「──やはり貴女もお忙しいのですね。バラライカさん」
『ごめんなさいね。せっかく連絡もらったのに』
「いえ、なんとなく予想はしてましたよ」
張さんのタキシードが完成してから一か月と半月。
バラライカさんのドレスも完成したので、貰った名刺に書かれていた連絡先に電話をかけた。
完成したことを告げると、やはり抗争中だからかバラライカさんも容易には動けないらしく、“自ら取りに行くのは難しい”と言われた。
「どうしましょうか。私だと無事に届けられるか分かりませんし」
『そうよねえ。あなたに死なれちゃつまらないし、かといって私が動くわけにも』
「やはり、後日の受け渡しがいいのでしょうか?」
『あまり長引かせたくはないのよね。なんとかして受け取りに行きたいところなんだけど……ちょっと待ってね』
バラライカさんは受話器の向こうで誰かと話しているようだ。
その間、私は電話を耳から話すことなくただ待っていた。
そして、三分経ったか経たないかぐらいでどうやら話が終わったらしい。
『お待たせ。受け取りの事なんだけど、私の代わりに部下が取りに行ってくれることになったわ。それでもいいかしら?』
やはりこうなったか。
むしろ、この方法しかない気がする。
「大丈夫ですよ」
『ありがとう。それで、いつ取りに行けばいいかしら?』
「いつでもいいですよ。そちらの都合のいい日に」
私は外にほとんど出ないのだから、ここは向こうに合わせたほうがいい。
『じゃあ明日取りに行かせるわ。──楽しみね、あなたが作ったものがどれ程のものなのか』
「……たかが普通の洋裁屋が作ったものです。貴女が気に入るかどうか」
『“普通”ね。……ま、私が気に入るかどうかは実物を見てからのお楽しみってところね』
そう、ここの私は“普通の”洋裁屋だ。
納得していないのか、バラライカさんはその言葉を強調してきた。
『明日取りに行く部下だけど、この前私と一緒にいた顔に傷がある男。覚えてる?』
「はい。その方が取りに来られるんですか?」
『ええ、名前はボリス。じゃ、キキョウ。明日はよろしく』
「はい。では」
電話が切れたことを確認し、携帯を作業台の上に置く。
今は十三時。お昼の時間だ。
自室に戻り、昼食のサンドウィッチを作る。
椅子に座り、口に入れ咀嚼する。
思えば、ゆっくり食べるのも久しぶりだ。
ここ数か月ずっと大仕事ともいえるものをこなしていたのだから、少し気が張っていたのかもしれない。
折角だ。今日はゆっくり何もせず過ごすのもいいだろう。
こういう時は買い物をしたいところだが、生憎外は騒がしい。
抗争による喧騒は、昼も夜も収まる気配はない。
どちらかが負けなければ、きっと終わらない。
私としては、終わってくれるのは大歓迎だが──あの二人、どちらも負ける気がしないのだ。
力量とかそんなものは分からないが、どちらも負けるイメージがでてこない。
負けたとしても、すんなり引き下がるような人たちでもないようにも思える。
……二人が言う“パーティー”が終われば、決着はつくのだろうか。
ま、私はたかが洋裁屋なので考えたところでどうしようもない。
依頼があればこなすし、なければただやりたいように過ごす。
今はそれでいい。
──とは言っても暇ではあるので、布を収納したり作業台の上を片付けたりなどの作業場の整理を行うことにした。
収納と言えば、大分前からあの場所に行っていない。
依頼にばかり目がいってしまい、あの場所にある服のことを忘れていた。
……収納しているのは良いが、あのまま放置するのもよくない気がする。
誰かのために作ったわけではないが、どうせなら誰かに着てもらいたい。
かといって、“あまりものが欲しい”とかそんなことを都合よく言いに来る人間はいないだろうが。
だが、もしそんな人間が来たら遠慮なく渡すつもりではある。
そんなことを考えていた時、ドアから激しくノックする音と同時によく聞き慣れた声が飛んできた。
「キキョウ! お願い助けて!!」
声の主はアンナだ。
あの日以来、顔を見ていなかったから約一か月ぶりだ。
ドアを開けるとそこには目に涙を溜め、膝上までの白いワンピースがボロボロに破けた状態のアンナの姿があった。
驚きながらも、アンナを家の中に入れそのまま自室に向かう。
「アンナ、とりあえず着替え用意するからそこに座って」
「う、うん」
小さなタンスにある自分の寝巻を渡し、座っているアンナに着替えるよう促す。
アンナが着替えている間、温かいココアを作る。温かいものは心が落ち着く。
これを飲んで少しでも落ち着いてくれればいいが。
「着替えたら、これ飲みなさい」
「……うん」
