コーサ・ノストラ事務所で俺は自分の持ち部屋でゆっくりしていた。
俺としては、妙に殺風景なこの部屋をもうちょっとおしゃれにコーディネートしたいのだが、時間が作れなかったのでそれはもう少し先になりそうだ。
だが、そんなことは気にならいくらい俺はここ最近で一番機嫌がよかった。
なにせ昨日やっとあの洋裁屋に会えたんだ。
──イエロー・フラッグに通ってることは知っていた。
昨日はたまたま近くを通りかかったもんだから、もしかしたらと思い寄ってみれば……まさか本当に会えるとは。
この街では珍しい東洋人で短髪にズボン。そして、いつもカウンターに座っている。
この特徴に当てはまっている人物がそこにいた。
折角の機会を逃すまいと一言声をかけ、初めて顔を見た。
化粧っ気はない。だが、素顔が整っているおかげで化粧をしなくても美人だと思える顔。
なぜ、周りの男はこんな女性に声もかけないのかと不思議に思ったほどだ。
張のお気に入りだからというのもあるのだろうが、それでも声をかけないとは周りの奴らは相当な腰抜けだ。
顔を見た後、会えた喜びから俺らしい挨拶をしたのだが、どうやらお気に召してもらえなかったらしい。
挨拶をした時の彼女の反応は本当に可愛らしく、つい頬にキスまでしてしまった。
随分怒っていて何も言わず去ってしまったが、その時の反応もまた可愛らしかった。
今思い出しても口の端が上がる。
更に運がいいことに、その後洋裁屋と仲のいい客にも会えた。
神はまだ俺を見放しちゃいないらしい。
ひとまずあの洋裁屋と個人的な繋がりを持つため念のために書いたあの手紙を渡したが、果たして届いているだろうか。
届いていなくても別に問題はないが、綴ったあの一言を言えば間違いなく食いついてくるはずだ。
少し気になるのは俺の行動を知った張がどう動くかだ。
忠告してくるのか、あるいは様子見をするか。
どちらであってもそこまで気にすることではないのだろうが、あいつは意外に頭が回る。だから厄介だ。
そんなあいつと今よりも対等にやり合えるよう、もうそろそろ俺も本腰をいれたいところなんだが、俺の周りは中々それを許してくれない。
さっきヴェロッキオの部屋から怒号が聞こえてきた。
これはあと五分もしない内に俺のところにお呼び出しがかかるだろうと少し憂鬱になる。
この間『てめえの言動は組織の命に関わってくるから、せめて俺だけに八つ当たりしろ』と言ったばかりだというのに、どうやらあいつには響いていないようだ。
そんな事を考えながら一服していると、可愛い部下が俺の部屋のドアをノックし「失礼します」といつもより覇気がない顔で入ってきた。
「……兄貴」
「なんだモレッティ。
「いえ、あの。ボスがお呼びで……」
「なんでそんな子犬みてえなツラしてんだ。ヴェロッキオにまた理不尽な事を頭から浴びせられたのか?」
「いや」
「ったく、お前も
これはヴェロッキオだけの問題じゃない。その補佐役である俺がヴェロッキオの苛立ちを抑えられていないのも問題ではある。本当は自分の機嫌くらい自分でとってほしいもんだが、それを支えると決めたのだからやれるだけやるしかないのだ。
「いや、兄貴達のせいじゃ……俺たちが役に立ってねえから」
「そう自分を責めるな、らしくねえ。お前たち手足をどううまく扱うか考え、動かすのが俺たちの役目なんだ。だから、お前たちをうまく使えていない俺らに責任がある」
全く、貢献しようと働いている部下をここまで追い詰めることもないだろうに。
ま、必死に動いていようと結果が出ていないのでヴェロッキオが苛立つのも分かる。
要するにどっちもどっちだ。
「──ま、後は俺に任せろ。その後に一杯やりながらゆっくり語り合おう」
「は、はい」
そう言って心配そうな顔をしている部下の肩に手を置きながらそう言い部屋を出る。
そこから真っすぐ廊下を歩けばすぐ我らがボスの部屋にたどり着く。
ドアをノックして声をかける。
「俺だ、入るぞ」
そう言って俺はドアを開け最初に目に入った一番奥で腰かけているボスの顔を見てため息を吐きそうになったが、それを我慢して部屋の中に入った。
張さんから依頼を受けて一か月。
替えのスーツは完成し、今日から白スーツ製作に入る。
あの人の依頼は他の人のものよりも少し気が張ってしまい、いつもより集中力が必要になる。
