の矯正器具が見えるほどの笑みを浮かべる。

 

「じゃあ、俺はそろそろ帰らせてもらうぜ。色々後始末があるもんでな」

 

 いつもの飄々とした態度で告げると、手をひらひらさせながら部下を引き連れ倉庫の入口へと向かっていく。

 そんなロニーの背中を見つめた後、バラライカは張へと視線を移す。

 

「鼠の処理はこれで済んだとして、もう一方の害虫はどうするの?」

 

 バラライカが呼ぶ害虫が何者なのか聞くまでもなく、張はずれたサングラスを直す。

 

「ここまで喧嘩を売られたんだ。なら、害虫であってもきちんと相手にせんとな」

 

「やるなら徹底的にお願いね。虫は嫌いなの」

 

 口端を上げ言い放つバラライカに吊られ、「ハッ」と笑う。

 手に取っていた煙草を口に咥えると、彪がすかさず火を点ける。

 煙を吐き、顔を次第に無表情へ変え口を開く。

 

「今回の害虫駆除にはちと遠出せにゃならん。その間、またアンタに街を頼むことになる」

 

「構わないわ。貴方は駆除に専念してちょうだい」

 

「助かるよ」

 

「その方がお互いのためでしょ。持ちつ持たれつってやつ」

 

 バラライカは短くなった葉巻を地面へ捨て、肺に残った煙を吐き出し段々と口端を下げていく。

 

 

「──あの子はどうなの」

 

 

 わずかばかり硬さが混じった声音が発せられる。

 張は吊られている死体を彪とその他の部下達が下ろす様を見ながら、徐に煙草の灰を落とす。

 

 

「生きてはいる。今は医者に診せてるが……正直何とも言えん」

 

「まあ、生きて連れ戻せただけよかったと思うしかないわね」

 

 ビニールシートに包まれている物言わぬ死体を一瞥し、小さくため息を吐いた。

 

「五日もあのガキの相手をさせられて、本当不憫だわ」

 

「全くだ。アイツは悪い男に付きまとわれる性分らしい」

 

「確かに。貴方に言い寄られてるのが何よりの証拠ね」

 

「おいおい」

 

 張は苦笑を漏らし、バラライカはくくっ、と喉の奥で笑う。

 微かに緊張が解け、口元に弧を描いたまま足を動かす。

 

 

「では、よい狩りを」

 

 

 去り際に一言告げ、颯爽と軍用コートを翻す。

 ヒールの高い音と共に段々と小さくなる彼女の後ろ姿をサングラス越しで眺め、やがてその背中も見えなくなると、こめかみを軽く掻いた。

 

「彪、それは適当に処分しておけ。俺はビルに戻る」

 

「は」

 

 部下たちに囲まれているビニールシートに包まれた死体を見ることなく、淡々と告げた。

 ロングコートと血がついたストールを靡かせ、足早に倉庫を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 ──街の支配者たちが去った倉庫内。

 倉庫中に仕掛けられていた薬物も取り除き、街を騒がせた男や倉庫中に転がっていた死体も運び終え、彪は部下二人と共に廃材を椅子に束の間の休息を取っていた。

 三人は煙草を吸い、愚痴にも似た会話を繰り広げている。

 

「ったく、何もなかった。一つくらい置いてってくれもいいのによ」

 

 地下室へと繋がるドアを開け、ぶつぶつ呟きながら胡は三人に近づいていく。

 拷問を主な仕事とする胡は、何か使えるものがないか部屋を物色していたが、残っていたのは枷のみだった。

 特に収穫もなく、面白くなさそうにする胡へ彪は煙草を差し出した。

 

「残念だったな。でもお前、この間新しい器具買っただろ」

 

「あんな死なないギリギリのラインを攻めれる器具があんなら便利だと思ったんだよ。タダなら貰っといて損ないしな」

 

「それ、大哥の前で言うなよ」

 

「分かってるよ。流石の俺もそこまで命知らずじゃない」

 

