──部屋を出た後倉庫に向かい、本来アンナが着るためにクリーニングされたであろうビニールに丁寧に包まれたシスター服を持ち出し、シスター・ヨランダにお礼を言おうと再び部屋に戻った。
シスターはアンナにお菓子の詰め合わせを渡し、教会の出入り口まで見送ってくれた。
その時に「何かあればまたおいで。その時は紅茶でも飲みながらゆっくり話そうじゃないか」と言われたので、「今度訪れるときは、何か茶菓子でも持ってきますね」とだけ返答し、リップオフ教会を後にした。
そして先ほど家に帰り着き、早速シスター服を広げどのような構造になっているのか確かめる。
「作れそう?」
「試作してからじゃないと何とも言えないけど、多分大丈夫」
不安そうな顔で質問してきたアンナを安心させるためではないが、実物があればたとえ作るのが初めてであっても困ることはないだろう。
「じゃ、この依頼受けてくれる?」
「断る理由がなくなったからね、受けるよ」
「ありがとうキキョウ。それで、もう一つだけお願いがあるんだけど」
「今日は頼みごとが多いね。どうしたの?」
「実は、私服も何か新しいものが欲しいと思ってるの。なんでもいいんだけど、何か気軽に着られてダサくない服が欲しいの」
その言葉を聞いて少し考える。
気軽に着られるものなら収納場所にいっぱいあるのだが、ダサくないと言われてしまうと少し困る。
そこでふと、一つの事に気が付いた。
……これはひょっとして溜まっているあの服達を人に着てもらえるチャンスなのでは?
あそこにある服はすべて私のサイズを基準にして作ってはあるが、ドレスのようにボディラインピッタリなものはないので私と似たような体型なら何も調整しなくても問題はないはずだ。
服は人に着られて初めて存在価値が出る。
そして、アンナは気軽に着られる服が欲しいと言っている。
このチャンスは逃さないほうがいいかもしれない。
そう思い、私は思い切ってアンナに提案をしようと口を開いた。
「ねえアンナ。ダサくないかどうかはあなたの好みによるんだけど、気軽に着られる服なら今たくさんある。その中から選んでもらうっていうのはダメかな?」
「それでもいいけど、どこにあるのよそれ。見たところどこにもない気がするんだけど」
「ここじゃなくて、また別のところに収納してるの。……とりあえず見に行く?」
「行く」
即答だった。
さっき帰ってきたばかりだが、アンナは椅子から腰を上げ外に出ようとしていた。
私も手に取っていたシスター服を作業台の上に置き、鍵と服を持ち帰る用の紙袋を持って再び家を空ける。
そこから十分程歩き、収納場所である灰色のビルの二階に着いた。
部屋の鍵を開け、相変わらず数十着以上の服があるその部屋を見た瞬間、アンナはとても驚いたようで「……すごい」と呟いた。
とりあえず、欲しい服を選んでもらうため好きに見てもらって構わないことを告げる。
「この中で気に入ったものがあれば言って。タダでは渡せないから選んだものによってお代考える」
「分かった。──それにしても驚いたわ、こんなにあるなんて」
「まぁ、好きなように作ってたらいつのまにかって感じなんだけどね」
「どうしてもっと早く言ってくれなかったのよ」
「言うタイミングがなかったの」
私の言葉にふーん、と適当な相槌を打ち部屋中の服を見始めたのでそれ以上何も言わなかった。
服を選び始めて十五分程経った頃、「ホントは全部欲しいんだけどね」と言っていたアンナが悩みに悩んで選んだ数枚のシャツ、スカート、ワンピースを持ってきていた紙袋に入れる。
お代について考えていたところ、アンナがボソッと「キキョウの服をこんだけ買うってなったら二万バーツあっても足りない気がするわね」呟いていた。
二万バーツは、確か日本円で七万円くらいだった気がする。──七万円!?