アンナはゆっくりとココアを飲み始めた。
いつもみたいに微笑みながらではなく、傷ついたような顔で。
飲んでいる間、アンナの服をとりあえず作業台の上に置く。
あっても邪魔だが、ほったらかしにするよりはマシだ。
自室に戻ると、飲み終わったのかアンナは下を俯いていた。
とりあえず私は、アンナから言葉を発するのを待った。
かける言葉が見つからない、というのが正直なところだが。
──少しの間、沈黙が流れる。
そして、ようやくアンナが口を開いた。
「ごめんなさい、キキョウ」
「大丈夫だよ。ちょうど依頼も終わってたところだったし。……アンナ、無理に話そうとしなくていいからね」
「え?」
「何があったのか知らないけど、私にそれを言う義務はないよ。言いたいなら話は別だけど」
何かあったのは明白だが、それを聞いたところで私には何もできない。
それに、この場では本人が言いたくもないことを無理に言う必要も、私が無理やり聞く権利もない。
なら、ただいつものように接するだけだ。
「怪我とかしてない?」
「うん」
「……ココア、おかわりする?」
「……うん」
空になったコップを受け取り、ココアを作る。
できたココアをまたアンナに渡す。
「キキョウ」
「ん?」
「少しだけ……抱きしめても、いい?」
「……おいで」
声を震わせながら言ってきたその願望に、応えない理由はなかった。
私が声をかけると、アンナは真っすぐ私の胸に飛び込んだ。
弱々しい力ではあったが、私の背中に手を回し、しっかりと抱きしめてきた。
そんなアンナを受け止め、気が済むまで頭を撫で続けた。
「──落ち着いた?」
抱きしめられ、しばらく頭を撫でていると強張っていた体が少しずつ緩み始めていた。
アンナ自身も落ち着きを取り戻したのか、声をかけるとゆっくりと離れた。
「うん。ありがとキキョウ」
「ならよかった。……もう少しここにいる?」
今の状態のまま外に出すのは気が引けるし……。
「もう、大丈夫。ほんとにごめんなさい」
「謝らなくていいよ。……そのココアを飲み終わるまでは、ここにいなさい」
「……」
私がそう言うと、アンナは温くなったココアに口をつけた。
言葉だけではあまり美味しくなさそうだが、何も言うことなく飲んでいる。
私たちはお互い言葉を交わすことはなく、ただココアを飲んでいる音だけが部屋に響いていた。
飲み始めてしばらくした頃、アンナが声をかけてきた。
「キキョウ」
「なに?」
「ここまでしてくれて、本当に感謝してるわ。……やっぱり、言わなきゃね」
どうやら、何があったのか話す気でいるらしい。正直気にはなっている。なってはいるが……
「アンナ、言いたくないなら言わないで。それに聞いたところで、私には何もできない」
「言いたくないけど、聞いてほしいの。キキョウに」
アンナは、真っすぐ私を見てそう言った。
そこまで言うのだ。聞かない訳にはいかない。
私は観念して、話を聞くことにした。
「昨日ね──」
「──だから、ついキキョウのところに」
「成程ね」
話の内容はこうだった。
昨晩、いつものように客を取っていると酒癖が悪い男に絡まれたらしい。
その男はアンナを気に入っているようで、アンナを見つけては声をかけてくる。
普段は問題ないのだが酒が入ると暴力を振るうようになる野蛮な男のようで、しばらく誘いを断り続けていた。
その男に昨晩見つかってしまい、いつものように誘われたが、他の客を相手にしようとしていた最中だったため今回も断ろうとした。
酒のせいなのか、お気に入りの女から断られ続けている鬱憤のせいか、取っていた客をアンナの目の前で殺したのだ。
その時はとにかく逃げ、なんとか家までたどり着くことができた。
そして、今日の朝。なんとその男はアンナの家のドアをこじ開け入ってきたのだ。
無理やり犯されそうになったのを置いてあった花瓶をぶつけ、そのまま家を飛び出した。
とにかく走り、どこに来たのか分からない状態だった。
ふと周りを見渡すと、私の家が見えたのでドアを叩いた。
というのが一部始終だ。
「今の状況だと、家帰れないよね?」
「……」
この話だと、その男はアンナの家を知ってしまっている。
その家に帰れば、またいつ襲われるか分かったものではない。
これは、由々しき問題だ。
「アンナ、この街で比較的頼れそうな人はいる?」
「……頼れるかどうかは分からないけど、お世話になった人はいる」
それさえ分かれば十分だ。なら一刻も早く行動しなくては。
「じゃあ、その人のところに行こう。今すぐ」
「え、でも」
