『どうだ、調子は』
「いつも通り、ですよ。……バラライカさんとの“パーティー”はいかがでしたか?」
『はは、久々に少々羽目を外しすぎちまってな、おかげで痛い目に遭った。やはりレディのエスコートは慎重にやらないといけないな』
ダッチさんは相打ちと言っていた。そして、この言い草からしても張さんも無傷ではないのだろう。
ま、生きているだけでも十分なのだから私からは何も言うことはない。
「今度は、ドレスが血で染まらないパーティーをしてほしいものですね。」
『俺だって毎回ここまで派手にはやらんさ。だが、この街で血を見ずに済むってのは中々難しいかもしれんな。それは、お前も分かってることだろう?』
「言ってみただけですよ。それで場が収まるなら仕方のないことでしょうから」
そう、仕方ないのだ。
二人とも、自分が果たすべきことを果たそうとした結果がこれだ。
私たち周りの人間にできたのは、自分が巻き込まれないようただ遠くから収まるのを待つだけだった。
そして、これからもこういうことはきっと何度か起こる。
ここはそういう街だ。だから“悪徳の街”と呼ばれている。
『分かってるならいい。……さて、世間話はこれくらいにして本題に入ろうか』
「はい、今回はどのような?」
『少しお前の服を汚してしまってな。折角作ってくれたんだ、どうせなら綺麗な状態で手元に置いておきたい』
それはつまり、この人も服の修繕を頼みたいということだ。
あれだけ派手にやれば、服がどんな状態になっているかは予想がつかない。
少しと言ってはいるが、状態によってはバラライカさんのドレスのように修繕不可能な場合もある。
「分かりました。ですが状態を見ないことには何とも言えません。服の状態によっては直せないこともありますので」
『分かった。後日届けに行こう』
「よろしくお願いします。……張さん」
『なんだ?』
「抗争が始まってからどうなるのかと思ってましたが、ご無事で何よりです」
嘘偽りのない、生きていてくれたことへの喜びの言葉を告げる。
マフィア相手に言うのも普通はおかしいのだろうが、私にとっては関係ない。
私の言葉が意外だったのか、少し間を空けてから言葉が返って来た。
『──ああ、おかげさまでな。なんだキキョウ、心配してくれていたのか?』
「……心配していなかった、といえば嘘になりますね」
なんだか気恥ずかしく、素直には答えられなかった。
だが、これは私の正直な気持ちだ。張さんもそれが分かっていると思う。
『素直じゃないな。だが、そこがお前の可愛いところでもある』
「冗談はやめてください」
『冗談ではないんだが。……ひとまず、行くときは連絡する』
「分かりました」
以前にもこの会話をしたような気がするが気にせず返答する。
『ではキキョウ、また』
「はい、連絡お待ちしてます」
いつものように、“また”と言って張さんは電話を切った。
そのことを確認し、自分も電話を切り携帯を今度こそ作業台の上に置く。
今日はいろんな人と会話した気がする。
ラグーン商会にバラライカさん、そして張さんというなんと濃いメンバーだろうか。
普段家に籠っているせいか、人と会話する事がない私にとって少し気疲れする一日だった。
だが、不思議と悪い気はしない。
理由は分からないけれど、なんだかそんな気分だ。
とりあえず、この後はどうやって一日を過ごそうかと考え、久しぶりに刺繍をしようと思い立ち端切れと糸を取り出す。
その時は、刺繍を動かす手がいつもより軽かった気がした。
────────────────────────
張さんから電話がきて3日が経った。
あれから、まだ連絡は来ていない。
やはり、抗争の後始末とかそんなものがあって忙しいのだろうか。
そんなことを考えながら、今日も依頼が来ないので自由気ままに過ごしている。
今は七分袖の白いブラウスを作っている最中だ。
何もせず、ただじっとするのは性に合わない。
──そうして作業を続けてから5時間ほどした頃。
いつものように作業台の上に置いていた携帯が着信を告げた。
布から手を放し、携帯を取り電話に出る。
電話越しに聞こえてきたのは、この三日間連絡を待っていた相手の声だった。
『やあキキョウ。すまないな、連絡が遅くなって』
「いえ、こちらは大丈夫ですよ。……お忙しいんですか?」
『まあな。おかげで充実しているよ』
やっぱり。
なら、今回も部下の誰かが届けに来ることになるな。
そうなると、またあの合言葉を言わなくてはいけないのか。
そう考えていると、少し予想外だった言葉が発せられた。
