展開的にも分けた方がいいと思ったので。
※キキョウさんは出てきません※
広々とした庭を眺望できる縁側で、藤崎仁は一人佇んでいた。
その視線は、思い馳せるかのように遠くを見つめている。
手にはハンカチが一つ。
真っ白なハンカチを指先で撫で、何やら憂いたような表情を浮かべている。
「こんなとこにいたんですか」
「雪緒」
佇んでいる仁を見つけると、雪緒は少し早足で近づきながら声を掛けた。
「もうすぐお昼なので、呼んで欲しいと佐伯さんが」
「そうか。……悪いが先に食べててくれ」
「ご気分が優れないんですか?」
「いや……今は食欲がないってだけだ」
「しっかり食べないと体持ちませんよ。若くないんですから」
「手厳しいな」
彼女の言葉に、仁は思わず苦笑を漏らす。雪緒は一つ息を吐き、仁の隣に腰かけた。
雪緒の行動に驚いた顔を見せる仁に、心配そうな表情と声音を向ける。
「最近、ぼーっとしてること多いですよね。また何か抗争とかあるんですか……?」
「いや、そういう訳じゃない。お前さんが心配するようなことは何もない」
「……」
「本当だ。儂らが動くことはないよ、安心しなさい」
疑いの目を向ける雪緒に柔和な笑みを返す。
それでもじー、と刺さる視線は止むことはない。
──数日前から、今も手にしているハンカチを触っては遠いところを見つめている仁を毎日目にしている。
その表情はどこか後悔してるかのような。寂しそうな色を滲ませていた。
組員達になるべく見せないよう配慮しているつもりのようだが、雪緒や佐伯など近しい人間には隠し通せていない。
佐伯は事情を知っているようだったが、聞いても「自分は答えられない」の一点張り。
自身を救ってくれた恩人のただならぬ状態に、雪緒が気にかけるのは当然のことだった。
「何か、気になることがあるんじゃないですか」
「……お前さんには関係ない事だ」
「話したくないですか」
「そうじゃないが……気にしてもしょうがないことなんだよ」
「なら尚更放っておくわけにはいきませんよ」
一つの間を空けることなく言葉が返って来る。
怪訝な顔を浮かべる仁へ、雪緒は柔らかな笑みを向けた。
「だって、家族でしょう? 私にくらい弱音吐いてくれてもいいじゃないですか。例えどうにもならないとしても、それくらいいいと思います」
はっきり告げられた内容に仁は思わず目を見開いた。
やがて、口端を上げ「はっ」と笑う。
「弱音、か……そうだな。家族になら、いいかもな」
降参だ、と半ば諦めたような声音と困った表情を滲ませる。
ゆっくりと手元のハンカチに目を移し、静かに話し始めた。
「このハンカチはな、親友の孫が作ってくれたんだ。この国を出る前に世話になったからと、最後の作品として儂に残してくれた」
懐かしむようにハンカチを撫でながら言葉を続ける。
「その子は……境遇は雪緒に少し似てるかもな」
「え?」
「父親やその周りの環境に振り回されたってことだ」
雪緒は一瞬目を見開いたが、すぐさま柔らかな目つきに戻り話の続きを待つ。
「その父親のせいであの子の人生はいつまでも暗いままだった。親友は……ハルはそんなあの子が気がかりでな。死にかけだって言うのに体に鞭打って、儂に『あの子を守ってくれ』と頼んできた。──儂が最期に聞いた親友の言葉はあの子のことだった」
親友との最後の思い出を振り返り、寂しげな表情を浮かべた。
ほんの少しハンカチに触れる手の力を強める。
「アイツが最期の瞬間まで願ったあの子の幸せを守ろうと、海外に逃がした」
「……日本じゃ駄目だったんですか?」
「ああ。父親は有名人……政治家だったからな。この国は余りにも狭すぎる。例えその父親が死んでも、影は嫌でもついて回る」
自身の疑問に返って来た言葉に雪緒は拳を握る。
