「──できた」
張さんと電話してから二週間。
あれから毎日作業を続け、やっとすべて仕上がった。
素材や形すべてに拘ったので少々時間がかかりすぎてしまった。
ここまで時間をかけて作ったのは本当に久しぶりだ。
ましてや、全然苦じゃなかったのも。
やはり、服は人のために作るほうが気合も丁寧さも全然違う。
記念に何枚か写真を撮った後、私は携帯を手に取り電話をかけた。
四回ほどコールした時、電話の向こうから声が聞こえてくる。
『やあキキョウか。どうだ調子は』
「急に連絡して申し訳ありません。調子はいいほうですよ。とても気分がいいくらいには」
『……できたのか?』
「はい。長らくお待たせしてしまいましたが、先ほど完成しました」
『そうか。なら、今からそっちへ向かう。楽しみにしてるぞ』
「コーヒー淹れながらお待ちしてますよ」
『ああ、じゃまた後で』
「はい、失礼します」
そこで通話を終了し、完成した服に白い布を被せる。
あの人はこの服を気に入るだろうか。
私が拘って作ったとはいえ、要はあの人が着たいと思えるかどうかなのだ。
そう考えながら、少しだけ散らかっている糸くずや布を集め、出迎える準備をする。ちょっとした掃除を終え、コーヒーをいつでも出せるようにお湯を沸かす。
お湯が沸くのを待つ間、少し髪を整え服についていたゴミを取る。
そこでタイミングよく、ドアからノックの音が響く。
迷うことなくドアを開ければ、いつもの服に身を包んでいる彼が立っていた。
「すまない、待たせたか?」
「いえ。コーヒー、飲まれますか?」
「あぁ」
約一か月ぶりにこの人を家にあげる。
だからと言って、会うことにそこまで緊張はしていない。
むしろこれからどう反応するのかが気になってしまい、そっちの方が緊張する。
「最近やはりお忙しいんですか?」
「まあ、一息つく暇もないほどには」
「……そんなときにわざわざ。言ってくれれば持っていきましたよ」
「俺も早く拝みたかったからな。待ち遠しかったんだぞ?」
「本当にお待たせしてしまいました。自分でもこんなにかかるとは」
「それは、よほど期待できるものとみた。──楽しみだ」
会話をしながらコーヒーをマグカップに入れ、いつものように張さんの前に置く。
すると、作業場の端に置いてある白い布を被った“それ”を見ながら口を開いた。
「これがそうか?」
「はい。では、今からお見せしますね。気に入ってくださるかは分かりませんが……」
そう言って、白い布を外す。
現れたのは、トルソーにかかった黒を基調したスリーピーススーツとロングコート。
──今回仕立てのは、張さんがよく着ている服に寄せたものだ。
私がこれを用意しようと思ったのは採寸の時。
預かった時に少し触れてみて分かったことだが、今のスーツとロングコートはあまり状態がいいものとは言えない。
尚且つ、手入れがされていないせいか着心地も肌触りもよくない。
その上冬用をこんな暑い街で着続けるには無理がある。
マフィアのボスがこんなものを着ていては、とてもじゃないがあんまりだと思った。
特に張さんのような普通じゃない雰囲気の人は。
張さんは私が作ったスーツを見て少しばかり驚いていた。
「単刀直入に言いますと、今着ているものは状態があまりよくない上に色褪せていて安っぽく見えてしまっています。そのため、貴方の雰囲気に合わせて、高級感を出しつつ嫌味を感じさせないものに仕立てました。光沢感の出る素材と、熱が籠らないよう通気性のある素材を使っているので、着心地は軽く、見た目は重厚感のある仕上がりにしています。スリーピースですので本当に暑いときはベストとワイシャツだけでもビシッと決まりますし、ベストがなくても普通のスーツとして着れます。
──それと、私がスーツ以外で出歩いている張さんを想像できなかったのでこの服をご用意させていただきました」
長々と一気に喋ってしまった。
張さんは私の説明が終わっても黙って服を見ていた。
やはり気に入らなかったのだろうか。
「あ、あの張さん。もしかして、お気に召しませんでしたか……?」