 彪から煙草を受け取り、胡も廃材に座る。

 口に咥えると、このメンバーの中で一番の新入りである男が颯爽と火を点けた。

 ため息とともに煙を吐き出し、口端を上げ言葉を続ける。

 

「そういや(コウ)、最近こいつはどうなんだ。割と上手くいってるって聞いたぞ」

 

「鉄火場には何度か一緒に行ってるんで現場対応は概ね大丈夫です。後は事務処理なんですが、こっちがまだてんでダメで」

 

「ああ、事務処理なあ……あんな細かい文字読めるかっての。なあ(シェン)?」

 

「俺学校行ってなかったんすよ……だからそういうの苦手で」

 

「そのうち慣れるさ。まあ、慣れるまでに生きてりゃいいけどな」

 

 

 はは、と胡は軽く笑うと、一つ間を空けて彪へ視線を向けた。

 

 

「どうなるかねえ、これから」

 

「何がだ」

 

「洋裁屋だよ。お前も見たろ、あの姿」

 

「……」

 

「もし、アイツが洋裁屋じゃなくなったらよ」

 

「滅多なこと言うな」

 

「いいだろこれくらい。ちょっとした世間話だ、付き合えよ」

 

 自身が咎める言葉を軽く流され眉間に若干皺を寄せたものの、彪は渋々口を噤んだ。

 

「アイツ、この街に残ると思うか?」

 

「……どうだろうな」

 

「お前らはどう思う」

 

「どう、でしょうか。正直なんとも」

 

「俺は残ると思うっす」

 

「へえ、なんで?」

 

 はっきりと断言する沈に、胡は興味を示し前のめりで理由を尋ねた。

 他二人も沈の方へ視線を注ぐ。

 

「だって大哥がいるじゃないっすか」

 

「だよなあ」

 

 至極当然と言わんばかりの表情で言う沈に、胡は間髪入れず同意し、天井を見上げる。

 

 ロアナプラにいる三合会組員そのほとんどは、張のキキョウに対する態度を目の当たりにしている。

 何度も何度も彼自ら彼女の家へと足を運び、幾たびも部屋に呼び出している。

 この関係が何年も続いていれば、二人は特別な関係なのだと周りが思うのは自然であった。

 それが、彼女が街一番の洋裁屋というだけで保たれていたものではないことも。

 

 しかし、数えきれないほどの拷問をこなし、死ぬ間際の人間や使い物にならないであろう状態の身体を間近で見届けてきた胡には、先程見た彼女の姿が酷いものであったのは一瞬で理解できた。

 

 だとしても、自分以上に腐肉を漁って来た張が彼女を手放すとは思えない。

 

 

 ──が、問題は彼女の方だ。

 職人としての誇りを持っている彼女が、もしその誇りの礎を失ったとしたら。

 

 胡は天井を見上げ、口先で煙草を遊ばせながら一人悶々と考え、三人はその様を黙ってみていた。

 やがて考えるのをやめたのか、何か思いついたかのように徐に三人を見る。

 

「なあお前ら。ちょっとした賭けやらねえか」

 

「あ?」

 

 唐突の申し出に彪は思わず怪訝な声音を出した。

 胡は口端を上げたまま、言葉を続ける。

 

「ただの女になったアイツが大哥のモンになるか。俺達が大姐と呼ぶようになるかどうか、だ」

 

「……またか、くだらねえ。そもそも、まだアイツが洋裁屋をやめるかどうかも」

 

「まあまあ、ただの賭けだ。細かいことは気にすんなよ」

 

「お前な」

 

「いいじゃねえか。正直、お前も全く考えてこなかったわけじゃねえだろ?」

 

「……」

 

 口を噤み沈黙する彪の態度を肯定と受け取り、意気揚々と三人に向かって続ける。

 

「白が、なる。黒がならねえ、な。一斉に答えようぜ。せーの」

 

 胡の掛け声に三人は同時に口を開く。

 

 

「白」

 

「黒」

 

 

 四人の声が重なる。

 胡と沈が白。江が黒と答えた。

 

 

「綺麗に別れたな。ちなみに理由は?」

 