父親が取り巻く環境によってもたらされる苦しさを理解できてしまうから。
「海外ならその影を取り除けるだろうと思ったんだが……最近、またその父親絡みで酷い目にあっちまったらしい。今は助かっているらしいが……ここまでくると、あの地に送ったのは逆効果だったんじゃないかと……儂の力では、あの子を生かすには不十分過ぎたのかと……」
微かに保たれていた仁の微笑みが崩れる。
ハンカチを撫でる手を止め、眉根を寄せた。
「せめて不自由だったあの子に、自由に生きてほしいと送り出したというのに……数年経ってまたこんなことになるとは思わなんだ」
「……」
「せめて別の何かならよかった……なぜ、あのクソ野郎の影がここまで着いて回る」
「……」
「親友との最期の約束を守ることもできない。……何が“
自嘲気味に呟く仁の顔を、雪緒はじっと真顔で見つめる。
「結局、より不幸な目に遭わせただけ──」
「そうとも限らないんじゃないですか」
被せ気味に発せられた言葉に、仁は雪緒へゆっくりと顔を向けた。
雪緒はほんの少し笑みを滲ませ、庭を見つめながら続ける。
「確かに、そのお孫さんは父親のせいでまた苦しんだかもしれません。日本を離れた遠い土地で巻き込まれたのは、不運でしかないでしょう」
「……」
「でも、そのお孫さんが不幸とは限らない」
はっきり告げられ、仁は訝し気な表情を滲ませる。
「遠い異国での事。ましてや他人の人生の事なんて分かりっこないですよ」
「……そりゃ、そうだが」
「この国で過ごしてた時と同じくらい苦しいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。前よりずっと不幸かもしれない。だけど、お孫さんを取り巻く環境によっては今の方がより幸せを感じているかもしれない。……結局、本人しか分からないんです。幸せか不幸かは、自分が決めることだから」
考え方次第で幸せかどうかを決められる。
それは、父親が極道であった自分が身をもって得た経験。
だからこそ、揺るぎない心で告げられた。
「藤崎さんはから与えられた選択肢を自分で選んで、その道をお孫さんは歩んでる。その道の先でその人がどう生きて、どんな結末を辿るのかは全部本人次第です」
「……」
「心配なのは分かります。でもその人が不幸かどうかなんて、私たちが決めていいものじゃないですよ」
「……」
「今が無事なら、そのことを喜んであげた方がお孫さんも嬉しいと思いますよ」
柔和な笑みを仁へと向ける。
雪緒の言い分は理解できても、やはり遠い場所での孫娘が気がかりなのか仁の表情は晴れない。
自分が引き取るわけにもいかず、様子を見に行こうにも多くのマフィアが蔓延るあの土地で安易に会う訳にもいかない。
己に何もできない不甲斐なさを、仁はひしひしと感じていた。
その様を見兼ね、雪緒は「藤崎さん」と呼びかける。
「今日、この後お暇ですか?」
「ん?」
「この後用事ありますか?」
「いや……特に何もないが……」
唐突の質問に戸惑う。
柔和な笑みを浮かべたまま続ける。
「神社行きましょ。自分じゃどうしようもない時は、神様に祈ってみるのもいいんじゃないですか」
にこやかに言い放たれ、仁は目を丸くする。
やがて困った表情へと変え、若干呆れたような声音を乗せる。
「……無頼者が神頼み、か」
「神様は良くも悪くも平等なんです。それに、神様の前じゃヤクザも堅気も皆ただの人間です」
雪緒の言葉に、仁は一つ間を空けて「ふっ」と笑う。
眉尻を下げ、頭を掻きながら諦めがついたかのように笑みを浮かべる。
「その豪胆さは誰に似たのやら」
「父親譲りかもしれませんね」
「はは、そうだな。龍三もはっきりと物を言う男だった」
彼女の本当の父親の名を出すと、雪緒は嬉しそうに微笑んだ。