「──参ったな」
恐る恐る聞くと、張さんは服を見たまま一言呟いた。
笑みを浮かべたかと思うと、今度はこちらを向いて口を開く。
「これは想像以上だ。まさに“一級品”だ」
「えっと、あの……?」
「着てみても?」
「え、ええ、どうぞ」
トルソーからすべて外し、個別にハンガーをかける。
「私は奥のほうにいますので。終ったら声をかけてください」
「ああ」
「では失礼します」
奥の自室へ入り、作業場を後にする。
着てもらった後に何か不備がないか緊張しながら彼の試着が終わるのを待つ。
「──着替えたぞ」
やがて、作業場から呼ぶ声が聞こえてくる。
緊張を解すように息を吐き作業場に戻ると、私が仕立てたスーツとコートを身にまとい、白いストールを首にかけ満足げにしている張さんがいた。
「どうだ?」
「……想像以上にお似合いで驚いてますよ」
服と張さんの雰囲気が一致しているからなのか、さっきよりも存在感が増している気がする。
……だが、なぜ首にかけてあったストールはそのままなのだろうか。
「そのストール、お気に入りなんですか?」
「まあな。しかし、確かにこれは軽い。そこまで暑苦しくない上に肌触りもいいときた」
「お気に召していただけたでしょうか?」
「ああ、完璧だキキョウ。これは作るのに時間がかかるのも頷ける」
「ありがとうございます」
よかった。実は結構な賭けだったのだ。
前と同じ形の服を作るとかなりがっかりされることもある。
──だが、今回はなんとかなったようだ。
「これで、あとは客が来るのを待つだけだな」
「来るといいんですが」
「この俺が一級品を着ているんだぞ。“身なりがいい”って噂されるさ」
「それ、ただ張さんの噂が広まるだけですよね?」
「だが宣伝にはなるだろ?」
「そうかもしれませんが……自分で言ってて恥ずかしくなりませんかそれ」
「事実だろ」
「そういうとこは羨ましいです」
「誉め言葉として受け取っとくよ」
本当にこれで宣伝になるのかは分からないけど、とりあえず私の仕事はこれで一段落だ。
「……っと、忘れるところだった」
張さんは先ほどまで来ていた古いほうのスーツから封筒を取り出した。
「この服の礼だ。報酬はちゃんと払わなきゃな」
「いただけないですよ。色々とお世話になっているのにお金なんて受け取れません」
「最初に言っただろ、“タダで服を渡すな”。それは俺相手でも有効だ。何より、この服をタダでもらうのは忍びない」
「これは今までのお礼も込めて作ったんです。だから本当に……」
「キキョウ。『約束は守らなければならない』、そうだろ」
それは、前に私が張さんに告げた言葉。
まさかここで言い返されるとは思わなかった。
「受け取ってくれるな?」
「……ほんと、貴方には敵いませんね」
彼の言葉に、少しだけ微笑みながら呟いた。
初めて会った日から、この人には色々と負けっぱなしだ。
いつも一歩手前を行っている。
だからこそ、この人の服を作りたいと思ったのかもしれない。
「本当に、ありがとうございます」
「礼を言うことじゃないさ」
「……ですが、やっぱりこんなに受け取れませんよ。せめてこの半分くらいで」
「いいから貰っておけ。それに、それが俺のお前への評価だ。素直に受け取ってくれたほうが嬉しいね」
どうやら、ここでは何を言っても無駄のようだ。
こうなると私が素直に受け取る以外この人の中では選択肢がない。
この人は、私よりも頑固らしい。
「分かりました」
「それでいい」
根負けし、差し出された封筒を受け取ると張さんは満足げに笑みを浮かべた。
「そういえば、着てこられたものは持って帰られますか?」
「いや、置いて帰る。もう俺には必要ないものだ。好きに処分してくれ」
「分かりました」
「じゃ、俺は少し用事があるからもう出る。──ではキキョウ。またいずれ」
「はい、またいずれ」
そう言って張さんは満足げな顔のままこの場を去っていった。
彼の顔を見て少し微笑ましくなったのは、きっと自分が作ったものを気に入ってくれたからなのだと、そう思った。