「洋裁屋じゃなくなったならもうそれはただの無力な女だ。この街で生きるには誰かに頼るしかなくなる。だが、アイツは自己嫌悪の塊だ。そんな奴がすんなり大哥の元に来るとは思えねえ」

 

「でも彪哥、あの大哥もそうやすやすと手放すとは思えないっす」

 

「そうだぜ、ようやく抱けるようになったのに今更なあ?」

 

「ですが、その抱けるようになるまでにここまで時間がかかったということは向こうは相当頑固です。万が一、街に残るとしても大姐という立ち位置になることは嫌がるのでは。自己嫌悪の塊なら尚更」

 

「確かに、アイツは頑固だよなあ」

 

 それぞれの考えを聞き胡は「うーん」と唸り腕を組む。

 少しの間の後、短くなった煙草を床に捨て、ぐりぐりと踏み潰す。

 

「でもよ、アイツが大姐になったら色々おもし……安心じゃね?」

 

「は?」

 

「だってそうだろ。香港いた時に置いてた女、あれは酷いもんだったじゃねえか。特に彪、お前の扱いはやばかったよな」

 

「…………思い出させんな」

 

 胡の言葉に昔を思い出したのか、彪は苦虫を潰したような表情を浮かべた。

 その過去を知らない新入りである沈のぽかんとした顔を目にし、胡は懐かしむように話し始める。

 

「大哥が今まで選んだ女は割と性悪だったんだよ。苛立った時は俺達に暴言吐く奴とか、気に入らないやつを殺せって大哥に許可なく命令するやつとか。あ、あと部下に色目使うのもいたな」

 

「……マジすか」

 

「大マジ。そんな奴らに比べたらアイツの方がいいだろ。なあ彪?」

 

 ニヤリとした顔が向き、彪は即座に顔を逸らす。

 煙草を吸い、しばらく沈黙を貫くも三人の視線が刺さる。

 答えるまで詰められそうだと肩を竦めながら、重い口を開く。

 

 

 

「──まあ……今までより大分楽だろう、とは思う」

 

 

 

 これまでの女たちを思い返し、正直な意見を述べる。

 大姐という立場に甘んじていた勝手気ままな女たちと、大哥に気に入られていようとその立場をいいように使わなかった女。

 その上、自身とも信用を築いてきたのだ。

 どちらがいいかなんて考えるまでもなかった。

 

 彪の答えに満足そうな表情を浮かべ、胡は腰を上げた。

 

「負けた方は勝った方に酒と女を奢る。いいよな?」

 

「あ、あの、今更っすけどいいんすか……? こんな賭けやって」

 

「本当に今更だな。俺達が何回大哥とあの女の事で賭けたと思ってんだ。大哥も知ってて黙ってんだぜ」

 

 戸惑ったような表情を浮かべる沈へ笑みを浮かべながら答えた。

 彪も煙草を捨て、腰を上げると「そろそろ行くか」と座っている二人に告げる。

 

 

 

「結果が楽しみだなあ」

 

 

 

 歩きながら楽しげに呟く胡を隣で呆れたような顔を浮かべる彪。

 その二人の後を、江と沈は慌てて追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部下達に後処理を任せ、張は一足先に自身のオフィスへと戻り、社長室で固定電話を手にしていた。

 淡々と言葉を交わし、やがて通話が切れると静かに受話器を置く。

 

 かけていたサングラスを外し、デスクの上に置くと嗜好品である高級煙草(ジタン)を口に咥え、ジッポで火を点ける。

 ゆっくりと煙を吐き、高級椅子の背もたれにのしかかる。

 

 陽が沈みかけ、段々と濃い闇が街を覆っていく様を呆然と窓から眺めていた。

 

 そうして煙草の灰が長くなった頃、再び受話器から音が部屋中に響く。

 何回かコール音が鳴った後、張は背もたれから離れ受話器を手にする。

 

『大哥、リンです』

 

「終わったのか」

 

 キキョウの治療を任せているリンの声を耳にし、期待を込めた問いを投げかける。

 

『顔の傷は処置しました。ですが問題の箇所はこれからです』

 