「い、いやアンナ。いくらなんでもそこまでは取れないよ」
「え、そうなの? じゃあどれくらい貰う気でいるの?」
「えーっと」
そう聞かれると困ってしまうのだが、二万バーツは取りすぎだと思うのでそれ以下の値段でこの服の量だと
「六千とか?」
六千バーツは確か日本円で二万円だったはずだ。
これでも割と取っている方だと思うのだが、安すぎるのもどうかと思うので微妙なラインを責めてみる。
高いと言われると思っているので別にこれ以上低い値段でも構わないのだが、私から提案した金額を聞いて、アンナは「はあ!?」と何故か眉間に皺を寄せて怒ってきた。
「何考えてるのよ!? それじゃ商売にならないわよ!!」
「え、いやこれでも結構高い方だと思うんだけど……」
「馬鹿なの!? キキョウ、あなたマフィアのボスの服を仕立てた一流の洋裁屋でしょ! それがそんな安く売っちゃだめよ! 腕に見合う値段で売らないと!!」
何故ここまで言われなきゃいけないのか。
馬鹿だと言われたことに少しだけ納得いかないが、それを表に出さず自分が思っていることを伝えた。
「腕に見合う金額と言われても私は一流ではないし、そもそも色々な人が私の服を気に入ってくれているのは好みに合っているからであって」
「じゃあ一つ質問。キキョウに依頼した人達に一人でも『あなたの服気に入らない』って言われたことある?」
アンナの質問に少し振り返る。
思えば、今まで気にいらないとかここを直してほしいとか言われたことはない。
ということをじっと見てくるアンナに一呼吸空けてから伝える。
「……ない」
「でしょ? それって本当にすごいことよ。依頼してくる全ての人の好みに合わせるだけじゃなくて期待してた以上の作品を作り上げるのって誰でもできることじゃないし、この街じゃそんな洋裁屋はいない。──そんな洋裁屋の服をそんな値段で売っていいと思う?」
珍しく真剣に話すアンナの言葉に私はどうしても納得できなかった。
私の場合好みに合わせて作っているのではなく、私の作った服がたまたまその人たちの好みに合っていただけなのだ。
希望があればその希望通りに作るし、なければ似合いそうなものを作ろうと思っているだけであって。
それに、私は本当の一流の腕を持った人を知っている。
その人の傍でずっと見てきたから分かるのだ。
私は一流じゃないということが。
私の腕を一流だと言ってくれている人達だってあの人の服を見れば、そんなことは言えなくなるはずだから。
「ねえキキョウ。私も含めてこの街にいる人間は服に関しては素人だから、そんな人間から評価されても意味がないと思うのも仕方ない事だと思う。だけど、せっかくの評価をそんな簡単に否定するのはこちらとしては気分は良くないわ」
「否定してるわけじゃない。ただ、私は私の腕をそう思っていないってだけ」
「それが否定してるっていうのよ。まあ、「私は一流なのよ」ってふんぞり返られても困るけど……とにかく、あなたは服に関しては本当にすごいのよ。だから、せめて私からはこれだけ払わせて」
そう言ってアンナが私に出してきたのは、二万バーツ分のお金だった。
「ダメだよ、ここにある服は私が趣味で作ったものだからもっと少ない額で」
「キキョウ、お願い受け取って。……あなたには迷惑かけたし、私にはこれくらいしかできないから」
後半は小さく呟いていたがはっきりと聞こえた。
なんとなく、アンナがここまで頑なになっている理由が分かった気がする。
「アンナ、確かに私は一度あなたに遊びに付き合わされたけど、それそこまで気にしてないからね」
「え」
「というか、迷惑かけたと思ったなら“ごめんなさい”って一言謝ればそれでいいのに。そういうのをお金で解決しようとされるのは好きじゃない」
「でも、私」
「とにかく、そういうことで出すお金なら絶対受け取らないよ私。お金のために、アンナとこうして喋っていると思われたくない。それにもし今、私が提示した金額より安く受け取ろうと思って演技していたとしてもそれでいいと思ってるから」
「……は?」
アンナはまた眉間に皺を寄せた。
遊びに付き合わされたことを気にしていないのもお金のために動いているわけではないのも本当だが、アンナの言葉が演技ではないと信じられないのも本音だ。
「さっきも言ったけど、ここの服は私の趣味で作ったものだからそもそもお金を払ってもらう必要はないと思ってる。だけど、そんなことしたらあの人との約束を破るからしないだけ。だから、本当に安い金額で渡そうと思ってる。それに、演技であってもさっきの言葉は嬉しかったしね。だから」
「なーんだ、気づかれてたのね。てっきりそのまま騙されてくれるもんだと思ってたけど」