『だが、俺もそろそろお前と直接話をしたいもんでな。今回は俺が直接出向く』
「でもお忙しいのでは?」
『久々に、お前が淹れてくれるコーヒーを飲みながらゆっくり話をしたいと思ってな。しばらく会ってないんだ、たまにはいいだろう?』
そういえば、張さんとはスーツを渡してからは一度も直接会っていない。
張さんが忙しかったため、電話でしか話していなかった。
そんな忙しい中でも気にかけてくれて、何度も連絡をもらっていたからそんなに会っていない気はしなかったが、改めて考えると確かにしばらく会っていないことに気づく。
「そうですね。たまには、いいかもしれませんね。……今から来られますか?」
『ああ』
「分かりました。では、コーヒー淹れてお待ちしてますよ」
『楽しみにしてるよ。じゃ、また後で』
口早に言い残し、張さんは電話を切った。
本当に、なぜここまで気にかけてくれるのかは分からない。
多分、私がまた何かしでかさないようにするためだとは思うが。
私は、大事な客人を迎えるため作業机のうえを片付けようと動いた。
片付けを終わらせ、鏡を見て自分の髪が変になっていないか確認する。
そして、あの人が来た時はいつものように淹れていたコーヒーの準備をしながら来るのを待った。
連絡が来てから三十分ほど経った頃、客人を迎える準備が終わった状態で待っていると、正面のドアからノックの音が聞こえた。
そしてそのあとすぐに、ドアの向こうから聞き慣れた声が飛んできた。
「俺だ。開けてくれるか?」
その言葉に、躊躇うことなくドアを開ける。
「久しぶりだなキキョウ」
「お久しぶりです、張さん」
張さんは、私が作ったロングコートとスーツを着てくれていた。
それがなんだが妙に嬉しくて、思わず顔がにやつきそうになる。
お互いに軽い挨拶を交わし、そのまま中に招き入れる。
椅子を出し、私は自室に向かいコーヒーを淹れる。
そして、出された椅子に座った張さんにコーヒーを出す。
これが、張さんが来た時に毎回行われている一連の流れ。
「コーヒーを淹れるのが随分うまくなったな。最初のは飲めたもんじゃなかったが」
私が淹れたコーヒーを飲みながら、張さんは微笑を浮かべながら話し始めた。
「……コーヒー飲まないので淹れ方分からなかったんです」
「だからってあの濃さはなかっただろう。インスタントコーヒーを作れないやつは初めて見たぞ」
「今は飲めるくらいにはなったんですから、別にいいじゃないですか」
コーヒーを買ったはいいものの、甘いものが好きな私はコーヒーを淹れたことがなく、分量が分からず適当に作っていた。
その時張さんには『もっと薄いほうが好みだ』と言われたのを覚えている。
それからは、張さんが来るたびに試行錯誤してなんとか飲めるくらいには淹れられるようになったのだ。
今考えると少し恥ずかしい。
「それも、ひとえに俺のおかげだな」
「……とりあえず、タキシードの状態見せてもらっていいですか?」
これ以上この話が長引かせるのを防ぐために話題を逸らす。
その気持ちがバレているのか張さんはニヤニヤしながらも、持っていた紙袋の中からタキシードを取り出した。
受け取り、状態を見てみると左袖に穴が空いており血が滲んでいた。
だが、バラライカさんのドレスのように海水に浸かった様子はない。
「これくらいならなんとかなりそうです。一週間ほどかかりますがよろしいですか?」
「構わないさ。今回は急ぐ必要がないからな」
「分かりました」
私はタキシードを丁寧にハンガーにかけた。
血が滲んだ左袖を見ていると、その様子に気づいたのか張さんが声をかけてくる。
「やはり作った服を血で汚されるのは気に入らないか?」
「……気にならないといえば嘘になります。ですが、あくまでも着ている人間がその服をどんな場面で着こなすかを決めるんですから。それで傷ついたなら仕方ないことです」
所詮洋裁屋は服を作るだけの人間だ。その服をどう着こなそうとその人の自由であり、洋裁屋が口を挟むことじゃない。
その服がしっかり役割を果たしてくれればそれでいいのだ。
今回は、バラライカさんと張さんにとって大事な“パーティー”で着るためのドレスとタキシードを作った。
そして、二人ともちゃん着こなしてくれた。
それで十分。
だから、今回私がするべき役割も決まっている。
「その傷ついた部分を誤魔化すのも私の仕事です。それが、『洋裁屋』ですから」
私はタキシードから張さんへ視線を移しそう言った。
その言葉を聞いた張さんはとても愉快だというような顔をしていた。