「でもじゃない。このままだといつまでも付きまとわれるよ。それに、ここから出て行ったあとどうするつもりなの? 私の家に住まわせることもできないし、ホテル暮らしするお金もない。私がお金を出すという手もあるけど、いつかはその生活も終わりが来る。そうなって、行く当てもなく彷徨ったらそれこそその男に捕まりやすくなる。なら、あなたが少しでも頼れそうな人を当たるしかないでしょ」
「……」
アンナは何も言い返せなくなったのか黙ってしまった。
私がいくら言葉を並び立てても結局はアンナの気持ちの問題。
アンナがどうしたいか。それを聞く必要がある。
「だけど、その男に怯えながら暮らしたいならもう何も言わない。アンナはどうしたい?」
私はアンナの目を真っすぐ見て問いかけた。
少し考えた後、戸惑いながらも答えてくれた。
「……やれるだけ、やってみる」
その一言を聞き、私はクローゼットの奥から拳銃を出した。
張さんが護身用にとくれたあの銃だ。
マフィアが抗争している最中でもあり、身近な危険が迫っている状態でもあるこの時に出さないほうが命知らずだ。
ないより持っといたほうがいい。この街の状態であれば、堂々と持っていても変には思われない。
できれば、使う状況にはならないでほしいが。
「場所は分かる?」
「うん」
「よし、じゃ行くよ」
右手で銃、左手でアンナの手を握りしめながらその場を後にした。
――――――――――――――――――――
家を出て三十分ほど歩き、やっとたどり着いたのは『イエロー・フラッグ』という酒場だった。
幸い騒ぎに巻き込まれることなくアンナも私も無事だ。
まだ十六時前なので店は開いていないらしい。
もうそろそろ日が傾きかける時間だからか、開店準備をしているのか店の中から物音がする。
「ここにいるんだね?」
「うん」
アンナに確認し、躊躇うことなく店に入る。
中にいたのは店主であろう男、ただ一人だった。
男はこちらを向くこともなく言い放った。
「見てわかんねえか? まだ開店準備中だ。来るならもっと後にしろ」
「お忙しいときにすみません。少々お話ししたいことが」
「分かってんなら出ていけ。開店したら話位は聞いてや」
「バオ」
アンナが呼びかけると、男はその声に反応したかのように初めてこちらを見た。
バオと呼ばれた男は、アンナを見ると心底驚いた顔をしていた。
「──アンナか? お前、どうしてここに」
「……」
「私たちがここへ来たのは、貴方にご相談があるからです。……話、聞いてくださいますか?」
二人の間に色々とあるのだろうが、とりあえず今は話をしに来たのだ。
私は間髪を容れず店主に問いかける。
「そこのカウンターに座ってろ」
眉間に皺を寄せながらも言い放った了承の言葉に少しだけ安堵した。
──私はアンナに代わり、事の一部始終を話した。
しつこい客が目の前で人を殺したこと。その男に家がばれており、襲われかけたこと。行く当てがないこと。
店主はただ黙って話を聞いてくれた。アンナは相変わらず何も言わないが。
すべて話し終えると、ずっと黙っていた店主が口を開いた。
「アンナ、てめえのことだからもっとうまくやれているもんかと思ってたぜ」
「……」
「娼婦は客の機嫌を取るのも仕事だろうが。それを一つミスっただけで助けを請うなんざおかしい話だ。……自業自得だ、俺にゃ関係ねえ」
それはつまり、殺されても文句は言えないと言っているように聞こえた。
このままではアンナは本当に殺されてしまう。
なんとか説得しなくては。
言い返そうと口を開こうとしたとき、店主の口から思いもよらない言葉が出てきた。
「それが、“全部本当の話”ならな」
「……え?」
「アンナ、“遊び”で俺を巻き込むんじゃねえと言ってるだろうが」
遊び? この男は何を言っている。
私は今何が起こっているのか分からなかった。
「あははははははは!」
困惑していると、黙っていたアンナが急に大声で笑い始めた。
「まさかこんなに信じるとは思わなかったわ! あーおかしいっ」
「……どういうことアンナ」
このよく分からない状況に少しイラついてしまう。
店主が呆れ顔を浮かべ頬杖を突きながら話し始める。
「嬢ちゃん、あんたはこいつに遊ばれたんだよ。こいつはこの街でも相当なやり手の娼婦で、客の趣味に完全に合わせるのが売りだ。客が望めばSM嬢のような強気さも処女みたいな恥じらいも出せる。そんなこいつに入れ込む客は少なくねえ。名女優だよ」
「そんなに褒めないでよバオ。照れちゃう」
「褒めてねえよ」
店主の呆れ顔とは反対に、アンナは心底楽しそうな顔をしている。
まるで、玩具で遊んでいる子供の様に。
なら、店主の言っていることが本当だとすると、今まで見てきたアンナは全部演技だったということか?