さっきまでの申し訳なさそうな顔はどこへやら、アンナがニヤリとした顔をしながら私の言葉を遮る。
「でも、キキョウの腕を評価してるのは本当よ。折角稼げる腕を持ってるんだからもったいないと思ってるわ」
「生憎、金のために洋裁屋をやってるわけじゃないから。……それで、どうする? とりあえず私は六千バーツでいいんだけど」
アンナに人を騙すことをやめなさいと言ってもどうせやめない、というかやめられないのだろう。彼女はそれを面白がっている。私が服を作ることをやめられないように、彼女にとってそれが生きがいとまでは言わないが、癖のようなものだと思っているので言うだけ無駄だ。
それに、今回も演技されたからと言って特に何か問題が起きたわけでもないので気にしない。
この話を長引かせても時間を無駄にするだけなので、早々に本題へ戻す。
「キキョウがそれでいいなら私も別に構わないんだけど、あなたを気に入っているボスがなんて言うかしらね」
「なんでここでその人が出てくるの」
「だって、この街であなたのことを一番正当に評価しているのは三合会のボス様よ。そんな人がこの値段で売るのを許すとは思えないけど」
「タダで渡さなければそれでいいって言ったのはあの人だから。値段については特に何も言ってこないし、大丈夫」
「私だったら何考えてるのかって絶対怒るわね。ま、私はあなたの雇い主でもなんでもないから関係ないんだけどさ」
そう言いつつ、アンナは六千バーツを差し出した。私はそれを受け取り、服の入った紙袋を渡す。
「お礼じゃないけど一つだけ言っとくわ」
紙袋を受け取り、ドアノブに手をかけ部屋を出ていこうとしたアンナが振り返ることもなく声をかけてきた。
「こんなやり方を続けるなら、せめて相手に舐められないようにしなさいね。あなたのボスのためにも」
「……分かってる」
「……前に服を届けてくれたところにはもういないから、シスター服出来たらバオに預けといて。もし運よくその場に居合わせたら、その時は飲みましょ」
「分かった。じゃ、その時はアンナの奢りでいい?」
「そこはちゃっかりしてるのね。ま、別にいいけどさ。じゃキキョウ、またね」
「気をつけて帰ってね」
最後まで振り返ることなく手をひらひらさせてアンナはこの部屋を出て行った。
1人残った私は、とりあえず換気をしようと窓を開ける。
そんな事をしている最中でも、さっきアンナに言われた言葉を思い出す。
“──せめて相手に舐められないようにしなさいね。あなたのボスのためにも”
その言葉の意味をちゃんと理解できている訳じゃない。
私の評価は張さんの評価にも繋がる。もし私が噂通り一流でなければ見る目がないと言われ、とりあえず何でも渡せば服が貰えると思われれば、都合のいい人間を気に入っているだけと言われるのだろう。
アンナが言ったのは恐らく“あんたが舐められれば、三合会のボスも周りに舐められることになる”という意味だ。
私としても大恩ある人が自分のせいで舐められるのは避けたい。
だが、私があの人をパトロンに選んだのはあの人のためじゃない。
私が“服を作る”ために選んだのだ。その結果、なんだかんだあって“三合会のボスのお気に入り”というブランドが付いただけのこと。
だから私がするべきなのは、“タダで服を渡さず、気に入らない奴には絶対服を作らない”こと。
それさえ守れば、私のせいであの人が舐められることもなく自分のやりたいように服を作れる。
それだけではいけないのだろうかと考えるが、やはり私にはよく分からないので考えることをやめ開けた窓を閉め部屋を後にした。
キキョウ達が去った後も、ヨランダは紅茶に口をつけながら“面白い子だ”と先程取引を持ち掛けた相手を思い出し、心なしかいつもより口の端が上がっていた。
そんなヨランダがいる部屋に足音が近づいてくる。
その足音はちょうど部屋の前で止まり、三回ドアをノックした後足音の主は部屋に入ってきた。
「ご機嫌よう、シスター・ヨランダ。今日の紅茶は何の種類かな?」
「相変わらずのようだねヴェスティ。今日はハロッズのアールグレイだ」
掛けていたブラウンのサングラスを外しながら軽く挨拶を交わすヴェスティとヨランダの距離がだんだん縮まっていく。
「ご一緒しても?」
「茶菓子はあるんだろうね」
「勿論、それがなくては茶会にならない」
ヴェスティは、持ってきた小さな紙袋から丁寧に小分けにされた茶菓子を取り出し、ヨランダに一つ渡す。
その時に机の上に飲み終わった二つの紅茶カップが置いてあることに気づき、自分の前に誰かが来ていたことを知る。
「もしかして、俺が来る前にもう誰かと茶会をされていたのかなシスター?」
「あぁ、とても珍しいお客さんだったよ」