そのため、ここ最近はあまり外に出ていない。
外に出るのはちょっとした買い物の時か、依頼を受けた翌日にシスター服のお礼を言おうとリップオフ教会に足を運んだ時くらいだ。
教会に行くとき茶菓子を持っていくのを忘れたのだが、シスター・ヨランダから逆に茶菓子をもらうという申し訳ない出来事が起きてしまった。
シスターからは「たまにこうしてお茶してくれるだけでもいいさね」と言ってくれて、懐の深さを感じた。
ついでと言わんばかりに「護身用になにかいるかい?」と銃を売りつけられそうになったので早々に帰ったが。
そんな教会での出来事を思い出しながら、仮縫いを行おうと布を出す。
とりあえず、作ろうと思っているのは同じスリーピースでパンツは裾が少したるんで余裕のある感じが出せるハーフクッション。ジャケットは襟を優美できっちりした印象を与えるピークド・スリム型にしようと考えている。
ちょっとしたことが服や人の印象を変えるので、これをうまく再現できれば全く同じものが出来上がるというつまらないことにはならない。
白と黒のスーツ、それぞれの違いが出せればいいと考えた結果だ。
これがあの人のお気に召すかは分からないが、いつものようにやれるだけやるしかない。
薄く線をいれ、いざ鋏で切ろうとした瞬間──ドアから来客を告げる音が響いた。
今からという時に一体誰なのだろうか。
ひとまず鋏を置き向こうから声をかけられるのを待っていると、ドアの向こうから聞いたことのある声であまり聞きたくない名前が飛んできた。
「コーサ・ノストラのヴェスティだ。ご在宅なら開けてほしい」
「……」
開けたくない。
あんなことをされたのだ、当然そう思う。
私が開けるのを渋っていると、アンナを通じて渡されたあの手紙の一言をカタコトで喋ってきた。
「シゲトミハルタハゲンキニシテマスカ」
「……!」
そう、あの手紙には『しげとみはるたは元気にしてますか?』と、たった一言そう書いてあった。
しげとみはるた。
これはある人の名前。
今でも誰より尊敬し憧れてやまない、たった一人の私の──
「うーん、発音がいまいちだな。やはり日本語は難しい」
「……なぜ、その名前を知っているんですか?」
「やっと反応してくれたね。この話は長くなりそうだから中に入れてくれると嬉しい」
「……」
「この前みたいなことはしないさ」
そう言われ、意を決しドアを開けた。
信用したわけじゃない。
ただ久々にその名前を聞いたのと、彼の存在を知っている人物がこの街にいる事実に心が動かされただけだ。
例えこの男の思惑通りだとしても、話を聞かない訳にはいかなかった。
何せ、“しげとみはるた”という人物は、
「さ、お茶でも飲みながらあの素晴らしい洋裁屋についてじっくり語り合おうじゃないか」
私に洋裁を教えてくれた人だから。
──イエローフラッグという人目が付くところで見世物のように左手と頬にキスをしてきた男を中に入れ、来客用の椅子を出してから自分の椅子に腰かけ自分から声をかける。
「茶は出しませんよ。貴方がしたことを許した訳じゃありませんから」
「俺なりの挨拶のつもりだったんだが、気を悪くしたなら謝ろう。──だが、今は謝罪よりも聞きたいことがあるんじゃないのかな?」
そう言っている男の顔は愉快だと言わんばかりに口の端が上がっていた。
その表情に思わず顔が引きつる。
だがこの男の言う通り、軽い謝罪よりも聞きたいことがあるのは確かだ。
ため息を我慢し、重い口を開く。
「そうですね。聞きたいことは山ほどあるのですが、まず一つ。──どこでその名前を?」
「彼の作品に出会ったのは十五の頃だ。その時に一目惚れして、その作品を作った人物は何者なのか知ろうと俺なりに調べた。そこで彼の存在を知った、という感じだな」
「では、直接会ってはいないということですか?」
「ああ、残念ながら」
心底残念そうな顔を浮かべている男に構うことなく次の質問を投げかける。
「……もう一つ、その人物と私が何故関係していると思ったんですか?」
私が一番知りたいことはこれだった。
恐らくあの人のことを調べているうちに私に辿り着いたのだろうが、私のことをどこまで知っているのか。それが気がかりだった。