「……で?」

 

 終わってから連絡しろと言ったはずだ、という言葉を飲み込み短く発する。

 煙草を吸い、静かに煙を吐き返事を待つ。

 

『その問題箇所の処置について、私の一存では決めかねると判断しましたので裁可をいただきたく──』

 

 自身の判断を仰ぐという発言に訝しみながらも、黙って続きを聞く。

 その後発せられた内容に張は片眉を上げた。

 

 指でトントンとデスクを叩きながら逡巡し、しばらくの間を空け重い口を開く。

 

「なんとかならんのか」

 

『申し訳ありません。今の医療では』

 

「お前の腕の問題じゃなく、か」

 

『ハートランドのドクと協議した結果です』

 

 はっきりと告げられ、灰に残った煙を全て吐き出し灰皿へと押し付ける。

 こめかみを押さえ考えていると、『大哥、時間がありません』と催促される。

 

 やがて自身が発する答えを決め、受話器を握る手を少し力ませた。

 

「──お前に任せる。お前がそう判断したなら、そうしろ」

 

『ありがとうございます』

 

「その後は俺が請け負う。お前は処置に集中しろ」

 

『はい。では、終わりましたら連絡いたします』

 

 早々に会話を切り上げられ、通話終了の音が静かに鳴る。

 受話器を置き、再び背もたれにのしかかる。

 

 新しい煙草を取り出し、火を点け口に咥えた。

 やがて深いため息とともに煙を吐き出し、コートラックにかけてあるロングコートへ視線を移す。

 

 

 

 

「──今度仕立て直すって言ってたのにな」

 

 

 

 

 その小さな呟きは、誰にも届くことなくただ静かに部屋に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 陽はとうに沈み、月が高く昇る頃。

 街の歓楽街は亡霊が死んだことにより、以前の活気を取り戻そうとしているかのように賑わっていた。

 そんな賑やかな場から離れた位置にある闇医者の自宅兼診療所では、異様な空気が流れていた。

 陽が照っていた時間帯から機械音が鳴り響く手術室では、リンと彼女の補助として呼ばれたドクによる亡霊から解放されたキキョウの手術が行われている。

 

「……」

 

「……」

 

 一向に開かれないドアの前には、レヴィとロック。数日前から診療所で過ごしていたルカが手術の終わりを待っていた。

 床に座り込み、俯いているルカの隣にロックも座っている。

 レヴィは壁に寄りかかり、火のついていない煙草を咥えている。

 

 誰も何も発しない。

 沈黙が落ちる中、三人はただ待っていた。

 

 ──そうしてしばらく経った後、閉ざされていたドアが開く。

 手術用ガウンに身を包んだリンとドクがドアから現れた。

 

 ロックとルカはすぐさま立ち上がり、レヴィは顔だけを向け、三人はリンへと視線を注ぐ。

 ため息を吐き、マスクと帽子を外し疲れた顔が露にする。

 

「手術は、一応成功と言っとくわ」

 

 放たれた言葉にルカとロックは安堵の笑みを浮かべる。

 だが、リンの顔に笑みはない。

 

「でも安心とは言えないわ。ここからはあの子の生命力次第ね」

 

 淡々と告げた後、今度はドクの方へ顔を向ける。

 

「助かったわ。お礼は娼館のVIPルームでいい?」

 

「タダか?」

 

「アタシがもつ。報酬は大哥からも出るはずよ」

 

 男に対し嫌味を言う気力はないのか、急な呼び出しにも関わらず応じたドクに素直に礼を言う。

 すぐさま不安気な表情を浮かべている二人と眉一つ動かさないレヴィに向き直る。

 

「二人はとっとと帰んなさい。ルカ、アンタもできることないんだから部屋にいなさい。アタシたちは休むから。ドク、リビングのソファなら貸してあげる」

 

「そりゃ有難いね」

 

 大きな欠伸をしながら、ドクはリビングの方へと歩いていく。

 リンも後に続き足を動かす。

 

 

「先生に、会ってもいい?」

 

 