「それは実に興味深いな。一体どんなウサギとお茶を飲んでたんだ?」
ヴェスティは手慣れた動作でヨランダの空いたカップと新しく出した自分用のカップに紅茶を注ぐと、ヨランダに向かい合う形でソファに腰かけ紅茶に口をつける。
「あんたが今一番気になっているやつさ。三合会御用達の洋裁屋だよ、まさか向こうから来るとは思わなんだ」
「……洋裁屋がなんでここに?」
ヨランダの言葉を聞いたヴェスティは思わず紅茶から口を離す。
あの気に入らない童顔の男が気に入っている一流の洋裁屋。
オシャレに気を遣っている人間からすれば気にならない訳がない。
この数か月、会いに行こうにも時間が割けられず少しばかり苛々が募りつつあった。
その感情を表に出すことなく、微笑を浮かべながら再び紅茶に口をつける。
「“シスター服”を見せてほしいって言われてね。なんでもそういう依頼が入ったとか言っていたよ」
「そんなものまで作るのか。貴女のことだ、もしかして何か持ち掛けたりでもしたのか?」
「あんな金のなる木を逃すのは惜しいと思ってね。ちょいと誘ってみたんだが、振られてしまったよ」
「それは残念だったなシスター。──今なら俺の気持ちがよく分かるだろう? あんなにアプローチしたのに結局貴女は三合会の童顔野郎の誘いに乗った。俺からの誘いには一度も頷かなかったというのに」
紅茶を置き、口の端を下げることなく向かいに座っているシスターを見ながら話しかける。
その丁寧な言葉の裏には静かな怒りのようなものが混じっていた。
そんな事を意に介さず、ヨランダは余裕の笑みを浮かべ返答する。
「お前さんの誘いよりもあっちの方が上手い誘い方をしただけの事さね。あたしゃそれに乗っただけだ。それであたしを責めるのはお門違いなんじゃないかい坊ちゃん」
結局、コーサ・ノストラのナンバーツーであるこの男でさえ、ヨランダの前ではただの子供に等しいのだろう。
そして、それは“坊ちゃん”と呼ばれた男もよく分かっている。
だからこそ言われたことに腹を立てずゆっくりと息を吐き苦笑した。
「……そうだな、すまない。やはり俺は欲しいものを全て手に入れなければ気が済まない性分らしい」
「まだまだお子様だねえあんたも」
「全くだ。お恥ずかしいところをお見せしたお詫びに、今度はイタリアの紅茶と茶菓子のセットを持参しよう」
「それは楽しみだ」
「ふっ。さて、世間話はこれくらいにしてそろそろビジネスの話をしようかシスター」
──シスター・ヨランダとの茶会も終わり、俺は教会を後にした。
協調体制となってから約三か月が経った今、徐々にその体制が浸透しつつある。
その体制を整える初段階で俺はまず武器流通のルートを抑えることを優先的に行おうとしていた。
その中でも武器だけでなく様々なルートを確保し、一際稼いでいた暴力協会の大シスターに目をつけ何回も茶会に参加した。
だが、そう考えていたのはあの童顔野郎も一緒だったようで先回りされた。シスターから誘いを受けたと聞いたときは野郎を殺してやろうかとも思ったが、まだその時じゃないと頭では理解している。
そして、今のままではまずいことも。
この状況を放っておけば、俺たちコーサ・ノストラの立場は三合会やホテル・モスクワ、ひいてはマニサレラ・カルテルよりも圧倒的に低くなる。
あの会合で上下関係なんて存在しないが、この街では組織の影響力がどれだけ強大か。
それが自分たちの立場を決定づける。
だからこそ、あのド派手な三合会とホテル・モスクワの抗争時に一足遅れた分を取り戻さなくてはならない。
焦りは禁物だ。俺やヴェロッキオがそれを見せてしまえば組織全体が崩壊することにも繋がる場合がある。
ヴェロッキオも曲がりなりにもボスであるため、俺と同じく組織の立場が危ういということに気付いているのだが、あいつは自分の気持ちをうまく隠せるほど器用じゃない。
その焦りが今部下たちに伝わっているせいで街の体制を整えるための行動が上手くいっておらず、逆にどんどん混乱を招いてしまっている状況だ。
そんな状況の自分たちの組織とは反面、ホテル・モスクワや三合会が徐々に幅を利かせているとあってはヴェロッキオの焦りからくる苛々も納得できる。
そんなあいつを宥めつつ、組織が有利に立つために動くのが俺の役目。
馬鹿で不器用なボスと無能ではないが有能とも言えない部下達。
そいつらが待っている事務所へ帰らなければならないと思うと、心なしか足取りが重くなる。
こんな俺の楽しみと言えば、部屋にあるコレクションを眺めることと噂の洋裁屋に会う瞬間を夢見ることだけ。
そんな洋裁屋と出会えるのはもう少し先になりそうだと、思わずため息をついた。
頑張れヴェスティ!