「実は、彼のことをもう少し詳しく調べようと思ったんだが名声に拘ってるような人ではなかったらしく、彼について知っている人間はイタリアではあまりにも少なかった。俺が手に入れられたのは名前と日本人であることと、洋裁屋であることの三つだけ。組織を使って調べようとしたんだが、その時には彼はもう日本に帰ってしまっていてね。俺も後を追って日本に行こうとしたんだが、そんな余裕と時間は当時の俺にも我が組織にもなかった。だから、彼自身についてはよく知らない」
つまり、会ってもない上に彼の話しか知らないが、確かに存在していると信じている──ということか。
あの人について情報が掴めていないのであれば、私が彼に関係しているという情報は掴めないはずなのだが。
「だが、数少ない手がかりを調べていくうちに、彼はイタリアで数多くの作品を残している事を知った。俺は彼に会えないのであればせめて彼の作った作品を集めようと動いた。おかげで服に対する目利きが養われてね。腕のいい者が仕立てたのかも一目で分かるようになった。だが、特に養われたのは
「……」
「だから、君が作った服を見て一目で分かった。これは彼の作品だとね」
「話が長いです、簡潔にまとめてください」
結局この男は何が言いたいんだ。遠回しすぎて分からない。
男はクスッと笑うと再び口を開いた。
「君の作った服は彼の作った服によく似ている。まるで、
「……」
「君は彼の教え子なんじゃないか? 少なくとも俺はそう思っている」
「その証拠は?」
「証拠はないが、これは確信に近い」
驚いた。
服一つでここまで考え至る人間がいるなんて思わなかった。
私の反応を見て男は確信したのか更に上機嫌になり、言葉を続ける。
「それで、彼は元気なのかな? いつか会いに行きたいんだが」
「……残念ながら、もうこの世で会うことはできないですよ」
「……亡くなったのか?」
「二年前に」
「──そうか。それは、残念だ。とても」
男は私の返答を聞いて意気消沈しているように見えた。
ずっと会いたかった人物が亡くなったと知れば嫌でもそうなるのだろう。
男はしばらく黙っていたが、やがてまた口を開き話し始めた。
「……ま、落ち込むことはないな。なんせ、まだ君がいるのだから。──Ms.キキョウ、一つ頼みたいことがある」
「聞くだけ聞きます」
「君が作った服を、もう一度見せてもらえないだろうか?」
頼みたいことというのでてっきり服の依頼かと思ったが、服を見せてほしいと言われて少し拍子抜けだ。
それくらいなら別に構わないのだが、今ここには張さんに作ったスーツしかない。
だが、この男にさっさと帰ってほしい気持ちがある。
あの人を知っているからと言って、信用できる人間でないことに変わりはない。
「触らないと、約束できるなら」
「分かった」
誰に作っているのかというのは伏せておけば問題ないだろうと考え、私は昨日作り終わったハンガーにかけ上から更にカバーを被せている黒のスーツを取り出し男に見せた。
男は顎に手をやり隅から隅まで見ていた。
しばらく経って、やがて口を開き言葉を発した。
「ありがとう、もういいよ」
そう言われ、私は再びスーツをハンガーにかけカバーを被せる。
被せ終わったのを見計らって男が後ろから声をかけてくる。
「本当に素晴らしい、最高だ君は」
「褒めても何も出ませんよ」
「本当に、あの男には勿体ない」
男はそう言うとあの時のように左手を掴んできた。
油断した。
この男を信じたわけじゃないが今までの話で少し気が緩んでいたのかもしれない。
私は手を掴まれてすぐ振りほどこうとしたが、これも前と同じように振りほどけなかった。
だが諦めることはせず、必死に振りほどこうとしている中懇願した。
「離してください……! あなた、何もしないって言ったじゃないですか!」
「目の前で欲しくてたまらない宝石が罠もなくぶら下がっているのに、それに手を伸ばさないのはよほどの臆病者だけだろう?」
「ふざけるな!」
もはや丁寧な言葉を使う余裕もなくなり乱暴な言葉になる。
私は必死に離れようとしたが男と女の力の差は歴然で微動だにしなかった。
「そんな乱暴な言葉は君には似合わないよ。──彼の作品はどんな手を使っても集めてきたんだ。なら今回だってそうするだけのことだ」
……どんな手を使っても?