──そんな二人を陰から見ていた佐伯は、穏やかな空気を壊さぬようにとそっとその場から静かに去った。
飛龍衆と三合会の因縁の始まりはおよそ十年以上前に遡る。
当時、香港は凄まじい暴動事件によりかつてないほどの混乱を極めていた。
その混乱に乗じ、上海から無頼者が多く流れ、政府による暴力組織への規制が強まる中でも現地マフィアと闘争を繰り返していた。
世界中に点在した飛龍衆であったが、香港と日本での抗争に加え当時のボスが死んだことにより組織は廃れ、香港から身を引き現在に至る。
だが、三合会タイ支部を襲われたことにより再び抗争の火蓋が切られた。
長年続く因縁にけじめをつけようと、龍頭である荘戴龍は飛龍衆の殲滅を宣言する。
「──ええ、こちらは滞りなく事を進めております。終わり次第、そちらへ直接出向きますので」
龍頭に先陣を切ることを許され、上海へと降り立った張は都心から少し離れた場所に位置する東シナ海を一望できる広々とした邸宅にいた。
邸内の奥に進むと見えてくる豪華な寝室には、良質なシーツが敷かれているキングサイズベッドが一つ。
ベッドの上では、豪邸の主が裸で両手足を縛られている。
呻く男を黒服の男達が囲み見下ろしている中、張は一人悠々と携帯を片手に誰かと話をしていた。
「はい、ではまた」
一言告げると、通話を終えた。
携帯を傍で控えている彪へ手渡すと、懐から煙草を取り出す。
「ちくしょ……な、なにが望みだ!」
郭が火を点け、ゆっくりとベッドへと近寄る。
前歯は折れ、鼻から血を流し必死に喋る男に、辟易とした表情を浮かべた。
「やれやれ。懲りない男だ。日本のヤクザだけでなく、
「あ……あの詐欺師野郎から貰ったヤクも全部やる! か、金も──ッ」
「生憎こっちが望んでんのは一つだけ。それ以外いらんな。強欲はいけない」
静かに紫煙を吐きながら、腰のホルスターから一挺の銃を抜く。
やがてベッドの端に腰かけ、くるくると銃を回す。
「詐欺師なんかにまんまと踊らされやがって。だからお前らは昔から間抜けな集団だと言われるんだ」
「お、俺はアンタらに手を出すつもりはなかったんだ! アイツが勝手にやっただけだ!」
「なるほどなるほど。それで?」
頷きながらも、銃を離す気配はない。
焦燥の色を浮かべ、郝は更に叫ぶ。
「娘一人攫えればそれでよかったんだ! だ、だがまさかお前が囲んでる女とは知らなかった……!」
「ほお?」
「知ったのはアイツがそっちで暴れた時からだ! 知ってたら手出しは」
「なるほど。つまりお前は、ヤクザと縁がある娘が俺とも繋がりがあると知った途端に怖気づいたわけだ。まあ真実は何であれ、詐欺師に踊らされた間抜けには変わらんがな」
分かりやすいでまかせに嘲笑しながら言い放つと、郝は顔を真っ赤にする。
「うるせえクソ野郎ッ! 結局てめえもあの野郎に一杯食わされたクチじゃねえか! 偉そうにすんじゃねえぞ!」
「……やれやれ」
呆れたように首を横に振り、郝を流し目で見た後腰を上げる。
そして、すぐさま感情を消した顔を向けた。
「最近、苛立ってしょうがなくてな。煙草が止まらん」
「あッ!?」
肩を竦め、眉尻を下げる。
「だが、俺としてはもう増やしたくなくてね。ほんの少し控えようと思ってたんだ」
「なんの話だ!」
「これ以上煙たくなると女に嫌われちまうかもしれん。それは避けたい」
郝の言葉を無視し、銃口を突きつけた。
「ならまず、苛立つ原因は消さねえとな」
短く告げたすぐ後に、銃声が鳴り響く。
眉間に穴が空き、血を吹き出し白目を剥いてベッドへ落ちる。
銃をホルスターに収め、踵を返す。
「支部に連絡を」
歩みを止めることなく、彪へ声を掛けた。
血の手跡がついたストールを靡かせ、硝煙の匂いが蔓延する部屋を後にする。
──そこから数週間に渡り、上海で夥しい銃声が鳴り響いた。