 横を通り過ぎようとしたリンに、ルカがおずおずと尋ねる。

 一瞬渋い顔を見せた後、少しの間を置きため息を吐く。

 

「いいけど、覚悟してから行くことね。恨むならあの亡霊野郎を恨みなさい」

 

 ルカを見据え告げると、「絶対騒がない事。見たらすぐ出なさい」と一言残し今度こそリビングへと姿を消す。

 リンの言葉により一層不安げな表情を浮かべ、少し躊躇った後手術室へと駆け出した。

 ロックとレヴィもすぐさまルカの後を追っていく。

 

 リビングでは、ドクの大きないびきが響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 朝日が昇り、窓から差し込む日差しで照らされているリンの診療所の一室。

 

 静かな空間で、ピッ……ピッ……と機械音が響くその部屋のベッドには、多くの管に繋がれたキキョウが横たわっていた。

 数時間前に手術を終えた体には包帯が巻かれており、顔につけられた呼吸器からか細い呼吸音を発している。

 

 そんな痛々しい姿となった彼女のいる部屋に近づく足音。

 リンに案内され、足音の主はドアをゆっくり開けた。

 

 ロングコートに身を包み、サングラス越しからキキョウの姿を目にした張は足を止める。

 少しの間の後足を進め、彼についてきた彪が静かにドアを閉めた。

 

 二人きりとなり、サングラスを外しベッドへと近づいていく。

 キキョウを少しの間見下ろした後、物音を立てないようそっと椅子に腰かける。

 

 

 やがて腕を伸ばし、包帯に包まれている頬に指先で触れた。

 

 

 

「全く……お前の事だ、どうせ意地を張ってアイツを怒らせたんだろ。だから()()なるんだ」

 

 

 

 眉を下げ、呆れたような声音を滲ませた。

 指先を頬の上で滑らせながら、返事が来ない彼女に対し語り掛ける。

 

 

 

 

「ま、それもお前らしい」

 

 

 

 

 口端を上げ、どこか嬉しそうな笑みを零し呟く。

 

 

 

 例え自分が傷つこうと、誰が殺されようと己の信念を貫く。

 不器用で不格好に、ただ真っすぐ生きてきた。

 

 誰が相手だろうが銃を向けられようが、命乞いや怯えた姿を見せることはない。

 それが、彼女の性分であることを張は知っている。

 

 あまりに哀れで愚かで無様。

 だが、そんな彼女だからこそあの真っすぐに射貫いてくる瞳に魅了された。

 

 

 

 ──自身が心から認めた女性をここまで痛めつけた人間を許せるはずもない。

 

 

 

「お前をこんな姿にした奴には、早いとこ地獄に行ってもらわねえとな。じゃねえとお前も安心できねえだろ」

 

 

 

 壊れ物を扱うかのように優しく頬を撫でながら、数時間前の光景を思い出していた。

 

 彼女が最後の力を振り絞り、掠れた声で放った一言。

 

 

 

『今度はちゃんと殺してください』

 

 

 

 普段の彼女なら決して口にしない言葉。

 人に頼ることを億劫としてきた彼女の純粋な殺意(願い)

 

 直接的な原因である男は殺したが、それではまだ足りない。

 なら、彼女が望む以上の結果をくれてやる。

 

 龍頭の命令という名目があるなら、自己肯定感の低い彼女でも気負うことはないだろう。

 

 穏やかな空間に包まれ頬を撫で続ける。

 途端、ドア越しに「大哥」と彪から声がかかる。

 

 張は返事をすることなく、頬から手を離すと今度はキキョウの左手を手に取った。

 

 

 

 

 

晚安、我的花。好梦(おやすみ、俺の花。良い夢を)

 

 

 

 

 

 柔らかな声音で呟き、彼女の左手を自身の口に寄せた。

 手の甲に唇でそっと触れた後、ゆっくりと下ろしベッドから腰を上げる。

 

 サングラスをかけ、踵を返し一度も振り向くことなく部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今話は全部乗せると少し長くなってしまうので、二話に分けることにしました。
残りは近々出します。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。