その言葉にとてつもなく嫌な予感がした。
聞かないほうがいいのかもしれないが、気にならない方がおかしかった。
「……一体、何をしてきた?」
「彼も君みたいに依頼を受けながら服を作っていたから、その依頼した人を片っ端から訪ねて譲ってほしいと金を出した。だが中には素直に受け取ってくれない奴もいてね。そういう奴は首を縦に振るまで拷問したりしたもんだ。あとは家族を目の前で殺したりとかかな。あ、拷問するときに殺したやつも何人かいたか」
男は平然と当たり前のように言ってのけた。
服のために人を殺したのか?
しかも、あの人がわざわざその人のためと思って作った服を無理やり奪うために。
「──自分が、何をしたのか分かってるのか」
男の言葉を聞いて私は頭に血が上っていた。
あの優しく温かい人と、その人が作った服に対する冒涜とも取れる行動に腹が立たない訳がなかった。
「依頼したということは、その人に一番似合うよう作られた筈だ。そこにはあの人の依頼人に対する思いが詰まっている」
歯止めが利かず、次から次へと言葉が溢れる。
「あの人の洋裁屋としての思いだけでなく、あの人の依頼人への思いを踏みにじったんだお前は……ッ。それが、あの人の服が好きだと言った人間がすることか! あの人が作った服を何だと思っている!」
「勿論、最高の作品さ」
男が何か言ったが耳に入らない。
この男が喋ったことがもし冗談だとしても、それを許せるほど寛容じゃない。
だが、恐らくすべて本当のことだ。
この男はマフィアだ、それくらい平気でするはず。
怒りで手が震える。
怒りの中でも愉快そうにニヤついている男の顔を見ながら、更に言葉を続ける。
「お前はただ自分を満たすモノを手元に置いておきたいだけだろう! そんなことにあの人の服を利用するな!」
「そんな怖い顔をしないでくれ。……フッ、君のボスでもあるMr.張も自身の利益のため君を脅し、強引に君のパトロンとなった。あいつは良いのか?」
「黙れっ! 張さんとお前を一緒にするな!!」
「何が違う?」
張さんとこの男の違い? そんなもの分かりきっている。
「彼は私の話を聞いてくれた。だから今もこうして何事もなく荒んだ街で服を作れて、周りの人に私の服を着てもらえている。お前のように洋裁屋とその服を侮辱したりなんかしない。……そんなあの人を、私の師を侮辱し続けているお前と一緒にするな!」
張さんまで侮辱することは絶対に許さない。
これ以上、私の恩人たちをこの男に侮辱されてたまるものか。
「──成程、これは随分な惚れようだ。あの童顔野郎も罪な男だな」
「それ以上口を開くな! ……いい加減離せ!」
ずっと振りほどこうと暴れているのだが現状は無情にも変わっていない。
「離すわけないだろう? やっとこの腕を俺の手の中に収めるチャンスだというのに」
「私は絶対にお前のために服は作らない。例え銃を向けられても」
「……これは、もうちょっと落ち着いてから迎えに来たほうがいいな」
男はそういうと掴んでいた手をようやく離した。
すぐさま男と距離を取り、睨みつける。
「出ていけ。そして二度と私の前に現れるな」
「それは無理だな。今度はちゃんとした格好で来るよ」
「ふざけるな!」
「ふざけてなどいないさ。では、また」
そう言って男は腹立たしい笑みを浮かべたまま部屋から出て行った。
あそこまで声を出したのも感情を表に出したのも久しぶりで、息が上がっていたことに今更気づく。
自室に行き、水を飲もうとコップに注いでいる間に深呼吸をする。
注いだ水を一気に飲みほし、呼吸を整えようと再び深く息を吸って吐いた。
それだけでは気持ちが落ち着かず、クローゼットの奥に入っている箱を取り出し錆びた裁ちばさみでも張さんから貰った銃でもなく、一つのハンカチを取り出す。
それは、端に桜が散りばめられ李の花紋が刺繍されたもの。
このハンカチはあの人が私にくれた最期の作品。
死ぬ前に私に作ってくれたものだ。
──重富春太。
血の繋がりが無いにも関わらず男手一つで私を育て、洋裁を教えてくれた私の育ての親であり師。
小学生の頃から私は春さん、春さんと呼んで懐いていた。
今ではその日々は遠いものとなってしまったが。
「春さん……」
作ってくれたハンカチを握りしめながら、師の名を呟いた。
ここからどんどん物語が展開します。
私も書いていて「あれ?思ってたんと違う」ってなることが度々あるので、これからどうなるのか私も楽しみです←