だとしたら、一体どこまでが本当でどこまでが嘘なんだ。
男に襲われたのは。
その男から必死に逃げてきたのは。
「どこからどこまでが本当なの?」
「大方、全部嘘だろアンナ」
「流石バオ、良くわかってるっ」
全部、嘘。完全に騙された。
よくあんな話が思いつくものだ。真実味を帯びるように服まで破いて、どうしてこんなことをしたのか。
「キキョウがどんな反応するのかなーって思って作った話よ。思ってたよりも面白い反応だったわキキョウ」
「……本当に全部嘘なんだね?」
「ええ。」
「男に無理やり襲われてないんだね?」
「だからそうだってば」
何個か質問し、それらの事実が全くなかったことを確認する。
私は大きく息を吸って吐いた。緊張感が一気に抜けてしまった。
「よかった。本当に」
「……は?」
「無理やり襲われたって聞いて、割と動揺してたんだよ。でもよかった、全部嘘で」
私にとっては騙されたことよりも、全部嘘だったという事実のほうが大事だった。
仮にも一緒の食卓で食事をした仲だ。心配もする。
あの時の姿も嘘なのかもしれないが。
「何よ、それ。遊び半分で騙されて悔しくない訳?」
「全然」
「私は、あんたを騙したのよ。他に何か言うことあるでしょ?」
実際、騙されただけであってお金を取られたりとかされてない。
まあ、少し精神的に疲れたのはあるが。
「ないよ。特に被害受けてないし」
「もっと、ほら……騙してたのね、とか、普通は怒るものでしょ」
「騙されて嫌な気分になってないし、怒る必要ある?」
「……」
怒ったところで疲れるだけだ。
それに、本人が無事ならそれで結果オーライだと思う。
これからの生活も心配する必要はなくなったわけだし。
「嬢ちゃん、あんた相当な変わりもんだな。被害を受けてないとはいえ騙されてんだぜ?」
店主が解せないと言ったような口調で言ってきた。
「被害受けてないなら別に気にすることないのでは?」
「いや。まあ、あんたがそれでいいならいいんだけどよ」
「それでいいんですよ。……じゃ、もうそろそろお暇します。アンナ、またね」
「またねって……私とまた会うつもり?」
また、と言われるとは思っていなかったらしくアンナは驚いた顔をしていた。
「ダメなの?」
「ダメっていうか、騙された相手には二度と会いたくないもんじゃないの?」
「さっきも言ったけど被害受けてないから何も問題ないよ。それに、大事なお客が減るのは避けたいしね。どんな形であれ、あなたは私の最初のお客だったんだからこれからも付き合っていきたいと思うのは、ダメかな?」
「……何よそれ、馬鹿じゃないの」
ほぼ独り言のように呟いたその言葉は、本気ではそう思っていないように感じた。
カウンターの席を立ち、店の入り口に真っすぐ向かう。
「アンナ、これからも“洋裁屋キキョウ”をよろしくね。あ、店主さんも何か服欲しければぜひ言ってください」
「あぁ」
「では失礼します」
そう言い残して店を出た。
またここから三十分歩かなければならないと思うと少ししんどいが、早く帰ってビール飲んで休もう。もう疲れた。
「してやられたな、アンナ」
「うるさい」
キキョウが帰った後、バオは一杯のウォッカを出してくれた。
私はそれを飲みながら悪態をつく。
「ああいうタイプは見たことねえ。どうしていいか分からなくなってウチに来たんだろ?」
「……うるさい」
「それにしても、あれが“三合会御用達の洋裁屋”か。どんな奴かと思えば、あんな変わった女だとは」
そう、きっかけはその噂だった。
客から“三合会のボスが気に入っている洋裁屋がいる”と聞いたとき、どんな奴なのか確かめたいと思った。
聞くと、洋裁屋が『欲しいもの』を渡せばマフィアのボスが着ているような一級品を作ってくれるという。
ただ依頼するだけじゃ面白くない。
そう思い、少しからかってやろうといかにも貧乏くさい格好をしてそこら辺にいる下品な娼婦どもの真似をする。
使いかけの化粧品と、少しの金を持って洋裁屋の元へ行った。
その洋裁屋は私よりも少し背の高い東洋人の女。
『依頼は何か』と言われ、『上品なドレス』と答えた。
そこから当然報酬の話になり、私は『あなたが欲しいものはなんですか?』と聞いた。
