バラライカさんに依頼されてから半月が経った。
ようやく張さんのタキシードが完成し後は引き渡すだけの状態なのだが、彼に連絡を入れると「後日取りに行く」とのことだった。
忙しいならこちらから届けると言ったのだが「今は一人で出歩くのはやめとけ」と忠告され、今は張さんからの連絡を待っている。
──そういえば、色々忙しない日々を過ごしている間に年が明け、一九九三年へと西暦が変わった。
年が明けたことよりも、以前よりこの街の空気が変わったことの方が気になる。
私が住んでいる場所は酒場や市場がある通りから少し遠い位置にあるためか、人の気配が他の場所よりも薄い。
毎日のように発せられている銃声や怒号もそこまで気にならなかったのだが、最近は昼夜問わずここまではっきりと聞こえて来るようになった。
その証拠に、ある日の真夜中にどこからか爆発音が聞こえて目が覚めた。
瞬く間に銃の撃ち合いが始まり、激しい銃声が朝まで響いていたことがあった。
……恐らく、というか確実にこの騒ぎの中心はあの二人。いや、二つのマフィアの抗争だ。
この半月で私にもわかるほど異様に争いの激しさが増している。
銃声、怒号、爆発音、悲鳴。
これらすべてが常に街中に響き渡っている。
こんな状態の街に、身を守る術を持っていない女が一人で出歩くのは自殺行為に等しい。
まだ死ぬわけにはいかないので、忠告通り一人で出歩かずただ待っている。
まあ、普段からあまり外に出ないので生活スタイルはそこまで変わらない。
今日も今日とてバラライカさんのドレス制作をしている。
スリットが入った濃い赤のスレンダードレス。
スレンダードレスはボディラインに沿っているため、スタイルがいいバラライカさんにはよく似合うはず。
そう思いながら、今日もドレスを作ろうと作業に打ち込んでいた。
型紙を作り終え、布に鋏を入れいていく。
いつも通りの作業をしていると、机の上に置いていた携帯の着信音が鳴る。
携帯を手に取り出てみると、相手はこの数日間連絡を待っていたあの人だった。
『すまないな連絡が遅くなって』
「大丈夫ですよ。……取りにこられるのは難しいですか?」
抗争が激しくなっている状況だと張さんの立場上動き回るのは出来ないだろう。
マフィアに関して知識のない私でもそれくらいは分かる。
『ああ、今俺は自由に出歩くわけにもいかなくてな』
「なら、やはり私が届けに」
『キキョウ、お前だって道端に捨てられたボロ人形みたいにはなりたくないだろう?』
つまり、“死にたくなければ大人しくしていろ”ということだ。
かといって、このまま受け渡しができない状態なのも何とかならないものか。
『分かったら大人しく家にいるんだ。──てことで、俺の部下をそっちに向かわせたからそいつに渡しといてくれ』
「え、もうこちらに向かってこられてるんですか?」
『ああ、急ですまないが』
タキシードはいつでも引き渡せる状態だから問題はない。
ただ、いつもこっちに向かう前に連絡をしてくれていたので急で驚いた。
「分かりました。ちなみにどのような方が?」
『名は彪 如苑。俺と同じような格好をしている奴だからすぐに分かる』
似たような格好というとスーツとグラサンだろうか。
三合会の人たちはみんなそういう格好をしている。
『それと、念のためそいつが来たら合言葉を言え』
「合言葉?」
『そうだ。合言葉はな──』
「──本気で言ってますか?」
『シンプルで分かりやすいだろ』
張さんが合言葉だといったその言葉はギャグとしか思えないものだ。
この逼迫している状況でも彼のギャグセンスの無さは健在らしい。
『なんか失礼なことを思っている気がするのは気のせいか?』
「気のせいですよきっと」
元気がない時の張さんは知らないが、少しでも余裕を持っていないとこんな冗談みたいなことは言えない。
うん、そうに違いない。
『とにかく、そいうことだ。頼んだぞ』
「分かりました」
『ではキキョウ。またいずれ』
「はい、ではまた」
通話を切り、タキシードを受け渡しできるようにスーツカバーに包む。
後は、張さんの部下を待つだけだ。
──彼の連絡から待つこと十五分。
ようやくドアから来客を告げるノックが聞こえた。
いつものようにすぐドアを開けることはせず、向こうから声が聞こえたら何者で何の用なのか確認する。
「三合会の彪如苑だ。ボスの服を受け取りに来た」
名前は合っている。あとは、合言葉。
……あんまり言いたくはないが、仕方ない。
「……“三合会は”?」
「“超サイコー”」
一瞬の間もなく返ってきた。
言っているこっちが恥ずかしくなってくる。
なんでこれを合言葉にしているんだろうかあの人は。
恐る恐るドアを開ける。
やはりグラサンにスーツ。
三合会はこういう格好しか許されていないのだろうかと疑問に思う。
「わざわざご苦労様です。とりあえず中へ」
「ああ」
彪さんを中へ招き入れ、早速スーツカバーに包まれたタキシードを差し出す。
「これが張さんのタキシードです。今は持ち運びできるようにカバーに包んでいますが」
「確認しても?」
「どうぞ」
スーツカバーを広げ中身を見せる。
彪さんは特に気になることもなかったらしく「もういい」と言われたので、再びスーツカバーに入れそのまま彪さんに引き渡した。
「では、よろしくお願いします」
「ああ。それと、これは大哥からだ」
大哥とは、恐らく張さんの事だろう。
彪さんが差し出してきたのは金が入った封筒と銃だった。
「“護身用に持っておけ”とのことだ」
「……そう、ですか」
確かにこの街で生きていくには必要なものかもしれない。
だが、私みたいな素人が持ったところで何かが変わるとは思えない。
それに、私は生きようとは思っていないのだから持っていたとしてもきっと使わない。
使うとしたら、“殺さないと後悔する”時だけ。
だが、そんな時は絶対来ない。
あの男ほど憎いと思った人間は現れないだろうから。
私が受け取ることを迷っていると、彪さんが困ったような顔で言ってきた。
「俺は、これを渡すまで帰るなと言われている」
「え」
「あの人の命令には背けない。だから早く受け取ってくれ」
私が銃を素直に受け取らないと分かっていたのか。
いや、分かってないとこんな手段はとらない。
あの人のことだ。今、彪さんを無理やり帰したところで私が銃を受け取るまで無理にでも渡してくるだろう。
どのみち、ここは私が折れるしかないのだ。
「……分かりました」
一言呟き、私は銃を受け取った。
生まれて初めて持つ銃は、思っていたよりも重かった。
これが人を簡単に殺せる道具かと思うと、更に重みが増したような気がした。
「確かに渡したぞ」
「ありがとうございました彪さん。張さんによろしくお伝えください」
「ああ、では失礼」
彪さんは踵を返しこの場から去っていった。
──私は受け取った銃を自室のクローゼットの奥にある、二度と使わない錆びた裁ちばさみをいれている箱に納めた。
この銃を使う時がこないようにと願をかけながら。
どうしてもあの合言葉を使いたくて無理やり詰め込んだ感じが丸わかりですが…。
だって入れたかったんだもん!!!(多分もう二度と入れない…)