「──張大哥、あの女は」
「今のところは泳がしておく。今はな」
待たせていた車に乗り、運転席にいる腹心の部下と言葉を交わす。
エンジンがかかり走り出したのと同時に、煙草に火を点ける。
「俺の縄張りで目立つ行動をとったかと思えば、『約束だから』ときた。随分と甘い考えをお持ちのお嬢さんだったよ」
「今後はどのように」
「釘は刺しといた。当分は放っておいても問題はないだろう。また動きがあれば報せろ」
「
──最初はほんの些細なことだった。
一人の孤児が俺の部下から財布をスろうとしていた。
金を手に入れるために財布をスるのはこの街では日常茶飯事。だが、俺の部下からすろうとするのはただの命知らず。
そんなことはこの街の子供なら分かっているはずだが、なぜか部下を狙った。
些細なことだが、俺は気になることはとことん追究しないと気が済まない質だ。
俺は「なぜこいつからとろうとおもった?」と孤児に聞いた。
すると孤児は「お金さえあればあのとってもきれいな服がもらえる」、「金がないからくれないんだ」と言った。
だから俺は言ってやった。
「なるほど、それは金が入用だ。だがな、命とその服どちらをとるのか考えなかったのか」と。
孤児は考えることもなくすぐに答えた。
「あの服を手に入れるためなら死んでもいい」ってな。
この腐った街で育った子供は、生きるために金を盗む。
だが、この孤児は生きるためではなく「服を手に入れるため」に金を盗んだ。
服などという手に入っても生きるためにはそこまで必要ではないものに命を懸けるなんざ、ここじゃありえない話だ。
だから、その孤児が言う「命をかけても手に入れたい服」に少しだけ興味が湧いた。
「分かった。そこまで言うなら大目に見てやる。ただし、一つだけ条件がある。俺は明日、今と同じ時間にここにいる。だから──」
“金をやる代わりにその服を見せること”、それを条件に金を渡した。
すると孤児は礼の一つも言わずその服を買いに行った。
そして翌日、俺は同じ時間、同じ場所にいた。
するとあの孤児は金をもってやってきた。
孤児は「この金を元に戻して来たら服をあげるといわれた。だから返す」と言った。
俺は一か月は食うに困らない程の金を渡した。
持ち逃げするかと思ったが、どうやらこの孤児は本気で「服」を欲しがっているようだった。
孤児のその様に、見てもいない服と服を仕立てた奴に危機感を覚えた。
たった一人。
されど一人。
この街の孤児がたかが服にここまで魅了されることはあり得ない。
ましてや、俺の知らないところでこれほどの一級品が出回っているとなると尚更放っておくわけにはいかない。
たった一つの些細なことがこの街の均衡を脅かす火種ともなり得る。
火種は小さいうちに消すに限る。
──数日後、同じ場所、同じ時間に立っている孤児を見つけた。
体は傷だらけだった。
大方、他の子ども、または通りすがりの大人にやられたのか。
そんな傷だらけの孤児が大事そうに持っていたのは大きな袋。
俺は声をかけ、その袋の中身を見た。
中には、黒と赤を基調とした女性用のドレスが入っていた。
派手ではない。だがこれが似合うのはハリウッド女優のような華やかな女性だろう。
繊細で上質な、いかにもその筋の「職人」の技術がふんだんに使われている代物。
この街には似合わず、ましてタダでやるには高すぎる。
だからこそこの服をなぜ孤児にあげたのか。なぜタダで渡したのか不可解だった。
その後は孤児にその洋裁屋の場所に案内させ、直接話し釘を刺した上で、また不可解なことをしでかせば殺せばいいと思っていた。
結果、直接話を聞いてもさらに不可解なことが増えただけだった。
『約束は守らなければならない』ただそれだけだと。
利益を生むわけではないのに何故そこまで言うのか。
ただ、あの言葉だけは本気で言っていることは分かった。
──が、あの手の人間は「やめられない」。
これからも、あのような服を作り続ける。
「死んでもいい」と思わせるほどの逸品を作り続けるなら、またいずれ会えるだろう。
その時に、殺すべき存在なのか再び見極めればいいだけの話だ。