洋裁屋は、『逆に何をくれるのか』と聞き返してきた。
私は持っていた使いかけの化粧品と金を出して『これが私の出せるものです』と言ってやった。
絶対馬鹿にしてくるはず。
こんなものしか出せない娼婦が上品なドレスを頼むなんて馬鹿げている、そう言うにきまってる。
予想通り言ってきたら、奥の奥まで犯して私の虜にしてやるつもりだった。
けど、洋裁屋は馬鹿にするわけでもなく、ただ『分かった』と。
そして、『でも、この化粧品はあなたには必要なもの。これはお返しします。今回はこのお金だけで結構です』と。
意味が分からなかった。だから素直に聞いた。
『なぜ』と。
私の問いに洋裁屋は『娼婦の命とも言える顔を着飾る道具を、やすやすと受け取れない。その道具を渡そうとしてきた心意気が見れた。それで十分』と答えた。
初めてだった。
娼婦相手に馬鹿にしたり、軽蔑する言葉を投げない人間は。
それから何日かした後、予め伝えていた実際住んでいる場所とは違うボロボロの家に洋裁屋がドレスを届けに来た。
一応、茶の一杯も出そうと思ったのだが、いらないと断られそそくさと帰っていった。
丁寧に包装された中には、見たこともない綺麗な膝丈の青いドレスが入っていた。
“一級品”とはまさにこのことなのだろうと思い知らされた。
貶めることばかり考えていたが、そんなことが吹き飛ぶくらいに心が躍った。
このドレスで出歩いたら今よりももっと客を取ることができると確信した私は、早速その日の晩、そのドレスに合わせて淡い色のメイクを施し、ドレスを着て街を歩く。
思った通り、男だけでなく女までが私を見てきた。
最高の夜だった。
こんなドレスを作るあの洋裁屋にさらに興味がわいた。
仲良くしておけばいざという時にも使える。
私はその日から暇な時間ができたら遊びに行った。
最初は驚いていたがなんだかんだ中に入れてくれて、無理に追い出すこともなく一緒に質素な昼食を食べた。
そんなことをしているうちに、一つの疑問が生まれた。
キキョウは、どこにでもいる普通の女。ニューヨークの大通りを歩いていても誰も気に留めることないだろう。そんな普通の女が、どうしてこの街にいるのか。
話してはくれないだろうが、なにかは掴めるだろうと思い仕掛けてみた。
結局、理由はよく分からなかった。
だがあの時、キキョウも“普通ではない”ということだけは分かった。
あの真っすぐな目は、純粋とかそんなもんじゃない。
もっと何か、別のモノのような気がした。
一体どこまで普通じゃないのか、知りたくなった。
それが発端で、さっきの嘘話を作り、真実味を持たせるためいかにも襲われたと見せるように服を破いてキキョウの家に向かった。
私のボロボロの姿を見て、とにかく落ち着かせようとココアを作ってくれた。
砂糖も入れているらしく、とてつもなく甘い匂いがして飲むのを躊躇った。
甘すぎるものは好きじゃない。
女の子はみんな甘いものが好きだと思ったら大間違いだぞ。
そう心の中で毒づきつつも飲み干したが。
気まぐれで、抱きしめてもいいかと聞くと迷いなくおいでと言われ、抱き着くとただ頭を撫でられた。
誰かに撫でられるのは初めてでこそばゆかった。
その後、嘘話をすると本気で心配しているようだった。
ここまで信じてもらえるとは思ってはおらず、それが予想外で。
頼りになる人はいないのかと言われ、もうめんどくさいと思いイエローフラッグに行き、今に至る。
「──ま、なんだかんだ意外に楽しめたからいいわ。今回はね」
「あまり派手に遊ぶなよ。こっちまで巻き込まれちゃたまらねえ」
「はいはい」
グラスに入っている酒を一気に飲み干す。
ウォッカの中でもさっぱりとした口当たりで結構好きな種類だ。
私の好みをよくわかってる。
「ねえバオ」
「ん?」
「やっぱり人も飲み物も、少し苦いくらいが丁度いいわよね」
あのココアの味を思い出す。
甘すぎるのは好きじゃない。
だけど、あの洋裁屋が作る甘さもたまになら悪くないのかもしれないと思ってしまったのはここだけの話
やっとロアナプラ一有名な酒場を出せました。
本当にあったら行ってみたいけど、入店した時点で死にそう(白目)