「そうだなキキョウ。お前はよく自分の立場を理解したうえで物を言う。──俺と初めて会った時もそうだ。殺される立場だと分かっていながらも、自分の“信念”を言ってきた」
張さんと初めて会った時。私はなぜ服をタダで渡したのかという質問に、銃を突きつけられながら『約束は守るべきものだから』と言った。
今となってはもう懐かしい出来事だが、忘れられるはずもない。
殺されると分かっていた。だけど、あそこで嘘をついて死ぬより自分が思っていることをそのまま言って死にたいと思った。そうすれば、後悔せず死ねるから。
ただそれだけだ。
「私はただやりたいようにやっただけですよ」
「信念ってのは“譲れないもの”でもあるんだぜキキョウ。その信念を持ってる奴はいざって時覚悟を決められる。そしてお前はその覚悟を決めるとき、あの真っすぐな目をするのさ。──その時のお前は、とても魅力的だ。だから、俺はお前のことを気に入っているんだよ」
この人の言っていることがたまによく分からなくなる。
今回もそうだ。
だが、きっと私が話の意味を理解していなくても問題はないということだけは分かる。
だから、どう返答していいのか分からず困っていると、張さんは愉快そうな顔を崩すことなく一言付け足した。
「ま、お前はそのままでいてくれればいいのさ」
「私は変わりませんよ。これからもずっと」
「それでいい。──なあキキョウ、今夜空いてるか?」
唐突の質問に少し驚いた。
……夜は特に用事もない。
まあ、基本家に籠ってるからいつものことなのだが。
「空いてますよ」
「そうか、なら一杯やろう。お前ともう少し話をしていたくなった」
「なんか、今日はご機嫌ですね張さん。それよりいいんですか、今忙しいんじゃ」
「たまには息抜きが必要だろ?付き合ってくれるか」
「……分かりました、いいですよ」
こんなにご機嫌な張さんの機嫌を損ねることはあまりしたくない。
それに、恩のあるパトロンからのせっかくの誘いを断る理由もなかった。
私の言葉を聞いた張さんは再び満足げな顔を見せた。
「お前とはいい酒が飲めそうだ」
────────────────────────
丁度日も暮れる時間帯だったので、そのまま酒場まで一緒に行くことになった。
連れてこられたのは『イエロー・フラッグ』。
ここに来るのはアンナの遊びに付き合わされた時以来だ。
中に入ると、日が暮れてそんなに時間が経っていないにも関わらずテーブル席は埋まっていた。
空いているカウンター席に張さんが座ったのを見て、その隣に腰かける。
「よおバオ、久しぶりだな。相変わらず賑わってるじゃないか」
「あんたらのおかげでつい最近まで客足が遠のいてた。まったくいい迷惑だぜ。ま、ドンパチが終わったおかげでまたぼちぼち来始めたけどよ」
「そりゃよかった」
どうやら張さんとバオさんは知り合いらしく、お互い気軽に会話をしているように見えた。
バオさんのほうは眉間に皺が寄っているが。
ふと、バオさんがこちらに目を向けてきた。
一応顔見知りだし、挨拶はしておこうと口を開く。
「お久しぶりですバオさん。私の事覚えてくれていますか?」
「忘れたくても忘れられねえよ、お前さんみたいな変わりもんは」
「おいおいバオ、人の連れに酷いこと言うじゃないか。もっといい接客はできないのか?」
「今更このスタンスを変えるつもりはねえよ」
バオさんはそう言いながら張さんの前に『Jack Daniel's』と書かれたボトルと氷の入ったグラスを一つ出した。
何も言われなくても出すということは、いつも飲んでいたのだろうか。
「バオ、もう一つグラス出してくれ。……ジャック・ダニエルは嫌いかな?」
「いえ」
普段はビールを飲んでいるのだが、それは手に入れやすいからだ。
ウィスキー、ウォッカ、ジン、ワインなど色々飲んだことはあるが、これと言って好き嫌いは特になく、出されれば何でも飲む。
バオさんがもう一つ私の前に氷入りのグラスを出すと、張さんがそのグラスに酒を注ぐ。
グラス一杯に酒を入れると今度は自分のグラスにいれようとしているところを見て、声をかける。
「お注ぎしますよ」
「ああ」
ボトルを受け取り、入っていた氷が浸かるくらいまで注ぎ自分のグラスを持つ。
そして、お互いのグラスを重ね、響きのいい音を奏でた後酒に口をつける。
丁度よく冷えた酒が体に染みわたる。
久々にビール以外の酒を飲んだが、悪くない。
「それにしても珍しいな、あんたがここに女を連れてくるなんて」
バオさんがグラスを拭きながら張さんに話しかけてきた。
その質問に、張さんはグラスを片手に口の端を上げ答えた。
「ここじゃ女は口説けないだろ、やるならもっといいとこでやるさ。それに、もう口説き終わった後なんでね。なら場所を気にする必要はないだろ?」
「その言い方だと誤解が生まれるのでやめてください」
「だが事実だろう? 俺の話に乗ったのはお前だぜキキョウ」
「それは、そうですけど……」
だからってもっと言い方があるだろうに。
「お前さんも厄介な男に気に入られたもんだな。苦労するぜこれから」
「苦労、ですか」
「アンナの時もそうだったろうが。“三合会のボスのお気に入り”ってなると、興味本位で近づく奴もいる」
「ま、気に入ってるのは俺だけじゃないがな。お前が作ったドレス、Ms.バラライカもすごく気に入っていたぞ。“血で汚すのは気が引ける”ってな」
「なら汚さないでほしかったんですが。と言っても無駄なんでしょうけど」
半ば呆れた声を出し、また酒に口をつける。
このお酒は意外と飲みやすくてつい口に運んでしまう。
「はは、よく分かってるじゃないか」
「……お前さん、あの“
「私は普通の洋裁屋ですよ」
「普通、ねえ。謙遜するのは変わってないようだな」
「謙遜も何も、それが事実ですから」
また気に入る気に入らないの話か。
よく分からないので、その話はあまりしたくない。
「普通の洋裁屋はマフィアのボスと飲んだりしねえよ。もうちっと自覚しろ」
「バオ、もっと言ってやれ。こいつは少々自覚が足りなさすぎるもんでな」
「なんの自覚ですか」
「少なくともてめえは“普通”じゃねえってことだよ」
「ここじゃ、割と普通の人間だと思うんですけどね」
犯罪都市とまで呼ばれているこの街の住民は一歩外に出れば大犯罪者と呼ばれるような人ばかりのはずだ。
そんな人たちが住むこの街では、私は至って普通の人間…のはずなのだが、周りはそう思ってくれないらしい。
「ま、気に入っちまったもんはしょうがないんだ。諦めろキキョウ」
「本当に、なんで気に入られてるのか分からないですよ」
このことに関しては何回説明されても理解できないだろう。
実際、理解できていないのだから。
私はただ、後悔しないために行動しただけだというのに。
だが、ここまで言われてしまっては、自分は気に入られてしまったのだと認めざるを得ない。
なぜそうなったのか理由や過程は分からない。だが、私が納得してようとしてなかろうとそれが事実なのだ。
「大変だな、お前さんも」
「そうですね。──でも、以前の生活よりは随分楽しくなった気がしますよ」
それは嘘偽りのない、心から思っていることだ。
私のその言葉を聞いて、張さんは更に機嫌がよくなったらしく満足げな顔を浮かべながら酒に口をつけていた。
それからは二人で酒瓶を何本か空けるくらいまで飲んでいた。
その間、初めて会った時のことや、スーツを作った時のこと、バラライカさんとの取引のこと、お互い私が作った服を着て一騎打ちをした時の事など、話が途切れることはなかった。
お互い同じ酒を飲みながら話に花を咲かせ、そうして夜は更けていった。
──イエローフラッグ店内。
三合会とロシアン・マフィアの抗争が始まってすっかり遠のいていた客足が、抗争が終わったことにより徐々に客が戻り始めていた。
いつもなら殴り合いや罵声の浴びせ合いがあり騒がしいのだが、それがある二人の男女の登場で店内が少しばかり静まる。
これがただの男女なら、こんな空気間にはならない。
つい最近までロシアン・マフィアと抗争をおっぱじめていた三合会のボスと見知らぬ女。
その女は黒髪のショートカットで、灰色のシャツを着ていた。
その姿からして、娼婦ではないということは一目瞭然。
ここにいる人間はみんな気になっている。
三合会のボスが連れているあの女は何者なのかと。
周りの空気を気にする様子もなく、二人はカウンターで酒を飲み始めた。
娼婦でもない普通の女とマフィアのボスが飲んでいるなんて誰も想像しないことだ。
店内にいる人間は酒を飲みつつも二人の会話に聞き耳を立てていた。
話を聞くと、どうやら女はあの噂の洋裁屋らしい。
“欲しいものを渡すと一級品を作る”、“三合会のボスのお気に入り”。
そんな噂があった。
マフィアのボスに気に入られる洋裁屋。最初に聞いたときは笑い話だと思ったが、どうやら噂は本当らしい。
更に話を聞くと、あのロシアン・マフィアにも一目置かれているそうだ。
三合会とホテル・モスクワ。
この二つの組織のトップに気に入られてる。
それは店内の人間を驚かせるには十分な内容だった。
──三合会のお気に入り、一級品の腕の持ち主、そこに“ホテル・モスクワも気に入っている”という噂が加わるのは時間の問題だった。